産業界と教育界の溝を埋めることⅡ
今回は、「産業界と教育界の溝を埋める」ための方策を探って行きます。
前回のBlog
に記した人類のサバイバルに必要不可欠な能力は
1)「食料確保能力」
2)「言語能力」でした。
国民のこれらの能力を向上させることに関して、産業界と教育界の利害は一致し、
協力できるはずです。一致できる点は、ずばり「人材育成」です。
1)「食料確保能力」とは、現代日本においては、現実的には
「現金収入確保能力」のことです。
人類が地球に誕生して以来、そのサバイバルや自立に最重要であり続けている
食料(収入)の確保に対しての姿勢とスキルを、小学生のころから教育(能力開発)することが肝要です。
1)「食料確保能力」
①まず、小学校から食料(給料)を確保する仕組みの理解とそのための体験学習(ト
レーニング)を導入することです。
具体的には、「子ども向け起業・キャリア経済体験学習」を総合学習(学際的、教科
横断的学習)や生活科や消費者教育の時間に組み込むことです。
(欧米先進国では授業に採用されています)。
このプログラムでは、子ども自身が、銀行借入れ→仕入れ→販売→収支決算→利益分配の一連の流れを体験します。本物の銀行員から(擬似)借入れをして、本物の商品を仕入れて、本物の商店街等で販売を現金で体験します。子ども自身が会社内の役割分担(部署)、顧客、仕入(商品)、売上、経費、利益を体験することで、給料とは一連の企業活動から生まれる利益から支払われるということを体得します。
②もう一つはキャリア学習の導入です。子どもたちに将来なりたい職業を大まかにでも決定してもらうことを目的とします。「13歳のハローワーク」と「職業、業種別モデル賃金表」を入手して教材として利用
しても良いでしょう。
③また、最も身近な職業人である先生自身の給料(食料)がどこから来ているのかを、
まずはわかりやすく説明してあげることも良いと思います。公立学校であれば、自治体の収入(お金)は、主に税収、公債発行による借入れ、その他収入から成り立っている。そのお金から先生に労働の対価として給料が支払われていて、その給料で生活を営んでいることを、です。
私立の学校であれば、子どもたちの親が支払っている授業料が給料の原資になっていることも説明してあげてください。
④地域の産業界の方に授業をお願いしましょう。実際に平日に出講していただけるのは、
オーナー経営者の方になります。PTAの会長さんや自治体の商工課に相談してみると
見つかるでしょう。
2)次に、「言語能力」です。
①この場合の「言語」は、企業活動で必要な「コミュニケーション能力」のことです。
ぼくの持論ですが、中小企業診断士の一次試験の参考書とその出題(経済学・経済政策、財務・会計、企業経営理論、運営管理(オペレーション・マネジメント)、経営法務、新規事業開発、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策・助言理論)と秘書検定2級の参考書にその「言語」は網羅されています。両方とも実践的で簡潔な内容なので、役に立つと思います。
これらのテキストの内容を子ども向けにアレンジしたものは英米にはあると思いますが、
日本ではまだ出版されていないので、活用するのは難しいかもしれませんが。
②このコミュニケーション能力を、子どもにわかりやすく説明できる大人を探したいです。
企業内で人事・採用、人材育成を担当したことがある方がベストです。今、企業はどういう人材を欲しているか、について話してもらえれば最高です。その際に、「リーダーシップ」、「想像・創造力」、「チャレンジ精神」、「交渉力」、「粘り強さ」などの「欲する人材の特徴」が登場してくるはずです。子どもたちに実
社会で評価される能力とはどういうものなのか、ということに触れておいてほしいのです。
③あと、付け加えたい「言語能力」は、メディアリテラシーです(他の先進国では授業に採用されています)。メディア(とくにTV)の伝達を鵜呑みにして、結果的に食料(収入)確保できなくなったらたいへんです。メディアリテラシーの最大のポイントは、その供給(制作)者の意図を推し量ることです。
すべて広告を信じて受け容れたら、すべての商品を購入しなくてはなりません(笑)。
ちなみに、「食料確保能力」に長けている起業家は、供給者の視点を常に保持しているので、
メディアリテラシーにもたいへん長けています。子どもたちにも、供給者体験教育の機会をまず与えるべきです。そうすれば、供給者の広告・宣伝の意図が自然と理解できるようになるので、食料を略奪されることはありません(笑)。
ところで、多くの小中学校で消費者教育を採り入れていますが、これは本末転倒です。
消費に必要なお金がどこから来るのかを先に教えるの方が理にかなっています。
以前、買い物に必要なお金は、日本銀行というところで印刷されて人々に渡ると教えていた
小学校の先生がいまして、その意図が不明でした。お金(食料、収入)は労働(仕事)の対価として手に入るものだということを、早期に教えるべきです。
以上が、ぼくが考える「産業界と教育界の溝を埋める」ための方策になります。
最後に、産業界と教育界がリンクして世界最高水準の人材育成、輩出をしている
国家であるシンガポールの教育省と人材育成省のミッションステイトメントと
日本の教育基本法(S22年制定)の(教育の目的)と(教育の方針)を以下に紹介します。
ちなみに、我が文部科学省のホームページには、ミッション ステイトメントや教育理念の
記載はありませんでした。
《シンガポール教育省のミッション ステイトメント》
将来国家の命運を決める国民を形成することを通して、将来の国家を形成することが
教育省の使命である。教育省は子どもたちにバランスの取れた総合的な教育を施す。
子どもたちの潜在能力を最大限引き出し、よき市民になるよう教育し、自分の属する
家庭、地域社会、国家への責任感を育む。
《シンガポール人材育成(マンパワー)省のミッション ステイトメント》
国際的に競争力ある労働力を実現し、高次元の好ましい職場環境を助長し、
雇用者と被雇用者のパートナーシップを実現し、シンガポール国民の幸福のため
持続的経済発展を達成する。
《日本国 教育基本法》
(教育の目的)第1条
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成
者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的
精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の方針)第2条
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。
この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、
自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように
努めなければならない。
実際のことを子どもに語るということ
メディアリテラシーを普及させないと日本は危ない!!!
