小坂明子の「あなた」の歌詞
 「もしも私が家を建てたなら 小さな家を建てたでしょう
   大きな窓と小さなドアと 部屋には古い暖炉があるのよ
   真っ赤なバラと白いパンジー 仔犬の横にはあなた
   あなた あなたがいてほしい」
みたいな楽観的なイメージで
「壮大な山々や青い海、綺麗に澄んだ空、季節の植物に囲まれながら、

 自家菜園で野菜を育て、ゆったりとしたスローライフを過ごしたい」
と、リタイア後に田舎暮らしに憧れる人っているよね。

でも、田舎暮らしは相当な覚悟が要るよ。

 

準備は
「移住先(場所)、仕事、家(安い中古住宅)」
だけではない。


「郷に入っては郷に従う」
つもりであって移住しても、田舎は常識人ばかりじゃない。


結果、リサーチ不足で「理想と現実の違い」を思い知る移住失敗事例は

多いと思う。



私は18歳まで田舎で暮らしていた。


当時は他と比較しようがないからその時は特に田舎が変だとは思わなかった。
 

進学で都会に出て卒業後に就職、結婚し、出産、転勤であちこち行って

3年前に古里に帰省すると
「変な人が多くて人間関係がめんどくさいな」
と実感するようになった。

田舎に移住した人はすぐにそれに気づくだろうけど、
田舎在住者にとってはそれを理解することはない。
ふだんの当たり前の日常なんだから。

もちろんそういう田舎に住んでいる私も、

その「変な人」の一人だと自認している。
古里に帰省してから、それはより進化しているかもね。



田舎の人を象徴する歌がある。
日立グループ提供のテレビ番組のCMソング「日立の樹」だ。

  「この木なんの木 気になる木
    名前も知らない 木ですから
    名前も知らない 木になるでしょう」

歌詞の「木」を全部「気」に変えると

「The 田舎」の非常識さを象徴しているようで
私は犬散歩の時によく口ずさんでいる。

どう考えても都会に比べて田舎の方が高確率で変人が多いように思えるので、
ロジカルな思考で検証してみよう。

②に続く。
 

田舎の日本昔話的考察②
田舎の日本昔話的考察③
田舎の日本昔話的考察④

田舎では山林所有者が多い。
私も山林を所有している。

といっても、ひと山全体を所有しているのではなく、

正しくは山林の一部分を所有しているに過ぎない。

 

「山を持ってる」

と言う人がいるよね。

山頂からふもとまでの山全体をイメージしがちだけど、

ほとんどが山林の一部分を所有してるにすぎない。



竹の子採りは老人には過酷な作業。


①竹の子を掘り出すスコップや掘り出した竹の子を入れる背負いカゴ、

 軍手、長靴などの準備
②竹林の現場まで軽トラとか車で行って竹林まで歩く
③竹の子を探しまくり、ひたすら掘り出す
④掘り出した竹の子を背負いカゴに入れ、車まで運ぶ
⑤自宅に戻る

といったガテン系の肉体労働になる。



孟子の唱えた性善説に基づいていたり、

コンプライアンス遵守の人であれば
自己所有の竹林だけで竹の子採りをするんだけどね…。

それに、親戚が来たとかまれに観光客とかが
「あっ!こんなところに竹の子がある」
「あちこち沢山あるから少しくらいいいだろ」
と特別悪意が無くて竹の子盗りをする人も時々いるんだよね。

自然の恵みだし、あちこち出てくる竹の子は希少なものではない。

全部掘り出すわけじゃないし、

目くじらたてるほどのことは無いんだけどさ。


田舎はけっこううるさいよ。
「盗られた!」
「誰がやった?」
とグズグズ言う人ばかり。


器が小さいね!



私の住むエリアの竹は孟宗竹(もうそうちく)。

古事記の「御祖の詛戸(とこひど)」には「竹」の記述がある。


天日槍命(アメノヒボコ)が新羅から持ち込んだ財宝は

 

「伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ)」

といわれ兵庫県豊岡市の出石(いずし)神社の祭神となっているが、
そのイズシヤマエノオオカミという神の娘、

伊豆志袁登賣(イズシヲトメ)についての場面。

このイズシヲトメはかなりの美女で、

八十神(やそかみ)、つまり多くの神々が

この美女に言い寄ったが誰も結婚できなかった。


そこに2人の兄弟の神が現れ、兄は求婚に失敗。


兄は弟に、
「もし彼女を射止められたら、私の着ている服を譲り、

私の身長くらいの大きな瓶(かめ)一杯の酒と、

山河の美味しい食べ物をやろう」
と賭けをする。

弟はイズシヲトメの家を訪ね、まぐわって子供が生まれるが、

兄は約束を反故にした。


兄弟の母はその約束を知ってるから激怒して兄に呪いの言葉を唱え、

兄は8年も病に伏してしまうことに。


兄はついに母に泣いて許しを請い、

母は呪いを解き兄の体は元通りになったとさ…、

というよくわからない話なんだけど、
「この竹葉(たかば)の青むがごと、

 この竹葉の萎(し)なゆるがごと、青み萎えよ」
「この竹の葉が青いように、

 この竹の葉の萎(し)おれるように、青くなつて萎れよ」
と言ったのが母の呪い。

この頃の「竹」は約120年サイクルで開花するという

「真竹(まだけ)」や「淡竹(はちく)」で、
一般にいう「竹の子」は、徳川吉宗の時代に中国から入ってきた

「孟宗竹(もうそうちく)」。

9世紀後半から10世紀前半頃、

日本最古の物語といわれる「竹取物語」の頃も
当時の竹は「真竹」や「淡竹」といえる。

中華ちまきやおむすびを包むのに竹の皮が使われるが、

その多くは「真竹」といわれる。


真竹の竹の子はコリコリっとした食感で風味がよく、

炒め物や煮物などで食べるというけど
私の住むエリアには「真竹」はないから、私は食べたことは無い。



田舎ではあちこちに杉林や竹林があるから、

3月~4月末の竹の子の旬季は、それぞれの所有地に

竹の子掘りに出かけるのだけど、
山林に柵や境界なんて無いし、もちろん防犯カメラもない。


みんなが一斉に竹の子掘りに行くわけではないから
見つけた竹の子はいわば盗り放題。


「盗った」という具体的な証拠がないんだから、

遠山の金さんの白洲で悪党たちが

「知らぬ存ぜぬ、証拠を出しやがれ」

という世界。

「盗り放題」といったって、

道の駅や農産物販売店で「朝採り」とかいって売るにしても
掘り出したままの竹の子をゴロンタしても田舎では売れない時代。


今どきは「水煮」とか「土佐煮」とか、

1㎝くらいに切って味付けして煮てあく抜きをするとか、
すぐに食べられる総菜にしないと売れない。


面倒くさいよ。


なので大量に盗る人は親族や親戚、知人に配るか物々交換目的のはず。


いくら旬といったって、毎食「竹の子」なんて食べられんさ。
 

昨年のNHKの朝ドラ「ちむどんどん」、

ひどいドラマで今でも時々思い返すたびに腹立たしくなる。

長く沖縄にいたので、つい懐かしくて観てしまったんだよね。

主人公暢子はイタリア高級レストランに勤務したのにイタリア料理はもちろん、

イタリアの地理すらも知らなかった。


主人公のにニィニィ賢秀はクズすぎたし、

ネェネェ良子は旧家の跡取りに嫁いだのに身勝手すぎた。

母親はただただ過保護。


病弱の妹歌子はオーディションを受けたんだか忘れたけど、

番組内のラジオで南沙織の歌が流れていたから
当時は「スター誕生!」が始まっているアイドル開拓時代。
中森明菜だってテレビ予選で2回不合格なんだから、

お通夜の遺族みたいに暗い歌子には芸能界は不向き。


まともだったのは全てを受け入れていた喜納金吾と幼なじみの智、

婚約解消で傷心でパリに旅立った愛ちゃんだけ。


比嘉家の家族みんなで借金を踏み倒し

「まさかやー、あきさみよー!」

で終わるのかと思ったよ。


駄作もいいとこ。


「もう二度と朝ドラは観ない」
と決意させてくれたことには感謝したい。

この父・賢三(大森南朋)が暢子(黒島結菜)に、

シークワーサーの木のところで
「まくとぅそーけーなんくるないさ」
と言ったシーンがあった。

「なんくるないさ」
というのは
「何とかなるさ」
を意味するので、

「テーゲー」な沖縄らしい楽観的な考え方だと思っている人は多いはず。

「なんくるないさ」
の前の
