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山桜花

今月は青森に2回出張した。
いずれも東北新幹線で八戸駅まで行って、
特急に乗り換えて青森駅に到着する。
八戸-青森間はちょうど1時間だ。
この1時間の車窓からの風景がただただ美しい。
八戸駅→街→宅地→農地→林→山→海→青森駅
と風景が移り変わる。とくに、突如として、「山」や「海」が
出現する瞬間には毎回感動を覚える。

なぜぼくはこの八戸-青森間の車窓の風景にいつも
こんなに動かされるのだろうか。

ぼくは京都市出身だが、ご存知のように京都市は盆地なので
山に囲まれている。ぼくは小学校6年間、山に隣接した小学校に
通った。もちろん、毎日のように山に分け入って、遊んでいた。
また、そのころ春、夏、冬休みになると、そのほとんどを父の
実家の若狭湾近辺か母の実家の越前の山深い場所で過ごした。
海も山も小学生には恐ろしいところだったが、一方で美しく、
何より自然のやさしさをそこには感じえた。

そして、18年前から都心のコンクリートジャングルで
暮らしている。これはこれでもう慣れているし、嫌いでもはないし、
むしろ好きだ。しかし、今月の日曜日の午後に急に本物の
自然があるところに行きたくなり、箱根までロマンスカーに
乗って行った。こんな行動は初めてだ。

最近は、都内のどんな公園にも満足しない。
今年も桜の時期に皇居内外、新宿御苑に行ったが、
あれらの整然と並んだ人工的な感じがする桜に何も
感じなくなった。

「敷島の大和ごころを人問わば朝日に匂う山桜花」
(本居宣長 作)
小学生のとき1人で山を分け入ったら、たった1本の満開の
桜の木が出現したときの感動が忘れられない。

この夏は息子と自然のままの山に分け入って、
自然発生したカブトムシかクワガタを採集するぞ!
今から情報収集を始めることにした。

意志力と想像力

意志あるところに道は開ける」(There is a will , there is a way.)
という言葉に中学生のときに出会って、そう信じてきた。
しかし最近になって、「頑強な意志力よりもたくましい想像力」の方が
道を切り拓くための本質なのではないかと感じている。

一つには、「想像力」(イメージする力)が「意志の力」よりも強力なのは、
「想像力」は感情の力を自ずから喚起するけれども、「意志」は通常、
意識的に知性から引き出すものだからだ。

たとえば、ぼくは将来日本の中で英国スコットランド地域にある
ような起業家社会(イノベーションと起業家精神〈上〉その原理と方法
ドラッカー選書に詳しい)を実現したい。いずれにしても実現のために
自分ができることを実行するが、その実現の意志が強いよりも、
その実現を豊かに想像する方が、道は拓けるのではないか。
もしこのことを日本国民100万人に訴える機会があったとしたら、
ぼくの強力な意志を訴えるのではなく、実現した後の社会像を
想像力豊かに伝えた方が訴えるだろう。

では、なぜ想像力は意志力より強力なのか。

意志の場合は、その意志の反対観念がどうしても付きまとってしまう。
「必ず○○目標を達成する!」←「達成しないといけない、困る」
という反対観念がどこかに存在する。
想像の場合は、「○○目標を達成した後、みんなに胴上げされている姿」
をイメージする←反対観念は存在しない。

想像力をもって、健全な観念を持続すれば、周囲の環境が
自ずと整う姿が今イメージできた。

感性の時

今回はこのテーマで行く。
この題名は、実は萩野浩基という人物の著書の題名だ。
彼は、大学教授を経て、現在は衆議院議員 になっている。

ぼくが大学生のときに、(優)の成績をいただいた
政治学の先生だったのが彼だ。

今日は引用が多くなることをご了承願いたい。
「感性のとき」は18年前の1987年の著書であることも明記しておきたい。
以下に著書から引用する。


以上が18年前の著書であることに驚く。
現在の日本にもそのまま当てはまる言葉だからだ。
自身の18年間を思い浮かべるとなんともいえない
気持ちが込み上げてくる。この問題を18年間前に頭では
理解していながら、これまで自分はただの評論家に過ぎなかったのではなかっただろうかと。

