サッサリでは毎年8月の第二日曜に「カンデリエーリ」というお祭りがあり、今年は815日の祝日と重なって大勢の人が市内中心部に集まったようだ。鉄打ち職人や石職人、行商人、トラックの運送者、家具職人、ファーマー等々、職人毎のグループ10組がそれぞれの神輿や山車のようなものを男性10人ほどで担ぎ、音楽に合わせて担ぎながら踊ったり回ったりする。あまりの人の多さでとても見られない状況だったが、みんな手拍子をとりながら大声を出して声援している。この熱~い盛り上がりはカメラでは捉えられないと思い、ビデオを持つ手を伸ばして筋肉痛になりながら必死に撮る。Sは夫に肩車してもらってようやく誰かが山車を動かしていることがわかった程度ではあったものの(その後の夫の疲れ方は半端じゃなかったけど)、一度は見ておきたいお祭りだった。



イタリア・サルデーニャ生活

市庁舎の建物に上り、窓からカメラだけを出してかろうじて撮ることができた


イタリア・サルデーニャ生活

通りからだとほんの少ししか見えないが、熱気だけは伝わってくる

Sの同級生のエドアルドのファミリーに週末に夕食に来てと誘われ、巻き寿司と桜エビの天ぷら、チーズケーキを作って持参する。エドの一番上のお姉ちゃん用のおみやげに日本で今流行ってるんだよと渡したパンプス用のカバーソックス(正確にはバックストラップレースカバーソックスというらしい)の紐をエドのおばあちゃんが鼻にひっかけたのを見て夫が爆笑。そこから始まって夕食が終わったあとまで続くおばあちゃんの体を張ったギャグに笑い続けていた。食事も全部おいしかったし、あ~楽しかった、と笑い疲れて帰宅してすぐにみんな寝てしまった。エドの家に行く直前までアルベルトと仕事の話しで消耗気味だった夫も少しは回復したかな。



イタリア・サルデーニャ生活

カリフォルニア巻きは形が崩れやすくて難しい~。イタリアの人は海苔を見るとゲゲって感じになる人もいるけど、エドファミリーにはどちらもおいしいと言ってもらえてよかった(ほっ)。桜エビの天ぷらはビールのつまみにバッチリだったみたい。


イタリア・サルデーニャ生活

エドママが作ってくれたズッキーニとエビのパスタ。パスタはサルデーニャ特産の形をしたもの。これはSにウケた。完食


イタリア・サルデーニャ生活

カジキとトマトのオーブン焼き。オリーブの実がたくさん。う~ん、ブォノ!ブォニッシモ!


イタリア・サルデーニャ生活

ラディッキエという紫キャベツとサニーレタスとチコリを合わせたような野菜のキッシュ。パイが重いけどおいしい~


イタリア・サルデーニャ生活

ナス、赤ピーマン、ズッキーニ、ジャガイモのカポナータ。野菜を炒めたあとオーブンに入れたとのことで

ジャガイモがカリカリになっておいしい~


イタリア・サルデーニャ生活

おばあちゃんが作ってくれたナスとチーズ(かなり臭い強め)のオーブン焼き。ワインがすすむ~


イタリア・サルデーニャ生活

おばあちゃんのおしゃべりとギャグにみんな大ウケ。Sはエドと遊んでいる間に大人だけで話ができる。エドの両親とも空手や柔道をしていた親日家でスポーツ一家。1番上のお姉ちゃんは日本のファッションに興味があって、かわいいものが大好き。2番目のお姉ちゃんにfacebookの使い方を教えてもらったおかげでようやく情報発信もできるようになった。ステキな家族に囲まれて楽しい夕食会だった。感謝。

3月の帰国直前に、私たちの送別会を兼ねて幼稚園のママ友たちが西海岸のボーザへの小旅行を企画してくれた。帰国したらこのときのことをまとめようと思っていたのに、震災のことで全て吹っ飛び、また日本の生活に慣れるだけで精いっぱいで書けなくなってしまった。

今回、サッサリでみんなと再会して、このボーザ旅行がなかったら、たった1年間では幼稚園の同級生の両親たちとまでは交流できなかっただろうとつくづく感じた。今回の夏の滞在では、幼稚園の同級生たちの家族に夕食までおよばれしてもらえるようになり、本当に感謝している。


前回のブログで、担任の先生から「ボーザへの小旅行がおとぎ話のようにステキだった」とあったメッセージをもらったことを書いたが、この忘れられない出来事なくしては今回の私たちのサッサリ生活はこんなになつかしくて楽しいものではなかったと思うから、やっぱりもう一度ふりかえってまとめておきたいと思った。



イタリア・サルデーニャ生活

休日の朝、幼稚園近くで集合して担任の先生たちと同級生20人とその兄弟や両親たちの総勢60人でバスに乗る。バスの行き先の札にSの名前を担任の先生が張ってくれて、この旅行はSのためだよと言われているようでいきなり泣いてしまった私。ママたちに肩をさすってもらって励まされる。まだ朝の8時過ぎなのに、この先どうなってしまうの?

