もう10年くらいマウスウォッシュを日々使っていた。


「リステリン」とか「モンダミン」、「NONIOマウスウォッシュ」、

「Ora2マウスウォッシュ」、「ガム・ナイトケアリンス」、

「クイックウォッシュ」、「ノニオ ライトハーブミント」…、
アルコールタイプとノンアルコールタイプ、ミント系と薬用タイプなど

もういろいろ試したよ。


舌がビリビリするほどの刺激があったり爽快感、スッキリ感など

いろいろ試したあげく、

最近は「モンダミン」ノンアルコールMedical Clearを使っていた。

ここ2年くらいの物価上昇でマウスウォッシュは1本500円を上限に決めて、

ホームセンターバローの5%Dayに詰め替えの1.7リットル徳用パウチを買っていた。

詰め替え用と思って買い置き分を探したら

先月買い忘れていたことを思い出して困った。


日常的に食後や犬散歩前後、起床時や寝る前などマウスウォッシュを使うのが

ルーティンになっていたから。



それで代用としてPOCARI SWEAT900mlペットボトルに水を入れ、

塩を小さじ1杯分くらい入れ、

バーテンダーがカクテルシェイクするように混ぜてみた。

「塩水うがい」は風邪予防や口内炎の予防、喉の痛みの軽減、殺菌作用などに

効果があることは知っていたから。

最初にうがいをしてからマウスウォッシュみたいにクチュクチュすると
口内にマウスウォッシュ特有のべたべた感や香りも無いし

スッキリ感があるし何より格安。

「塩水」の違和感はまったく無い。
もうマウスウォッシュは卒業でいいや。

 

年間で1万円は浮くよ!

買い忘れで思わぬ発見でラッキーだった。爆笑
 

キャンディーズの『春一番』(1976年)の歌詞に出てくる「つくし」。

「雪がとけて川になって 流れて行きます
つくしの子が恥ずかしげに 顔を出します
もうすぐ春ですねえ ちょっと気取ってみませんか
…」

春といえば「桜」だけど、もう桜吹雪も終わり。

私が大学受験の頃は合否を伝達する電報があった。
地方の受験生は合格の受験番号を掲示する構内のボードを見るため

わざわざ上京しなくていいように
受験会場の出口には大学生のグループがあちこちで合格電報の勧誘をしていた。


合格は「サクラサク(桜咲く)」、不合格は「サクラチル(桜散る)」
500円だったかな。
私は電報を利用して桜が咲いた。
私は名古屋大を受験し地元の三重大学は受験しなかったけど、
三重大の合否電報は
合格が「イセエビタイリョウ(伊勢海老大量)」
不合格が「イセワンニテザショウ(伊勢湾にて座礁)」
だったらしい。
(名古屋大は桜が散ったぐすん

今はわざわざ受験大学の構内まで掲示ボードを見に来るまでもなく
ネットでどこでも合否照会が出来るらしい。
進化したんだね。

私の知人はキャンディーズの熱狂的ファンで応援団長もやっていた。
彼は時間がある時は渋谷のナベプロでボランティアの手伝いをしていたが、

キャンディーズは事務所に「一度も来なかった」と。
売れっ子で全国を飛び回っているのだから芸能事務所になんかに来るわけないよね。


桜は散ったけど、つくしが春らしさを醸(かも)し出している。
緑の草の中に「つくし」の茶色い頭を見つけて心が躍り、

春の訪れが実感できるし懐かしい。
子供の頃、母や祖母とつくし摘みをするのが楽しみだったから。

「家を出でて 土筆摘むのも 何年目」(正岡子規)


日常に埋もれがちな小さな春の風物詩「つくし」は
胞子を放出したあとは枯れて、同じ場所にスギナ(栄養茎)が生える。

「つくし」は漢字で書くと「土筆」。
先端の袴(はかま)が筆(ふで)に似ていることに由来している。


胞子を出す前の若い緑色のツクシは春の山菜として食用になる。
袴を取り除き灰汁(アク)を抜く。
煮物、炒め物、卵とじなどで子供の頃に食べていたけど…。

「土筆煮て 飯くふ夜の 台所」 (正岡子規)

あまり美味しかった記憶はないから今は懐かしさを思い出すことで十分。

 

