田舎では山林所有者が多い。
私も山林を所有している。
といっても、ひと山全体を所有しているのではなく、
正しくは山林の一部分を所有しているに過ぎない。
「山を持ってる」
と言う人がいるよね。
山頂からふもとまでの山全体をイメージしがちだけど、
ほとんどが山林の一部分を所有してるにすぎない。

竹の子採りは老人には過酷な作業。
①竹の子を掘り出すスコップや掘り出した竹の子を入れる背負いカゴ、
軍手、長靴などの準備
②竹林の現場まで軽トラとか車で行って竹林まで歩く
③竹の子を探しまくり、ひたすら掘り出す
④掘り出した竹の子を背負いカゴに入れ、車まで運ぶ
⑤自宅に戻る
といったガテン系の肉体労働になる。

孟子の唱えた性善説に基づいていたり、
コンプライアンス遵守の人であれば
自己所有の竹林だけで竹の子採りをするんだけどね…。
それに、親戚が来たとかまれに観光客とかが
「あっ!こんなところに竹の子がある」
「あちこち沢山あるから少しくらいいいだろ」
と特別悪意が無くて竹の子盗りをする人も時々いるんだよね。
自然の恵みだし、あちこち出てくる竹の子は希少なものではない。
全部掘り出すわけじゃないし、
目くじらたてるほどのことは無いんだけどさ。
田舎はけっこううるさいよ。
「盗られた!」
「誰がやった?」
とグズグズ言う人ばかり。
器が小さいね!

私の住むエリアの竹は孟宗竹(もうそうちく)。
古事記の「御祖の詛戸(とこひど)」には「竹」の記述がある。
天日槍命(アメノヒボコ)が新羅から持ち込んだ財宝は
「伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ)」
といわれ兵庫県豊岡市の出石(いずし)神社の祭神となっているが、
そのイズシヤマエノオオカミという神の娘、
伊豆志袁登賣(イズシヲトメ)についての場面。
このイズシヲトメはかなりの美女で、
八十神(やそかみ)、つまり多くの神々が
この美女に言い寄ったが誰も結婚できなかった。
そこに2人の兄弟の神が現れ、兄は求婚に失敗。
兄は弟に、
「もし彼女を射止められたら、私の着ている服を譲り、
私の身長くらいの大きな瓶(かめ)一杯の酒と、
山河の美味しい食べ物をやろう」
と賭けをする。
弟はイズシヲトメの家を訪ね、まぐわって子供が生まれるが、
兄は約束を反故にした。
兄弟の母はその約束を知ってるから激怒して兄に呪いの言葉を唱え、
兄は8年も病に伏してしまうことに。
兄はついに母に泣いて許しを請い、
母は呪いを解き兄の体は元通りになったとさ…、
というよくわからない話なんだけど、
「この竹葉(たかば)の青むがごと、
この竹葉の萎(し)なゆるがごと、青み萎えよ」
「この竹の葉が青いように、
この竹の葉の萎(し)おれるように、青くなつて萎れよ」
と言ったのが母の呪い。
この頃の「竹」は約120年サイクルで開花するという
「真竹(まだけ)」や「淡竹(はちく)」で、
一般にいう「竹の子」は、徳川吉宗の時代に中国から入ってきた
「孟宗竹(もうそうちく)」。
9世紀後半から10世紀前半頃、
日本最古の物語といわれる「竹取物語」の頃も
当時の竹は「真竹」や「淡竹」といえる。
中華ちまきやおむすびを包むのに竹の皮が使われるが、
その多くは「真竹」といわれる。
真竹の竹の子はコリコリっとした食感で風味がよく、
炒め物や煮物などで食べるというけど
私の住むエリアには「真竹」はないから、私は食べたことは無い。

田舎ではあちこちに杉林や竹林があるから、
3月~4月末の竹の子の旬季は、それぞれの所有地に
竹の子掘りに出かけるのだけど、
山林に柵や境界なんて無いし、もちろん防犯カメラもない。
みんなが一斉に竹の子掘りに行くわけではないから
見つけた竹の子はいわば盗り放題。
「盗った」という具体的な証拠がないんだから、
遠山の金さんの白洲で悪党たちが
「知らぬ存ぜぬ、証拠を出しやがれ」
という世界。
「盗り放題」といったって、
道の駅や農産物販売店で「朝採り」とかいって売るにしても
掘り出したままの竹の子をゴロンタしても田舎では売れない時代。
今どきは「水煮」とか「土佐煮」とか、
1㎝くらいに切って味付けして煮てあく抜きをするとか、
すぐに食べられる総菜にしないと売れない。
面倒くさいよ。
なので大量に盗る人は親族や親戚、知人に配るか物々交換目的のはず。
いくら旬といったって、毎食「竹の子」なんて食べられんさ。
