イギリス人の墓泥棒アーサー、彼は地面の下のお宝を探し当てる特殊能力がある。古代エトルリアの墓は今では土に埋もれて、墓がどこにあるかもわからない。それでも、全身の感覚を研ぎ澄ませ、時には例の水脈を当てる十字の棒切れを持って、ここだと思う地面を探る。

 彼の特殊能力を当てにして、本物の墓泥棒たちが群がるが、アーサーは掘り当てた遺物にあまり興味を抱かない。

 

 アーサーの特殊能力はどこから来るのか、ストイックな彼の行いの理由は何か。

最後にわかる。ネタバレだけれど、彼は物語のラスト、深い穴落ちてしまう。そこで上から垂れている赤い糸。それを引っ張ると、美しい若い女性。

 

 ここでハハンと、謎が解ける。死んでしまった恋人、エウリュディケを探し求めるオルフェウスなのだと。彼は恋人に会いたくて墓を掘っていたのだった。

 そこに至るまでのお話はひたすら墓荒らしの物語なのだけれど、時代物の館に住む老人や彼女に付き添うおかしなヘルパーさんとか、盗品買いをする女の医者とかが登場し、吟遊詩人風に墓泥棒たちが歌ったり、死者が現れたり、にぎやかに進行する。

 

しかし、重い味付けではなく、軽やかなので、あっさり、軽く楽しめる。それにしても、アーサー役のジョン オコーナーさんの細身のシルエットが美しいこと。でっぷり太った館の老人がイザベルロッセリーニだったとは、驚きでした。

 

 監督のアリーチェ ロルヴァルゲルさんは、ヨーロッパ的な洒脱な知性を感じさせる監督さんであります。遊び心とロマン派風の映画つくりが魅力的。

 

 

 

 昨日はEプラスの貸し切り公演。久しぶりの宙組。舞台も客席もパワーに満ちていました。これほど、手拍子してしまう作品も珍しいんではないですかね。

 

 宝塚歴65年にならんとするオールドオールドファンとしましては、幕開きからうれしき限り、8割以上は聞いたことのある曲でしたね、マスクの下で声なしで歌ってたりして、幸せでありました。

 

 さすがに花詩集とか、パリゼットとかは、家にあったSPレコードとか、ドーナツ版で聞いていましたが、「エスカイヤガールズ」が出てきたときは嬉しかった。小学校の低学年だったかな、那智わたるさんとが舞台の上で歌っていて、今でも歌えるくらい。

 

 次々に展開する歌の数々、ああ、あの時、あれなんだったけとか、思い出す喜びの連続でした。

 堂々たる「シナーマン」の後はあの鳥のダンスが続いて欲しかったけど、あれ踊ったら、疲労困憊して、皆さん舞台が続かないわねと、笑ってしまいました。

 

 舞台演出としましては、歌のパレードといった感じで、「夢人」近辺は迫力ありましたが、平板かな、舞台美術はキラキラでしたが、誰かが歌って、バックの群舞の繰り返しで、単調なんだけど、それを補って余りある、皆さんのパワー。

 

 宙組の皆さん、お休み期間中に大変なレッスンを重ねていたんだろうなと想像されます。俳優はお客さんを満足させる技術と技量と、魅了する舞台の華が勝負です。この舞台にはそれがありました。その心意気に圧倒された時間でした。

 瑠風さん休演ですごーく寂しかって、残念だったけどね。鷹翔さん、風色さんが大活躍してました。お二人とも存在感抜群でしたね。春乃さくらさんも輝いて今いた、あの笑顔と力強さ、素敵でした。

 

 舞台の真ん中で「愛の旅立ち」を芹香さんが歌った後、銀橋の端に立って歌うとき、無人の大階段に幾本かのライトが交差し照らしていました。胸を突かれました。これはこの舞台を通って行ったタカラジェンヌをしのぶ演出だったと思います。続いて、黒ではなく白燕尾服のダンス。これも鎮魂ではないかと思いました。口には出さなくても、思いを舞台に乗せているのです。

 舞台人は舞台で、作品で表現する。

 

「未来へ」も「世界に求む」のデュエットダンス、宙組がここにいました。涙が出そうでした。

               FOREVER TAKARAZUKA !

