4月11日(火曜)歯科治療の帰りにマックスバリューに寄った。
その前に他のスーパーで買い物をおおよそ済ませていたけど、
割引商品があれば買い足そうという目的の立ち寄り。

狙い通り、半額牛乳や半額食パン、半額鶏モモ肉などが買えた。


我が家では食欲旺盛の大型犬が4頭いるが、

ペットフードはほとんど与えていない。


外に出しても数か月カビないペットフードは農水省基準の畜産飼料扱いだから
合成保存料や添加物がてんこ盛りされている。


我が家では厚労省基準の人の食べ物を味付けせずに

犬に焼くとかボイルしてあげている。


そのため我が家のエンゲル係数は高く、

私と夫より犬の食費の方が断然高いがそれはしょうがない。


犬の食費は

「1グラム1円以下(=100グラム100円以下)」

を大原則にしている。


となると鶏ではムネ肉、魚ではトンボマグロの血合い、

アメリカ産豚肉とかが犬の主食になる。


電気や水だけでなく食品が軒並み値上げラッシュの昨今

「半額商品」はある意味希少で奪い合いになる。


割引であれば鶏はモモ肉に格上げ出来て、

犬もパサパサのムネ肉より美味しいモモ肉の方を期待するのは当然だ。


激戦を勝ち抜いて割引食品をGETするには

鬼畜米英に竹槍で立ち向かう覚悟が必要で髪が乱れようが恥も外聞もない。


広瀬すず主演の映画「ちはやふる」の競技かるたのような

俊敏さと判断力が求められ、考え込んでいるジジババをよそに

「勝てば官軍負ければ賊軍」の早い者勝ち、仁義なき戦いなのだ。

このマックスバリューは半額や割引商品が多いのでよく立ち寄るし、
行った時に割引ではない商品の価格や賞味期限とかもメモしておく。
賞味期限前日とかに半額シールが貼られるから。


