その時代を生きた人々が亡くなっていった後、その体験を語り継いでいくのは、映画、小説、戯曲、絵画や音楽という芸術の役目であります。
太平洋戦争が日本の降伏で終わってから80年経ち、戦争体験者が数少なっていく中で、その実際の生活や心情を庶民の世界から描いたのが井上ひさしであります。
戦争を遂行した軍部や権力者を糾弾しながら、日本人のものの考え方、振る舞いを分析して日本人論を舞台に乗せました。
歌や踊りを交え、面白おかしく進行しながら、戦争の本質や、戦時下に生きた人々の心情を露わにしていく、観客は笑いながら、涙を流しながら、目を覚ませられる。
今回は、戦後2年くらいたった没落男爵家が舞台。被災した豪邸をダンスホールに改造して生き抜く33歳から女学校に通う四姉妹の物語。両親は戦災で亡くなり、お金もなくて生活する姉妹のもとに、「桜の園」のロバーヒンよろしく、かっての使用人金太郎が闇で稼いだ金を持って、屋敷を買収しにやってくる。
生き別れになった妹を探す便配達夫、闇たばこ売りのおばさん、火災で声を失った花売り娘たちが加わって、戦後すぐの庶民生活のあれこれを繰り広げる。
金太郎の振る舞いの中に、体制が変われば疑うことなく新しいシステムに順応し、政府や政治批判を忘れてしまう日本庶民の姿を映す。
過去を忘れて生きるのはバイタリティある生き方と評する人もいるだろうが、戦争の総括、責任の所在をあいまいにして、体制批判をせずにいれば、再び、戦争が起きる世界がやってくると、作品は言う。
実際に、昨今の世相を見れば、まさしく、戦争する国が復活しているように思える。
井上作品では、セリフが重要なのだが、役者から発せられるセリフが聞こえにくいのが難点だ。端っこではあったが、紀伊国屋サザンシアターの前から三番目であったのにだ。
リアルを求めて大きな声で喋らないようにとの、演出の意図があるのかもしれないが、これでは作品の意味が伝わらない。
高橋克実さんや、枝元萌さんははっきりしていたが、特に、次女のセリフが聞き取れなくて、戦争に行って帰ってこない夫の話が分からなかった。深夜のシーンでは全員が聞き取りにくかった。
栗山民也さんはどう思っているのだろう。セリフの音量以外は素晴らしいのに、どうにかしてください。
朝海ひかるさん目当てに行ったのでありますが、久しぶりのコムさんは、背筋がピンと立って、凛としたたたずまい、気丈な元貴族の令嬢、蘭子さんがしっかりそこに居ましたです。
期待したタンゴ、物語の最中では、セーブされていましたが、全員が踊って終わるラストシーンでは、しっかりタンゴ踊ってくれました。相変わらずのデコルテライン、背中のそりがピシッと決まって、嬉しかったであります。