そのあとトレニーノ・ベルデに乗り換える


イタリア・サルデーニャ生活  山を抜けて海が見える


イタリア・サルデーニャ生活  

列車の中に仮面をつけた女性が。仮面をはずされびっくり。9月から地元の幼稚園に転任してしまったロージーがわざわざ来てくれたのだった。サプライズに泣いてしまった私。みんなが私の写真を撮りに来る。恥ずかしい~


イタリア・サルデーニャ生活

担任の先生が作った、Sの名前入りの冠をみんなに配ってくれ、大人もみんなかぶって食事。ボーザの郷土料理にワインとおしゃべりがすすむ親たち。

レストランの食後は大きなケーキに「早く帰っておいで S!」のメッセージにまたもや涙。さらにこの旅行を企画してくれたママ友のお姉さんの手作りだったと聞いて涙がなかなか止まらず、他のママたちが笑って私のほっぺをつねってくる。


イタリア・サルデーニャ生活  山から海につながる川の景色が展望できるボーザの城跡


イタリア・サルデーニャ生活  川面の光の先は海


イタリア・サルデーニャ生活  3月初めで桜が咲いていた


イタリア・サルデーニャ生活  城跡の門の横で子供たちがじゃれあっている。


イタリア・サルデーニャ生活 海岸そばの川辺を窓のない屋根付きバスを貸し切って市内観光


イタリア・サルデーニャ生活 日が暮れて、特大の切り売りピッツアを公園で立ち食い。


この後、ママたちのダンスを子供たちに見せるが、自分たちのバラバラさに爆笑し、パパたちは苦笑い。子供たちは??のまま終了。バスの中で懐メロや童謡を皆で歌い続けてサッサリに戻ったのは夜9時。

 貸切バス、電車、市内観光バス、レストランやピッツア、城跡の団体観光予約等々、全てをオーガナイズしてくれたママたちや先生たちに感謝してもしきれないほど、楽しい思い出ばかり。

 後日、写真を音楽つきで編集してくれたパパからDVDをプレゼントしてもらう。


 幼稚園の同級生のサラの誕生日会に呼ばれ、サッサリ郊外のカンパーニャに行く。6月末で卒園してしまった皆にとっても同窓会のような盛り上がりで、私たちが来ることを知らなかった人たちには「サプライズだわ!」と言われ、笑顔で抱き合う。大地震のすぐあとに帰国しちゃったから心配していたわよ~と口ぐちに言われる。本当にありがたい。Sは恥ずかしそうに挨拶したあと、すぐになつかしい友達たちと遊び回ったり、ポニーに乗せてもらったりと、またさらに思い出深い時間を過ごすことになった。



イタリア・サルデーニャ生活  小山の上でのフェスタで5か月ぶりの再会



イタリア・サルデーニャ生活  反対側の丘が見え、谷底には電車が走っていて広々とした景色



イタリア・サルデーニャ生活  子供たちは順番にポニーに乗せてもらう



イタリア・サルデーニャ生活  うれしくて大はしゃぎのS



私たちは担任のマルチェラ先生が卒園のときに子どもたち一人一人に向けてくれたというメッセージのコピーをママ友から受け取り、すぐに夫が訳してくれた。



A組 出席番号19番 かわいらしいS。 いまは遠くにいるけれど、わたしたちのこころのなかではいつもあなたはいっしょなのよ。あなたたちが夏にもどってくるのをみんな待っているわ。最初、言葉も通じないあなたが来るときいて、わたしたちはとてもとまどったの。でも、二人のすてきなご両親とあなたを見て、最初心配していたのよりずっと簡単だとおもったわ。そして楽しかった。あなたは日本人、わたしたちはイタリア人、あなたはかしこまっていたけど、わたしたちはやたらあなたにキスをしたわ。あなたは物静かで、わたしたちはおさがわせ。覚えている?あなたが折り紙や花のロザリオの作り方を教えてくれたこと。幼稚園いっぱいに飾り付けをして「日本を知る一週間」をやったこと。バスに乗って、レルノ山やローマ村へ、いっしょに遠足をしたわね。そしてあの、あなたが日本に旅立つ前にお母さんたちの企画で実現した、あなたを見送るためのボーザへの小旅行はおとぎ話のようにすてきだったわね。 だからね、S、頼むから、早く帰ってきてね。」