ということで、明日は米国の大統領選挙です。
ぼくの4歳の息子とTVを見ていたら、米国の大統領選挙の様子が出てきました。
息子は、「ブッシュ大統領だ!」と叫びました
(家庭内教育で、世界で一番強い国の大統領はブッシュ大統領だと教えてありますので)。
そこで、ぼくは息子に語りました。「ブッシュ大統領はケリーという候補と戦うのだ。
どちらかが勝って、どちらかが負けるのだ」というと、
どちらが勝つの?と質問してきました。
そして、ぼくは直球で答えました。「4年前の大統領選挙と同じように電子投票の投票をごまかした方が勝つ可能性が高い」と。その直後に妻が、「そういうことを4歳の子に言うと害になるのではないか」といい
ました。
しかし、ぼくは続けました。世界で一番強い民主主義の国の大統領が八百長(得票の計算のごまかし)で選ばれるかもしれないと、世界の多くの人々が予想していることは、第二次大戦後初めてではないか。将来の歴史の教科書に載るかもしれない画期的なことだから、覚えておいた方が良い、といいました。両陣営とも票数を計算する機械の会社と、そのソフトウェア会社に影響力を持つ人物を、自分の陣営に取り込み、票数が拮抗するであろう州に多数の辣腕弁護士をすでに送り込んでいるのは、マスメディアでも報道されている周知の事実です。
第二次大戦時の英国首相のチャーチルが、「民主政治はとんでもない制度だが、我々は残念ながらその民主政治よりよい制度をまだ見出していない」という主旨のことを語ったことは有名です。
米国のイラクへの戦争。大量破壊兵器は存在していなかったことは周知の事実となりました。
ブッシュは世界に公然と嘘をつきました。その人物が米国大統領に再選されるかもしれません。
もちろん、9・11のテロと米国のアフガニスタン、イラクへとの関係は、今もってはっきりしないのです。
ぼくが息子にもっと教えておきたいことがあります。
日本の小泉首相は、そんな米国の言いなりになっているから、今の日本は米国の属国なんだよ、と。
だから、ブッシュ大統領は小泉首相よりえらいから、小泉首相はブッシュ大統領の命令は何でも「はい」と聞くんだよ。その小泉首相が決めたことが日本では実行されるんだよ。
それがいやだと持っても、実際に止めること、たとえばイラクに自衛隊を派遣(100%日本国憲法違反です)しないことは、君一人の力では絶対に無理なんだよ。それが、民主主義国家日本の今日の現実だ。
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バカらしくなって来たので、今週中に息子と二人でクーデター計画を練ることにしまして、
今日は筆を置くことにします。
不易と流行 不変なものとは
我々人間は、この不易と流行の両方を求めます。
この「不易」と「流行」は、江戸時代の俳人の松尾芭蕉の言葉からきています。
芭蕉は、人間の文化と社会は無常なるもののようであるが、熟慮してみると、
そこには、時代を超えて変わらないものと時代とともに変化し
ていくものがあり、しかもこの両面は複雑に、分かちがたく結びついているもので
あると、彼は述べています。時代を超えて変わらないもの、変えてはならないものの
ことが「不易」であり、時代とともに変わるもの、変えなければならないものが「流行」なのです。
教育の改革についても,「不易」と「流行」の見極めが重要です。
すなわち、教育において時代を超えて変わらないものは、しっかりと見定める必要があります。
伝統は次の世代に受け継いでいかなければならないものだからです。
と同時に、時代とともに変化していくものも、しっかり受け入れ、これに柔軟に対応していく必要があります。教育においても、「不易」と「流行」の両方を大切にしていくことが、たいへん重要なことになります。
話はそれますが、その「不易」と「流行」を超えて、「不変なもの」、「完全に安定しているもの」、
「無常でないのもの」は、この世に果たしてあるのか。そう思索する癖があります。
法律(憲法)、人間の寿命、家族の位置付け、お金の価値、衣服のスタイル、安定した○○、強い人の定義、正しい宗教、等々、ほとんどの物質的、精神的事象が、いつか急変するかもしれません。その中で、比較的、長期間変わらないだろうものを自分なりに規定して、そう信じて、毎日を過ごしています。
ぼくは、不変なものはあるはずだと信じて歴史的、未来的にも思索してきたつもりですが、結果、世の中において不変なものは見つかりませんでした。しかし、1ヶ月ほど前にやっと「不変なものが見つかった!」と飛び上がって喜びました。
それは、「原子(アトム)」です。
「原子」はあらゆる物質(もちろん人間のからだも)を形作っていて、それ以上分けることができない最小の粒のことです。その大きさは1億分の1cm程度です。その種類は約100種類です。
「原子の構造」は、その中にプラスの電気を帯びた原子核の周りに、マイナスの電気を帯びた電子が、いかなることが起きようと(たとえ原子爆弾が投下されても)、一定の速度で回転運動をするという事実です。「原子」はあらゆる物質を形作っていて、人間の肉体を形成する最小単位でもあります。いわゆる人間の生死とは無関係に運動し続けます。不可視な物質の例で、空気を人間は全く視覚できませんが、全く同じ原理で原子によって構成され、運動し続けています。
そこで、このような事実を根拠として、仏教で言う輪廻転生を始め、ほとんどの宗教が主張する「人間に死は存在しない」の教義につながるのではないかとも考えてしまいました。
ぼくが高校生のとき一年間留学したスリランカにおいては、毎日自爆テロが起こって
