WADA-AFRICA in NEW YORK!!!

WADA-AFRICA in NEW YORK!!!

NEW YORK生活の中で心に浮かんだひとりごと。。。
気付いたらアフリカにも足を伸ばしてた!
PEACE and LOVE.

Amebaでブログを始めよう!

20代の頃インドにすごく興味があってOSHOの本も読んだ。いつかインドの瞑想センターに行ってみたいと思っていた。同時に自分があのダイナミックな瞑想方法をできるのか。。。という不安を持ったままその思いはいつの間にか消えていた。

そしてその瞑想をココ石垣島で体験することが出来た!

 

プログラムは3日間あったが、私は最終日に受けた。ファシリテーターは先日初めてレイキ交流会に参加させていただいたAromaya Soraのあきこさん。初回からスーっと溶け込めて、この人と仲良くなりたい!と思った。彼女の作る空気なのか、彼女に引き寄せられてくる人たちのエネルギーなのか、彼女を中心には暖かくまーるい空気感ができる。

 

今回瞑想が開催されたのは大自然いっぱいの街に近い山の中。

静寂の中に鳥の声が聞こえてきて、たくさん日差しを差し込む素敵な施設。私を入れて4人の参加者で、そのうちの2人は今日で3日目、もう1人は以前に経験あり、私だけが初体験者。しかし、ここでもまたあきこさんを中心に暖かく迎え入れてもらえた感がありスーっと溶け込めた。

 

この日3つの瞑想法を行った。

 

ひとつめはダイナミック瞑想。その名の通りダイナミック。

でも、最初にこのダイナミック瞑想をしたことで私のハートは前後共に全開した。

ダイナミック瞑想は5つのステージから成っていた。

#1:全身を使って鼻から息を吐きまくる。

前かがみになって膝を使い、両腕を上から振り下ろしながら息をはく。始まる前に鼻をかんだはずなのに鼻水がいっぱい噴射。一瞬鼻をかみたい衝動にかられたけど、すぐに諦めて大放出。

昔受けたリバーシング呼吸のセッションを思い出した。

 

#2:感情をマックスに吐き出す。

全員が大声で叫びながら床に平伏したりクッションを床にたたきつけたりしながら感情を吐き出す。

私は悲しい感情が吹き上げてきて思いっきり泣いた。床に倒れこんで泣き、涙がナイアガラの滝のように流れた。また顔がグチョグチョ。

何がそんなに悲しいのか?と内観してみるとインナーチャイルドだった。”あ、またか。。。” これまでも他のヒーリングセッションで何度も出てきた3歳のころの私。お母さんに対する怒りと悲しみ。まだ癒えてなかったのか。。まさにその泣きっぷりは子供が全身でお腹から力を出して泣く姿そのもの。しばらくしたらフッと何かが切れて嘘泣きになっていった。思い切り泣いて気が済んだようだ。そのあとは怒り。毛布を床にたたきつけていた。

 

#3:両腕を上にあげてフーフーと息を吐きながらジャンプする。1と2ですでに汗をかなりかいていたけど、3のステージでは全身ダムのように汗が流れた。無心になった。

 

#4:動きを急に止める。

両腕は上がったまま、ストップのかかった姿で静止15分。説明を受けた時は無理かも〜と思い”腕下ろしたらダメですか?”と質問したら”ダメです。”との返答。😅実際やってみるとそんなに苦しくなく、このままずっとこのままでいられるかも?と思った。

 

#5:至福の踊り。

ハートが前後共に全開❤️ゆっくり体を揺らすところから始まり、だんだん楽しくて仕方ない。音楽はタブラ、ドラムなどの打楽器が含まれていたのもあって私のツボ!これぞ至福だ〜〜楽しくて仕方ない。この感じ、しばらく忘れていたなあ〜〜〜

さっきまで大泣きしたり怒ってたのにこんなに幸せな気分と思ったら笑えてきた。

 

お昼休憩はオーダーしてたすごく美味しいお弁当を暖かい日差しいっぱいの自然の中でいただき、少し散歩して過ごした。

 

2つめはチャクラブリージング瞑想。

#1:寝転んで両膝を立て、腰を上下させながら声を出して呼吸。第1チャクラから第7へと音程も上がっていき、その後下へと下がり往復を3回繰り返す。第7チャクラの高音はセックスの時のエクスタシーに通ずる気がした。

 

#2:横たわって沈黙。爆睡するが自分のいびきは聞こえてた。

 

3つめはクンダリーニ瞑想。

#1:足元から体をシェイクしてエネルギーを上にあげていく。最初はうまく振動できないが少しずつ体が振動を始めた。両手、肩、顔、頭も激しく振動してくると感情が湧き上がってきた。

またもや悲しみと怒りで涙が溢れた。”なんで私のことわかってくれないのよ!”。また途中うまく振動できず少し意識して動かしていると、再び激しく振動が始まり感情が上がってきておもしろい。

 

#2:音楽に合わせて踊る。両手を大きく広げながら体を揺らす。悲しみなんて無くて幸せと楽しいしかない。宇宙はひとつ。みんなひとつなんだって感じた。嬉しい、楽しい。至福だー。

 

#3:座って静止。なんにも無い。ただそこに在るだけ。

 

#4:横たわって静止。再び爆睡するがいびきは聞こえ、回りの気配は感じていた。

 

すべての瞑想が終わった時には心身ともにすっきりしていて、心が温かくてとても幸せな気分だった。

一緒に瞑想を受けた方達が優しく迎え入れてくださったことに心から感謝です。

 

翌日ウチヨガをしたら体がすごく柔らかくなっていて、いつ難しかったアサナができるようになった。普段ならフルで2時間近くあるプラクティスをできるアサなのみで終わらせちゃうので1時間20分ほどだけど、瞑想で体の緊張がほぐれ気持ちも穏やかになったおかげで、できるできない含めながら全アサナを終了!