 

 

 

 

 

 これから綴るのは、戯曲に対しての文句であります。生徒さんには全く罪はありません。生徒さんは立派に演じてました。それに関しては後半から書きますね。

 

 作演出の生駒怜子さん。mini植田景子さん、セリフ回しに正塚含み。という感じでした。

 

 どこかヨーロッパテイストの小さな町。新聞記者、本屋さん、帽子屋さん、パン屋さん、お巡りさん、大工さん、小さな楽隊、小さなカフェl、心優しい人々、善意の行き違いみたいなエピソード、最後はしみじみハッピーエンド。

 

 戯曲の構成、演出がしっかりしているので、グダグダ感はないのですが、中身フワフワ、ふにゃふにゃ。色とりどりの果物いっぱいで生クリームとアイスの溶けたフルーツパフェ。メルフェンタッチはいいけれど、なんとも、ふやけた戯曲でした。

 

 先ず、幼馴染の三人組、そのうちのミラは事故で親を亡くして傷を負っている。ミラとダーンは相愛なの恋心を言い出せない。それを周りが応援する。がしかし、なんでぐずぐずしているか理由が終始あいまい。だから、二人に感情移入ができないのです。

 

 そして、ダーンは見ず知らずの大工レオに唐突に殴られる、その理由が有り得ない。そんなんでボロカスに殴るかい。警察にもいかない、変でしょ。新聞記者なのに。おまけにあんなに殴られてもすぐに元気。

 子連れ未亡人みたいな親子が出てくるけれど、この人配偶者がいて、いかつい上司の記者がお父さんという唐突な落ち。伏線の回収があったのはこれだけ。

 何より、主人公のミラとダーンに動きがない。彼らの行為や、セリフで物語が動いていかないので、印象薄い。しどころのないパーソナリティだけが勝負で演技深めようがない。一番動いていたのが、迷子の11歳のヤンでした。

  

 椅子がいっぱいの舞台美術がナイスアイディアだけれど、それだけで満足したみたいな感じで、夢夢しいとは言いながら、見るのは大人です。

 

 

 聖乃あすかさんは、持ち前のノーブルな爽やかさで主演としてしっかり、立っていました。

 驚いたのはミラの七彩はづきさん、ワンフレーズで驚異の歌声実感させる技量、演技も立ち方もしっかりしていて仰天。

 

 侑輝大弥さんのダークな魅力。フィナーレのダンスで、柚香光さんの面影が見れました。上半身、特に指先から手首二の腕のしなるような動き、継承してましたね。うれしかったです。

 

 その他若手の皆さんの元気いっぱいの演技、ダンス、うれしい限りであります。

 

 

 

 

 

 結局,1957年の公道で開催したカーレースで沿道の観衆を巻き込んだ大事故をクライマックスにしたかったという意図が見え見えの構成。

 世界的に有名だった自動車会社フェラーリの創業者の伝記映画を作りたかった。

〇車の販売台数よりも、カーレースに情熱を燃やした。

〇 跡継ぎの息子が病気で死んで、なおかつ、糟糠の妻との間がうまくいかない。

〇 愛人を囲って、子供も生まれ、それを長いこと妻に隠していた。

〇 大事故

 

 これらを要領よくまとめて、マシンの走行実験の緊迫感を見せ場にして、ラストにびっくりの大事故を置く。

まあこんな感じで、そつがないけど、オーソドックス過ぎて、面白みに欠ける。妻と愛人と際どい二重生活、セックス場面も交えて、描いたりしてるけど、なんか、彩りがいるかも的なサービス感ありあり。それにしても、美貌のペネロペクルスを、夫の浮気に嫉妬する暗い、野暮ったい中年おばさんしてほしくなかった。まして、彼女はスペイン人だし。興行成績気にしてスターを使いたかったのでしょう。

アダムドライバーは可もなく不可もなくです。

 

 なんとなく期待しすぎしていたみたいで肩透かしくらった感じ、目くじら立てなくてもよい、普通の映画です。

 

