その時代を生きた人々が亡くなっていった後、その体験を語り継いでいくのは、映画、小説、戯曲、絵画や音楽という芸術の役目であります。

 

 太平洋戦争が日本の降伏で終わってから80年経ち、戦争体験者が数少なっていく中で、その実際の生活や心情を庶民の世界から描いたのが井上ひさしであります。

 戦争を遂行した軍部や権力者を糾弾しながら、日本人のものの考え方、振る舞いを分析して日本人論を舞台に乗せました。

 

 歌や踊りを交え、面白おかしく進行しながら、戦争の本質や、戦時下に生きた人々の心情を露わにしていく、観客は笑いながら、涙を流しながら、目を覚ませられる。

 

 今回は、戦後2年くらいたった没落男爵家が舞台。被災した豪邸をダンスホールに改造して生き抜く33歳から女学校に通う四姉妹の物語。両親は戦災で亡くなり、お金もなくて生活する姉妹のもとに、「桜の園」のロバーヒンよろしく、かっての使用人金太郎が闇で稼いだ金を持って、屋敷を買収しにやってくる。

 生き別れになった妹を探す便配達夫、闇たばこ売りのおばさん、火災で声を失った花売り娘たちが加わって、戦後すぐの庶民生活のあれこれを繰り広げる。

 

 金太郎の振る舞いの中に、体制が変われば疑うことなく新しいシステムに順応し、政府や政治批判を忘れてしまう日本庶民の姿を映す。

 過去を忘れて生きるのはバイタリティある生き方と評する人もいるだろうが、戦争の総括、責任の所在をあいまいにして、体制批判をせずにいれば、再び、戦争が起きる世界がやってくると、作品は言う。

 

 実際に、昨今の世相を見れば、まさしく、戦争する国が復活しているように思える。

 

 井上作品では、セリフが重要なのだが、役者から発せられるセリフが聞こえにくいのが難点だ。端っこではあったが、紀伊国屋サザンシアターの前から三番目であったのにだ。

 リアルを求めて大きな声で喋らないようにとの、演出の意図があるのかもしれないが、これでは作品の意味が伝わらない。

 高橋克実さんや、枝元萌さんははっきりしていたが、特に、次女のセリフが聞き取れなくて、戦争に行って帰ってこない夫の話が分からなかった。深夜のシーンでは全員が聞き取りにくかった。

 

 栗山民也さんはどう思っているのだろう。セリフの音量以外は素晴らしいのに、どうにかしてください。

 

 朝海ひかるさん目当てに行ったのでありますが、久しぶりのコムさんは、背筋がピンと立って、凛としたたたずまい、気丈な元貴族の令嬢、蘭子さんがしっかりそこに居ましたです。

 

 期待したタンゴ、物語の最中では、セーブされていましたが、全員が踊って終わるラストシーンでは、しっかりタンゴ踊ってくれました。相変わらずのデコルテライン、背中のそりがピシッと決まって、嬉しかったであります。

 

 

 平家の御曹司たちのあでやかな、しかも哀しい青春群像劇とでも、言うべきでしょうか。

 

 それぞれに懸命に生き、短い命を散らしていった若者たちを美しく、しかも、ダイナミックに描きました。蒼い光の夢幻の世界に誘われた余韻が観終わった後にも続いています。

 

 滅びゆく人々の物語は心に沁みいります。琵琶法師が語り継いで、日本文化の底流に今も生きているのからこそ、平家物語は心をひきつけるのでしょう。

 

 平宗盛、重衡、知盛の三兄弟に、いとこの教経。それぞれに特化した特徴あるキャラクターがわかりやすいです。

そして、一ノ瀬さん、聖乃さん、永久輝さん、極美さんが、それぞれの心情を的確に美しく演じていて、シンパシーを感じる舞台でした。

 

 実際の平家物語では、知盛はあまり出てこなくって、一の谷の合戦と、壇之浦くらいしか活躍していないのです。

能や、歌舞伎で有名になっていったのでしょう。

 

 歌舞伎や能と違って、この舞台では未知なる異国に思いをはせる血気盛んなロマン志向の若者になっていて、永久輝さんが清々しく演じました。

 そんな柔軟性のある青年なので明子さんのような、変わった姫様に興味をもったのでしょう。でも、清盛の前で「平家は滅ぶ」なんて叫ぶシチュエーションにはびっくりしました、ちょっと、無理あるかなあとは思いましたが。まあ、そこは目をつぶることにします。その後は破綻なく、物語が進んでいったので。

