(17)IT会社を辞めて、塩の会社を起業した理由
私が、IT企業を辞めて、塩の会社を起業した理由をご紹介しています。
(1) (2) (3) (4) (5) (6) は、父が肝硬変で入院し、その病院で、「病気にならない生き方」と「食品の裏側」を読み、娘の未来の子供達の健康は、娘たちの食事を作る私に責任があるのだと思った。今の会社の顧問・瀬川昌威と出会い、輪島の塩と出会い、ミネラルの重要さを知り、化学で作られたサプリメントの怖さを知り、輪島の塩のユーザになったという話。
(7) (8) (9) (10) (11) は、リンゴの変色実験をしたことから、乳酸菌の育成実験にいたり、人間の血液の比率によく似ている輪島の塩は、精製塩や岩塩よりも、乳酸菌の育成量が多かったこと。発酵食品の決め手となる乳酸菌発酵には、ナトリウムとマグネシウムの微妙なバランスが関係していること。この発酵を促すミネラルバランスの塩は、輪島特有のものだろうと思った。また、マグネシウムが酵素を活性化し、たんぱく質を分解して、うま味を出し、かつ、消化を助けることがわかったという話。
(12) (13) (14) (15) (16) は、輪島の塩にはまっていき、輪島に旅行に行くことになり、そこから、瀬川から紹介してもらった三國清三シェフに世界料理オリンピック大会のジュニア部門で輪島塗の台や器を使いたいと頼まれ、東京と輪島の仲介役を果たし、輪島合宿を実施した、という話でした。続きます。
そして、2008年10月、ドイツでの世界料理オリンピック大会。さすがにこれは行けませんでしたが、ジュニア部門は、みごと、コールドディスプレイ部門で、金賞を受賞したのです。
写真:東京ガス「最適厨房」のサイト
より。
写真:東京ガス「最適厨房」のサイト
より。
メールで連絡をもらったときは、わがことのようにうれしく思いました。
この世界料理オリンピック大会を通して、日本の料理技術のレベルの高さを再認識しました。さらに、私自身は、個人的に、SEの仕事とはまったく違う役割を果たして、充実感もありました。
最初に、ゴールが映像で見えてしまえば、その映像通りになるように物事を進めていけばいい。それは、大変だけども不可能なことはない、やればできる、という自信を得ることができました。
そして、輪島にたくさんの仲間ができました。たくさんの知人ができました。
そんなときに、大きな転機が起きたのです。
世界料理オリンピック大会でジュニア部門が金賞をとった2008年10月の後半のことです。
当時、別の銘柄でしたが、輪島で塩を作っている製造販売会社の社長さんが、脳に腫瘍ができ、余命宣告を受けました。そこまでのこととはご本人も思っていなかったのです。すぐに入院する必要があり、後継者のあてもなく、塩作りを続けられないということになってしまったのです。