詩のようなメッセージ。何度読んでも涙が出てしまう。卒園のときは私たちは帰国していたのに、Sのために書いてくださっていたなんて、本当にありがたい。




週末、アルベルトの親戚の別荘のある東海岸のシニスコーラへ、レンタカーを借りて行く。ほとんど高速道路ではあるものの、片道150kmほどあり、車酔いの激しいSにはキツイので、ゆっくり古代遺跡のヌラーゲ観光をしながら休み休み行くためでもある。日本でもあまり長距離を運転しない私にとってもキツイが、観光地としては穴場で、めったに行けない場所に泊めてもらえるというお誘いがあった上に、その家の奥さんのジャンニーナの料理はおいしいので、ご厚意に甘えてしまうことに。親戚たちが集まるけれど、9部屋もあるから大丈夫とのこと。

昼過ぎに着いてすぐにナスのパスタや牛肉とケイパーのトマト煮、採れたて野菜や果物をいただいて少し休憩したあと、夕方に近くの海へ。遠浅でどこまでも澄んでいて「魚もいっぱいいる~!」と大喜びで泳ぎ始めるS。翌朝も起きてすぐに海に行き、ジャンニおじさんに泳ぎ方を教えてもらう。4月からスイミングスクールに通っていてもすぐに沈んでしまってなかなか泳げなかったのに、塩水のおかげか、すぐに浮いて泳ぎ始めたので、おもしろくなってしまいなかなか帰ろうとしなくて、皆に「ペッショリーナ(小魚ちゃん)!」と呼ばれていた。

昼過ぎに戻るとボンゴレスパゲッティや新鮮なカジキ魚と完熟トマトと一緒に焼いたものが最高においしかった。食べることに必死で皆の会話はほとんどわからず、黙々と食べていたけれど、時々ジャンニおじさんが私に気を使ってくれて夫に通訳してあげてよ、と言うものだから、食べることに集中していた夫も何度も喉に詰まりそうになっていた。嫁でもないのにたくさんお世話になってしまい、申し訳ないと思いつつ、お手伝いできることを覚えてまた来年も来させてもらえるといいな。



イタリア・サルデーニャ生活  途中で寄ったヌラーゲに入って上ろうとするS

イタリア・サルデーニャ生活  草原の中にポツンとあった小さな教会



イタリア・サルデーニャ生活  シニスコーラのサンタ・ルチア海岸

イタリア・サルデーニャ生活  すでに焼けていると言われ、もうパラソルの下から出たくない・・・


到着した翌週の月曜日からは、Sは毎日午前中に近くの体育館で行われているUISP(イタリア体育協会の略で、いろんな運動や遊びを通して同学年毎の子どもたちが交流をするところ)に通い始めた。イタリア語を忘れないようにするためと、体力をつけることや、異なる環境に入って鍛えるためと親としてはいろいろな目的はあるのだが、行く前のSは緊張気味。去年の7月に入ったときよりはイタリア語はわかるようになっているから大丈夫、それに前の幼稚園の友達にも会えるのだし、と何度も励ましながら行く。体育館に着いて、去年の先生と違う~、と一粒だけ涙をこぼしたけれど、グループに入って遊び始めたら楽しかったみたい。去年の今頃よりはイタリア語がわかるようになったって言うし、ちょっとずつ思い出してきたみたい。

翌日には以前通っていた幼稚園の友達の家に家族で夕食をごちそうになって子供たちも夜遅くまで遊んでいたため、Sは翌朝なかなか目が覚めず、幼稚園じゃないしちょっとくらい遅刻してもいいかなと放っておいたら、「なんで起こしてくれなかったの!遊ぶ時間が減っちゃったじゃない!」と怒って言うので、そんなにUISP楽しいんだ、と安心しながら送って行った。午後からはまた別の友達の家に遊びに呼ばれてSだけ連れて行ってもらっちゃった。

週末、二ーナの誕生日だけど、どうする?とアルベルトに聞いたら、二ーナはやっぱり海が好きだから、フェスタをするよりは海に行こう、ということになった。お昼過ぎてから出発し、しかも結果的には西海岸と北西海岸をはしごすることになった。

まずはアルゲーロ近くのアルジェンティエラという銀の鉱山跡近くの西海岸に行く。二ーナが以前よく行った海岸とのことだが、あいにく風で波が高くてとても泳げそうになく、Sも砂浜で遊んでいたが、水着に砂が入って夫にとってもらっているうちに二人とも波をかぶってびしょびしょ。二ーナが、やっぱりこれじゃ泳げないからこのまま北海岸のスティンティーノに移動しよう、と言うので、びっくり。すでにもう夕方5時近かったからだ。車で20分ほどで着いたが、スティンティーノの海はほとんど波がなくて別の島に来たみたいに違う。でもさすがに5時過ぎていると寒い。夫とSは海に入っていた方がマシ、と言って泳ぎ始めたものの、寒くて出られない~と泳ぎ続けていた。そのうち二ーナの家族や友人たちが集まりだして7時過ぎまで海岸でおしゃべり。サマータイムで明るいとはいえ、さすがに水着で夕方まで海岸にいたら寒い~。みんなに、パラソルの日陰にいたら寒いでしょう?と言われても、日焼けの方が怖くて・・・。