 

 繊細で雅な重衡さん、豪放磊落の教経さん、極美さんは、力強い演技でまた新しい可能性を見せてくれました。対照的な二人です。平家物語って何十人も登場人物があるのに、この二人を選んだ作者の選択は賢いです。宗盛の一ノ瀬さん、上手ですね、優柔不断な棟梁を品格ある芝居でうまく表現してました。

 清盛の英真さんはやはりお上手、存在感抜群。

 

 源氏勢のお役は、義経、梶原景時、影季の三人だけというのも潔い。熊倉さんの思いっきりの良さがすごい。

この三人がまた良いのです。義経は、切れやすい危ない青年を希波さんがカッコよく演じ、重厚な武将景時を、侑輝大弥さんが素晴らしい身のこなしで表現、芝居上手ですね、ジュリアンが楽しみです。

 

 知盛の息子知章三空真瑠さんが健気で涙を誘いました。

 

 合戦シーンは期待してたよりは大人し目でしたが、ないものねだりではあります。これだけ楽しませてくれれば言う事ありません。こんなに素敵な舞台を見せてくれたのですから。

 

 

 

 

 

 凄い作品だという噂を聞いて、東京公演まで、待てなくて、映画館に行ってしまいました。

栗田優香さん、素晴らしい脚本家、演出家が生まれましたね。あまりの凄さに暗がりで笑ってしま った。

 

 緻密な脚本、緩急自在の話の運び方、大胆な演出、構成がしっかりしているので、お話がぶれることなく、しっかりと、ラストまでもっていく。緩急のリズムが良いので物語に引き込まれます。

 昨今の本公演では、グダグダの作品が続いていて、がっかりしていたので、晴らしい作家が出て来て嬉しい限りであります。

 

 

 何より、主人公が殺人鬼のように、人をバサバサ殺すし、婚礼の夜に残バラ髪の血まみれ姿になってしまう。

こんな血まみれのトップスターは見たことがないです。

 幕開きは後ろ向きの主人公。この大胆な演出が度肝を抜きました。

 

 出自を賤民としたことで、残虐行為も成り上がるためという説明がつくし、根底に人の心を持っているがゆえに、恋愛が成り立ち、見ていてキャラクターに共感性があります。もちろん、鳳月杏様の演技力あるが故でありますが。

 

 赤兎馬のシーンは、ファンタジックな美しさと、おどろおどろしさ、素晴らしすぎて。鳥肌立ちました。

 ヒロインが入水してしまって、もう出てこないのかと思ったら、三国志で有名な美人として復活するなんて、なんという筋立てでしょう。こういう手もあったか!

 息つく暇なく物語が進んでいくのに、渋滞することなく進み、なおかつ民衆の歌や踊り、宮廷の歌舞もあって、ほっこりしたり、芝居のリズム感も良き。

 

 煌びやかで、勇壮で、しかも、二人の愛の物語に胸締め付けられ、涙が出てしまう。

 

 芝居つくりのうまさばかりでなく、沢山のお役があって、それぞれに見せ場があるんですね。生徒さんもやりがいがあって、上級生、下級生、素敵な芝居を見せてくれました。

 

 鳳月さんのどっしりとした武将姿、力強くって、しかも、愛に生きる切なさ、もう一級品の風格、色気満載。ため息です。

 

 天紫さんは、中国美人そのもので、お衣装も冠も、絵から抜き出てきたようで、赤い衣装での踊りは目を見張ります。

 

 風間さんは、どんなお役でも客観性があって、飄々としたゆとりがあるのですね。だから、悪い役でも人間味があるのです。凄い才能。

 

 

 栗田さんは、上田久美子さんの再来でありますが、上田さんより、腐女子エッセンスが加味されていて、そこも、魅力的であります。「雨ににじむ渤海」の平松結有さんと共に、今後の観劇が楽しみになりました。

 

 何しろ、歌が難しい。「エリザベート」のリーヴァイさん。幕開けに主人公の私、の歌があるのだけれど、聞いているだけで難しそう。しかし、キャスト全員が歌いこなしていて、耳が幸せでした。しかも、物語の進行がミステリアスで、どうなっていくのかと、身も心も釘付けになり、体が緊張して、休憩時間には体が痛かったです。

