WADA-AFRICA in NEW YORK!!! -2ページ目

WADA-AFRICA in NEW YORK!!!

NEW YORK生活の中で心に浮かんだひとりごと。。。
気付いたらアフリカにも足を伸ばしてた!
PEACE and LOVE.

ずっとしてみたかったセネガルでの長期滞在。実現した!2か月!イエーイ!今まで最長で3週間の滞在しかしたことがなく、ほとんどが布やアクセサリーの買い付けやテーラーにバッグを作ってもらったりして終わってたので、Magalの時にToubaに行く以外は首都Dakarを中心に近郊にしか行ったことがなかった。そして、これらの行動はいつも誰かが一緒についてきて通訳してくれた。それはそれでとっても有り難い。でも今回はひとりでセネガルの南方Casamance地方にあるCap Skiringという町まで行き、自分の部屋を借りて40日間生活したよ!そして、行ってみたかったガンビアにもひとりで行ってきたよ!この行動をするにあたって、セネガルのお父さんSerigne FallouのBaye Fallファミリーの暖かいサポートと支え、各地で出会った素晴らしい人たちの協力無しでは実現しなかった。滞在中の2か月間全て本当に恵まれていて必要な状況が信じられないくらいオンタイムに現れた。例えば、現地語ウオロフのボキャブラリーが少なくてどうしても伝えたいことがうまく伝えられない。。。と思った瞬間英語のわかる人が隣にいて助けてもらったことが何度も!Cap Skiringからセップラス(シェアタクシーでお客さん7人乗り。フランス語で7はセッから来てる。)に乗りガラージ(大きな中継地点)に着いた瞬間タクシーはどこで乗ればいいかな?とそこまで来たセップラスのドライバーに聞くと、少し離れたところにいるタクシーを大声で呼び止めて次の行き先まで言ってくれ、重いバッグを持ってタクシーのところまで行こうとすると後ろからヒョイとバッグを持ってタクシーまで持って行ってくれるお兄ちゃんが現れた。毎回「すごい!」って独り言を言ってた。笑
本当に感謝でいっぱい。
毎日が天使に守られてた。そして自分も常に愛で溢れた感覚があり瞑想をするとメッセ-ジを受けけとることも多かった。そんな心の声に従って、ガンビアではふたりのガンビアンにレイキのフルセッションをする機会もあり、セッションのあとはハートがオープンしたようで心の奥の方にあることをシェアしてくれた。セネガルでもふたりに簡単なレイキセッションをする機会があったり、腰痛のおばちゃんに私の知ってる小さな知識だけど天城流を使ってみたら痛みがとれてとっても喜んでもらえたりと、私にできることを精いっぱいやってみた。後で思えばこれらは今回の旅でのミッションでもあったんだな~~と納得。そして、お父さんのSerigne Fallouが言ってくれたことが少し実現出来たような気がする。”アフリカに愛を広げなさい。自分の思う様にしなさい。”

そんなこんなで2ヶ月の旅のブログを書こうとメモ帳にはトピックスがいっぱい。気がむけば少しずつでも書いて行きたいと思う。

そうそう、旅が始まってすぐの段階でカメラ代わりと持っていた携帯とタブレットを同時に失くした。当初この出来事は大事件だったけどその後の展開を考えたら。それは起きるべきして起きた事だったと思う。結果としては感謝以外の何ものでもない。

ということで写真はほとんど無い。現地調達したスマホの写真のクオリティは最悪で。。
写真を撮る気にもならず。。そして、撮ったわずかな写真もファイルとして保存されていないのでほとんど消えちゃってるという悲しい結果に。でも、私の心にはたくさんの美しい人々との思い出や風景で溢れている♡

とりあえず気のむくままにエピソードを書いてくのでよかったら読んでねー!

今日も最後まで読んでくれてありがとうございます♡

Peace and Love.

PHOTO : SUNSET in Cap Skiring

         広島には記憶に無いくらい前に1度だけサラッと行ったことがあるはず。。。なんだけど、あれは夢だったのかな。。。?今回全く初めての感覚だった。

そもそも今回広島に行こうと思ったのは、NYで2回受けた事のある、杉本鎌堂氏率いる天城流湯治法ワークショップ『からだ会議』が広島であると知り参加したいと思ったから。開催日は8月5日。広島の原爆の日の一日前と知ったのはホテルが全く取れず、これは行く必要ないってことか。。。と諦めた時だった。
日本中から、そして世界中からこの日をめがけて広島にこんなにたくさんの人が来るなんてWHO KNOWS..

しかし!諦めて1-2時間した後に電話が鳴った。知らない番号。。。。普段は絶対に出ないけど、なんとなく出てみた。そうすると、「さっき電話もらったみたいですけど?」
何件もかけたので、きっとすでに断られたゲストハウスの人が間違ってかけてきたんだろうと思い。
「あ、もうさっき空いてませんと断られましたー。」
「えっ?日にちはいつですか?」
どうせ無理だろうと思いつつも「8月4日の1泊です。」
「4日ですかー空いてますよ。」
「えっっっ???!!!マジですか?」
そうです。広島に呼ばれました🎆
慌てて夜行バスを往復とって決定!!

3日の夜11時45分大阪の梅田発ー4日6時55分広島着

梅田はすっかり変わってて、地下鉄降りて何度と人に聞きながら、時には英語で説明されながら、
バス乗り場に辿り着くのに35分もかかっちまったぜ。すっかり浦島太郎^^;大阪はBIG CITYじゃね!

翌朝、広島駅近辺に到着。すぐに駅で顏洗って歯を磨いた。このバックパッカー的な旅の仕方が妙に好き♡
『からだ会議』までは時間に余裕があったので、宿に行ってチェックインすると同時に荷物を減らして出かけることに。
一楽旅館と名乗るこの宿は建物の中心に池があるかなり古い佇まい。8時前に到着して玄関で「おはようございまーす!」。。。誰も出て来ない?もう1度「おはようございまーす!」 そうすると、玄関横の小さい部屋からTシャツにトランクス姿のおじさんが出て来た。そうです。オーナーさん寝てるの起こしちゃいました。もう8時ですけど? 4畳半くらいの和室のお部屋。お風呂、トイレは共同。浴衣姿の外人老夫婦が歯を磨いてた。1泊3500円としては文句なし。部屋もすごく綺麗ではないけど、あのおじさんが掃除してると思えばこんなもんかと妙に納得。木の廊下も階段も軋む音がするけど、それも情緒があるとする。

『からだ会議』が開催される太光寺までは路面電車を使って古江という駅に行く。約30分外の景色を見ながらゆっくりと流れる時間に心地よさを感じる。

古江からはスマホの地図を頼りに太光寺を目指して歩く。ふと見上げると山の上の方にお寺らしい建物がいくつか見える。それにしても坂が多い。日本に帰って来てから大阪の谷町界隈、そして母の住む富田林界隈と坂が多い。なんか坂に縁があるな~~と言いながら、段々強くなる日差しを全身に浴びながらひたすら歩く。スマホは坂道表示してくれないもんね。。。
そして、昇り坂がよりキビシくなろうとした頃、女性2人が乗った1台の車が止まってくれた。「からだ会議に行かれるなら乗って行きませんか?」 ひゃ~~~天使が降りて来たよ♡♡ ありがとうございます!!!
車に乗ってからの距離と昇り坂。。。歩いてたら大変じゃった。。。本当に感謝です!