Sが砂で作ったバースデーケーキもどきを二ーナに見せると、みんなでハッピーバースデーを歌って、解散になった。楽しいんだけど、体がついていってない~・・・



イタリア・サルデーニャ生活 夕方のスティンティーノの海。Sの足が透き通って見える位キレイ


アルベルトの家族とその親戚の子どもたちが夏休みで里帰りをしたからと、メーナの家でごちそうしてもらえることになり、朝から楽しみにしていた。メーナの料理って、本当においしくて勉強になるから。

日本ではもう魚介類は食べられないでしょう?とたくさんのコッツェ(ムール貝)のオーブン焼きとボンゴレスパゲッティ(Sの大好物!)、庭の畑で採れたたくさんの野菜や果物と、地酒ワインをいただく。食後はメーナたちの案内で広い庭を探索。果物も取り放題で、Sは大好きな洋梨をもいでかぶりついたり、犬や子猫と遊んで楽しむ。テラスでくつろぎながらメーナからレシピを聞きつつ、メーナのホスピタリティを見習いたいと思った。



イタリア・サルデーニャ生活 とれたてのトマトを刻んでバジリコと一緒にパンにのせるメーナ


イタリア・サルデーニャ生活  新鮮なコッツェ(ムール貝)はまったくくさみがなくてプリプリ


イタリア・サルデーニャ生活 ボンゴレ(あさり)たっぷりのスパゲッティ


イタリア・サルデーニャ生活  庭で採れた梨やプルーン


イタリア・サルデーニャ生活  広い庭で走るS


イタリア・サルデーニャ生活  プルーンの粒が大きい~


イタリア・サルデーニャ生活  洋梨の皮が赤い!


イタリア・サルデーニャ生活  かぶりついて皮のまま食べるS

 朝6時に家を出てからちょうど24時間後にサッサリの家に到着。イタリア時間は夜中の11時、日本時間は翌朝の6時。Sと私は機内ではこま切れでしか眠れなかったままだ。

ちょっとの間、家を空けていただけのような気がする我が家に着いてすぐに隣の家の二ーナが野菜スープを作って待っていてくれた。Sが二ーナに飛びつくと、おかえり、と二ーナがぎゅうっと抱きしめてくれる。Sは二ーナの家で自分が書いた絵を飾ってもらっているのを発見して縄張りを確認する犬のように家中をぐるぐる回り、自分の部屋に帰ってからも残してきたおもちゃをなつかしんで興奮してしまい、なかなか寝ようとしない。ようやく夜中の2時に寝て、翌朝は7時に起きてしまうという時差ボケ状態のまま、朝から八百屋でたくさんの果物と野菜の買いだしに行き、近所の人たちにおかえり、と声をかけられる。

幼稚園のママ友から電話がかかってきて、仕事が終わったら公園で一緒に遊ぼう、と言うので何時かわからず待っていたら、なんと夜の7時。今終わったらからこれから行こうって、まだ夕飯食べてないしもう眠くて仕方ないんだけどなあと思いつつ、外は明るくて公園ではたくさんの子どもたち(中学生のヤンキーたちも含む)と、仕事帰りに話しこんでいる大人たちでごった返していた。Sも久しぶりに再会した友達との遊びに夢中になってしまい、ママ友たちの話しもなかなか切れず、結局帰ったのは9時。夕飯もそこそこにバタンキューで寝てしまった。夏のイタリア生活って、毎日がお祭りみたいでハードだったんだ、そういえば。

 今週から来月末にかけて、再びサルデーニャへ。帰国してすぐはイタリア語の歌ばかり歌っていたSも、今ではすっかり忘れてしまい、また言葉の通じない夏の学校(イタリア体育協会)に入ることを嫌がっている。S「お友だちには会いたいんだけどね」。そういう私もけっこう重症で、毎週イタリア語の授業を受けているが、恐ろしいほど忘れているし、知らずに使っていた間違いも先生にたくさん指摘してもらってもなかなか覚えられない。サッサリに着いたらまたすぐにエレナのレッスンでたくさんしゃべらなければ!合気道の仲間やサッサリの幼稚園ママたちからまた集まろう!とメールやfacebook上で誘ってくれて楽しみな半面、しゃべれるかなあという不安もある。

そして、夫のサッサリの友人は夏休みをほとんど取らない人たちだから、着いてすぐに仕事に駆り出される予定だし、今回も家族で観光とは程遠く、それぞれがそれぞれの仕事と勉強をするうちにあっという間に過ぎそうな気がする。

 ただ、この時期ならではの味の濃い杏と黄桃を1キロ1ユーロ半で食べられることを楽しみにして。