Sの熱が下がってから3日間はなかなか食欲が戻らない上、抗生剤の副作用で下痢したり吐いたりして、さらに痩せてしまい、少し歩くだけで筋肉痛になっていた。様子を見ながら少しずつ歩く距離を延ばし、4日目には少し遠くの公園にバスで行ってみたら、バスの中でも吐かずに到着できた(イタリアのバスは運転が粗いから元気でもけっこう辛い)。そのことが本人の自信になったらしく、「明日は海に行きたい」と言う。まだ海に行っていないまま病気になってしまったから、帰る前にサルデーニャの海を見たい気持ちはわかる。

サッサリから車で20分のところに、沖縄の海のように透き通った海があるのだから。

 朝、アルベルトに相談したら、「じゃあ今日の午後、二ーナの仕事が終わったらすぐに行こう」と言われて、午後3時に出かける。去年マリアと一緒に行ったバライという海岸にもう一度行ってみたいというリクエストに、アルベルトが応えてくれた。パラソルをさすスペースがないほどの人だ。パラソルなしで真っ黒に焼いている人もたくさんいる。昼間の最高気温は35℃もあるのに。

 海岸に着いてすぐにドボンと入ったSが、少し泳いだらすぐに出てきた。「魚に足を食べられた」と言う。ふとももにできもののようにポツンと赤く腫れている。ほんとに魚?と疑っていたら、二ーナや沖まで泳いでいた夫も手や腕が赤くなっていたので、本当かも。シュノーケルを持っていなかったので潜れず、波で魚の実態が見えないが。

もう帰国準備をしなくちゃいけない頃に、ようやく私たちの夏休みが始まったという感じだ。



イタリア・サルデーニャ生活 夕方6時、まだ人がたくさん泳いでいる


イタリア・サルデーニャ生活 子供は男女とも皆パンツだけはいているけど、一応隠してみた!?

 2日間、Sの高熱が続いたあと、一時的に下がっても夜になると高くなるので4日目に、やっぱり病院で診てもらいたいと友人のアルベルトに伝え、休暇中だった彼のホームドクターに近くの別荘から戻ってきてもらい、診てもらった。咳が出ているけれど、肺炎ではなさそうだとのことで、だんだん良くなるでしょうと言われて安心して帰ってきた。

 それから2日たってもまだ熱が下がったり上がったりするのが続き、水分しか摂れない状態で、歩くのもフラフラするようになった。Mちゃんにもう一度相談したら、「もしかしたらマイコプラズマじゃない?」と言われて、ネットで見たら、あ、そうかも!夜の10時半だったけれど、あわててアルベルトにもう一度相談して、ホームドクターに私たちがマイコプラズマじゃないかって言ってるけどって伝えてくれたら、「そうかもしれない」と受け入れてくれて、その電話のまま処方を指示してくれた。特に処方箋もないまま、夜11時に、夜間も開いているという薬局にアルベルトと夫が行ってくれた。薬局でもこの抗生剤は売り切れ寸前なくらい出ていると言われたとのことで、ここサッサリでもマイコプラズマは流行っていたらしい。4年に1度、オリンピックイヤーに流行ると言われるこの病気に、まさかオリンピックの真っ最中に罹るとは!

すぐに解熱剤と抗生剤を摂り、大量の汗をかいて翌朝はすっきり。ようやく一人で歩けるようになり、少しずつ食べられるようになった。まだ咳は出るし、筋肉が落ちて痩せてしまい、少し歩くと足が痛くなるし疲れやすいのでリハビリは必要だけれど、1週間後の帰国に向けて移動ができるところまでには回復するだろう。

日本だったら、熱が出たらすぐに病院に行ってすぐに検査してもらうところだけれど、ホームドクター制なので、まずはホームドクターの診察をした上で病院へ紹介される。今回はレントゲンと血液検査でしかわかりにくいマイコプラズマ肺炎に罹った(かもしれない)ことで、受診しても聴診器では肺炎の兆候は見られず、また夏休み中で血液検査もできず発見が遅れた。もし市民病院の救急外来に行っていたら様子観察のために入院になっていただろうとアルベルトは言う。一方のホームドクターは休暇中であっても一度診察したらあとは責任を持って電話相談に対応してくれるし、処方も口頭でしてくれる。日本では私たちが具体的な病名を口に出すことはできないところを、容易に受け入れてもらえたことも柔軟に対応してもらえて助かったところだったし、患者側もちゃんと勉強して伝えなければいけない自立性を求められていると感じた。

2年前に生活していて何度かホームドクターのところにお世話になったときも医療システムの違いに戸惑ったけれど、今回はまた別の意味で戸惑いと有難さを感じ、勉強になった。