いました。現在はイラクで毎日のように起こっているのと、ほぼ同じタイプのものです。
どうして、そのような行為を人間がなしえるのかと、当時はたいへん不思議に感じていました。
人間に不死を信じさせて自爆をもさせる原因は、人間の肉体を形成する根本で、生死を越えた存在である、「不変、不死の原子(の運動)」にあるのかもしれません。
産業界と教育界の溝を埋める仕事
ぼくは起業して9年になります。
自分が本業を通して、一生懸命解決しようとしているテーマが何なのか、
最近になって初めて気付いています。それは、「産業界と教育界の溝を埋めること」
でした。「企業社会と学校社会のギャップ」と表現しても良いでしょう。
今回は、「企業社会の現実」と「人類の進化のプロセス」から、
「産業界と教育界の溝」について考察してみます。
以下は、11/23(火)付け日経新聞の「私の履歴書」
(武田薬品の現会長の武田國男氏)からの引用です。
《筑波研究所の責任者の藤野さんが19991年に武田薬品中央研究所の問題点に触れて、
「中央研究所は(中略)専門分野別に組織が分かれ、各分野間の壁も厚い。
これは大学の発想であり、相互の境界がなくなりつつあるサイエンスの流れにそぐわない」。》
上記からの重要なメッセージは、研究者であり研究所の責任者である藤野さんが、
1)自分は研究者であると同時に企業人であるこという認識を持っていたこと、
2)企業内研究所の最終目的は、「他社製品と差別化できている、もしくは、画期的で、
かつ、市場性がある新薬を開発すること」だと認識していたこと、だと思います。
研究所の職員の大半は、大学(学校社会)における自身の研究を
武田薬品の企業内研究所で続けているという意識だったので、
化学、生物学、発酵学等の専門分野別に組織も分かれていました。
大学内では当然のことだったからです。
しかし、藤野さんは「サイエンス」(科学)の流れにそぐわない、と述べています。
「サイエンス」とは、一定の原理にしたがって、一定の目的と方法をもって、
順序立てて、物事を研究することです。科学は理科系、文科系の学問も包括しますの
で、医学も経営学も「サイエンス」の一領域といえます。
広義に考えれば、ビジネスもサイエンスなのです。
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次は、「人類の進化のプロセス」から、「産業界と教育界の溝」について考察してみます。
先日、NHK特集「地球大進化」の最終回の「人類の進化」を偶然観ました。
現在の人類の祖先のホモ・サピエンスまで、20種もの人類の祖先が登場しては絶滅し
たと考えられているらしいです。そのうちのたった一つの種であるホモ・サピエンスが生き残って現
存しているというのです。これまでの20種もの人類のサバイバルの決定要因は2つでした。
最大の要因は「食料の確保」、第2の要因は「言語能力」でした。
まず「食料の確保」から、説明します。
場所はアフリカ大陸。人類は最初は樹木生活者であり、果実を主食にしていました。
しかし、気候の変化により、熱帯雨林が草原に変化し果実が無くなってしまいました。
この変化で人類の祖先のうち1種類は動物を主食に、もう1種類は植物の根っこを主食
にして生き残りました。要は、主食とする食料を環境に応じて変化させた種のみが生き残りました。
そして、この段階からサバイバルの決定要因が変化していきます。
「言語能力」の登場です。
人類が高カロリー肉食に変化したことも一因に、急速に脳が巨大化しました。
さて、時代は3万年前、人類には脳が発達した2種類のホモ・サピエンスとネアンデルタール人
が存在しました。しかし、ホモ・サピエンスは生き残り、ネアンデルタール人は絶滅してしまいました。
その主因は何だったのでしょうか?研究者は、その主因を、「言語能力の差」に求めています。ネアンデルタール人は、その声帯の位置と気道の短さから、ホモ・サピエンスほど流暢に「言葉」を発するこ
とができなかった可能性が高いというのです。
ということは、ヒトは「言葉」を通してコミュニケーションをとることでその経験知を次世代に伝えることにより、より能率的、効率的に食料を確保できるようになったといえます。
これは空想の世界ですが、ホモ・サピエンスの子孫である我々が現代のコミュニケーションの手段の言葉、(絵)文字、手話などを一瞬にして失ったら、どうなるでしょう。
最終的に食糧確保に困難を来たして、いずれは多数の人類が死滅してしまうかもしれないのです。
ここで、「産業界と教育界の溝」に話を戻しましょう。
「企業」の最終目的を「食糧確保」、「学校」の最終目的を食糧確保のための「ことばの発達」と
仮定します(いつもどおり、飛躍しまくっていますが…...)。
もちろん、上述のとおり、両方とも人類のサバイバルのために不可欠です。
しかし、現代の日本では、「産業界」(企業)は、極端に走ると、食料(お金、利益)確保さえすれば、「ことば」を無視して、手段を問わないケースは少なくないです。「教育界」(学校)も、極端に走ると、
「言葉」のための「言葉」を教えることにテクニカルにコミットしすぎます。人類のサバイバルに不可欠な食料(お金、利益)確保するマインドやテクニックを教えることを軽視したり、時には、蔑視して、教えないこともあったりします。この溝を埋めなければ、日本国民の「生きる力」が減退し、結果的に国力が減退してしまいます。
文章が長くなってきてしまいました。この先は一週間後の次号に記します。
「産業界と教育界の溝を埋める」ための現実策を探って行く予定です。
乞うご期待!
