AKERU-STYLE -32ページ目

お世話になっている方々および、スタッフのみなさんへ

今月、ビジョナリー・エクスプレス株式会社に社名変更した。

もともと、新商品の能力開発メディアhttp://www.v-express.jp/ の命名を連日考え悩んでいた2月のある日、早朝4時ごろに突然浮かび、
飛び起きてメモしたタイトルが「ビジョナリー・エクスプレス」というタイトルであった。

その後、3月に自社の業務拡大にあたって、社名変更をしてはどうか、
という意見が各方面から出た。その際に、「ビジョナリー・エクスプレス」自体を
社名にしてはどうかとのご意見が大半であった。ぼくは、株式会社シー・イー・エス
(Center for Entrepreneurial Students、起業を目指す学生たちが集まる場所)
という創業以来約10年間の社名を改名する決断をした。

もちろん、株式会社シー・イー・エスにはあらゆる思い入れがあって、溢れてしまうくらいだ。
しかし結果的に、この10年間で、日本はぼくが模範とする英国、とくにスコットランド地方の
10年前のように起業家を人々が尊敬する「起業家社会」を実現しえていない。
たいへん残念ながら、一定の自分の非力に対してのけじめをつける必要があると
痛感した次第である。繰り返すが「非力」を痛感する。

そこで、「ビジョナリー・エクスプレス」に改名した。この意味は、
「ビジョンをいち早くお届けする」という意味だ。

何名もの方々から、「ビジョナリー・カンパニー」というベストセラー書籍から
命名したのではないかと指摘されたが、実は命名した時点で
ぼくは「ビジョナリー・カンパニー」という書籍の書名は聞いたことは、
かすかにあったが、読んだことはなかった。

2月の命名後、3月に書店で「ビジョナリー・カンパニーⅡ」という書籍をたまたま
目にして、購入して、初めて一読した。その内容に驚いた。
その理念の大半は、ぼくの企業理念に一致していた。
ぼくは、「ビジョナリー・カンパニーⅡ」にある長期間継続する企業の理念そのままに、
これから自社を進めて行きたいと思ったし、顧客企業にもその理念を伝えたいと思った。

転じて、一般人は、「一般人は政治(家)にはあるべき姿(ビジョン)を求めるのに
.....企業(家)に求めないのはおかしい」と思った。自分の会社、上司、投資先にも
理念を求めてみてはどうかと本当に思う。その可否はそれこそ「投票」によるのである。

「そうは言っても現実主義的には......」ということばを多用する人が多い。
では、その現実主義的にはと人が言うときに、一定の「理想」がすでに組み込まれているのが
人間の現実だ。なぜならば、大半の人は「現実と理想」の一定率の組み合わせが
自分が取り組んでいる仕事にないと、生きることに満足感を得られない存在だからなのだ。

Blogに思う

このDIARY(http://www.akeru-style.jp)は、
自分がの普段の思いを定期的に文章化して伝えることが
自己鍛錬になると友人から薦められて始めた。

1週間に1回に何らかのメッセージを必ず配信することに、
つらさを感じたこともあったが、自己鍛錬と信じて続けてきた。
読者の方々のさまざまな反響に支えられ、今回の32回目までたどり着いた。
御礼を申し上げる。

20回目を超えたころから、DIARYを送信させていただいている方々からのご感想メールや
検索してこのサイトに行き着いた方々からの直接のメールが急増した
(ブログサイトへの書きこみではない)。
現在は月間約2,000ページビューに上っているらしい。
何か不思議な感じがする。

その他、予期しなっかた結果としては、当社社員を始めとするステークホルダーの方々との
理念共有のようなものが自然なかたちでなされ、
結果的にコミュニケーションが図れる結果となったことだ。

最近は、経営者の方々からブログサイトをOPENしたいというご相談の
メールも自然と増加してきた。
「経営者(自分)の日常の思考や活動を社員に伝えるツールとして気軽に利用できるね」
と言われる。

