八年前は、膨大な原作を巧みに舞台化した小池修一郎さんに絶大な拍手をしたのですが、今回の雪組版では小池さんの作劇術への賛辞はそのままに、尚も進化、深化させた雪組さんたちに大拍手をしたいです。

 

 舞台上に出てきたときのエドガーの朝美絢さんの瞳に心臓を射抜かれました。

不埒な少年の目に絶望からくる悲しみと、そんな自分にした世界への敵意と、皮肉な笑いが見えてショックでした。

 

 朝美エドガーは、ヴァンパイヤになった後は、自分が居る世界がすべて嫌で嫌で仕方ないから、常に、すべてに反抗的で、攻撃的。同時に孤独で寂しくていたたまれないから、人にも、自分にも偽悪的で破壊的になる。

 そんななかで、妹メイベルにだけは、すべてを捧げる。メイベルだけが自分の存在する意味なのだ。

 

 美しい顔をしたエドガーが可哀そうすぎて、見ていて切なかった。明日海さんのエドガーには感じなかった感情です。(明日海エドガーはひたすら美しく、妖精の様で触ったら壊れそうで素敵でした)。

 生きる意味だったメリーベルを失った後も、彼は、永遠の時間を生きなけらばならないのは拷問です。だから、共に永遠の旅をする友として、アランを得た時には、良かったねとほっとしました。

 

 瀬央さんのポーツネル男爵、小桜さんのシーラ、大人の愛が切なくて、音彩さんメリーベルが可愛すぎて、ポーの一族の世界に取り込まれてしまいました。

 縣さんアランもこれまた素晴らしく、お金持ちの坊ちゃまの品の良さと、家族に対するいら立ちと、疎外感と、理解されない孤独感が漂っていて、芝居上手を再確認しました。

 華世京さんの成長は著しくて目を見張ります。スターの存在感がしっかりあって、クリフォードがそこにいると、芝居が動きます。

 

 そして、

 コムちゃんの時代から、見ていた歌姫、美穂圭子さん、美しくって、グレイスフルで大好きでした。最近は低音部にドスが効いていて歌いだすと、空気が変わります。長い間楽しませていただいて、有難うでした。

 

 充実した演劇を見られて幸せな時間を過ごせました。ほんと、宝塚bravo-!

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 エミール・クストリッツア監督は、完璧なシナリオをもとに、構成、演出、ワンカット、ワンシーンが考え抜かれた職人芸を見せてくれました。まさしく芸術家、誰もまねできない世界を見せてくれました。

 

 コメディという言葉でジャンル分けしてはいけない風格と、名品の深い味わいに満ちています。

 あえて言えば、笑劇、ファロスであります。

 人を食ったような有り得ないストーリー構成、スラプスティックな作風、体を使ったギャグに満ちていて、作り上げたのは、人間愛に満ちた人生讃歌。

 何はともあれ、楽しくね。だけれどその裏側には幾多の悲劇があることを、監督は知っているうえでの、おふざけなので、作品は分厚くなっている。

 

 冒頭の双眼鏡で覗いた豪華客船がラストには、駆け落ちの船になり、無暗と発砲するお姉さんとか、死んだはずの人が生き返ったり、 人を食ったエピソードがまき散らされるも最後にしっかりまとまって、幸せのハッピーエンド。

 

 いかさま詐欺師マトウコが 一攫千金を狙って、列車強盗を思いつくのだが、あえなく失敗して、ギャングの男に借りを作った挙句、ギャングの妹の結婚相手に息子を所望される。

 ギャングに借りがある父親に無理矢理に結婚相手にされてしまった息子。父との必死の闘いがおかしい。

 ギャングの男の、愛のない結婚を嫌がる妹への仕打ちは障碍者虐待かと驚いたけれど、妹への愛からくる必死の行動と分かって、胸をなでおろす。木の切り株に隠れて逃げる妹の姿はメルヘンタッチでシンデレラを思わせる展開で心が和む。

 

 名工の腕から生まれた芸術品、しっかり楽しませていただいてこちらもハッピーでした。

 

 

 

 

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 スパイファミリー2は、ロイドフォジャーさんの影が薄いですね。前回は疑似家族が出来上がる途中のちぐはぐさに焦点を当てていたけれど、今回は、敵国とのテロ事件を扱っているので、そうなったのでしょう。

アーニャ、シルヴィア、ヨル、オルカさんたちの活躍が印象に残ります。

 