以上

※6/18(土)10:00~13:00に、青森駅から徒歩5分の場所で、
「小5向けビズ・キッズ」
販売当日を迎えます。
視察にご興味がおありの方は担当の西田 までお気軽にメールをください。

「感性のとき」

「エピローグーものの本質に迫る」

「知識(ノレッジ)をいくら集めても知識は知識に過ぎず、
質(クオリティ)への変化はなく、知恵にならない。」
《中略》
「知識を売り物にする知識人が歴史の決定、流れの中で、果たして
本当に決定的役割を演じてきたのであろうか。「ペンは剣より強し」とは、
歴史的に誤りである。」
《中略》
「国際活動においてスパイ活動は今も昔も変わらない。企業スパイも
同様である。しかしながら、いくらスパイにより情報を集めても、
それにはおのずから限界がある。情報をもとに決定がなされる
ことは、たしかに一面科学的である。しかし、そこには科学の限界、
科学にはできないことを忘れてしまい、ただの情報収集に変じて、
かえって誤った決定をしていることもある。」
《中略》
「地方の活性化と言われるが、地方のための地方活性化とは
何かを失っている。地方には地方の特質なり、その風土をベースにした
他にない価値を持っている。しかし、単なる量、能率を価値尺度として、
怪しい情報にふりまわされ、目先的政策を行う自治体を見るのは残念でならない。
特色のある自治、、自治こそが生きる道である。まさにサバイバルである。」
《中略》
「量はいくら加えても、質は量的価値しか生まない。決して質的変化は
起こらない。」
《中略》
「大きいことはよいことだとする反省として今、考えてみるべきである。」
《中略》
「怪しい情報、知識は氾濫すると、人間は危険を察知し後込みをはじめる。
つまり、ノーエラー・ノートライである。挑戦しなければ、失敗しない。」
《中略》
「いかに正確な情報としての知識といえども、知識は知識であり、
量の大小である。そこの付随する価値は、せめて、能率的価値である。」
《中略》
「この量と能率に、あまりに日本人は固執しすぎたのではなかろうか。
この歪みが社会病理を生んでいる。そして現代日本社会が垂れ流すインビザブル・
ポルーション(見えない公害)は、その社会の最も弱きものに回されるのである。
子供のいじめを私は、「大人社会の縮図」と定義した。われわれはここで
何らかの転換をはからなければならない瀬戸際に立たされている。量的価値、
能率的価値の限界を知るとき、初めて新たな発想が浮かぶだろう。」
《中略》
「今こそ日本人はこれまでの量的価値、能率的価値から思い切って
発想を転換すべきと思う。」

天才女流作家・樋口一葉に想う

今日、このオフィスの近くを歩いていたら、樋口一葉の記念碑を見つけた。
彼女はこの文京区本郷に居を構えていたことがあるらしい。
そこで、今日は五千円札の肖像画で有名な樋口一葉に
ついて記してみたい。

「絶大な才能に恵まれながら、24歳で夭折した天才小説家」
という人物像が一般的だ。ぼくが、このような人物像より、彼女に感動するのは、
彼女が「明治という極めて強固な男社会のなかで、女性の社会進出の先陣を切るのだ」
という明確な意志を持って、人生を全うした女性だったことにだ。

彼女は小説家になることを志した時に、

「私は、この世の中の女性達の病苦と失望とを慰めるために生まれてきた『詩(小説)の神の子』である…」 

と自分に向けて書いたらしい。まさに、天才である!

もう一つ。ぼくが彼女に最も感動するのは、彼女がまだ無名だった
21歳(112年前の1893年)のときに書いた日記の内容である。

「英国の植民地になっていたインドやエジプトのことを思うと、体は震え、心がわななくようだ。物好きな女とうわさされ、後の世の人からあざけりを受けても、このような時代に生まれ合わせた者として、国のため、何もしないで終わっていいのだろうか」。(時代背景として、日本が英国に不等な治外法権を行使されていた状況があった。以上、現代文にして表記した。)

以前DIARYで記したが、ぼくは1984-85の1年間英国の旧植民地の
スリランカ(旧セイロン)に留学していた
。内戦中で毎日が
現在のイラクのような状況だった。その内戦の原因の
ひとつは一葉が日記を書いた当時、英国が紅茶プランテーションの
労働者として多数の労働者をインドから奴隷として連れてきたことにある。
にもかかわらず、1984年ごろは貧しい人の家々には、現在の英国の
エリザベス女王の写真が飾ってあったものだ。その飾ってあった
写真をぼくは目にして、「本当に体は震え、心がわななくようだった」ことを思い出す。