 

そして、いつも仕事の最後に揚げ物やお肉、甘い物を必ず食べてた。がっ!!瞑想の翌日はいつもの癖で見たものの、どれも欲しいと思わない。そっかーーー心が満たされると胃袋も満たされる。不食とは心身が満たされることを超えるということだ。

 

宇宙にNamaste🙏

 

石垣島に来て初めての大きな台風。

台風が来たら軽トラは飛ばされるし、翌朝牛が家の屋根で見つかった。。。などなど、いろいろコワーイ台風にまつわる話を聞いてきた。

幸い今回も少し逸れたようで真っ向からの直撃ではなかったよう。

なぜ全て推測かと言うと、台風上陸されるであろう前日からホテルにお泊まり。ステイされてるGM・お客様たちにご迷惑はかけられない。

 

お泊まりは空いている客室をお泊まり組でシェアする。当初知っていた情報では同じセクションで働く人との二人シェアだったけど、その人はあくまでも車で通うという方だったので、ヤッター!!ひとり使用!。。。と思いきや最終は3人に。

 

でもね、実際泊まると忙しくて疲れてそんなのどーでもいいのサ。お部屋が綺麗な事と足を伸ばせるバスタブに入れるのはありがたい〜〜〜。

が、他2名が外人だったので楽チンだったってのはあるかな。。

 

台風の目は通り過ぎたものの、外周の方が風雨が強かったりする。今日が休みのわたしは送迎バスに乗ってドミトリーへと戻る。マイクロバスを待つ間に思ったことは”YAAAAY!!! I can go home!!....no...not home. It's the domitory....(『ヤッター!!!家に帰れる!!。。違う。。家じゃない。寮や。。。)”めっちゃ変な感覚。

 

今こうやってブログ書いてる寮の部屋にいるとホテルルームよりは落ち着くかな。自分だけだから。けど、ホームじゃない。

 

今日の気付き。。。

 

 

 

 

昨日からやたらと『やりすぎコージ』『やりすぎ伝説』などの動画が気になって仕方ない。

今なにがおきているか。。。

 

今日は9.11。

朝FBに何かポストしようと思った。

"Never forget.."

それは本当。

そんな時ふと。。いつまでこのことを意識し続けるんやろう。。

特に意味もなく思ったのも事実。

 

わたしたちって普段から過去に起きたことが頭の中で優先してて、反省したり、頑張ろうという気になったり、何かを決心したりしてるケースメチャ多いんじゃないかな。。。

もちろん時間の積み重ねが今に繋がってるという方がわかりやすい。

しかし、繋がりを重んじてパターンから抜け出せなくなっていないか。

時には大きく変わってもいいんじゃない?

わざわざ長い時間をかけて変わる必要はないんじゃない?

ポーン!って飛んだら、それはそれで今ある自分と繋がってるんだよ。

 

 

 

 

 

 

久しぶりのブログ。。!!!

FBではいつもつぶやいてるけど、長くなるからってやめたりしてる。それは書かなくていいんかなと思って流して来たけど、

ずーーーと気になることってあって、それをブログに書いたからってどーやねん!でも、書きたいので書く。それがブログ再開のきっかけ。ピース😊

 

今石垣島のクラブメッドのキッチンで働いてる。担当はブレックファースト。朝7時からの朝食。クラブメッドは外資系のホテルで、オールインクルーシブという日本では珍しい形態のホテル。滞在費にはスペシャルオーダー以外、100%の費用が全て含まれている。お食事は全てバッフェスタイル。

 

ブレックファーストは和食から洋食とかなりのオプションがあります。ただ、バッフェカウンターは高さがあるので、お子さんはご両親のどちらかのヘルプが必要。ランチからはキッズクラブというスタッフがお子様たちをサポートするプログラムがある。

 

そんなブレックファーストの状況でめっちゃ気になることがある〜〜。

それは親子の会話。その1。

お母さん『オムレツいらない?』

子供『いらん』

お母さん『フレンチトーストいらない?』

子供『いらん』

お母さん『目玉焼きいらない?』

子供『いる。』

***さて、ここで私が反応してしまうこと。

なんで『いる?』って聞けんのやろ。。

なんで『いらん?』ていう否定形なん?

 

次の会話2。

お母さん『パンケーキやで、パンケーキ。』

子供『。。。』

お母さん『パンケーキやで。パンケーキ!』

子供は絶対パンケーキが好きで食べたいって思ってる。

あるお父さんはいろいろあるメニューを『フレンチトースト。コレ甘いよ!』『パンケーキ、コレ甘いよ!』って言ってた。

『パンケーキにメープルスロップかける?蜂蜜かける?甘いよ!』と言う。

 

そして、私が1番引っかかる会話3。

お母さん『パンケーキ何個?』

子供『3個!』

お母さん『2個にしなさい。』

 

お母さん『パンケーキ何個?』

子供『2個!』

お母さん『まずは1個。また欲しくなったら取りに来ればいいから。』

アホか!!聞いたやん!!!『何個?』って!!!

グレたる。。。

親のコントロール半端ないし!!

 

はあ〜〜スッキリした♪

今日も最後まで読んでくれてありがとう❤️

 

PEACE and LOVE.

 

 

 

 

 

 

初めてNYで天河大弁財天社のことを知った時、行ってみたい!と心が躍った。

その思いが大好きなNYのお友達たちが叶えてくれた。

ここは芸能の神様といわれていて、社内には舞台がある。

今回、NYのお友達がここで奉納のパフォーマンスをするということで、有難くも実現した。

ここ天河大弁財天は呼ばれないと、行きたくてもなかなか辿り着けないことでも知られている。

今回も台風が近づいていて、一時期は中止になるかも。。。という心配も見受けられた。NYや日本各地でお友達を応援している方たちが、晴れるように祈ってくれてた。

お陰様で台風の影響は全くなく、平和な旅となった。

 

パフォーマンスの前日、神社の隣にある民宿びわに奉納参加者が大集合。

私は東京から来るお友達ののゆりちゃんと降車駅での待ち合わせをしていた。

ところが、途中電車を乗り換えた車両に、しかも足を踏み入れた瞬間、NYから舞の奉納をするかおるちゃんとお母さまにバッタリ!!

なんとこの4人は民宿で同室なのだー!!天川すごし!!