お世話になっている方や気にかけて頂いた方、近所などに日ごろのお礼や

厚意の意味でおすそ分けを持っていくと田舎では必ず「お返し」がある。

「お返し」の時期は早く、ふつうは当日、遅くても翌日には

おすそ分け相当の品を届けに来る。
田舎だけにお返しの品はほとんど農産物。

畑や菜園で採れた野菜や旬のタケノコやキノコ、フルーツなど。
お米農家も多いから「お返し」が玄米だったり、地元の逸品・伊勢茶、

料理したおかずや総菜、お菓子、薪ストーブ用の焚き木の場合もある。


「お返し」が面倒な人からは
「頼み事なら何もせんから受け取らない。持って帰れ」
と迷惑がられることも。

「借りをつくりたくない」
「ありがた迷惑だ」
というよりは
「相互に支え合い助け合う互助」
に近い。



「あざとくて何が悪いの?」(TV朝日系)
での田中みな実の私生活のイメージは、
会話やLINE、食事中など様々な日常の場面で相手をいちいちランキングしたり

値踏みしてたりしそうなんだけど
田舎での「お返し」を何にするかは「おすそ分け」に相当する値踏みの

直感的センスが求められる。

「お返し」は多すぎても少なすぎてもいけない。
多すぎると先方に負担に思われるし、少なすぎるとケチだと思われてしまうのだ。

また、おすそ分けが過度すぎても、「お返し」は「相当」なのだから、

この場合も嫌がられる。
「何か頼みごとがあるの?下心があるの?」
と。

また、「お返し」目当てでおすそ分けをする人もいる。
例えば、高齢者宅の果樹、みかんや柿、栗などの収穫の手伝いをして、

お礼にその収穫物をもらうと、それを知人におすそ分けに持っていく。
目的は、その知人の生産物の「お返し」を先読みして当て込んでおすそ分けに行く。

田舎では先祖代々住んでいる家があり家賃はかからないし固定資産税も安いから、
収入が少なくてもこういった「お返し」制度を活かすことで生活できる人もいる。

私は「お返し」の期待はまったく無くて、純粋にお世話になっている方や

気にかけて頂いた方などに日ごろのお礼や厚意の意味で

おすそ分けを持って行くのだけど、
すぐに「お返し」をされるのは気が引けて

「何かありがた迷惑だったかな?」

と気になってしまい、わずらわしさを感じ疲れてしまう。

田舎のおすそ分け文化、何だかわずらわしいよね。
 

都会育ちの人は「青年団」とか「消防団」なんて昭和レトロで時代錯誤と思うはず。
でも、まだ田舎には脈々と受け継がれている。

私は以前青年団に入っていた。
というより地域の若い世代の人たちは半ば強制的に入会させられていた。

全員が幼なじみ。
相性の良し悪しはあるけど気心やそれぞれの家庭環境や頭の程度は周知されている。

「青年団」って「少年探偵団」ではない。
田舎では地域に住む青年によって構成された親睦団体組織で、
レクリエーションやスポーツ、旅行、社会奉仕などの地域活動を行っていた。

簡単に言えば小中学校の遊び仲間を組織化したみたいな団体。

私は小中学校では2クラスあったので、私が「青年団」にいた頃は

バレーボールをしても対戦できる2チームと補欠もいるくらいのメンバーがいた。

私は進学で青年団を辞めて、その後当時のメンバーも進学や就職、結婚とかで

古里を離れ、「青年団」はとうに自然消滅したのかと思っていたが、
古里に帰省したらまだ存続していた。

現在の青年団はメンバーが4人で40代が1人、50代が2人の男性3人だけ。
そんなの青年じゃないよね。
中年団?

しかも全員が未婚。

小中学校は廃校され最寄りの高校も通学は困難、地元に仕事はほぼ無い。

こんなとこ好き好んで嫁いで来る女性はふつういないはず。

なので「青年団」に限らず独身男性は多い。

私の頃は冬はスキーやスケート、夏は海水浴や釣りとかグループ旅行、

遠足みたいな活動をしていたけど今はおっさん4人。
何してんの?
愚痴を言い、傷をなめ合う酒飲みの会?

青年団はもう絶滅危惧種というか、今の時代に存在意義ある?



