☆車椅子父ちゃんの人生劇場☆~只今入院中!~ -22ページ目

闘病記 46話 -「院内感染?」

闘病記(改正版)の目次はコチラから

 

 

2009年 11月~12月  

 

 

この頃、病棟にてあるものが
次々と感染していた。

 

俗に言う院内感染というやつだ。


それは女性職員にのみ発生している。

この時の感染も女性看護師だったが、
同じ病棟の男性看護師がそれに深く
関与してることが判った。


いったい何が感染していたのか?

当時のブログでも書きましたが、
なんと、それは…





妊娠だった。

 

まったく、おめでたい話しだ。

 

※イメージ画像

 

 

それはさておき、僕の方は、

喉の器具をはずして約10日、
のどの穴が大分ふさがって来たので
痰は自分で口から
ティッシュに出せるようになった。

 

なので、痰の吸引を殆ど
しなくて良くなった。

 

 

47話-1-「体力向上」へつづく

闘病記 45話 -「カニューレ外す」

車椅子父ちゃん

闘病記(改正版)の目次はコチラから

 

 

2009年 11月


この頃、入院中のブログでは、
病気の事よりも翌年開催される
サッカーワールドカップ
南アフリカ大会の記事が
中心となった。


僕の主催でワールドカップ
予想ゲームというのをもようし、
最終的には80人の参加で
ネット上で盛り上がった
イベントだった。

 

 

何といっても好きなことを
やっていると不思議と元気が
出ることに気づいた事が
一番の収穫だった。

 

 

そんな中、
痰の量が減ってきていた事もあり
喉のカニューレを外してもらった。

 

外して間もない頃は、
喉に開けられた穴がまだ大きくて、
ガーゼを被せホコリ等を防いでいた。


喉の穴は2~3週間で自然に閉じる
と聞いていたので、その日が来るの
を楽しみにしていた。


喉に穴が開いたままだと、
そこから空気が漏れるので
リハビリでも力めないし、

 

風呂に入るにも水や石鹸の侵入を
防がないといけない。

声もはっきりとは出せなかった。

 

 

喉の穴が塞がるのを待ちつつ、
2009年が終わり、今年も
病院で年を越すことになった。

 

 

46話 -「院内感染?」へつづく

闘病記 44話 -「リハビリとブログ」

闘病記(改正版)の目次はコチラから

 

 

2009年 8月17日

 

 

最初の入院から4年が過ぎて、
この時点で入院中の病院(K病院)
へ来て約3年。

 

まだ、40度前後の発熱の発作
はちょいちょい出ていた。

 

リハビリは、大きな浴槽に水を1滴
ずつ垂らして貯めていくように、
僅かながら成果が出ているようだ。

 


パソコンを使うようになって
指の感覚が少し出てきたような
感じがする。 


 


もっとパソコンに慣れて指先と頭を
使っていけば更に効果が出るだろう
ということでブログを始めた。

 

それがこのブログです。


45話 -「カニューレ外す」へつづく

闘病記 43話 -「ネットがリハビリ」

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2008年 9月

 

 

相変わらず、月に1度は
40度前後の発熱がある。

 

原因の判らないこの熱はいったい
どこから来ているのだろう?

 

このころには、熱が上がる前兆と
いうのがはっきりわかるように
なってきた。

 

 

まず、手が異常に冷たくなり暖め
ようとしてもなかなか暖まらない。

 

そして、身体のどこかに力をかけ
ようとすると上半身が収縮して変な
力が加わり、思うように動かなくなる。

 

そうなると、だんだんと寒気が増し
て布団を何枚も重ね、電気毛布まで
かけてもらうことになる。
(真夏でも)


このような定期的な
発作は一年以上続いた。

 

 


携帯電話で株式取引をやっていたが
、この頃はあまり儲けていなかった。

 

すると、あるきっかけでその道で
仕事をしている人から日経225と
いう投資を教えてもらい、周りの
勧めもあってモバイルパソコンを
購入して取引を開始た。


結局損したけど、これが僕の
パソコンとの出会いだった。


パソコンでのインターネットは
入院中の唯一の楽しみになり、
リハビリにもなった。


44話 -「リハビリとブログ」へつづく

闘病記 42話 -「お帰りなさい」

闘病記(改正版)の目次はコチラから

 
 
2008年 9月頃
 
 
泌尿器科での入院生活は3ヶ月弱で
終わり、前病院に戻ったら4人部屋
の自分がいたベッドがそのままの
状態で残っていた。

ちょっとした小物も大きな荷物も、
そして患者さんも3ヶ月前と変わっ
ていない。

部屋の患者さんの面会の方々も
「お帰りなさい」と迎えてくれた。


リハビリ室のスタッフからも暖かく
迎え入れてくれ気持ちが落ち着いた。


3ヶ月いた泌尿器科が「アウェイ」と
するなら、ここは「ホーム」のように
感じた。




ここで紹介したいのが、
同部屋の患者さん面会の方だ。


1人は当時47才(?)のパーキンソン病
の患者さんの母親(75)で足腰が悪い
のに毎日のように息子さんの看病に
来ていた。

もう1人は当時59才の意識不明
(交通事故による)の患者さんの
母親(81)で、こちらはこのお年で
ピンピンしていて、ご自分で車を
運転して息子さんの看病に来ていた。


2人とも365日ほぼ毎日、
息子さんの付き添い一生懸命
看病していた。


明るくて前向きなこの2人には
僕自身も勇気をもらい、
すごくお世話になりました。


43話 -「ネットがリハビリ」へつづく
 

闘病記 41話 -「意外な接点」

闘病記(改正版)の目次はコチラから

 
 
