闘病記 83話 -「回復と成長」
車椅子父ちゃん
闘病記(改正版)の目次はコチラから
2013年 10月~12月
体調も安定し、リハビリも
介助付きで足の屈伸などが
できるようになり、
右手だけだが、ピアノで
スマップの「夜空ノムコウ」
が弾けるようになったりと
順調に少しづつ回復に
向かっている感じだ。
発熱もこの4ヶ月、
少し長引いたけど、
1回しかなかった。
来年(2014年)の
サッカーワールドカップ
予想ゲームの企画も固まり
新たなネットビジネスも始めて、
これから上り調子になりそうだ。
84話 -「新たな気持ち」へ つづく
闘病記 82話 -「アラレちゃん」
車椅子父ちゃん
闘病記(改正版)の目次はコチラから
2013年9月~
医療センターでのリハビリは、
体調が悪く、ベット上で手足を
動かしてもらう程度だったが、
元の病院に戻ってからのリハビリで、
弱っていた体力も少しづつ回復して
きた。
リハビリの担当も前のまま
なんだけど、今回は学生が
一緒についていた。
学生というのは、
リハビリの専門学校の実習生の
ことで、学校のカリキュラムに
基づいて、3ヶ月くらい
リハビリスタッフのもとで
実習するというものです。
20歳ぐらいの学生さんが多く、
飲み込みの早い人やそうでない人も
一生懸命勉強して学校に戻ります。
今回の学生さんは、
明るくて態度のでかい、
いや、堂々とした女の子で、
メガネをかけて小ちゃいという
風貌から、「アラレちゃん」 と
呼ばれてみんなから親しまれて
いました。
「アラレちゃん」 がいたことで
楽しくリハビリに取り組めました。
若いって無邪気でいいですね^^
僕の娘たちもこんなふうに
明るく育ってほしいな(^O^)
83話 -「回復と成長」へ つづく
闘病記 81話 -「拍子抜け」
車椅子父ちゃん
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2013年 8月
元の病院に戻って2~3週間たち、
体調も落ち着いていたのだけど、
医療センターでにいるときから、
耳がかなり聞こえづらくなっていた。
通常の聞こえ方が10とすると、
右耳が 7
左耳が 1
くらいしか聞こえない状態。
特に左耳は、テレビを観るとき
イヤフォンをしても、声や音楽が、
機械音のような聞き取れない音になる。
中耳炎になった事もあるが、
それ以上で、今までで最悪な状態だ。
紹介状を書いてもらい、
耳鼻咽喉科で受診することに
しました。
ついでに、今後口から飲み食いが
できるように訓練していく上で、
現在の飲み込みの状態を確認する
ために診てもらう事にしました。
耳の受診結果は、
右耳→難聴ぎみ
左耳→難聴
鼻から空気を送る等の処置をして
しばらく様子を見ることになった。
飲み込みの状態→
少し気管への流れ込みが見られる
飲み込みの力をつける訓練を
リハビリでしばらくやって、
それでも改善しなければ、
ここでは出来ないが
手術という手もある。
その時は、大きな病院に紹介状を
書いてもいいと言われた。
そして「同時に切開した気管を
閉じる手術もしたら?」
と言われたので、
一か月前までいた医療センターで
「もう3回も切開しているので、
また閉じることは出来なくなる」
と説明された事を伝えると、
「そんな事はない、
なんとかなりますよ」
という返事だった。
僕は、切開するときに
あれだけ悩んで決断したのに・・・
そ、そうなの? (・ω・)と拍子抜け
医師によって意見が
こうも違うものかと感じた。
82話 -「アラレちゃん」へ つづく
闘病記 80話 -「帰院」
車椅子父ちゃん
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2013年7月後半
スピーチカニューレに変わり、
声が出せるようになった時点で
全ての専門的治療が済み、
前にいた病院へ
転院する(戻る)ことになった。
医療センターには、
3ヶ月近く入院していた。
戻ってきたら、みんなから
「お帰りなさい」と声をかけられて
忘れられていなかった事で少し
ホッとした。
さあ、これからは弱った体力の回復
に向けリハビリに励まなければ!
関節の曲げ伸ばし等の基本的な
運動は、医療センターの理学療法士
がしてくれていたので、
あとは弱った筋力を
取り戻すことからだ!
81話 -「拍子抜け」へ つづく
闘病記 79話 -「感謝、感激」
車椅子父ちゃん
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2013年7月
喉の切開手術が終わり
カニューレ(器具)をつけた僕は、
スピーチカニューレに付け替える
2週間後まで声を出せなくなった。
身振り手振りと口パクで会話をする
のは久しぶりで、細かいところまで
相手に伝えることができなくて
イライラする。
すると、ある若い看護婦さんが
僕専用の五十音パネルを自宅で、
しかも自腹で作ってきてくれたのです。
※イメージ画像
更に、面には普段僕がよく使う言葉
(吸引して、寒いので布団をかけて
、テッシュを取って、などなど)を
大きな文字で書いてくれてて、
それはそれは立派なボードでした。
パソコンで書いた大きな文字で
わかり易く、パネルはプラスチック
で指で指しやすて軽くて丈夫!