『からだ会議』は鎌堂先生を筆頭に、西洋医学・伝統医療出身の痛みをとるプロたちが全国から集結。お寺の和光住職も含めすばらしいお話をして下さいました。そして、トリートメントラリーでは会場から希望者を募り、先生方が目の前で施術していかれます。中には目に見えて体の変化が見えたり、施術を受けた方々も信じられないといった感じで喜んでおられた。会場にはショートセッションのコーナー、手作りグッズ、お弁当、スイーツなどからだにいいことブースがたくさん。
そして、イベントの最後はその時に降りて来る神からのメッセージを歌にされる茶喜利さんという方のコンサートは最高だった。心に残った言葉「みんなひとつなんだよ。すでにひとつなんだよ。」
コンサート中茶喜利さんの横ではお香の調合師玉置美和さんが素晴しいお香を焚いて下さった。
目を閉じて茶喜利さんの歌詞を聞いてると胸から込み上げて来る至福の涙が流れた。

”本当に来てよかった~!!!”

幸福感いっぱいで市内に戻って行き、少し手前で電車を降りて夕食をとる場所を探した。
思いのまま歩いてると、旅館のすぐ近くにある小さなゴハン屋さんに感じるものがあった。おばさんがひとりでやってるカウンター5席ほどのお店。テレビでは野球放送が流れてる。さすが広島じゃけ。
お母さんの作ったきんぴらごぼう、野菜の煮物、アジの南蛮漬けなどをいただきながら、冷えたビールを飲む。明日は宮島に行く事を言うと色々と見所を教えてくれた。そして、自分の息子さんの話からおばさんの小さい頃の話になり、原爆投下された頃の話をしてくれた。今回原爆ドームに行く予定はしてなかったけど、
気持ちが変わった。明日早起きして、宮島に行く前に原爆ドームに寄って行こう。

翌朝8月5日、6時半に目覚め、もう一度シャワーを浴びて支度する。一旦広島駅に行って荷物をコインロッカーに入れ、大好きな路面電車で原爆ドームへと向かった。

原爆ドームは前日も電車から見ていた。思ったより小さかった。いや、本当はもっと大きかったのに原爆で焼けて小さくなってしまったような気がした。翌日の式典に向けて準備が進められている中、既にたくさんの訪問者で溢れていた。公園内を通り抜けて資料館に向かいながら涙が流れた。ふいの事に戸惑い押し殺した。でも、またふっとすると流れる。資料館前には世界中のボーイスカウトの若者達が何台ものバスで来ていた。資料館の中も満員電車状態で展示物を見る事ができないし、全く前に進まないので早々に諦めた。
ここは今度ゆっくり出直して来ようと思った。

広電に戻る為に式典準備の中を抜けるが、やはり込み上げてくるものがある。。なんなんだろう。。

広電からフェリー乗り場へ。宮島に到着。フェリーに乗ると一瞬セネガルのゴレ島に向かう感覚が蘇って来た。

さっそく厳島神社へと向かった。海に浮かぶ美しい朱赤の神社。異常に惹かれる神社に共通するこの朱の赤。観光客で賑わっているけれど心は妙に静かで居られる不思議な空間だった。必要の無いものは海へと流されているのかな。

詳しい下調べもせず、電車+フェリーの1日券を買うとロープウエイが割引きだったので、単純にロープウエイに乗る事にした。ロープウエイは以外に空いていて、なんとひとりで1台のロープウエイ乗るはめに!
乗った瞬間にドアがバタンと閉められ、あれ?!マジかい!
結構急な登りでズンズン昇って行く。帰ってくるゴンドラもほとんどが無人で、時々揺れるし。。。いやいや、もし今停まったらーもし今落ちたらーとか、なんでそんな恐い事ばっかり頭に浮かぶかな~~~
しかも、着いたと思ったら「乗り換えです~」えっ?!まだ乗るんかい!!今回は少し大きいゴンドラで、他に3人一緒だったので大丈夫!あーーーヨカッタ!!!はい、ワタクシ高所恐怖症ですねん。

ロープウエイを降りて展望台に上がるが、湿気が多いせいか少し雲がかかったようで良く見えない。
そして、そこから弥山山頂を目指して歩いた。サンダルを穿いていたが、いっぱい歩くと予測して靴を持っていて大正解。ちょっとしたトレッキングとなった。ここでも結構急な登りと下りを繰り返す。なんといっても暑い!サインには30分とあったが、軽く1時間はかかった印象。
途中いくつかの神社があり、中でも”きえずの火”は弘法大使が修行に使った火が今も燃え続けており、広島平和公園の”平和の灯火”の元火でもあるという。
弥山山頂近くになると巨大石が登場する。それら巨大石の持つエネルギーはとても強い。
山頂に着くまで暑くて少し立ち止りながら歩いたが、相変わらず心はずっと平静だった。山頂にいた数人の人たち、途中に出会う人たち、みんながすごく穏やかだったのがすごく印象的。
山頂には展望台があり、木の大きな台が設けてある。靴を脱いで上がりみんなゴロンとなって、山頂に吹く涼しい風を楽しむ。

下山してからは千畳閣や五重塔に行き、その後町家通りを歩いた。通りの終わりの辺りでガラス小物を売ってるお店に入った。カラフルなガラスのアイテムにガラス窓やガラス戸から差し込む日差しが当たってとても綺麗。オーナーさんは「ガラスは光で見え方が全然違うので、気になるアイテムがあったら是非外に持って行ってみて下さい。」とおっしゃった。この方は本当にガラスが好きなんだな~。
その時、店内にかかっているサンキャッチャーに目が行った。光に当ててみていいですか?とお願いした。
窓際に持って行くとレインボウの光が砂のように広がった。「うわーー!!!綺麗!!!!けど、ひゃ~~~鳥肌立ちまくりです!!!」「なぜだかボクも鳥肌立ってます!!!」と彼の腕を見ると、うわっ!!!スゴイ!!毛が直角に立ってますけど!色々説明もしてくれながら、また光にあてるとまた鳥肌が!!!なんじゃコイツ!!買うしかないでしょ!運命の出会いとしか言えないサンキャッチャー。

5時半ごろに海辺を歩いて喉が渇いたので生ビールを飲む事に。引き潮で大鳥居の近くに行けるのは何時かな~と考えながらぼんやりとしてると6時半になった。そうだ、日没を見てから帰ろう。もう一杯生ビールと枝豆をお盆にのせてもらって海の近くに座る。お店の方も「綺麗だから楽しんでね。」と言って下さる。

7時15分ごろ山の向こうに陽が沈んだ。フェリー乗り場に向かう時には引き潮で大鳥居までたくさんの人が歩いて行っていた。私も海を歩いて近回りして乗り場まで行った。

たった1泊2日の広島の旅だったけど、素晴らしい体験がいっぱい詰まった濃い時間だった。広島の方達の控えめながらも親切で優しい人柄と、川が流れる市内もとても美しい。時間の流れがゆっくりな感じも大好き。もちろん『からだ会議』で出会った他県からの方達もとっても素晴しかった。

来年は太光寺の護摩炊きに参加したいな~~。

山口県にも行ってみたいな~~。

広島から戻ってからの2015年8月6日は、今までと全く違う感覚となった。『平和』と『祈り』。
このふたつの言葉が自分の中にクッキリと刻み込まれたような感覚。それはとっても強くて世界へ広がるくらいの大きさだ。

PRAY FOR PEACE♡

長々となりましたが、最後まで読んで下さってありがとうございます!