小・中学生向け家庭内教育を考える
《「いい学校」「いい会社」に入るための勉強はもう終わり。
将来、「いい仕事」ができるための勉強を今しよう。》
が、ぼくのポリシーです。
さて、家庭内教育で、将来、「いい仕事」ができるための教育をするためには、
どうすれば良いでしょうか。
まず、すぐにできることは、実社会で仕事をしている親が、小・中学生の子どもに仕事上起きた
事柄をそのまま話することなのです。
当社では英国の公立小学校の小・中学生向け起業教育プログラムに則して、将来、「いい仕事」ができるための能力として、以下の10項目を定めています。
1)計画力、2)評価能力、3)意思疎通能力、4)交渉力、5)決断力、6)問題解決能力、
7)創造力、8)率先力、9)協調力、10)委任能力
の10項目です。
以上の10項目の能力は、親が実社会で収入の対価として仕事に従事する過程で発露している(もしくは、せざるを得ない)能力と大部分は合致するはずです。
《手前味噌になりますが、以上のすべての能力を子ども自身が発露せざるを得ないように設計されているCES開発の「ビズ・キッズ」というプロジェクト型のビジネス体験プログラムがあります。しかし、
チームで競うプログラムなので、残念ながら、家庭内教育では実行は不可能です。》
学校教育の中でも、学習塾やスポーツクラブ等のいわゆる習い事の範疇においても子ども自身が
発露しうる能力ではあります。しかし、指導者が親ではなく他人であることと、社会人の仕事を疑似体験できる可能性がほとんどありえないことが、家庭教育とは一線を画すポイントになります。家庭教育
は家庭以外ではできない教育ができる重要な教育現場なのです。
小・中学生の自分の子どもに仕事上起きた事柄をそのまま話することには、
親にある種の抵抗があることは十分承知しているつもりです。
しかし、自分の子どもの将来にとってプラスになる話になるだろうことも、
同時に容易に想像しうることでしょう。その生々しい仕事上の話が、子ども自身の
将来を切り開いていく、エッセンスになっていくと信じて疑いません。
最後にお伝えしたいです。
親は自分の子どもを無条件に愛することができます。
しかし、家庭を一歩出れば、世の中は基本的に四方八方、条件(ルール)付きなのです。
そのようなルール付きの典型的な形態は、仕事の対価として収入を得る仕事をしている形態なのです。
学校を卒業したら、そのルール付きの実社会という世界に誰しも入ること、その実態が親の実体験からどのようなものか、仕事をする時間は学生でいる時間よりも長くて30年以上に至ることなどを、子どもに早期に伝える習慣をつけていただきたいのです。
そのための技法、つまり、ご自分の仕事の話を切り出すタイミング、話の内容に関しては、
何なりとご相談ください。板庇が一緒に考えさせていただきます。
《「いい学校」「いい会社」に入るための勉強はもう終わり。
将来、「いい仕事」ができるための勉強を今しよう。》
を、あくまでも強調する筆者でした。
なぜ大人は喜怒哀楽を表に出さなくなるのか
《こどもの目線から考える》
今回はこのテーマで記してみます。
今日は(この原稿を書いている時点)週末で、父親のぼくにとっては、
日課ならぬ週課の、4歳の息子との「野球」をやってきました。
ぼくは現在36歳で、世の中の同年代の父親にとってはよくある週課かもしれません。
彼は、いつもの阪神タイガースの応援用バットをバットとして構え、ぼくは軟式野球を模した
中身が空気になっている黄色い柔らかいボールを投球しました。もう一年以上一緒に練習しているので、彼はかなりのバッターに成長してきました。
しかし、今日はその約60分の間に、彼が繰り返し見せた「喜・怒・哀・楽」の姿に
はっとさせられたのです。
喜ぶとき;自分の打球が飛んだとき=ぼくが必死でボールを追いかけたとき
怒るとき;自分の打球が飛ばないとき。投球ボールがストライクでないとき←打ちにくいから
哀しむとき;自分の打球が飛ばないとき。とくに自分が空振りしたとき。
楽しむとき;自分の打球が飛んだとき=ぼくが必死でボールを追いかけたとき
もう一つ。彼が約60分の間に「スランプ」に陥ったときがありました。ぼくは、一案を講じました。
数倍の速度の投球に変えました。当然彼はかすりもしません。
しかし、10球目くらいになって、ファウルチップは打てるようになってきました。その直後に、元の遅いボールに変えたところ、彼はスランプを脱して、ヒットを飛ばすように急変しました。
この60分で気付いたことは、私たち社会人は日常生活でこどもが通常見せるような「喜・怒・哀・楽」を表情に出さないことが多くなっています。「仕事だから」、「大人だから」が理由の大半ですが、その反動としていわゆるストレスが蓄積されて、余計疲れるのではないか、と息子と野球をやっていて考えさせられました。
もう一つの「スランプからの脱出」についてですが、最近の社会人はスランプに陥ると、まず何らかの「癒し」を求めて、その後にスランプからの回復を期待するような傾向があるように感じています。
