大変にわかりにくい作品で、映画を見た後、3日間考え続けて、やっと自分なりにたどり着いた考えを綴ります。
ポイントは二つ
地球は、気候変動にせいで、世界規模で終末を迎えている。人々はそれにおびえている。明日は我が身が終わる。いや、そんなことは言っていられない。今すぐかもしれない。夜空では星たちが消えていく。
不穏な空気が漂う世界に、「サンキュー、チャック」の明るげな画像が町中に流される。チャックは笑顔で満足そうだ。分けが分からなくて混乱するのは、住民も、観客も一緒だ。
次のシーンでは、中年のチャックが、大道でたたかれるドラムスに喚起されて、ダンスを踊り始める。会社員風の風貌には似合わない華麗なステップ、見物の女性をパートナーにして踊って、見物のやんやの喝采を浴びる。凄く満足そうで楽しそうだ。観客は、「なにこれ?」状態、キツネに包まれる。
そして、前後関係はあやふやだが、家族に囲まれて死期を迎えるチャックが描かれる。
三章として、子供時代のチャック。父と妹が不慮の事故で亡くなってしまった7歳か8歳のチャック。
彼はダンスに興味を持って、学校の部活で踊り始め、凄い才能で一目置かれる。その頃、祖母が不意になくなる。家の中に開かずの間があり、祖父は見てはならないと厳命する?。将来はダンサーになりたいと祖父に言うが、祖父は数学の面白さを語り、自分と同じ会計士を薦める。
高校生になると、祖父は亡くなり、チャックは親戚の家に移る際、家を壊すのだが、あの秘密の部屋に入る。
そこで彼は見る。自分の死の瞬間を。観客は、家族に囲まれて死期を迎える自分の映像を高校生の時に、チャックが観たことを知る。
ここで、一つの推測が生まれる。
① 高校生のチャックは自分の死に時を知ってしまった。それを知りながら、ダンサーの夢を封印して大人になったチャックは会計士になり、幸せな家庭を築く。大人になったチャックが楽し気に街角のダンスシーンが結びつく。
そこで、「生きる」の志村喬が頭に浮かんだ。
市役所の役人である志村喬は、当時は死の病だった癌の宣告を受ける。絶望して自暴自棄になるが、思い直して、市役所の仕事として、市民公園を作ることに全力を捧げるのだ。
ここで、思考がたどり着くのは。映画のメッセージは、死期を知りながらも、思いっきり生きること。
これは破滅の日を迎えた地球人も同じだ。思いっきり生きること。人の生きる時間は限られているのは誰も同じなのだから。
すると、このメッセージの根拠はどこから引き出されたのか。
②宇宙の調和 あるいは天球の音楽
この作品では、やたら、星空のシーンが出て来る。宇宙的規模の広大な星空が終末期にも、チャックの子供時代にも。何だろうと考えてある理論を思い出した。
ピタゴラスやプラトンは宇宙、星の運航は数学的に調和していて、惑星の運動は美しいハーモニーを奏でている。宇宙はすべて、数学的に秩序だって調和している。ケプラーに受け継がれて神秘思想として、ヨーロッパキリスト者世界に広まった。(バッハは音楽的に楽譜として刻んだ)
そこで、①と②を組み合わせて考える。
最後を迎えている地球も宇宙の星の一つである。滅亡していくのは人類の環境破壊による、自らが招いた結末である。宇宙の調和を乱した故の必然の消滅なのだ。それを甘んじて受け入れるしかない。
その終末まで、若くして死ぬ時期を知ったチャックのように、心して、自分らしく生きていくことだ。映像のチャックの笑顔は、達観しているからなのだ。「生きる」の志村喬の生き方もそうだ。与えられた時間の中で精一杯生きること。
チャックが数字を扱う会計士になったのは宇宙を数の論理で動いていることを象徴しているのだ。無べなるかなである。
この作品は神秘思想がベースにある。だから、オカルティックなのはそのゆえんなのである。
それにしても、分かりにくい。というか、見る人を選ぶよね。皆さん、頭ひねりながら、ぽかんとして、映画館をあとにするだろう。
見る人によって様々な見方があるし、解釈が出来上がる。でも、分かりにくい、なんでチャックの映像が現われたのかなあ。
天球の音楽をいうなら、チャックはダンサーではなく、音楽家にすべきなんだけどなあ。