闘病記 73話 -「極度の貧血」
車椅子父ちゃん
闘病記(改正版)の目次はコチラから
2013年5月7日~
抗生剤の点滴と吸引で連休中は、
他の処置はしていなかったが
GWがあけると、たくさんの
検査をした。
肺炎の影響(と思う)で、
40度の熱が4~5日続いた。
汗が一滴も出なくて
熱を発散できないのが辛かった。
便秘が酷く、下剤や浣腸で
やっとの思いで出た便は
真っ黒な血便だった。
血液検査の結果、
血中のヘモグロビンが
極端に減っていて
貧血状態が深刻になっていた。
胃カメラで胃の中を診ると、
治りかけの潰瘍が見つかり
その反対側から
多くの出血箇所も確認された。
出血の場所が判明するまでの間と、
それを治療するまでの間に
1週間ぐらいの間に輸血を11回
して、体に血液の量を保っていた。
治療は胃カメラで見ながら
出血しているところを
クリップで止める処置でした。
数箇所あったので、
1回目で気づかなかったところを
別の日に再度治療した。
ようやく出血もなくなり、
真っ黒だった便も普通に戻り、
胃潰瘍の方は時間がかかるが
少しずつ良くなってきている
との事だった。
そして高熱も下がり、
肺炎も抗生剤の点滴で
少しずつ落ち着いてきた。
これまで凝縮して書いた
一連の体調の変化や治療は
2~3週間の出来事で、
その間3回ほど危険な状態に陥り、
家族が夜中に病院に呼ばれたりも
した。
その後も2週間ぐらいは意識も
ぼやぁとして正直あまり覚えて
いない。
なので、
今回の経過と治療のタイミングは、
正確ではないと思うが
なんとなくこんな感じの状況だった。
74話 -「血管」へつづく
闘病記 72話 -「肺炎」
車椅子父ちゃん
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2013年5月1日
国立の治療センターに搬送される
途中、救急車の中で酸素吸入を
多めにしていたので到着した時は
比較的落ち着いていた。
個室のベットに移り
点滴や酸素吸入が始まった。
次の日も検査などで終わった。
ゴールデンウィークの真っ只中
だからだろうか、病院内は静かで、
慌ただしい雰囲気はなかったし
先生やスタッフも少なく感じた。
5月3日、4日、5日は3連休で
出勤している看護師も少ないようだ。
その間、痰がきちんと取れず肺に
溜まっていく一方だった。
吸引するのが鼻からなので、
僕はそれが辛くて痛い痛いと
訴えて、看護婦さんたちを
困らせていたのだ。
どんどん悪化して、
ついに酸素吸入の量を
MAXの10L/分まで
増やさざるをえなかった。
深夜、当直の先生が駆けつけて、
緊急処置を施してくれたので
痰を喉から取れるようになり、
少し落ち着いた。
朝になってレントゲンを撮ったら
片方の肺が真っ白になっていた。
73話 -「極度の貧血」へつづく
闘病記 71話 -「キウイ」
車椅子父ちゃん
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2013年4月末頃
長引いていた熱も下がり
便もスッキリ出して、
ようやく下の体力に
戻りつつあった。
投資で詐欺に会ったことも
高い勉強代だったと考える
ようにした。
口から食事ができるようになり、
「たくさん食べて栄養をとり
抵抗力をつけるぞ」
と思い、何事もなく食べていた。
この日の夕食のデザートは
キウイフルーツだった。
輪切りのキウイを端から食べていて、
3切れ目のキウイを口にした時、
かなり強い刺激が口の中を襲った。
舌がビリビリしたので早いとこ
飲み込もうと、
何度もつばと一緒に
胃の中に送り込んだ。
大きく咳き込んで
喉と舌の強烈な刺激が続き、
口からは、
皮膚が剥がれたようなものが
つぎつぎと痰と共に出てきた。
看護師に伝えると、
「キウイやパイナップルは
舌が痺れることがあるよね~」
と、いう感じの答えしか
帰ってこなかったので、
そんなもんなんかなと思っていた。
しばらくすると落ち着いたが、
痰の出る量が多くなっていた。
次の日の夜は痰を口から吐き出して
いたが、出てくる痰の量が朝方まで
多くてティッシュを山ほど使った。
夜が明けて、体内の酸素濃度を
計ると89%くらいだった。
健康な状態であれば95%以上なの
だが90%を切ると結構深刻だ。
鼻から管を入れて肺から痰を
吸引しなければならない。
しかし、これがなかなか
管が肺に入らなくてしんどい。
やっとの思いで吸引できて
酸素マスクを着けて95%を超えたが
また次から次へと痰が発生する。
とうとう 呼吸器科がある病院へ
救急車で搬送されることになった。
72話 -「肺炎」へ つづく