もちろん割引シールを店員が貼りだす時間帯も熟知している。
もくろみ通り半額商品をGET出来た時は至福の達成感が得られる。


レジ会計後に
「幸せの黄色いレシートキャンペーン」
が行われていることを知り、黄色いレシートを迷いながらBOXに投函した。

迷った理由は、帰宅後に自宅で買った食品を調理するときに

万一傷んでいた場合、必要になるレシートを投函してしまったら、

返品交換などの時に、その店舗で買った証拠が証明できなくなるので。

その時、この「幸せの黄色いレシートキャンペーン」は
イタリア・ナポリのバールで脈々と受け継がれている

「カフェ・ソスペーゾ」(助け合い)がモデルなんだな、と思った。



以下、イオンのHPのコピペ。

イオン・デーとは?
イオンでは

「お客さまを原点に平和を追求し、人間を尊重し、地域社会に貢献する」

という基本理念のもと、

かねてより“企業市民”として地域のお客さまとともに

様々な環境保全活動に取組んでまいりました。

2001年8月にジャスコ株式会社からイオン株式会社へと社名変更したことを機に、

毎月11日を「イオン・デー」と制定、

企業理念の道しるべである“日々のいのちとくらしを

「夢のある未来へ」”という「イオン宣言」を地域社会に具現化すべく

「エコロジー(環境)」と「ローカル(地域還元)」をテーマに、

全従業員が地域への貢献活動を行う日としております。

地域のボランティア団体をお客さまとともに応援しています。
サポートを必要としているボランティア団体と、

「応援したい」という気持ちをお持ちのお客さまを結ぶ取り組み、

それが「イオン 幸せの黄色いレシートキャンペーン」です。

①福祉の増進 
②環境保全・環境学習の推進
③街づくりの推進
④文化・芸術の振興
⑤子どもの健康と安全

毎月11日の「イオン・デー」に、

実施している「イオン 幸せの黄色いレシートキャンペーン」は、

お客さまがレジ精算時に受け取った黄色いレシートを

地域のボランティア団体名が書かれた店内備え付けのBOXに

投函していただくことで、

レシート合計の1%分の品物をイオンが各団体に寄贈する取り組みです。

Step1. レシートを受け取ります
お買物をしたあと、精算時にレジで黄色いレシートを受け取ります。
レシートが必要なお客さまには、各店のサービスカウンターで

投函用のレシートを発行しております。

Step2. 支援したい団体のBOXにレシートを投函
黄色いレシートを投函BOXへ。

BOXは地域のボランティア団体ごとに仕切られ、活動内容が記されています。
支援したい団体のBOXにレシートを入れます。

Step3. 合計金額の1%相当を贈呈
団体ごとに集計し、合計金額の1%相当の希望の品物を該当団体に贈呈。

たとえば、レシート合計が100万なら1万円の品物が贈られ、

団体の活動に役立てていただきます。

2001年~2022年2月までの累計で46億2,201万円相当の品物を贈呈
2021年度の登録団体 25,587



Step1にあるように、
「レシートが必要なお客さまには、

各店のサービスカウンターで投函用のレシートを発行しております」
というのだけど、
会計後に商品をMYエコバッグや段ボール箱に入れるテーブルは

ごった返していて、あちこち説明文を見ている人はいないはず。

私も、他の人がレシートをBOXに投函しているのを見てキャンペーンに気づき、
迷いながらもレシートを投函してしまった。
次回、もし11日にイオン系に行ったら気を付けないと。

このキャンペーンの発想は、イオンのオリジナルではなく、
イタリア・ナポリのバールで今も行われている

「カフェ・ソスペーゾ」

をモデルに起案したはず。


良い習慣だから真似るのは良いことだと思う。



イタリアではコーヒーを飲む店はカフェではなく「バール(BAR)」。


軽食も食べられるようなカフェであると同時に

お酒も取り扱う店で基本立ち飲み。


バールは各町に1軒はあり、どこもコーヒー好きのイタリア人の

細かい好みの注文に応じ、そのバリスタ技術レベルは相当高い。

「カフェ・ソスペーゾ」は「保留されたコーヒー」という意味で

第二次世界大戦下のナポリで生まれた習慣。


「バール」で、お金に余裕のある人が

会計の際に2杯分のコーヒーの代金を支払う。


1杯は自分用、もう1杯分は、後からやってくる「誰か」のために。


そのレシートを店舗の入り口の入れ物に入れる。


お金に余裕のない人は、そのレシートを店舗内のカウンターに出せば

無料でコーヒーを1杯飲めるという助け合いのシステム。


第二次世界大戦時以降、現在に至るまで

その助け合いの互助制度は脈々と受け継がれ、

今でもその恩恵を受ける人がいるらしい。

世知辛い世の中だからこそ、孟子の唱えた性善説を前面に、

幸せを分かち合いたいものだね。

新聞を読まなくなって、もう10年以上になる。

沖縄では2大紙、琉球新報と沖縄タイムスのシェア率は98%と高い。

日経や読売といった全国紙は、那覇空港に届くのが朝の10時過ぎで、

そこから新聞販売所やコンビニに届くから全国紙が読めるのは早くてお昼以降。
遅れた記事なんか読みたくないから沖縄では全国紙の普及率が低いのは当然。

2大紙のシェア率が高いのは、お悔み情報の掲載にある。
沖縄では訃報情報が重要で、他の記事は読まないけど

毎日訃報情報だけは必ずチェックする人が多い。
私は中学生くらいまではテレビ欄しか見なかったけどね。

その2大紙はともに左翼新聞で偏向報道が多い。
天下分け目の関ヶ原の戦いの9年後、1609年に薩摩藩による琉球王国侵略から

現在まで植民地を経て日本に強制的に併合された沖縄。

県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦後、沖縄返還の

 1972年(昭和47年)5月15日まではアメリカの統治下にあった歴史がある。


在日米軍基地の75%が集中する沖縄(実際には北部訓練場の返還移行中、

基地再編計画でもう少し低くなる)では、
復帰後の米軍族の犯罪や日本政府が沖縄にアメとムチの政治をするなど、

日本政府への不信感が根底にあり、2大紙は

「新基地建設反対」「米軍基地はいらない」という姿勢をとっている。


「基地への批判こそが沖縄全体の意志」
「沖縄では基地に対して肯定的な意見はない」
というのが2大紙の主張なんだけど、
沖縄人と本土ではその温度差はかなりある。

また沖縄人は「本土」とは言わず「内地」というのも差別的感情があるから。

沖縄には20年住んで居た。
左翼的な偏向報道がイヤになったのではなく、
当時の購読料月3500円くらいだったかな、
3500円 × 12か月 = 年間42000円
「この意味あるかな?」