あとは回復次第で少しは出かけられるといいな。

 めずらしくSが食欲がないという。おかしい。体が熱い。夏に熱が出たことがなかったので、体温計を持ってこなかったけれど、夫に頼んで買ってきてもらって測ったら、あれよあれよと上がって39.5℃。インフルエンザ以来の熱。今週からUISP(イタリア体育協会)に入って体もイタリア語も鍛えなくちゃと思っていたのに、残念。

 オーストリアに住むホメオパスのMちゃんにスカイプで相談したら、「行きたくないようなことがあったの?」と聞かれて、あー、そうだった、熱が出る前日に公園で転んで鼻の頭から口までけっこう深く擦りむいてキズが目立ってたから、「こんな顔じゃ恥ずかしくて行きたくない」って言ってたっけ。そういうストレスと疲れが重なったんだな、と思った。対処法を教えてもらいながら、熱が出切るのを待つとして、しばらく外に出られないのが残念。海にも行けず、サッサリで通っていた幼稚園の友人家族との夕食に誘ってもらったのも全てキャンセルで、今年の夏はおとなしく過ごすしかないかな。

 201012月末にコルシカ島へ一緒に旅行したSの友だちのマリアとお母さんのガブリエラに再会する。私たちがコルシカを訪ねた直後に、だんなさんのトーレの脳腫瘍が見つかって、今年の3月に亡くなったとメールをもらっていた。

なんて声をかけたらいいかわからなかったけれど、会ったらお互いに泣いていた。手術と抗がん剤治療を繰り返し、一時は仕事復帰までしたけれど、昨年の12月には歩けなくなり、再発が広範囲だったことがわかり、治療のすべもなくガブリエラのケアで自宅療養のまま亡くなったとのこと。娘のマリアは相変わらず優しくて活発でSのことを大好きでいてくれたので、ママ友も不思議な縁でつながっている。ガブリエラが経過を話してくれているときはお互いに泣き続けてしまったけれど、マリアが心配してくれたのか、「今日はSと一緒にピッツアを食べに行きたい」と言う。去年もその前も私たちが帰国する前に一緒にピッツアを食べに行ったっけ。ちょっと坂の上にあるピッツエリアの外のテーブルから街を見渡し、トーレの故郷のパッターダというところの特産物のサルシッチャ(サルデーニャ特有のサラミ)入りのピッツアを食べる。コルシカでトーレに羊のチーズ作りをさせてもらったことは本当に貴重な体験だったね、トーレのチーズは本当に特別な味だったね、と思い出話をしながら。

 イタリアの友人たちに会うとコメ・スタイ(元気)?と聞かれたあとすぐにコメ・ジャポーネ(日本はどう)?と聞かれる。つまり、福島の原発とその放射能の影響はどう?っていうこと。3.11の前はそんな風に聞かれたことはなかった。それほど心配してくれているということでもあるし、初対面の人でも日本から世界中に放射能が拡散されちゃったよ、なんでそんなに地震がある国に原発なんか作るんだいとズバズバ言う人もいるからけっこうつらい。サルデーニャ島はイタリア本土と地質が違って、地震が全くないというのが自慢だからっていうのもあるけれど。

 今回は、夫が福島の原発について一般の人に向けてセミナーで話すことになっていた。テーマは再生エネルギーと市民社会、そして生活の質について。こんなヴァカンスのシーズンに誰も来ないんじゃないかな、なんて軽く考えていた夫も、ほぼ満席の会場に驚く。私もSも最後列に座っていたが、夫の話す内容は普段から家でも日本語で聞いているからだいたい想像がついても、ディスカッションになったときにみんなが話す内容は、私には全く理解できなかったけれど、関心の高さが伝わってくる。そして、夫が25年前に調査でインタビューをした、市民運動の中心となって活動していた人が来場していたらしいが、そんな事情を知らない私でもその人のオーラはしっかり感じることができた。後で夫に聞いたが、その人の話しによると、サルデーニャはこの20年の間に再生エネルギーの開発が進み、今では太陽光、風力、火力により108%の電力生産と余剰分を本土に送電するまでになり、脱原発を実現してきたとのこと。にもかかわらず数年前に政府は経済優先の名のもと、必要のない原発をサルデーニャにも作る計画があったが、市民による署名活動に始まり、州の住民投票が実現し、そして昨年の国民投票により阻止することができた。エネルギー政策の中身については日本とも共通する様々な問題があるとのことだが、まずは市民が自分たちの社会で起こっていることに「関心をもつこと」の大切さを伝えようとしてくれていたことを感じた。

日本でも脱原発について地域でも多少なりとも活動をしている私たちにとっては力をもらった気がした。

 とにかく暑い。この1週間は特別暑かったらしいが、ここサッサリは天気予報では最高気温37℃になっている。フィレンツェと同じ気温。サルデーニャの内陸は40℃とテレビで言っていて、これまで体験したことのない暑さで本当に外に出られない。

