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虹の戦士からのメッセージ

~ 倖せになる方法 ~

倖せになる方法・・・下山の思想


年明け早々五木寛之著「下山の思想」という本を読みました。

大まかに言えば、今の時代は資本主義という山の成長神話が終焉し、下山に差し掛かっているよ!

登りつめた山は必ず下りなければならないので、だったら下山を楽しみなさい。と言われているようです。

そして、新たに登る山を探しなさいと言われているのです。

個人の人生にもいろんな山があります。

例えば多くの人の十代は受験という山でしょうか?

高い山、低い山いろいろな学校という山を受験(登り)し、下山(卒業)します。

中にはせっかく登り始めた山を途中でリタイヤ(退学)する人もいますが、卒業しなくてもどこかの時点で下山し、社会人としての新たな山を登り始めます。

社会に出ると、仕事山、結婚山、子育て山、親の介護山など一つ一つは小さい山でも結構険しかったりして自分を見失うことさえあるものです。

人生思うようにならないものです。

仕事山は、もし自分に合わない職種についたとわかったら、決して無理をせず別の山を目指すことも考えることです。

結婚山は、登る前に見極め、登りかかったら自分に合ったペースで登り続けることです。
必ず二人を分かつ下山(死)する時が来ます。

子育て山は、快楽の結果と考え、ある段階(自立)まで投げ出すことを許されません。
真剣に登れば老後山がすごく楽な山になるかもしれません。

介護山は、感謝の気持ちで登れば充実した時間をおくれることでしょう!
他人(お世話をしていない人)の無責任な言葉に惑わされないことがコツです。

介護を一生懸命にやったら体力や気力が持ちません。
ただ淡々とやり過ごしましょう!

人生の山(夢山、末は博士か大臣か!など)も全員が頂上まで登れないでしょう。

しかし、全員必ずいつかは下山(引退)する時が来るのですから、下山の仕方や下山した後のことを考えておくことが幸せになる方法です。

あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら、また、次回。

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治 る ・元 気 ・愉 し 

和草堂こころ研究所・・・松本康秀



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第一番目の関係性とは、生まれ落ちた時から始まるのでしょうか?

それとも母親が受胎した時からが関係性の始まりなのでしょうか?

神様との関係性から言えば、もしかしたら受胎する前の魂の存在からかもしれませんね。

ここではとりあえず生まれ落ちてからの、見える世界の関係性のお話を始めたいと思います。

前置き:


この世の人(動物)は、見える世界に存在しているけれども、同時に意識(こころ)という見えない世界が

ず関係しながら存在しますので、二つを分けることはできません。

(関係と関係性についてこだわる人がいるようですが、それについてはあまり深く考えないでください。)


生まれ落ちた時から人は、人との関係性で始まります。大まかに第一番目は母親です。

一般的に母乳を必要とする赤ちゃんは、お乳をくれる母親との関係を密にします。

その時の父親との関係性は何なのでしょう?

私の子供は3人ともほとんど人工ミルクを飲んでくれませんでしたの、私の存在は赤ちゃんにすればほとんどゼロに等しく感じられたことでしょう!

赤ちゃんはお腹が減れば一方的に泣き叫びます。昔は、おむつが湿っても気持ちが悪く泣くこともあったのですが、近年は紙おむつになり楽になりましたね。

母親は無条件でお乳を飲ませます。
父親は何もできません。それが夜中だったら、それも特に共働きだったりしたら夫婦の関係性からすれば、妻としては夫に一緒に起きていてほしい、という気持ち(こころ)がどこかにあるのではないでしょうか?。(個人差はありますが)
しかし、お乳を飲ませるからこそ子供と母親との関係性が強くなるように思います。

何もできない父親でも、父親は無条件で積極的にかかわりを持っていないと、赤ちゃんは小さく何もわからないだろうと思っていたら、赤ちゃんは父親に関係性を感じられなくなります。

やがて父親や兄弟姉妹、家族との関係性が始まり、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人、その間には部活や恋愛やいろんな習い事など、複雑な関係性を持って成長していきます。

大概の人は生まれ落ちた時からすれば、大人になるにしたがって関係性が複雑になっていきます。

関係性には必ず人と人との関係(かかわり)があり、そこには思いというこころ、感情が関係しているということです。中には犬猫馬牛などとの関係性のある人もいることでしょう!

