写真のアップロードがうまくいかず、アルゲーロの街と海に行ったことを紹介することができず残念。

今回、ローマで週末を過ごしたために、仕事で忙しい友達と平日に会う日程調整ができなくなってしまい、帰国前日にスケジュールが集中してしまった。おまけにその前日の夜によばれた誕生日パーティーで帰り際に娘が転んで膝を打ち、打撲と出血で腫れたため、夜中に薬局で氷と大きい絆創膏を買うことになった。夜通し冷やして朝には歩けるようになったのでほっとした。私は睡眠不足で徹夜明けのハイテンションで1日を過ごした。
まず朝から会う約束をしていたマリアのママのガブリエラに、娘のケガで家から出られなくなったことを伝えると、ゲストハウスに訪ねてきてくれる。2年ぶりに会うマリアは中学生になっていて、スマホのアプリで遊んだり二人で自撮りして楽しんでいた。コルシカで羊飼いをしていたマリアのお父さんが脳腫瘍で亡くなって早や4年。6年前にコルシカを訪ね、一緒にチーズ作りをした思い出のビデオを日本から送ったが、パソコンで開いても見られなかったとのこと。その返事がずっとなかったから、ガブリエラがDVDを見てショックを受けたんじゃないかとか要らぬ心配をしていたけれど、本当にただ返事を忘れていただけだったということがわかってほっとした。
 お昼にアルベルトとニーナが家によんでくれる。久しぶりにニーナの手料理が食べられる。ニーナは1年半前に肺癌が見つかり、手術をしたが取りきれず抗がん剤治療や放射線治療を続けていることを夫から聞いていたので、ずっと心配していた。去年はニーナが放射線治療のためミラノの病院に入院していたため、サッサリを訪ねることを断念した。夫が半年前に仕事で来ていたときはニーナがサッサリにいるときだったので会えたが、そのときより元気になっていたみたいで、ほっとした。そんなニーナが手料理でごちそうしてくれるとは思ってもいなかったので、申し訳ないような有難い思いでいただいた。娘はとにかくおいしいおいしいと言ってたくさん食べるので、ニーナはとても喜んでくれた。まだ57歳だから、とにかく長生きしてもらいたい、と祈るような気持ちだ。
 夕方に別の友達3組とそれぞれ短い時間で会い、夕食は幼稚園のときに一緒だったロベルトと私たちにずっと親切にしてくれていたママのロージーとパパのビンチェンツォといつものピッツェリアで大きなピッツァを食べ、飲んでしゃべっていたところ、幼稚園でお世話になった担任のリディア先生がサプライズで現れる。6年ぶりの再会に感動で泣いてしまった。だって、リディアが「あのときはイタリア語が全くしゃべれない日本から来た子に、どうやって対応しようって毎日マルチェラ(もう一人の担任)と話していたけど、とってもいい子でクラスみんなも両親もいい人たちだった。最近は両親との信頼関係を作るのが難しくなってきていて、バスで遠足に行っても、ちゃんとシートベルトをしているか両親が確かめに車で追いかけて来られたこともあったわ。あのボーザの小旅行が実現したのは私にとっても特別な思い出よ。だからSは特別な存在なのよ。だからどうしても会いたかったのよ。」と私にもわかるくらいゆっくりと大きい声で話していたから。6年前の思い出が一気にめぐってきて、Sに対して本当に愛情を注いでくれていたことを感じていたから、ずっと感謝している。イタリアに行くたびにリディアに電話しているけれど、なかなか日程が合わず、会えなかったけれど、今回ようやく会えて本当にうれしかった。しかも会いに行けるかわからないと言われていたところでの最後の夜の、帰る間際での登場だったから、本当に感激だった。
 大変な旅の始まりだったけれど、最後の最後でいいことがあった。感謝。みんなに感謝。

