虹の戦士からのメッセージ

虹の戦士からのメッセージ

~ 倖せになる方法 ~

 自然界に善悪はありませんが、宇宙は善悪、明暗、上下のように、二元(二つ)に分かれています。地球に生きる我々は、この二元世界で生かされています。


一日は24時間ですが夜と昼の二つが存在します。

 

たった一日24時間の間ですら暗い時と明かるい時の二つ、二元が存在するのです。


長いスパンで物事を考えてみたらどうでしょう。

 

例えば、多くの人の人生にも暗い時代と明るい時代があるものです。

 

もっと長く日本の歴史をとらえてみたら、戦国時代は戦乱の暗い時代だったと言えますし、江戸時代は鎖国の中にあっても、平安で多くの芸術文化が開花し大衆にまで広がったような明かる時代だったと言えます。


では、数千年あるいは数万年単位でとらえたら、夜の時代と昼の時代が存在すると考えられます。

 

もしかすると今までの数千年が夜の時代、今からが昼の時代だとしたら、と考えてみてください。


 時代を先導しているのは為政者です。

 

しかしその為政者を決めているのが我々大衆であることに気付かずに過ごしています。

 

夜(闇)の時代の為政者は、大衆をコントロール下に留めておき、大衆を家畜の如く奴隷化することを実践してきました。


では、為政者が大衆を先導・洗脳するために行っている方法とは何なのでしょうか?


それはマスメディアを活用して洗脳し大衆をコントロールしているのです。


テレビ、新聞しか情報源のない人には理解不可能かもしれません。


 時代が移り変わる時には矛盾が生じます。今がまさにその時期に当たります。


それを見分ける方法は、本者と偽者という二元を上手に使い分ける為政者を見抜くことです。

 

本物のような顔をして大衆から信用信頼を勝ち取り、大衆から考える力を奪うことで為政者であり続けようとします。


奴隷にならないためには、もしかしたら自分自身が洗脳されているかもしれないと素直になり、自分の常識からすれば信じがたい情報にでさえも決して目をそらさない、耳に栓をしない、素直で謙虚な人であることです。

 

ユーチューブやX(旧ツイッター)、インスタグラム等のSNSからの情報を得ていると、一方的に流されてくるマスメディア
からの情報に対して違和感を感じるものです。

 

究極的には、知識を蓄える頭脳で考えるのは無く、感覚が目覚めくると違和感に敏感になれます。


今現在の地球上は、夜明け前が一番暗い時期であることを自覚できるだけの情報を得ていますか?

 

信じる信じないはあなた次第です。

あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。また、次回

 

 

 

 

 

“暗い、暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを点けましょう”


今まではこのような時代でした。


つまり、暗い夜の時代でしたから、暗い、暗いと不平を言い続けても決して明るくはなりませんでした。

 

暗いなら自ら灯りを点ければよかったのです。


ただ、蛍光灯を点ければ足元は明るくなります。

 

しかし遠くはやはり暗いので見通せません。

 

では、遠方(未来)に向かってあなたはどうしていましたか?


暗い夜の時代は、テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌等のマスメディアを見ることで情報を得、方向性を決めていませんでしたか?

 

これでは与えられた情報に自分の未来を委ねている状態であり、自らの意思、考えはないように思われます。


今からは明るい昼の時代です。


灯りを点けなくても周りは明るいのですから、暗い、暗いと不平を言う前にただ頭を上げて目を開けばよいだけです。

 

目を開くと周りは既に明るく遠く(未来)を見通せます。


自分の目で遠く(未来)を確認して、自分で考えて進むことができるのです。


目を閉じたまま過去の思い(慣習や常識)に囚われていたら、未来を見誤る可能性が大です。


 ウィンドウズ95以前の40代以上の方にとっては、現在のインターネット環境を、当時と比べるとあり得ないほどの進化に衝撃を感じている人が多い思います。


しかし、今現在を見てみると、40歳以上の方はさておき、Z世代(18歳~23歳)と言われる若者の思考回路でさえ、すぐ前の世代のミレニアル世代(24歳~39歳)にも理解できないくらいAIテクノロジーは進み、時代は移り変わり、明らかに数年前とは全く違ってきています。