さて、彼女の日記の後半の部分、
「.........このような時代に生まれ合わせた者として、
国のため、何もしないで終わっていいのだろうか」。

外国による理不尽な拉致被害者の問題や領海、領空侵犯の
問題に対して、国政担当者が本気で立ち向かわずに済ましている世界の希少国家、日本国。
今この国の五千円札に自分の肖像画が勝手に印刷されていることを
樋口一葉はどんな心持ちで見つめているのだろうか。

以上

日本の覇権についての中国の誤解

当社は「VEX-TODAY」という情報誌を発刊している。
その誌面上で、最近は筆者が国際・外交問題に関しての
執筆をしていないので、「最近はなぜ執筆しないのか」との声が
寄せられたので、今日は話題の日中問題に関して記してみたい。

昨今は、日中間の摩擦が連日報道されている。

日本はドイツと異なり、第2次大戦後、再び自前の覇権国になろうとする
意志を捨て去り、今後は永久にアメリカの傘下で生きていこうと考えている
ような外交姿勢を示している。ドイツは、第2次大戦後、再び覇権を獲得しよう
と動いた結果、過去を反省するそぶりを見せ続けることが国際社会から
求められている条件だと分かった。
そして、そのように行動したが、
日本はもう覇権を求めていないので、その手の国際社会の暗黙のルール
に対しても鈍感で、改めて過去を反省するそぶりにも積極的でない。

そのため日本人の多くは、外務官僚から学生に至るまで

「戦後60年もたって、もうアジアの人々も、日本が再び侵略戦争をやりそうもない
と十分感じているはずなのに、中国や韓国は、靖国神社に行くなとか歴史を歪曲しているとか、
いまだに文句をつけてくる。中国や韓国には何らかの悪意があるのではないか」
と感じている。

中国や韓国は、「日本は再び覇権をとりたいだろうから、ドイツのように、
日本政府が過去の反省を堅持することを外交上の条件にしよう」としている。
「アジア共同体」の中国語訳を「東亜共栄圏」にしている新聞社もあるくらいだ。
ところが、日本の側は、「もう半永久的にアメリカの傘下で生きていくのだから
覇権など要らない。大東亜共栄圏にももちろん関心はない。過去の反省も、
もう60年やったのだから、このぐらいでいいはずだ」と考えている。

日本政府にとっては、アメリカとの関係が最重要であり、
アメリカの世界支配が永久に続くことが望ましい。
アメリカの支配力が弱まると、その傘下にある日本の力も相対的に弱くなってしまうからだ。
中国や韓国からの「アメリカに頼らないアジア共同体を
作りましょう」という誘いに乗ることなど、とんでもない話だと考えているのだろう。
小泉首相が靖国神社に参拝するのは、中国や韓国の誘いを断るための
方策でもあるのだろう。

日本政府が国連安保理の常任理事国になりたがっているのも、アジア共同体の
覇権国になるためではなく、基本的にはアメリカの覇権力を支援するためであり、
ドイツのように独自の覇権国になるのが目的ではない。

再び覇権をとりたいと日本自身が考えていないのに、本心ではそう思っている
はずだという前提で、中国と韓国が言動している結果が現在の摩擦の主要な
原因だと思う。

以上

小学校~社会人までを一貫しての日本初のキャリア教育プログラムはどこの自治体で完成されるか

先週は福岡、佐賀に出張していた。
掲題に関して、佐賀県佐賀市と埼玉県狭山市が
日本初となる可能性が高くなってきた。
完成までは、長くて今年度から3年間を必要とするかもしれないが、
ぼくにとっては何よりうれしいことだ。
皆様には、また進捗を報告するが、ぼくにとってはこの10年の自身のミッションの
具現として、何よりうれしいことだ。

今日の午前中は慶応大学で講演させていただいた。
学生諸君の弁別性や論理性の高さには驚いたが、
荒っぽいアントレプレナーシップを感じる機会はなかった。
慶応大学出身の創業アントレプレナーがこの10年間少ないので、
少しでもその輩出のお手伝いができれば幸いである。