この5年間、毎週火曜日の早朝にスカイプレッスンをしてくださったバレンティノ先生と、娘のレッスンのために東京から忙しい中来てくれていたサブリーナにも感謝。相変わらずスラスラとはしゃべれないけど、ゆっくり話してくれる人なら理解できる程度にまでなってて楽しかった!娘もそう言ってて、がんばって勉強を続けてきてよかった。これからもがんばります!
今回私たちが1週間弱滞在した場所は、2年前と同じ、中心街のど真ん中にあるゲストハウス。1歩外に出れば商店街が立ち並び、どこに行くにも便利な場所だ。アルベルトの親戚が古い建物を改築して2年前にオープンしたばかりで、そのときは工事が終わったばかりで何もなかったが、2年も経ち、すっかりキレイに整っていた。
外に出て2年前と変わったと感じたのは、アフリカから来たと思われる真っ黒の肌の色の人がものすごく増えていて、その人たちが改築できないほど古くて家賃の安い建物の多い中心街に移り住んでいるということだった。アルベルトの話によると、中心街近くの小学校の生徒の半分は移民で、セネガル等のアフリカからが多く、言葉のわからない子供たちに先生たちも対応に四苦八苦しているとのこと。
それから、最近のテロ事件の増加によって、かつてヨーロッパの人々の観光地だったトルコやフランスから、治安のいいサルデーニャに行先を変えたおかげで、海に近いアルゲーロのホテルが満杯になり、海から離れても宿泊料の安いこのサッサリの街にも観光客がやってくるようになっているということだった。今回泊まったゲストハウスもヨーロッパ内から来た家族で満室だったが、アルベルトの親戚が経営しているので何とか入れてもらえたようだ。ベッドルーム2部屋と小さいキッチンスペースもあり、1泊80ユーロにしてもらえた。寝相の悪い娘とダブルベッドで寝るのもキツイけど、いびきのひどい夫とようやく部屋が離れられたのは助かった~。

P.S.街歩きの様子やイタリア料理を撮った写真を載せたかったのですが、画像をアップロードするとなぜか写真が反転して上下が逆になってしまいます。あらかじめ反転させてからアップロードしてみたのですが、逆のまま。アメブロ使っている方、この対策方法があったら教えてください。
そんなわけで写真が掲載できず残念です。ブログも断念します。
サルデーニャへのトランジットに間に合わずローマに泊まることになったと決まったとき、すぐに娘が「やったー!ローマの休日だあ」っと喜んでいた。スーツケースが届かなかったときも、「じゃあ、今日もそのまますぐに寝られるね!」と前向き。それもそうだなと思いつつ、時差ボケでなかなか眠れない間、物がない生活についていろいろ考えた。
そう、私は年をとった分、こだわりの物が増えすぎたのだ。あれがないとだめ、これがないと心配だからと、どんどんこだわりの物が増え、旅行だけでなく、家の中も物であふれている。この生活を見直すチャンスをいただいたのだ。もっとシンプルライフで生きていこう、と思いながら朝を迎えた。そのことを寝起きの夫に話しているうちに、荷物が見つかったという連絡が入った。「やっぱりやーめたってならないよね?」と念を押された。「もちろん!」
夫もこれまで何度もスーツケースがなくなったりトランジットに間に合わず、途中下車しては着の身着のままで寝られるようになって鍛えられたと言っていた。偉いなあと改めて感じた。そこまでには至らないかもだけど、がんばってみようと思った。
2年ぶりのサルデーニャ。毎回何かしら起こるが、今回は出だしから波乱だった。
まず成田から乗り込んだ機内で、なかなか出発しないままエアコンが切られ、中国で軍事演習があって一時通行止めになり、その後は通過許可が出るまで待っているというアナウンス。いつ出発できるかわからず、トランジットに間に合うか不安にかられながら待つこと約2時間。座ったまま待っている間に蒸し暑さと圧迫感で娘がすでに乗り物酔い状態に。ローマからサルデーニャまでの最終便に乗り換えるのは絶望的な思いでローマに到着。
トランジットのデスクには長蛇の列。乗り継ぎ便の取り直しに時間がかかっていた。ようやく順番が回ってきたが、ちょうどバカンスのシーズン突入のため明日の便にも空きがないと言われ、あさってになるかも、でも明日もう1回来てみて、キャンセルがあるかもと言われる。空港近くのホテルを紹介され、スーツケースは検査を通してないから降ろせず、着の身着のままで寝ることになる。娘の服だけは予備を機内持ち込みにしていたが、他は持っておらず危機管理が足りなかったと反省しながら深夜にようやく寝ることができた。
翌朝は睡眠不足のままキャンセル待ちに並んだが午前はキャンセルがなく、午後にようやく取れ、もらったチケットでランチをする。夕方にアルゲーロの空港にようやく着いたが、今度はスーツケースがない!探してもらうことに。夫がイタリア語ですべて交渉してくれ、一緒に聞いていたがほとんど理解できていない自分に愕然とする。イタリア語のレッスンは続けてきたが、これではとても一人では旅行できない。
夫の友人のアルベルトに迎えに来てもらい、サッサリに着いてすぐに夫が何度も空港事務所に連絡したが、まだ届いていない、という返事しかなく、その晩もスーパーでとりあえずの物を買って、明日届くことを期待しながら再び着の身着のままで寝ることになる。