「まくとぅそーけー」
これが意味深い言葉なんだよ。

「まくとぅそーけ=正しい事、誠の事をしていれば」
という意味なので、
「まくとぅそーけーなんくるないさ」

「挫(くじ)けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る」
というのが本義。



「まくとぅそーけーなんくるないさ」
は駄作「ちむどんどん」で聞いたのが最初ではない。
沖縄県出身のプロゴルファーがテレビで言ったのを聞いたのが最初。

沖縄県出身のプロゴルファーというと、
宮里藍、諸見里しのぶ、上原彩子、宮里美香、比嘉真美子、大城さつき、

川満陽香理、新垣比菜…、けっこういるけど、   
私が沖縄に移住していた2001年の日本女子オープンゴルフ選手権の

3日目が終わったインタビューで、島袋美幸プロが
「まくとぅそーけーなんくるないさ」
と言った。

 

私は

「まくとぅそーけー」

の意味がわからず、その言葉を調べて感銘を受けた。

当時、島袋プロは40歳くらいでピークは過ぎていたが、

彼女は14年連続で賞金シードを獲得した沖縄出身女子プロの草分け。


この試合では初日高村亜紀プロに1打差の2位タイ、

2日目の6番ホールでホールインワンを記録するなど

2日目、3日目は首位をキープ。

そこでのインタビューだったけど、3日目の2位はあの岡本綾子プロ。
岡本プロは米国LPGAで17勝し、1987年には全米女子の賞金女王に輝き、

凱旋帰国した。


誰もがレジェンド岡本プロに逆転されると思っていたはず。
私もそうだったから最終日のTV中継を

ハラハラドキドキで一喜一憂しながら固唾(かたず)を呑んで

島袋プロを応援していた。

難コースで4日間通算14オーバー。

それでも2位・岡本プロに4打差をつけて島袋プロは見事に公式戦初優勝を遂げた。
まさに、彼女の努力が報われた日だった。



「まくとぅそーけーなんくるないさ」
は、
「人事を尽くして天命を待つ」
つまり、
「自分が出来うる最善を尽くし、あとは焦らず結果を天の意思に任せる」
という意味と同義ともいえる。

「果報は寝て待て」
も同様。

これは仏教の教えの根幹
「因果の道理(=因果応報)」

「善因善果=善い行いをすれば、善い運命(幸せ)」
「悪因悪果=悪いことをすれば、悪い報い(不幸や災難)」
「自因自果=善いことも悪いことも、自分の蒔いた種が自分に結果となって現れる」

「因=原因、きっかけ」
「果=結果
「応=必ず応じる」
「報=報い、報酬」

「自分が行った行為や言動が、必ずその結果をもたらす」
という法則。

「頼むからおかんだけは勘弁してくださいホンマに」
とビデオレターで泣いた人は、まさに因果応報だよね。

「寝て待て」
というのが誤解を生みやすいが、
「ただゴロンタして寝て待っていればいい」
というのではなく、
「出来ることをきちんとやった上で、焦らずに良い結果を待ちましょう」
というニュアンスが
「果報は寝て待て」
の真意で、
「幸運はただ求めても得られるものではない、

   焦ってジタバタ動き回ったりせず気長に待っていればやってくるよ」
と。

「まくとぅそーけーなんくるないさ」
「人事を尽くして天命を待つ」
「果報は寝て待て」
は、
「ベストを尽くした結果がどうあれ、

 力を出し切ったあとには休んでリフレッシュし、また次に備えよう」
まさに、苦難の時代を生き抜く叡智(えいち)かもしれないね。

それにしても「ちむどんどん」は期待値が高かっただけに

駄作でガッカリだったな。ショボーン

私の住む集落は高齢者が多い。

集落の人口減に伴い、児童も減少して小中学校は統廃合され、
かつて生徒の歓声で包まれた校庭は、

今や高齢者のゲートボール場と化している。

「仕事はない、保育園や幼稚園もない、小中学校は廃校」
というのでは若者が古里から町に出て行くのは自明の理。

小中学校のスクールバスは朝夕見かけるけど、乗ってるのは二人だけ。
集落では子どもは絶滅危惧種化していて、

たまに夏休みとかに里帰りしている子供連れを見かけると
珍しいから何度も振り返ってしまう。

そんなシニア村で散歩や農作業などで出歩いている7割以上の老人の姿勢には

ある共通点がある。
①足を少し開き、足先の向きを逆「ハ」の字に
②膝を少し曲げて腰を落とす
③その体勢を崩さず、上体を前かがみに
④その体勢を崩さず頭だけを上げる、または頭をカックンと下げる
それが田舎の典型的なガニ股スタイル。