 

ましてやα世代(アルファ世代…2010~2024年までに生まれた世代)は、宇宙人ではないかと思うくらいの発想をしています。


少なくとも二十世紀に生を受けた人の多くは、新しい時代のテクノロジーについていけなくなっているようです。


 行動に移る時です。

 

その行動が〇正解か×不正解かはどうでもよく、とにかく動いてみて×不正解なら、何で×不正解だったのかを自分で考えることで、時代のステージを上げていくことができます。


動くことでチャンスが訪れます。じっと立ち止まっていたり、何も考えることをしなかったら、後悔することになるかもしれません。


あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。

 

また、次回

 

 

 

 

 

 「信じてよいこと」と、「信じた方がよいこと」との違いが分かりますか?


科学的な研究結果や確かな情報源から得られた、根拠や証拠に基づいて合理的に信じる
ことができる情報は、信じてよいと言えます。

 

しかし、形のない宗教を信じ切ってしまったら、自分が自分ではなくなります。

 

宗教はあくまで人生を送るうえで岐路に差し掛かった時に、選択をするときの指針となる教えでしかありません。


現在のテレビやラジオ、新聞、週刊誌などのマスメディアは自分たちの都合の良い情報しか発信していません。

 

鵜呑みにしていたら痛い目に合うかもしれません。


世の中には、親類縁者、親兄弟、友人知人などの親しいと思える人に裏切られ、信じ切っていたばかりに立ち直れない人も大勢います。


 弁護士、弁理士、税理士、司法書士等のような法律に則った業務をする人なら、業務遂行をしっかりやってくれる人として信じてよいと思います。

 

しかし、自分の仕事に関することですから、大枠や方向性について自分自身の考えをしっかりと伝えたうえで信じなければいけません。


 身体的な医療はなおのこと、医師に対して、医師を信じることは大切なことです。


しかし、症状を伝えるだけでは、大方の医師は症状に応じて大学や書物で得てきた知識を基に診断を下し、一時的に症状を抑える薬を処方するだけです。

 

明らかに目に見えないストレス性の疾患であっても、対症療法の薬物を処方されます。


 あなた自身に今起こっている現象・症状はすべて、過去の自分自身が考え、行い、食べてきた結果であることをしっかり認識することが重要です。

 

根本的に症状を改善したいのであれば、何故このような症状になったのかを医師に思いつく限り伝えなければ治ることは出来ません。

 

逆にそこまで聞き出す姿勢を見せる医師は信じてよいと思われます。


 「信じた方がよいこと」は、直接的な証拠がない場合でも、信じることが望ましいとされることを指します。


例えば、友情や愛情、希望などは直接的な証拠がなくても、信じたほうがよいとされるものです。

 

いずれにしろ、信じるということは、委ねるということです。

 

あなた自身が過去に委ねた結果が今という現実であって、未来は今のあなたが信じて委ねた結果が現
 

実となって未来が訪れるだけです。


最後に政治家は信じたいけれども今の政治家を全員信じ切って大丈夫でしょうか⁉


さぁ、自分で考えましょう!


あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。また、次回

 

 

 

 結論から言えば簡単です。

 

シナリオ通りに生きれば必ず幸せになります。


我々は神の子と言われています。

 

その神は私たちが生まれる時に、今世の人生のシナリオを渡して地球ステージにデビューさせます。

 

神は我が子が不幸になるようなシナリオを与えることはありません。自分自身に置き換えて考えてみてください。


もし我が子に人生のシナリオを与えることができるならきっと幸せになるシナリオを渡されることでしょう!