 

 前回と違って、悪役のミセスミアーズのキャラクターが変更されました。それによって差別的な表現がなくなり、作品の目指す、夢への挑戦というテーマが鮮明になりました。

 

 映画も、舞台も初演以来、ミセスミアーズというホテルのオーナーは、性格も見た目も胡散臭い、昔のハリウッド映画によく出てくるステレオタイプの悪役中国人でした。ホテルというより、日払いの下宿屋で身寄りのない若い女性を香港に売り飛ばすという誘拐犯。

 

 今現在の感覚で言えば、明らかに差別的な造形でした。さすがにアメリカ社会ではこのような描写ではいけないとの認識があったのでしょう、しっかり脚本を改変しました。それによって、作品の質は上がりました。

 

  ミリーとミセスミアーズは好対照で描かれます。夢を抱いてきた人物の明と暗。

 ミセスミアーズも若き日に女優という夢を抱いてニューヨークにやってきた。玉の輿に乗ろうとやってきたミリーと一緒です。

 ミリーは出会いを重ねながら、自己変革を遂げて、目的を達成します。

一方、ミセスミアーズは夢破れて、ゆがんだ自己を作りあげてしまった。痛ましい見果てぬ夢に固執する悲しい人格になってしまった。挙句の身代金誘拐犯。

 演じる一路真輝さんは見事にこの人物を造形しました。歌も変わり、セリフも増えて大変だったと思います。素敵な演技でした。

 

 今回は、前回にも増して皆様パワーアップ。

 まぁ様みリーは何より、お歌がグレイドアップ。前回はもう少しだなあと、思っていたのですが、声量アップ、高音も強く出て、「ジミー」とか、説得力が倍加してました。努力されたんだろうなあと、胸いっぱい。

 

 ミリー自体もオーラ満開。ミュージカルスターであります。ストレートプレイより、ミュージカルに出てほしい。歌のうまい人はいるけれど、それだけの華を持っている人少ないです。

 夢咲ねねさんは「笑う男」以来だったけど、お歌が素晴らしくなってるし、長い手足のダンスも迫力。

万里生さんも久しぶりだったけれど、演技力がマシマシで、楽しそうだったし、廣瀬さんはもう、言うとこなし。

 

 楽しくて、元気もらえる作品ありがとうです。

 

 

 お金持ち寄宿学校のクリスマス休暇で、家に帰れない学生アンガス、行き場のない独り者教師、一人息子をベトナム戦争でなくした寮母の三人が過ごす日々をいくつものエピソードを通じて語っていく。

 最初はとげとげしい三人が次第に心が通じてく過程に心がやんわりして、ラストは涙、人生っていいね、になる物語。

 

 

 嫌われ者と言われている高校教師ハイクという人間の哀感が見ものです。彼のしみじみとした孤独が胸に迫ります。世渡りのスキルがないことからくる、ロンリーな人生。

 生真面目で、妥協ができない、テレビも見ず、専門のヨーロッパ古代史を愛して没頭するけれど、日常生活ではウイスキーが唯一の友だち。時には期待し、挫折しながらズルズルと、老境にまで来てしまったて悲しみと諦観が、丸い体躯に表現されている。だけれど、ラストに、大いなる決心をして、若い学生の進路を開く行動にでる。ここが切ない。

 

 高校生役の新人、ドミニックセッサ君は、高校生にしてはちょっと、老け感があるけれど、がりがりにやせていて、しかもつり目がちのお顔が美しい。これからが期待されます。

 

 全体に、いかにもなエピソードがぎゅう詰めになっている感がするのだけれど、心にしみじみとしたモノが残ります。

 

作演出の正塚さんに抗議したいですね。そして、こんな駄作を上演している劇団にも。生徒さんが可哀そうすぎます。

 

 というわけでここ何年間でも、最悪の駄作。怒りのブログです。

 

物語が破綻していると言うより、成立していない。

 作者としては、ヴィクトリア女王の病気に乗じて、王制を排しようという一派と、カトリックの復権を狙う一派との陰謀事件を描こうとしたのでしょう。時代は交霊術などがはやっていて、そこに古美術とか、歴史的事件を入れ込み、ロマコメ要素を入れ込んだ芝居にしたいと構想したのでしょうが、全く失敗。