とずっと思いつつ、10年くらい前に新聞購読を止めた。



私が学生の頃でも、
「日経の読み方」
とか言われていた。

日経や読売、朝日、毎日など大手以外の新聞社は

基本的にスポンサー企業の悪口は書かない。


書かざるを得ないとしても出来るだけ2面とかで小さい記事にするし、
大手企業の広報の作成した記事依頼が優先されている。

「大手企業への取材はほとんど行かず企業広報から記事と写真が送られてくる」
「取材に行かず社内に居る記者はけっこう多い」
これは日経に就職した学友から聞いていた。

日経でも記者が独自に取材したネタは2,3面の下の方の小さい記事が多い。



高市早苗氏の放送法と官邸圧力問題が取り沙汰されているが、
特に安倍政権以降、日本メディアはコントロールされるようになっている。

朝日新聞の月購読料は来月5月1日から朝夕刊セット版で

4400円から4900円に値上げされる。


テレビ報道や新聞記事の信ぴょう性が疑わしく、

いちいち裏読みしないといけないなら
  月4900円 × 12か月 = 年間購読料58800円
年間約6万円も払う価値は私はないと思う。

「ネット情報はウソだらけだからオレはパソコンを使わない」
「とくダネ!」で小倉智昭さんはかつて語っていたが、
たしかにネットは「ウソ情報」が多い。

「多くの情報を調べ、比較し、伝えられた内容を分析し、

自分の判断で真実・本質を見抜くこと」
をメディア・リテラシーというんだけど、
情報が氾濫している現代ではまさにこういう能力が求められている。



私が東京に居た時は、新聞販売店の競争が激化していて
「半年契約してくれたら1か月無料」
で、さらに美術館や博物館、プロ野球などの入場券、洗剤など

けっこうもらえたが、沖縄ではこういう特典は無かった。

三重県の田舎ではこんな特典どころではなく、
「来月からつき合いでお願いします」
みたいな、営業努力ゼロ、というより押し売り的に購読契約を取りに来た。

もちろんお断りしたよ。
新聞が無くても特に困った事はないから。

新聞では翌朝見る記事内容が、ネットではいつでも見られるし、
テレビ番組表だってネットで見れるのだから。

三重県の新聞シェア率は、
中日40% 朝日14% 毎日9% 読売8% 日経4% 
中日新聞は中日ドラゴンズの運営母体だけに

愛知県、岐阜県を含めた東海三県では圧倒的なシェア率がある。

でも私はドラゴンズファンでもないからね。

ネットの情報は早いし、新聞の偏向された「社説」なんて読む気にもならない。

紙の媒体も今どき時代錯誤の感もあるし、新聞の役割も縮小してきた。

各紙、購読数が減っているのは当然で時代の流れでもある。

 

江戸時代の瓦版(かわらばん)のようにやがて新聞も絶滅危惧種化するはず。

情報や意見を客観的に評価する能力、

クリティカルシンキング(批判的思考)を高める努力は

年間6万円なんかかからないと思うよ。

 

昨日4月9日(日曜)お昼前に、

三重県度会(わたらい)町の山間の舗装された町道で、

1人で散歩中の60歳女性に4頭の猟犬が襲った咬傷事件があった。

被害女性は頭皮や耳を食いちぎられるなどの重症で

救急車で病院に搬送され集中治療室で治療中らしい。

猟犬4頭は
「背中までの体高60cmほどある2歳~16歳の成犬」
読売新聞によると「中型犬」と書かれていたけど、

体高60cmもあったらもう大型犬だよね?
しかも16歳ったら老犬だよ。
人間でいえば100歳くらいのはず。
イノシシに跳ね飛ばされるんじゃない?

