GWに合せるように、私の集落では4月27日(木曜)から田植えが始まった。
見た感じでは井関農機の「さなえちゃん」という乗用田植え機が多いね。

昔、桜田淳子が井関農機の歩行田植え機さなえちゃんを

田んぼで動かしてるCMを観た人もいるはずだ。


今は小型耕運機みたいな手押しではなく乗用型が主流、当たり前だけど。

でも歩行型では50万円以上、乗用型だと250万円以上と農業機械は高価だから
JAや個人所有者から1日3万円くらいで田植え機を借りる農家も多い。

お米の収穫時期は品種や天候にもよるけど、概ね9月初旬~10月初旬。
早生(わせ)品種だと8月下旬~9月中旬。



町の人はお米というとスーパーで買うと思うけど、

田舎では自家製のお米を食べることが多い。


我が家では、私と姉が嫁いで、祖母が亡くなり、

父が一人暮らしの頃にもう米作から離農していたから、
物々交換で近隣からお米をもらったり、

30㎏袋の玄米を買い、精米所で白米に精米していた。



米作は管理が面倒でお金もかかり、高齢者は
「お米は買った方が安い」
と次々に離農しているのが現状。



三重県の米作面積(2022年度)は2万5900ha(=259平方キロメートル)。
千葉県千葉市の面積 271.76平方キロメートル
千葉県君津市の面積 318.81平方キロメートル
何となくピンとこないけど、

山手線内側の面積が61.15平方キロメートルなので

その「4.2個分に相当」するからけっこう広いよね。

でも三重県では前年比だけでも800ha(約3%)が減少している。
私の集落では昨年比でも1割まではいかないけど

5%以上の田んぼは米作を止めている。

 

800haというと東京ドーム(建物面積)171個分に相当する広大な面積。

しかも三重県だけの1年間でこんなに減少しているのが現実なのだ。



米作の年間スケジュール
①2~3月 

 田んぼに肥料(化学肥料、鶏糞、牛糞など)を撒き、耕運機で耕す。
②3月中旬 

 育苗箱に種を撒いてハウスで育てる

(苗作り、発芽を促すための温度調整とか面倒だから苗をJAで買う農家が多い)
③4月上旬 

 田んぼに水を張り、田んぼを平らに代かきをする 

 鹿の侵入除けのため田んぼの外周をネットやフェンス、電気柵を張る
④4月中旬~5月上旬 

 乗用田植え機で田植え作業、しばらくは水を張ったまま 
⑤6月中旬~7月 

 根の育成を促すために田んぼから水を抜いて中干しをして、

 その後にまた水を入れる
⑥お盆前 

 収穫前のタイミングで再び田んぼから水を抜く
⑦お盆以降~9月中旬 

 コンバインやバインダーで稲刈り 

 コンバインは稲を刈り取った後、脱穀・選別も自動的に行える乗用農機
 バインダーは稲の刈り取りと稲の結束が行える、

 コンバインの入らない狭い田んぼ向き農機
⑧稲刈り後 

 そのまま放置したり藁を野焼き

 (禁止されてるらしいけどあちこちでやってる)で燃やしたりした後、

 田んぼを耕運機で耕す

以上の他にも畔の雑草刈りや水入れの前に水漏れがないかの確認等々…、

米作はけっこう手間がかかり面倒。
耕運機やコンバインが無いと、借りたり、誰かに依頼すると別に人件費もかかる。

 