また、他社社員の方々から、「社長の顔が定期的に見えるようで、
身近な感じがする、安心する。自社の社長にもやってほしい」
との感想がよくある。

先日は、「採用面接」は行っていますか?
というメールが知らない方から届いて驚いた。

この「Blog文化」とでも呼ぶべき、コミュニケーションのスタイルは
さまざまなかたちに進化を遂げながら、定着していくような予感がする。

西郷隆盛

先週は、鹿児島県、福岡県に視察も兼ねて2日間出張してきた。
その2日間に恐らく40名くらいの方々とことばを交わした。
そのすべての方々からぼくが感じことは、ご自身の職務に
誇りをお持ちだということだった。職務を成すに当たっての
ご自身としての意味付けがあることが背景にあるからだろう。

鹿児島・城山では、初めて西郷隆盛の「敬天愛人」の石碑を
初めて目にすることができた。「敬天愛人」は昔からぼくの一番の座右の銘であり、感じ入ってしまった。

「敬天愛人」は「天を敬い、人を愛する」と読む。
このことばは、「天命自覚」の思想につながる。天命とは
使命(ミッション)と言い換えてもよい。
「天命自覚」の思想とは、自分には天(自然を支配する存在、法則)
から与えられた何らかの使命が必ずあるはずだとして生きることだ。
その使命が何なのかを自覚できる、できないに関わらず、必ずあるとする思想だ。

さて、「敬天愛人」の意味を解釈してみる。

天は万人を平等に愛する存在である。
その愛情を仁愛とか慈愛と呼ぶが、人間である自分が
その天と同様に仁愛をもって人間を愛することができる、
つまり自分を愛すると同様に、誰へだてなく愛情を注ぐこと。
そういう人間になるという人生最大の最終目標である。

この偉大なミッションを終生心がけた西郷さんはやはり偉大としか言いようがない。

そんな人間になりたいと率直に思う。

生きる意味=死ぬ意味ではないか

この一週間は、宮崎県、青森県に出張してきた。
宮崎ではそれこそ亜熱帯を感じさせる風景に感じ入り、青森では
八戸駅から青森駅に向かう車窓から見た雪景色があまりにも
美しく目を奪われた。

これらにも増して、この出張で最も感じ入ったことは、ビジョナリーな
方々との出会いであった。実際に地域の子どもたちの経済体験学習や
ジュニアオーケストラを本気で、しかも謙虚な姿勢で支援する大人の姿には
感銘を受けた。赤の他人の、とくに子どもたちを支援することは、
本当にビジョナリーなことだと再認識できた出張であった。

そこで、飛行機や電車に乗っている時間が長かったこともあり、
「人の一生」について考えてしまった。

人生のプロセスにおいて人はさまざまな喜怒哀楽を経る。

人は生誕し、学校に入学(合格)し、卒業し、仕事をスタート(就職、就社、起業)し、
結婚し、自分の子どもが生まれ親になり、職業上の変遷(異動、転職、等々)があり、
自分の子どもが学校に入学(合格)し、その子どもが自分とまた同様な経緯を辿っている最中に、
親は仕事の第一線から退き、余生といわれる時間を過ごし、その後必ず他界する。
その直後の告別式は、自分の伴侶、兄弟か子どもが喪主を務め執り行う。

世界中の多くの人類はおおよそ上記のプロセスを繰返してきている。
その中で、あらゆる人類に共通することは一つだけ。
「死ぬこと」である。

そこで、考えてしまうのは、人類がこの世における
人生の意味や価値を感じるクライマックスは一体いつ、
どこに存在するのであろうか、という点である。

おそらく、他界する間際であろうと想像している。
「自分が死ぬことに意味を見出す瞬間」ではないか。
人類も他の動植物と同様に「後世に何かを伝えたり、残したり」
する役目が必ずあるので、そのことを人生において全うしたと
感じることができれば、その時、人生のクライマックスが迎えられる
のではないか、と想像している。

さて、そのためには、生きている間に「人は必ず死ぬ」をいうことを
強く認識し、そのいつか必ず来るその日から逆算して自分なりの
死生観を確立し日々生きることが、人生の意味や価値を感じる
クライマックスを迎えるための条件ではないかと感じている。

そのために、ビジョナリーに生きたいと自分は思っている。

日本の若者に海外体験させて日本を活性化させたい!

