闘病記 63話 -「療養型の病院」
車椅子父ちゃん
闘病記(改正版)の目次はコチラから
2012年 3月
転院してきた病院は前の病院と
比べると、大きくて綺麗なところ
だが、スタッフの第一印象は
平均年齢が10歳位高い気がした。
さらに驚いたのがナースコールを
押して呼んでもなかなか来ない。
今まで6つの病院でここまで
のんびりした病院はなかった。
聞けば療養型の病院らしいが。。。
う~ん。ここは自分がいていいのか?
もっと年配の患者さん専門なのでは
ないか。と、少し不安になった。
これは大変なところに来てしまった
ぞと思っていたが、若い看護師や
スタッフもいて、自分と同年代の
患者も数名いる事があとになって
わかった。
お風呂は一週間に一回で、
風呂場は何人も一緒に入る銭湯
みたいな広さで、実際3人まで
同時に入れる。
服を脱がす人
ストレッチャーに乗せる人
体を洗う人
頭を洗う人など
いうように流れ作業のような感じだ。
とにかく、今までに経験した事ない
ことだらけで、順応していけるか
どうか不安になった。
リハビリはどうなるんだろう?
自分にとって一番重要なリハビリが
すぐに始まる予定だが、少し心配に
なってきた。
64話 -「リハビリに意欲」へ つづく
闘病記 62話 -「ここって病院?」
車椅子父ちゃん
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2012年 3月5日
転院の朝、喉につけたカニューレを
声を出せるスピーチカニューレに
付け替えてもらい、慣れ親しんだ
4階病棟のスタッフに別れの挨拶をして
、転院先の病院に向かった。
転院先の病院から介護車で
迎えに来てくれていたので、
ストレッチャーに寝たまま
移動中の外の景色を眺めながら
次の病院はどんなところだろう
などと考えていた。
その病院は、実家のすぐそばで
僕が中学時代の通学路付近にある
病院で、当時は古びた汚い建物の
病院というイメージだった。
しかし、結構前に建て直しされて
いると聞いていたので、
まあ以前よりは、ましなんだろう
なと想像していた。
以前、大学病院から前の病院に
移ったときは、その古さに
がっかりした覚えがあるので、
期待と不安が入り混じっていた。
転院先の病院に到着。
中に入ると、なんとそこは、
観光ホテルのロビーのような
ところで、(少し大げさ?)
「こんなに綺麗に
生まれ変わったんだ」
と感動した。
TV番組ビフォーアフターの
ナレーション風にいうと、
「なんということでしょう!!」
ってな感じだ。
廊下も広いし病室も広い。
エレベーターを挟んで左右とも
50M続く廊下は合計100M。
駐車場の敷地も広く、
駐車料金は無料。
さすが田舎だ。
大きなリハビリ室の様子は
後ほどの話で説明するとして、
とにかく最初にイメージしていた
ような病院ではなかった。
いいところに来たなと素直に喜んだ。
63話 -「療養型の病院」へ つづく
闘病記 61話 -「転院が決まる」
車椅子父ちゃん
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2012年 2月後半
手術が終わり、また切開した喉の
おかげで、再び声が出ない生活に
逆戻りだ。
そして、
42才の誕生日を迎えた頃、
転院の話が具体的に出てきて
3月には今の病院を出なければ
いけなくなった。
というのも、
いま入院している病院の
脳神経外科の先生がいなくなり、
脳神経外科がなくなるから らしい…
(本当かどうか判らないけど)
実家の近くの療養型の病院に
移ることになった。
約5年間お世話になったこの病院の
4階病棟に挨拶をするために
再度、声が出せない状態に戻った
ので、下敷きぐらいの大きさの紙に
「約5年間お世話になりました。
来週△□病院に転院します。」
と書いてもらい、その紙を持って
4階に連れて行ってもらった。
その日出勤しているスタッフと、
同部屋だった患者さんの付き添いの
方々に挨拶をして、看護師みんなと
写真(携帯の写メ)を撮った。
僕を5階から車椅子で連れてきて
くれた看護婦さんが、病室に戻る
途中のエレベーターの中で、
「とても、みんなと仲が
良かったんですね,」と言った。
僕は、「うん」 とだけ答えて、宙を見て
いろいろな思い出を駆け巡らせていた。
とても淋しい気持ちの一日だった。
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闘病記 60話 -「自分がバカだった」
車椅子父ちゃん
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2012年 2月
じいさんは自分もゲホゲホと
やかましいくせに、