 1か月以上前から、この日にサッサリに行くよってフェイスブックやメールで伝えたのに、着いてもなかなか返事がないから、もう見捨てられたのかと思いきや、帰る直前になって会おうよって連絡が入るから出発直前は本当にいつも忙しくておみやげを買ったり荷物の準備もギリギリになってしまう。おまけに携帯メールでイタリア語を打つのは私にとって至難の業。移動しながら連絡を取り合う。

 出発の前日、娘の友達のママが、出発準備で大変でしょ?って娘を1日預かってくれてお昼ごはんまで用意してくれた。日本でもなかなかそんな友達いないのに、本当に感謝!夜は別の友達家族とピッツェリアに。1週間があっという間。娘が幼稚園でイタリア語がしゃべれなくて貝になってしまって大変な時期もあったけれど、その殻をやぶってコミュニケーションをとろうとがんばってきたからこそ、応援してくれた家族ができた。娘にも本当によくがんばったね、ありがとうね、と伝えた。

 今回はイタリア滞在の前後にオーストリアのインスブルックとウイーンに合わせて1週間とイタリア1週間の2週間の旅行だったけれど、本当にあっという間だった。観光の予定もなく、イタリアでもオーストリアでもすべて友達に会いに行くためだけの計画だったけれど、本当になつかしくて楽しかった。2年前のイタリア滞在中に病気になったトラウマも、少しは乗り越えられた気がする。娘にも、日本で行き詰ったときにも、外に目を向ければ他にも世界があることを伝えて、人とのつながりを大切にしてくれる子に育ってほしいと思う。



ピッツェリアで食べおさめ

海鮮いろいろパスタも食べおさめ

ともだちにお別れのあいさつ


サッサリ中心の大きな教会ドゥオモ。大好きな場所

 4年前に1年間私にイタリア語を教えてくれていたエレナと、娘の友達のマリアに会うために、彼女たちの夏の滞在先のアルゲーロに会いに行く。今回はレンタカーは借りなかったから、バスで向かう。でもその方が中心街に入れるので便利。海に行くには不便だけれど。

 さてエレナのアルゲーロの家は中心街で屋上にキッチンもテラスもあるから、海を見ながらお茶も食事もできてステキ。となりの家のテラスもすぐそばだから、テラス越しに話しもできる。4年前はここでエレナにサルデーニャ料理も習ったし、私の仕事をどうするかということもエレナに話しながら決意したから、語学だけでなく人生の先輩として大事な先生だ。仕事で独立したことを伝えたらとても喜んでくれた。私のイタリア語はエレナをがっかりさせてしまうほどなかなか上達しないけれど、なんとか続けていると伝えて安心してもらえたかな。

 エレナと別れたあと、娘の友達のマリアとそのお母さんに会う。4年前にだんなさんのトーレがコルシカの高級ホテルのレストランで羊のチーズを提供するために腕のいいチーズ職人として呼ばれ、そこで羊の世話をしながらチーズ作りをしていた。単身赴任だったが、クリスマスに私たちも一緒にコルシカを訪ねていたその滞在中に頭痛がひどくなり、のちに脳腫瘍も見つかった。手術や薬での治療をしたけれども、その1年後に亡くなってしまい、私たちも会うたびに泣きながらトーレの話をする。会うと思い出してしまうからつらいかなと思ったけれど、子供たちにとっても私たちにとても大切な友達家族だから、会いたい。会ったら子供たちは大興奮。街探検のあとはランチをして、海も行きたい!というので、日焼けも怖いけれど、仕方なくつきあう。風が強くて寒いのに、ひたすら潜り続ける二人。本当にやることが同じで言葉がいらないみたい。

今回もトーレの話をして泣いて、楽しい話もして、子供たちの楽しんでいる姿に私たちも心から喜んだ。つらい思い出と楽しい思い出がセットになってしまう私たちの存在に、どう思っているか聞いてみたけれど、トーレが亡くなってから誰も彼の話題に触れようとしないからさみしい、もっと話したいと言っていた。私たちは会うたびにずっとトーレの思い出話をするから、いいのかなと思いつつ、やっぱり彼の仕事をする姿を間近で見たからこそ、尊敬の念は忘れない。めちゃくちゃなイタリア語で、精いっぱいの気持ちを伝えた。