そして、のゆりちゃんも1時間くらい後に着くかも~と言ってたいたのに、私たちの10分後に到着。

またまた天川すごし!笑

 

かおるちゃんは打ち合わせがあるので民宿へ直行。のこりの3人で洞川温泉を観光。

まずは観光案内所でマップをもらったり、民宿への行き方などを教えてもらう。おじさんがとっても親切だった。

大きな荷物は預かってもらい、身軽になって洞川温泉のメインストリートを歩く。

決して大きくはないけれど、温泉街は古い旅館がなんとも言えず風流。

龍泉寺に立ち寄り、あとはごろごろ水という名水の出るところを目指した。

空気がとっても澄んでて、川からのマイナスイオンで浄化され、山からの森林のアロマに癒されながら歩く。

歩く途中も「こんにちは~」と声を掛けてくださったり、修行僧の方が貴重なお話を聞かせて下さったり、このあたりはなんか違う星にでも来ちゃったのかな?

もしかして、天国ってこんな感じ?みたいな幸せな気分にしてくれる。

名水のごろごろ水はまろやかで甘かった。

そして、私の初体験なる鍾乳洞!!!

五代松鍾乳洞へはミカン園で使ってたトロッコでどんどん山を登っていく。

搭乗者は私たち3人と運転するおじさんのみ。

トロッコには6人しか乗れなんだけどね。笑

鍾乳洞の入り口にいるおじさんに「お待たせしました~」と言うと、「別に待ってへんで~」と返される。笑

おじさんは入ってすぐのところで簡単な説明をしてくれると、「後は自分たちで出口に向かって進んで行ってください~」えっ。。。

鍾乳洞はすごく狭くて天井が低いのでヘルメットを被った頭をゴンゴンあてながら、足元も不安定でなかなか大変だったけど、何百年もかけてできた鍾乳洞は異次元の世界で感動!

出てきたころにトロッコが迎えに来てくれ、トロッコはUターンできないので帰りは後ろ向きに降りていく。

楽しかったーーーー!!

6時半には民宿に到着しないといけないので、来た道を足早に温泉へと向かった。

公営の泥川温泉センターは大きなお風呂と露天風呂のふたつ。

お風呂も3人で貸し切り状態。

お湯がやわらかくて、少しぬめりがあるのでお肌つるんつるん♪

いっぱい歩いた疲れを流して民宿へと向かった。

 

着くとちょうど晩御飯が始まったところだった。

初めての方たちがほとんどだったけど、久しぶりのお友達にも会えて嬉しい♡

お食事が終わったころ、星を見に行くと言われたので一緒に行かせていただくことに。

それはお隣の大弁財天さまの鳥居の前。最初は雲がかかってて星はほとんど見えなかったのに、みるみる内に雲が開けてたくさんの星が見えた!天川すごし!

 

みんなが空を見上げている間に暗い神社へと入ってみた。

普段なら怖がりの私が誰もいない暗い神社にひとり足を踏み入れることは絶対あり得ないのだけれど、なんの恐れもなくごくフツ-に石段を上がって行った。

うわ~~なんだこの落ち着く感じは。。。不思議だった。

そうこうしていたら、他の方たちも上がって来られた。

その中の約10名ほどのグループの方々は神社巡りをされているようで、

神殿に向かってお参りを始められた。

よくわからないけど、私も見よう見まねでやってみた。

目を閉じて手を合わせていると涙がたくさん溢れてきた。

’帰って来れた。今日ここに呼んで下さってありがとう’

懐かしさと喜びと感謝の気持ちでいっぱいになった。

そっか。だから怖くなかったんだ。

民宿に入る前、もう一度空を見上げたら雲がかかって星が見えなくなってた。

天川すごし!

その後、宿では神様に纏わる興味深いお話を聞く機会があり、その時間を共有できた方たちに出会えたことに深く感謝。

そう!そう!

この参加者の中には「成功している人はなぜ神社に行くのか?」の著者であるリユウ博士がおられたのだ!!

 

翌朝は毎朝行われているという6時半からの日供祭(?)に参加。

天河大弁財天社の歴史などのお話を伺った。現在は芸能の神様として知られているが、

元々は水の神様だそうです。

最後にはお神酒をいただきました。

 

そして、いよいよ9時半からは奉納の儀式とパフォーマンス。

儀式はアーティストの方たちが魂を神に捧げる神聖なる時間で感無量。。

パフォーマンスは笛奏者の雲龍さんから始まり、三味琴奏者の福島千種さん、お友達のサイマソニックの山田恵ちゃんが音を重ねて一体になり体に染みわたった。

そこにベリーダンサーの松岡薫ちゃん。薫ちゃんが踊り始めてフーシャ色の布を大きく動かし始めた時、神様が一緒に楽しんでおられるかのようにスーーーっと風が入って来て、布の動きが本当に美しかった。

体に根が生えて地面深く広がっていくと同時に、天高く羽が生えたように上っていき、宇宙に溶け込む感じがした。

奉納に参加させてもらえたことに心から感謝です。

 

うまく言葉や文字にできない素晴らしい体験がたくさんあった今回のショートトリップ。

家を出て30時間の短い時間なのに、1か月くらい旅してたかと思うくらい余韻がすごい。

泥川温泉、民宿びわさん、案内所のおじさん、そして奉納に一緒に参加したお友達と、出会ったすべてのみなさんが、本当に優しくて親切で愛溢れていた。

 

めぐちゃん、コミちゃん、素晴らしい機会を本当にありがとう♡

 

「すべてはうまくいっている。」を実体験!!!

 

天川すごし!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さとうみつろうさんのブログ

http://ameblo.jp/mitsulow/

を読んで、以前は誰かの役に立ちたいだけを思ってた自分居たことを思い出す。

マザーテレサが大好きだった。

今も大好き。でも、あの当時とは違う感覚。

ずいぶん前から自分が幸せだと感じられないと、他の誰も幸せに出来ないと思ってたし

言ってきた。そこにフォーカスしてきた。それはこれからも変わらない。

でも、そうでなくても誰かのために生きることもあり得ると思いはじめてきた。

答えはまだ見つかってない。

今はまだ自分とそことの境界線で揺れている。。。

 

これからは、自分の思うことをここでつぶやいていこうと思った。

そのことに気付けたこと嬉しい。

 

 

昨日、久しぶりに何度も書いてポストしようと思ったけど駄目だった。。。

 

んんん?まあいっか。

 

昨日はめちゃ久しぶりに気持ちいいヨガクラスを受けた。

ずっと気になってたけどやっと行けた。

きっかけはここのところずっと朝起きた時に感じる手足の硬直感。

姉が、「それってリウマチの初期症状やで」

ネットで調べたら、うん。。。それっぽい?