飼い主は狩猟免許を持つ67歳の男性。
町役場からの依頼で害獣のイノシシやシカを捕獲するため、

山の中に猟犬5頭を放していた。
5頭のうち4頭が女性を襲った。

「飼い主は離れた所で猟犬が吠えているので駆けつけたところ、

4頭が女性に噛みついていた」
というのだけど、

飼い主が駆け付けるまでのけっこう長い時間

4頭に咬まれ続けていたことになるし、
現場は携帯電波が届かないエリアで、

飼い主が車で電波の届く場所まで移動し119番通報したというから
咬まれてから救急車が到着し、病院に搬送されるまで

相当な長時間がかかったことになる。

被害女性は猛犬になすすべもなく咬み殺される恐怖と

頭皮や耳を咬みちぎられた激痛で、恐ろしい災難に遭ってしまった。

警察は調教や管理に問題がなかったかなどを調べているらしい。


猟犬は害獣のイノシシやシカ、タヌキ、キツネ、ハクビシンなどを獲り、
飼い主を喜ばせ褒美をもらうのだけど、人を
「怪しい、不審者だ」
と認定することもままある。

ネットでは、
「被害女性が、姿を現した猟犬に何かしたんじゃないか?」
と、さも
「被害者にも落ち度があったかも」
というコメントも見受けられるけど、
仮に杖を持って林道を散歩していたと仮定しても、
突如現れた猟犬4頭に、女性が果敢に杖を振りかざすことは考えにくい。

宮本武蔵や塚原卜伝などの剣豪であっても猟犬4頭は倒せないと思う。
猟犬4頭は獲物の周囲を取り囲み、スキを見て足とか咬んでは離れ、

相手を倒すという波状攻撃をしてくるはずだから。

女性で、しかも60歳だったら杖を持っていたとしても

恐怖で身体が硬直し逃げることも出来ず呆然と立ち尽くしていたはず。


飛びかかって来た最初の猟犬に倒され、

その後は4頭に執拗(しつよう)に咬まれ続けたはずだ。

「猟犬4頭は狂犬病の予防接種は済ませていた」
らしいけど、

日本では1956年を最後に狂犬病は撲滅してるのだから

予防接種の有無はそれほど重要ではない。

問題はそこではなく、
「町役場からの依頼で害獣のイノシシやシカを捕獲するため」
なのだから、
猟犬5頭に害獣を追わせる狩猟を、

町役場が地域住民や狩猟エリアに周知徹底させていたのかどうかだ。

被害女性に落ち度はまったく無い。

私が住む集落でも、猟犬を散歩中に時々放す飼い主が2人いる。
飼い犬はさぞかしお利口ちゃんなんだろうけど見ていて心配でしょうがない。

その飼い主たちは親友同士。
「自分の犬は賢い」
だから
「どう?見て、見て!うちのワンちゃんはすっごい賢いでしょ!」
と、自慢するように意図的に放し、フリスビーもしている。


犬を放すその時間帯は高齢者の散歩や障害者のリハビリ散歩もあり、
いつなんどき犬が「不審者」と認定して襲う、

なんてことが無いとは言い切れないはずだ。

「動物愛護管理法(動物の愛護及び管理に関する法律)」
の7条1項および3項、
三重県の「動物愛護管理条例(動物の愛護及び管理に関する条例)」
でも犬の放し飼いは禁止されている。

保健所に通報してやろうか?



沖縄では1995年(平成7年)4月、有名な
「アメリカンピットブルテリア口咬事件」
があり、今でも綿々と語り継がれている。

飼い主から放されていたアメリカンピットブルテリア2頭が、
石川市民の森公園内遊歩道で遊んでいた6歳女児と5歳の女児に襲いかかった事件。

2頭は最初に6歳女児を襲い、助けようとした5歳女児にも咬みついた。
6歳女児はズタズタに引き裂かれ即死、5歳女児は重症。

 

亡くなった女児は生きていれば今年で34歳。

青年期に素敵な恋愛をしたり就職をしたり、結婚して母になっていたはずだ。


その口咬事件の加害者と被害者双方と親しかった方が私の知人。
私は事件の内容を詳細に何度も聞いている。

 