しかし実は、今よりもっと厳しい仕事、課題を自分に課して、一定期間取り組んでみる。
その後、仕事や課題の質と量を以前のレベルに戻すと、難なくクリアーできて、スランプだったことすら忘れてしまう、という計画の方が実現性があると思いますので、どうぞお試しください。
「喜・怒・哀・楽」を表に出さない大人が増えていると言います。
しかし、そのような人たちが支持したり、尊敬したりている有名人の多くは
「喜・怒・哀・楽」を表に出す人たちになってきています。
もう昔の日本とは違うのです。うれしいときに笑い!、頭にきたときに怒り!、哀しいときに涙を流し!、楽しいときに飛び上がって喜ぶ!、そういうに大人がさまざまな仕事場、コミュニティで支持されてきています。さまざまな場で、瞬間、瞬間の「喜・怒・哀・楽」を表に出すようにしていきましょう。
そうしたら、必ず自身のストレスは軽減されていきますし、周囲の人々もプラスに理解してくれることの方が多いのです。大半の子どもは「喜・怒・哀・楽」をそのまま表に出します。「喜・怒・哀・楽」を
表に出せない子どもが最近は多くなってきたようです。
子どもも大人も「喜・怒・哀・楽」をそのまま表に出すことで、各々が自己を解放できるような環境を設定できれば、日本はもっと、もっと元気で、幸せな人が多い国に間違いなくなります。
板庇的新生日本構築について
「日本のペンタゴン(五角形)の関係の創造的破壊と新生日本構築」
に関して、前回の続き
で記します。
残念ながら、結論的に、日本のペンタゴンを早急に創造的破壊する方法は、
より大きな権力である米国の権力に頼むことです。
最近関係が破壊された典型例としては、金融庁(官僚組織)と銀行(財界)の関係
で、今や両者は対立関係にあります。ご存知のように、10年前までは両者は癒着しきって
いたのにです。とくに小泉総理、竹中大臣、福井総裁の米国のポリシーを最優先するタイプがその地
位についてから、日本の金融行政は米国財務省(在日米国大使館)のコントロール下に入りました。
現在の日本にとっての米国は植民地時代の宗主国と変わりません。
それこそ、ガンジーころの宗主国の英国とインドや南アフリカの関係とそっくりです。
ガンジーもそうしたように、インドを変えるために、宗主国英国におけるロビー活動は不可欠でした。
また、私が尊敬する元英国首相のサッチャー女史も、1980年代の創造的破壊から変革のプロセスで、米国のエスタブリッシュメントをただ真似たり、頼ったり、利用したりしました。
私が将来の日本の自主自立にとってベストだと考えるソリューションは、まず米国の圧力、支持により日本のペンタゴンを創造的破壊(インバランスに)する(してもらう)→その結果発生する混沌状態を日
本人自身が乗り越える→新生日本が構築される、という順序です。
この方法が、今から日本新生までの費用面とスピード面において最優位だと考えざるを得ません。
以下、第一義的に日本の創造的破壊のために、
1)政界の変革においては、米国政界のVIPから「一度政権を交代せよ」との指示を出
して(圧力をかけて)もらうための工作(スパイ)活動をする。
2)財界には、米国資本中心の外国資本に一旦買収してもらう(日産のように)。
国内ベンチャー企業を優遇して、上場企業の新旧交代を意図的に促す
(全く新興の楽天やソフトバンクがプロ野球チームのオーナーになったことが象徴的です)。
3)官僚組織には、現小泉政権のように、国会から内閣に一層権力を移す。
内閣自身が本来の政策立案機能を保持する。
以上の実現を、米国(大使館)に支持して(圧力をかけて)もらうための活動をする。
4)マスメディアは、いくつかの放送局、新聞社を米国資本中心の外国資本に買収してもらう。(ちなみに、金融界のメガバンク等はすでに買収されることを終了しています)
5)マフィア組織には、その財力の源泉の地上げされた土地の問題を整理して、彼らの財政基盤を弱体化する。不良債権化している土地を米国資本に一旦買収してもらう(高値売却をする)。
(ちなみに、日本全体の土地の時価総額はいまだに日本のGNPの3倍あります。その他の先進国の
土地の時価総額は自国のGNPと同額です。これからの10年間で土地の時価総額は現在値の
1/2か1/3まで下落することは必至です)
約140年前の明治維新のころの改革を想起してみてください。
江戸幕府を財政、軍事的に支援したのはフランス政府、薩長の反幕府勢力を財政、軍事的に支援したのは英国政府でした。ちなみに、有名な土佐藩脱藩の坂本竜馬は薩長と英国との橋渡し役のブローカーとして重宝され、活躍しました。その後、1868年に薩長が明治政府を樹立して、日本人自身による日本新生の歩みがよちよちながらも始まったのです。
1985年にG5のプラザ合意(ドル安誘導)から現在までの20年間に日本は経済(金融)戦争に完敗しました。したがって、痛みを伴う敗戦処理を早く済まして、「新生日本」の構築に着手する必要があると考えるのです。
最後に、板庇は米国等の外国に魂を売る気はさらさらありません。