‘早く手を打つに越したことない‘

確かにそんな風なことが書いてある・

リウマチって年寄りのって思ってるけど、20代の人もなってる。

あ、私20代じゃないけど笑

うむむむ。。。。

原因不明の難病。

難病って膠原病もそうだよね。

原因不明の難病。

うむむむ。。。

原因不明なことって絶対有り得ないって思う。

検査したわけじゃないから、自分がリウマチかわからんけど。

知る必要もなっていうか。

ネットで調べてフィットしたのはーー

免疫の低下、ストレス、体の冷え。

うんうん、思い当たることあり◎

で、まずはお風呂の温度を41度に上げてゆっくり浸かる。家の風呂は夏設定で39度。

これでも時間をかけてゆっくり浸かれればいいと思う。

でも、そうできる気持ちの余裕がないのが現状=ストレス。

おおおおーーー温度を上げて時間も長くしたら、朝の硬直が明らかに改善されてる!

そして、今日は午後から4時間ゆっくりとスパヒルズでお風呂に浸かった。

これにはリウマチという目的だけではなく、自分に必要な時間と感じたから。

 

ひとつめは、定例のVipassana の一時間瞑想会でゴエンカ氏のチャンティングが始まったとたんに涙が溢れた。瞑想が始まっても止まらない。Just let it happan...なるがままに。。

そしてふたつめは久しぶりのヨガ。リラックスヨガで呼吸を意識したゆっくりとしたポーズ。あ~~~~気持ちいい!!眠っていた細胞がひとつづつ目覚めるのを感じた。

シャバーサナの時は左手が15センチくらい飛び上がった。

何かをリリースできた。

 

そして今日。お風呂でゆっくり4時間かけて体を芯から温め汗も流した。

いつもならよもぎ蒸しとか岩盤浴とかするけど、今日はただお風呂のみ。

今となっては、そこに居た意識こそほとんどない。

覚えてるのは意識していたのはずっとアソコと繋がること。

この時間が大切なのかも・

 

さて、私はリウマチでしょうか?

関係ない。

私が自分を愛して、今してあげたいことをする。

そのためには何をしてほしいかを知ることが大切なんだな~~

 

途中で消えなかったから、今回は公開できそうだな!

 

 

 

 

今回の滞在でやりたかったことのひとつ。
WADA-AFRICAのアフリカデビュー!!
笑そんな大層じゃなくて、売ってみたかった。
反応を見てみたかった。

Fallou DiopはCap SkirringのArtisana Villageにアフリカンマスクを中心としたギャラリーショップを持っている。
Cap Skirringは小さい街だけれど、セネガルのリゾート観光地として有名。
長く続くビーチ沿いにはClub Medをはじめとして、大中様々なホテルが立ち並ぶ。
空港もあり、週に2回ジャンボジェットも降り立つ。
観光客はフランス語が公用語なのもありフランス人が多い。
私が居た11月から12月のはじめはデップリぽっちゃりの年配夫婦が多かった。
若い人たちは仕事をしているのでクリスマスからニューイヤーにかけて来るとの事。
ちょっと残念。。。

Artisana VillageはCap Skirringの中心ロータリーに面している。
Villageの中には小さなブースが150件近くある。
Fallou以外にもアフリカンマスク、ウッドカービング、ハンドメイドのシルバージュエリー、ペイント、
ハンドメイドレザーバッグ、レザーシューズ、空き缶アート、その他お土産物アイテムのキーホルダーや
ネックレスを売る店、そしてテーラーなど。

Fallouは休み無くお店を開ける。私も滞在中は毎日ビレッジへ行った。
Fallouの周りには熟年のベンダーが多い。
隣のバッグのテーラーIbrahimはとっても忙しい働き者のバイファウル。
毎朝「ヤイファウル!!」と声をかけてくれる優しいおじさん。
子供達が学校に持って行っているバックパックの修理、大人はスーツケースの取っ手修理、
挙げ句の果てには布製パラソルまでオーダーが入ると作っちゃう。
彼が断るのは洋服のみ。
通路を挟んだショップはFallouの兄嫁Margetがキーホルダーや小物などのおみやげを売る。
兄も少し離れているが、同じくアフリカンマスクなどを売っている。
兄はしょっちゅう嫁のショップに来る。
ランチ後Margetが兄と一緒に床でお昼寝するのがかわいかった。
Fallouはこのビレッジに20年。古株の貫禄十分。
ショップの入り口に座り、じっとショップ内を見つめ、毎日少しだけディスプレイを変える。
そして、毎日ラジオでニュースを聞き、周りのベンダー達とポリティカルな話する。

ビレッジに通い始めて3日目、FallouにWADA-AFRICAを売ってみたいと相談したら、
しばらく様子を見なさいと言われた。
確かに外人がいきなり商品広げたら、他のベンダー達もビックリするだろう。
私も既存のベンダーたちのビジネスを邪魔したり、気分を害する気は全くない。
とりあえず毎日行き少しずつマーケットの人たちと親しくなって行った。
マーケットの人たちのほとんどは英語を話さない。
ビレッジの入り口付近に、綺麗なインディゴのスカーフを売るブースがあるので寄ってみると、
英語を少し話す。
ライトスキンで髪もカールしてて、服装からもセネガル人でないのが一目瞭然でわかった。
彼の名前はMoctor。モーリタニア人。
セネガルに来る前、ガンビアに2年ほど居たので少し英語が話せる。
ある日、彼にWADA-AFRICAをマーケットで売りたいと思っている事を話すと、
僕のお店で売ればいいと言ってくれた。
彼はモーリタニアから持って来たレザーバッグやクッション、ネックレスなど民族的なアイテム
を売っている。

