2021年 の日本版を見ていたので、ぜひ見たいと思い、スクリーンを見つめました。

 

 演出が、同じフリードマンさんなので、全く同じなのですが、アメリカでは俳優がわき役に至るまで、実に多種多様な人々がいるというのが改めての実感。肉体的に背が高い人、低い人、肌の色が様々、太った人、極端に瘦せた人、バラエティに富んでいる。立っているだけで、人生や、個性が浮き出ている。

 

 その点、日本の舞台に立つ人は、肉体的に同類で、同族みたいな感じでスッキリ、爽やかで、やはり植物感がありました。

 フランク平方元基、チャーリーウエンツ瑛士、メアリー笹本玲奈、ベス昆夏美、ガッシー朝夏まなと、ジョー今井清隆

 

 

 全体的に見て、日本版のほうが、丁寧な作りだなという感じ。俳優の演技が丁寧で、細かい感情の起伏がしっとりと伝わってくる感じ。映画の俳優さんも演技も歌も抜群で、素晴らしいのだけれど、感情表現が日本人が演じた方が心にしっくりくるのかも。

 

 俳優で一番違った感じがメアリー、映画ではすごーい中年のおばさま、太っていて、美しくない。拗らせ性格でもてないタイプなんです。笹本さんも衣装で太った感じ出してましたが、太りの規模が違うし、笹本さんは美人タイプだし。有名な女優さんらしく、上手いし、お歌も素晴らしい。

 チャーリーは、あの、ラドクリフさんで、ものすごく芸達者で、ショーストップ風のシーンがありました。だけど、むさくるしい感じの中年男風、ウエンツさんは無精ひげなしできれいでした。

ベスは昆さん、映画と違って小柄だけれど、役的には違和感なし。

 ガッシーは黒人の方が演じていましたね。朝夏さんは黒塗りしていなかったし、見た目が全く違う。

 朝夏ガッシーのほうが、繊細。映画は単なるわがままな自己中心風。

 他人を踏み台にして、上昇していくのだけれど、他人を踏みつけにする心の痛みを感じているのが朝夏ガッシーだった。

 雰囲気的に主役のフランクが、一番似ていました。平方さん初単独主演でしたし、凄ーく良かったんです。休養に入ったみたいで残念です。

 

,物語は、三人の友だち仲間の40歳の現在から20歳青春の出発点へと逆もどりしていく意表を突く展開。

 始まりの40歳は友情の破綻が描かれる。五年ごとにさかのぼっていって、ラストシーンは三人の出会いが描かれる。

泣けるんです。何事も叶うよ、ぼくら三人は無敵なんだと、希望にあふれて歌うシーン。20年後を知っているので切ないです。

 亡くなったスターでも、生存者や利害関係書が沢山いる人物の伝記物語はフィクションとして見るべきだと思う。

ヘンなこと描いたら、抗議が殺到したり、弁護士に依頼して、名誉棄損とかで訴えられる可能性大だからだ。

 

 だから、この作品でも、ダイアナロスとか、重要な人物とのエピソードが出てこないし、妹のジャネットジャクソンなんて、姿が消えている。真実のマイケルの姿だと思ってみたら、阿保である。

 フィクションとしてみたら、ものすごく面白い作品で、心から楽しめる。

 

 黒人の貧困家庭で育ったマイケル君が父親のリーダーシップでスターになるが、暴力的で、守銭奴で、支配的な父親との長い戦いの後に自由を勝ち取り、真の音楽家として、成長していく過程を見せる物語。

 

 心優しいマイケル君が父親の支配を切れないで葛藤する姿にマイケル頑張れといって、応援したくなるのは物語に取り込まれた証拠である。 巧みなドラマつくりに乗せられてしまった幸福な観客になれたわけだ。だから見終わって、心は満たされる。

 

そして、マイケル君に扮した俳優たちが、デジタル技術を駆使して素晴らしい再現度で、彼の歌やダンスを披露してくれる。

 マイケルのことをあまり知らなくっても、彼が歌った歌やダンスシーンは、最高の完成度。スリラーも、ムーンウオークも楽しめる。素敵な音楽体験ができて、幸せな時間でした。