その場合は特に言葉が通じないために、人がお世話をすることから生まれるところの、こころが通じ合うというという、見えないテレパシーのようなものを通じての関係性になります。

お気づきかもしれませんが、関係性とは見える世界の現象のようであって、そこには見えないこころ(意識)の世界が作り上げる現象が織りなす複雑系が新たな関係性を生み出すのです。

だんだんややこしくなりがちですので、結論を言えば、関係性はなるべく単純であることが好ましいように思われます。

ちなみに、神様との関係性は調和です。

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 ・治 る ・元 気 ・愉 し 
和草堂こころ研究所・・・松本康秀
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私は宗教のことをよく知りませんが、私の思う宗教とは、「宗」という見えない悟りの世界を、選ばれた人による修行によって知りえたことを、庶民に「教」という形を持って教え伝授することととらえています。

文字や言葉だけでは伝えにくいので、見えないものを五感に訴える方法として、音楽や仏像、絵画のような芸術美術品を通して、見える形にして伝える工夫をされたのだと思います。

一般庶民が「宗」という悟りの世界に到達することは恐らく無理ではないでしょうか?

上から啓示を受けた、選ばれた人が何らかの修行を通して得られた世界ではないでしょうか?

NHKの「100分で名著」という番組でブッダのことを優しく伝えられていました。

その中で、さんざん体を酷使する修行を行ったブッダが、今までおこなってきた水行や断食など、すべて無駄だったと突然修行をやめたと言っていました。

私の知っている人で、阿蘇の山中で43日間断食瞑想を2回された方や、ミャンマーで13日間水も食べ物も一切口にせず、瞑想をされたといわれる人がいますが、お二人とも啓示があったと言われていました。

宗教というものはいろんなことを教えてくれているのかもしれません。

しかし、時代背景による環境や教育程度、死生観の変化というものがあり、今の時代の人々に、当初の教えをそのまま伝えても、なかなか理解できないのではないでしょうか?

宗教の世界に関係性という言葉がよく出てきます。

宗教の教えというものを私はほとんど知りませんが、もしかしたらこの関係性という言葉が一番大事なことを教えているのではないかと思っています。

宗教が教えている関係性とは神様との関係性でしょうか?

私が考える関係性という言葉は、神様であれ、お隣様であれ、友人知人、夫婦、親子、姉妹などの関係性をも同じだと考えています。

いつの時代でも変わりなく続いてきたし、今からも続いていくことでしょう!不変です!

人は神の子と言われますが、言い換えれば我々人間は皆神であることになります。

今は形(体)があるので、もし現在が神と言えないのであれば、神にいづれなる子とも言えるのです。

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 ・治 る ・元 気 ・愉 し 
和草堂こころ研究所・・・松本康秀
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30年以上前のお話です。

当時結納金は月給の3か月分、婚約指輪、結婚指輪2個、と新婚旅行というパターンが一般的だったように思います。

今の時代もそうなのでしょうか?

当時の私の収入は、父の手伝いと言っても丁稚のような存在でしたので、毎月数万円しかもらっていませんでした。

ですので、丁稚を始める前の一年間、製薬会社で務めた時に貯金していた50万を結納金に当てたように記憶しています。

婚約指輪を買う余裕は当然ありませんでした。彼女が特別欲しがらないことをいいことに上げませんでした。

でも私の心のどこかに買ってあげたい気持ちがあったことは間違いありません。(本心)

結婚指輪も私ははめないし、自分の分はいらないと思い、最初18金の指輪を一個(\5,000)だけ買いました。

でも式の時恰好がつかないという理由で、あらためてプラチナの指輪を二個(二個\10,000)買い求めました。

いずれの指輪もカーテンレールのようなかまぼこ型のものです。

後で知ったのですが、彼女は少しデザインされた平台のものが欲しかったようです。

ということで、奥さんの指に結婚指輪をはめた姿をほとんど見たことがありません。(涙)