まずは、Fallouに報告。ギャラリーのように壁一面アフリカンマスクをディスプレイしているFallouのお店で
WADA-AFRICAを売るのは難しいかなと思っていた。
すぐに承諾してもらえた。
私がMoctorからもらう金額を伝え、あとは彼が好きな値段で売ればいい事にした。
お客さんのほとんどがフランス語なので、彼に売ってもらう。
でも、任せっきりにするのではなくて、私も毎日お店に居た。

Moctorのショップの前にある通路にWADA-AFRIAコーナーを設置するために必要なものを揃える。
Moctorに針金とハンガーをウオロフ語でなんと言うの?って聞いても知らないと言う。
モーリタリアもフランス語が公用語だけど、セネガルに来て約1年。
ウオロフ語でのコミュニケーションは出来ているが、時々周りのセネガル人からウオロフ語を教えられている、
まだ学び中。
ここは身振り手振りしかないと思い、ハードウエアショップに行くと、なんと!!
そこには英語の話せるお兄ちゃんが居た✨ 
その後、何度もこのショップに通い必要なものをひとつずつ揃えた。
「一体何作ってるん?」と聞かれるほど通った。このお兄ちゃんには本当に助けてもらった!
そこで発見したおもしろい事。
ウオロフ語でハンガーという言葉はないらしい。
ハンガーを使う習慣がないからとの事。
確かにお店では服をハンガーに掛けて売っているが、セネガル人の家に行っても服はハンガーに
かけられていない。服はたたんで積み上げられていたり、スーツケースに入っていたりする。
話は戻って、材料が揃うと、Villageでも周りのお店の人達が、トンカチやペンチを持って来て、
バーの取り付けを手伝ってくれた。
そして、バーに掛けられたWADA-AFRICAの商品を見て
”うん、他にはないスペシャルなアイテムだ。いいぞ!”と言ってくれた。
あ~~良かった!!

毎朝、まずはFallouのお店とお店周りを掃除して、お清めの水を撒く。
セネガル式だ。
次はMoctorのお店へ行き同じ様に掃除して水を撒く。
水を撒きながら"BISMILLLAH"と言う。
”アッラーの名の下に、思いやりと慈悲を”
NYでもイベントの朝、テントの中や周りを同じ方法で清めていた。
Moctorにはセネガル式の水撒きが納得できないようで、
3日後、「毎日水撒いてるけど、なんも売れへんやん」
「綺麗にして何がアカンの?綺麗にしたらいい気が流れるんや!」 
お店に居る間Moctorとは色々話した。
Moctorもムスリム。同じムスリムでもセネガルのムスリムと違う習慣や考え方がある。
へえ~~と驚く事もあれば、ちょっとした言い合いになる事もあった。
片言の英語のMoctorとのコミュニケーションは大変だったけど、モーリタリアの話がいっぱい聞けて楽しかった。

ビジネスはと言うと、めちゃめちゃヒマ~~~笑
たまに来る観光客は足早にマーケットを一周して出て行ってしまう。
お店の人たちも観光客が来るとザワザワして、待ってましたー!という雰囲気をかもし出す。
フランス語圏以外の人たちだと、伝言ゲームの様に”スパニッシュ/スペイン語”
”アングレ/英語”と言葉が飛ぶ。
これじゃあ、ちょっと見たくても見れないよ~~と思うけど、彼等も必死なのだ。
結果、WADA-AFRICAはスペインから来た、若くておしゃれなエスニックファッションの男性に
Tシャツをお買い上げいただいたのみで終わった。
スペイン人は英語がわかるので、WADA-AFRICAのことを自分で説明できたのも良かった。
値段もセネガルでは難しいと思われる、NYでのプライスに近い値段で買ってもらえた。
Moctorも値切られることなく売れて満足。
ありがとうございます!!

Moctorの商品は、モーリタニアの遊牧民が使う大小の革製の水入れや、クッションだけど、マニアック過ぎて苦戦。
ある日、アイデアが降りて来た。『これら革製品をバッグに変身させる。』
Moctorも大喜び!!
テーラーのMadjaに頼んでジッパーやショルダーストラップを付けてもらう。
”おぉぉぉ!!これぞアーティスト!クリエイター!”とたくさんの人たちからお褒めの言葉を
いただきました。\o^^o/
Moctor、結構いいお値段付けてたけど、売れたかな~~?

Moctorのお店に居たおかげで、周りの人たちとのコミュニケーションも広がった。
言葉が通じなくても、WADA-AFRICAを通して、私と言う人間を少しでもわかってもらう機会を
持てた事に心から感謝します。
しかし、私がウオロフ語を覚えるよりも、セネガル人が英語を覚える方がメチャ早い。
やっぱり産まれた時から何種類かの言葉で生きてる彼等の脳の構造は違うんやろうな~~
うらやましい限り。。。

Dakarへ戻る前日、みんなに飴を1つずつ配りながらお礼を言った。
”This little bonbon is with my big thanks for you! / この小さいキャンディはあなたへの大きな感謝です!”
そして、サヨウナラと言わず。。
”Ba benen!!/next time!!"
右手ではなく、左手で握手した。
右手での握手は永遠の別れ、再会を意味する握手は左手なのだ。

今日も最後まで読んで下さってありがとう♡

PEACE and LOVE.











Cap Skirringでの生活は朝5時のアザーン(モスクから流れるお祈りの時間のお知らせ)で始まる。
モスクは私の部屋から30メーターほど離れたところにある。
同じ敷地内のムスリム男性は一日5回のお祈り前に顔から足先までを丁寧に洗い
モスクへと出かけて行った。女性は金曜日のジュマ以外は家でお祈りする。
アザーン以外にも夜明け前からニワトリがあちこちで「コケッコッコー!!!」と鳴きまくるので目が覚める。
そのうち慣れるかな~と思っていたけど、結局どちらもあまりにも大き過ぎて最後まで慣れることはなかった。

7時から8時の間に起きて最初にするのは掃除。
今までの経験からもセネガル人は綺麗好き。
家の中はもちろんだけど、家の周りも綺麗に掃く。
私が扇風機以外に買った生活用品はホウキ。ウオロフ語で‘バッレ‘と言う。
昔ながらの藁を束ねたようなホウキ。
3件回った雑貨屋さんにはナイロン製の長い柄の付いたしゃれたホウキしかない。
値段的にもナイロン製は高い。いや、昔ながらのほうきが欲しいのだ。
市場近辺でトマトを売ってるおばちゃんに聞いたら、市場の中のファティマの店にあると教えてくれた。
市場の方へ歩いていくと、おばちゃんが追いかけてきてお店まで連れてってくれ、ファティマに「アンタ、バッレあるやろ!彼女が欲しいって!」と説明までしてくれた。
おばちゃん、ジェレジェフ!ということで無事マイバッレをゲットできた!

