最初は、田舎町の市長選を巡る脱力系のコメディのようで、眠くなってきたのだが、中盤から、弾丸飛び交う暴力系のアクションになってきたので、眠気が飛んだ。

 ベースは、脱力系を保持しつつ、アメリカ社会の諸問題、人種的差別、世代的分断、強引な企業誘致、銃社会の暴力性が浮かび上がる仕掛けになっている。

 

 コロナの時代で、マスクを義務づけた市長が気に入らないくて、ホアキンフェニックス扮する保安官が次期市長選に立候補する。

 

 この設定自体がユルイのだが、この保安官も政治的に確たる信念があるわけでなく、選挙戦はお互いの誹謗合戦で、目も当てられない。若い世代は、blacklivesmatter を奉じながら、なぜか急進的で対話を拒否し、保安官の妻はオカるティックで、そりが合わない等々、町中がそれぞれに別の方向を向いて自己主張をしているという具合。混乱しているアメリカ社会の縮図なのである。

 

 その混乱に中、立候補したホアキン保安官が些細な事件から腹を立て、相手候補を撃ってしまう。彼は人格が急変して殺人鬼になるわけではなく、それまでののほほんとした人格のまま、ぜんそくの症状にせき込みながら次々に殺人を犯していく。

 銃撃戦は激しいのだが、どこか嘘っぽくて、ユルイ。それ故に鋭い切っ先で、アメリカ社会の問題点を告発、糾弾するわけでないのがこの作品の持ち味であり、この緩さを楽しめない人には向いていないだろう。

 

 アリアスター監督はしたたかで、皮肉屋で遊び心に満ちていて、それにこたえるホアキンフェニックスは名優であります。

 

 

 

 

 

 新生宙組を寿ぐ楽しさいっぱいの祝祭劇でありながら、ドラマ性も高くって、単なるお馬鹿コメディになっていないところがすごい。

 美青年のカタログみたいになっていて、こんな人もいたのねとか、あの子だあれとか発見する喜びがありました。各自それぞれ歌があって、見せ場があって、野口幸作先生の宝塚愛、宙組愛、LDH愛が溢れる作品でした。

 

 何より、宙組の生徒さんが王子チームに分かれて、それぞれのチームごとに研究し、お稽古して、試行錯誤を重ねながらキャラを磨きあっていったのだなあと想像してしまう。その熱い結束、チーム愛が舞台の楽しさにつながっているのでしょう。

 

 王子選手権を開催するなどの、滑稽な突拍子もない設定なのだけれど、しっかりドラマがあって、演劇として共感性が高いのは、演出と、生徒の役の掘り下げと、表現力があってこそでしょう。それと宝塚の品格が備わっている。

 

 桜木みなとさん扮する大金持ちのお坊ちゃま、白タキシードの奏さん、すなおで、純情キャラが好もしく、側近の大路さん、奈央さんのBL風味も面白い。ヤンキーの尊人さんは荒々しいけど真心があり、竜との兄弟愛が見どころの一つになっています。

 

 果音さんの気丈で一途なキャラも共感的で奏さんへの恋の成就も、すんなり良かったねと祝福できてしまう。

 他の王子様もそれぞれキャラ立ち強く、いくつものオードブルを食べているよう、ワクワク感この上なかった。

 

 それにしても、尊人の水美舞斗さんのヤンキーぶり、かっこよすぎで素敵すぎ。演技力、身体能力、男役芸の確かさ、、何よりもその美貌!宙組に来てくれてありがとうです。

 

 

 

 二重唱、三重唱、四重唱、重なる声が響きあって、ダイナミックな音の塊りが舞台を支配し、圧倒的な没入感に誘われる。

次々と繰り出される歌の難度は半端ないのに、花組の皆さんの完成度は高くてびっくりです。

 