 それにしてもマイケルジャクソンというアーティストはgiftedなんだなあと実感。音楽に疎い自分でもその天才的な独創性を知ることができて幸せでした。

 物語の内容や展開は、いわゆる、シチュエーションコメディとか、昔のブールバール劇のようなナンセンスが主体となっているのだけれど、エンターテイメントとして上出来の仕上がりで楽しめる。

 

 脚色、演出の野口幸作さんの匠の技のおかげなのだが、その演出意図を舞台上に実現させる俳優の技術も高いのだ。

 

 いつも歌舞伎を例にとるのだが、物語は荒唐無稽でも、役者や演出で圧巻の舞台になるのである。今回もそう思った。

 

野口さんの演出が見事で、テンポよくお話が連なって早い展開。

 ダンスの格好良さと、技量の高さ、俳優の芝居のうまさ、舞台美術の華やかさ、それらが相まって、楽しい作品に仕上げてある。ちょっと長かったけれどね。

 つくしと司が結ばれるか否かのハラハラドキドキ、もう一歩で破綻するという繰り返しが、手を変え品を変えして現れるのだが、少しばかり、クドくて飽きる。

 

 このギャグだらけの物語をドラマとして繋げていくには役者の演技の質にかかっている。

どんだけレッスン積んだのだろう。このタイミングと間を身に着けていくのは大変な試行錯誤を重ねたのだろうと思われる。

  

 特に詩ちづるさんの芝居の間が素晴らしい。ツッパリと弛緩の強弱のつけ方が上手い。めげないつくしさんを演じるのはテンションと肉体の強度が必要で、それを維持するのはどんだけ大変だろうと思う。センス、というか、芝居感をしっかり持っているのだろう。

 

 暁さんはひたすらカッコよいけれど、芝居の間の取り方がやはり上手で、役者魂を感じる。

 

 鳳真さんのアピール力、瑠璃花夏さんの強い芝居力、万里さんのゴージャス感、ひろ香さんのお父さん、組長さんの芸達者等々、個々の役者のテンション高い演技が沢山積みあがって、宝塚の底力を感じました。

 

 

 

 

 脚本の谷正純さんは、オリジナルはエッ?というものが多い作家ではありますが原作物の舞台化は上手ですね。

「CAPTAIN NEMO 」なんぞはトンチキ過ぎて、笑ってしまったりしましたのを思い出します。物語が作れないのでしょう。

 

 今回は素晴らしい脚本で深く心を揺り動かされました。役をいくつも作って、それぞれに見せ場を与えている。

 

 大根売りと、下女のやり取りとか落語みたいで楽しいし、おでん売りには歌まであるし、真帆屋の主人にもソロがある。

人形浄瑠璃を取り入れて、人形振りで、目を楽しませ、大夫を二人を配して歌を歌わせる。

 生徒の皆さん、場面を任されてものすごく張り切ったでしょう。庶民の群舞も扇子ひらひら美しいく、ほっぺの赤いお姉さんも楽しく歌う。

 いろんな生徒がいろんな場面もらって活躍しているからこそ、作品全体の一体感が生まれ、作品のテーマ、「人の心を斟酌する人の暖かさ」が舞台いっぱいにあふれているのでしょう。

 

 難波の商人道と人情噺を組み合わせた物語ですが、ともすれば「恩返し」という修身まがいの道徳観で作られてしまうのを、見事に覆し、人の物語、出会いの奇跡、人生における人と人の心の触れ合いの物語になっていました。

涙が次から次へとあふれ出てしまう心が揺さぶられた芝居でした。

 

 この芝居の要の人物、実は主人公であるのは寒天問屋の旦那さん、和助でしょう。

 彼は、仇討ちに遭遇してしまった。親子のうち、子供までも殺そうとするのを子を救いたいという思いから天神様に奉納するはずの「銀二貫」を仇討ちの侍にやってしまう。

 この行為が有り得ない。ふつうなら、逃げてしまう。和助は人として、このお侍の子を助けたいという心が行動に出た。この行為は神でも、仏でもなく、人間だからこそできることなのだ。神や仏は実際には手を出さないのだから。

 