 作者の一人合点で、観客に何にも伝わらない、俳優も役つくりをしようにも、何にも書き込まれていないので、どうしようもない。

 風間さんの役は何だったの。兄弟交霊術師がやたらしゃべっているけど、意味が通じない。メアリースチュアートという名前が何回も出てくるけれど、日本人にとってなじみのない名前でわけわかんない。

 物語の前提として、イギリスは16世紀末にスコットランドの女王で、カトリックのメアリースチュアートと、イングランド女王で、プロテスタントの女王エリザベス一世の戦争があったという歴史事実を知っている日本人は多くない。

 

 荒野を掘ってメアリーの心臓取り出しても、そこが物語に発展していかないし、主人公の二人の扱いは何なの。彼女はメアリーが乗り移ってるのかな、よくわからない。

 まったくね、話が行き詰まると、歌やダンスで、景気づけする。これの繰り返し。最悪の作品で退団する皆さんが悲しすぎますね。

 

文句を連ねましたが。これも、宝塚愛からの抗議文であります。素晴らしい作品に心を豊かにさせてもらって来たからこその心の声であります。

 

 ショーのほうはいつも通りの大満足。銀橋にずらりと並んだ景色は壮観ですし、狩衣姿の月城かなと様は衝撃的美しさ。天に昇って輝いていました。

大人の魅力の海乃美月さんの優美なダンス見せてもらって幸せでした。

 礼華さんも、熱心さからくる荒々しさが薄まって、エレガントさが見えてきてこれからが楽しみだし、彩海さんも成長があって、月組のこれから期待されます。もちろん、鳳月杏さんの安心のトップスター姿が楽しみであります。

 

 

私は初演見ちゃった派なんですね。まさに、青春のど真んで邂逅しました。

 月組の初演、やんやの拍手喝采で迎えました。フェルゼンは大滝子(今スキャンダルで悲しいです)アントワネットは初風諄、漫画で感激したオスカルとアンドレのお話は傍系でした。「今宵一夜」はなんと、麻生薫アンドレと、榛名由梨オスカルは銀橋でセリフだけだったんです。オスカルはベールをかぶっていました。それに、お二人ともドスコイ体形だったので不満を残して帰りました。植田さんは、フェルゼンとアントワネットの恋物語を描いたのですね。

 

 しかし、ベルばらファンの嗜好を読み違えて、上田さんは反省したのでしょう。次の花組版は、まさしく今のベルばらでした。

大満足して、通いましたね。やっぱり榛名さんは太目だったけれど。歌もいろいろ増えて見ごたえありました。

 

 次に大劇場で雪組版。東京では上演ないのではと、疑心暗鬼になり、はるばる大劇場遠征。ターコさんさんアンドレの美しさ、一生懸命さに涙しました。すで人気あったけど研6だったんですよね。

 あの時からだと思うんだけど、先に死んだアンドレが銀の馬車で、迎えに来るシーンが始まったのは。帰りの新幹線では夢心地。東上しないと思って遠征したのだけれど、しっかり東京公演ありました。

 

次が鳳蘭さんのフェルゼン編でしたかね。「馬車で駆けつけるシーン」に胸弾ませました。

 

第二世代も見ているのだけれど、あんまり強い記憶がないのであります。役替わりとか、他組のゲスト呼んだり、いろいろあって、天海祐希さんのアンドレとか、印象にあるんですけどね。

 

コムちゃんのお人形みたいな空飛ぶオスカル、壮一帆さんの凛々しいフェルゼン、女っぽいなめさんのオスカル、今回かなめオスカルずいぶんと女性ぽいなあと改めて思いました。

 

 ベルばら45を見ていたので、今回は配信で良いかでと、思ったのですが、やはり、第一世代の方々がでていらっしゃると、涙、なみだ、涙がこぼれて止まなかった。一緒に生きてきたんだねと言う思い。

 