しかし、日本人に自主自立の精神を核とした(外交)戦略の実行がなければ、
今から10年後の2014年に、日本国民が「10年前の日本より今の日本はすばらしい」と
いう感想を持つことはないと確信していますので、今私は言動しているのです。
小・中学生向け教育(=能力開発)を考える
1週間前に、「自分のこども時代を回想する」
という自分勝手なテーマで記しました。
そこからこじつけまして、今回は「小中学生の教育(=能力開発)を考える」
について記してみたいと思います。
さて、今回は、日本の小・中学生向け教育の問題点と解決策を探ってみたいと思います。
まずは、ぼくの友人からの先週着したメールを披露します。
友人は、某教育大学に勤めていて、小学校の教員養成を本業としています。
________________________________
CESのHPの「失敗を大いに歓迎する」にとても共感しました。
というのも、常々私は今の日本の学校教育では
ある程度質がそろった子どもたちは育つかもしれないけれど、
「天才」は出現しない、と感じているからです。
つまり、教師が一方的に答えを与えてしまい、その答えさえ覚えれば
点数がとれるというしくみ、「完璧なこと」を求めるしくみ、
そしていい学校に入ることが人生最大の目標になっている感さえある
人々の感覚に大きな疑問を覚えるのです。
子どもは無限の想像/創造性をもっています。みんなが「違う」から面白いの
ではないでしょうか?「違う」ことがいじめにつながってしまうような風潮、
やっぱりどこか社会がゆがんでいるのだと思います。
以上
追記:友人は小学校の教壇にも立っていて、小中学校の現場もよく知る人です。
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以上の友人の意見にぼくは共感しました。
以下にコメントを、1)~5)と順に述べていきます。
1)「ある程度質がそろった子どもたちが育つ教育環境」が、
現在でも保たれているとしたら、これは歓迎すべきことです。
しかし、一部の先進国が用意しているような「天才」が出現し得る教育環境は、
日本にはまだ用意されていないように思います。ある分野に突出した能力を示した
ら、その分野の探究に集中させてあげるような教育環境が望まれます。
ノーベル賞の受賞者の大部分は、自分が小学校のころにはその受賞分野の何らかの事柄に、
すでにたいへん強い興味を示していた、という新聞記事を昔読んだことがあります。
2)「教師が一方的に答えを与えてしまい、その答えさえ覚えれば点数がとれるとい
うしくみ」は、少なくとも他のサミット参加の先進大国(米国、英国、ドイツ、フランス、カナダ)
では、過去の遺物となっている教授法です。
小学校のときに、「○肉○食の○の部分の漢字を埋めなさい」と
いう問題が出て、「焼肉定食」とぼくは本気で回答して×でした。先生にクレームしたところ、
「テスト前に弱肉強食と教えている。君が授業をちゃんと聞いていなかったから×になった。」といわれました。日本は小学生~大学生まで、「教師が事前に授業で(唯一の)答えを教えて、その答えを記憶して、テストの際の回答用紙に記入する」という子どもの創造/想像力を弱体化する形式が繰り返されています。もっと問題なのは、このような形式を繰り返すことによって、教師自身の想像/創造力が弱体化されていることかもしれません。
3)《「完璧なこと」を求めるしくみ》は、出題者にとっては楽かもしれませんが(授業の進行、採点が能率的かもしれませんが)、成人している教師より想像/創造力が高い子どもにとっては迷惑だと思います。ぼくの意見ですが、バーチャルな学校のテストでいつも100点を取る子どもはかわいそうです。実社会に出たとたんに、テストで100点が取れなくなるからです。
その理由は、あらかじめ回答が用意されていないテストに日々直面する。
「採点から評価」という、もっとあいまいな市場や社内の評価にさらされるからです。
4)《いい学校に入ることが人生最大の目標になっている感さえある「人々」の感覚に大きな疑問を覚えるのです》この「人々」とは、子どもの教育に関与するすべての大人のことです。この種の旧日本人が、
確実に減ってきてはいますが、まだ多くいます。
まず、《「いい学校」「いい会社」に入るための勉強はもうおわり。将来、「いい仕事」ができるための勉強を今しよう》、と、ぼくは訴えたいのです。
ぼくが、1996,7年に英国で起業教育のトレーニングを受けたとき、あらゆる関係者が言っていたことを思い出しています。「学歴はもう役に立たない、実社会で役立つ学習暦のみが就業できる(失業しない)
ことを約束する」と。この学習暦は、日本特有の資格取得偏重とは無縁なことは、念のため付け加えておきます。
5)《みんなが「違う」から面白いのではないでしょうか?「違う」ことがいじめにつながってしまうような風潮、やっぱりどこか社会がゆがんでいるのだと思います。》
最後に来ました!重要なことです!