当時バブル期に差し掛かる頃の新婚旅行と言えばグァムかハワイ、新婚さんは国内旅行から海外旅行へというのがブームでした。

お金の無い私は、彼女の勤める保険、旅行代理会社の社長さんからいただいた優待券を使って、一人が無料、一人が子供料金という格安北海道道東へのレンタカーによる新婚旅行になりました。10月の終わりころですのですごく寒く、行楽地は人気がなく、閑散としていたという思い出ばかりです。

ここまで書くと奥さん可哀そうと思う人もいるかもしれませんが、一般的な夢を叶えてあげられない私も可哀そうなのですよ!(ちょっと開き直りかな?)

それでも私達はその後楽しい新婚生活が始まりました。

ある日二人で大型スーパーに買い物に出かけた時でした。

店内に大型のジュエリー販売店があり、ワゴンにはどれでも一万円という広告が目に入り、ちょっと見てみようかと奥さんを誘いました。

ジュエリーにあまり関心のない奥さんではあったのですが、(関心はあっても買えないとあきらめていたのかも?)少し嬉しそうな表情がうかがえました。

私はいつの日か買ってあげたいという気持ちはあったのですが、ワゴンをのぞくとどれもパッと目を引くような指輪がありません。

もっと奥に誘うと20万~30万円程度のローンを組めば買えそうな指輪が目に入ってきました。

私は思わず「○○にはもっと大きく高価な美しい指輪が似合うよね!」と言って、もっと奥のショーケースに誘っていました。

当然値段が一桁違っていて当時の私には不可能な金額でした。

そこで一言「○○は背も高いし(167㎝)これぐらいのものが似合いそうだね!」という将来への夢を与えてその場を去りました。

あれから30年私はどれだけ彼女の夢をか叶えて上げることができたでしょう?

これを読んだ方の想像にお任せしますが、どうにか離婚せずに夫婦を続けていられるのは、その後の私の力量や度量のデカさか?、それとも奥さんの我慢や器量が勝ったのか?さてどちらでしょう。(笑)

治 る ・元 気 ・愉 し い
和草堂こころ研究所・・・松本康秀

顕在意識と潜在意識の関係をよく海に浮かぶ氷山にたとえられ、海面上に見える部分を顕在意識、海中に沈んで見えない部分を潜在意識と言われます。

海上(顕在意識)に見える氷山は、海中(潜在意識)の氷山によってどのようにも動かされます。

建物と基礎を顕在意識と潜在意識にたとえるならば、建物がどんなに立派で美しく見えても、基礎である潜在意識(見えない部分)が貧弱であったら、やがて建物は壊れてしまいまうように、家を建てるときは基礎にお金をかけろと言われます。

基礎である潜在意識が大事なのです。

人の世界も顕在意識と潜在意識の関係から言えば、この見える世界(顕在意識)はこころという見えない意識(潜在意識)が作り出しています。

潜在意識の法則というのがあり、顕在意識で強く思い続けると潜在意識がその思いをキャッチして何でも叶えてくれるという法則です。

世の中の成功者と言われる方は、意識するしないに関係なく、潜在意識を間違いなく活用しているようです。

今まで日本は資本主義経済、民主化の名のもとに、大国の都合に合わせて、経済成長一辺倒に進んできました。

それは、大国を動かすごく一部の頭脳集団の顕在意識=潜在意識に民衆が洗脳される形で進んできたのです。

民衆も昨年の3・11東日本大震災と福島原発がきっかけで、「成長こそが全て」という考え方が一変したように思います。

ちなみに「民」という字の意味を調べたことがありますか?

実はこの「民」という語源は目を針でさす様を描いたもので、目を針で突いて目を見えなくした奴隷をあらわしています。のちに目を見えなくし、分別を出来にくくすること、支配下におかれる人々という意味で派生したのが「民」という字で、情報を極力与えない、内容をわかりにくくして煙に巻く、という裏の意味があります。(浦安市議 西川よしずみ氏のブログから抜粋)

いよいよ民衆は両目を開き永続可能な地球を再生する時が来ているように思います。

国民総生産(GNP)に変わる指標として、ブータンの掲げる国民総幸福感(GNH)を多くの民衆が求めるようになったらどんなに幸せでしょう!