 

 それだけ、歌も、芝居も白熱していました。

昨日は、朝月希和さんが私で、ダンヴァース夫人が霧矢大夢さん。

 

 朝月さんは、庶民階級の気後れしがちの慎ましい、夢見がちな21歳。希和さんのキャラにドンピシャはまって、見知らぬお屋敷に放り込まれた切ない、不安な気持ちがずんずんと伝わってきました。

 

 海宝さんは、もう、上流階級の中年の紳士、気品があって、しかも複雑な過去に混乱した神経の持ち主を細やかに表現していました。

 さて、物語の要のお役。ダンヴァース夫人。霧矢さんのお歌は久しぶりだったのだけれど、これが圧巻の凄さ。鬼気迫る熱演。このこのダンヴァース夫人の亡くなったレベッカへの偏愛が見どころなんですけれど、朗々たる声が劇場中に響き渡り、恐怖のどん底に引きずり込まれました。改めて霧矢さんの実力を感じました。wの明日海さんが演じたらどうなるのかな、凄く見たくなりました。

 

 今回の公演は、Wが明日海りおさんで、マキシムさんのお姉さんが彩乃かなみさんで、月組三人。雪組の朝月さん、アンサンブルに彩花まりさん、宙組で、なんか、親近感がありました。宝塚OGの実力をまざまざと実感した舞台でありました。

 

 

 

 

 強権主義の国で、不当に逮捕され、屈辱的な拷問を受けた中年の男ワヒド、家庭は破壊され、妻は自殺に追い込まれてしまった。ある日、偶然に拷問を指示した義足の看守を見つける。

 

 恨み骨髄に達っしているワヒドは、元看守を捕まえて、砂漠に生き埋めにしようとするが、男は人違いだと主張する。果たしてその男がその看守なのか確信が持てない。拷問時には目隠しされていたからだ。

 

 そこで、ワヒドは、彼を箱に閉じ込めて車に乗せ、当時一緒に拷問された仲間を訪れて、面通しさせる。その一人一人の反応が見どころだ。 

かっての仲間たちは、屈辱と恐怖と暴力の体験が蘇り、果たして本人なのか確かめるために、数人が車に乗り込む。

 

 皆で確証を求めて町を漂流しているうちに、元看守の子供から電話が来て、臨月の母親が倒れたと泣いている。そこで、なんと、かれらは助けに行くのである。

 元看守に対する、憎悪と、怨嗟で殺気だった人々がここいら辺りから、変身していく。サスペンスタッチの雰囲気がなんとなくコミカルになっていく。

 

 元看守の家に行き、妻の妊婦と子供を病院に運び、無事出産のお祝いまで買ってきて人々に配ったりする。ワヒドは、元看守を生き埋めにする気持ちが薄まってしまう。

 復讐に燃える殺気だった人々が元看守の妻の出産を手助けするうちに人の心を取り戻して、元看守を殺さず、放免してしまう。

 そんな善意が最後に破滅の方向へと導いてしまう。

 

 庶民の人の好さの一方で、元看守は自分を監禁した庶民を許さない。ジャベール刑事のようにラストはワヒドたちを追い詰めてる。国家権力、そこで利権を手にしている官僚の、その冷徹、酷薄さを描いて終わる。

 

 権力は非情なのだ。自身の権威を守るために暴力を使って、情け容赦なく民衆を叩き潰す。

 

パナヒ監督が実際に投獄された経験をもとに作られた作品だが、単に告発するだけでなく、客観性があり、ユーモアを交えて語っていく手際が見事である。人間洞察の深さを感じる。

 

 

 

 八年前、濱田めぐみさんの初演を見て、きれい、美しい、素敵と、大感激して、今回、朝夏まなとさんがメリーになるというので、ドキドキしながら、3月31日に見に行きました。

 

 その時の感想は、ブログに書きました。戯曲がもつ本質的な世界観みたいなのを、書いてみました。今回は、もっと別の面から書きますね。

 

3 月の時は、始まって間もなくだったし、席は一階でした。初演時に感じた舞台のすてき感が薄かったのですが、二回目は6日のブラ見ちゃん貸し切りの日。

 今回は二階席真ん中あたりで見たら、あのすてき感が戻って来て、それも、何倍も拡大して素敵が迫ってきました。

 二階席だと、舞台の奥まで俯瞰して見れて、奥の方でアンサンブルさんが歩いたり、芝居したりが見えるし、煙突屋さんたちのフォーメイションがリアルにわかるんです。照明の動きも体感として、感じられる。舞台との一体感が半端なかった。

