闘病記 55話 -「幻覚」
車椅子父ちゃん
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2012年 1月
2011年から2012年の
年越しも病院で過ごした。
これで、7年連続病院で
年末年始を迎えたことになる。
毎年、今年こそは退院と意気込んで
いるのだが回復のスピードはのんびり
している。
1月中旬、正月ぼけが収まってきた頃
体調に異変が起きていた。
微熱が続き痰が多く、
酸素濃度も十分ではなかった。
その状態から2~3日して突然体中の
筋肉がキュルルッ!と震え(痙攣?)
があり、直後に異常な寒気を感じ、
過去に感じたことのないような悪寒に
包まれた。
尋常じゃない寒さを感じ、
看護婦さんやスタッフの方に
早く何とかして欲しいと助けを
求め続ける程だった。
半日位で寒さはおさまったが、
高熱が出て頭がくらくらした。
今までに何度も高熱は出していたが、
今回のは何かが違っていた。
幻覚や幻聴が出て、自分でも何を言っ
ているのか判らない状態になった。
状態(様子)を見ているうちに、
体に吸収される酸素濃度がかなり
低化している事が分かり、
急遽別の救急病院に救急車で運ばれた。
ひどい肺炎を引き起こしていたのだ。
56話 -「ナースとの戦い」へ つづく
闘病記 54話 -「個室」
車椅子父ちゃん
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2011年 7月
病院側の都合で1日5000円の
個室に移動した。
もちろん向うの都合なので
料金はかかりません。
部屋はトイレ・洗面・風呂付きで
ソファーや絵画などもあり、
ちょっとしたシティホテルの
ようだった。
正直、一人でいるのは寂しかったが
面会者は喜んだ。
特に子供たちはユニットバスなどに
隠れて大いにはしゃいでいた。
壁掛けの絵画を取り外し、
今までにもらった励ましの色紙を
大きなコルクボードに飾った。
8月になると2回目の
食事訓練が始まった。
今度は、勝手に辛くしたりせずに
きちんと練習しよう。
個室は1ヶ月半程で、
また元の病室に戻った。
たまには個室もいいもんだ。
55話 -「幻覚」へ つづく
闘病記 53話 -「仕事~大震災」
2010年 10月
入院中でありながらインターネットで
ネットビジネを始めるようになる。
どうして始めたかというと、
インターネットで目的を持った仲間と
一緒に取り組んでゆくビジネスなので
入院中でも孤独感がなく楽しく展開し
ていけたから。
体調の方は1ヶ月に1回位のペースで
40度前後の熱が出る発作が1年以上
続いた。
それ以外は毎日ネットビジネスに
没頭していましいた。
そして翌年、あの忌まわしい
災害が起こった。
2011年 3月11日
この日起こった東日本大震災では
ネットビジネスの仲間が災害を
受けていた。
連絡が取れず安否がわからない状態が
何日も続き、3月16日にようやく
無事が確認できた。
心配で心配でビジネスどころでは
なかった。
被災地の報道を見ていると、
1ヶ月ほど何もする気になれなっかった。
気持ちが落ち着いてきて、
自分のできる範囲で義援金を送った。
もう2度と起きて欲しくない災害だが、
地震大国の日本では避けて行けない事
なので、被害が最小限になるよう対策を
する必要がありますね。
53話-2(追記) -「喉の穴」へつづく
闘病記 52話 -「今度は火葬場」
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車椅子父ちゃん
2010年 9月
祖母が亡くなった。
92歳でした。
とても優しい祖母でした。
僕は亡くなった祖母へ手紙を書いた。
僕の指先は麻痺の影響で不自由で
字をまともに書くことができない。
何度も練習して、まあまあ見れる
程度に書けたと思う。
葬儀には行けなかったが、
病院の許可をもらい、
友人の運転で火葬場にかけつけた。
そして火葬直前に祖母の顔をみた。
眠っているようで綺麗な顔だった。
棺桶に手紙を添えた。
「おばあちゃん、
ありがとう。
孫一同より」
久しぶりに親戚一同 集まった所で
軽食をとりながらみんなと会話した。
随分元気になったと喜んでくれた。
その時にビールを一口だけ飲んで
みたら、久しぶりの味に感動した。
ところが、すぐに顔が熱くなり
フラフラしてきた。
入院する前は、ざるのように飲んで
たビールを一口飲んだだけで酔って
しまったのだ。
全くの下戸になってしまった。
まあ、それはそれでいいんだけれど
ちょっと淋しいかなぁ・・・
53話 -「仕事~大震災」へ つづく
闘病記 51話 -「初めての外出」
<車椅子父ちゃんのつぶやき>
久々に40度超の発熱で
一週間何もできなかった(+o+)
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2010年 9月
運動会シーズン、我が家の長男 長女
も小学校の運動会ということで病院
の許可を得て外出して観に行くこと
になった。
本格的な外出はこれが初めてだ。
外出に至ったったのには
いくつか理由があった。
①この時期は気候がいいし、
体調も上々だった事
②6年生の長男が小学校最後の
運動会なので一度くらい見に
行ってあげたかった事
③地域の社会保険センターから
車椅子ごと乗れる介護カーを
レンタルできた事
④入院先の看護婦さんの娘さんと、
我が家の長女が同じ学校の同級生
だった事
特に④番は、現地で何かあった時に
対応してもらえるという安心感で、