やってみて。

しかも、みんなどこで買ってくるのか、グレーや茶色、紺色などが入った

恐ろしく地味で目立たない服を着ているのも共通点。


軍隊の迷彩柄みたいで、犬散歩の時でもそういったガニ股シニアの

発見が遅れてしまうのが常。
しかも、ユラユラしているのでこっちに向かってるのか先に進んでいるのかも

わかりにくいので困る。

平日の昼間のスーパーは、若い人は仕事中だから

買い物客は必然的に高齢者が圧倒的に多い。


いつもゾンビ映画を思い出してしまう。
ユラユラして、サッカーやバスケットのフェイントみたいで

動きの読みを間違えるとカートが接触したりしてしまう。ショボーン



誰しも好きでガニ股になっていないと思うけど、

その原因は、多くは農作業をしたり座って草むしりとか草刈り機を使ったり、

一輪車でモノを運んだりなど長年の前かがみ作業に加え、
加齢による筋力の低下などの影響じゃないかな?
アルコール依存症も起因しているのかもね。

「膝関節の痛みにグルコサミンやコンドロイチン」
とかTVのCMでサプリが紹介されているけど、
サプリは経口摂取だから胃や腸で分解されてしまい、

痛い関節には成分が届かないんじゃないの?

ガニ股になる初期の頃に漫然と過ごしたのが

姿勢の固定化になったと思うけどね。

私もいずれそうなるのかもしれないけど、宮沢賢治の
「雨にも負けず 風にも負けず 

   雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだを持ち…」
みたいに、

雨でも雪でも毎日2時間以上の犬散歩が日課で、

私はババアにしては運動量がかなり多い。


犬のリードがピンと張らないように、

犬に合わせて歩くので小走りになることが多いし、
歩行の時も背筋を伸ばすように気を付けている。

私が特に気を付けているのは、地面に落ちた物を拾う時。
この時にガニ股にならないようにしないといけない。
うっかりするとガニ股系でしゃがもうとしてハッとする時がある。

女子プロゴルファーが、グリーンのカップに入ったボールを取り出すとき、

ガニ股になってないよね。
スマートにボールを取り出しているはず。
そういうイメージ。



若者だってシニアのガニ股スタイルを笑ってられないよ。
ながらスマホやゲーム機、パソコンでは猫背スタイルになっているはずだ。

背筋をピンと張って歩く習慣を常日頃からつけておかないと、
知らない間に若年性猫背やガニ股スタイルになってしまう可能性が高い。

50歳前でガニ股スタイルだなんてダサくてみっともないし、

何より貧乏くさい。

昨日の4月15日(土曜)、和歌山市の雑賀崎漁港で、

岸田文雄首相に向けてパイプ状の爆発物が投げ込まれた事件があったが、
岸田首相の姿勢は猫背でガニ股、肩が揺れている。
おまけに国民をごまかそうとニタニタ顔で薄気味悪い。

取り押さえられた容疑者は将棋の藤井聡太六冠みたいな感じだったし、
迷彩服を着た地元漁港の関係者はブラマヨ小杉みたいだったよね。

聴衆の方々の誘導がなかったようだけど、

すぐに容疑者が捕まったことは良かった。


政治家の演説だけでなく、人が集まるところは

最初に避難先を確認しておくなど今後気を付けないといけないね。
物騒な世の中になったものだ。ショボーン
 

沖縄では最初に住んだのが本島南部、糸満市阿波根(あはごん)のパークタウン。
4LDK2階建てで家賃が月7万円(沖縄の家賃はけっこう高い)、ここに5年居た。


スーパーやホームセンター、郵便局、銀行なども近くて便利だったけど

高台なので自転車は使えなかった。


今はどうか知らないけど、当時は自治会の活動が活発すぎてうんざりだった。
そこは1980年代終わり頃から開発されたニュータウンで150戸くらいはあったね。


移転当時でも高齢者が多く、2割以上は空き家だった。
今はどうなってるんだろう?

