お世話になっている方や気にかけて頂いた方、近所などに日ごろのお礼や

厚意の意味でおすそ分けを持っていくと田舎では必ず「お返し」がある。

「お返し」の時期は早く、ふつうは当日、遅くても翌日には

おすそ分け相当の品を届けに来る。
田舎だけにお返しの品はほとんど農産物。

畑や菜園で採れた野菜や旬のタケノコやキノコ、フルーツなど。
お米農家も多いから「お返し」が玄米だったり、地元の逸品・伊勢茶、

料理したおかずや総菜、お菓子、薪ストーブ用の焚き木の場合もある。


「お返し」が面倒な人からは
「頼み事なら何もせんから受け取らない。持って帰れ」
と迷惑がられることも。

「借りをつくりたくない」
「ありがた迷惑だ」
というよりは
「相互に支え合い助け合う互助」
に近い。



「あざとくて何が悪いの?」(TV朝日系)
での田中みな実の私生活のイメージは、
会話やLINE、食事中など様々な日常の場面で相手をいちいちランキングしたり

値踏みしてたりしそうなんだけど
田舎での「お返し」を何にするかは「おすそ分け」に相当する値踏みの

直感的センスが求められる。

「お返し」は多すぎても少なすぎてもいけない。
多すぎると先方に負担に思われるし、少なすぎるとケチだと思われてしまうのだ。

また、おすそ分けが過度すぎても、「お返し」は「相当」なのだから、

この場合も嫌がられる。
「何か頼みごとがあるの?下心があるの?」
と。

また、「お返し」目当てでおすそ分けをする人もいる。
例えば、高齢者宅の果樹、みかんや柿、栗などの収穫の手伝いをして、

お礼にその収穫物をもらうと、それを知人におすそ分けに持っていく。
目的は、その知人の生産物の「お返し」を先読みして当て込んでおすそ分けに行く。

田舎では先祖代々住んでいる家があり家賃はかからないし固定資産税も安いから、
収入が少なくてもこういった「お返し」制度を活かすことで生活できる人もいる。

私は「お返し」の期待はまったく無くて、純粋にお世話になっている方や

気にかけて頂いた方などに日ごろのお礼や厚意の意味で

おすそ分けを持って行くのだけど、
すぐに「お返し」をされるのは気が引けて

「何かありがた迷惑だったかな?」

と気になってしまい、わずらわしさを感じ疲れてしまう。

田舎のおすそ分け文化、何だかわずらわしいよね。