鹿よけのフェンスは120㎝×180㎝で1枚1000円はするし支柱も要る。

これに電気柵なんて付けたら10万円以内ではとてもとてもムリ。

米作はけっこうコストもかかるし何より面倒。


2等米だと30㎏玄米が約8000円、1等米玄米だと約1万円で買えるんだよ。
精米代は20㎏まで1回100円、30㎏だと200円と安い。

高齢の農家が自家製米作を止めるのはある意味、当然だと思う。
「お米は買った方が安い」
米作農家自身がそう言ってるのだから。



お米の収穫量は早生や品種、天候などでも違うけど、
三重県では昨年(2022年)、

「10アール(=1000㎡=302坪)あたりの収穫量は495㎏(全国平均470㎏)」

だった。

玄米を白米に精米すると、玄米に付いているぬかや胚芽が取り除かれるため、
7分とか8分とか度合いによってもよっても違うけど

白米に近づくほど重さが減り、栄養価も下がる。
一般に玄米の重さの約10%~20%は減るといわれている。

そういうのは無視して、単純に考えると、
スーパーで売ってる5kgのお米は

田んぼ面積は10㎡=約6畳間に相当する面積(9.72㎡)で

作られていることになる。

江戸時代の武士の収入は「 石高 」。
1石は大人1人が1年に食べる米の量で
1石=2.5俵=約150㎏

「年間150㎏=月12.5㎏」
だから、昔の人はけっこうお米を食べていたんだね。

現在、国民1人が1年間に食べるお米の量は、
1962年 118.3㎏
をピークに、
2022年 50.7㎏
と半減してしまっている。

お米離れの理由は、外食など食生活の多様化、少子高齢化、世帯構造の変化…、
いろいろあるけど、一人暮らしや独身男性暮らしでは

ご飯を炊くのが面倒だし1人分のおかずを作るのも面倒総菜を買うのも面倒で、
簡単に調理できるパスタやパンで済ませてしまうんだよね。


しかも若年層ほどお米離れが進んでいるから、
「お米は売れない=米価格は上がらない=米作農家の減少」
という悪循環。



4月26日(水曜)「羽鳥慎一モーニングショー」(テレ朝系)で、

玉川徹氏が
「農家は米の生産をやめて小麦を作るべき」
「食べないもの作ってもしょうがない」
という暴言を吐いた。

 

玉川さんは時たまポカ発言があり、今回も炎上中だが、

玉川さんは京都大学大学院農学研究科卒で農業には詳しい。

私は今回の発言は当たらずといえども遠からずと思っている。

 

玉川さんを非難して米作農家を擁護する発言をするなら

お米をもっと食べるべきだよ。

 



世界屈指の穀倉地帯ウクライナへのロシアの侵攻で

世界が食糧危機になっている。

 

かつてのキューバ危機では米ソの核戦争は回避できたが、
キューバは食料品や医薬品など物資が入らない状況下にあった。


カストロは輸入依存しない食料生産方法として遊休地や駐車場などで
国をあげて有機農業に転換し食料危機を乗り越えた。

食糧自給率が4割程度と低く、エネルギー自給率はわずか6%しかない日本。
ウクライナ危機で世界は食料争奪戦が行われる気配にある。


危機を乗り越え、自然と共生した農業やエネルギーへと移行した

キューバの取り組みは、今こそ日本も取り入れるべき時だと思う。


農地法のからみとかを一時的に外し、

全国の遊休農地、耕作放棄地、荒廃農地で小麦や

畜産用の大豆やトウモロコシなどの栽培を政府が奨励すればいい。

栽培希望者を募集し助成もすべきだ。

小麦は政府が買い上げ、栽培者は地主に土地代を払えばいい。
お金になるなら栽培者も集まるし、地主も喜ぶ。

 

「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」

の「三方良し」になるはずだ。


小麦は北陸、東北、北海道を除けば2年で3期栽培が可能だよ。


空いてる農地は雑草栽培地ではもったいないよ。
 

竹林所有者の姿が見えないと、素早く竹の子を掘り出して横取りしてしまう

醜い竹の子盗り争奪戦ももうほとんど終わり。

 