PEACE and LOVE.


















今日、『かみさまとのおしゃべり』の著者さとうみつろうくん(なぜかみつろうさんではなくて、みつろうくんと呼びたくなるのも彼のミリョクの一つだと思う)のワークショップに行って来ました。
この本は去年の春頃に知って、入手したのは11月ごろ。1回読んでも全ては理解できなかった。その後も読み返して行く中で少しずつ、”うんうん”って納得できるようになって行った。
でも、どうしてもクリアにならない部分があったのが、今日なった気がする。

ここでみつろうくんのことを詳しく書くことはしないので、興味のある人はとりあえず『かみさまとのおしゃべり』を読んでみてくださいね。もし今あなたに必要であれば手に取ることになるでしょう。

今日のワークショップはみつろうくんの出した2冊目の本をベースにしたもので、彼はワークショップと呼んでいた。本のタイトルは『あなたが人生でやっておくべき、ひとつのこと』。答え、言っちゃいます。それは”やりたいことをやる。”です。私たちは幸せになりたいと思っています。自分にとって幸せって何か。。。この本を読み進む事で見つかる。。
幸せか、不幸か、それは自分で勝手に決めてる事。また、「。。。しなくてはいけない。」「。。。してはいけない。」という勝手な思い込みで、自分のやりたいことをできなくしている。
それをどうしたらいいか。。。本買って下さい♪本には空白がいっぱいあって、書き込んでいける形になってます。

本をベースにしたワークショップが第一部。第二部はみつろうくんのピアノによるカノン瞑想。
なんとこれは私が5月に受けたヴィパッサーナ瞑想だとな!!そうなんです!自分を客観的に視るということ。これが私がずっとクリアにできなかった本の中の『キー』の部分でした!!
そして、なんと今日の夕方久しぶりにヴィパッサーナの1時間グループ瞑想に行く予定にしてたの!!全てシンクロなんだな~~~

カノン瞑想で涙すする声が聞こえて来た。私は客観的に視た自分に『ありがとう』という最後のところで涙がこぼれた。

うん、うん、私がこの世に産まれたのにはちゃんと理由があって、起きる事全てはすでに決まっている。だからなんも心配しなくていい。しんどいことも、苦しいことも、嬉しいことも、感謝することも。全てうまくいっている。それを全て受け入れて感謝する。そう、今がベスト。

みつろうくんのワークショップ+ヴィパッサーナの瞑想=最高の1日!!!!

本当にありがとう!!!!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
PEACE and LOVE♡

***ココ編集しました!今回時間が押したので、一緒に写真は撮れなかったのですが、『ハグ』はありました!!その時に『今のままでいいですね!』『そうなんです!今のままでいいんです!』ヤッター!!そして、”NYでみんな待ってます!”って言ったら、”10月にNYでちゃんとやりますよ!”って言ってたよー!!!NYのみんな楽しみだね!!!









行って来ました韓国へぷらっと一人旅。Mers騒ぎの中なんでわざわざ行くん?と思われた方も多いと思う。
4月末に日本へ帰国した際アメリカのパスポートで入国したので、3ヶ月以内に日本を出ないと不法滞在になる。そこで1番安くて手っ取り早いのが韓国だった。韓国へは25年くらいぶりかな?

安くて評判のPeach Airで行った。早朝に関空を経ち、3日後の夜遅くに戻って来るという3日間丸ごと楽しめる予定。ホテルは明洞というソウルのショッピングタウンの中心地の小さいホテル。
飛行機は十数名の日本人以外は韓国人の若者たちで満席。ソウルの仁川国際空港まではたったの1時間半。ちょっとウトウトしたら到着。空港から明洞までバスに乗った。窓の外に見える景色は日本の田舎と変わりない。ソウル市内に近づくにつれ高層アパートが現れ、漢江が見えた時に”あ~ソウルに来たんやな~”と思ったらワクワクした。

ホテルにチェックインしたらすぐに明洞を歩いた。明洞は韓国の若者達が買い物に来る渋谷みたいな感じと言えばいいのかな?メインストリートに軒を連ねるのはコスメのお店。同じお店が各ブロックにありお客さんの呼び込みをしている。ブティックはH&M, Forever21, Uniqulo, Zaraなど見慣れたお店が目に付く。今回は買い物をする予定はないのでストリートの真ん中を歩いて素通りした。

ちょうどお昼時だったのでお腹も空いた。何を食べようか歩き回るがお店の多いこと!韓国と言えば焼き肉だが、私のテーマは”ベジタリアン”。韓国でベジタリアンって。。。???
NYにあるヴィーガンの韓国レストランが大好きで、ソウルにもきっとあるだろうから食べてみたいと思っていたら、友達から借りたガイドブックにも数件のっていた。でも、それらは明洞からは少し離れていたのでテキトーに歩いて決めた。この日は韓国のり巻きキンパプを食べた。美味しかったけどめちゃくちゃ辛かった。おそらく一緒に巻かれていたするめのキムチが辛かったか、グリーンペッパーも巻かれてたので唐辛子のせいかもしれない。セルフサービスのキムチはさすが!美味い!スープは化学調味料の味しかしない。

朝3時起きで眠かったのと湿気が高く蒸し暑いので、5時頃ホテルに戻りガイドブックを見ながら予定を立てた。そして、夜は今回のもうひとつのテーマ”体のメインテナンス”に沿ってアカスリに行った。日本に20年住んでいたという韓国人のおばさんがやってるスパ?と言えばいいのかな。アカスリ屋さん。中途半端な時間帯だったからかお客さんは誰もいない。Mersの影響で日本人観光客がめっきり減って打撃を受けてる感じがヒシヒシと伝わって来てそのことに触れる事はできない。
お風呂とサウナに入った後、黒いブラとパンツ姿のおばちゃんにたっぷりとアカスリをしてもらいお肌はツルツル!8時半頃に終わってスーパーでソジュを買ってホテルに戻った。翌日のプランを具体的にして就寝。