今夕は、自社のVEX社員 とパートナー会社のCCDCW の社員で、新オフィス近辺で
歓迎会を開催した。よくしゃべる、ウィルス1,2,3号と呼ばれている3名が参加したが、
3名ともよくしゃべるレッテルをすでに貼られていたため、
そのほかのメンバーにしゃべる量をうまくコントロールされてしまった。
この3名の事後のストレスは想像を超えるものだったに違いない。
ちなみに、上記のウィルス2号とは筆者の板庇のことである(笑)。

前々号DIARY にも記したが、大金、大事業、大思想、高尚な教育理念を遺して、
今生きている人間が逝くことは、大きなミッションの一つである。
それらの実現を、ぼくは目指す。

また、来る5/27(金)18:00~開催する3社合同の「感謝パーティー」で皆様には
楽しんでいただくことをここに約する。

以上

※6/18(土)に青森駅前徒歩5分の場所で、「小5向けビズ・キッズ」の
販売当日を迎えます。視察にご興味がおありの方は担当の
西田 まで。
詳細をお知らせいたします。

商売とはどういうものか

今回でDIARY(このBlog)は36回目になった。
52回を迎えれば1年間続けたことになるし、
そのときには、ぼくの会社設立10周年を迎えることにもなる。
一層がんばります!

さて、今から20年以上前、ぼくが中学生だったころ、以前も記したように
ぼくは父親から家庭内起業家教育を受けていた。
そのころは、各界のエキスパートと父親がアポイントを取って、起業家教育の一環で
ぼくと面会させていた。
日本医師会会長選挙に敗れて隠居したばかりの人物、
元プロ野球選手多数、有名芸能人、エリート外国人、国会議員、
ノーベル賞の候補に挙がったことがある学者、
そして「起業家」等々。

その「起業家」T氏は9歳で京都(ぼくの故郷)に丁稚に出てきて、
当時はおそらく60歳くらいで、有名な大金持ちになっていた。
「立身出世」の人物のT氏だった。
ぼくは、中学の同級生のK氏と彼の豪邸でのインタビューに臨んだのだった。

「どうしてここまで金持ちになったのですか?」
と中学生の板庇が率直に質問した。
「それはな、紙を一枚一枚重ねるように仕事をしてきたからや」
とT氏は答えた。
「どういうことですか?」と中学生は尋ねた。
「それはな、一枚、一枚や、こうやって、こうやって」
とT氏がジェスチャーを加えて話すだけだった。

その意味が今理解できた気になって、今こうやって書いている。

商売人は大きな計画を描くべきだ。
多くの人が喜んでくれる計画。
アッといわせるような計画。
その計画の成就をまず心に描くこと。
そして、その計画を必ず実現すると確信すること。
その後は一枚一枚の紙を重ねるがごとく、どんなに小事と思えることでも躊躇なくすぐに実行していく。
階段を昇るには、一段一段昇っていくしかないのであって、
その階段が低い階段であっても、その一段一段を昇ることを実行することを怠ると、
ついに目的とする最高所に達することができなくなるからである。

このことを、やっとT氏との面会後、20年以上たって、
37歳で悟った。遅いね。

以上

後世に残すことができるもの

5/2(月)から新オフィス(本郷三丁目駅徒歩2分)で仕事を始めた。
先週は関西と九州へ出張してきた。多くの方々とお話すること
ができて幸いであった。

その話の中で最も印象的だったのが、
「我々が後世に残すことができるもの」とは何かという話だった。

全人類は、種の保存を始めとして、次世代に
何かを遺すように遺伝子から命令されている
はずだ。そういう本能があるはずだ。

この前提で、後世が繁栄するために
我々が意識的に遺すことができるものは、
金、事業、思想、教育(能力開発)の4つと思った。
これらすべては次世代への遺物として、たいへん
価値があると思うのだ。

とはいっても、大金、大事業、大思想、高尚な教育理念を
大半の人々は世に遺すことができないで、逝ってしまう。

そこで、遺伝子は誰にでも遺すことができる何かを
用意しているはずだと考えた。
それは何なのか。

我々は、偉人とされる人物が遺した大金、大事業、大思想、
高尚な教育理念に感動するが、それらの遺物よりもっともっと感動し、
大いなる影響を受けるのは、「その人物の一生涯」にではないだろうか。