 侍の子の人生を預かってしまった和助は、この子を生きていけるようにするには、商人に生まれ変わらせることだと考えた。

寒天つくりという厳しい肉体労働をやらせて根性アリと見込んだので、手元に引き取り、松吉という名を与え、商いを学ばせることにする。

 拾った子どもなのに、将来までも導いてやる和助さんは仏様の生まれ変わりでしょう。汝鳥伶さんの素晴らしい演技にため息です。

 松吉は実直な奉公人に成長し、大火にあった仕入れ先を失くして、窮地に陥る和助を機敏な行動で助ける。松吉の才知もあって新しい仕入れ先を見つけ、売り上げを伸ばしたがゆえに、銀二貫を和助は天神様に奉納することができることになった。

 

 が、しかし、和助は、これまたこの銀二貫を資金繰りに苦しむ男にやってしまうのだ。商人としてのそろばん勘定もあったろうが、懐の深さの現れでもある。

 さらに、和助は恋に逡巡する松吉に手を貸して、恋を成就させたりする。仏様では出来ない行いで、人間だからこそできるのだ。

 

 そう、この作品は人間賛歌であるのだ。苦しい時には手を差し伸べる。その心に報いてみんなが斟酌しながら助けの手を互いに差し伸べ合う。真帆さんだって、焼け跡で助けてくれた女性の娘として支えるのだ。この小さな身の回りの関係が人を幸せにするんだと、この物語は教えてくれる。

 

 

 月組の皆さん、皆んな生き生きとして江戸の庶民を生きていました。見ていて心が洗われました。

主演の稀惺かずとさんは、芝居上手、折り目正しい楷書の芝居で、若々しい松吉さんの誠実さが表現されていました。

 乙華さんも芝居うまくて、宝塚は芝居上手の娘役が溢れています。歌声もきれい。

輝咲玲央さんは、どこかおかしみが漂う演技と存在感があって、貴重な役者さん。汝鳥伶さんは、人間国宝でありますよ。

 

 

 世界中の誰もが知っている可愛いベティちゃんが、キラキラピカピカの光の中、ノリノリの音楽、歌うまさんたちの歌声で三次元化していました。

 何より、どこまでもピュアで疑うことを知らない、素直な天使のようなキュートな女の子が新世界での戸惑いやファーストラブ等々を四の五の言わずに虚心坦懐に楽しむと、皆笑顔になる舞台であります。

 

 人生への賛歌が溢れています。コンプレックス抱えているお姉さんとか、自分がやりたいこともはっきりしていない、モラトリアムの青年の葛藤とか、初恋の人に時を越えて巡り合うとか、という物語はあるのですが、皆それを乗り越えてハッピーになろうぜという作品であります。

 

 そんなわけで、ベティちゃんを演じる礼真琴さんの可愛いこと、この上ない、嫌みにならず、お馬鹿なんだけれど、お馬鹿過ぎてもいない、純粋な、愛らしいベティちゃんを素敵に作り上げていました。表現するの難しいキャラクターだと思うけど、さすがの天才エンターテイナーです。宝塚時代をはるかに上回る歌声、予想はしていたけれど、凄すぎて笑ってしまった。

 

 出て来る人々も漫画チィックで、楽しいし、特に、選挙に打って出る政治家の渡辺大輔さんの、振り切った演技が最高に楽しかった。歌唱力も身体能力も高くって、先日みた「ジェイミー」のドラーグクイーンも見事だったし、目が離せないミュージカルスターさんであります。

 久しぶりに見た柚希礼音さんは、さすがの存在感、ダンスは豪快、スターの風格があって、場面を引き締めていました。

 

 何より、楽しい舞台で、ワンちゃんも可愛いしね。まあ、文句言えば、ベティちゃんのキャラは古臭いですよね、胸の大きな少しお馬鹿な女の子が主人公なんですね。きついことも言わない、反発もしないし、選挙戦のアイコンになっても最初は気づかないし、

 

 ま、その辺は、難しいこと言わないでおきます。楽しい舞台だったし、礼真琴さんの、卓抜なパフォーマンスが観られて、これからどんな作品を見せてくれるのか、期待でいっぱいにしてくれたのだから。

 