掃除が終わったらシャワーを浴びる。
ここCap Skirringは水道が無い。Fallou Diopの家には毎朝水がデリバリーされる。
日本で言うと灯油タンクみたいな容器にDiopと書かれたタンクが5個。
水屋さんがリヤカーにいくつものタンクを積んでやってくる。
だいたい私が掃除してる時間と重なるので「Yaye Fall 元気かい?!」と声をかけてくれる。
タンクの水を家にある大きなプラスチックの蓋つき貯水バケツのようなもの2個に移し、空になったタンクを持って帰る。
この大きな貯水バケツから普通のバケツに水を汲んでシャワーを浴びたり洗濯をする。
トイレ用の水もここから使う。
私は飲み水としてボトルウオーターを買っていたが、Fallouファミリーは飲食用の水も買っていた。
水のデリバリーの彼は休むことなし。もし、彼が病気になったりしたらどうするんやろう。。MagalでToubaに行くこともできないやん。。ってふと思った。
お水の貴重さ、有難みをしみじみ感じる。

さて、シャワーはバケツ一杯の水。
顔、体、髪とすべて洗うはずだけど、私の髪はとてもじゃないがバケツ一杯の水では足りないので、シャンプーとコンディショナーの使用をやめた。
お湯洗浄というのがあるし水だけでも全然問題ないが、髪がもつれて後々えらいことになった。
夜バケツの3分の2の水で髪を洗い、残りで体と顔を水洗いする。
そして、朝バケツ一杯の水を使い、タオルと石鹸で体を洗う。
夜寝ている間も汗をかくのでちょうどいい。
このタオルも普通のタオルだと濯ぐのに水がたくさんいるので、みんなナイロンタオルか石鹸を体にこすりつけて洗う。
日本から麻のからだ洗いタオルを持って行っててよかった~~
舌そうじと歯磨きはボトルウオーターを少しだけ使う。
果物などを洗うときはまずヤカンの水で下洗いした後でボトルウオーターで流す。
このシャワー用の水は綺麗だけど、口に入れるものには少し抵抗があるのは気分的なものだな。

トイレは外にある共同のトイレにプラスティックのヤカンに水を入れて持っていく。
そうです。トイレットペーパーは使いません。ウオッシュレット by ハンドです。
セネガル人はトイレットペーパーは不潔と言う。確かにやってみると確かにウオッシュレットの
方がめちゃ清潔。
トイレは日本の和式スタイルだけど、ドアの方を向いて座る。
排出したものが穴に垂直に落ちる位置に座る。
用足しが終わったら右手にやかんを持ち、左手を後ろから手を回して2-3回洗い流す。
あ、これは私の方法で他の人の方法を聞いたわけではないです。
用足しの後は手洗いをしたいがところだが洗面所など当然ないので、最後に両手を片手
ずつ洗って終了。セネガル人はきっと両手洗ってないと思う。
そして、No.2の時は外に出てから左手が綺麗か再確認。笑
私はトイレのドアを開けたまま使うことがほとんどで、夜は星や月が見える。
シャワーも外なので、ふと夜空を見上げた時に見えるいっぱいの星は贅沢極まりない。

さて、シャワーの後は朝ごはん。
Fallou Diopの奥さんCodouは、近所で朝はカフェトウーバと簡単なサンドイッチ(豆を煮たもの、ミートシチュー、またはチョコレートクリーム。)、夜はカフェトウーバとカステラ、そしてサンドイッチ(スパゲッティまたはミートシチュー)を売っている。
セネガルはフランスの植民地だったことからパンはバゲット。毎朝焼きたて♡
そして、彼女の淹れるカフェトウーバは本当に美味しい!
しかも首都Dakarと違ってマグカップ入り!
朝ごはんはDiatouがCodouのところから小さなポットカフェトウーバとバゲットをもらってくる。
私にはカフェトウーバと半分に切ったバゲットにバターを塗ったものをトレーに乗せて持ってきてくれる。
この美味しい朝ごはんが来るまでの時間は瞑想タイム。。。

朝ごはんの後、10時半ごろにArtisan Villageに行くのが通常だけど、1週間に1回は洗濯の日。
貴重なお水を使っての洗濯は3ステップからなる。
まずタライを3つ用意する。Fallouの家からバケツに水を入れてこぼれないように運ぶ。
Diatouやセネガル人女性はタライの水をヒョイと頭に乗せて運ぶ。
すごく重いものを乗せるときは、頭の上に乗せるのに助けが必要。
私が部屋にいるとJiatouが「コンコン」とやってきて、ジェスチャー付きで乗っけてという。
水汲み場で女性たちがお互いにバケツを頭に乗せるのを手伝い合ってるのを見かける。
さて、洗濯はひとつめのタライは石鹸水。ふたつめとみっつめはすすぎ用の水。
まず石鹸水に数枚の洗濯物を浸ける。
1枚ずつ手でもみ洗いした後ふたつめのタライに移す。
次の洗濯ものをひとつめのタライに浸けてから、ふたつめのタライの洗濯物を濯ぐ。
ふたつめの洗濯ものが3つめのタライに移ると、ひとつめの洗濯もの洗ってふたつめへと移していく。
この洗濯の工程で何が大変かと言うと絞りのプロセス。
特にジーンズやバスタオル、シーツなどの大物。。。しっかり絞らないとタライの水が減るし、石鹸水が濯ぎの水に混ざってしまう。
少しづつ分けて絞っていく。
絞ったものは部屋の前の共同ロープに干す。
日差しが強いので速攻乾いていく。
セネガル人家族は山盛りの洗濯物を一日かけて洗っては干す。
私は最小限の衣類しか持っていなかったので、まず乾きやすいサローンとアフリカントップを洗う。
それらが乾いたらすぐに着替えて着ていたものを洗う。
これで全衣類の洗濯終了!
初めての洗濯の日、隣に住むのに距離を感じてたAndreが、石鹸水のタライにあまり泡が立っていないのを見て「もっと石鹸を入れろ。」とアドバイスしてくれた。
そして、全部干し終わった洗濯ものを眺めていると、「君はセネガレ(セネガル人)だ!」と言ってくれた。
なんか認められた感があってメッチャ嬉しかった~~!
Fallouが最初「ここでの生活は白人のとは全然違う。でも、ちあきはYaye Fallだから大丈夫だ!」と言った言葉が蘇った。