この解決策は、
1)国家レベルでは、できるだけ多くの日本人が外国に滞在してみる。多くの外国人が日本に滞在する。
2)都市と地方はできるだけ人の交流をする。
3)自分が移住する市町村だけでなく、その都道府県、国家、世界、地球というレベルに想像力を働かせるように教育する。
4)小中学校の生徒、職員が小中学校以外の実社会で学習、就業体験をする。
実社会の教師以外の大人が学校で教壇に立つ、その運営に関わる。
5)無業者の主婦、フリーターはできるだけ実社会での就業(体験)の機会を増やす。
以上を実施したときに、「違う」ことをいじめにつなげることが自分にとって意味のないことになり、「違う」ことをどう許容しながら自分の個性を生かしていくかということに、に自分の目前の課題が移っていくと思い
ます。世の中は「諸行無常の響きあり」だということを体験することが重要なのです。
日本という国
「日本を支配する政界、財界、官僚組織、
マスメディア、マフィア組織のペンタゴン(五角形)」
今日はこのテーマで行きます。
先週の2日~3日は神奈川県のある温泉宿で合宿をしていました。
ぼくの親友のH氏が主役でした。
これから政治家になる彼を、皆が個々の得意技で支持していくことを確認しました。
その際に、日本社会を今後どうやってより良くしていくか、というテーマに関しても
深夜まで語り合いました。
そして今まで、ぼくはその議論を思い出したりして、今回のテーマにたどり着きました。
昔、学校で「三権分立」の仕組みを教えられました。
「三権分立」とは、国家権力が一つの機関に集まりすぎると、権力が濫用される恐れがあるので、
三権が分立して互いを牽制し合う仕組みです。
「国会」が法律を作成、廃止する立法権を、「内閣」(現在のリーダーは小泉首相)は「国会」で成立した法律や予算にもとづいて政治を行う行政権を、「(最高)裁判所」が「司法権」を担い、とくに「国会」と
「内閣」が憲法違反をしていないかどうかを審査します。
しかし、実際は三権は分立していないことは、大人の社会では常識です。
これまでは、内閣総理大臣に「国会」(具体的には国家議員の過半数を占める与党)
に操縦される人物が就任したりして、「国会」に権力は集中していました。
しかし、小泉政権になって、「内閣」が「国会」に以前ほど相談せずに組閣したり、
衆議院の解散をしたり、しているように見受けられます。
この両者の権力は以前よりはバランスしてきているので、ぼくは歓迎しています。
しかし、「司法」の権力は、「内閣」や「国会」に比べれば、ほとんど発揮できていません。
理由としては、
1)裁判官の任命権(人事権)を実質的に握られていること
2)憲法違反の判決を実質的に出せないこと
「司法」の最大の任務は、「内閣」や「国会」が憲法違反していないかを審査して裁
決すること。
しかし、政治が最高裁判所の裁決を左右しているるのが実状です。「内閣」や「国会」の政治的判断が憲法より上位にあるということです。一例を挙げると、イラクに自衛隊を派遣したことは憲法違反ですが、
立法府である「国会」が「イラク復興支援特別措置法」を立法して、自衛隊を派遣することが可能になりました。上記はわかりやすく言うと、「政界」のみにおける話です。
この国には小・中・高学校の教科書には載っていない権力があと4つ存在します。
そして、この5つの権力は、一方的に牽制したり、牽制し会ったりしています。
1)「政界」は、法律や規制を厳格に適用したり、緩和したりして、「財界」、「マスメディア」、「マフィア」を牽制することがあります。また、人事権を利用して「官僚組織」を牽制することがあります。
2)「財界」は、資金力を利用して、「政界」、「マスメディア」、「マフィア」を牽制することがあります。
3)「官僚組織」は、法案策定等の実務力を利用して、「政界」を牽制することがあります。法律や規制を厳格に適用したり、緩和したりする「裁量行政」を利用して、「財界」、「マスメディア」を牽制することがあります。
4)「マスメディア」は、憲法に保障される「表現・報道の自由」を利用して、
「政界」、「財界」、「官僚組織」、「マフィア」を牽制することがあります。
5)「マフィア組織」は、資金力や脅迫的行為によって、「政界」、「財界」、「官僚組織」、
「マスメディア」をコントロールして利用することがあります。
少なくともこの20年間、この5大権力が持ちつ持たれつのペンタゴン(五角形)を形
成しながら、この国を支配してきました。
その結果、この国は10年前、20年前と比べて、国力が減退しました。
国民のほとんどは、現在の日本より、10年前、20年前の日本の方が良かった、と思っているのではないでしょうか。国民のほとんどは「先が見えない」と感じているのではないでしょうか?