 

 そして、二回目は、まぁ様を落ち着いて見られるのです。このシーンが終わったら、あのシーンとか、ワクワク感もあって、ウキウキしてしまう。

 そして、お歌が素晴らしくって、数年前は少し、心配するときもあったのですが、このメリーさんの難しいお歌。見事に歌いこなしていたことも、嬉しさ万倍でした。バードウーマンとのデュエットには涙が浮かび、ひばりのカルーソーみたいな高音のきれいさにびっくりしました。

 まぁ様のストイックな努力、鍛錬、修練、訓練、精進にいそしんだのだろうと、胸が篤くなりした。

 お休み中でも、ボイトレに行っているのではないかしら。凄いです。

 

 まぁ様メリーは立ち姿は、美しく、踊りはキレキレ。心根は優しくって、 人の気持ちになって、物事を判断するし、てきぱきとハンサムウーマンで、実際のまぁ様の姿が重なります。

 

 夜空に飛んで行ったメリーさん、二階席の私の真上を慈愛に満ちたほほえみを浮かべて飛んでいきました。

 

 また戻ってきてくださいね、welcomeで待っていますよ。

 

 

 

 イギリスの寂れた元炭鉱町、住民は生活に困っている人が多い。びっくりするのだけれど、食べるものにも事欠いて、食事を十分にとれない人がいるようなところだ。貧困が蔓延している。

 年齢のいった元炭鉱夫たちは「オールドオーク」という古い酒場で昼からビールを飲んでいる。

 

 そこにシリアからの難民一家が政府から指定されたのだろう、古いアパートにやってくる。

母親と、四人の子供、年長の娘は20歳前くらい。

酒場の老人たちは、むき出しの敵意を移民一家に向ける。

 

 

 ケンローチ監督の作品は人々の描写が写実的で、リアルだ。一人一人が寂れた街で懸命に生活しているさまが手に取るように描写されていて、切なさが身に染みる。

 

 これは、脚本おいて、会話がきちんと書かれているからだし、切なさを抱えて生きている人々への心の共感が深いのだ。

 差別的な老人たちの言葉は辛辣だけれど、喪失したプライドが弱者への攻撃に変わる心情を鋭く描く。

 

 唯一の家族である愛犬を失ったオーナーが、海辺で埋葬するシーンは彼の孤独が切々と伝わる。そのことを知った移民の少女がカメラを直してもらったお礼に食べ物を持って母親とやって来て慰める。其処から交流が深まっていくのだが、酒場の客たちはそこが気にいらなくて悪意を向ける。

 

 差別や偏見は、不安や未来への希望のなさから生まれ、他人を傷つけることで自分の絶望を目くらましする。つかの間に留飲を下げても、むなしいのに。

 差別する方も、辛い人生を生きている。酒場のオーナーは、共に生きる場所を作ろうと、住民と、移民一家を一緒にして、大人食堂を思いつく。辛い者同士が食材を持ち寄って、料理を作って、食卓を囲む。

 

 それが縁になって、町の人々の移民一家へ思いが変わる。一家の父親の葬儀には沢山の町の人がお弔いの品々を持って、弔問に来る。後から後から列をなすシーンははあり得ないとは思う。それほど簡単に人の意識は変わらない。

 

 しかし、ケンローチは、差別や偏見を乗り超えるには人との触れ合いが、その第一歩である。そうあって欲しいという願いを込めたのだろう。理想的過ぎるという批判を受けようともだ。

 

 

 

 

 

 

大変にわかりにくい作品で、映画を見た後、3日間考え続けて、やっと自分なりにたどり着いた考えを綴ります。

ポイントは二つ

 

 地球は、気候変動にせいで、世界規模で終末を迎えている。人々はそれにおびえている。明日は我が身が終わる。いや、そんなことは言っていられない。今すぐかもしれない。夜空では星たちが消えていく。

 不穏な空気が漂う世界に、「サンキュー、チャック」の明るげな画像が町中に流される。チャックは笑顔で満足そうだ。分けが分からなくて混乱するのは、住民も、観客も一緒だ。

 