直ぐに意識を変えることは難しいかもしれませんが、やがて変わらざるを得ない世の中になるように思います。

一緒に考えてみませんか?

治 る ・元 気 ・愉 し い
和草堂こころ研究所・・・松本康秀



いま自分が幸せか?不幸か?は、自分自身にしかわかりません。


つまり同じ境遇にありながら幸せと感じられる人と、不幸だと感じてしまう人がいるからです。


ですので、各自がどの位置を以て、幸不幸の基準値とするかで違ってきます。


少なくとも基準値をお金や学歴、家柄で計っていたら幸せにはなれません。


自分に与えられた境遇を受け入れることから始めることです。


生き方、考え方に矛盾があると、やがてその矛盾は負のエネルギーをため込んで、わが身に戻ってきます。


一つ一つのことを、調和という秤で計りながら人生を進んでいくと、時々どちらの方向にも進めなくなるときがあります。


しかし、時の流れというものがあって、自分の意思とは関係なく踏み出さなければならないタイムリミットの一歩があるのです。


その一歩が、自分が考えてきた調和というものからかけ離れた矛盾に満ちた一歩であっても、それこそが自分の人生のシナリオなのです。


その時の矛盾は、自分の意識での矛盾であって、人生のシナリオからすれば矛盾ではなく、幸せになる修正のための矛盾にすぎないのです。


人は人生のシナリオを持って生まれてきています。


預言書を通して見ることが可能な人もいます。


しかし、そのシナリオが当たっているのかどうかは、過ぎ去って検証してみなければ正確なところはわかりません。


でも私は、全ての人の人生のシナリオは、幸せになれるかどうかわからないのではなく、全ての人が倖せになるようになっていると信じています。


人生とは思うようにならないことの方が多いかもしれません。


結果を受け入れるしか仕方がないのです。


どうせ受け入れるのなら、都合よく行くように思ってもいいのですが、究極的には結果に従うことを良しとする決心をすることです。


それも今が幸せでないと思っている人には難しい考え方かもしれません。


せめて他人の幸せを喜んで上げる広い心の持ち主でいたいと思いませんか?
生と死の境目がどこにあるのか知っていますか?

どの位置に意識を置くかで違ってきます。


体の死(心臓停止?脳死?)を持って死ととらえることが一般的かもしれませんが、

私の意識は魂の死を死と考えていますので、少しばかり一般的とは違っています。


またこの三次元宇宙では、魂に死はないと思っていますので、私にとっての生と死の

境目は無いということになります。


メビウスの帯のように最後がないということです。


虹の戦士からのメッセージ  メビウスの帯

でもメビウスの帯には表の面と裏の面とがあり、表か裏かどちらかがこの世の魂の

生であり、その反対があの世の魂の生だととらえています。


2012年1月は「毎月のお便り」としてお客様に
商品と共にお届けしているメッセージです。

2012年 1月

倖せになる方法・・・この世はバランス

あけましておめでとうございます。


世界中経済が不安定で、近年は暗いニュースばかりです。


一触即発で戦争だって起こりかねない状況です。


国内においても年金、医療、原子力問題など難問が山積しており、これから先、一体全体どうなるのだろうと未来が不安視されます。


また、ニュースや情報番組では殺人事件が日常茶飯事の出来事のように流れてきます。


新年早々暗い話で書き始めましたが、この宇宙はすべてバランスされています。だから、やがて反転する時がやってきます。


夜明け前は一番暗いと言います。今がその時です。


若く元気で体調がいい時は、少なくとも健康に関してはほとんど関心がないものです。でも必ず生老病死を迎えます。


それと同じように時代というものは繰り返されますので、今地球人全体の集合意識が病死を迎えようとしているのです。


集合意識を一個人がどうこうすることはできません。でも、自分の関係する周りくらいは変化させることはできるかもしれません。


もしかしたら、置かれた立場によっては変えられなくても、せめて個人という自分自身の思いぐらいは変化させることができるものです。


生老病死が繰り返されるなら、地球は近い将来(数年の内)病死を迎え、新たな生がやってきます。


私たちは生きて新生地球人として元気で希望にあふれた社会に暮らしていたいものです。


では新生地球に存在する意識とはどのような意識でしょうか?