先週、ある経営者と「日本を活性化する方法」について議論していた。

ぼくは持論の、国際比較で、日本人の10代、20代に乏しくなってきている
「自立、自助の精神」を取り戻すことが肝要との議論を展開した。

すると、その方からアイディアが出てきた。「日本人の海外旅行代金
の1%を日本の若者の海外体験に充ててはどうか」というものだった。

日本人の海外旅行者数は年間のべ1,300万人には上る。
一人当たりの平均旅行代金が、低めに見積もって7万円としても、
7万円×1,300万人×1%=91億円になる。
これを基金として、たとえば、高校1年生を2週間の体験留学
(ホームステイして、サマースクールに参加か)に派遣する。
そのための航空チケット代、宿泊料、食事代が一人当たり30万円かかかったとして、
約3万人が留学できる金額だ。
全国の高校1年生は約70万人ほどだから、3万人は約4%に当たる。
もし本人が半額負担することにしたら、6万人(約8%)が15,6歳で海外体験できる
ことになるのだ!(一人で興奮してきました.....)

このことを実行するには、もちろん、大手旅行業者、航空会社と海外旅行者の
協力(寄付)が必要で、1%の負担割合も決めないといけないが。

僕自身が高校一年生のときにスリランカに1年間交換留学して、
大きく人生観が変わったので、とくに高校生の海外体験を語ると熱くなって
しまうが、何とか実現できないかなあ.......。

以上

3/26(土)13:00~14:30で講演します。
場所はJR田町駅近くです。
タイトルは、「起業家マインドの秘密」です。
場所は田町駅近くです。ご興味をお持ちの方は
お気軽にメールをいただければ幸いです。

アントレプレナーシップ

先週は、仕事の関係で合計14名の方々とミーティングを
させていただいた。皆様、さまざまな知見をお持ちで触発された。
皆様に共通するといってはおこがましいが、それでもあえて
共通点を申し上げると、皆様がそれぞれお仕事上
「アントレプレナーシップ」を発揮なさっていることだった。
この点に最も触発された。


アントレプレナーを英語表記すると「entrepreneur」で、
分解すると「entre」は「enter」と同義なので「入る、参加する」、
「preneur」は「take」と同義なので「取る、獲得する」となる。
したがって、アントレプレナーは「自ら入って行って獲得する人」
という意味になる。英日辞書には「起業家、企業家」と訳されている。

「自ら機会を見出し、その機会を捉え、その機会を活かす」という
強い意思を、皆様から感じ得た。

このように自分が触発される方々との出会いを私自身が実践に活かさなければならない。
物事に対して、難しいとか、できないとか、時間がないとかいう前に、
さまざまなことに対して「アントレプレナーシップ」を持って取り組み、
克服していくことの重要さを再認識させられた一週間だった。

今週もがんばろう!

人の性格

人の「性格」とはどうやって決まるのかと、ふと考えていた。

「性格」というものは、心に反復して描いていたものが、
その描く方向に動きやすくなった「人の心の鋳型」のようなものではないかと思った。


バスケットボールを例に取ると、誰でも一度や二度シュートの練習を
しても、シュートが上手に決まるようにはならない。
しかし、「シュート決めたい」という意思がある限り、何度も、何度もシュートの練習を
繰り返しているうちに、とくに努力しなくても、「誰でも」自然とシュートが決まるようになってくる。
さらに反復して練習すると、「誰でも」身体はまっすぐゴールの方向に向けられ、
目線はゴールに定められるように自然となる。
当然、シュートはもっと決まるようになる。

このことと同様に、自分の性格を自分の思うように変えようと思ったら、
「性格を変えたい」という意思がある限り、その思いを心で反復することによって、
最初は自分で自分の思いをコントロールできなくても、変えることができるようになると思う。

そして、その反復の結果、とくに努力しなくとも、自然と自分の心を自分で
コントロールできるようなるのだと思う。

やはり、反復練習は大事だとあらためて気付く今日この頃である

楽に仕事をするということ

人は、時と場合によっては、楽に見える仕事の方が辛い。
貧乏性な人は、ひとたび努力の義務がはずされると、
自分の身の扱いに困ってしまう。


何十年の間、職場で地味な努力を重ねに重ね、
そこにのみ自分の生き方のモラルを見出していた
人は、退職して仕事をする必要がなくなったと同時に、放心状態になってしまう。

しかし、実は仕事上一番辛いことは、ある能力を保持している人が、
その能力を発揮することを制限されることだと思う。

たとえば、100メートルを10秒で走ることができる人に
100メートルを20秒で走ってみろと言ったら彼は楽だろうか。
100Mを20秒以下で走ったら刑務所行きという制限をもし定めたら、
彼はどうなってしまうだろうか。
おそらく発狂してしまうだろう。

