「10周年とこれから5年後」
私どもの会社VEX(旧名CES)は
明後日の9月7日で設立後10年を迎える。
これまでの10年間に多くの方々(数千名に上る方々)
にさまざまなかたちで支えていただいて
10周年の9月7日を迎えることができる。
心底から感謝を申し上げたい。
さて、この期間に私ども(当社)は世の中にどのような貢献できたの
であろうかと、ふと思った。
この10年間に、ある創業者は多くの税金を納めたと言い、
またある創業者は数百人、数千人の雇用を生み出したと言った。
これらを社会貢献と言わずに何と言おうか。
本当にすばらしい社会貢献の実績だと思う
私どもができたことと言えば、税金も雇用もわずかで社会貢献の実績としては
不十分で、さて何であったであろうかと考えてしまう。
あえて申し上げれば、この日本に初めて5歳からの起業教育プログラムを
英国から導入し普及させてきたことだろう。7年ほど前は、「子どもにお金を
触らせるなんて」等々の多くの批判を受けながらも、信じて前に進めた。
さて今は、当時「子どもにお金を触らせるなんて」と批判した大手メディア、
教育委員会、学校、PTAから批判されることは皆無になった。
むしろ近頃は、「フリーター、ニート対策」に役立つと多くの問い合わせや
評価を得るようになった。英国におよそ20年遅れての本評価だが、
そのくらいのタイムラグがあることを今再認識した。
<「いい学校」、「いい会社」に入るための勉強はもう終わり。将来、
「いい仕事」ができるための勉強を今しよう!>というキャッチフレーズに対して、
6年前は「きれいごと言うなよ」と指摘する大人がいたと思えば、先日は、
「もうそんなの当たり前のことだからキャッチフレーズにならないよ」という
助言を得た。
この10年間でこれだけ世の中の常識といわれるものが変化してくると、
例えば、今から5年後の2010年ごろにはこう変化しているだろうと
いう予測がしたくもなる。
現代日本の大人の三大心配事は、お金に関すること、自分に近い人間
(関係=コミュニケーション)のこと、健康(体調)のことだと言われる。
今から5年後の2010年には、この5年間より大きな変化を経て、多くの大人が
「人生(生活)の質」に最大の関心を寄せるようになり、つまり現実(目前に現れて
いて
視界に入るもの)から真実(目前に現れていなくても真実と思われること)を重視
するようになっているかもしれない。そうなると、人々は精神的なものに一層価値を
置くようになって、5年前の三大心配事は、時代遅れとして軽視されている可能性が
十分あると思うのは私だけだろうか。
以上
郵政民営化は是か非か・・・善悪二元論の利用を憂う
9・11の衆議院総選挙まで、残り2週間となった。
小泉首相の考えで、郵政民営化に賛成か反対か
が唯一の争点のように打ち出され、メディアの大半は
そう報道している。
二つのものを意図的に対立させて、どちらを選択するか
を迫る手法は、支配者が民衆を操作する手法の代表格で、
昔から世界中で為政者が頻繁に利用してきた手法だ。
この手法を私は二元論の民衆操作的利用と呼びたい。
例えると、
すべての方角を左右や上下で表現してしまうのが二元論だ。
でも実際には、東西南北や右斜め下など、方角にはバリエーションがある。
「自由と平等」の獲得を標榜してフランス革命はなされた。
その後、フランス革命の象徴である自由の女神の像は今も米国にある。
しかし、自由と平等は元々相反する概念だと、ぼくは思う。
自由を優先すると、平等性は低くなる。
平等を優先すると、自由意思を阻害する。
主観と客観、唯物と唯心、戦争と平和、正論と偏見、
なども二元論でよく為政者に利用されてきた。
どちかか一方が善で、もう一方が悪と言い切れないのが、
不完全な人間が形成する社会の現実だ。
二者択一の提示という古典的二元論の手法が、
今この国の総選挙で利用されていることに情けなさを感じる。
国民が、物質面だけではなく、個人としての各々の
「人生(生活)の質」を最重要視して毎日を送る
成熟した国に早くなって欲しいと思う。。
VEXの商品を貫いている考え方
まずは、今回DIARYが50回(週)目を迎えることが
できましたたことは読者の皆様の激励のおかげです。
あらためて御礼を申し上げます。
その記念すべき50回目にも関わらず、50回目にして初めて
1週間遅れて配信してしまいました。私の不徳のいたすところです。
お詫び申し上げます。
さて、今回は私どもの商品、サービスを貫いている考え方に
ついて記します。
【「いい学校」「いい会社」に入るための勉強はもう終わり。