 前回より、アーニャさんの出番が多くって、事件の核になって展開していきます。昨日は真野麗花ちゃん。目を見張る役者魂、表情豊かで、チャーミングで大活躍

 

 爆弾犬編では本物みたいな、犬のぬいぐるみ、ボイドの存在に心が和みます。

 そして、ハンドラー、シルヴィアさんに、泣かされます。

「戦争を起こしたかった」という爆弾実行犯の学生たちに怒り狂って暴力をふるいながら、戦争の悲劇を歌って、最後に、「私にもあのくらいの娘がいた」という所。常に毅然とした姿勢を崩さないハンドラーが、ものすごく優しい表情でアーニャにかがみこんで話すところ。アニメでも凄く好きなシーンを取りあげてくれて嬉しかったです。

 

 豪華客船編はもう、派手な、しかも、ちょっと可笑しいアクションシーンの連続で、次々と打ちあがる花火を背景に、殺し屋ヨルさんが代役使いながら悪人たちとの格闘で大活躍。その合間に、疑似家族の存在を越えてしまう恐れと期待を歌いあげます。真彩希帆さんの素晴らしい歌唱が胸を打ちます。

 追っ手から逃れる乳飲み子を抱えた組織の女オルカ、有沙瞳さんがこれまた美声で、宝塚OG三人の活躍にニンマリです。

 

 舞台化はよく出来ているけれど、原作アニメとかを見ていないと、ストリクスの作戦がよくわからない人がいるかもですね。

でも、ダイナミックな舞台転換や、派手な舞台作りや、集団でのダンスシーンが迫力あって、歌が皆さんうまいので要所、要所が締まります。

 

そして、朝夏まなとさんのシルヴィアが出て来ると、舞台に重みが出ます。思い鉄球が投げ込まれたみたいにお腹に響くというか、存在感の大きさが凄い。歌うま真瀬さんのシルヴィアも見てみたいです。

 西欧人の魂の根底にある英雄叙事詩が現代において映像化されれば、神の要素を抜き去り、夫婦愛、親子愛を主軸にアクション映画として作られるのは必然だと言える。故郷、家族のもとへの帰還というテーマもいつの時代にも通じるわかりやすい話だ。

 

 トロイの木馬や、一つ目の巨人との戦い。魔女によって、豚にされたり、巨人の島との遭遇、暴風雨。傍若無人で故国を荒らし廻る戦士たちとの戦い。グロテスクな怪物映画になりそうな要素を、納得いくリアルさで表現している。

 実力者のクリストファーノーランを監督に据えたのは大成功と言える。

 

 時間を前後する構成、テンポとリズム、ダイナミックな画面構成、臨場感をあおる音楽、音。船の揺れや、嵐、等々、体感的に迫ってくる。画面にあふれる臨場感が物凄い。

 

 戦いのシーンも、真っ赤な色の血潮は表現されない。暗いトーンで処理されている。首が飛んでいくスプラッター的なシーンは控えてある。豚に変身されるシーンは、笑えそうなほどにファンタジックだし、可愛そうと言えば、罪もないのに目をつぶされるキュプクロスが哀れだった。ペネロペ王妃は気高く切なく美しい。アンハサウエイ様は大女優。マットデイモンは力強さには欠けるが、モノ思う姿が好もしい。

 

 そして、軍人オデュッセウスはトロイ襲撃の際に、自分が大将なのに、炎に包まれ、殺戮されるトロイを見て、戦争の悲しさ残酷を思い、罪を実感するのだ。

 なので、戦いで亡くなった敵や、自分の部下も含めて、慰霊の旅に西方へ妻のペネロペと共に船出する。

 

今現在もあちこちで戦争が起きている社会への抗議であると思う。

 

 いわゆるクリエイティブな作業にいそしむ人間、小説家、作曲家、画家、デザイナー、建築科etc....。彼らが作品を生み出すときには、悩んで、混乱して、辛い状態に陥る。この作品は、創作に苦しむ主人公、映画監督グイド・コンティーニが苦しみの果てに生み出された妄想のコラージュである。

 

  アイディアが浮かばず、固まりかけた構想が飛んでいってしまい、考えがあちこちに散らばってしまって、まとまらない。

 自分の脳内をあれこれ検索しているうちに、昔のこととか、過去の恋人とか、成功した作品とかが思い浮かぶ。

 苦しいので、逃げようとして、楽しい思い出とか、おいしいワインとかを、思い浮かべる。

さらに、助けを求めて、ママのこと、それに引きずられて、子供時代の怖いことを思い出したりする。

 

 この混乱するイメージを見える化したのがこの作品。面白かったですねえ。

 