2日目は早起きして朝ごはんはお粥とフルーツジュース。その後は昌徳宮へ行った。いや~~~めーーーーーちゃ広い!!!デカイ!!!!ひとりなのでちょっと足早に歩いても4時間半。その後は同じ敷地内の博物館へ。もうフラフラ~~。普段朝ごはんを食べないから朝のお粥でお腹はまだ空いてないけど、座りたい気持ちから仁寺洞にあるヴィーガンレストランへ。そこはオーナーが僧侶だった時に食べていた精進料理を出すお店。広い店内のお座敷に通される。2時近くだったので店内には2組のお客さんがいただけ。ここは1つのコースのみ。最初に大きなお皿が2つサーブされた。最初はこれで全てだと思ったが、これはあくまでもアペタイザーでしかなかった。お皿の上には様々な野菜、キノコ類がひとつずつ素材の味を活かして見た目も美しく盛られていた。ソジュを飲みながらひとつずつ味わっていただいた。そうしたら、次のお料理が運ばれて来て思わず「WOW~~~!」と言ってしまった。7種類の緑の野菜、その周りにはパンチャのような小鉢もの、チゲ、ゴハン、生野菜とディップ。テーブルが埋まってしまった。そう、コースは2人でシェアするのが一般的のよう。最後にデザートとお茶が出た。ゴハンを除く他のものは2時間半かけてほぼ完食した。どうしても残したくなかった。もちろん美味しかったからいただけたのだ。食べ過ぎやけど大満足!!

その後は昔ながらの建物が残っている北村というエリアを歩いた。明洞はゴチャゴチャしてて車も多いし、到着した時に「参ったな~」と思ったが、仁寺洞や北村は静かで緩やかな空気が流れ散策していても心落ち着く。韓国の昔ながらの家屋を楽しみながらゆっくり歩いた。
そんな中お寺を見つけた。若い女の子がお経のようなものをあげていた。私も急に瞑想がしたくなって、靴を脱ぎ座布団をひとつとってあぐらをかいで座った。正面には美しい仏像が置かれていた。女の子のお経が響き渡る。私はただ座る。女の子がお経を終えて部屋を出た後、ひとり静かに座っていると涙が溢れて来た。どんどん流れて来た。ランチで飲んだソジュのせい?いや、違う。何か浄化が起きてると思った。何かはわからないけど、ここ韓国で浄化をする意味がきっとあったんだなと思い、ただ涙の流れるままにした。そして、涙が止まった時体全体に爽快感が溢れた。
”あ~私はこの浄化のためにここ韓国へ来たんだな。”

2日目の夜はお風呂屋さんへ行った。お風呂とサウナを堪能した。昼間にたくさん歩いた疲れをとれることに感謝した。

最終日は雨。ゆっくり起きてホテルをチェックアウト。少しだけおみやげと頼まれものを買いにデパートとスーパーマーケットへ行くことにした。高いビルに囲まれた歩道を歩き、デパート内を歩いたらすぐに疲れた。前日の散策が思い出される。「今回の旅は終わった。早い目に空港に行って本でも読もう。」と思った。

この日のランチはベジタリアンのテーマに逆らって参鶏湯を食べた。毎晩体メインテナンスをしていたけれど、毎日湿気の高い気候の中長時間歩いたのでやはり体が疲れていると思った。”Mersにつけ込まれてはなるものか!”と思い、パワーアップの意味で参鶏湯にした。そこは参鶏湯で有名なお店のよう。メニューは4種類くらいしかなく、全員が参鶏湯を食べていた。鉄のお鍋がグツグツに煮えて来る。とても美味しかった。暑いからこそ漢方も含めて体を温めて元気復活!
ランチのあとは、最後の体メインテナンスで60分のマッサージを受けた。

ホテルに荷物をピックアップする前に空港で食べるものを調達。初日に食べたキンパプを買った。
韓国にはファーストフードチェーン店が山ほどある。でも、このキンパプはお店でお母さん達がオーダーを受けてから巻いてくれる家庭料理のようだ。明洞ではたくさんの老若男女が日本語を話す。日本語メニューもある。このお店のオーナー男性も日本語を上手に話した。今回の滞在で初めてMersでビジネスに影響が出ていることを聞くことになった。

バスへ空港へ向かった。ゲートには韓国の若い子達が日本行きにエキサイトしている。機内はやはり満席。日本人は私だけだったかも。

日本でも韓国でもTVで騒がれているMersだったけど、ソウルでマスクをしていたのは日本人旅行者くらいで、韓国人は95%の人がマスクなしだった。韓国に入るときも、関空で入国するときも特にチェックなし。最近は熱センサーがあって、発熱している人はわかるらしいが、もし発熱に至ってなければMers菌は自由に飛び回っていることになる。私は韓国から戻って来て丸1週間だけど、有り難い事に体調に変化なし。

久しぶりの気ままな旅はとても楽しかった。機会があれば韓国の田舎や歴史のある街を訪れてみたいと思った。そして、無事に日本のパスポートで日本へ入国。これで私も日本人だ!

今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。感謝♡


    久しぶりのブログfrom JAPAN!日本に戻って来て1ヶ月半経ちました。帰国すると決めてからは、20年分の荷物の処分で終わった気もするけど、ちょうど雪の多い時期だったのでウチに籠るにはベストタイミング。その合間を縫って愛する人たちと希望と再会を語る日々がありました。最後までたくさんの愛に支えられ、ここ日本まで戻って来ました。そして、ここ日本でまたたくさんの愛に見守られながら今日を迎えています。

NYに居る時、何度も行きたいと思いながら実現しなかったVipassana瞑想。ブッダの修行をベースにした瞑想テクニック。NYからだとボストンのセンターが一番近く、なんども予約カレンダーを見ていたけど、結局予約に至らなかった。今回、日本へ引き上げるにあたり帰国後の予定がまっ白な状態の中、唯一この瞑想予定だけが決められた。ある日ふっと。。。帰国して1ヶ月後くらいに自分の中で何か揺さぶられる感情が上がってくるのではないか。。。?という思いつきがきっかけだった。実際そういったものは無かった。家族や友達には本当に心底感謝。みんながそーーっと見守ってくれている。本当に有り難い。。。♡ でも、タイミングとしてはきっとベストだったと思う。

当日現地に着きコースが始まるまで、Vipassanaに関して全く知識はなかった。長年瞑想がうまくできない。いつも頭の中でのおしゃべりが消えない。瞑想=無になると思い、うまくできないことが気になってた。Vipassanaで瞑想とは?瞑想とはなんぞや?を学べたらという軽い気持ちで参加した。

コース中の1日のスケジュールはこんな感じだったかな。
4:00am 起床
4;30am 瞑想
6:00am 朝食
8:00am グループ瞑想
9:00am 瞑想
11:00am ランチ
1:00pm 瞑想
2:30pm グループ瞑想
3:30pm 瞑想
5:00pm tea time
6:00pm 瞑想
7:00pm グループ瞑想
8:00pm 講話
9:30pm 就寝