すごく嬉しかったです。
感動しました!
声が出るようになるまで、
大変重宝しました。
80話 -「帰院」へつづく
闘病記 78話 -「安心感」
車椅子父ちゃん
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2013年7月
「お疲れ様でーす」
麻酔から目が覚めた僕は、
手術室台の上に寝ていた。
「終わりましたよー」
看護師たちが手術の
後片付けをしていた。
喉の切開の手術は無事に終わり、
声を出せなくなっていた。
2週間後にスピーチカニューレと
いう声を出せる器具に交換するから
それまでは意思の伝達は口パクで
身振り手張りの状態だ。
しばらくは、その状態で
会話をしなければいけない。
手術開始の予定時間は昼の
1時~2時と言われていたのに、
始まったのは午後6時過ぎだった。
前の手術が長引いたらしい。
手術まで待たされる時間が長く、
しかも夜の手術は初めてなので
少し不安な気持ちになっていた。
でも手術室に入ると、前日に
手術の説明などをしに来てくれた
癒し系看護師のみさよちゃんが
いたので安心して手術に挑めた
のが良かった。
さあ、
これからまた 喉にカニューレ
をつけた生活が始まる。
79話 -「感謝、感激」へつづく
闘病記 77話 -「決断」
車椅子父ちゃん
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2013年6月
一生、
喉に器具をつけたまま
過ごすことには、
かなりの抵抗があった。
つけた状態だと、
リハビリもやりにくいし、
吸引器が手放せなくなるし、
2週間毎に器具の付替えが
必要になるし、
他にも色々な弊害が予想される。
かと言ってつけないで
閉じたままにしておくと、
今回のように
危険な状況にもなりうる。
どうしようか。
・・・・・・。
不自由なことが増えるけれども、
命の危険性を考えれば…
もう一度、喉を切開して器具を
つけたほうが気持ちの上で安心
だろう。
そう考えて、手術を承諾した。
78話 -「安心感」へ つづく
闘病記 76話 -「再度熟考」
車椅子父ちゃん
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2013年6月~7月
悩んだ挙げ句、喉を切開すことに
決めた僕のもとに手術の担当医師が
病室を訪れて手術の説明ををした。
その中でこんなことを言われた。
「あなたは、今回で3回目の
切開手術になりますよね。
今回切開すると、一生閉じる
ことが出来なくなりますが、
その覚悟がありますか?」
えーーーーっ! どういう事!?
「この手術は何度も繰り返すたび
にだんだん難しくなります。
3回目でも難しいのに4回目は
出来ないかも知れない。
だから喉を開けて一生 器具
(カニューレ)をつけたままに
なると思いますので、それを理解
してもらった上での手術になりま
す。」
また落ち着いたら閉じればいいと
思っていた僕は、もう一度考えさせ
てくれと言って決断を先延ばしにした。
77話 -「決断」へ つづく
闘病記 75話 -「ごねる」
車椅子父ちゃん
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2013年6月
主治医から喉を切開して器具を
つけたほうがいいと言われたが
僕はどうしても嫌だった。
喉を切開すると、いろいろと
不都合なことになるからだ。
例えば、、、、
痰が沢山上がって来たらその度に
吸引器で喉から吸引しないといけ
なくなる。
これが結構きついので
口から出せるようになれば
その方がいい。
さらに気管に器具があると
飲み込みがしづらい。
なので、また食べる練習を
最初から始めないといけなくなる。
そして、切開したところの
痛みがずっと続く。
ある程度落ち着いたら喉を塞ぐ
手術を受けないといけなくなる。
そんなこんなで、
もう後戻りはしたくない。
だから、のどは切開したくないと
ハッキリと言って、ごねたのだ。
ところが、主治医よりも上の方の
人(呼吸器科の一番偉い人)が
切開して開けておかないと
また同じような肺炎を繰り返す
ことになり、今回は助かったが、
助からないことだってある。
と、考え直すことを勧められた。
一晩悩みました。
「せっかく順調にステップを踏んで
上がってきたのに後戻りすること
になるのは嫌だけど、先生がそう
言うのなら仕方ない、またしばら
くしたら閉じればいいか」
と考え直し、切開すことを了承した。
2日後、手術の担当医師が病室を
訪れて手術の説明を受けた。
この説明で僕は、
また大きく悩むこととなる。
76話 -「再度熟考」へ つづく
闘病記 74話 -「血管」
車椅子父ちゃん
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2013年6月
医療センターにて
ずいぶん体の状態が落ち着いては
きたが、レントゲン検査ではまだ
肺炎の状態は完治していなかった。
また、抗生剤の点滴が始まった。
僕の血管は表面に出てきてないので、
看護師泣かせで、なかなか血管に
針が入らない。
なので、点滴をするのに10回以上
針を刺されることもあった。
病気になる前は腕に血管が
結構浮き出ていたのになぁ。
痰を出すことにも苦戦してたので、
主治医からある事を言われた。
喉を切開して器具をつけたほうが
いい という事だった。
えっ、また?
少し面食らった。
75話 -「ごねる」へ つづく