将来、「いい仕事」ができるための勉強を今しよう。】
という考え方を10年間貫いてきました。
すべてのVEXの教育プログラムは、
実社会において「いい仕事」が
できるようになることをゴールとしています。
・1歳~3歳向けの品川プリンス教室においてさえ同様で、
生徒自身が家事の役に立つようになることを一つの目標に掲げています。
自分の身の回りのことはできるだけ自分でできるようになること。
そうなると、保護者と子どもとが家事(仕事)の役割分担をスタート
させたともいえるのです。
・小・中・高校生向けビズ・キッズ(キャリア体験学習)では、
子ども自身がお店を開店して経営することにより、将来「いい仕事」を
するために重要になる、社長、販売(接客)、仕入れ、広告、会計などの
役割分担を体験します。
・企業人向けのVMS(経営シミュレーションプログラム)
(http://www.v-express.co.jp/company/press_release.html)も、
たとえ将来転職したり、起業したりしても「いい仕事」ができるよう、
プログラムに「経営感覚」を体感できるファクターを組み込んであります。
最近は、表面化してきている「フリーターやニート」向けの解決プログラムはない
か、
とのお問い合わせが急増しています。上記のビズ・キッズ(キャリア体験学習)
がその問題解決につながると確信しています。
ビズ・キッズは、ずばり「働く喜び」が体感できるプログラムだからなのです。
戦後60周年と日本にとっての外国とは?
これまで、日本にとって最も近い「外国」とは
どこだったのか。
日本は極東の島国である。
北側には寒冷地、東側と南側は果てしない海なので、
外国といえば、聖徳太子のころ以来一千年以上、
西側にある中国であった。日本がこれまで最も
影響を受けてきた「外国」は中国であるといえる。
江戸末期に欧米から来た外国人を「唐人」(中国人の意味)と
呼んだことからもわかる。
日本はちょうど60年前に連合国への敗戦を宣言した。
その時から、日本にとっての「外国」は、
遥かかなたの米国に変わった。
米国が単独で日本を占領下においた。
その後、サンフランシスコ会議で、日本は
沖縄を除いて、米国占領からは解かれたものの、
現在50以上の米国(外国)の軍事基地
が国内に存在するに至っている。
この事実が日本の「戦後」が終わっていないことを
最も示していると、ぼくは思う。
第二次大戦の敵同士だったドイツとロシアなどは、
すでに戦略的対話を完結させ、「戦後」を事実上終結させた。
日本にとって本当の意味で「戦後」が終わるときは、
自国内に外国の軍事基地が存在しない普通の独立国に
なったときだと思う。
その時は、日本にとっての「外国」が
中国に回帰したときかもしれない。
以上
8・15の戦後60周年と9・11衆院解散総選挙
来週の8月15日で日本は敗戦後60周年を迎える。
自民党は今年で結党50周年を迎えた。
その今年9・11の総選挙の結果次第では、自民党は
分離してしまうかもしれない。
こういう節目の時期に今私たちは生きている。
さて、私がこの時期に最も気にかかるのが、
日本の外交・国際関係のことだ。
小泉首相の外交方針は対米従属だったが、
今後は米国が日本の対米従属をメリットと感じなくなり、
日本は今後外交方針を変更せざるを得なくなるだろう。
日本の国連常任理事国入り、六カ国協議、
東シナ海油田問題、竹島問題、拉致問題、
北方領土問題などの外交上の課題があるが、
これらすべてに関して、日本に決定権や主導権がない
状態が依然として続行している。
敗戦後の日本の知識人の世界には多くの
社会主義者が存在し、中国のプロパガンダを信じた人が
多かった。本当に残念なことだった。
日本が中国や韓国との戦時中の問題を解決したいと考えるなら、
両国と国際戦略上の対話を行ない、相互にメリットがある
一定の取引を成立させて、両国政府にプロパガンダを
うまく収束させてもらう必要が外交上あった。
第二次大戦の敵同士だったドイツとロシアなどは、
すでに戦略的対話を完結させいわゆる「戦後」を終結させている。
さて、次回は8・15の戦後60周年のDIARYになる。
その時点で、自分が思うところを述べてみようと思う。
「起業家精神」
この言葉に最初に出会ったのは1992年だったと記憶している。
ある雑誌の寄稿文にあった言葉だった。
ぼくの「起業家精神」の解釈は、
どのような環境下においても、自己の潜在能力を自ら引き出し、
その能力を最大限に世の中に対して発露し、
道を切り開いていく精神、のことだ。