 これまでのアパートは風通しのいい最上階だったけれど、今回は風通しが悪いせいか、めったに使わなかったエアコンを1日中使っている。夜くらい涼しくなるかとエアコンを止めると暑くて何度も起きてしまう上、昼寝のしすぎで時差ボケがちっとも直らない。

 今のところ生活を整えるための買い物と片付けで1日が終わってしまっている。なかなかみつからなかったオートマ車がようやくみつかったという連絡がレンタカー屋からあり、重い腰を上げてこれから出かける予定。

 731日、サルデーニャに到着。今回は3週間の滞在予定。

今年の4月からあまりに忙しくて、準備もギリギリだった。

夫の仕事は今年度に入って去年の仕事の倍近くになり、週末しか帰って来ない単身赴任状態になった。

私の方はおととしのイタリア滞在で、帰国直前に転職を決めてからはずっと準備していて、この4月にSが小学校に入るのをきっかけに、自宅で開業することにした。看護師をしながら15年前から修行を続けていた整体を、いよいよ本業にしたのだ。去年1年はプレオープンとして友人からの紹介だけでやっていたが、4月にオープンしてホームページも作り、営業廻りをしたり、友人がイベントで紹介してくれたりと、看板を出さずに口コミだけで自宅まで来てくれるお客様が増え、出発の2日前までほとんど休みなく仕事させてもらえるようになった。キャンセルがあったときにはひょっこりヨガに行ってリフレッシュしたりして自由が効く分、いきなり痛みが出て・・・という突然の連絡も入って時間調整にバタバタしたり。出発直前にお客様に膨大な体操メニューをメールで送り、調子の悪いところはこれをやってみてと、まるで宿題のようにお願いをして出てきてしまったが、あの人大丈夫かなあと心配している。申し訳ない。

さて、今回は夫の仕事で一緒に来たが、去年に残してきた荷物を片付ける目的でもある。夫の古くからの友人のアルベルトの息子が、今年でき婚をしてすぐにお嫁さんが出産。住む家に困って探しているというメールをもらって、それならアルベルトのアパートのすぐ隣の私たちの部屋を息子に貸して、私たちは夏だけだから、他のアパートを借りて引っ越すという提案をしたところ快諾。アルベルトが全ての手続きをしてくれて、お願いしていたテレビだけは運んでおいてくれた。

しかし着いていきなり引っ越しでへとへと。元のアパートから数100メートルとはいえ、荷物を運びだすのにSに「重いよ~」と言われながらも「がんばれ~」と返しながら何往復もする。Sの手でも10往復が8往復くらいには減った感じがあるから、助かる。

今度のアパートの方が広いから、Sが自分の部屋を初めてゲットして、朝から夏休みの宿題をしている間にようやくブログ開始。時差ボケな上に体が回復していないし片付けも終わらないから、とぎれとぎれになりそうだけど、とりあえず再開してみよう。

帰国前の1週間は毎日最高気温が38℃にもなる異常な暑さが続き、ニュースでも警報が出るほどとても外には出られない状態になった(でもサルデーニャの人たちは海に入るのにちょうどいいと喜んでいる)。この1カ月間、一度も雨は降っていないし、湿気がないので一歩日陰に入れば風が涼しく感じるし、夏のためにあるような石造りの家の中は快適(冬はものすごく寒かったけれど)。

この1カ月はこの前滞在していた1年間に値するほど凝縮された時間だった。前はサッサリの友人たちとは1週間に1~2回一緒に出かけたり食事をしたりして話していたイタリア語も今回はほぼ毎日。帰国直前の1週間は幼稚園の友達家族が突然あいさつに来てくれたり食事に誘われたりして毎日がサプライズだった。私たちが春に帰国して夏にすぐ来たから、また来年もきっと来るわね、と言われて安心してお別れできた。ガブリエラとの別れだけは涙がなかなか止まらなかったけれど・・・。

このブログも来年の夏までお休みします。日本に帰ったらしばらくはまた余裕のない日々になりそうだし、今後はfacebookでイタリアの人たちに日本の様子をお知らせし、イタリアに行ったときはこのブログでイタリアの様子をお知らせするという風に使い分けていこうと思います。

ブログを読んでくださった方、ありがとうございます。家族の都合や体調によることもあると思いますが、せめてSが小学生までの間は毎年夏休みにはイタリア・サルデーニャ生活をお知らせできるといいなと思っていますので、またどうぞよろしくお願いします。


イタリア・サルデーニャ生活

アルベルトの車庫にある42年前のチンクエチェント。エンジンを動かすためにSを乗せた。


イタリア・サルデーニャ生活

帰国直前にニーナの家で夕食におよばれ。Sの大好きなエビのスパゲッティを作ってくれた


イタリア・サルデーニャ生活

帰国前に一緒にピッツアを食べに行こうと、幼稚園の同級生のロベルトの家族にさそわれる。食後、ジェラートを食べに行ったときはすでに夜11時だったけれど、子供たちはまだいっぱいジェラート屋や広場の前にたむろしていた。サルデーニャの夏の夜は長い。