人がカーッと痰を出す音に
文句を言ってきたのだった。
ひともんちゃくあった日の夜中、
今度はじいさんに何も言わせないよう
痰が出るのを無理やり我慢して
静かにしていた。
じいさんの方はというと、
案の定ゲホゲホとうるさかった。
朝が来て、看護婦さんが検温等の
検査をしたら微熱が出てて、
呼吸の酸素濃度も80%代と
激減していた。
なんと、再び肺炎を起こして
しまっていた。
肺炎の手術をして治って戻ってきたのに
すぐに肺炎をおこした。。。
ムキになって夜中に我慢していた痰が
肺に戻って肺炎になったのだ。
僕は後悔した。
こんなじいさんに対して意地を張って、
きつい思いをしながら静かにしていた
自分がバカだった。
結局、問題のじいさんは別の部屋に
移動させられた。
看護婦さんたちは僕に
「あの患者さんは前から問題が
あったんですよ、すいませんねぇ。
意識がない患者さんの部屋に移って
もらいましたので」
と対処してくれた。
肺炎の様子は2日経っても変わらず、
痰を出しやすくするために
塞いでいた喉を再度切開して
カニューレをつけることになった。
自分のバカさかげんには、
つくづくあきれるばかり。
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闘病記 59話 -「大人気なくブチ切れる」
2012年 2月
戻ってきた病院の病室には僕以外に
三人の患者さんがいた。
一人は痩せこけてアンガールズの
山根(お笑い芸人)にそっくりな
30代のおとなしい青年。
一人は激しい咳を患った、
おとなしいお爺ちゃん。
そして、もう一人は杖をついて
何度もトイレに行きベットでは
ブツブツと独り言で病院に対しての
いちゃもんを言い続けるじいさん
だった。
そのじいさんは咳をする
お爺ちゃんに対しても
「ゴホゴホやかましいな、こいつは!」
と独り言を聞こえるように言っていた。
咳をするおとなしいお爺ちゃんは、
独り言のやじに耐えかねて、
看護婦に頼んで部屋を変えてもらった。
その後、じいさんの独り言は、
僕の口から痰を出す音について
ブツブツ言っているように聞こえた。
夜中もゲホゲホと咳をし、
よほど自分のほうがうるさいのに
他人の文句ばかり大声で独り言をいう。
ある日、じいさんが、
締め切ったカーテンの中で大きな声で
「夜中じゅう、やかましく痰をはきやが
って、クソ野郎が!おかげで眠れんやっ
たわ!」と言った。
僕はすぐに自分のことだとわかり、
ついにブチ切れした。
「誰のこと言ってんのかねー(怒)!
自分の事は棚に上げて!」
と大声で怒鳴った。
そしたら、カーテンをシャーッとあけて
「お前のせいで眠れんやったんじゃ!」
と言ってきたので、
ついにお互い大声で言い争いになった。
その声で、驚いた看護師が何ごとかと
4~5人駆けつけて、なだめに入った。
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闘病記 58話 -「淋しい」
車椅子父ちゃん
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2012年2月
半月ほどの入院で肺炎は完治し、
元の病院へ戻った。
ところが、戻った先は先日までいた
4階病棟ではなく5階病棟だった。
看護師やスタッフが知らない人
ばかりで、他の病院に来たような
感じだ(汗)
階が違うだけで、こんなにも雰囲気
が違うものかと思うぐらい違和感が
あった。
幸い、1人だけ以前から知っている
看護師がいたので少しは安心できた。
5年も慣れ親しんだところに
戻れなかった事に不満を感じ、
前にいた4階に移りたいと
懇願したが叶わなかった。。。
59話 -「大人気なくブチ切れる」へ つづく
闘病記 57話(後編) -「白血病」
2012年2月
手術後一週間たって、少しだけ
病院の中を車椅子で散歩した。
実はこの病院、12~13年前に(1999年頃)
いとこ(当時18歳の女の子)が、
僕の目の前で亡くなった病院だった
のです。
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<回想>12~13年前
彼女(いとこ)は白血病だった。
最近は状態はいいと聞いていたけど、
彼女が危険な状態になったと聞き、
仕事を済ませ病院に駆けつけて、
聞こえているのかもわからない
彼女の耳元で何度も励ましの言葉を
かけた。
昏睡状態の彼女の事が心配で、
次の日も仕事帰りに病院に行った。
そこには彼女の兄2人も来ていて、
叔父と叔母(彼女の両親)は前日から
ずっとつきっきりで看病していた。
23時頃、心拍数に異変がおき、
急に看護師たちが慌ただしくなった。
そして当直の医師も駆けつけたが、
