地方の過疎地に住んでいると進学では現地に親戚とかあればいいけど、
なければ下宿や女子寮とかでの生活が必要になり、
実家からの仕送りが期待できないとバイトは必須、
サラ金的奨学金は卒業後の返済に苦慮するから出来れば避けたい。
私は東京に親戚が無いので女子寮に入ることにして、
学生時代は苦学を覚悟でバイト生活を選択した。
当時でも私学の受験料が3万円もして、東京までの旅費交通費も含めると
受験は私学1校+国立大が精いっぱいだった。
となると志望校の選択は大事、一発勝負で後がないから。
親からは「浪人は許さない=就職」が受験の約束だったので、
書店に通い、立ち読みで赤本をむさぼり読んだ。
時々店員が迷惑そうにはたきがけでやって来た。
過去5年の問題を見て自分の学力で合格水準に到達できそうかどうかが
志望校選択の判断。
そうやって吟味に吟味を重ねて選択した志望校なのに、国立だけが不合格に。![]()

受験勉強当時に全国的に流行していたのが「紅茶キノコ」。
梅干しを漬ける円筒形の透明ガラス容器にブニョブニョしたキノコ状の
得体の知れないモノが浮いている。
当時、過疎地でも流行していて我が家にも親戚が持ってきた。
「飲むと健康に良いらしいよ。癌にも効くらしいよ」
「少なくなったら紅茶と砂糖を入れてね」
と。
ありがた迷惑だよね。
クラゲ状のキノコっぽいのをよく見ると白いカビみたいなものもあり薄気味悪く、
家族で私だけ飲まなかった。

過疎地だから町の進学塾には通えず、経済的に家庭教師も雇えず
受験勉強は独学が強いられた。
「受験に出る英熟語、英単語」
とかの本を買って、ひたすら丸暗記。
新聞広告の裏面が白紙のを新聞販売店から大量にもらって、
ひたすら書いて覚えようとしたり、
通学バスや電車でカード型のリングの付いた単語帳を見て
英単語や熟語の意味を暗唱してたけど
これって記憶力が悪いことを自覚させ自信を失うため?
そのため、親に土下座するくらい何度も頼み込んで
タイプライターを買ってもらった。
若い人は知らないだろうけど、キーボードみたいな鍵盤を叩いて、
文字を紙に印字する機械。
文字盤のキーはけっこう重い。
アームが紙に文字を打ち込み、行が終わりになるとチーンと音が鳴る。
レバーをジャッと左位置に戻して、また打ち始める。
キーボードの打鍵音「カタカタッタンッ!」と鳴り響く
タイピング音が好きだったな。
なんだかタイピストになったような感覚があった。
イタリア製のOlivetti Valentine。
センスの良い赤色でデザイン的にもカッコ良く机に置いてあるだけでも
誇らしかった。
英語の受験勉強にはかなり役立った。
大学でも彼は活躍したけど、その後ワードプロセッサが登場して
タイプライターは居場所を失っていった。
ワープロには「書院(シャープ)」、「オアシス(富士通)」、
「キャノワード(キャノン)」とかあったね。

私は実家では8畳の離れがMy roomだった。
そのためタイプライターの打刻音は家族に嫌がられなかった。
部屋にテレビは無いけどラジオがあり、
東海ラジオの「セイ!ヤング」やCBCラジオの「オールナイトニッポン」を
聞きながら受験勉強をしていた。
「セイ!ヤング」が始まる時はテーマソングが流れた。
スクールメイツの「セイ!ヤングのテーマ(夜明けが来る前に)」
「夜明けが来る前に 愛し合おう
夜明けが来る前に 語り合おう
朝日と共に 船出だ 旅立ちだ
光の中で 手を振る 君とぼくのために
夜明けが来る前に
夜明けが来る前に
…」
月曜日の落合恵子さん、火曜日の谷村新司さんは必ず聴いていた。
落合恵子さんはリスナーから「レモンちゃん」と呼ばれ、
「こんばんは、落合恵子です」
と、ゆったりと静かに語りかけるその話術。
品の良さ、上品さ優しさで、幅広い年齢層に人気を得ていた。
「スプーン一杯の幸せ」シリーズの本は私は全部買った記憶がある。
「オールナイトニッポン」の当時のテーマ曲は
「ビタースウィート・サンバ(Bittersweet Samba)」
今も同じ?
「セイ!ヤング」や「オールナイトニッポン」では
テレビやラジオで流れることはほとんどなかったビートルズや
サイモン&ガーファンクル、ボブ・ディランなど
海外のポピュラーミュージックから
ザ・フォーク・クルセダーズなど日本のフォークソングまで、
当時の若者世代の最先端を走る音楽がふんだんに流され
リスナーからのお便りやリクエストを読み上げたりリスナー参加型の番組作りで、
学校では
「セイ!ヤング聴いた?」
「〇〇コーナー、面白かったよね」
「あの曲、カセットに録音したよ」
などと友人と言い合ったりするのが話題の中心だった。

私の受験シーズンはかぐや姫メンバー・伊勢正三が作詞・作曲した
「なごり雪」をイルカが歌い大流行していた。
「汽車を待つ君の横で ぼくは時計を気にしている…」
昭和の恋人たちの切なくて悲しい「別れ」の歌。
当時の若者の移動手段は鉄道だったけど、
格安の夜行各停鈍行列車とか夜行急行列車とか利用した人は多かったはず。
私は名古屋駅00:36発の銀河だったかな、急行夜行列車で東京駅着06:30。
受験当日の朝、東京駅に到着した。
今考えると無謀だよね。
石川さゆりの「津軽海峡冬景色」
「上野発の夜行列車 降りた時から
青森駅は 雪の中
…」
当時は夜行列車が多かったんだよ。
そういえば当時はJRではなくて国鉄(日本国有鉄道)だった。
「なごり雪」の歌詞では主人公が駅で彼女を見送るシーンが描き出され、
歌詞でははっきりと「別れ」は言っていない。
「汽車を待つ君」で「駅」がイメージされ、
「季節はずれの雪」で季節は「春」を感じさせる。
季語を使って情景を現す俳句のような、日本語ならではの美し文学を感じる。
彼女は地方から東京へ上京するのではなく、東京から故郷へ帰ろうとしている。
彼女がいつのまにか美しい魅力的な女性に成長していたことに、
別れの時になって初めて気が付く主人公。
今ごろ気づいたってもう遅いんだよ。
SNSやLINE、ネットどころか当時は携帯電話もない時代。
彼女が東京から古里へ帰れば、それはほぼ永遠の別れ。
ホームに消えては落ちていく雪、
それは、彼女を引きとめなかったことへの後悔の念。
もう遅いんだよ。
変わるゆく季節の中でもう降ることのないこの雪は、
プラットホームにいる2人にとっての最後の時間を象徴して切ない。
「サクラチル」で受験当時を思い出したけど、
国立大からも三行半を突き付けられたことも思い出してしまった。![]()