グループ瞑想は指導者の元、瞑想のガイダンスなどが教えられ、基本瞑想ホールから1時間動いてはいけない。その他の瞑想は瞑想ホールまたは自分の部屋で行うことができる。
到着時に受付をする時から男女は完全に分けられ、沈黙が始まる。沈黙とは一切の会話はなく、アイコンタクトやボディランゲージも禁止。体をふれあう事も禁止。もし、何か必要な場合は男女それぞれのマネージャーさんに話す事ができる。瞑想に関して質問がある場合は、昼の12時からの30分間と講話の後に指導者との対面が許される。

最初の瞑想方法を経て、5日目からVipassana瞑想テクニックに入る。

アウトライン的にはこのようなプログラムで、後は箇々それぞれ体感することは違うと思う。

私個人の話をすると。。。「何それ!お前の腹の音の話なんか聞きたくないぞー!」と言われそうだけど、私はコレなんです。笑 

最初の基本瞑想をする時からそれは始まった。瞑想のために座る事は思うほど辛くなかった。それよりも。。。私の人生でここまで長い時間静寂に過ごすのは産まれて初めてで、なんといっても時間割りで生活することはメチャクチャ久しぶり。お腹が減っているいないに関係なくゴハンの時間はやってくる。そして、全員沈黙のままトレーに食べたいものを取って食べる。まるで囚人のような光景。。。が第一印象だった。ただ、これが後半には咀嚼の大切さや、感謝してゆっくり食べる事に集中することを学ぶ。お食事もボランティアの方達がサーブして下さる玄米を中心としたヴィーガンのシンプルな和食。後でわかったが、マニュアルがあってそれに従ってのお料理だが美味しい!

さて、私の問題は瞑想で座る事ではなくお腹が賑やかになる事。瞑想ホールには男性約40名、女性約40名が分かれて座る。前方中央の高座には指導者の方が座っておられ、必要事項はマネージャーさんから小声で伝えられる。その様子はセネガルのファーザーSerigne Fallou Fallを思い出させた。気が散らない様、窓とカーテンは閉められるので、薄暗い照明の中で瞑想は行われる。朝4時に起床して4時半から座るが5時を過ぎた頃からお腹はグルグル大合唱。瞑想どころではない。集中力ゼロ。他に鳴っている人もいるが、どうも自分の音は最大のように感じる。実際そうなのかもわからない。。。とにかく横に座ってる人に申し訳ない。きっと彼女は私の腹の音で集中できないに違いない。。。!!!ひと言「ごめんねー!!」と言いたいが沈黙なので言えない。では、部屋で瞑想しようと思って部屋に居ても、部屋で瞑想している他の人たちに申し訳ない。。。ぅぅぅぅ。。辛い!!

思い余って4日目のお昼、指導者の方に相談する事にした。「あの。。。お腹が鳴って集中できなんです。。」その方は毎日グループ瞑想の時ホールに来られ、ガイダンスのテープをプレイすると共に最後までみんなと瞑想される。そして、3日目初めてこのコースを受ける私たちが、それまでのプロセスが理解できているか聞いて下さった。その時初めて聞いた声と優しい笑顔が菩薩様のようで、またファーザーと重なり、後で涙がいっぱいこぼれた。「みんな鳴ってますよ。私のところまでは聞こえてないから気にしなくて大丈夫。逆にお腹がよく働いてくれてると言う事です。」と優しく言ってくださった。「はい。みなさんが私のお腹の音も気にならないくらい瞑想に集中して下さる事を望みます。」その優しさでまた涙を流し、随分気が楽になった。

今から思うと、この頃からすでに浄化が始まっていたんだな~~

しかし。。。。私にとって消化が難しい玄米食はお腹の中で溜まり、ガスも溜まり、お腹はフル回転で活動してるからウルサイのなんのって!お腹が減ってる時ばかりか、ゴハンを食べた後も、その間もグルグル~~~!!!もう訳わからんし~~!!!これは完全に私のストレスとなった。
その頃、Vipassanaのプロセスに入り、最初のプロセスより一層集中力をもとめられる。なのに、私のお腹は完全に逆行。もうアカン!!!「まず最初の2-3日で、散歩できるコースをグルグル回りながら"What am I doing .....what am I doing...."を唱えてた。もう帰ろうか。。。朝4時に鐘が鳴ると「もう無理~~~!!!イヤ~~!!」と心の中で叫び続けた。ひと言「瞑想のジャマしてごめんねー!」って言えたらどんなに楽だったろう。。。最後には「私はこの経験から一体何を学ばされているんやろう?瞑想について学ぶはずが、お腹が鳴って集中できない。なんの意味があるんやろう?なんの為にここに来る意味があったんやろう?」とまで思い始めた。

そんなある朝自分の部屋で瞑想してた時にレイキの発霊法をやろうと思った。Vipassanaのコース中他のヒーリングや瞑想テクニックは一切使ってはいけないと言われていたが、あまりの辛さにレイキとミューアペンダントをつけ始めた。これはVipassanaへの逆いでも何でも無い。ただ、この朝レイキをしたことをきっかけに流れは大きく変わったのは事実。

6日目の朝の発霊法で再度相談しに行くという閃きがあった。そして、お昼に指導者の方に会いに行った。「あの。。。聞いていただくだけでいいんですけど、お腹のことがよりひどくなってリラックスできないんです。。。周りの人に本当申し訳なくて。。。」とりあえず誰かに話したかった。指導者の方は少し笑いながら「私はそのためにココに居ます。ここに来た瞬間からワガママになってください。なんでも言って下さい。では、座る場所を変えてみましょう。」
その時点で場所替えがどう影響するのか全く予想できなかった。入り口に近い所で私から少し後に妊婦さんがイスに座っている。それでも同じホール内。ワガママになっていいなら個室を下さい!と言いたいところ。しかし、とりあえずやってみよう。そして、場所を変わった事で、なんと状況は大きく変わった!
新しい場所は風通しがとても良く、すごくリラックスでき、お腹の活動も半減!!お腹がどんどんひどくなっていたのはストレスからだったのだ!”おぉぉぉぉーーー心と体は繋がってるぅー!” 
そして、お腹が鳴ってもVipassanaの教え”全ては変化している”という言葉を思うと、この状況もいつか変化する。ずっとお腹が鳴り続ける訳ではないのだ。と思ったら鳴る事も気にならなくなってきた。

いけないと知りつつも私はレイキに心から感謝した。そして、Vipassanaの教えにも深く感謝した。

さて、そこからこのコースの流れが大きく変わり、辛い修行からおもしろくてワクワクする修行へとなった。

ゴエンカ氏曰く、人間とは体と心が合わさったもの。瞑想する事で体の感覚に集中し、私たちの潜在意識に残っている負の感情を溶かす。体の感覚に集中していくことで、様々な感情が浮き上がってくる。赤ちゃんの時から今日まで溜め込んで来た様々な感情が上がってくる。そして今、それらを受け入れる事で溶かすことができる。もし、そこでまた同調してしまうと、それはまた新たな強いカルマとなり巡り回り続ける。