 その中でも難易度一番のロッテの歌を、星空さんが見事にこなしていて、他のメンバーの歌唱のけん引役になっていました。

声も涼やかで耳に心地よく、この作品の成功は彼女の貢献大です。

 

 お話は、ロッテとの苦しい恋を中心に、芸術家を志向するも、父親との確執を交えてままならない青春の苛立ちをアップテンポでグイグイと進んでいく。疾走感が見事で、あっという間の熱狂の青春に取り込まれてしまう。

 

 演出もどこまでオリジナルなのかは不明ですが、植田景子さん、渾身の舞台で、彼女の大好きな19世紀ロマン派を取り上げて、会心の一作でしょう。

 どこまでも美しいだけでなく、舞台を覆う階段は血塗られていて、危険で、危うい世界を暗示しています。

 

 危ういといえば、幻想の世界に現れるメフィストのシーンが怪しくて危険に満ちていて、メフィストになる夏希愛斗さんがすごすぎる。

 長身で長い手足、両性具有の悪魔を研7とは思えない度胸と歌唱と表現力で、ものすごい存在感で、将来は、輝月ゆうまさんのような若くしての専科さんになっていくのではと期待されます。パワーがすごくて、貴公子的な男役を飛び越えてしまっている。

 

  もちろん、主演の永遠輝さんはエネルギッシュで、傍若無人ながら、繊細な文学青年を溌剌と演じていて素敵でした。トップになってからの全力をぶつける精神がこのゲーテに投影されて、シンパシーの高い青年を作り上げていました。ドラキュラと同様に代表作になるでしょうね。

 そして、ロッテの婚約者になる、ケストナーの侑輝大弥さんはアンナカレーニナのカレーニンを彷彿される堅物の法律家をこれまた確実に造形していて素敵でした。芝居巧者が光ります。

 今回のキャスティングは、下級生が抜擢されて意表を突かれましたが、景子先生の理想を追求するオーディションがあったのでしょうが、聖乃さんや真瑠さんも見事にはまりましたね。

 

 宝塚の底力を改めて感じた、素晴らしい作品でした。

 昨日は、朝夏、駒田、竹内、保坂さんの四人。

聞きなれたミュージカルナンバーが沢山聞けて嬉しかった。

トークはくつろいだ雰囲気の中で、客席も一体となって、ほんわかムードで進行していきます。

 

しかし、次々と歌われる歌は、知っている曲が多くて耳が喜び、気持ちが高揚します。

 

駒田さんのエンジニアの歌は味わい深く、ラマンチャの男はドン・キホーテとサンチョパンサの両方を演じて、芸達者。

 

竹内さんの美声はもう、気分良く抜ける高音が気持ち良いのなんの。君住む街角を歌ったので、まぁ様がイライザ歌うかなと期待しなのだけれど、なかったです。

 保坂さんのエビータに心震え、空から降る金貨に圧倒されました。

 

 朝夏さんは前半はモダンな可愛い衣装と、後半はシックな衣装が素敵でした。

 百万本のキャンドル、WSのsomedayは三人で歌い、竹内さんとのデュエットは何の歌かわからず、聞いたことあるんだけれどね。ラストの短めのものすごく難しそうな歌を素敵に歌っていたけど題名分からず残念。アイシス様の歌は聞きごたえ十分で、当時よりも、ずっと歌声が力強くで、うっとりです。

 

 山口さんはいつの間にやら69歳になられたんですね。びっくりです。優しい雰囲気で、和みましたが、寂しい気持ちが胸をよぎりましたね。

 舞台は20世紀初頭のインド。映画のスタントマンが下半身をけがして動けない姿で入院している。そこで、彼はある意図を持って、5歳の少女に冒険物語を語って聞かせる。

 

 悪人オウディアスを倒すべく集まった6人の男たちが繰り出す活劇である。

 

 そのビジュアル化された物語世界たるや、ファンタジックで、華麗な目くるめく映像美。ワンシーンワンカットが、まさしく動く絵画。どのシーンも奇天烈だけれど、強烈な色彩と精緻に計算された構図に心を奪われる。