イタリア・サルデーニャ生活

この夏1番の思い出の海。初めて岩から飛び込むSは足がすくんでいたけれど、マリアに手をひっぱられて無事飛び込めた後は、一人で飛び込めるようになる

マリアと再会したSは毎日といってもいいほどプールに行って、二人でプールに飛び込んだりじゃれ合ったりして楽しんでいる。時々、サッサリの幼稚園の同級生にプールで会って、「S、一緒に遊ぼう!」と言われるとマリアがヤキモチを焼いて、その子に水をかけて追い払ってしまう。Sがみんなで一緒に遊ぼうよと言ってもマリアは怒って全く聞こうとしない。マリアのママのガブリエラもあきれて、Sに対してだけこういう風なのよね、と言う。

Sもマリアも海よりプールの方が好きみたいだけど、私たちがサッサリを発つ前に思い出作りをしようということで、近場の海に母子同士の4人で行くことにした。車の免許を持たないガブリエラのナビで私が運転する。ガブリエラが子どもの頃から来ている小さな海岸とのこと。そんなとっておきの場所を教えてもらえるなんて、なんだかうれしい。

サッサリから30分弱で着いたところは、本当に小さな海岸で、砂浜が小さいけれど、湾になっている先端が岩で、その上に白い小さな教会が見える。そして反対側の岸壁から少年たちが肝試しのように一人ずつ飛び込んでいるのが見える。Sもマリアも早速小さな岩から挑戦して足から飛び込む。Sは最初怖がっていて、マリアに引っ張られながら飛び込んでいたけれど、おもしろくなって、何度も飛び込んでは泳いで岩に上って、を繰り返す。岩が近いだけに砂も大きくて、そのうち石拾いに夢中になる。いろんな色の石を集めてみんなで見せ合う。そのうちお腹がすいてお弁当を食べ始めたけれど、すぐにまたSとマリアは泳ぎに行ってしまう。止まることのない二人は本当に気が合うみたい。昼の12時から夕方6時まで、ほとんど泳ぎっぱなしだった。でも小さな海岸だから、隅々まで目が届いて二人がどこにいるかいつも見えるので安心だ。

その間、ガブリエラと、トーレ(マリアのお父さん)の話をする(今はフランスのコルシカ島へ単身赴任しているが、もともとは羊飼いで、羊のチーズ作りの名人。その腕を買われてコルシカのリゾート地のアグリツーリズモで羊の世話とチーズ作りをして働いていた。12月末に私たちもコルシカに一緒に行った際、脳腫瘍が発覚した)。その後はマルセイユの病院で手術し、化学療法と放射線療法の両方を受け、4月末から再びコルシカで働き始め、9月から羊のチーズ作りが始まる予定になっているとのこと。コルシカとサルデーニャは最短で船で1時間と近いけれど、やっぱりすぐには行けない場所だけに再発の兆候がないか等心配なことが多いと言うガブリエラ。他にもたくさん複雑な問題を抱えている彼女が私にわかるように話してくれる。来年再会するときにも、どうかトーレが元気でいてくれるよう祈るしかない。そして子どもたちの笑顔が続きますように。


イタリア・サルデーニャ生活  

左端の海岸には教会が見え、右端の岩壁からは少年たちが順番に飛び込み肝試しをする有名な場所らしい


イタリア・サルデーニャ生活

Sも最初は怖がって尻込んでいたが、マリアに誘われて一緒に飛び込むうちに一人で飛びこめるようになった


アルゲーロの港にヨットが停めてあるから、お昼ご飯を食べにおいでよという夫の友人の誘いで出かけていく。夏休みに入り、観光地でないサッサリの町はがら~んとしている一方で、近くの町のアルゲーロは海水浴のためにヨーロッパ中から観光客が来る人気スポットだけに車も人も半端じゃない。歴史的中心街をぐるっと廻ってから港に着くと、一気に静かになり、ヨットの上では波の音だけになり落ち着く。一見狭そうに見えたヨットの中に台所や寝室、トイレもあってSは驚く。私と夫は、「家を買うお金がないからヨットを買った」という友人の言葉に驚いた。夏の間はずっと、ヨットで暮らしているという彼女と婚約者。でも、夏のためだけに?というツッコミを入れたくなってしまうのをガマンした。ひょっとしたらサルデーニャでは当たり前なのかもしれない。

静かなお昼を過ごし、優しい彼女の笑顔に癒されながら、食後はゆりかごのようなヨットの中で昼寝をさせてもらった。


イタリア・サルデーニャ生活 イタリア・サルデーニャ生活