 

 ラストにピストルが現われのを解釈すると、

①死ねば創作の苦しみから解放される、死への願望。②自分はなんと不信心な人間なのかという自責の思い。③いろんな人に迷惑かけてる自分の罪業を悔いる。加えて芸術家一般の罪深さの象徴と見ることもできる。グイードコンティーニの個人的な体験が、普遍的なものに昇華されているのが奥深いです。

 

 鳳月杏さんが、素晴らしすぎ。一つ一つの、動きが素敵すぎる。

チャーミングで艶やかでありながら、品があって、可愛らしいさもあって、女性にすぐに甘えてしまう狡さもあるのだけれど、許されてしまう男。自己愛、自己中男なので、男性俳優が演じたら、許せないキャラクターかも。ちなつさんだから、ニコニコと見ていられる。

 

 対する女性陣も充実。天紫さんの妻ルイーザ。妻の貫禄十分で、愛人があまた居てもドンとしているようで、苦しみで溺れそうな悲しみが溢れていました。

 輝月さんはもう、言うことなしの存在感。夢奈さんの包容力あるママや、女優の礼華さんの往年のハリウッド女優を思わせる豪華さ。皆さん高音がしっかり出ていて驚きと共に感激しましたね。娘役さんたちも、上手で美しすぎ。

 

そして、演出の指田珠子さんの腕の冴え。この作品を演出する人は、イメージが沢山湧いてきて楽しいだろうと思う。

終始、華麗で、豪華、素敵な夢を見せてくれました。

 

 物語性の薄いこのような一見、難解作品を宝塚で上演する必要がないとか意見もありますが、こういう作品をすると、生徒のやる気が高まり、隠れた才能が見いだされたりして、宝塚全体のレベルが上がると思います。

 鳳月杏さんの名前と共に、忘れられない名舞台になりましたね。

 

 

 

 

 文明開化のお江戸を舞台に、稲妻小僧なる義賊を主人公に、伊藤博文を中心とする新政府と、それを阻止して利権を得ようとする勢力の陰謀を背景に、新世界への期待と混乱を熱く、可笑しく展開していく。

 

  沢山の、にぎやかな登場人物。戊辰戦争で負けた側の二本松藩の男たち。この戦争にまつわる親子の確執。長州に恨みを持つ若者と娼婦に澪落した恋人の話。転落した氏族の私塾に集う若者たち。マスコミの芽生えたる瓦版や、実は義賊の稲妻小僧に恋する元気なおひい様・・等々を配して、にぎやかに、エネルギッッシュに話は運ばれる。

 伊藤博文の浮気壁とか、風間さんと白河さんとの恋模様の可笑しさ。その一方で、生き別れた母子の物語を語って、涙を誘う。

 

 盛りだくさんのエピソードが、混乱することなく、テンポよく話は進んで、最後は、各自、悲喜こもごもの思いを抱えて、新世界への期待を抱いて、目出度し、めでたしの大団円。

 脚本、演出の斎藤吉正さんの腕の冴えたるや、おみごとでした。

 

 加えて、月組生の芸達者ぶり。風間さんの演技者の才能はいわずもがな。真矢みきさんを彷彿とさせる喜劇を武器に出来るスターであります。

 白河りりさんは、「花より団子」の牧野つくしみたいにエネルギッシュで痛快。作品を盛り上げました。

佳城さん、英さん、上級生の専科さん並みの融通無碍の安定感、作品を大きくしてます。

 そして、彩海せらさんの充実ぶり。パルでは静の人物、今回は逆立つほどの怒りで復讐する青年、歌も立派で、見事に化けた姿に感激でした。

 そして、娘役さんたちの歌の上手さ。

月組生の実力がキラキラ光って、中身の濃い素敵な舞台になってました。

 

 

 

 

 50年前の映画を何回か、名画座で見てたので、舞台で上演されるのは感慨深いものがあります。

 ニッキーを演じたのが、「アラビアのロレンス」とか、「ドクトルジバゴ」のオマーシャリフで、キゾティックなアラブ風の容貌で、にっこり笑みを浮かべるニッキーアンスタインが素敵でした。

 

 このミュージカルはほとんど映画を踏襲していて、(というのもバーバラの舞台が先なんですよね)いろんな映画のシーンが思い出されました。

 

 なんといっても、ファニーブライスに扮する望海風斗さんの圧倒的存在感。

 