医師はなんの処置もせず黙って
見てるだけ。
どんどん心拍数が落ちていっている
のに、医師も看護婦も突っ立ってる
だけだった。
家族(僕の叔父・叔母・いとこ)と
一緒に、彼女の手や足をさすって
大きな声で彼女の名前を連呼した。
しかし彼女は戻らなかった。
心拍数は0になり医師が腕時計を見た。
時間を告げて死亡を宣告され、
僕はその場に崩れ落ちた。
数日前まで、そんなに悪いとは
聞いていなかったのでショックは
大きかった。
<回想終わり>
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中庭をはさんでその時の病室が
見えたので、何か運命的なものを
感じながらじっとその部屋を見なが
ら回想していた。
(僕の病気は白血病ではないが
彼女と同じ血液のガンだったから)
<余談>
いとこが亡くなった数年後、
タレントの本田美奈子も
白血病で亡くなった。
その主治医が いとこ と同じだった事
を知り、僕は以前からその先生を批判
していた。
それを当時を知る看護師に話したら、
「あの先生でダメなら他の先生でも
ダメだったでしょう…」という。
全国的にも名医として有名らしい。
58話 -「淋しい」へ つづく
闘病記 57話(前編) -「麻酔」
車椅子父ちゃん
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2012年 1~2月
肺に溜まった痰を取り除く手術が
始まり、僕は麻酔で眠りに就いた。
麻酔から覚めたら
手術は終わっていた。
鼻から大きな器具が入れられていて、
それにより痰を出しやすくしている
そうだ。
こんな大きな器具をどうやって
小さい鼻の穴から入れたのか、
かなりうっとうしく感じた。
麻酔で眠っている時に、
相当無理やりねじ込まれたのだろう。
この世に麻酔の技術が無かったら
医療はこんなに発展しなかっただろ
うなぁとつくづく思った。
一週間後、その器具を外されたて
随分楽になった。
車椅子で病院内を散歩できるように
なって(看護師1名付き)
外とか中庭などを眺めたりした。
その中庭の向こうに見える病室で
昔、衝撃的なことがあって、
それを思えば今でも涙がにじむ…
57話(後編) -「白血病」へ つづく
闘病記 56話 -「ナースとの戦い」
車椅子父ちゃん
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2012年 1月
幻覚を見るほどの体の異常は
急性肺炎だった。
入院している病院では対処
できないので、救急車で他の
救急病院へ運ばれた。
40度前後の高熱が続き、
頭がもうろうとしていた。
応急処置では、医師が肺の中を
カメラで見ながら管で吸引したり
して、メチャメチャ苦しかった。
そして夜になると若い看護婦が
痛くて嫌がる僕の体を4人がかり
で押さえつけ、
チューブを鼻から肺の奥まで入れて
溜まった痰を強引に吸引しようと
していたがなかなか奥までは
入らないし痛い。少し血も出た。
管を入れられるのが苦しくて
痛いので、かなり抵抗していると
身体を押さえつけられるので、
まるで拷問のようだった。
僕は半べそかきながら
「ここの看護婦はみんなドSだ~!
もうやめてくれ~」と叫んでいた。
看護師は「肺の中の痰を取らないと
死んじゃいますよ!」といって
やめてくれない。
そんなやり取りが休憩を挟み
ながら延々と続いた夜だったが、
ある程度まで痰が取れたのか
酸素の供給マスクをつけて、
ようやく眠りに就いた。
翌日、治療のための手術をすること
になったのだが、二つの方法がある
がどちらにするかと問われた。
一つは、ふさいでしまった喉を
もう一度切開して痰を出しやすく
するか、
二つ目は、喉は切開せずに
鼻から大きな器具を入れて
治療していくかだ。
僕は、せっかく閉じた喉に
また穴を開けるのが嫌だったので、
喉の切開をしない方を選んだ。
57話(前編) -「麻酔」へ つづく
闘病記 53話-2(追記) -「喉の穴」
(53話と54話の間に書き忘れていた
出来事を想い出しました。。。)
2011年5月頃
痰のカニューレを外したあと、
喉に開けた穴が自然に塞がるはず
だったんだけど、
なかなか塞がる気配がないので
耳鼻咽喉科で有名な病院で喉の穴
を塞ぐ手術をした。
手術は、綺麗なやり手の女医さんが
担当していて、手術スタッフと共に
会話をしながら和気藹々とした雰囲気
だった。
局部麻酔ということもあり、
手術中最後まで自分も会話に加わる
とうのは初めての経験だった。
簡単な手術だったので、
入院は1泊2日で済んだ。
これで喉に開けた穴がふさがり、
大きく一歩前進した気持ちになった。
54話 -「個室」へ つづく