行こうという決め手となった。
綺麗で明るい看護婦さんは
「任せて下さい」と快く緊急対応を
引き受けてくれた。
結局、その看護婦さんの手を借りる
事もなく、ゆっくりと観覧できたの
で家族みんな大満足でした。
52話 -「今度は火葬場」へ つづく
闘病記 50話 -「社会復帰の芽」
車椅子父ちゃん
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2010年 9月
口から食事をとる練習はしばらく
お預けとなって、パソコンに触れる
時間が長くなった。
インターネットで経済のサイトを
みたり、ポイントが貯まるサイト
に登録したり、
株の取引をやったりしていたら、
ネットビジネスに興味を持ち始め
いろいろ調べ始めた。
身体が不自由でもインターネットなら
何らかの仕事ができるのではないかと
思ったのだ。
そしていくつか、ネット上で紹介され
ているビジネスにチャレンジしてみた。
でもパソコンのスキルがとぼしい
僕に合うビジネスはなかなかなくて、
お金だけが出て行った。
そんな中、出会ったビジネスが
ピッタリ自分に合っていて、
すぐに飛びついた。
すぐには収入に結びつかなかったが、
数ヵ月後 徐々に収入を得るように
なっていった。
入院中に収入を得ることが出来て、
半分 社会に復帰したような気持ち
になり、精神的にも楽になった。
そして体の回復も加速し始めた。
51話 -「初めての外出」へつづく
闘病記 49話 -「口から火」
車椅子父ちゃん
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2010年 8月
寒がりの僕にとっては大好きな夏と
いうこともあり、体調はよかった。
昼だけ口から食べていた食事も
少しづつ慣れてきていた。
病院の食事なので味は当然薄いの
だけど物足りないので、何かご飯に
かけて食べようと
当時流行っていて気になっていた
あるものをネット通販で購入した。
もともと、ピリ辛が好物だったので
絶対にこれをご飯(おかゆ)に混ぜれば
食が進むはずだと思って買ったのが
「食べるラー油」だった。
これを、特に誰かに相談することも
なく、当たり前のようにおかゆに
かけてみた。
見るからに美味しそうな色になった
おかゆをパクリと口にし、久々の
ピリ辛の食感が広がったあと…
カーッ!ケッケッ!!ゲホゲホペッ!!!
て感じでむせて、涙が出るほど苦し
かった。
久しぶりの喉の刺激があまりにも強く
て、そのあとの食事は喉を通らず断念。
辛いの大好きなのに…
と驚いていた僕に対して、
看護婦さんは、
何年も刺激を受けてない喉に急に
刺激を与えたんだから当たり前だよ~
、と呆れた様子。
(周りも心配しつつ呆れ顔)
結局、喉が腫れて次の日から
口から食べることができなくなった。
この事件は、どんな事も先生(主治医)
に相談しなきゃと悟った出来事だった。
いやー、まいった まいった。
50話 -「社会復帰の芽」へ つづく
闘病記 48話 -「インターネット」
車椅子父ちゃん
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2010年 6月
サッカーワールドカップが始まり
日本の快進撃に心踊った。
その間、いつもの発熱もなく
体調もそんなに悪くはなかった。
リハビリは相変わらず平行線で
良くもなく悪くもなくという
感じだった。
2010年 8月
ワールドカップはスペインの優勝で
幕を閉じ、僕の企画も最後まで盛り
上がり大成功だった。
入院していてもこんなイベントを
開催できるインターネットの力って
ホントに凄いですね♪
楽しいことやるのもいい薬です^^
病状の方は、体調がいいことで、
調子に乗って、ついやらかして
しまった事件がこのあと起こった。
49話 -「口から火」へつづく
闘病記 47話-2-「生活力向上」
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2010年 3月
体調は疲れ気味で、ヘルペス
(帯状疱疹)が腹から背中に
かけてできており、
抵抗力を付ける為、昼食を胃に
直接流す流動食ではなく、毎日
口から食べるようにした。
パソコンでは株式投資にのめり込み
娯楽で競馬もやって少しだけど
勝っていた。
ワールドカップ(サッカー)の
ゲームの企画も順調に進んでいた。
とにかく、パソコンを使えるように
なった事で入院中なのに、お小遣い
も稼げて楽しく遊べるるようになり、
入院のストレスが随分減った。
48話 -「インターネット」へつづく
闘病記 47話-1-「体力向上」
車椅子父ちゃん
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2010年 2月17日
この日は僕の40歳の誕生日。
この頃のリハビリでは腕の力を
つける為の訓練が中心にしていて
1kgの重りからスタートしていた
重りが2kgまでレベルアップして
いた。
大学病院でリハビリを始めた頃は、
軽いプラスチックのコップを
テーブルの上に置くことすら
できなかったから、
それから比べると
随分力が戻ってきている。
そして40歳の誕生日を機に更に
レベルアップして2.5kgにする
ようにした。
これは、小学6年生ぐらいの
レベルだと思う。
握力も 右14kg 左17kg と、
まだまだ小学生のレベルで、
右が弱いのは身体の
右側の麻痺が強いのが原因。
もっともっと訓練しようと
リハビリのメニューを増やした。
47話-2-「生活力向上」へつづく