前回の続き…
壮瞥町に移住をし、無事
壮瞥町の地域おこし協力隊として
活動が開始されたわけですが、町おこしをしようにも、町を知る必要があります。
という事で
壮瞥町はどんな町なのか??
を1日で約20箇所近くを見て感じさせていただきました。
壮瞥町研修です。
壮瞥町の観光情報にものっていますが…
火山や温泉、湖、滝、川、山々などの大自然に恵まれた町です。
特に VOLCANO(火山)は未だに活動を続ける活火山です。
一番注目すべき観光場所としては
国の特別天然記念物にも指定されている昭和新山と洞爺湖有珠山ジオパークです✨
ジオパークとは、ジオ(地球)を学び楽しむ大地の公園です。
「洞爺湖有珠山ジオパーク」には、火山活動で形成された雄大で美しい自然や貴重な地質、さらには、周辺の豊かな自然に育まれた縄文文化の遺跡群など、多くの見どころがあります。
ビジターセンター、フットパス(散策路)、解説看板やガイドツアーなどによる体験学習を通じて、「変動する大地と人間との共生の歴史」を楽しみながら学んでみませんか。
~火山との共生~有珠山は、災害を起こす火山であるとともに、私たちに温泉、農作物、美しい景観など、さまざまな恵みをもたらしてくれます。洞爺湖周辺では、古くからの人と火山の共生の歴史を見る事ができます。
前回、防災意識という点でお話しましたが、
そこにつながる、今回の壮瞥町を知る研修で私が最も感動した話があります。
それはこちらの
この昭和新山や有珠山は初めて聞く方もいるかと思いますが、
私の住む壮瞥町には
過去に何度も噴火をし、いまもなお活動し続けている活火山があります。
家の窓から山を見ると山から水蒸気が出ているんですよ!
この町では温泉はもちろん、噴火でおちた灰や軽石が水はけがよい土をつくりさらに周りの環境が果物を育てるのに条件が良いと、農家さんの力で全ての条件が揃い、ジオ果物が出来上がったり、ジオ熱を利用した野菜を栽培したり、
果物や野菜がとっても美味しい町なんです✨
こちらの写真は昭和新山といって
麦畑から隆起し、まだ生まれて間もない山なんです!
この銅像は三松正夫さんといって
その隆起した様子を当時郵便局長だった三松正夫さんが観察、記録をし、
その記録が世界的に評価され
『ミマツダイヤグラム』と名付けられたという逸話の方です。
この昭和新山が活動していたのは
昭和18年から20年の2年間ほどです。
日本は第二次世界大戦中の頃です。
当時日本軍にとって噴火は不吉なこと、神風日本にとって災害はあってはならないこと。
日本で起こる災害はあってはならないこととして伏せられてしまっていたのです。
災害があっても補償も受けることができないのです。
昭和新山が活動期に入り
火山研究のために昭和新山に行きたかった
大森房吉先生という、地震学者の先生も
災害がふせられたため
現場に行けず、郵便局長だった三松正夫さんに
観察記録を託した。
という話もあるそうです。
その先生に変わり
昭和新山の観測を行い続け
のちにミマツダイヤグラムという記録を書き続けたのが
『三松正夫』さん。
(2度のせてしまいました…』
なんて書いてあるのか?どんな意味があるのか?
それを、聞いて
私はしびれてしまったのです…
そして、そして、今回私の研修を行ってくれた
三松大先生とは…
なんとこの三松正夫さんのひ孫にあたる
ご子孫だったという事実!!!
なんと、幸せなことでしょうか…
しかも三松さん、町の職員さんなんですが、
もともと旅行会社に長年勤務されていたので
ガイドがもう、素晴らしすぎます!
わかりやすいし、面白いし、気配りがすごいし、
知識の量がAIを超えてるし、本当に
仕事を忘れて私は観光客気分になってしまいました。
そんな三松さんがお爺様の逸話を話してくれたのが、本当に感動的でした。
その感動秘話とは…
えぇ…続きは次回ですっ!!
スンマヘン!!👋