 歌舞伎の殺し場とは、殺人シーンをどぎつい、しかも美しいエンターテイメントにするんですね。凄い芸術だと改めて思います。

 

 西洋絵画では、いろいろ「怖い絵」として殺人シーンを取り上げていますが、舞台芸術では歌舞伎ほど、見せ場として沢山の作品を売りものにしてはいない。シェークスピアのころは沢山あったようですが。ハムレットなんかみんな死んじゃうし。

 

  恋に溺れて百両だまし取られた貧乏浪人、(実は不破数右衛門)の源五兵衛が騙されたと知るや、豹変して鬼気迫る殺人鬼になって、裏切った芸者小万をなぶり殺すというシーンだけれど、その殺人現場を芝居の見せ場にして、やんやの喝采を浴びる。

 

 その殺し方たるや、壮絶そのもの、血を流し、身をかわして逃げる女をすぐに死なないようにじわりじわりと刃を浴びせる。一番ひどいのは、女の赤ん坊を女の手を添えて、刺すという、むごたらしさ。

 なんという芝居なのかと思うけれど、源五兵衛と、小万の修羅場がどきどきするけれど、美しいのです。源五兵衛の青白い顔に狂ったような目の動き、逃げる女の恐怖の表情、着物もはだけて髪も崩れていきながら逃げ惑う。女を追い詰めるその二人の動きが絡み合って、人形劇の様。

 

 歌舞伎役者が代々工夫を重ね、肉体を鍛えて作り上げ異形の世界であり、現実の殺人を止揚して、芸術として舞台の上に出現させている。

 この芝居、歌舞伎では通常運転のご都合主義の支離滅裂のストーリー、でも、そんなこと度外視で、楽しませてしまう摩訶不思議な世界。役者の技量があればこそ。

 

 源五兵衛に扮する脂の乗り切った役者、勘九郎さん、小万は美貌と役者魂あふれる七之助さん、いなせな三五郎の松也さんの主役三人がそろって貫禄ある力芝居。そして、源五兵衛の従者の、八右衛門の歌昇さん、忠義で一生懸命な姿が胸を打ちました。

 

 

 もう一本の「俄獅子」華やかに小川家の皆様が勢ぞろいして、火消や芸者や獅子に扮してめでたく踊るお祭り狂言。

「歌舞伎ってすごく良いわあと、」何故か涙がこぼれそうになったりして。

 働く女性にとって、この作品はスカッと気持ちが良い。あくせく働く自分の生活はうざいけれど、この映画に出てくる人女たちは、仕事できる、生活は贅沢、着ている洋服は、豪華で華麗でしかもかっこよ、見ていて幸せ気分になるのだ。

 

 おまけに老舗モード雑誌が経営危機になっても、主人公、アンドレアの驚異的な活躍でうまく乗り切り、カリスマ編集者のミランダは、強気で形勢不利をひっくり返す。その爽快さに胸がスッキリする。

 

 敵に寝返った元同僚も最後には和解して、全体にシスターフッドの趣があって、社会で奮闘する女性たちへの応援歌になっている。

 

 アンハサウエイのスタイルの良さ、どんな衣装も素敵に着こなしていて、憧れる。

 

  メリルストリープののカリスマ編集長、頭脳明晰、気位高くて傲慢、それでも、コンサルタントに経費節減を強いられて、飛行機のエコノミー席でもじっと耐える姿に、観客は「可哀そう、どうにかしてあげて」と、肩入れしてしまう。

 

 彼女は、従業員を締め上げる冷徹な経営者なのに、男社会でめげずにのし上がった女性だからこそ、エールを送りたくなるのだ。

 それはメリルストリープが作り上げたキャラだし、名演技の所以だ。

 だいぶ体重を落としたアンハサウエイのプロ根性。早口言葉のような小気味よい活舌の良さ。英語ってこんなにリズミカルなんだとうなずく。

 

 前作の20年後という設定で、パワハラ編集長も、だいぶ穏やかになったし、親会社の代替わりした御曹司経営者がコンサルタント引き連れて乗り込んできて、経営改善案を示して面食らうシーンとか、前作とか、趣は変わったけれど、レベル落ちずに楽しめる作品にしているのはハリウッドの凄いところであります。

 

 

 

 