現行犯で見つからなければ、遠山の金さんの白洲で

「証拠を出しやがれ」

と騒ぐ悪党の逃げ勝ちになるだけ。

竹林所有者が高齢で採りに来なかったのか、

犬散歩中に竹の子が伸びて「若竹」に成長しているのを見かける。



このまま放置すると「竹」になってどんどん伸びてしまうだけ。
こういう「若竹」の段階であれば「メンマ」を作れる。

「メンマ」って知ってるよね、

ラーメンのトッピングになってる柔らかい茶色の木みたいなアレだよ。


スーパーでは200円くらいでガラス瓶入りの桃屋の「メンマ」が売られているよね。

「メンマ」とは「味付け竹の子」で、

昔は「支那竹(シナチク)」と呼ばれていた。


桃屋の味付けメンマは、

台湾産の麻竹(マチク)を発酵、乾燥させ水に戻して
しょうゆ、砂糖、ごま油などで味付けしたもの。

「自家製メンマ」は面倒な発酵なんか必要ない。
作り方はとってもシンプルで簡単。

「若竹」の皮をはぎ、

横にして柔らかい穂先と硬い根元部分を切り分けるんだけど、
「若竹」は柔らかいので包丁で驚くほど簡単に切れる。
好みの大きさに細切りにして水洗い。

竹の子に白い粒が付いてる時があるけど、

これはカビではなく「チロシン」というアミノ酸だから心配無用。
水洗いすればすぐに取れるよ。

竹林から「若竹」を盗ってこなくても、

町の人はスーパーで売られている「たけのこ水煮」でも

「自家製メンマ」は簡単に作れる。
作り方は「若竹」と同じ。



竹の子(=水煮)200グラムの場合のレシピ

①味付け用
 水 100CC
 醤油 大さじ1
 料理酒 大さじ1
 鶏がらスープの素 小さじ1
 オイスターソース 小さじ1

 を混ぜておく。
 もちろん、お好みで豆板醤、XO醤、花椒(山椒)、ウェイパー、

 紹興酒とかを入れてもOK。

②味付け用
 ゴマ油 大さじ1
 鷹の爪(or赤唐辛子) 1本
 ラー油 数滴
 砂糖 大さじ半分


③作り方
 フライパンにゴマ油を入れて中火で熱し、

 香りが出たら切った竹の子を炒める。


 辛味が好きなら、この段階で鷹の爪(or赤唐辛子)を入れるといいよ。
 竹の子全体に油がなじんだら砂糖を加えて炒める。
 砂糖を入れることで甘みが増すだけでなく、渋いえぐみも和らぐ。


 ここで上記の混ぜた味付け①を投入。
 ひと煮立ちさせ、汁気がなくなったら完成。

お好みでラー油をかけたりして器に盛りつければ完成!
自分で作ったなら味わい深くて美味しさが増すはず。

さあ、「若竹」を盗ってくるかな。

市原悦子と常田富士男という、
これ以上ない強烈な個性の持ち主の独特の語りによるアニメ
「まんが日本昔ばなし」
のテーマソングは、
  「坊やよい子だねんねしな 
     今も昔も変わりなく
     母の恵みの子守歌
     遠い昔の物語り」

という歌い出しで始まったよね。

日本昔ばなしの根底にある一貫したテーマというのは
仏教の教えの根幹になっている
「因果の道理(因果応報)」
で説かれ、
「勧善懲悪」
の結末で終わるように構成されている。

善因善果(ぜんいんぜんか)善い行いをすれば必ず良い結果が得られる(幸せ)
悪因悪果(あくいんあっか)悪い行いをすれば必ず悪い結果を招く(不幸や災難)
自因自果(じいんじか)自分がやった行いは必ず自分に返ってくる(現在の状況)

「善い行いをすれば、良い結果を、悪い行いをすると悪い結果を招く。
また、自分の行いは他人にではなく、必ず自分に返ってくる」
とお釈迦様は説いている。

なので、日本昔ばなしは
「誠実な人と意地悪でズルい人」
「正直者とウソつき」
「優しい娘と性悪な娘」
「働き者となまけ者」
などと対照的な人物が登場し、
「意地悪ばあさんは不幸になり、正直爺さんは幸せになった」
といった構図でつくられている。



桃太郎やかぐや姫、親指太郎、かちかち山など多くが
「おじいさんとおばあさんが住んでいました」
で始まり、桃太郎では
「おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」
と続く。