 “足るを知る者は富む”という諺があります。足る=魂のシナリオなのです。


人間の欲望にはきりがないが、欲深くならずに分相応のところで満足することを心得ている者は、たとえ暮らしが貧しくても、心が富んで豊かであるということです。


豊かな生活を望むのは構いません。

 

引き寄せの法則というのがあって、望むことが早く叶うようです。

 

しかし、例えば、神は、お金・空気・太陽を皆さんに等しく与えられています。

 

よく「空気と太陽はわかるけど、お金は等しくなんかないんじゃないですか?」と問われることがありますが、神はお金をいくら上げたくても入れ物(器)がなければあげようがありません。

 

先ず先にあなた自身が器を準備しなければいけないのです。


 一昔前までは学歴や職種という器の考え方もありましたが、今からの時代は学歴、職種、はたまた家柄も関係ありません。


では、これからの器っていったい何なのでしょうか?


ヒントは、その器が何であるのかを自分自身で考えることのできる人を器が大きい人と言えます。

 

とは言っても、今まで考える習慣がない先ずは素直で謙虚である必要があります。

 

そのうえで情報を得ることです。


自分の知っている常識的情報と真逆、あるいはあり得ないというような内容ですら、“かもしれない”くらいの素直さです。


 地球ステージは闇の時代から光の時代へと転換し始めています。


夜の暗い時、月明かり(一方的に流されるテレビ、ラジオ、新聞等の情報)では足元しか見えません。

 

昼の明かるい時は、顔を上げればSNS、X、YouTube等で、自分自身で取捨選択できる情報を得ることができ、自分自身の思考力を鍛えることができます。

 

まだの人は挑戦してみませんか?意外と面白いかもですよ。

あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。また、次回

 

 

 

 あけましておめでとうございます。


穏やかな新年をお迎えになりましたか?


2024年の今年は、昨年より世の中の時代の動きがずっと激しくなる予感が致します。
 

 時代が動くときは心穏やかでいられないものです。


もし、今のあなたが心穏やかでいれる状態なら、昨年までは時代に翻弄されずに過ごせてこれたということです。ではこれからの一、二年はいかがでしょうか。


時代は数千年単位の周期で大転換期を迎えています。

 

数千年周期とは、振り子が降り戻されるイメージです。

 

今までの時代の流れ、価値基準が変わると言ってもいいでしょう。


夜の時代から昼の時代へと変わる移行期が今と言えばわかりやすいでしょうか。


夜明け前が一番暗いと言います。

 

今年来年がそのときかもしれません。


 昨年より今年、今年より来年は、今まで多くの人にとって常識と思われた物事が終焉を迎える数年になると思われます。


7月には新紙幣が発行されます。

 

単に現金という姿かたちが替わるだけでなく、新紙幣をもって最後のお札になるようです。

 

お金第一主義の利権政治は終わります。


戦争という愚かな行為をする国の為政者を、大衆が本当は戦争を誰が仕向けたのかを知ることとなり、その為政者は次の昼の時代の為政者として存在できなくなるでしょう。


神様はすべてのヒトに等しく心揺さぶる現象を準備されています。

 

これをコントロールドラマと言って、昼の時代に移行する意識を持った魂であるのかどうかを計る、篩のようなものです。


ヒトは全員篩に掛かり、夜の時代を好む魂か、昼の時代を好む魂かを、自分自身で選択するのです。

 

どちらが良い悪いではなく、選択は自由意志に任されています。


医療も、エネルギーも、戦争も、夜(闇)の時代はすべてお金であり利権の時代でした。


昼(明)の時代は真逆の時代だと考えてください。

 

真逆をどのように解釈するかは各人の勝手です。

 

いずれの人も食べる事すら困難な期間がありそうです。


今現在心穏やかでいられる時に、無駄になることを覚悟のうえで多少の準備をしておいた方が良いかも知れません。


何を準備するのかと言いますと、意識(こころ)の準備は当然であり、数か月分の水と塩、食料、その次に家庭菜園でもいいので農業に関する知識を蓄えておくことです。


ちょっと預言書めいていますが、恐らく今の時代と数年先の未来は価値基準が全く違っていると思います。


あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。また、次回

 


 

 あなたにとって欲しいものは何ですか?それは必要なものですか?
多くの人は、日常がこのままずっと続くと考えているし、大きな変化を望んでいません。


しかし、終戦から約70年、世の中は確実に変化してきたし、恐らくこれからの10年はそれまでの70年の変化以上に激変すると思われます。

 

それは経済やテクノロジーだけでなく、ヒトの意識や環境も含めて地球規模での変化があると思われます。


これを書いている霜月(十一月)の昨日の熊本の外気温がなんと三十度超えなのですから!