私は色んなヒーリングでたいがいの大きな感情は癒されてると思うが、今回はそれらに付随するものがたくさん上がって来た。幼少の頃からティーンネージャーの頃、そして初めて恋愛というか男女関係についてもたくさん上がって来た。
このプロセスに入って1-2日は瞑想のたびに涙がボロボロ流れてきて、休憩時間も声を上げて泣きながら散歩コースを歩いた。しかし、その後の爽快感ほど晴れやかなものはない。

この頃から瞑想がおもしろくて仕方ない。あと2日で終わるという頃には「帰りたくない」と思うまでになった。同時に指導者の方を含めた全てのボランティアの方達の暖かいホスピタリティにも心動かされていた。いや、自分の中の負の感情が癒されていったことで慈愛の気持ちが強くなっていたのもあるだろう。本当に有り難いと心底思った。そして、当初ガチガチだった体もその頃には信じられないほど軽くなり、座る事も苦にならなくなっていた。朝起きるのも辛くなくなって行った。感情がいかに肉体に影響しているかを体感した。病気になるということは、自分が気付いていない自分の中の負の感情がメッセージを送っていることを、改めて実感した。

9日目に沈黙は破られた。

自分たちの部屋と瞑想ホールのある建物以外での会話が許される。出会った日から知らないモノ同士、10日間寝起きを共にして苦しんだルームメイトの人たちの声を初めて聞く。それはそれは不思議な時間。参加者は日本人でも海外に住んでいる人、沖縄や関東から瞑想のために来た人たちなど様々。そして、アジアを思うがままに旅して来た人や、この後旅にでる人、仕事をやめて新しいことを始めようとしている人など。皆それぞれ自分も含めて、今ココにくるベストタイミングだったんだなーと思う。世界にVipassanaセンターを設立したゴエンカ氏も言ってた。「起きる事全てに意味がある。BE HAPPY」

今まで頭でわかっていたつもりの『在る』ということ、『今』とは瞬時変化しているということを体感した。
渇欲と嫌悪が無くなれば世界は平和になるということを学んだ。

10日間のプロセスは素晴らしい体験となりました。その体験をさせて下さったセンターとボランティアの方々、そしてそこに参加された全ての人たちに心の底から感謝です♡
10日間も瞑想のためだけに過ごせた自分はなんて恵まれているんだろう!!
また、きっとこのコースに参加したいし、ボランティアとして奉仕もしたいと思っています。このブログを読んで下さったあなたも、いつかVipassana瞑想のことを思い出して行く日があるかもしれませんね。

長くなりましたが、最後まで読んで下さって本当にありがとう♡ 

PEACE and LOVE.

Vipassana瞑想センター京都








お久しぶりのブログでっすー!テーマに「思うがまま」というのを足してみましたが、ブログって全て思うがままやん。笑 

このブログー>「こうすればいいのに」というおせっかい を読んで書きたくなりました。
この感じ長い間あったんです。

自分のことはよく見えないのに人の事って見えるんですね。いやいや自分のことは見えないのではなくて見たくないんですわ。
気付いてなかったけど、自分は相手を通して自分を見てた。友達に「こうすればいいのに」「ああすればいいのに」「なんでやらんの」。。。腹立たしく思ったことあった。それら全て自分に言ってたんやね。同時に何が良くて良くないかジャッジしてたなー。人それぞれ正しいとか正しくないとかなんて無いんよね。その人それぞれが幸せであることが1番大切。

今は「こうすればいいのに」がずいぶん無くなった。まだチョットあるかな。笑 同時に他の人を羨ましいと思う気持ちもあるなー。全てジャッジから来てるね。かなんなー。

昨日、お友達とランチした時に思い出した「私はあなたが喜ぶと思ってした。」

20'sの時に付き合った彼が「お前が喜ぶと思って。。」と色々してくれた。有り難いけど私がして欲しいことじゃなかったこともあった。挙げ句の果てに「お前が喜ぶと思ってしたのにー!」それは私のためではなくて、あなたが自分のためにしたかったんやん!それ以来、男女関係において、相手の為と言いながらすることって自己満足やん!と思った。でも、これは男女関係に留まらず人間関係すべてに言えることやったのね。

ごく最近では母親のこと。一昨年、昨年と続けて入院したことですっかり年老いてしまい、体力も急激に衰えた。取り戻せる可能性は見るからにある。しかし、そのきっかけは事故としか言いようの無いきっかけだっただけに本人も後悔や怒りでいっぱい。なかなか前向きにはなれない様子。そんな中、家族は少しでも前向きに努力して欲しいと思い色々試みてみるが、本人がそう思えない限りあくまでも自分の気持ちを理解してくれない家族でしかない。挙げ句の果てには「好きなように生きさせてよ!」と言ったそうな。

お母さん、正直に言ってくれてありがとう。自分のエゴを、自分の思う様にいかない部分をお母さんに見てたね。可能性はいっぱいあるのにそれに気付かず認めず。メッセージ受け取りましたよ。

ちょっとまだおせっかいなおばさんは残ってるけど、人の事を思いやる気持ちは忘れないでずっといれたらいいな~と思うこの頃です♡

今日も読んでくださってありがとう!

PEACE and LOVE








    NEW YORKを引き上げると決めて公表してからは、アパートの中の家具とか大きなものを処分するのに追われて2月は終わりつつあります。産まれて初めて2月は短いことに”ちっ!”って思ったかも。処分するにあたって色々あったんだけど、それはまた別に書こうと思います。もうどうでもいいやって書かへんかもしれんけど。笑

とりあえず今年のNYはめちゃ寒いし、雪も多いので外に出る気になりまへんねん!ま、それは幸いして荷物の片付けが出来ていいんやけど。。。

そんな日々、小ちゃいことに喜びを感じ、愛おしさを感じさせてもらってます。。。たとえば

*道歩いてたら知らんオッサンが”You look gorgeous!""You look beautiful!"と言ってくれる。
あ、ただの挨拶代わりですねん。笑

*雪がサイドウオークの両サイドに凍ってて、ひとりずつしか通れない幅。私は暖かさに負けて、滑り易いUGG ブーツを穿いて近所に買いもんに出かけてもうた。歩き方がちょっとヨタヨタ気味。前から来たおばちゃんが”Honey! you come first! Be careful!"と言って道を譲ってくれた。別の日は男の人が先に歩いて来れるのに、わざわざ私のことを優先して待っててくれた。"Thank you!"と言うと、"How'r u doing" すごくブルックリン♡

*アパートの窓から見える空が時間帯によって違う。そしてすんごい綺麗!