エレナの家のテラスから見た海。

エレナのもう一つの家の庭でとれたイチジク。とろける甘さ。

アルゲーロの街の中のレストラン。

エレナが紹介してくれたレストラン。アルゲーロにレストランはたくさんあるけれど、ここと3つくらいしかおいしいところはないわよ、と言ってた。魚介類の料理が本当に新鮮でおいしい。店員さんも感じがよくて楽しかった。

ムール貝から出たスープにパンをつけて、2度おいしい。  白ワインがすすむ。

あさりとボッタルガ(からすみ)のスパゲッティ。娘と取り合いながら食べる。


イカを焼いただけなのに、なんでこんなにやわらかいの?というくらいやわらかくておいしい。臭みがない上、レモン汁とオリーブオイルの香りたっぷり。


海岸まで歩いていく。風が強くて寒いのに、とにかく泳ぐのが大好きな二人。もう帰るよ~と言うとよけいに出てこなくなってしまう。


4年前に1年間暮らした荷物がアルベルトの家の倉庫にまだたくさん残っていて、イタリアに着いてからの2日間はずっと持ち帰る物と捨てる物の仕分け作業をしていた。本当は毎年ここに来て暮らす予定だったのに、アルベルトの息子がローマで定職が見つからずにサッサリに戻ってきたので、空き家状態の私たちの家に住むことになった。そのかわりに夏の間だけアルベルトが私たちの家を探してくれることになった。夫は銀行に通って口座を閉じるのに手数料を取られたり理由書を書かされたりと半日ずつかかってしまっていた。銀行にお金を預けていて使っていないのに毎月手数料をとられるようになってきてしまったので閉じることにしたが、日本もそのうちこうなりそうだと予感する。

さて今回の滞在先はサッサリの街の中心も中心、ホテルが買い取ったビルの一角で、まだ改装中だけど、アルベルトの関係者ということで特別に借りられることになった。ごみごみした中心街の中によくこんなスペースがあったなというくらい広い。イタリアに来たら食べたかった黄桃やフィノッキオ(フェンネルの実)を買ってきて食べる。アルベルトの奥さんのニーナにも毎日ごちそうになり、娘は毎回サルシッチャというサラミより脂肪分が少ない赤身の豚肉やプロシュートなどの肉ばかりをリクエストしていた。ニーナの料理は本当においしくてどうやって作るのか何度も聞いた。私もがんばろう~っと。

朝食用に買った果物。桃1個80円弱。日本とは大違い。


フェンネルの実のフィノッキオ。胃腸の消化によくてすっきり。




ニーナの料理。かぼちゃの花とアンチョビの揚げ物と焼いたなすをつぶしてトマトソースをまぜたペーストをパンにつけて食べたのもおいしかった!

 culurgionesというサルデーニャ特産のパスタも激ウマ。

パスタ生地にミントの葉がまぜられていて、チーズとジャガイモのペーストを包んでゆでるというイタリアでもかなり珍しいパスタ。

ポテトと豚肉のオーブン焼き。どちらもパリパリでおいしい~

デザートはセアーダスというサルデーニャ特産のお菓子。

パイ生地の中はリコッタチーズ。はちみつをかけて食べる。まだ食べたいけど、おなかがはちきれそう。


 2年前に娘がイタリア滞在中にマイコプラズマ肺炎になってしまい、3週間の滞在のうち、ほぼ2週間ベッドの上だったのが相当トラウマになったらしく、もうあんなつらいことになるのは怖いと言うので、去年の夏は見送ることにした。さすがに今年も行かなかったら会いたい友達に忘れられちゃうよ、おいしいもの食べられるし、につられて、行く決心をした。正直、親の私たちも2年前のことを思い出すと恐怖だった。1週間の高熱でトイレにも歩いて行けなくて体をかかえての大仕事だったし、薬を処方されてからは下痢が続いてさらにふらふらになり、帰国するにも空港で移動ができるか心配したほどだった。あれからずっとどうしたら病気にならないかということを考え、イタリアでの体を冷やす食べ物ばかりを摂り続けたことやプールや海に長時間浸かったりしたこと、体を露出する服を着るのが当然のイタリアの常識は胃腸の弱い私たちには合わないこと等々、いろんな反省を踏まえてこの2年間、冷え取り生活をしてきた。ここで一歩を踏み出してみようという思いで出かけることにした。