 

鈍感な人でももうそろそろ気づく必要があるようです。


 今現在の自分自身の置かれている当たり前の環境や日常の状況が変わることを考えておく時が近づいてきていると思われます。

 

今まで何も考えずに、テレビや新聞などのマスメディアが一方的に流す情報を従順に信じ、家柄、職種、学歴が良いという人の言う通りに鵜呑みにしてきている人には「さぁ!考えろ」と言われても、何をどう考えたら良いのか、見当すら付けられないのではないでしょうか?


そのような人は自分自身の肌感覚(右脳)を信じることです。

 

左脳でいくら考えても気候変動や世界情勢を変えることは出来ません。

 

欲しいものと必要なものを右脳で考えて吟味してみることです。

 

恐らく、初めのうちは吟味した結果が正解となるとは限りません。

 

失敗を繰り返していく間に、人生において本当に必要なものが何であるのかが分かってきます。


ものごとを考える時に遠くから考えるのではなく、中心から考えるのがコツです。


例えば、私にとっての必要なものは、妻であり、家族であり、友人知人であり、まつわる人たちの順番です。

 

また、身近な家庭での衛生面を考えたとき、掃除は世間体を気にして外回りや玄関、リビングなどの順番に掃除するよりも、一番不潔になりやすい水回りのトイレやお風呂場、流し廻りをいつも綺麗に保つことから始めると、他のところは自然と常に綺麗に保たれているものです。


 お金や学歴などを欲しい人も多いと思いますが、必要なお金とは生活ができる程度が必要な金額であって、欲しい金額は大概の場合絶対に必要な額ではないと思います。


お金がもとで中心の家族がバラバラになっては元も子もありません。


学歴だって地球環境の変化から食糧難や災害に直面したら何ら意味しません。


 激変激動の時代を生き抜くにあたり、あなたや家族にとって本当に必要なものは何なのかを考えておく時代が直ぐそこに迫ってきているように思われます。



あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。

 

また、次回

 

 


 

 チャットGPTに「挑発」とは?と尋ねてみると、「相手を刺激して、事件や紛争などを引き起こすように、また、好奇心や欲情などをかきたてるようにしむけることを指す。」と言ってきます。

 

ロシアによるウクライナ侵攻や、最近ではハマスによるロケット攻撃やらで、イスラエルは報復し、戦争状態にあるとメディアでは報道されています。

 

片方の情報のみを見聞きしていると、確かに戦争を仕掛けた方が悪いと思われがちです。

 

果たして挑発は無かったのでしょうか?


冷静になり、いろんな角度から情報を得て、自分自身で考える必要があるようです。


 ヒト(人間)は他の動物とは違い、知恵があります。その知恵ある人間が何故戦争を終わらせることができないのでしょうか?

 

終わらせるどころかエスカレートの一途を辿って今があります。

 

そう考えただけでも、誰かが挑発しているのではないか?と、考えたくなります。

 

ここまでは闇の時代の挑発です。


常々言っていることですが、この宇宙は二元で出来ています。

 

つまり、大きく捉えると、時代にも闇の時代と光の時代があります。

 

いまはその転換時期を過ごしています。


『陰極まれば陽に転じ 陽極まれば陰に転ず』と言います。


では、光の時代の挑発とはいったいどういう挑発なのでしょうか。

 

闇の時代は闇(暗)なので、周りが暗く見えずらいので、何をやってもバレない、ですから為政者(自分)の都合の良い方向に挑発誘導出来ました。

 

つまり、本物のような顔した偽物を演じることができたのです。

 

時代は徐々に明るくなってきているのですから、見えなかったものが見え始めています。


光の時代の挑発は、「言っている事と腹の中が一緒(本音)」「自分にして欲しいことを他人にもする(思いやり)」の気持ちの結果が、調和がとれた光の時代の挑発です。

 

「良い悪い」を言っているのではなく、闇の時代に通用(常識、当たり前)していたことが、光の時代では通用しなくなるということです。


日本から遠く離れた国同士のことはともかく、身近な自分の家族や夫婦関係はいかがでしょうか?