*先週末にムービングセールをしたとき、今まで会おうねって言いながらなかなか会えずにいたお友達、いつも会ってるお友達、そしてずっとWADA-AFRICAのことをサポートしたかったのにタイミングが合わなかったと言って来てくれたお客さんが初めて、予想以上の風雪にも関わらず来てくれた♡(ムービングセール:NYでは引っ越しなどをする時に、大々的なセールをして荷物を軽くします。)

*地下鉄で妊婦さんが乗ってきたので私が素早く席を譲った。そうしたら、近くの男性が私に席を譲ってくれた。”Hey yo! Do you know what am I saying?!!! みんな、私の言いたい事わかるかな?!!!”

*近所のセネガル人のやってる小さなカフェで友達と待ち合わせした。そこはひとりやせいぜいふたり連れが多い。なぜならほんと小さい。でも、メチャ居心地良い。冬はコートが大きいのでスペースを取りがち。私がすでに座ってる小さいテーブルに友達が座ろうとすると、オーナーさんが”あっちだともっとゆったり座れるよ”と言って、他の空いてるテーブルに優しさいっぱいで誘導してくれた。(セネガル人やからエコヒイキしてるんちゃうで~ww)

*夏の間はアパートの前で毎日しゃべってる人たちも今は冬眠。すんごい久しぶりに出くわしたら”Haw have you been?!どないしとったん?!"って。この人等が出て来たら春が来たお知らせやった。。

*日本に帰るから引っ越ししますと大家さんにメッセージした。彼女は看護婦さんでスーパー忙しいから会う事は95%無い!なのに、メッセージした翌日バッタリアパートの前で会った。 "Are you leaving us???!!!アンタ私たちを置いてく気?!”そしてハグハグ。。。♡♡

この何気ない日常の感じ。。。。I probably will miss so much♡

あーーーまだまだイッパイありすぎるし日常のことなので覚えきれない。だって肌で感じてるから。そして、いかに私が近所でしか行動していないかおわかりいただけただろう。はっはっはっ!インスタグラム(WADAAFRICA)またはFACEBOOKでたまにマンハッタンの写真とかあげてます。笑今後どう展開していくか、自分でも興味津々!!

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

P.S.写真はいつも空を撮ってる私のベッドルームからですが、朝焼けのような夕日でした♡

PEACE and LOVE.












ここのところNYを引き上げるとなり、水星逆行も終わり、いろんな気付きが来てる気がする今日この頃。。。

私のアパートは私が大家さんでルームメイトがひとり。彼女はJAPANESE AMERICAN(アメリカ国籍も持っている)だけど、物心つく前から日本で育っているので、見た目はかなり外人だけど、中身は私なんかよりもすっごい日 本人。ちょうど3年前に当時ルームメイトを探していた私に日本から問い合わせが来た。仕事が確定次第部屋をテイクしたい。結果日本の旅行関係の仕事が決 まってルームメイトになって丸3年。

彼女に関しての勝手な想像だけど、見た目外人で中身がチョー日本人の一人っ子。O型らしい大らかさと太っ腹な感じを持っているとっても優しくて気持ちが一生懸命な人。日本で育つ過程上コミュニケションとかでいろいろあったんだろうな~~っと想像する。

"Long story makes short" これアメリカ人がよく使うんだけど、ようするに端折って言うと。。

彼女がルームメイトになった当初は色々と話した。今から思えば私は私の経験をもとにした事しか言えない。しかも長くなってしまったNY生活から、知らず知らずかなりストレートな言い方をしてしまった可能性は大きい。ある時彼女から”私はちあきさんとは違うんです!そんな風にしたくてもできないんです!”と言われた。そらそうだ。
みんな違うんだもん。。。母親から言われても聞けなかった私。


それ以来彼女は自分のことをいろいろ話すのを止めた。私もわざわざ聞かない。そうこうしていたらたぶん彼女に彼氏ができたのだろう。本当に何も言わなくなった。その後3年間、私は彼女の友達に1回も合った事なく、話を聞いたこともない。仕事を変わってたことさえ知らなかった。でも、それはそれでいいかと思っ た。ちゃんと家賃を払ってくれて、なんの問題もない。たとえお互いなんにも知らなくても。。。伝達事項はメールでやりとりした。最近の人はこんな感じなの かな~~と思ってた。

そして、最近私がNYを引き上げることを契約通りの2ヶ月前に伝えた。彼女は日本から来たルームメイトなのでマットレス、布団、シーツ、デスクなど、当初私が日本から の観光客に部屋を貸していた時のものをそのまま使っていた。そして、今回引き上げるにあたり、私は全てを処分しなくてはいけない。ここ2週間くらい処分する家具や細かいものなどの写真を撮っては掲示板にポストする。申し訳ないけど彼女の使っているデスクやマットレスも処分しなくては いけない。ラストミニッツで行き場のない家具は持ちたくない。大きいものほど早く処分してしまいまたい。私なりにきっちりその旨は伝えたつもり。もし、3月末ギリギリまで使いたいなら買い取って、自分で処分して欲しい。私、間違ってないよね。。?

今朝、リビングに彼女が使ってたデスクと扇風機が置いてあった。午前中にデスクが置かれてた時点で写真を撮りセールのためにポストした。そして午後から扇 風機が置かれていた。最初私がデスクの写真を摂っているのを彼女は見て知っていた。扇風機は彼女が出かけた後で気付いた。また、写真を撮 らないと~~~プチ怒りが湧いて彼女にメールした。いつものようにコミュニケーションはメール。「返してくれるならまとめて願いします」って。いや、私がプチってきたのはひと言「ありがとう」って言って欲しかったんだね。黙って置いてたことにちょびっとショックだったんだな。


しかし、そのメールを書いてから自分の中で罪悪感が沸き上がった。彼女の リースは3月末まであるわけだし、その時まで使っていいよと言うべきだったのでは?私って意地悪?って。でも、アパートを引き上げる前にバタバタと大きいものを処理しないとい けないのは嫌だ。。。特にマットレス。一番売れにくいと予測する。

当初深く考えず日本から来る訳だし、とりあえずあるんだから使っていいよと言った。そして3年経った。

他のものを売りに出しているがスムースには行かない。買うと言って当日買わないと言ったり、こっちの言う事聞いてなくてミスコミからいらないと言ったり。。。何回やりとりしなアカンねん!