「しば」というのは「芝」ではなくて「柴」。
山林で、鎌で刈り取れるくらいの細い雑木を「柴」という。


柴は電気・ガス、ストーブなどが登場する前は、
炊事やお風呂の炊きつけに使う燃料として生活には欠かせない資源だった。


「柴刈り」というのは「焚き木拾い」のことだよ、当たり前だけど。
我が家は薪ストーブだから、いまだに「山にしば刈り」に行くけどね。

「山へしば刈り」
「川に洗濯」
というのだから、

「あるところ」

は都ではなく田舎を指している。

田舎は
「壁に耳あり障子に目あり」
の監視社会なんだけど、
特に「不幸ネタ」が三度の飯より大好き、という傾向にある。

他人が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われた時の喜び、嬉しさといった

快い感情を「シャーデンフロイデ」という。


「隣の不幸は蜜の味」
「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」
「隣の貧乏鴨の味」
などはすべて「シャーデンフロイデ」なのだ。

渡部健やベッキー、東出昌大など、不倫や不祥事が発覚した芸能人が
「このたびはたいへんご迷惑をおかけいたしました」
とか
「たいへんお騒がせして申し訳ありませんでした」
とTVカメラ越しに観ている視聴者に深々と謝罪する光景があるよね。

視聴者たちは、この芸能人から直接迷惑を受けていないのに、
「いい気味だ」「ざまあみろ」
と、テレビの前でスッキリした気分になることがある。

これも多くの日本人特有の「シャーデンフロイデ」。



人類の食糧調達は、野生を相手にした狩猟採集スタイルで始まったが、
1万年ほど前の新石器時代になった頃に、農耕、牧畜が始まり、
「狩猟民族」と「農耕民族」に大きく枝分かれした。


日本に農耕が根付いたのは縄文時代後期から弥生時代の頃といわれているので、
日本人は「農耕民族」だといわれている。

狩猟採集民は獲物を求めて移動し、

食べ物の多くを平等に分配する傾向があるが、
稲作を中心とした農耕文化では人々は特定の土地に集団で定住、
天候による河川の増水や季節の変化などによる収穫時期なども

予期しなければならないので、天文学や地政学が発達した。

そこから作物や知識、富を独占、分配する

ヒエラルキー(上下関係、階層)が生まれ、

次第に集団は国家へと変化していった。
古来から日本は「集団主義社会」といえる。

聖徳太子の
「和を以って貴(とうと)しとなす」
「何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良い」
という言葉のように、

日本では昔から集団で協力する社会が構築されていたのだ。



童謡「花咲かじいさん」の歌詞、
 「裏の畑で ポチがなく
   正直じいさん 掘ったれば
   大判小判が ザクザク ザクザク

   意地悪じいさん ポチ借りて
   裏の畑を 掘ったれば
   瓦や貝がら ガラガラ ガラガラ

   正直じいさん 臼彫って
   それで 餅を ついたれば
   またぞろ小判が ザクザク ザクザク

   意地悪じいさん 臼借りて
   それで 餅を ついたれば
   またぞろ貝がら ガラガラ ガラガラ

   正直じいさん 灰まけば
   花は咲いた 枯れ枝に
   褒美はたくさん お蔵にいっぱい

   意地悪じいさん 灰まけば
   殿様の目に それが入り
   とうとう牢屋に つながれました」


「正直じいさんと意地悪じいさん」
という対照的な人物が登場し、
「意地悪じいさんは不幸になり、正直じいさんは幸せになった」
といった見事なまでにわかりやすい構図になっている。

昔から代々そこに定住してきた田舎では、
常に近隣との比較をしながら日々変化のない生活をしている。

そこから
「隣の田畑よりうちの方が豊作であってほしい」
という身勝手なシャーデンフロイデ願望が生まれる。

「他人は不幸であってほしい」
「隣の不幸は蜜の味」
という底意地悪い心理が田舎では増殖してしまうのだ。



「情けは人の為ならず」
という言葉があるが、
「情け無用」
「哀れみや思いやりをかける必要がない」
という意味ではない。

もともとの言葉は、
「情けは人の為ならず 巡り巡って己がため」
であり、
「人に親切にすれば、周りまわって自分も恵まれるようになる」
という意味。

田舎では、人の不幸にさも寄り添うような偽善者が多い。
田舎の人の多くは腹の中は真っ黒なのだ。

次回⑤に続く。

田舎の日本昔話的考察①
田舎の日本昔話的考察②
田舎の日本昔話的考察③

田舎は表面上は平和で和やかだが、裏は「闇」。

先祖代々、連綿と受け継がれてきた土地に住む田舎の人は、多くが縁戚関係。
閉鎖的田舎社会特有の利害関係で人間関係が悪化した不仲などはあるものの、
田舎は基本的に人間的なつながりで何事も成り立っている。