さて、今回のイタリア行きの前に、どうしても会いたい人たちがいた。オーストリアのインスブルック。20年以来の気の合う友達夫婦が2年前にインスブルックに引っ越してしまい、ずっと会いたかったので、イタリアに行く前に寄るという形で実現した。娘と同い年の女の子と3歳年下の男の子がいて、二人ともとってもかわいい。3泊4日の滞在では登山電車やロープウェイを乗り継いで山へピクニックに行ったり、水遊びをしながらたくさん遊んで、私たちもワインを毎日飲みながらおしゃべりを楽しんだ。イタリアの国境に近いこの街ではイタリア語も通じたので夫も喜んでいた。次は国境近くのイタリアで、アグリツーリズモか別荘を借りるかして一緒に過ごそうという話をして別れた。楽しい滞在をさせてもらい、本当に感謝。



インスブルックの中心街から見たチロルの山々








17年前に祖母と一緒に来た場所









チロルの伝統的な料理











クノーデル(練った小麦粉に肉やほうれん草が入っている)あっさりしてるけど、ワインがすすむ・・・






 Sの病気で友人たちと会う機会を逃してしまい、残念だった夏休みだったけれど、元気になったよと連絡すると、出発前日の夕方に入れ替わりでSの同級生の友人家族が会いに来てくれる。来年こそは一緒に遊ぼうね、と約束してバッチョして(ほっぺとほっぺを合わせて)別れる。サッサリの幼稚園に1年間通って、Sを通して家族付き合いまでできるようになったのは、最後に一人のママが企画してくれたボーザへの旅行があったからこそだった。そしてその後も何人かの家族とは付き合いが続いて、忙しい中、時間を作って会いに来てくれたのはうれしかった。ボーザ旅行を企画してくれた友人には今回会えなかったけれど、感謝の気持ちは忘れてないから、おみやげ渡してね、と別の友人に託す。

夜は二ーナが夕食を用意してくれるとのことで、アルベルトの息子家族や娘と彼氏も集まる。Sも食欲が戻ってたくさん食べてみんなを驚かせる。Sが歌を歌ったり踊ったり、遊んでもらったりと、ようやくいつものアルベルト家族との時間が過ごせたのに、明日帰るのは残念だけれど、みんなが元気だったらまた来年も会えるから、楽しみにしよう。



イタリア・サルデーニャ生活  ニーナのマンマ特製のラビオリ・トマトソースあえ


イタリア・サルデーニャ生活  牛肉とマッシュルームの蒸し焼き


イタリア・サルデーニャ生活  同じアパートの人の差し入れ・とれたてイチヂク


イタリア・サルデーニャ生活  アルベルトの孫・フラビア。6月中旬に生まれたばかり。


イタリア・サルデーニャ生活  アルベルトの娘シルビアに遊んでもらっているS


イタリア・サルデーニャ生活  アルベルト家族に入れてもらっている私たち


 Sが元気になったこともあり、サッサリで暮らしていた1年間通っていた合気道道場の先生と連絡をとり、みんなでピッツェリアに行こうということになりお暇をいただく。ピッツェリアと言えば夜、と決まっているし、しかも南イタリアの夕食は8時半以降が当たり前なので、帰りも遅くなることのお許しをいただいて・・・

 いつもフェイスブックやケイタイメールでロラン先生がSのことを心配してくれていて、会ったら「本当に大変だったね、Sが元気になって良かった」とすごく喜んでくれて涙が出そうだった。稽古中の先生はとても厳しかったけれど、稽古に来ている人達みんなに愛情をかけてくれているのが伝わってくる人柄だ。フランスのマルセイユで生まれ育って22年、フランスとの境界近くのイタリアに移って21年、奥さんの故郷のサルデーニャに来て20年、今年で63歳だよ、と話してくれた。先生の誕生日祝いに甚平をプレゼント。

バカンス中なのに、家族総出で参加してくれた人もいたりして、ありがたかった。久しぶりに通訳なしでたくさんイタリア語を浴びて、??もいっぱいあったけれど、私がしゃべれないことを皆よく知っているから、簡単な言葉を選んでおおげさなジェスチャーで話してくれる。楽しいひとときを過ごさせてもらったことに感謝。



イタリア・サルデーニャ生活  ロラン先生。アゴヒゲが伸びて仙人みたい。


イタリア・サルデーニャ生活

メニューにはないけど、私の好きなカルチョッフィ(アーティチョーク)、フンギ(マッシュルーム)、サルシッチャ(サルデーニャ特産のサラミ)をオーダー。

特大なのに日本のような取り分けはマナー外らしく、しかも切ったあとに手で持って食べるのは子供だけらしく、カリカリに焼けた生地をよく切れないナイフとフォークだけで食べるのは難しすぎて、みんなが食べ終わった頃にはまだ3分の1しか食べられず・・・具だけ食べてギブアップ