 その時代を生きた人々が亡くなっていった後、その体験を語り継いでいくのは、映画、小説、戯曲、絵画や音楽という芸術の役目であります。

 

 太平洋戦争が日本の降伏で終わってから80年経ち、戦争体験者が数少なっていく中で、その実際の生活や心情を庶民の世界から描いたのが井上ひさしであります。

 戦争を遂行した軍部や権力者を糾弾しながら、日本人のものの考え方、振る舞いを分析して日本人論を舞台に乗せました。

 

 歌や踊りを交え、面白おかしく進行しながら、戦争の本質や、戦時下に生きた人々の心情を露わにしていく、観客は笑いながら、涙を流しながら、目を覚ませられる。

 

 今回は、戦後2年くらいたった没落男爵家が舞台。被災した豪邸をダンスホールに改造して生き抜く33歳から女学校に通う四姉妹の物語。両親は戦災で亡くなり、お金もなくて生活する姉妹のもとに、「桜の園」のロバーヒンよろしく、かっての使用人金太郎が闇で稼いだ金を持って、屋敷を買収しにやってくる。

 生き別れになった妹を探す便配達夫、闇たばこ売りのおばさん、火災で声を失った花売り娘たちが加わって、戦後すぐの庶民生活のあれこれを繰り広げる。

 

 金太郎の振る舞いの中に、体制が変われば疑うことなく新しいシステムに順応し、政府や政治批判を忘れてしまう日本庶民の姿を映す。

 過去を忘れて生きるのはバイタリティある生き方と評する人もいるだろうが、戦争の総括、責任の所在をあいまいにして、体制批判をせずにいれば、再び、戦争が起きる世界がやってくると、作品は言う。

 

 実際に、昨今の世相を見れば、まさしく、戦争する国が復活しているように思える。

 

 井上作品では、セリフが重要なのだが、役者から発せられるセリフが聞こえにくいのが難点だ。端っこではあったが、紀伊国屋サザンシアターの前から三番目であったのにだ。

 リアルを求めて大きな声で喋らないようにとの、演出の意図があるのかもしれないが、これでは作品の意味が伝わらない。

 高橋克実さんや、枝元萌さんははっきりしていたが、特に、次女のセリフが聞き取れなくて、戦争に行って帰ってこない夫の話が分からなかった。深夜のシーンでは全員が聞き取りにくかった。

 

 栗山民也さんはどう思っているのだろう。セリフの音量以外は素晴らしいのに、どうにかしてください。

 

 朝海ひかるさん目当てに行ったのでありますが、久しぶりのコムさんは、背筋がピンと立って、凛としたたたずまい、気丈な元貴族の令嬢、蘭子さんがしっかりそこに居ましたです。

 

 期待したタンゴ、物語の最中では、セーブされていましたが、全員が踊って終わるラストシーンでは、しっかりタンゴ踊ってくれました。相変わらずのデコルテライン、背中のそりがピシッと決まって、嬉しかったであります。

 

 

 平家の御曹司たちのあでやかな、しかも哀しい青春群像劇とでも、言うべきでしょうか。

 

 それぞれに懸命に生き、短い命を散らしていった若者たちを美しく、しかも、ダイナミックに描きました。蒼い光の夢幻の世界に誘われた余韻が観終わった後にも続いています。

 

 滅びゆく人々の物語は心に沁みいります。琵琶法師が語り継いで、日本文化の底流に今も生きているのからこそ、平家物語は心をひきつけるのでしょう。

 

 平宗盛、重衡、知盛の三兄弟に、いとこの教経。それぞれに特化した特徴あるキャラクターがわかりやすいです。

そして、一ノ瀬さん、聖乃さん、永久輝さん、極美さんが、それぞれの心情を的確に美しく演じていて、シンパシーを感じる舞台でした。

 

 実際の平家物語では、知盛はあまり出てこなくって、一の谷の合戦と、壇之浦くらいしか活躍していないのです。

能や、歌舞伎で有名になっていったのでしょう。

 