その後、南風原(はえばる)町、国頭(くにがみ)村、名護市と移転。


そして今は実家の三重県だから、けっこう引っ越ししてる方だよね。


私は「断捨離(だんしゃり)」がヘタで未開封の段ボール箱を移動し続けている。
乙姫様からもらった玉手箱とか「舌切りすずめ」の大きい葛(つづら)みたいな

パンドラの箱じゃないけど、長年開けてないから中身もよくわからない。


いつか勇気を持ってマスクして整理しないと…。
妖怪とか出てこなければいいけどね。



今住んでいる過疎の田舎はおそらく限界集落(65歳以上の高齢者が人口に占める割合が50%を超えた地域)だと思うんだけど、空き家は3軒に1軒以上はある。

全国の地方自治体が管理する空き家・空き地の情報を集めた「空き家バンク」というサイトがあり、私の集落の空き家でも10軒くらいが登録されている。


農地や山林付きでだいたい150~300万円くらいで売りに出されている。

木材は湿気に弱い。
家に人が住まなくなると、ドアや窓は閉め切られた状態で換気が出来ない。
そうなると木材が腐ったり、カビの発生、シロアリに喰われたりなどで

家はボロボロになってしまう。

空き家バンクは行政が売り家の写真や図面、面積、農地や山林の有無などを

表示しているのだけど、行政は不動産業者ではないから、

売り家の取引は仲介業者を介入させずに所有者と買主で行われるのがふつう。

そのためトラブルになることが多いらしい。



長期間の空き家はリフォームが絶対に必要になるから、

家の価格が安いからと安易に飛びつくべきではない。


我が家も両親が亡くなって20年も空き家だったことで

帰省後はあちこちリフォームだらけだった。


中部電力は新規契約になり、窓は壊れガラスは割れ畳はボロボロ、

家の中はあちこち雨漏り、給湯器が使えないのは当然としても、

薪焚きの風呂やトイレも壊れていたし、納屋はハクビシンの住まい。


前から住んでいるハクビシンは自分の住まいだと思ってるから

夜に何とか台所に侵入しようと板壁を壊され、その都度修繕。


8畳や10畳間は畳をはがし板の間にして

害獣用のワイヤーメッシュ柵(フェンス)を個々の部屋の壁に打ち付けて

犬の脱走防止対策の個室を作った。


高い天井なので夏は涼しくて快適だけど冬は熱が逃げて

猛烈に寒いので天井を低めに作り断熱材も埋め込んだ。


調理や暖房も兼ねて時計ストーブを買い入れた。


度重なるリフォームはほとんどDIYだけど200万円以上はかかっている。

 

田舎では、空き家を買った価格と同じくらいのリフォーム代がかかると

覚悟しておいた方がいいよ。

田舎での生活環境では
「冬をどう低コストで越すか」
が課題だね。



「所有者と買主での空き家売買が問題なら地元の不動産業者を介入させればいい」
と思うでしょうが、

不動産の売買の手数料は宅地建物取引業法で厳しく決められている。

「売買金額が200万円未満」=仲介手数料は売買金額の5%
「売買金額が200万~400万円未満」=仲介手数料は売買金額の4%+2万円
「売買金額が400万円以上」=仲介手数料は売買金額3%+6万円
となっている。


仮に空き家が100万円と仮定すると、不動産業者の仲介手数料は
「100万円×5%=5万円」
売買に割いた時間、労力、移動費などを考えると

手数料5万円では赤字もいいとこ。

不動産業者は都市部の高い物件の売買をしたがり、
田舎の空き家の売買や賃貸は不動産業者は扱いされにくい。

それもあって「空き家バンク」は利用率が低い。
自治体の7~8割が、空き家バンクでの売買成立は年間10件未満らしい。

空き家物件は売買のややこしさやリフォームの必要など

「負動産」になっているのが実情というわけだ。



仮に空き家物件が気に入ったとしても、単に家だけの問題じゃないよ。

その地域の風習・慣習、自治会、常会などに馴染める?

隣地との境界問題があやふやだったり、近隣、集落の変人たちとの

お付き合いなどわずらわしいことは実に多い。

空き家物件を勝手に案内してブローカーみたいに手数料をもらおうとする

あくどいジジイもいる。

田舎に移転してくる人は、吉田松陰が収監されていた

江戸伝馬町牢屋敷に新参者として入牢するのと同じだよ。


牢名主を始め、ズラッと並んだ気難しい先住民たちと

仲良しこよしで過ごす自信ある?

童謡「通りゃんせ」の
「行きはよいよい 帰りはこわい」
みたいに、うっかり入り込むと大変だよ。