アウシュビッツ収容所の塀越しに優雅なに日常を送るヘス収容所所長一家。五人の子供、お手伝いさん数人を抱え、手入れの行き届いた庭園に囲まれている。

 まさしく塀の向こうには人体焼却機が日夜運転され、低い運転音が朝昼間断なく一家に聞こえてくる。昼は煙、夜になれば、赤々とした炎が窓越しに寝室を照らし、日中、聞こえる銃の音。

 

 塀の向こうにはユダヤ人が集められ、焼かれている日常がある。しかし、彼ら一家はそんな事実に背を向けて豊かで子だくさん一家として楽しく暮らしている。ヘスは勤勉な軍人として、任務に励み、いかに効率よく、人体焼却を進めるかに心血を注いでいる。

 

 隣で殺されている事実を知りながら、知らないふりをして暮らす。見えない、聞こえないように、心にバリヤーをかけて暮らす。その心の中は、正常バイアス、自己保身、自己愛、利益にしがみつく利己心によって、埋め尽くされている。

 本作品は単なるホロコーストを断罪するばかりではなく、人間のエゴイズムを追求している。

 

 その異常な心理状態を映画は視覚的、聴覚的に表現する。絶えず鳴っている焼却機の音、ピクニックで聞こえる鳥の鳴き声、ピストルの音。低い、喘ぎ声のようなもの。ズーンと思い重低音。タイトルが始まってしばらく続く画面の闇。

 

 映像では多くのシーンが縦と横の垂直線で描かれる。きちんとと整った室内。直線的廊下、まっすぐ続く塀、建物も床の模様も、直線的、幾何模様で占められ、曲線や、崩れた線は自然以外は排除されている。

 

 これは、硬直化した心の状態、人間の甘い心の状態を入りコマないように作り上げた、彼らの心を視覚化したののだろうと推測される。監督すごい!

 

 この一家は特別なものではない、嫌なものは見ない、聞こえないことにする人間一般の心理であり、他者に思いをはせない、自分だけは安泰であろうとする人の心、社会を表現した作品であるといえる。

 

閑話休題    ヘスの妻を演じたのが「落下の解剖学」の主人公、サンドラヒューラーとは、全く気付かなかった。自分のことと、家族しか眼中にない、どこにでもいるような女性なのに、怖い。外股で、前かがみ気味にガシガシ歩く。名女優ですね。

 

 

 そして、今現在、塀の向こうはガザである。ホロコーストを経験した人々が明日は別人のように、民族浄化を計っている。