1992年にこの言葉に出会って以来13年間、道に迷うたびに、
この「起業家精神」という言葉を思い出した。そして、潜在する「起業家精神」を
発露するのだ!と自分自身を鼓舞してきた。
さて、つい先週、書店で、ヤマト運輸の小倉昌男さんの「小倉昌男 経営学」という
著書が目に入った。すぐに購入して、すぐに拝読した
(以前、小倉さんの日経「私の履歴書」は拝読していて、
尊敬の念を持ち続けていた)。
「小倉昌男 経営学」から、
心に響いた下記の三つの言葉を
抜粋させていただいた。
1)「経営は攻めの姿勢が大事である。守りの経営では、じり貧になるのは間違いな
い。」
2)「攻めの経営の真髄は、需要をつくり出すところにある。需要はあるものではな
く、
つくるものである。」
3)「現在(1999年ごろか)、経営者にもっとも求められているのは、“起業家
精神”である。企業は年を経るに
したがって大きくなり、同時に古くなっていく。経営者は、企業が新しいとか古いと
かに関係なく、
常に起業家精神を持っていなければならない」
小倉昌男さんは、戦後最大の偉大な経営者だった。「敬天愛人」の考え方
(http://www.akeru-style.jp/archives/2005/04/index.html)
をお持ちのビジョナリーな経営者だった。
残念ながら、今年の6月に逝去なさった。一度、面会したかった。
ご冥福をお祈り申し上げる。
小倉昌男さんの言葉のおかげで、今自分の「起業家精神」が鼓舞された。
あとは、実行あるのみだ!
「産業界と教育界のリンク」
標題がぼくの20年来のテーマだ。
昨年11月にこのBLOG http://www.akeru-style.jp/archives/2004/11/index.html
にも記した。
以下、再度記載する。
《シンガポール教育省のミッション ステイトメント》
将来国家の命運を決める国民を形成することを通して、将来の国家を形成することが
教育省の使命である。教育省は子どもたちにバランスの取れた総合的な教育を施す。
子どもたちの潜在能力を最大限引き出し、よき市民になるよう教育し、自分の属する
家庭、地域社会、国家への責任感を育む。
《シンガポール人材育成(マンパワー)省のミッション ステイトメント》
国際的に競争力ある労働力を実現し、高次元の好ましい職場環境を助長し、
雇用者と被雇用者のパートナーシップを実現し、シンガポール国民の幸福のため
持続的経済発展を達成する。
上記はぼくが翻訳した。このシンガポールを日本に変えたステイメントを
日本国が表明して欲しい。
《日本国 教育基本法》
(教育の目的)第1条
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成
者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的
精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の方針)第2条
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。
この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、
自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように
努めなければならない。
高潔ですばらしい文章とは思うが、上記に、「子どもたちの潜在能力を最大限引き出
し、
よき市民になるよう教育し、自分の属する家庭、地域社会、国家への責任感を育
む」、
「日本国民の幸福のため持続的経済発展を達成する」、
「子どもの将来に資する職業(キャリア)教育の実践」、
などのシンガポールにはある、日本にとってきわめて重要な文言が欠けている。
これは関係者の不作為の極みだ。
何のために教育(子どものころからの個々の能力開発:板庇の解釈)
があるのか。とくに、教育(能力開発)関係の仕事に従事し、その労働の対価
として給料が振り込まれる人々には肝に銘じていただきたい。
何のために自分たちが仕事に従事しているかを。
将来の日本はあなたたちにかかっているという覚悟を持って欲しい。
それが能力開発(教育)者の本分であり、本人にとってのキャリア上の
喜びではないのか。日本の大半の大人(社会人)のは、以前BLOGにも記したが、
1)対人関係、2)お金、3)健康状態のことを毎日のように考えている。
この三つを超える職業観を持っている人は、実は多くいる。