 ブロードウエイで、圧倒的人気者のコメディエンヌ。子どもの頃から独特の可笑しさをキャラクター的に持っていて、笑わせるのが大好きで、常におどけている。劣等感を胸に沈めて、笑いを取って人の心をキャッチする。

 愚直にまっすぐに物事を捉えて、子供のように、ストレートにものを言ってしまうが、常にユーモアを伴って反応をコントロールする。怖がりなのだ。愚直に見えるのだが、心は繊細、その素直さ、危なっかしさが、世慣れた博打うち、ニッキーの心を捉えたのでしょう。

 

 望海風斗さんは、こんなファニーを確かな歌唱、魂を入れ込んだ演技で舞台を席巻し、観客の心を捉える。ラストの絶唱は劇場中にこだましまして、拍手鳴りやまず。

 

 こんな派手なファニーに埋もれることなく、坂本昌行さんは、確かな歌唱と演技でしっかり対抗する。愛し合いながらも一緒に暮らしていけない男のプライドを的確にしみじみ演じて素敵でした。

 

お二人とも、オマーシャリフや、バーブラストライサンドとは違うけれど、素晴らしかったです。

ファニーの母親役の中尾ミエさんが高齢なのにお達者ですごいし、水田航生さんの幼馴染エディのふんわりした人の好い青年が心に残りましたね。

 

 文句を言えば、ジークフェルドのショー場面では、もう少し人数と豪華さが欲しかったですね、あと二階席だったのですが、セリフや歌詞が聞き取りにくかったのが残念かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 映画を見終わった時「なんで是枝さんは、京本を死なせてしまったのだろう、安易っでしょ」と、少々怒りを覚えました。

 

感情移入してきた主人公が、突然死するなんて、「悪手」ではないか。まさかというショック療法で、平板な物語に強度を与えて、マンネリ感をふっとばして、涙の感動に差し替えるなんて、クリエイターとして、安易な方法ではないかと、怒ったのであります。

 

 しかし、原作があると知り、原作がそうなら仕方ないかと怒りは少しだけ収まりましたが、不満であります。

 

 映画の最初から、藤野と、京本が小学生のころから一緒に漫画家として、成長する姿をずーと見て来て、青年期で別れて、ああ、これからどうなるのかなと思い、藤野はプロとして成功して、良かったねと、喜んでいた。

 

 では、自立した道を歩んだ京本はどうなったかなと、興味津々で、楽しみにしていた。

 不登校で、対人恐怖を持っている京本のその後の人生。うまくない人間関係のぎこちなさと折り合いながら売れない画家とか、学校の先生になるとか、苦闘しながら社会で生きている姿こそ、心に迫るというものだろう。

無差別殺人の被害者になっていたなんて、肩透かしされたショックは大きい。

 

 是枝さんはなんで、これを原作に選んだのか、ストーリー的には、物足りない。

 瑞々しい田舎の小学生、藤野と、不登校の京本二人の漫画を通しての成長は、時系列に詳しく語られるが、少々飽きてくる。

 四季折々の自然描写は美しく、子供たちのつながりの深さに絡まりながら胸打たれる。是枝さんの映画監督の描写力の力でしょう。だからこその物足りなさ。そして、主人公の死というショック療法の安易さが気になる。

 

ストーリー的にはこれは原作の問題ではあるのだが、初作品がコンクールに準優勝とかはそんなにうまく行くのかなと疑問。

 漫画は、絵の技量だけでは成功しない。ストーリーこそ作品の要でしょう。そのあたり、アイディアを生み出す藤野の内面の葛藤が説得的に伝わってこないのが不満。

 

 出て来る子供たちのリアル感、子供時代の藤野と京本、宮藤官九郎の飄々とした、先生がすごく良かったです。

 

 

 NHKFMで放送された並木陽さんの作品、圧倒的面白さで、全15回、三週にわたってラジオに噛り付いて聴いてしまった。

 

 魔女が登場する伝奇ロマンである。しかし、その本質は「光と闇」「合理性と非合理性」世界は知性と合理性だけで進んでいって良いのだろうかとの問いを投げかける骨太の作品である。

 

 物語の発端は、宮廷における殺人事件。それを契機にして魔女が復活する。いかさま心理学で人の心を篭絡して稼いでいる青年、ヨナーシュが、魔女と対決していく物語である。がしかし、単なる魔女退治物語でないことが作品を大きくしている。

 

 舞台は1776年、フランス革命を呼んできた啓蒙の時代。

 ヨーロッパ世界は科学に目覚め、実証と実験で新しい事実が発見され、学問も政治も、知性と合理性が至上の価値観だった。絶対専制君主たちも、政治を合理性で進めようと試みているところに前時代的な魔女が現われて、暴力的な異議申し立てをする。