優しく愛情にあふれた意識でしょうか?


そうではありません。


バランスの取れた意識です。矛盾があってはいけません。愛情が悪いと言っているのではありません。情には案外お節介という自己中


心的な思いが隠れていることがあるものです。優し過ぎ、と自己中心的なお節介を混同している人がいます。


あなたは優し過ぎていませんか?


それはともかく、今何をするべきか?を考えましょう!それは自分の置かれた立場で、精一杯楽しむことです。


他人と比べてはいけません。


隣の芝は青く見えるものです。


あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら、また、次回。

20年前の思い出です。



幼稚園に通っている息子が、朝からぐずって着替えもしなければ朝食も食べようとしません。


母親はほとほと困り果て、「キスマークお父さんどうにかしてよ!」と助けを求めてきました。


朝から母親というものはいろいろと忙しいものです。


おじいちゃんのお世話をしたり、お姉ちゃんたちをバタバタと小学校に送り出し、やれやれ一段落したと思ったところに息子のぐずりにあい、にひひ少しばかりイラついていました。爆弾ドンッ


なにも手伝わない私はネクタイをはめて仕事に行く準備が整ったところだったのですが、多少の後ろ


めたさもあり、息子をどうにか幼稚園に送り出すために参戦することにしました。


私はネクタイを緩めながら息子に、「今日お父さん仕事休んで一緒に遊ぼうか?」といいましたら、息子


目がキラッと光って「目うん!」と返事が返ってきました。


そこで息子に「お前、この前新しい運動靴がほしいと言ってたな?」と質問しましたら、また目がキラッと


光って「目うん!」と言ったのです。


「そうか、でもお父さんが仕事に行かなかったらお金¥ないから運動靴買えないな!」すると息子が「お父さ


んお仕事行ってきていいよ!車


「でもお前が幼稚園に行かなかったらお父さんお仕事いけないよ」すると「ぼく幼稚園に行くよ」


「だったらすぐ着替えてご飯食べないとダメだね!」と言ったら素直に動き出したのです。


つまりまだ眠たくて血めぐりが悪かっただけなのです。


そこに一緒に遊ぶという楽しいことを持ちかけ、新しい運動靴を買ってあげるという欲を持ちかけたら、


いっぺんに息子の血めぐりが良くなったということなのです。


気めぐりと血めぐりは一緒です。


気とは思いです。だから思い悩みストレスをためていると血めぐりが悪くなり、体のどこかに瘀血が発生


して病気になります。


だから、病気のことを病は気からと言います。


スローライフとかロハスという言葉が近年はやっているというか、実践していらっしゃる方がいます。

 “こころ豊かに暮らすライフスタイル” “こころを充実させるライフスタイル

 “健康と地球環境にやさしいライフタイル” “自然に順応したライフスタイル


  健康と地球環境にやさしい、こころ豊かな暮らし方。】


どの言葉もこころが落ち着ける言葉だと思いませんか?


昔、と言っても江戸時代までは、日本中どこに行っても、このような生活情景だったとおもいます。


いつから現代のような、ファーストフードや遺伝子組み換え食品などで精神をも冒されたり、無尽蔵の電


気エネルギーを求めた結果、原発事故のような取り返しのつかない環境破壊をするライフスタイルになっ


たのでしょうか?


資本主義というアメリカナイズされた消費社会が、第二次世界大戦後急激に日本人の生活スタイルを変


えたように思います。


競争しているときは、ファーストフードという言葉が心地よく聞こえたのかもしれません。


車は4年に一回モデルチェンジしていたと思います。


時代が過ぎるに従い、電化製品やパソコンなどは半年もすれば旧型となるよな時代だったのです。


私たち消費者も新製品を期待し、わくわくしていたのではないでしょうか?


もう限界が来ています。


各人の都合で生活条件がありますので、すぐに生き方を変えることはできないかもしれません。


しかし、もう限界が来ていることを意識して、ライフスタイル全般を修正する意識を作っていかなければな


らない時がきているようです。