田舎には「消防団」もある。
消防団は親睦団体の青年団と違い、消防組織法に基づいて各市町村に設置される、

一般住民で団員が構成される消防機関。
年間数万円の報酬もあるらしい。

地域のあちこちに消防団のシャッター物置みたいな格納庫や防火水槽があり、

火の見櫓(やぐら)みたいなのもある。

格納庫内は見たことはないけど、おそらく昔風のポンプ車やホースがあり、
火災になれば消防自動車が到着する前の初期消火や人命救助などを

消防団が担っているのだと思う。

暴れん坊将軍のように火消しの「め組」が法被(はっぴ)を着て

屋根に上がって纏(まとい)を回すとか、

鳶口(とびぐち)や刺又(さすまた)で家を延焼しないように

家を壊してしまうとか、火の見櫓(やぐら)の鐘を叩くとか、

やけどをした人を大八車で運ぶとかバケツ消火リレーとか…、

そういうのはおそらく無いはず。

幸い地元に長い間火災が無いし、

そもそも消防団の予行演習も見たことがないけど、
聞いた話では体育会運動部のような厳しい上下関係があるらしく
隣の青年、というかヲタク系中年は昨秋退団したが

そういう人間関係的に辟易(へきえき)したのが主因らしい。

昭和生まれの人は
「地震・雷・火事・親父」
というのは聞いたことがあると思うけど、
地震や雷は火災が起きる可能性もあるし、何より地域は老人だらけ。

「集落居住者の半数以上が 65 歳以上の高齢者」
の集落を「限界集落」というのだけど、
私の住む地域はお墨付きの限界集落のはず。

80歳以上でも車を運転していて、免許自主返納は聞いたことが無い。
野菜苗など農業資材を売っているコメリやホームセンター、スーパー、

ドラッグストアなどは片道30分では行けないし、

コミュニティバスは1時間に1本もなく移動には車は不可欠。

組のゴミ集積場にだって車で捨てに来るくらい。

ウインカーを出さずに交差点を曲がるとか、

ウインカーを逆に出すとかウインカーと間違えて

ワイパーを動かすとかは愛嬌のうち。
電信柱に衝突とか水路に脱輪、農地に転落とかも時々ある。

 

犬散歩の時でもヒヤヒヤする時がたまにあり、

出来るだけ土手とか車が通らない道や迂回するようにしている。

杖や車椅子を利用したり在宅介護を受けている老人も多いから、

火災になれば逃げ遅れる可能性が高い。

おっさんしかいない「青年団」は消滅しても誰も困らないけど、
「人命は地球より重い(福田赳夫の名言)」

「消防団」も高齢化してるけど、消防自動車が到着する前の初期消火や

人命救助などを担う「消防団」は残してほしいね。

大谷翔平選手が来年度の小学校で使用される新しい教科書に取り上げられるという。

WBCで投打に活躍した大谷翔平選手や侍ジャパンを大勢の子供たちが見て
「ボクも将来野球で活躍したい」
と胸を躍らせるのは当然の事だろう。

昔は野球選手といえば、野球バカみたいに勉強そっちのけで朝から晩まで野球漬けにならないと少年野球でもヒーローになれないし、甲子園にも出られないし、プロ野球選手にだってなれなかったはずだ。

来年の算数の教科書の「かずをさがそう」のページでは、

背番号から数字に親しむ工夫や、
「野球選手になった今でも、算数をよく使っています」
という、大谷選手のメッセージなどが紹介されているらしいから、
小学生は勉強に意欲的に取り組むはずだ。

また、大谷選手の高校1年生当時のマンダラチャートでは、中央に
「ドラフトで8球団から1位指名を受ける」
という夢を書き、それを達成するために必要な八つの要素を具体化した項目が記されていた。

努力して夢をかなえている大谷選手は29歳。
生きる身近な憧れの存在。



私の古里の小中学校はすでに少子化で廃校になっている。
小学校の校庭は高齢者ご用達のゲートボール場に化し
校庭の端の二宮金次郎像は背中の薪(まき)は誰かに叩き落され
昭和レトロの哀愁ただようオブジェとなって残っていた。

今の子供は
「薪を背負って読書しながら歩く勤勉・勤労少年の二宮金次郎」
は知らないんじゃないの?
(私の孫は知らなかった)

「勤勉な二宮金次郎みたいに努力しなさい」
というより
「努力して大谷選手のように夢をつかみなさい」
という方が現実的だよね。

方丈記の冒頭、
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
とか
平家物語の冒頭、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」
を想い出して時代の流れを実感してしまった。