一般に、モノを買う判断基準は、
「高いか、安いか」
「品質や機能や安全性はどうか」
といったことだけど、
田舎では集落内の人間関係、しがらみが重要な判断材料になるのがふつう。

例えば、草刈りとか単純な作業であれば、

シルバー人材センターに依頼すればしがらみもなく安いのに、
倍以上も高い集落内の特定の人に作業を依頼し、

支払い後に陰でコソコソ「高すぎるよ」と不満を漏らしている。

作業の依頼先を変更しようものなら、
「ケチなヤツだ」
とか
「金に困っている」
「不義理な人だ」
とか言われるのを恐れ、
他に依頼したら安上がりだとわかっていても

田舎の人はプライドが邪魔してそれが出来ない。



「ここだけの話だけどさ」
という
「秘密という名の蜜の味」
秘密であって秘密ではない、

というより「暴露系ガーシーネタ」だからこそ
変化のない田舎では心が躍り、刺激的なのだ。

私の集落では弱者に寄り添う民生委員ですら口が軽くて、
弱者の相談内容をベラベラ知人に伝播し、

そのため委員がコロコロ変わっているのが現状。



私が帰省した時に、
「ゴミ集積場にゴミを捨てさせない」
と私に怒鳴りつけたのは私の遠縁の80歳のイカれたジジイだけど、
先祖代々受け継がれてきた土地に住む田舎は、

基本みんなが縁戚とか知り合いなので、
3代前の祖父母時代、4代前の曽祖父母時代までさかのぼっての

ウワサ話が拡散している。

下品で低俗でレベルが低いけど、例えば私にでも入って来るウワサ話の一部、
「あの人は成田離婚した」
「自治会の会計担当で自治会費を横領し、それがバレて土下座した」
「炭鉱掘りをして財産を失くした」
「父親が自殺した」
「あの人は同和だ」
「婿養子が財産を持ち逃げした」
「家の中に入り込んで預金通帳を持って行った」
「あの人は境界でモメて裁判になっている」
「飲み屋で暴力をふるい警察沙汰になった」
「害獣駆除の補助金を詐取した」
「三重大を卒業してるのに結婚できない」
「あの人は精神分裂症だ」
「専門学校に進学したはずが、

 名古屋のアパートで漫画本ばかり読んで家に戻された」
三流週刊誌みたいなどうでもいいネタ話が

田舎の人は三度の飯より好きなのだ。

そのため、他人のウワサ話は大好きだけど、

自分がウワサの対象になることを極度に恐れる。

出しゃばりやお節介は田舎では致命傷、
「もぐら叩きゲーム」のように「出る釘は打たれる」のだ。

なので、田舎での生き方は
「目立たず、騒がず、主張しない」
に徹して、
周りの人のアラ探し、
「壁に耳あり障子に目あり」
の、監視社会になってしまうのが現状。



「マハリクマハリタ」
は、「魔法使いサリー」の呪文だけど、
主人公・夢野サリーの同級生で親友、三つ編みでダミ声の花村よし子は
亡き母の代わりに花村家の家事全般をこなし、
トン吉、チン平、カン太の三つ子の弟たちの面倒をみて
個人タクシーの運転手の父を助けていた。
 
男勝りで健気(けなげ)で、面倒見が良く、

アネゴ肌で魅力的な彼女みたいなタイプは残念ながら田舎にはいない。

むしろ、
「フランダースの犬」でいえば、

独善的で傲慢、意地悪なアロアの父バース・コゼツ、
「アルプスの少女ハイジ」でいえば、

気難しくてデリカシーが無いロッテンマイヤーさん、
「小公女セーラ」では、プライドが高く性悪のラビニア・ハーバートや

強欲で身勝手で意地悪なミンチン院長、
「シンデレラ」では、義母トレメイン夫人と2人の義姉ドリゼラとアナスタシア、
「ちびまる子ちゃん」では、性悪の永沢君男くん、
「ドラえもん」では、ナルシストでキザで嫌味でウソつきで