加害者と被害者は家族同士の仲良しだった。

加害者は資産家だったが被害者への補償で全財産が無くなり加害者家族は離散、

加害者は行方知れずとなった。

被害者だけでなく加害者も不幸。

どんなに賢い犬でも、99%は信じられても、

残りの1%はわからない部分が必ずある。
飼い主はその辺を十分理解しておく義務があるはずだ。



今回の三重県度会(わたらい)郡の口咬事件の現場は

度会町火打石(ひうちいし)。

時代劇ドラマや映画で、出かける夫に
「行ってらっしゃい」
と、背中に「カチッカチッ!」と石を打って火花を出す、

その石が「火打石(ひうちいし)」というのは誰もが知っているはず。

火打石をカチカチ打った火花を「切り火」といい、
この切り火はマッチやライターのように火をつける道具としてだけでなく
「厄除け」や「邪気払い」であり、

仕事の成功や旅の安全などの「縁起かつぎ」としても昔から使われていた。

古来、日本では火は神聖なもの、清浄なものとされ、
邪気など悪いものは火を嫌うと考えられてきた。

江戸時代では、厄除けやお清めに効果があるとされ、縁起かつぎで
「無事に帰ってきますように」
「良くないことが起こりませんように」
「うまく事が運びますように」
と家を出て行く人に願いを込めて切り火を行っていた。

私も受験で実家を出る時に明治生まれの祖母がやってくれたよ。

 

口咬事件の現場は火打石の名産地なのだ。


「火打石」の歴史は古く、古事記や日本書紀に出ている。

倭建命(やまとたけるのみこと=古事記、日本書紀では日本武尊)は
伊勢の大御神宮(伊勢の神宮)を参拝し、

そこで巫女をしていた叔母の倭比売命(やまとひめのみこと=古事記、

日本書紀では倭姫命)から
草薙剱(くさなぎのつるぎ)と御袋を授かり、東征に出発した。

倭建命は相武国(さがむのくに、相模国=神奈川県付近)で

国造(みやつこ)に騙され、野に火を付けられる。


倭建命は「草薙剱(=皇統の御印である三種の神器の一つ)」で

草を刈り払い一命が救われ、
御袋の伊勢の「火打ち石」の火が、

迫りくる猛火を押し返す向い火になって助かった。

これにより、その地を焼津(やきつ、静岡県焼津市)といい、

草をなぎ払ったことで草薙剱という。


「邪馬台国=大和説」
から
「倭比売命=卑弥呼」
という説もある。


度会町火打石の露岩の1つは、1938年(昭和13年)
「小川郷の火打石」
として三重県指定の天然記念物となっている。

由緒ある「火打石」 という名前の付いた村落での今回の咬傷事件。
何だかなぁ…。

 

被害女性の補償も十分されるのかな?

猟犬4頭はどうなるんだろう、殺処分かな?

 

三重県では15選挙区定数48に62人が立候補した。
15選挙区のうち無投票選挙区は実に半分近い7もある。

少子高齢化や人口減少の影響もあり、

地方議会の議員のなり手不足が全国的に深刻化している。


地方選は本来地域住民の身近な生活を問う選挙だけど、

地方議会に対する地元住民の関心も低下していることで、
地方議会議員選挙の投票率が低下し、

無投票当選の割合が増加しているのが現状。

二枚舌で弁舌だけは上手いが、実態は政策もなく、ポリシーも持たず、

政策論争もできない、ただ「先生」と呼ばれたい地方議員が多く誕生している。


「立候補すれば当選する」

という状況で、地方自治を担う議員の能力も人材も不足している。
民意は反映されず、投票によって意思を伝えるべきなのに、

それが出来ていないのが実情だ。

選挙管理委員会によると、県議選の投票率は

2011年が54.37%、2015年が48.17%、前回の2019年が46.15%で、

直近では徐々に減る傾向にある。
今回も投票率は低いんだろうね。ショボーン


私の長女は選挙に無関心。
「投票しても1票なんて無意味、何も変わらない」
「投票したい人がいない」
と、おそらく過去の選挙で1回も投票したことがないはず。

 

「政府が徴兵制を決めても黙って従う?」

とかいろいろ言っても長女は理解する気がないので最近は放置。

 

「経済」とは、

「衣食住など物財の生産・流通・消費にかかわる人間関係の全体」

を意味するのだけど、本来は

「世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。また、そうした政治」

をいう。

 

「経」は治める、統治する。

「済」は救う、援助する。

「済民」は人民の難儀を救済すること。

 