 次のシーンでは、中年のチャックが、大道でたたかれるドラムスに喚起されて、ダンスを踊り始める。会社員風の風貌には似合わない華麗なステップ、見物の女性をパートナーにして踊って、見物のやんやの喝采を浴びる。凄く満足そうで楽しそうだ。観客は、「なにこれ?」状態、キツネに包まれる。

 そして、前後関係はあやふやだが、家族に囲まれて死期を迎えるチャックが描かれる。

 

 三章として、子供時代のチャック。父と妹が不慮の事故で亡くなってしまった7歳か8歳のチャック。

 彼はダンスに興味を持って、学校の部活で踊り始め、凄い才能で一目置かれる。その頃、祖母が不意になくなる。家の中に開かずの間があり、祖父は見てはならないと厳命する?。将来はダンサーになりたいと祖父に言うが、祖父は数学の面白さを語り、自分と同じ会計士を薦める。

 高校生になると、祖父は亡くなり、チャックは親戚の家に移る際、家を壊すのだが、あの秘密の部屋に入る。

そこで彼は見る。自分の死の瞬間を。観客は、家族に囲まれて死期を迎える自分の映像を高校生の時に、チャックが観たことを知る。

 

 ここで、一つの推測が生まれる。

① 高校生のチャックは自分の死に時を知ってしまった。それを知りながら、ダンサーの夢を封印して大人になったチャックは会計士になり、幸せな家庭を築く。大人になったチャックが楽し気に街角のダンスシーンが結びつく。

 そこで、「生きる」の志村喬が頭に浮かんだ。

 市役所の役人である志村喬は、当時は死の病だった癌の宣告を受ける。絶望して自暴自棄になるが、思い直して、市役所の仕事として、市民公園を作ることに全力を捧げるのだ。

 

ここで、思考がたどり着くのは。映画のメッセージは、死期を知りながらも、思いっきり生きること。

これは破滅の日を迎えた地球人も同じだ。思いっきり生きること。人の生きる時間は限られているのは誰も同じなのだから。

 

すると、このメッセージの根拠はどこから引き出されたのか。

②宇宙の調和 あるいは天球の音楽

この作品では、やたら、星空のシーンが出て来る。宇宙的規模の広大な星空が終末期にも、チャックの子供時代にも。何だろうと考えてある理論を思い出した。

 

 ピタゴラスやプラトンは宇宙、星の運航は数学的に調和していて、惑星の運動は美しいハーモニーを奏でている。宇宙はすべて、数学的に秩序だって調和している。ケプラーに受け継がれて神秘思想として、ヨーロッパキリスト者世界に広まった。(バッハは音楽的に楽譜として刻んだ)

 

 そこで、①と②を組み合わせて考える。

 

 最後を迎えている地球も宇宙の星の一つである。滅亡していくのは人類の環境破壊による、自らが招いた結末である。宇宙の調和を乱した故の必然の消滅なのだ。それを甘んじて受け入れるしかない。

 その終末まで、若くして死ぬ時期を知ったチャックのように、心して、自分らしく生きていくことだ。映像のチャックの笑顔は、達観しているからなのだ。「生きる」の志村喬の生き方もそうだ。与えられた時間の中で精一杯生きること。

 チャックが数字を扱う会計士になったのは宇宙を数の論理で動いていることを象徴しているのだ。無べなるかなである。

 

 この作品は神秘思想がベースにある。だから、オカルティックなのはそのゆえんなのである。

 

 それにしても、分かりにくい。というか、見る人を選ぶよね。皆さん、頭ひねりながら、ぽかんとして、映画館をあとにするだろう。

 見る人によって様々な見方があるし、解釈が出来上がる。でも、分かりにくい、なんでチャックの映像が現われたのかなあ。

天球の音楽をいうなら、チャックはダンサーではなく、音楽家にすべきなんだけどなあ。

 

 

 

 唐十郎が目指した演劇は、論理的な言葉で構築した劇世界をぶち壊すことだ。論理と、計算で作られた戯曲の構造を破壊することだ。なので、論理的にストーリーを辿ることは徒労である。

 

 今回はパチンコ台の真ん中に設置されていて、大量の出珠があるチューリップが妄想の出発点。それは大概、赤い色でできているのだが舞台では黒いチューリップに設定されている。