意地悪でひねくれ者の骨川スネ夫、
等々、田舎の人はべた褒めに言えば「個性的」だけど、
実情は性悪で意地悪系の温床の地なのだ。

次回④に続く。

 

田舎の日本昔話的考察①
田舎の日本昔話的考察②
田舎の日本昔話的考察④

人口の多い都会では、公立小中学校は児童・生徒の住居地を基に

原則的に就学校が決められる。


小学校は通学エリアが狭く、公立中学校、公立高校になるに従い

通学エリアが拡大し、生徒は進学のたびに新たな学友と顔を合わせるのがふつう。

クラスが多いから同じ学年でも友人や知人は一部になり、

他の生徒は顔は見たことがあるけど誰だかはわからない。
ましてや先輩や後輩の学年では知人はごく一部、知らない人が多いのが当たり前。

公立小中学校では徒歩通学が大原則だけど、

高校の通学は電車やバス利用する生徒も多数いる。


電車やバスには通学や通勤など不特定多数の人たちが乗り、

ほとんどが知らない人だよね。



他方、人口の少ない田舎では公立というか、

私立小中学校なんか田舎には無いと思うけど
小中学校の就学児童・生徒は全員が集落内の同じメンバーになる。

小中学校は、姉は学年に4クラスあったらしいが、

私の頃は地元にない職種を求め都市部に転出する家族が増え

集落内の人口が減り、学年が2クラスしかなかったから

全生徒のほとんどは幼なじみと知人。


それぞれがどこに住んでいて親兄弟は誰々で、家庭環境はこうだ、

ということもおおまかにみんなが共有している。

欧米の義務教育では児童・生徒それぞれの可能性を導き出し

個々の個性が尊重されるが、
日本の義務教育では特に没個性の金太郎飴養成的な教育が行われている。
ロシアの人形「マトリョーシカ」みたいな構図。

そういった没個性教育は都会でも田舎でも同じだけど、
都会の小中学校は生徒数が多いために、

行動経済学でいう「ハーディング現象」、
つまり自分の行動や意見や態度など、

周囲の意見や行動に合わせてしまう同調行動をとってしまうことが多い。


無難に、目立たず、要領よく、空気を読み、

波風を立てずそつなく過ごす「円融滑脱(えんゆうかつだつ)」は
人間の本能的な行動であり、多くの日本人に当てはまる現象だが、

そういうタイプは田舎より都会に多いはずだ。

「ハーディング現象」の語源は「herd=牛・豚など大きい動物の群れ」で、
牛や豚、草食動物、人間も群衆心理的な行動をとる傾向がある。

人が群れたがるのは、人間は哺乳類の中でも弱く、

太古から生きるために群れる必要があったという本能的な背景によるもの。


人類は進化の過程で様々な能力を身につけ、

集団生活で狩猟と採集によって食料を得て、

文明の利器を手に入れるまで群れることで命をつないできた。


群れることは「生きるための知恵」であり、

現代でも「孤独」は本能的に不安に感じてしまうのだ。



人口の多い都会と人口の少ない田舎、
「群れは多すぎてもダメだし少なすぎてもダメ」
というのではなく、
周りが他人で無関心、干渉をしない人が多い都会では、
人数の大小には無関係で信頼できる仲間の絆、

「結(ゆい)」がどれだけ強いか、

というのが「都会で生き抜く知恵」とも言えるだろう。

「ワンピース」で例えれば、

モンキー・D・ルフィ率いる麦わら一味の仲間たちは強い絆で結ばれている。

一方、田舎は人口も少ないから群れることはないが絆も希薄。
集落内は仲良しかどうかは別として子供の頃からみんな知り合いばかり。


同じメンバーで長く過ごしていると、

他人と合わせて行動するという意識が弱くなり、

特に周りから意見されることもなく注意もされない。


やがて良くも悪くも自己中で利己的で個性が強くなってしまう…、

そういうロジックじゃないかな。

③に続く。

 

田舎の日本昔話的考察①
田舎の日本昔話的考察③
田舎の日本昔話的考察④