 

 作品は問いかける。合理性が最高の価値なのか.。

 この世界は、森羅万象、ありとあらゆるもので出来上がっている。人間はその中のほんの小さな欠片である。際限なく広がる宇宙、星や月、海や岩石あらゆるものが不可解である。ちっぽけな存在の人間が生み出すものは絶対的な存在、最上の価値あるものなのだろうか。

 

 呪術や神仏の持たらす奇跡、予言や予知能力、悪魔、魔女も然りで、目に見えないもの、聞こえないもの、感知できないものを否定して良いのであろうか。それら闇も含めて世界なのではないか。

 近代社会の生産性、効率重視の経済合理性が切り捨てていった民衆の、怨念、恨み、嘆きの蓄積も、森羅万象の一片ではないのか。

 

 作品を動かす魔女、パガーチェナはボヘミア地方の農民の娘だった。オーストリアや、プロイセン、ヨーロッパ列強の領土争いの戦争ですべを失った民衆の怨念を担って、魔女化したのである。だが、傲慢であるゆえに、世界の秩序を乱す殺戮を試みるがために、人間の叡智で、滅ぼされてしまう。

 

 だが、魔女はまた姿を変えて、現れるであろう。傲慢な人間は、世界をいじろうとしている。

 

 AIが恐ろしい勢いで人間の場所を奪おうとしている。パガーチェナはヨナーシュによって、消滅させられたが、「またいつか」という言葉を残した。きっと、魔女は復活するであろう。

 

 毎夜ラジオから流れる、俳優さんたちの声が心地よかった。

田代万里生さん皇帝の落ち着き、変幻自在の声を操る中川晃教さんヨナーシュの縦横に発せられる才知の数々、相棒のリュドミラ、仙名彩さんの芝居力。

 そして、パガーチェナの朝夏まなとさんの魔女の存在感。貴婦人の品格ある声から魔女の高笑い。その一方で悲しい過去の告白。今日はどんな展開になるだろうかと、ドキドキしながら放送を待ちました。終わってしまって穴が開いたよう。

 

 

 

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 舞台上で語られるミジョ、チャニョン、ジュヒの二十年にわたる友達関係を眺めながら、自分にとっての、友人とはどんな存在なのだろうと考えてしまった。

 

 友人という他者に対して、あの三人のように、親密に、気兼ねなく、自分をさらけ出し、信頼し、献身している人なんているのだろうか。

 友達同士で、おしゃべりをしたり、冗談を言い合っていても、そのなかには、嫉妬だったり、焦りだったり、うらやましかったりと、負の感情も抱きながら、付き合ってるのが常態ではないか。

 親と子、妻と夫、兄弟姉妹だって亀裂や、わだかまりを抱えているものだ。

 

 無償の愛とか、献身とかはは自己愛からくる欺瞞では、と懐疑的に思っている自分にとってはこの作品の三人の関係は、ファンタジーのように見える。

 そう、この舞台は心を癒す友情という名のメルヘン、ファンタジーなのだと思い至った。

 

 

 物語は、予定調和的な心優しくなる展開で進んでいく。39歳になっている、ミジョも、ジュヒも、よくありそうなめぐり合わせがあって、恋に落ち、曲折を見せながらゴールイン。恋人ができて、良かったねとなる

 

 亡くなるチャニョンも、不倫が解消されるという、四方八方めでたし。チャニョンの両親も、一人娘を失くしても、残った二人が孝行してくれるし、哀しい余韻を残して、目出度しです。

 でも、この予想がつく展開、結末が心を和ませる。

 

 甘いふんわりとした綿菓子は人生には必要なのだ。思い通りにならない人生に翻弄される人々はリアルな世界での厳しさの中で、あまやかでちょっぴりしょっぱい物語に涙を流しながら、心を癒される。

 

 まぁ様、かいちゃん、ねねちゃんのいつもとは違う姿に戸惑いながら、ファンタジーに包み込まれる幸せ。チャニョンが亡くなって二人がお墓参りする時に亡くなったチャニョンが、にこやかに微笑んでいる姿には涙腺が崩壊するのを止められない。

 

 七海さんのさばさばしたチャニョンが重苦しいテーマを軽くしているし、しっかり者の優等生ミジョの裏にあるガラスの心。のほほんとしたジュヒの夢咲さん。三人ともいつもと違うキャラがしっかり立っていて見ていて楽しかったです。

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