 

 光照り付ける砂漠、歴史的な王宮の建築美、アリンコのような黒い兵士たちの集団、ある時は俯瞰的に、ある時はズームアップで等々、目が落ち着かないくらいに楽しめる。

 石岡瑛子のカラフルでファンタスティックな形、色合いの衣装が素晴らしく、信じられないようなダイナミックな自然と、戦うシーンが繰り広げられ、どこか笑ってしまうユーモアを交えての展開はいちいち驚かされる。

 

 しかし、作品は映像美だけにとどまらない、ケガをした青年が語る物語は、入院中彼のリアルな世界と結びつき、現実を動かし、且つ又、現実が物語に反映されていく仕組みになっている。その構造の巧みさに、またも、頭をガツンとされる。

 現実の病院の映像も、リアルに凝っていて、二つの世界が対比されて表現されている。

 

 そして、自殺願望の青年は、お話を聞く少女にも感化され、自殺祈念を克服していくのだ。人は物語を持つことで立ち直れるのだ。

 

 脚本も担当しているターセム監督は映画を愛し、映画は映像と、物語で成り立つことを主張し、楽しませるばかりではなく、このつらい現実世界から、人々を救済する力を持っていることを見せてくれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風景と

 まずは脚本の素晴らしさ。実在のジムと、映画の中の役とを重ね合わせて、生い立ちを語り、人格を語っていく。複雑な構成をよどみなく展開させた作者の手腕に脱帽。

 

 演出の巧みさと、出演者たちの熱い演技に、パソコンの画面から目が離せなかった。

 

演技と言ったら、主演の極美さん。生身のジムと映画の役柄重ね合わせて演じるという難役、見事に演じ切りました。大きな転機になるでしょうね。

このジェームスディーンという伝説のハリウッドスター。拗らせ性格で、偏屈で、自分勝手でうざい奴なのに、妙に人懐っこくなったりして、憎めない。あの寂し気で切ない瞳で迫られたら、怒っていても、許してしてしまうような、人たらし。

  

 性格の基軸には人間不信、分離不安がある。粗暴な振る舞いの底には、里親に預けられた子供みたいに、わざと嫌われることをして、相手の心を試すのだ。彼は大人になり切れない子供なのである。そんな彼をエリアカザンも、ニコラスレイも許すのだ、当時のハリウッドの懐の深さを思う。

 

 極美さんはその美貌と、切ないような体の細さで体現していました。人懐っこさは本来の極美さんでもありますね。

 

 上級生から下級生まで、皆さん素晴らしい演技。

でも、とりわけ仰天したのは、希波らいとさんの、プロデューサー、ベン。やりすぎかと思われるようなオーバーな演技なのに、しっかりと俗で、功利的なハリウッドの住人を嫌みなく表現していた。虚と実のギリギリの匙加減が難しい演技なのに、破綻がない。

 暗く進行しがちな物語に活気と、華やかさを与えていて、演技賞モノです。

 

 紫門ゆりあさんエリアカザンの重篤さ、ニコラスレイの一ノ瀬さんの落ち着きと男気、朝葉アイリーンの清純さ、その他すべての出演者が素晴らしく、しかも、役を楽しんで演じていたような気がする舞台でした。

 作品が良いと、役者が成長するのですね。

 

 

 

 

 世界中で誰でも知っているであろう巌窟王の物語を本家フランスが豪華に華麗にビジュアル化して、成功している。

 

 フランス映画では、歴史ものの時代考証が厳密で正確でその復元力はものすごい、きっと威信をかけているのだろうといつも思う。もちろん、リアリズムというより、当時より、格段に美しく華麗に表現する。

 