ランチは毎日2時半ごろ家族全員で食べる。
大きなステンレスのボウルに入ったごはんメニュー。
美味しくて、美味しくて♡毎日一口入れると「ニャハナ~(good!)」と言うと、Fallouファミリーが笑顔でうんうん「ニャハナ」と繰り返す。
お腹いっぱいでスプーンを置き「ジェレジェフ」と言うと、「ちあき、もっと食べなさい!十分食べたの?」と言う。
これが毎回繰り返される。誰が先にスプーンを置いても、手で食べててもその場を去ろうとすると誰かが言う。セネガルでは食べ終わるとその場を離れる。
ジェスチャーも入れて「スールナー(お腹いっぱい)。ジェレジェフ(ありがとう)。」と言うと笑顔で「スールナ」と言って嬉しそうに頷く。
Diatouの作るゴハンは毎日本当に美味しかった♡
次回は彼女に作り方を教えてもらうぞ!!

夜は7時半ごろにArtisan Villageを出て、徒歩10分ほどの家にFallouと一緒に帰る。
帰り道にCodouのところでカフェトウーバを飲んでから帰る。
ディナーは抜いていたのでシャワーの後は部屋でのんびり。。。
といきたいとこだけど蚊がーーーー!!!!
いやいや持って行ったキンチョ-蚊取り線香さんには大変お世話になりました。
あとは夜になっても部屋の中が暑いので、外に出て星空を眺めていると誰かが話しかけてくる。しかし。。街灯がないので相手の顔が見えないのだ。
夜になるとこの人たちは今までどこにいたの?!っていうくらいストリートが賑わう。
テレビとか携帯とかあるけど、まだまだ顔見てのコミュニケーションが主流。
中古テレビを売る店はテレビを出し、たくさんの人が大好きなサッカーゲームを店頭で鑑賞。
Codouのところにも毎日若者たちがカフェトウーバを片手にたくさん集っている。

こんなシンプルな日々の繰り返しのCap Skirringだったけど、すごく安定してて幸せだった!
私の人生の中で物質的に最小限の環境だったけど、最大限に楽しめた。
本当に有難いと思った。物質ではカバーできない心の満たされた感は200%だった♡
本当に感謝の気持ちでいっぱい♡
ありがとう!!

今日も最後まで読んで下さってありがとう♡
PEACE and LOVE

写真のクオリティが悪いですが。。。
40日間生活した部屋
 
 ホウキ
 
 洗濯の3つのタライ
 
 


 
 
 





たくさんのセネガル人から「Casamanceはいいよ~!!」と聞いていたので、いつかは行ってみたいと思ってた。それが今回実現するとは全く予測していなかった。当初予定していたDakar近郊のToubab Dialawでの長期滞在がある事情から行けなくなり、同時に携帯&タブレットを失うという出来事が幸に転じた。
Casamanceへ向かうまでの間は2004年に滞在したことのあるMarche Kermel近くのHotel Oceanic。こじんまりしたお気に入りホテル。値段は上がっていたが結果6泊くらいすることになるので値切ったら通った。笑
朝はホテル近くに出る露店でサンドイッチとカフェトウーバ。ランチも別の露店でチェブ(ゴハン)メニューを食べた。セネガル滞在中ランチ時に食べる米飯メニューの量がたっぷりで夜もお腹が空かない為ディナーはなし。ただひとつみんなで食べるゴハンが恋しい。。。
朝お腹が空いてるのでちょっとぜいたくなサンドイッチはバゲット半分にオムレツと玉ねぎソースで約100円。おばちゃんが売ってるカフェトウーバはエスプレッソカフェのサイズで30円を2杯。ランチはチェブジェン、チェブヤップ、マフェなどの代表的米メニューがお皿いっぱいで200円。どちらも美味しくてよく行ったので顏も覚えてくれ、片言の地元の言葉ウオロフ語にフランス語もできない私にとても親切にしてくれた。ランチのおばちゃんは1回おつりがまだないからとお金を受け取らずにチェブジェンをくれた。もちろんお皿を返しに行った時ちょうどの金額を払ったよ。おばちゃんはすっかり忘れてて私もちゃんと伝えられずにいたら隣に英語のわかる人がいて伝えてくれた。おばちゃんはそうなんだ~って感じで「ジェレジェフ(ありがとう)」と言ってくれた。こちらこそジェレジェフだ。

DakarからCasamanceへ行く方法は飛行機、車、そしてフェリー。飛行機は予算面から削除、車は乗り継ぎが多いのと最低11時間かかるということで削除、残すはフェリーでGoree島に行くポートから出ている。Serigne FallouファミリーのMy Brother Omar Diaがチケットをとりに行ってくれたが、翌日のチケットは売り切れで早くて5日後だと言う。チケット売り場は朝8時でも人が一杯でやっと買えたチケットもチケット売り場近くにいた人にチョットしたお金を渡してやっと買えたらしい。フェリーは夜8時出発で目的地のZiguinchorへは翌日12時着。チケットは3段階に分かれている。1等は完全個室、Oumar Diaが買って来てくれた2等は2段ベッドが4つ向かい合わせになったコンパートメント、3等はリクライニングできない飛行機の椅子みたいな感じで正面にはテレビが放映されている。フェリーの中にはレストラン、カフェ&バー、トイレ、シャワー、そしてイスラム国らしくお祈りコーナーが設けられている。11月のセネガルの夜は結構冷え込んでいて特に船上デッキは風が強いので寒い。しかし早々には眠れないので船上デッキで過ごす。この夜は満月だったので船上で月光をたっぷり浴びた。ポートを離れて完全に海上に出た頃からデッキで飛び交う黒いもの。。。えっ?!まさかと思うけどゴキブリ?いえいえゴキブリではなくなんとコオロギ!
ホテルでも毎晩部屋の中にコオロギを発見。。。ベッドに上がってくるわけでもなく部屋を横切るのでドアを開けて出て行っていただいた。

