ガジュツご愛飲者様
おはようございます。
先月11月はぎっくり腰をしたため毎月のお便りをアップし忘れていましたので、今回11月分と12月分の2か月分を同時にアップさせていただきます。
倖せになる方法・・・茶筒の思い出
私は年の離れた父に育てられたせいか、子供の頃から願をかける時など、お茶断ちするくらいお茶が大好きでした。
そんな私ですので、桜の皮で貼った茶筒を見かけたとき大変気に入って、確か当時(20年以上前)一万五千円以上した茶筒を、私には清水の舞台から飛び降りる思いで購入しました。
毎日お茶を飲むとき、その茶筒を眺めては良いものを買った、一生大事に使おう、後々の思い出にと、底には購入した日を書いたシールを貼って、大変満足して使っていました。
ある日、お茶っ葉を満杯した茶筒に、認知症の父がポットから直接お湯を注いでるではありませんか!
私は思わず怒鳴り叫んでいました。「お父さん何をしているんですか?」
急いで茶筒からお茶の葉を取り出し乾燥させ、茶筒はどうにか原型を保つことができていました。
怒られた父は逆にカーッとなり、私にすごい勢いで怒鳴りかかってきました。
認知症になる前の父は、クリスチャンであり、昔は山高帽をかぶったオシャレで穏やかな人格者だったのです。
認知症の父には、自分が悪いことをしたという思いはなく、息子に怒鳴られた事への怒りだけが心底にはあったようです。
数日後、父が同じことをしていて、妻に叱られている光景を目にしました。
父は嫁に叱られて、家長としてのプライドにふれたのでしょう、前回にも増して狂ったように怒っていました。
いっきに認知症が半年ぐらい進んだように見えた私には、その場の対応に大変苦労しました。
その後妻と話し合い、父の行為は認知症という病気がさせたことであり、テーブルの上に茶筒を置いている私たちが悪いのであって、父を怒った私達が悪かったと反省しました。
その日から茶筒を茶棚に直すようにしたら、父は茶棚から取り出してまで茶筒にお湯を注ぐことはしませんでした。
ある日私たちはうっかりテーブルの上に、大事に使っている桜の皮を貼った茶筒を置き忘れていたのです。案の定父はその茶筒にお湯を注いでいました。
それを見かけた私たちは、父と一緒に笑いながら片付けをしていたのです。
一回目も二回目も三回目も、父がした行為は同じことです。でも私たちの父に対してとった行為はまるで反対でした。
三回目の後の父の表情はとても穏やかで倖せそうでした。
父は今まで築き上げてきた人格を捨ててまでも私達に、物事は見方、考え方次第で、まるで反対の行為になることを教えてくれているようで、ありがたく父への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
自分に都合の悪いことをされたり、悪口を言う人は、もしかしたら自分の考え方次第で、悪い人ではなく、わざわざ嫌われることを言ってくれる、してくれる、とても大切な人なのかもしれませんね!
あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら、また、次回。
一週間前の9月24日にぎっくり腰になり、つくづく思いました。
村上春樹の「1Q84」という小説の中で、階段を下りた世界に、月が二つ見える人と見えない人がいるという世界が展開されています。
私自身は、次元の進んだ新生地球に進むと信じています。
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