 エドモンダンテスのピエールニネさんは背が高くってハンサムで、チャーミング。ぼろぼろの囚人姿でも美しい。

出て来る人々、メルセデスも美しい、青年たちも女性たちも美しい。

 

建物も宮殿も、ドレスも、度品も、軍服も華麗で、何度も出て来るお馬さんが疾走するシーンは爽快で、決闘シーンも豪快で迫力十分。

 

 ちょっと長いし、もっと掻い摘んでも良いかなとは思うけど。オーソドックスな時代劇、お話は波乱万丈の復讐劇、破綻なくたっぷりと浸って、楽しめました。

 

 映画は3回ぐらい見て、そのシュールさが好みだった。なので、ラストの和気あいあいが気に入らなかった。しかし、舞台では、そのラストが幸福感に満ちていて、共感的に盛り上がる。

 

 人の往来が稀な砂漠に立つ給油所も兼ねたさびれたポンコツモーテルカフェ。

 オーナーのブレンダは心も荒れて、不機嫌で、ど鳴り散らしている。夫も娘も気に入らない事ばかりする。

 事務所もモーテルも汚れ放題、やる気が全くないのだ。そんな日々の中におかしなドイツ女性ジャスミンが宿泊する。

 何を考えているかわからないキャラクターのジャスミンがやがて、カフェの人々を中心に周囲の人々の心を開いていくというお話。

 

 映画も舞台も物語は全く同じだけれど、映画ではその強烈なさびれ感、土地や人々の殺伐とした孤独の表現にしびれたのだが、舞台という制約もあるのだが、舞台の方が人間味があって楽しく優しい愛に包まれた共生の喜びが強調されている。

 

 だがしかし、初めてこのお話を見た人は、慣れ親しんだミュージカルとは雰囲気が違って、戸惑う。実際に一幕の休憩までは客席はキツネにつままれたようで、ホワイエに高揚感はなかった。

 つまり、わけがわからない。オーナーの不機嫌さや、荒廃したカフェの様子よくがわからない。

 一番は英語もろくにわからないジャスミンのキャラが理解不能で混乱する。映画はそこいらあたりがシュールで魅力的だったのだが、舞台ではキツネにつままれた感じになって、落ち着かないのだ。。

 

 しかし、二幕から、ジャスミンと人々の心が通じ合ってから、観客は共感的になって楽しくなる。そして、終わりには客席も一つになって手拍子して盛りあがって終わる。

 

 ジャズや、ヒップホップやロック、ゴスペル風やらの歌が歌われて舞台は弾む。歌声が溢れ、ダンスが弾ける。

森公美子さんのダイナマイトヴォイスや、花總まりさんのあまり聞いたことのない歌唱にニンマリする。清水美依紗さんのダンスと歌唱にびっくり。普段と違う花總さんが観られてお得。ジャスミンは不思議キャラなのだけれど、品格が匂い立ちます。

 

 おとといの客席はラストのショーアップされたシーンではもっと手拍子して盛りあがって欲しかったなあ。おとなしすぎで、残念だ。

 

 

 

 異形の人を主人公にしてエンタメ化した作品を見るのは、常に、後ろめたさを感じる。

それでも劇場に足を運んだのは、監督が、ギレルモ・デル・トロだからだ。「パンズラビリンス」の怖いけれど、美しいファンタジーの世界が忘れられなかった。彼が熱望したフランケンシュタインの映画化、見たいと思ったのだ。

 

 内容は、やはり、悲しく辛い。

 望まずに生を受けてしまい、暴力的に見しらぬ世界に放り込まれ、命を授けた人間に疎んじられ、常に排除され、安らぎの死からも排除された人間の孤独と怒りで、画面は終始する。だが、世間に疎んじられる彼の魂は純粋で、無垢なのだ。暴力的な映像の最後は、キリスト教的な赦しで終わる。

 