持つきっかけがない人は不運に思う。
ぼくは、明日7/25(月)に仙台で教職員向けに講演する。
上記のことを話してくるつもりだ。
「経験は最大の教師なり」
このことばはヘーゲルの言葉で、
ぼくが小さいころから父親に毎日のように
言われていた言葉だ。
ちなみに、デューイは、「為すことによって学ぶ」
という表現を使った。
なぜ経験が最大の教師なのか。
ぼくの解釈は、人は自分の経験から決して
逃げることができないからだ、となる。
親の教え、先生の指導、教科書、会社の上司などから
逃げる方法はいくらでもある。
しかし、自分が一度経験してしまったことからは逃避できない。
したがって、多くのさまざまな経験を積むということは、
最大の教師が自分の中に常駐しているようなもので、
心強い。
しかし、経験は確かに最大の教師ではあるが、
あくまでも「最大」なだけであって、最良、
最高とは限らない。
そうすると、経験だけでは不十分で、経験以外の何かからも
意識的に学習しないと、経験を最大かつ最良の教師に
ならしめることは難しい。
経営者の多くは経験則で経営をするが、経験則だけでは
不十分で自分の中に経験以外の教師を保持するために、
自ら教えたり、教えられたりする環境を保持しな いと、最良、
最高の域に達することはないだろう。
結局、経営者とは教育(能力開発)者でなければ
ならないのかもしれない。
以上
「理想とは何か」
物事が成就するまでの思考プロセスを考えると、
アイディア(着想)→コンセプト(概念)→イマジネーション(想像)
→アイディアル、モデル(理想)→アチーブメント(成就、実現)
の順番に進んでいくのではないかと思う。
ここで、実例をまじえて考えてみたい。
ぼくは今、実際にある出版事業のアイディアを持っている。
そのコンセプトもすでにあるし、発売したときの姿もおおよそ
想像できている。しかし、理想の段階にはまだ達していない。
つまりは、そのための企画書や事業計画書が仕上がっていない。
まずは、この事業自体を高い価値レベルで捉える必要がある。
この事業が実現したときには、世の中にどれだけの好影響を
与えるのかを高い価値レベルで想像してはいたが、それだけでは
不十分で理想にはなりえていない。理想を単に心の中に描くだけでは、
空想に終わる可能性も感じてきた。
それでは困る。では、どうすればよいか。
その理想を心に描くのではなく、その理想像(ビジョン)、つまり完全に
成就(実現)した姿を自分の心に描く必要があると思う。
言い換えると、「こうなったら、ああなったらいいなあ」と想像する
のではなく、完全に実現した後の姿を想像することが必要だと思う。
事業の完成後、自分が完成した達成感や存在感を強く感じている姿を
心に強く描く必要が今あると思う。描くことができたときに初めて、
理想が固まり、事業計画書がすらすらと作成できるはずなのだ。
英文法でいう「未来完了形」(will have)の信念が理想に
つながっていくのだと思う。
以上
想像力とは何か
2週間前に「意志力と想像力」というテーマで記したが
、
それから「想像力とは一体何者か」が、
なぜか気にかかってしまっていて、今日のテーマにすることにした。
「想像」とは、心理学的な定義からすると、
「過去および現在の人生経験と、全観察とを土台として、
それを組織的に、合理化して考えるという考え方である」、となるらしい。
ここで、「想像」の作用は、人間が生きていれば誰にでも
存在する心理現象のことだ。つまり、我々はいつも何事かを
自分の心で思い考える。そして、その思いや考えの中に、
現在の事実を中心として、それを、いろいろと心の中で脚色し、
あるいは敷衍する。それが発展して、現在の自己の人生において
全く存在していない事実をも、いろいろと、広く大きく思い考える。
このことを「想像」というのだと思う。
ゲーテはこう言っている。
「想像の分量が豊富なときに書いたものは、
期せずして、人の心を動かす力がある。そしてそういうものを、
世間の人は、名編とか傑作とかいう。だから文豪とは、想像力を
他人よりも豊富に持つ人である」と。
さて、ここで思ったのが、想像の産物でありそうな「理想」とは
何者なのかということだ。心理学の定義では、「継続する組織のある連想」
となるらしい。
言い換えれば、立派に考えられた、志や社会的価値が高く、
よく組み立てられ、長期間保持されている、「理にかなった人間の
想いのこと」だと、ぼくは考えている。
ということは、想像とは理想を描くためのスケッチであると
いうことが、今はっきりわかった。次回は「理想とは何か」に
ついて記そうと思う。