その黒いチューリップから湧き出したイメージに、いつものように、感覚的にひらめいた言葉をランダムにくっつけて、コラージュして、虚実皮膜の劇的世界を作りあげる。

 発せられる言葉に何の意味があるかと、問いかけても、答えは各人各様で、そこが開かれた演劇である所以であるので、各人は、展開についていけなくなりながら、必死で煌びやかで猥雑なセリフに翻弄される喜びを感じてかれの芝居に足を運ぶ。

 

 金守珍の演出は随分と、派手に役者のパフォーマンスを取り入れていると思う。天井からつり下がった布のアクロバットとかは唐十郎演出にあったかどうか定かではないが、言葉以外にマスでのドタバタ芝居を取り入れたように思える。

 この作品は作者の狙いがよくわからないので、言葉のイメージだけでは面白くないと思ったのではないだろうか。

 その分、楽しくみられるので、観客は退屈しない。

 

 

黒いチューリップはこの世には存在しない、それを咲かせようとした女は、三角関係の恋愛をこじらせて居なくなってしまう。その彼女を妹が探し出そうと奔走する物語。迷宮にはまってしまいそうでも、ラストは極楽浄土のような、美の世界で終わる。

 

観客は散々翻弄された挙句、最後は、目出度しめでたし風になり、混乱のままにあいまいな苦笑いを浮かべて、テントを出ていく。お祭りの後の寂寥感を抱えながらネオン瞬く新宿の夜の雑踏の中にまぎれながら家に帰る。

 

 これって、まさしく芝居のだいご味だろう。

 

 

 

 江端瀧昌さんを、堅物という言い方でおしまいにしては彼の本質を表せていない。彼は、人間不信、分離不安を抱えているのだ。さらに、父親を尊敬してやまない、父親のようになりたいというファザーコンプレックスの人なのである。

 

 海軍軍人の父親は海難事故で亡くなり、母親も後を追うように亡くなる。そして、預けられた親戚から理不尽な虐待受ける。

 この生い立ちが、遊びには目もくれず、軍人であることのみに精魂を傾ける人間になっている。つまり、自分を守るために、自分の周りに軍人という殻を作って、その中で息を殺して生きている。

 

 その孤独な心がお見合いではあるけれど、天真爛漫ななつ実さんに出会って、人を愛する心を知り、中途で失ったが故に、心の奥底で求めていた家族に巡り合うのです。指輪を重ねた二人の本当に幸せそうな笑顔。良かったねとこちらも笑顔になります。

 

 そう、この物語は瀧昌さんの再生の旅路を辿る物語なのであります。

 

 脚本の小柳菜穂子さんは今回も良い仕事をなさっています。原作の意図と、原作ファンの心をしっかりと掬い上げ、ミュージカルに仕立てています。狂言回しに芸子さんの講釈を使い、昭和初期歌謡を流して、時代感をだしていて、そのアイディアが卓越しています。

 扱う時代や軍人家族の話なので、作品が軍国主義風になることが心配だったけれど、お国のためというセりフを言わせることもなかった。時代ゆえに軍歌も二、三曲あったけれど過剰に軍国主義になることはなかった。

 

 千人針を集める婦人たちを登場させたり、銃後の守りを押し付けられる軍人の妻の姿を描きこそすれ、戦いに行って、帰ってこなくなる不安を吐露するエピソードを描いている。戦争をすることからくる悲劇、家族の分断を描いています。

 

 雪組の皆さんの芝居力が感じられる舞台でした。

 

 瀧昌さんの朝美絢さんのコメディセンスの良さ。シリアスと、八ちゃけぶりのバランス感覚が、素晴らしい。美がそれに加わって無敵の存在感であります。頻繁になされる瞬きが、心の動揺を表していて印象的でした。

 

 音彩唯さんも一途で愛らしくって、歌も素晴らしい。華純さんの芸達者ぶり、歌もすごい。そのほか麻花すわんさん、まるっきり知りませんでしたが、演技力凄すぎ。瀬田さんを演じた咲城さんもいつのまにか存在感出てきましたね。縣千さんはスタイル抜群が今更ながら思い知らされました。

 

 戦争する国になろとする昨今の社会を考えれば、この時代を扱うには注意が必要であると思います。もう少し戦争の悲劇性を盛り込んでも良かったかなという思いはします。

 

 ですが、きりっとお話はまとまっていて、別箱公演はよき作品が沢山ですね。