「経世済民」を略して「経済」という語になったのだけど

政治家や官僚は本来の意味を知らないんだか、国民には背を向けている。



沖縄では保守と革新が半々。
でも選挙では選択はしやすかった。
辺野古に賛成か反対かが踏み絵だったから。

自民党沖縄県連は何とか当選させようと、立候補するときは無所属になり、
公約や演説では辺野古については触れない傾向になっていた。
信念を隠すのはズルいよ。



三重県でも立候補者の公約を見比べても、

立候補者が本当に公約を実現させようと努力するかどうかはともかく
「県を具体的にどう良くしたいのか」
がよくわからない、抽象的で当たり前的な公約が多い。

「粛々(しゅくしゅく)と」とか「しっかりと」といった、

安倍政権以降のやってる感だけ満載のごまかし政治は要らない。

「投票したい人がいない」
といって投票に行かないと、投票率が下がり、

結局組織票が25%もある自民党が当選してしまう。
選挙に行かないということは政権政党に賛同していることと同じだよ。



この30年、日本は息苦しくなった。
だから私は保守だけど自民党には投票してしない。

私は創価学会員ではないから公明党にも投票しないし
共産主義者ではないから共産党にも投票しない。

民主党政権時代の体たらくで呆れかえったから

立憲民主党や国民民主党にも投票しない。

うさん臭い日本維新の会にも投票しない。

「頼むからおかんは勘弁してくださいホンマに」
を立候補させた旧N党なんかには絶対に投票したくない。

自民党はイヤだけど野党もダメな候補者ばかり。

投票したくても消去法で切っていくと

立候補者のほとんどが「×」でホントに選択に困る。


保守も革新も多くは「無所属」隠れ蓑(みの)にするから

正体を見破るのも大変。

頼むからまともな人に立候補してほしいと思う。

 

戦前まで議員は「名誉職」とされ報酬がなかった。

議員報酬が始まったのは戦後の1947年から。

原点に立ち返って無報酬の「名誉職」にさせるのも手だよね。

 

地方の過疎地に住んでいると進学では現地に親戚とかあればいいけど、
なければ下宿や女子寮とかでの生活が必要になり、
実家からの仕送りが期待できないとバイトは必須、

サラ金的奨学金は卒業後の返済に苦慮するから出来れば避けたい。

私は東京に親戚が無いので女子寮に入ることにして、

学生時代は苦学を覚悟でバイト生活を選択した。
当時でも私学の受験料が3万円もして、東京までの旅費交通費も含めると

受験は私学1校+国立大が精いっぱいだった。

となると志望校の選択は大事、一発勝負で後がないから。


親からは「浪人は許さない=就職」が受験の約束だったので、

書店に通い、立ち読みで赤本をむさぼり読んだ。

時々店員が迷惑そうにはたきがけでやって来た。


過去5年の問題を見て自分の学力で合格水準に到達できそうかどうかが

志望校選択の判断。
そうやって吟味に吟味を重ねて選択した志望校なのに、国立だけが不合格に。ぐすん



受験勉強当時に全国的に流行していたのが「紅茶キノコ」。
梅干しを漬ける円筒形の透明ガラス容器にブニョブニョしたキノコ状の

得体の知れないモノが浮いている。


当時、過疎地でも流行していて我が家にも親戚が持ってきた。
「飲むと健康に良いらしいよ。癌にも効くらしいよ」
「少なくなったら紅茶と砂糖を入れてね」
と。

ありがた迷惑だよね。

クラゲ状のキノコっぽいのをよく見ると白いカビみたいなものもあり薄気味悪く、

家族で私だけ飲まなかった。



過疎地だから町の進学塾には通えず、経済的に家庭教師も雇えず

受験勉強は独学が強いられた。


「受験に出る英熟語、英単語」
とかの本を買って、ひたすら丸暗記。


新聞広告の裏面が白紙のを新聞販売店から大量にもらって、

ひたすら書いて覚えようとしたり、
通学バスや電車でカード型のリングの付いた単語帳を見て

英単語や熟語の意味を暗唱してたけど
これって記憶力が悪いことを自覚させ自信を失うため?