闘病記 70話 -「急変」
車椅子父ちゃん
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2013年4月
詐欺のショックは
金額以上に大きかった。
「体さえ自由に動けば、一生懸命
働いてすぐに取り戻せるのに。」
と、改めて自分の置かれている
状況を嘆いていた。
車椅子父ちゃんは、
ちょっとネガティブになっていた。
そんな中、いきなりの悪寒から、
急激な発熱で40度近い熱が出た。
便秘も続いていてお腹もパンパンに
貼り、両脇腹がキリキリと痛んだ。
悪寒にガタガタと震え、
高熱で力も入らず、
便秘と腎結石でお腹が痛い。
三重苦で、看護観察室に部屋が
変わり抗生剤と点滴の治療に入った。
絶食で食事は食べれない。
24時間点滴と薬だけの生活が
一週間続いた。
とにかく辛くて何もできず
10日間ほど寝たきりとなった。
71話 -「キウイ」へつづく
闘病記 69話 -「発覚」
車椅子父ちゃん
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2013年1月~
8年連続の病院での年末年始を
まったりと過ごした。
投資が順調なので、
心にもゆとりが出てきていた。
2013年2月
2月は僕の誕生日だ。もうすぐ
43歳だ。今年はいい年になるぞ!
ところが、この頃から投資で
お金を預けた会社に不信感が・・・
というのも、いつでも自由にお金の
出し入れができると言っていたのに
利益分を引き出し依頼しても
なかなか入金されないからだ。
2013年3月
挙げ句の果ては、担当者が長期出張
などと言って話ができない。
ネットで探してみると同じように
騙されている人が結構いることが
判った。
同じ会社名で時期も同じである。
騙されたー!!ガーン
車椅子父ちゃんは、まんまと
100万円近くのお金を
騙し取られてしまった。
最悪です。。。
もちろん、
警察には詐欺被害として通報し
事情聴取を受け、
様々な証拠資料を提出して
現在調査してもらっているが、
お金が戻ってくる可能性は低い。
(実体のない会社である事は判った)
これから、
病院の入院費をどうしようか。
悩み苦しんだ。
嫁や親達からはバッシングを
受けるし、子供たちの進路にも
影響してくると考えると、
崖っぷちに立たされたという
危機感が高まった。
70話 -「急変」へ つづく
闘病記 68話 -「好転」
車椅子父ちゃん
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2012年9月~
リハビリの効果が徐々に現れてきた。
体力もつき、
車椅子で外を散歩したりした。
食事も色々なものが食べられるよう
になり、売店でスナック菓子等を
買って食べる程まで順調に回復して
いた。
しばらく休んでいたネットビジネス
にも、これで復帰できそうだ。
そんな時、とてもいい投資話が
まいこんできた。
インターネット上で注文できて、
高利回りの投資案件だ。
入院費・医療費として残しておいた
貯金があと2~3年分しかなかった
ので、その中の1年分を元に
この投資案件に乗っかった。
家族には猛反対されたが、
医療費が払えなくならない内に
手を打っておくべきだと押し切った。
結果は毎月10万円以上増えていく
のをネット上で確認できたので
こっちの方はもう安心だと、
リハビリやネットビジネスに
専念することにした。
69話 -「発覚」へ つづく
闘病記 67話 -「2回目」
2017年7月時点の車椅子父ちゃんは、
体調の急変により、2週間ほど
救急病院へ転院していましたが
無事、元の病院へ戻ってきました^^
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2012年 7月末頃
リハビリが順調に進んでいく間に、
食事も少し出来るようになってきた
ので、喉につけた器具をはずし、
あけた穴をふさぎたいと申し出た。
何故かというと、
喉から空気が抜けやすいので
リハビリの時にグッと息を止めて
力をこめる事が出来ないし、
外出する時はいつも吸引機を
持ち歩かないといけない。
そういう不便さに嫌気が差し、
早く穴を閉じてもらいたかった。
近くの別の病院で飲み込みの
検査を受けOKが出たので、
大学病院で喉にあけた穴をふさぐ
事になった。
手術の2日前に入院し、
2週間ほど大学病院に入院して、
また元の病院へ戻ってきた。
今回の手術は、有名な先生で
喉が綺麗に平になるように筋肉を
しっかりつなぎ合わせる方法だった
ので、前回別の病院でやった時より
も術後の痛みが何日か続いた。