フェリーにキャパシティ以上の人や荷物を載せすぎて、2年前には事故があったそうだが、昼12時頃無事Ziguinchorに到着。ターミナルで預けた荷物が出て来るのを待つ。乗船には手荷物1個しか認められず、それ以外の荷物は預ける。荷物は地べたに並べられ自分で見つけて荷物につけられた手書きの名前とチケットの名前を確認してもらい完了。
Ziguinchorから目的地Cap Skiringへの行き方と値段は、Serigne FallouファミリーのFallou Diopが事前に教えてくれていた。ポートを出るとタクシードライバーが声をかけてくるが無視して並んでるタクシーに乗る。Cap Skiringに向かうセップラスに乗るためガラージに向かうためのタクシー。もうひとりセネガル人とふたりだったけど値段は聞いてたよりも100CFA安かったのでヨシとする。ここでもドライバーは英語が話せたのでちょっと緊張感が緩んだ。ガラージはたくさんの人と車と食べ物やモノを売る人でいっぱい。すぐにおっちゃんが声をかけて来るのでCap Skiringと伝えたらチケットを売ってるところに連れて行ってくれた。セップラスは7人集まると出発なので、それまでの時間にセネガルのハイビスカスジュースBissapを探してると、おばちゃんが持って来たると言う。その代わり自分が売ってるカステラも買ってと控えめに言う。おばちゃんの行動力に負けた。笑 カステラ美味しかったー。

セップラスはドライバーの横にひとり、真ん中3人、後3人と乗った順に後から埋めて行く。ZiguinchorのガラージからCap Skiringのガラージまで1時間半のはずが、途中何度もセキュリティーチェックがあったのはパリでのテロ事件の影響か?元々Casamanceはセネガルから独立を望んでいて内戦が起きた事もあるので道中アーミーを乗せたジープにも数台すれ違った。遅いからとFallou Diopから電話が入る。DakarではOumar Diaが私のブラザー、Cap SkiringではFallou Diopが私の伯父さん。
2時間半後に無事Cap Skiringに到着。Fallou Diopに電話すると笑顔で出迎えてくれた。Fallou Diopに会うのは去年のファーザーのお葬式以来。

まずはFallou Diopの家へ向かう。家族は奥さんのCodou、息子の嫁Khadi Diatou、そして孫のMame Ndoumbeの3人。息子は2人居るがひとりはKaolackで学校の先生をしていて、もうひとりはイタリアに住んでいる。Kaolackにいる息子の家族がDiatouとMame Ndoumbeだ。1ルームまたは2ルームの部屋が10件ほどが同じ一角に集まっていて、トイレとシャワーをする場所は共同。Fallou Diopは8畳ほどの部屋に奥さんとふたり、DiatouとMame Ndoumbeは向かいに住んでいる。Fallou Diop以外は英語を全く話さない。
Fallou Diopが「ところでココCap Skiringではどこにステイするんだい?」と聞いて来た。Oumar DiaはFallou Diopが全て段取りしてくれるから何も心配ないと言っていたので、てっきりFallou Diopの家にステイできると勝手に思っていたがどう見てもそのスペースは無い。。。かといってホテルに長期泊るほどの予算は無い。
思わず「予算が無いのでここの床でもいいんですけど。。。」と言うと、「この敷地内に一部屋空いているが私たちの生活は貴女達白人とは全く違うから。。」と何度も言う。「Fallouが知ってる様に私はMagalの時Toubaでテントで寝泊まりを何度もしています。」と言うとCodouに「そうだ!彼女はYaye Fallだ!Toubaで経験しているから大丈夫だ。今から部屋をそうじするんだ。ここに居ればちあきの事も見れるし。」と言って部屋を貸してくれることが決まった。よかったーーー!!!

部屋は8畳と4畳半くらいあり床はコンクリートで屋根はトタンなので扇風機を買わないと暑くて眠れないと言う。部屋にあったマットレスを使っていい。シーツはCodouが貸してくれ、入り口と窓にカーテンをつけてくれた。ココが40日間私の部屋で食事付き。シャワーはFallou Diopファミリーが使っているFallou Diopの敷地内のスペースで浴び、トイレは共同トイレを使う。ランチを食べてからFallou Diopと扇風機を買いに行く。生活雑貨店を2-3件回って1台購入。部屋は日中トタンが焼けて夜でもかなり暑い。扇風機は24時間回しっぱなし。NYのアパートがトップフロアで夜でも30℃近くあった日を思い出し、なんだか懐かしかった。

部屋の段取りが整った後はFallou Diopがショップを持っているArtisana Villageに行く。Artisana Villageはクラフトマーケットみたいな場所でFallou Diopはここでアフリカンマスクを売っている。他にはシルバージュエリーを作って売っている人、テーラー、木彫りの彫刻、キーホルダー、布など全部で100件ほどが集まっている。Fallou Diopはここへ向かう道すがら、そしてArtisana Villageで色んな人に私の事を「彼女はSerigne Fallouの弟子でYaye Fallだ。」と紹介して回った。白人の彼女が?と思う人の方が多いだろうが、Fallou Diopの人徳もありみんなが快く迎えてくれた。本当に有り難い。

今回の旅ではWADA-AFRICAをここセネガルで販売してみたいという気持ちから商品を持って来ていたのでFallou Diopにそのことを伝えると、慌てず様子を見ながら実現していこうと言ってくれた。ここではfallou Diopに従うのがいいと思ったので様子を見ることにした。

今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。引き続き思い付くままにCap Skiringでの出来事を書いていこうと思います。よかったら読んでねー!

PEACE and LOVE


FULL MOON ON A FERRY



SKY IN DAKAR