「理想を追求し、そのための何かを生涯において
一所懸命に実行した生き様」を後世に遺すことが
最高の遺物だと思う。

以上

起業家秘伝

先週、今週と多くの起業家の方々にお会いして
お話をした。
そして今、「起業家秘伝」を想起するに至った。
「起業家秘伝」とは、ぼくが創業した95年の1年後に
翻訳出版した書籍のタイトルだ。
当時、ふと、「アントレプレナー」というワードでインターネット
検索してみたところ、この「起業家秘伝」は全米で40万部以上の
ベストセラーだった。そこで、翻訳権を取得して、翻訳して、日本での
出版にこぎつけた

米国のオリジナルの著者は、ウィルソン・L・ハーレル氏で、
アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー(米国で最も優れた起業家が
表彰される)の生涯業績部門賞を1992年に受賞、
「成長企業協議会」(日本のニュービジネス協議会の元)の
創立者、インク誌の元発行人だ。

この「起業家秘伝」の印象的な箇所を、少し長くなるが、以下に引用したい。

「起業家だけが知る恐怖」「起業家につきまとう恐怖(テラー)とは己に課されるものなのです。その恐怖は、起業家でなかったならごく普通の人であったあなたが意思決定をするときに襲ってきます。その瞬間、恐れ(フィア)の感覚を越えて、あなたにところかまわず吸い付くモンスターで満ちあふれている内奥の世界へと連れて行かれるのです。この世界では安眠はありえず、悪夢にさいなまれ続けます。この恐怖には独特の味、独得の臭い、はらわたが捻れるような独得の痛みがあります。そして、起業家である限り、この恐怖は消え去らないのです。」
「何がこの恐怖を引き起こすのか、そもそも何がこのモンスターに生命を吹き込むのか、私はたびたび考えてみました。金銭欲ではありません。成功した起業家なら誰でも言うように、お金は成功から生まれる副産物に過ぎず、損失とはリスクのひとつに過ぎません。失敗への恐れから来るのでしょうか。しかし、この説明も起業家の恐怖を感じたことのある者にとっては、とても妥当とは思えないでしょう。」

「恐怖について考えれば考えるほど、恐怖とはそもそも会社設立
へと私たちを導いたものと同じものー何か根源的、半ば無意識な
欲求、つまり、この世界に自分の印を記したい、自分の足跡を時の
砂の上に残したい、という欲求から来ているとわかってきます。
思うに、私たちが本当に恐れるのは、私たちが単なる大衆の
一員となり、人々から忘れ去られることなのではないでしょうか。」


上記が、今日本で成功している起業家の本音でもあることに、
ますます確信を持ったこの2週間であった。

やはり、ぼくが最も尊敬する職業人は起業家だと再認識した。

ビジョナリーであるということ

今日はベンチャー協議会 というベンチャー企業が集まる団体の
定例会に参加してきた。
会員のベンチャー経営者の方々との対話ができて、
今回も大変有意義であった。

その対話した経営者の方々が、
ご自分が「ビジョナリーであるべきだということ」に
大変興味をもたれていたことが、最も印象的だった。

転じて、3/31付けの日経新聞で連載している「私の履歴書」の最終稿を想起した。
その執筆者は世界的アレルギー研究者の石坂氏だった。
その文章の最後の部分を以下に引用させていただく。

(完)

石坂さんが、偉大な日本人のビジョナリーの一人であることに議論の余地はない。

「価値ある愚直さ」。

こう生きたいと真剣に思う。


追伸:
4/23(土)13:20~14:30でJR田町駅近くで講演します。
ご興味を持っていただける方は、こちら までご連絡ください。
詳細をお知らせいたします。

「我々が研究者として成功した最も大きな理由は、
我々が愚直だったことにある。私は英語で嘘をつくことができないので、
嘘をつくことを忘れてしまった。ー中略ー 幸いにして正直であることは
科学者にとって最も大切な資質であったし、愚直は多民族社会
である米国で自分の信念を通すために最も重要なことであった。
おそらく、我々くらい米国でいろいろの人と心を通わすことができた
日本人はめずらしいだろう。
我々の人生はおもしろい人生であった。」