 

例えば、ジクソーパズルは沢山のピースで一枚の絵が完成されています。


ピースが一個や二個外れてもまだ家庭(絵)としての全体像はそれらしく見えます。


しかし、やがて外れたピースの数が増えてくれば家庭は修復不可能なまでになるのです。

 

「闇の時代と光の時代では価値基準が真逆だ!」くらいに考えておかなければ、闇の時代に威張って都合を謳歌していた自分は、光の時代に入って一番恥をかき、苦しむかもしれないのです。

 

こんなはずではなかった、は後の祭りです。


あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。また、次回

 

 空気感とは時代の変化とともに人がつくるものです。
例えば、
・昔は専業主婦が当たり前という時代を背景として空気感ができていました。


 今では寿退社などという言葉とともに専業主婦も死語になりつつあります。
・昔は離婚したなどとは世間体が悪いと、他人には隠すという時代でした。


 今ではどうでしょう、バツイチはトレンディーと言われる時代になりました。


・国の方針が働き方改革を打ち出すまでは、あなたは24時間働けますか?というテレビコマーシャルもありました。


・世間の空気感が清潔は良いことだという観念を作り上げ、除菌!除菌!というCMも流行りました。

 決して清潔が悪いわけではありません。除菌が行き過ぎるとアレルギーが起きやすくなるということです。


・昔は、漫画本ばかり読んでないで勉強しなさい。と叱られたものです。

 今でで言うところのPS5やスイッチばかりしてないで勉強しなさいでしょうか。


 子供たちの将来の結果は今からですが、eスポーツがお金を生む時代です。


因みに私は文字を追うことが苦手だったので、子供の頃漫画本すら読みませんでした。

 

ですので、漫画本でも読む人を羨ましいと思っていたぐらいです。


子供の頃友達に、私が漫画本を読んだことがないと言ったら不思議そうな顔をされたことを覚えています。

 

いまで言うところの変人です。


 登校拒否児童が増えているようです。


変人の私が言うことですから、世間の空気感とは違う見方になるかも知れませんが、AIが発達してきた今の時代、AI、チャットGPTが当たり前と思われる時代を生きる子供たちにしてみれば、大人が当たり前、学校はみんな行くものという空気感に、精一杯抵抗している姿なのかもしれません。


たとえそれが義務教育期間であっても、です。


 時代はすごい勢いで変化しています。冷静に大人であり、親である自分自身の思考を見つめてみませんか?

 

過去の体験・知識・常識・世間の空気感に囚われているのは自分ではないかと。

 

もう一度子供の目線、子供になった思考で、新しい空気感を作るくらいの思いで登校しない子供の思いを考えてみませんか。


 この間NHKの「あさイチ」というTV番組で、不登校児のことを独学志向型と言っていました。


あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。また、次回

 

 


 

 記憶力が良く、学校での成績が良く、偏差値の高い高校や大学に入学した人のことを一般的に頭が良いというのではないでしょうか?
 

では、賢い人とは一般的にどのような基準をもってはかればよいのでしょう?