我々の社会は、「どんな仕事でも努力次第で何とかなる」という
努力至上主義をモラルとしてきた結果、
上記のような早く走る能力ある人を、わざとゆっくり走らせることを
強いてきたようにも思う。

ここには世代間の問題も横たわっている。

「じっくり走れ。秩序を保ち、大人の世界の常識に従っていれば、君たちにはいい生活が約束される。いつか君たちにこの社会の支配権を譲り渡してやるから。ただし、まだ30年は「努力」しながら我慢もすること。今のうちは、君たちはじっくり勉強しながら、あせらずゆっくり走るのだ。」

若者が実に辛い「100M20秒」に象徴される順応型のモラルを身に付ける。
その瞬間に若者のエネルギーはそのフルパワーを発揮する機会を
自ら放棄するのである。

以上

20年後

先週、ある本を読んでいました。
その本に登場したのは、ぼくが敬愛する新渡戸稲造氏の
「知識よりも見識、学問よりも人格を尊び、人材よりは人物の養成を」
ということばです。


ぼくなりに彼のことばを咀嚼すると、「知っている事柄よりも物事に対する考え方、
学んで知っていることよりもその人の性格、タイプを尊重し、人の才能よりは、
その人の品格の養成を」、となります。

彼がこのことばを発したのは、彼が50代後半だったそうです。
ぼくは現在37歳です。20年後に僕自身がこのことばの意味を本当に得心し、
人々に自信を持って発することができるようようになっていたい、と思いました。

「Visionary」、つまり、今認識する現象によってのみ右往左往しない、
「先見の明がある人」、「洞察力がある人」に20年後にはなっていたいのです。

このゴールに確実に達するための妙案は今はありません。
しかし、これから20年間に、老若男女、さまざまな国の人々、
さまざまな宗教の人々などとと接する機会を得て、彼らのさまざまな価値観を受け入れ、
それらからさまざまなことが学ぶことができれば、よりゴールに近付いていると想像しています。

北欧4カ国の90年代からの基礎教育(幼児・小学生向け教育)改革

2/2付けの「教育理念が定まらない日本」 がたいへん好評でした。
ありがとうございます。

1)人間関係が良い(コミュニケーション。家族、友人、仕事関係の人等との)
2)健康な状態(=体調が良いこと)(家族、友人、仕事関係の人等も)
3)お金が十分にある状態(=キャッシュフロー、将来の資産)(家族、友人、仕事関係の人等も)

の「個人が実生活を幸せに感じる3条件」に「共感を覚える」という
ご感想が多くあったからです。


また、教育界は大人になってこの3条件を満たす毎日を送れることができるための
能力開発に主眼を置いていないということにも以前言及しました。

この点において、北欧4カ国(デンマーク、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー)の
90年代からの基礎教育(幼児・小学生向け教育)改革の奏功が
日本のベンチマークにもなりうると思い、3項目を以下に記します。

1)起業家精神
2)英語教育
3)IT教育

この3項目における子どもたちの能力開発をすることに教育界が中心になって
極力集中し、奏功しました。


1)起業家精神
創業(創造)精神の醸成に力点を置く。
答えがない問題をどうやって解くか。
どうすれば、他の人と違う発想ができるか。
教員のミッション:
・生徒の答えが各々違うのが当たり前で、そのような答えを引き出す。
・新しい発想をとくに奨励する。
・各々にリーダーシップを発露させる環境作り
・画一的な指導要領を実施することは禁止

2)英語教育
目的:ネイティブスピーカー並みに「実社会で使える」、聞く、話す、読むの順で
英語を習得させる。「勉強する英語」を極力排除する。

3)IT教育
将来、付加価値ある仕事をするための職業的基礎教育
目的は、IT環境、社会を体得すること。
もちろん、キーボードのタイピング訓練やPC操作の訓練を「目的」とはしていない。


前述の「個人が実生活で幸せに感じる3条件」にプラスになる能力開発の実践だと思いました。
基礎教育段階は、教養主義的なカリキュラムより、大人になって実社会で役に立つ
カリキュラムを最優先。具体的には、日本で現在就職活動中の大学3年生が
企業から求められている能力の基礎部分を
重視すべきであると改めて気付かされました。