 歌舞伎や能と違って、この舞台では未知なる異国に思いをはせる血気盛んなロマン志向の若者になっていて、永久輝さんが清々しく演じました。

 そんな柔軟性のある青年なので明子さんのような、変わった姫様に興味をもったのでしょう。でも、清盛の前で「平家は滅ぶ」なんて叫ぶシチュエーションにはびっくりしました、ちょっと、無理あるかなあとは思いましたが。まあ、そこは目をつぶることにします。その後は破綻なく、物語が進んでいったので。

 

 繊細で雅な重衡さん、豪放磊落の教経さん、極美さんは、力強い演技でまた新しい可能性を見せてくれました。対照的な二人です。平家物語って何十人も登場人物があるのに、この二人を選んだ作者の選択は賢いです。宗盛の一ノ瀬さん、上手ですね、優柔不断な棟梁を品格ある芝居でうまく表現してました。

 清盛の英真さんはやはりお上手、存在感抜群。

 

 源氏勢のお役は、義経、梶原景時、影季の三人だけというのも潔い。熊倉さんの思いっきりの良さがすごい。

この三人がまた良いのです。義経は、切れやすい危ない青年を希波さんがカッコよく演じ、重厚な武将景時を、侑輝大弥さんが素晴らしい身のこなしで表現、芝居上手ですね、ジュリアンが楽しみです。

 

 知盛の息子知章三空真瑠さんが健気で涙を誘いました。

 

 合戦シーンは期待してたよりは大人し目でしたが、ないものねだりではあります。これだけ楽しませてくれれば言う事ありません。こんなに素敵な舞台を見せてくれたのですから。

 

 

 

 

 

 凄い作品だという噂を聞いて、東京公演まで、待てなくて、映画館に行ってしまいました。

栗田優香さん、素晴らしい脚本家、演出家が生まれましたね。あまりの凄さに暗がりで笑ってしま った。

 

 緻密な脚本、緩急自在の話の運び方、大胆な演出、構成がしっかりしているので、お話がぶれることなく、しっかりと、ラストまでもっていく。緩急のリズムが良いので物語に引き込まれます。

 昨今の本公演では、グダグダの作品が続いていて、がっかりしていたので、晴らしい作家が出て来て嬉しい限りであります。

 

 

 何より、主人公が殺人鬼のように、人をバサバサ殺すし、婚礼の夜に残バラ髪の血まみれ姿になってしまう。

こんな血まみれのトップスターは見たことがないです。

 幕開きは後ろ向きの主人公。この大胆な演出が度肝を抜きました。

 

 出自を賤民としたことで、残虐行為も成り上がるためという説明がつくし、根底に人の心を持っているがゆえに、恋愛が成り立ち、見ていてキャラクターに共感性があります。もちろん、鳳月杏様の演技力あるが故でありますが。

 

 赤兎馬のシーンは、ファンタジックな美しさと、おどろおどろしさ、素晴らしすぎて。鳥肌立ちました。

 ヒロインが入水してしまって、もう出てこないのかと思ったら、三国志で有名な美人として復活するなんて、なんという筋立てでしょう。こういう手もあったか!

 息つく暇なく物語が進んでいくのに、渋滞することなく進み、なおかつ民衆の歌や踊り、宮廷の歌舞もあって、ほっこりしたり、芝居のリズム感も良き。

 

 煌びやかで、勇壮で、しかも、二人の愛の物語に胸締め付けられ、涙が出てしまう。

 

 芝居つくりのうまさばかりでなく、沢山のお役があって、それぞれに見せ場があるんですね。生徒さんもやりがいがあって、上級生、下級生、素敵な芝居を見せてくれました。

 

 鳳月さんのどっしりとした武将姿、力強くって、しかも、愛に生きる切なさ、もう一級品の風格、色気満載。ため息です。

 

 天紫さんは、中国美人そのもので、お衣装も冠も、絵から抜き出てきたようで、赤い衣装での踊りは目を見張ります。

 

 風間さんは、どんなお役でも客観性があって、飄々としたゆとりがあるのですね。だから、悪い役でも人間味があるのです。凄い才能。

 

 

 栗田さんは、上田久美子さんの再来でありますが、上田さんより、腐女子エッセンスが加味されていて、そこも、魅力的であります。「雨ににじむ渤海」の平松結有さんと共に、今後の観劇が楽しみになりました。