 彼の純粋な魂を理解する心優しい人間が出て来て、彼を受け止めるので、観ている側は心休まる。

気品ある絶世の美女に愛され、彼は慈しみという概念を知る。彼を匿う盲目の農民、この老人の下で言葉を覚え、人の暮らしを理解する。

 彼のライフヒストリーを聞いた探検隊の船長。彼らはフランケンシュタインの純粋な魂に気づき、愛を持って接するのだ。

 

 この悲劇の舞台装置を映像の美しさが彩る。

 豪華な貴族の屋敷、衣装も煌びやか、彼を生み出す実験室の内部は考え抜かれたダイナミックな装置が屹立する。家を追われた彼をさいなむ雪。しかし、そこはフランケンシュタインの痛んだ心を癒しているようにも見える。

 

 フランケンシュタインという、知らない人のいないモンスターを美しくポエティックに歌え上げた賛歌、オマージュでありました。

 

 

 

 歌舞伎の女形は何年もの間、役者たちが演劇的手法として、型を創造し、そこに文学を入れ込み、肉体を鍛錬して、他に類を見ない芸術表現として、世界に存在している。

 

 宝塚の男役も然り。他に類を見ない芸術表現である。別の性を演じて、ノンバイナリー的な存在をを作りあげ、エンターテイメントとして観客の喝采を浴びている。

 

「ガイズアンドドールズ」のスカイマスターソンを演じる鳳月杏さんを見て、上のような思いを抱いてしまった。

正しく至芸なのである。うまい役者の最高のパホーマンス。

 

 ライトを浴びて、帽子を脱ぎながら現れたときのオーラ。スカイの立ち方、歩き方、表情、セリフ回し、失恋したときの切ない憂い顔、目つき、顔の傾き加減、スーツの下で、腰をひねり、傾けた首の角度は細かく計算されて世にも美しいセクシーな男性が存在している。

 スーツの袖口からのぞかせる白い指先にまで神経を届かせて、この世には実在しない男が立ち現れている。美であります。歌声高らかに、動く線に神が宿っているような美しいダンス。一つ一つに心が反応して、震えます。

 

 お話としては、この作品はもう古すぎて笑ってしまうくらい。

 清純な女性を賭けの対象にして外国に連れていき、騙してお酒を飲ませるなんて物語は、犯罪であります。

 頭がお馬鹿でムチムチなショーガールの存在なんて、女は可愛くて、馬鹿が良いという女性蔑視丸出し。

 結婚が最高の幸せで、家族のある生活が正しい人生。

 

 あまりにも時代錯誤的だから、反面教師の古典演劇としてめでていくのも良いかもとも思う。

実際にアデレードの存在は可笑しくて愛嬌があって憎めない。ギャングのおじさんたちも可笑しくてカワイイ。

 

 歌舞伎だって近親相姦だの、忠義のための子殺しだの、切腹だの今の時代にはないモノのオンパレードだ。

 すべて飲み込んで、異世界の異形の人達を楽しむのも高踏的な楽しみとしてあっていい。

だから、この作品も古典として宝塚で上演され続け、楽しまれていくだろう。

 

 でもね今回の公演、アメリカンジョークとかあまり聞き取れないし、コミカルな人物ばかりなのに、タイミングが今一なのか、 笑えないシーンが多すぎ。

 役者も変なアメリカ人を演じ切れていないかも。

ビッグジュールなんて、初演の旺なつきさんのチュッパチャップスなめてる刑事コジャックを真似た怖い可愛い演技を未だ誰も超えていない。

 ナイスリーも張り切り過ぎて共感的なキャラになっていない感じ。ベニーは演出が変わっていたのもあるけれど、存在感がなさすぎ。彩海さんアデレードは歌えていてびっくりしたけど、役としての魅力ははいまいち。

 

 風間ネイサンはぴったりの役どころなのだけれど、いつもの演じている役柄とあまり変っていないので新鮮さがない。好演だったけれどね。畑仕事するネイサンの抜け加減はさすがだった。