頭の良い人と賢い人は、一見すると似ているように感じるかもしれませんが、実は異なる特徴を持っています。

 

簡単に言うと、頭の良い人は知識や学問的な能力に優れている傾向がありますが、賢い人は人間関係や倫理、実践的な問題に対処
する能力に優れています。

 

頭が良い事と賢い事のバランスがとれていれば好ましいのですが、対人関係において、このバランスを見極めないと自分自身が大変な人生を送る場合があります。

 

自分としては、自らが選択してきた結果の今現在ですから、まだ納得がいきますが、他人との関係性で巻き込まれた結果、納得のいかない人生になったら後悔します。


 頭は良いに越したことはないのですが、「賢い」には「ずる賢い」という言葉があります。

 

「賢い人」と「ずる賢い人」の違いは、一見すると微妙な違いがあるものの、その本質的な違いを理解することが重要です
賢い人は、知識や洞察力を持っており、自己成長や他人への尊重に重点を置く傾向があります。

 

一方、ずる賢い人は知恵や機転を使って、自己の利益を優先する傾向があります。

 

彼らは他人を利用したり、法律や倫理に縛られずに手段を選ばないことがあります。

 

彼らは周囲の人々をだまし、利益を得ることを目的とすることがしばしばあります。

 

 あなたは他人と付き合うとき、左脳でお付き合いしていますか?それとも右脳で付き合っていますか?

 

左脳は顕在意識と欲望、右脳は潜在意識とシナリオです。


頭の良い成績優秀、偏差値の高い人とお付き合いするときには、くれぐれもその人が賢い人か、ずる賢い人か、を十分見極めないと人生が台無しになることだってありうるのです。


また、人間性を重視し偏差値の低い人とお付き合いをして、万が一その人がずるをしようとした場合、偏差値が低いので仕掛けがバレバレで見透かせます。

 

だからあなた次第で難から逃れることができます。


闇の時代は頭が良くてずる賢い人に有利に働く時代でした。

 

近未来は光の時代です。

 

光の時代は偏差値の分をAIに任せ、賢い人生を送りたいですね。

あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。また、次回

 

 

 もし自分自身が神だったらと考えたことがありますか?
「真理に目覚めた者」「悟りを開いた者」釈迦やキリストのような人格神や、仏像に造られる阿弥陀如来などではありません。

 

毘沙門天や大黒天のような七福神でもなく、ましてや経典、聖典の類に影響を受けている人達でもありません。

 

この宇宙を創造した創造神、サムシンググレートのことです。


 宇宙の始まりはビッグバン理論が通説ですが、果たしてどうなのか?果たして宇宙に始まりというものがあるのでしょうか?

 

もし、この宇宙のほかにパラレルワールドが存在するのであれば、「この宇宙」という言い方、ビッグバンが成立するかもしれ
ません。

 

いずれにしろ、宇宙は始まりもなければ終わりもない、そこに或=不確かなもの、未知のものとして存在し、私たちに実感させてくれているものです。


 私なりの宇宙論は、一本の紙テープを一度ひねって表面と裏面の両端をくっつけた無限大の形を想像しています。表の時代と裏の時代があります。


人生とは、その紙テープをバネに置き換えることでスパイラルになり、そのある一点の数十年を生かされているのではないかと考えています。


 人体は小宇宙と言われることがあります。人は大まかに蛋白質の分子細胞で出来ています。

 

タンパク質をミクロの世界まで分解し、遺伝子レベルまで覗いてみると、まさにスパイラルのような形になっていますし、宇宙
をマクロに見ていくと渦巻銀河となり、その姿は人の細胞そっくりです。


マクロの形とミクロの形が相似ならば、人は何故一番見やすい今という現実で捉えず、隣の芝生は青いと思い、嫉妬し、欲望の世界へと幸せを求めるのでしょうか?


 この宇宙で揺れていないものは一つもありません。宇宙は常に揺れ続けているけれど、何十億年、何百億年、いやそれ以上たっても崩壊することがありません。

 

つまり、絶対調和がこの宇宙の成り立ちです。戦争や災害、病気、怪我などのアクシデントは見える形で私たちに調和を見出す訓練をしてくれているメッセンジャーと考えたらいかがでしょうか?


 宇宙に良いも悪いもありません。自分自身の都合に合わない現症・現象を悪いと言っているだけなのです。

 

私たちは神の子と言われます。

 

やがて私たち一人一人が神になる存在なのです。

 

その日に向かって神になるための学び・修行に生まれてきたのかもしれません。


あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら。

 

また、次回