そんな状況から私自身に余裕が無くなりつつあるのは事実だと思う。。そのことをルームメイトに当たってしまったかも。。。反省してお詫びをいつも通り”メール”で送った。

私が自分に余裕が無くなってたことに対するお詫びと、有り難うと言う言葉を勝手に期待して感情混じりのメールを送ってしまったことへのお詫びと同時に、そんな自分に気付けたことへのお礼を伝えたかった。。

彼女の返事は怒ってた。私がお礼を言わなかった事に気分を悪くしているようなコメントだった。。。ある程度の予想はしてたけど残念。。。そして、「話が在る時はメールでなくて居る時に言って下さい!」そらそうだよね。。。でも今なの?そして、お礼をはまとめて言うつもりだったと。。

そこで私はを彼女を通して自分を見てる事に気付いた。コミュニケー ションに問題がある私自身。「私はちあきさんと違うから!」この言葉は私が母親に言って来たこと。親は子を思って色々とアドバイスして くれるけど、そのアドバイスは母の人生の中で学び得たこと。でも、私は母とは同じ道を歩んでない。「アドバイスには感謝してるよ。でもね、私はお母さんのアドバイス通りには生きれないんだよ!私はお母さんとは違うんだよ!」 母親は「あんたは自分の思い通りにしかやらんのやから。。。」と、あんまりいろいろ言わなくなった気がする。そして、私が母親に言えない隠し事に気付いていても、追求する事はなかった。きっと母親も聞きたくなかったのだろう。。でも、いろいろ話してもらえない事は寂しかったのかもしれない。

たぶん私はルームメイトとコミュニケーションしてこなかったことが寂しかったんじゃないかな。そして、全て自分の思い通りにしたいんだな。彼女の使っているマットレスや布団、毛布、デスク。。。もろもろを自分の好きな時に処分したかったんだな。その事を素直に相手にコミュニケーションして伝えればいいのにできないん だね。。。。

3歳の時から親が共働きになって、夕方仕事から疲れて帰って来た母親は夕飯の支度に追われてた。夕食後は片付けで忙しい。自分の事を話す時間なんてなかった。中学くらいから目立つからって、ヤンキーに目を付けられて恐い思いをした事も担任の先生が親に話したけど自分からは言わなかった。いつからか自分で全部決めて乗り越えないといけないって思ったかもね。前にも書いたようにめっちゃ人見知りだったし。コミュニケーション全然アカンし!

「自分の目に映るものは全て自分が創り出している。」というのは、なんとなくわかっているような気になってたけど、今日の出来事でそのことを体感できた気がする。今のルームシェアが終わるまでにこの気づきを活かして潜在意識から消し去ることできるといいな。。。今この時点でこの気づきが来るという事は、きっとこれから先の私に必要なプロセスなんだな~。

今日のNYは体感温度マイナス20℃です。寒いの超えて冷たいです。そんな中で家に居ながらも
またひとつ気づきがあった事に感謝です。そして、ルームメイトはまた何も言わず、毛布をリビングルームに返してました。似た者同士だから3年間やって来られたのかもねww 彼女にもいつか気付ける日が来ます様に。。。☆

今日も最後まで読んで下さってありがとう♡

PEACE and LOVE.

  今、昨日受け取った日本のお友達からのメールに返事してたら気付いたことがあったのでシェアしたくてブログに飛んできちゃったww。今までもワクワクして生きるとか、今を生きるとか言って来た。それが本当に理解できる一歩踏み込んだ気付きがあった。


そのお友達はFBで私のポストを見ていて、ここ最近(多分半年くらいじゃないかな~)の私がちょっと違うぞ?と気付いたそうな。さすが!な方です。そして、今回の日本帰国の発表。「大したもんだ!」とお褒めの言葉(勝手にそう受け取った)をいただいた。ヤッター!(これじゃ、なんのことかわからんよねw)

去年、母が一昨年に続く突然の2度目の入院。有り難い事に命は取り留めた。しかし、それ以外に私の人生に大きな意味を与えてくれた大切な人達を突然亡くした。彼等は私に同じ一つの大きなメッセージを残してくれた。

『好きなことやって生きろ!』「やりたいことやって生きろ!』

NYに居たら好きなこと、やりたいことができないわけでもなく、日本に帰ったらそれができるのとも違う。シンプルに自分の中の一区切りです。次に進む為に今のチャプターが終わり、また新しいチャプターが始まるんです。そのために一旦産まれ育った日本に戻る。それだけ。そして、そこからまた始まるのです。

で、その気付いたこととは!

「好きなことやって生きる」ためにがんばる。「やりたいことやって生きる」ために我慢。。。じゃなくて!!!『好きな事をしながら今を生きてる。』『やりたいことをしながら今を受け入れてる
。』コレなんです!!極端に言えば「今はベストの状態じゃないけど、続けていればいつかベストの時が来る」「自分のゴールのために、今は我慢する」。。。じゃないんと思うのです。

「やりたいこと、好きなことをしながら生きれてたら文句ないんじゃい!」と言われる方はいっぱいおられるでしょう。でも、好きなことややりたい事を達成する過程だからといって、やりたくないことやらなくていいんです。本来全て有り難いはずというところです。モチロン人間ですからキツいこともあるし、腹立つ事もあるでしょう。でも、お腹の底でほんまに好きでやりたいと思ってたら、どこかでニヤってしてると思います。子供がめっちゃ泣いてうるさい!って本気で思ったとしても愛おしさは絶対あるのと同じやと思います。

まだ実現していないと思ってる自分のゴールに向かって、毎日眉間にシワ寄せて過ごしてませんか~?溜息付いてませんか~?力抜いていきませう~♪リラックスして心と通じ合えれば、メッセージは私たちにとってベストな時にやってきます。私が今そうであるように。。。最も大切なことは、そんなメッセージに気付ける自分であること。自分を愛してあげて下さいね。 Happy Valentine's Day to ya'll♡

そんなワタクシ、また新たな気づきあるかもです。楽しみですねん♪

今日も読んで下さってありがとうございます。

PEACE and LOVE.

写真は冬の寒い日に超リラックスしてるプリンはmy forever LOVEです♡







去年も雪が多くて寒い冬やな~~と思ったけど、今年はマジ寒いです。

去年は平均気温が5℃くらいだったけど、今年は零下の日の多い事!特に夜はマイナス5℃が普通でマイナス20℃もしょっちゅうやし!風も強いし、雪も定期的に降る。

NY氷河期に突入?!

そして、最近思うのは人間というか、私たち動物はなんと順応性のある生き物なんやろう。。。
当初「寒い!!」「えーーーー0℃???!!!」と言ってたと思ったけど、最近は「2℃もあるん?今日あったかいやん~♪」 数字で判断してるだけではなくて、体感で暖かいと感じる。

うちの近所にはノラ猫たちがいる。明らかに同じ血が混ざってるあろう猫達。去年も雪がいっぱい降った時や大雨の後心配するけどがんばってサバイブしてる。が、残念ながら全員ではない。
バックヤードのビルを渡り歩きストリートへ出て来ている。誰かが毎日ごはんをやりに来るのと、ゴミの日のゴミから食料を探している様子。暖かい時期は私の部屋から建物を渡り歩く姿を見かける。冬とかなんとかしてやりたいと思うけど、バックヤードは人のプロパティなので、私が行ってなんとかしてやることはできない。この厳しい寒さ。あのにゃんこ達は逞しい。そして、人間も知らない内に動物としての順応性を発揮している。

春になってにゃんこ達が元気な姿を見せてくれることを願うのみ。

日照時間は確実に長くなっているし、日差しも強くなってきている。

春が待ち遠しいね~~♡

今日も読んで下さってありがとうございました。

PEACE and LOVE.