 なんだろ、ベルばら見て幸せだった自分と重なるんかね。そして、今も宝塚を見続けている自分。

いろんな思いが押し寄せてきくる。飽きた、歌舞伎だ、古臭いと言いつつも、パソコンの画面みて一緒に拍子とって歌っている自分。50年続いてきて感謝。

 雪組版も見るぞーい。チケットとれるんか。

 

 

 膨大なエピソードであふれた原作から、青年の純愛を主軸に、階級社会の矛盾、青年の野心の発露からくる有為転変の人生をしっかり取り込んで宝塚らしいハッピーエンドに持ち込んでいました。原作はもっとドロドロ、悪と、善意の入り乱れた物語だろうと推測されますがうまくエピソードをピックアップしてまとめ上げました。

 

 いろいろと、消化不良な点はありましたが、鈴木圭さんの演出に様々な創意工夫がありました。

 ダンサーズが心理面を表現して、厚みができていました。

 エステラ、ハビシャム夫人、ベントリー等の人格や心理はよくわからないなりに、なんとなくファンタジーかもと思わせるような演出が功を奏して、お話の波に乗っていけました。

 

 暁千星さんのさわやか青年が、作品の好感度を高めます。エステラの瑠璃花夏さん、びっくりの歌声。宝塚の娘役さんたちは豊かな才能の宝庫なんだと、改めて実感します。

 

美稀千種さん、輝咲玲央さんの熱い演技、朝水りょうさんの美形叔父、星組の宝ですね。

 天飛華音さんの存在感、演技は黒いアクセントになっているし、ダンスもセクシーで、力強いしで、個性豊かで見栄えがします。

 

 アウシュビッツ収容所の塀越しに優雅なに日常を送るヘス収容所所長一家。五人の子供、お手伝いさん数人を抱え、手入れの行き届いた庭園に囲まれている。

 まさしく塀の向こうには人体焼却機が日夜運転され、低い運転音が朝昼間断なく一家に聞こえてくる。昼は煙、夜になれば、赤々とした炎が窓越しに寝室を照らし、日中、聞こえる銃の音。

 

 塀の向こうにはユダヤ人が集められ、焼かれている日常がある。しかし、彼ら一家はそんな事実に背を向けて豊かで子だくさん一家として楽しく暮らしている。ヘスは勤勉な軍人として、任務に励み、いかに効率よく、人体焼却を進めるかに心血を注いでいる。

 

 隣で殺されている事実を知りながら、知らないふりをして暮らす。見えない、聞こえないように、心にバリヤーをかけて暮らす。その心の中は、正常バイアス、自己保身、自己愛、利益にしがみつく利己心によって、埋め尽くされている。

 本作品は単なるホロコーストを断罪するばかりではなく、人間のエゴイズムを追求している。

 

 その異常な心理状態を映画は視覚的、聴覚的に表現する。絶えず鳴っている焼却機の音、ピクニックで聞こえる鳥の鳴き声、ピストルの音。低い、喘ぎ声のようなもの。ズーンと思い重低音。タイトルが始まってしばらく続く画面の闇。

 

 映像では多くのシーンが縦と横の垂直線で描かれる。きちんとと整った室内。直線的廊下、まっすぐ続く塀、建物も床の模様も、直線的、幾何模様で占められ、曲線や、崩れた線は自然以外は排除されている。

 

 これは、硬直化した心の状態、人間の甘い心の状態を入りコマないように作り上げた、彼らの心を視覚化したののだろうと推測される。監督すごい!

 

 この一家は特別なものではない、嫌なものは見ない、聞こえないことにする人間一般の心理であり、他者に思いをはせない、自分だけは安泰であろうとする人の心、社会を表現した作品であるといえる。

 

閑話休題    ヘスの妻を演じたのが「落下の解剖学」の主人公、サンドラヒューラーとは、全く気付かなかった。自分のことと、家族しか眼中にない、どこにでもいるような女性なのに、怖い。外股で、前かがみ気味にガシガシ歩く。名女優ですね。

 

 

 そして、今現在、塀の向こうはガザである。ホロコーストを経験した人々が明日は別人のように、民族浄化を計っている。