これで僕は、喉を2回空けて
2回閉じたことになる。
2回目は切開してから半年という
短い期間で閉じた。
実はこの事が、
あとあと僕を悩ませることになる。
68話 -「好転」へ つづく
闘病記 66話 -「リハ始動」
車椅子父ちゃん
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2012年 4月~
リハビリが本格的にスタートした。
PT(理学療法)では、
初日からいきなり介助のもと
平行棒で立ち上がることから
スタートした。
前の病院では、
「立つことは諦めて車椅子での生活
を見据えて腕のリハビリを中心に
やる」
というスタンスだったので、何年も
立つことからは遠ざかっていた。
はじめは恐る恐る介助に委ねながら、
立ったような、持ち上げられたような、
とても「リハビリで立っています」
とは言えない状態でした。
OT(作業療法)では、
最初に簡単なテストをしたあとは
Wii(テレビゲーム)で
いろんな体を動かすゲームをして
遊んだ。10年ぶりのゲームで
Wiiは初めてプレイした。
ゲームは結構得意な方だったけど、
やはり脳も体も思うようには動かない。
ただ、久しぶりの勝負事に
興奮して楽しかった。
ST(言語聴覚)では、
口から食事をするために
必要な舌の動きなどの訓練から
スタートし、実際の食事訓練は
ミキサー食を昼食だけ食べる
ところから始まった。
ミキサー食とは、おかずをミキサー
にかけドロドロにした状態のまま
出されるもので
飲み込みがしっかりと
できない人向けの形態。
それにとろみをつけた汁物と
お粥が付いてくる。
まあ、はっきり言ってまずいです。
何を食べているのか判らないし。
期待するリハビリは
こんな感じのスタートだった。
67話 -「2回目」へ つづく
闘病記 65話 -「本当のリハビリ」
車椅子父ちゃん
闘病記(改正版)の目次はコチラから
2012年 3月下旬
リハビリ中心の入院生活が始まった。
普段僕は、自分で起き上がることも
できなければ、座った姿勢を保持
することもできない。
日中は自動ベッドで体を起こして
座った姿勢にして、パソコンや
読書などをしている。
それ以外は寝たきりの状態だ。
前の病院では4~5人がかりで
背中に引いたバスタオルごと
僕を持ち上げてリクライニング式の
車椅子に移してくれていた。
しかし、ここでのリハビリは
違っていた。
担当のリハビリのお兄さんが、
ひとりで移動させるというのだ。
まず僕の足をベッドから降ろして
上体を起こして座らせる。
僕がリハビリのお兄さんの
首の後ろに手を回して掴まると、
お兄さんは僕の体を
抱きかかえて立たせ、
くるっと車椅子の方に移してくれる。
そんな事やったことが無かったので、
最初は恐かったが、これが本来の
リハビリなんだなと感じた。
リハビリ室にはリハビリの
助手さんも何名かいて、
受付では明るく元気な挨拶で
迎えてくれる。
本当に気持ちよくリハビリに
取り組める環境だ。
66話 -「リハ始動」へ つづく
闘病記 64話 -「リハビリに意欲」
車椅子父ちゃん
闘病記(改正版)の目次はコチラから
2012年 3月
転院した病院にまだ慣れない中、
リハビリの内容と、僕を担当して
くれる3名のリハビリスタッフが
決まった。
理学療法士を中心に作業療法士、
言語聴覚士がいて、それぞれが
20~40分
マンツーマンで指導してくれる。
それを曜日で時間割を決めて、
それに沿って毎日のスケジュールを
こなしていく。
前の病院とは大違い、ここの病院は
しっかりとしているところのようだ。
前の病院のリハビリスタッフを
批判しているわけではなく、
病院の方針というか
取り組む姿勢が全く違うのだ。
そして設備に驚いた。
体育館のように広く天井が高く、
同じ機材が何台もあり
スタッフの数も多く、若い!!
入院病棟のベッドに来たときの
印象とは全く違う。
僕が望んでいたのはこういう、
リハビリがメインの病院だ。
僕を担当してくれるスタッフは皆、
僕よりも若く明るく真面目な感じだ。
理学療法士は、中年オヤジだが
僕より年下でハンサムで優しい印象。
(このスタッフより年上だなんて、
僕も年取ったなぁ)
作業療法士は、新婚ホヤホヤの
可愛いヤングミセス。
言語聴覚士は、30代前半と思いきや
実はアラフォーの若々しい独身女性。
他のスタッフもイケメンや
美女ぞろいだ。
楽しくリハビリに取り組めそうなので
僕の社会復帰も見えてきそうだ。
<PS>
リハビリ室やスタッフの印象は、
ウソではないが少し「よいしょ」
しすぎたかな?(笑)
65話 -「本当のリハビリ」へ つづく