2008年 8月頃
 
手術後のリハビリが始まり
1週間ぐらいでお互い慣れてきて
リハビリ中に雑談するようになった。


高校の話題になり、何気なく自分
の母校の話をしたらリハビリ師の
彼女=長山さん(仮名)も同じ高校
出身だという。


詳しく聞くと僕の5学年下
であることが判った。

ここまではよくある話しだが、


「妹も同じ高校なんだけど6学年
 下だから知らないよね」と尋ねると

「妹さんは何か部活してましたか?」
 と言うので「男子ハンドボール部の
 マネージャーやってたみたいよ」と
 言ったら…

「美香ちゃん?(仮名)」と
 妹の名前を口にした。


「えっ、なんで知ってるん?」

「私もマネージャーやってたから」

「へぇー先輩か。じゃあ妹も長山  
 さんのこと知ってるんだぁ」

「2年間一緒にやってたから覚え
  てるはずですよ」



「だったら、妹も長山さんにいじ
  められていたんだー」

「いじめてないですよ~! しかも
 『妹も』ってどういう事ですか~」

「妹も・・・兄貴も・・・」

「そんなこと言ったらホントに
 いじめちゃいますよ!(笑)」


地元の病院とはいえ人口140万人
の市でこんな偶然に巡り合うとは
世の中広いようで狭いんだなぁと
感じた。


42話 -「お帰りなさい」へつづく
 

闘病記 40話 -「プロレス技」

闘病記(改正版)の目次はコチラから

 
 
2008年 8月頃


泌尿器科での入院生活が続く中、
リハビリが始まった。


始めは腎臓や膀胱に管が入っていた
のでベットの上でのリハビリだった。


リハビリの先生は30代の女性だっ
たが、今までやってきたリハビリと
違ってかなりハードなものだった。


リハビリの先生は、靴を脱いで
ベットの上にあがり、仰向けに
寝ている僕の両足を抱え込み、

背中の所まで持ち上げ、

腰の下にジャンボクッションを
入れてそのまま寝せられ、
えびぞり状態になる。

更に僕の固まった関節のあちこちを
ねじられて、まるでプロレス技をか
けられているようだった。


※イメージ

アクロバットなリハビリに悲鳴を
あげていると、薄ら笑いしながら
「はい、あと30秒」と

ストップウォッチを見て、
手を休めようともしない。



リハビリ終了後、疲れ果てた僕は
「先生、あなたは "S" でしょう」

   と言うと、

「ハハハ(笑)そうかもしれませんね」
   と軽く返された。


その後、その女性リハビリ師と
僕の間に意外な接点があることが
判った。


41話 -「意外な接点」へつづく

号外 「一足おそい、お年玉情報」

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闘病記 39話 - 「破砕」

闘病記(改正版)の目次はコチラから

 
 
2008年 7月


腎臓に残った大きな石は、
手術で砕いてしまうことになった。


腎臓結石の治療方法は一般的に
体外衝撃波結石破砕術(ESWL)と
いうのが主流らしい。


衝撃波を体の外から腎臓にある結石
に向けて照射し、臓器を傷つけるこ
となく結石のみを破砕する治療法。




第二次世界大戦前にナチスドイツが
衝撃波を兵器として使う為に行われ
ていた研究が、戦後になってこの
硬いものだけを壊す衝撃波に着目し、

体外衝撃波結石破砕術装置が開発さ
れ、1984年に日本に初めて導入され
たという。



まず、手術用ベッドの上に上向き
で寝て、X線装置で結石の位置を
調べ、衝撃波の照準を合わせ破砕
していく。


「バン! バン! バン!」と
1秒位の間隔で大きな音がでる。

これを2000回とか3000回
続ける。麻酔はせず痛くて我慢でき
ないときは鎮痛剤をくれた。


尿道から通した管からは
血が混じったおしっこが出ていた。

左右の腎臓の石を破砕したので
結構時間が長く感じた。


結局、砕いた石はそのままにして
後はおしっこと一緒に流れるのを
待つという事になるらしい。
(全部は流ないというが)


こうして、大きい石はバラバラに
砕かれて手術は無事に終了した。


40話 -「プロレス技」へつづく

闘病記 38話 - 「腎臓の病気」

闘病記(改正版)の目次はコチラから

 

 

2008年 6月頃

 

 

手術は局部麻酔をしてたんたんと
行われ、左右両方の腎臓から膀胱
につながる管に膿が溜まっていて、

 

おしっこが膀胱に流れるのを
せきとめていたことが判り、


その大量の膿を取りだし、

あとは膀胱に流れ込むおしっこを
尿道に通した管から外のバケツに
移した。



やっと、苦しかったお腹も通常に
戻り、身も心も楽になった。

 


尿道を通った管はそのまま1週間程
つけたままで、そとの医療用の
ビニールに汚れた尿が溜められた。


更に腎臓から膀胱にかけても管を
通されていたので体中管だらけだ。

 


よく覚えてないけど、
腎盂腎炎(じんうじんえん)が
どうのこうのと言われた。


2~3日後には点滴が
流動食に変わり様子を
見ることになった。

 


血や汚れで濁っていたおしっこの
色が日に日に綺麗になっていって
最終的には体中の管は外された。

 

でも、これで終わりでは無かった。

 

 

左右の腎臓には大きな石(結石)が
3個づつ残っているらしい。

 


39話 - 「破砕」へつづく