そのため、親に土下座するくらい何度も頼み込んで

タイプライターを買ってもらった。
若い人は知らないだろうけど、キーボードみたいな鍵盤を叩いて、

文字を紙に印字する機械。

文字盤のキーはけっこう重い。
アームが紙に文字を打ち込み、行が終わりになるとチーンと音が鳴る。
レバーをジャッと左位置に戻して、また打ち始める。

キーボードの打鍵音「カタカタッタンッ!」と鳴り響く

タイピング音が好きだったな。
なんだかタイピストになったような感覚があった。

イタリア製のOlivetti Valentine。
センスの良い赤色でデザイン的にもカッコ良く机に置いてあるだけでも

誇らしかった。


英語の受験勉強にはかなり役立った。

大学でも彼は活躍したけど、その後ワードプロセッサが登場して

タイプライターは居場所を失っていった。
ワープロには「書院(シャープ)」、「オアシス(富士通)」、

「キャノワード(キャノン)」とかあったね。



私は実家では8畳の離れがMy roomだった。
そのためタイプライターの打刻音は家族に嫌がられなかった。


部屋にテレビは無いけどラジオがあり、
東海ラジオの「セイ!ヤング」やCBCラジオの「オールナイトニッポン」を

聞きながら受験勉強をしていた。

「セイ!ヤング」が始まる時はテーマソングが流れた。
スクールメイツの「セイ!ヤングのテーマ(夜明けが来る前に)」

「夜明けが来る前に 愛し合おう
 夜明けが来る前に 語り合おう
 朝日と共に 船出だ 旅立ちだ
 光の中で 手を振る 君とぼくのために
 夜明けが来る前に
 夜明けが来る前に
 …」

月曜日の落合恵子さん、火曜日の谷村新司さんは必ず聴いていた。
落合恵子さんはリスナーから「レモンちゃん」と呼ばれ、
「こんばんは、落合恵子です」
と、ゆったりと静かに語りかけるその話術。
品の良さ、上品さ優しさで、幅広い年齢層に人気を得ていた。
「スプーン一杯の幸せ」シリーズの本は私は全部買った記憶がある。

「オールナイトニッポン」の当時のテーマ曲は
「ビタースウィート・サンバ(Bittersweet Samba)」
今も同じ?

「セイ!ヤング」や「オールナイトニッポン」では
テレビやラジオで流れることはほとんどなかったビートルズや

サイモン&ガーファンクル、ボブ・ディランなど

海外のポピュラーミュージックから
ザ・フォーク・クルセダーズなど日本のフォークソングまで、

当時の若者世代の最先端を走る音楽がふんだんに流され
リスナーからのお便りやリクエストを読み上げたりリスナー参加型の番組作りで、
学校では
「セイ!ヤング聴いた?」
「〇〇コーナー、面白かったよね」
「あの曲、カセットに録音したよ」
などと友人と言い合ったりするのが話題の中心だった。



私の受験シーズンはかぐや姫メンバー・伊勢正三が作詞・作曲した

「なごり雪」をイルカが歌い大流行していた。

「汽車を待つ君の横で ぼくは時計を気にしている…」

昭和の恋人たちの切なくて悲しい「別れ」の歌。
当時の若者の移動手段は鉄道だったけど、

格安の夜行各停鈍行列車とか夜行急行列車とか利用した人は多かったはず。

私は名古屋駅00:36発の銀河だったかな、急行夜行列車で東京駅着06:30。
受験当日の朝、東京駅に到着した。
今考えると無謀だよね。

石川さゆりの「津軽海峡冬景色」
「上野発の夜行列車 降りた時から
 青森駅は 雪の中
 …」
当時は夜行列車が多かったんだよ。
そういえば当時はJRではなくて国鉄(日本国有鉄道)だった。

「なごり雪」の歌詞では主人公が駅で彼女を見送るシーンが描き出され、

歌詞でははっきりと「別れ」は言っていない。


「汽車を待つ君」で「駅」がイメージされ、

「季節はずれの雪」で季節は「春」を感じさせる。
季語を使って情景を現す俳句のような、日本語ならではの美し文学を感じる。

彼女は地方から東京へ上京するのではなく、東京から故郷へ帰ろうとしている。
彼女がいつのまにか美しい魅力的な女性に成長していたことに、

別れの時になって初めて気が付く主人公。
今ごろ気づいたってもう遅いんだよ。


SNSやLINE、ネットどころか当時は携帯電話もない時代。
彼女が東京から古里へ帰れば、それはほぼ永遠の別れ。
ホームに消えては落ちていく雪、

それは、彼女を引きとめなかったことへの後悔の念。
もう遅いんだよ。


変わるゆく季節の中でもう降ることのないこの雪は、

プラットホームにいる2人にとっての最後の時間を象徴して切ない。

「サクラチル」で受験当時を思い出したけど、

国立大からも三行半を突き付けられたことも思い出してしまった。ショボーン