しかし、10年後には、10年前の日本の方がまだマシだったなどと、国民に言われてはいけないのです。
私の親友のH氏が、これから政界おいて、「日本を改革して新生させる」のために、すべてをかけます。
もちろん、ぼくもあらゆる協力をしていきます。
熱くなってしまいましたので、今日はこの辺で。
自分のこども時代
ちょうど一週間前は、「教育とは能力開発のこと」
というようなテーマで記しました。
お読みになって頂いた方々から、いろいろなご意見を頂戴するようになりまし
た。この場を借りまして改めて御礼申し上げます。
ありがとうございます。
その中に、「今、子どもが求めているものを子どもの目線で考える」
と言うテーマで記して、とのご要望をいただきました。しかし、この2時間悩んだ結果、
まだそのことを文章化するには自身の修行足りず、との結論に至りました。
そこで、今回はまず自己認識からスタートすることにしました。
そこで、「自分のこども時代を回想する」という自分勝手な、
しかしストーリーを開陳する勇気には一定の評価もしてもらいたい気もする、
そんなテーマで行きます。現業に至るルーツも探りたくなっています。
記憶をたどりながら、つれずれなるままに進めます。
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※小1→クラス担任に、「この子は将来善悪どちらかの大物になる。
たとえれば、善は歴史の教科書の載るような偉人、悪はヤクザの親分」
と親が面談で率直に告げられる
※小1~小3→野球でぼくだけは何度空振りしても三振にならないというルールを作
る。全員服従した。親分。
※小4→クラス全員がその独裁的なルールを変えるよう全員一致で議決される。
いわゆる、革命が起こった。その後、はねこ(村八分のこと)になり、意気消沈。
しかし、それでも、2学期の学級委員は組織票をまとめて仕留める
(それまでの慣例では、通知簿の成績が1,2,3番が順に1,2,3学期の学級委員になって
いた。ぼくは成績が5段階評価でほとんど「2」が並んでいた)。
野球のリトルリーグに加入し、レギュラーになる。
と同時に、父親が薦めた銀行への預貯金と日経新聞購読を始める。
※小5→成績重視の担任に代わり、自分の自分勝手な言動が急に束縛される。
担任に思いっきり殴られて、吹っ飛ぶ。
しかし、それでも、2学期の学級委員は組織票をまとめて仕留める。
成績は変わらず、ほとんど「2」が並んでいた
リトルリーグで清原、桑田(現巨人)が出場していた大阪のリーグと対戦、自分だけ
3塁打を放ちノーヒットノーランを逃れる。その後、肘を壊して、ドクターストップで退団。
その後、バスケットボールを始める。
※小6→成績重視の担任にさらに嫌われる。
反抗して、2学期に成績最低のクラスメートを組織票をまとめて学級委員に選出。
担任が激怒し、PTAも紛糾し、結局彼の当選は白紙に戻される。担任の反民主主義を
追及して、授業ボイコットなどを行ったが、また担任に思いっきり殴られて、吹っ飛ぶ。
しかし、それでも、3学期の学級委員はしぶとく組織票をまとめて仕留める。
成績は変わらず、ほとんど「2」が並んでいた。
会社四季報を読むことを始める。
結局、小学校6年間たった一度も学校の外で勉強をしなかった。
卒業式前に、みんなが将来の夢を事前に書くことになった。
さて、卒業式本番、校長が「2人だけ良くないことを書いているので反省するように」といった。
「一人は会社を買収したい、もう一人は将来は金利で暮らしたい、と書いている。
良くないことなので、よく反省するように」と言ったと記憶している。
前者はぼくで、後者はAくん(老舗高級陶器店の次男)だった。
最後に、ぼくが促成で組織したミニバスチームは関西一のチームにダブルスコアーで勝利した。
※中1→バスケット三昧。校内、校外で暴れまくり。通知簿の成績は相変わらず。
しかし、学級委員は自分の小学校出身者が全体の1/6だったため組織票をまとめきれず
逃す。初めて、株を証券会社に買いに行く。大洋漁業1,000株。
※中2→絶好調。学級委員長。女性との交際に進出。
学校外での勉強(試験勉強)に進出。香港からウーロン茶を輸入して、
50万円ほど儲ける。校内のガラス120枚が割られる。シンナー中毒多数。
他校への木刀による殴りこみ。バスケットで区内ベスト5選出。
カラオケ、飲酒、喫煙の世界に進出。
※中3→学級委員長(副長は小寺氏)。女性に振られる。
受験勉強(試験勉強)に専念。バスケットで京都府内ベスト5選出。
※高1→バスケット部入部。体育推薦の入学でないため、三軍に入れられる。
いじめられながらも、不満を監督に直訴し、一軍に加入許可を得て、最高得点を挙げる。
入学試験は上から2番の成績で、入学後2ヶ月で下から2番に成績になる。
府内では洛南高校に勝てず2位のチーム。
1月~AFS留学で1年間日本で初めてスリランカへ。
文明、習慣、宗教、内戦、とくに言語の違い(日本語と英語、英語とシンハラ語の2冊の辞書を携帯する毎日は本当に辛かった)を学ぶ。
最後に、「死生観」を鍛えられたと今は実感。
※高2→留学後帰国して、日本の不良の言動が全く馬鹿らしくなり、止めた。
しかし、スリランカのストイックな体験から逃れたくて遊びまくった。
バイク免許取得後、スピード違反等で家庭裁判所に送検。
寛容な校長の裁断により退学を免れる。株を再度スタートして儲けて、
東京進出して遊ぶ。高校の留学仲間と渋谷、青山、六本木でよく遊んだ。
※高3→東京でもっとも仲が良かったのが、早稲田学院と学習院の連中だったので、
両校に合格するために受験勉強に突入。
以上、このまま大学に突入するとたいへん長くなりそうなので、次回以降に回します。
以上のような、ぼくの好き放題の言動のすべてを許容し、「お前は天才だから」と根拠なしに
励まし続けてくれた父母がいました。今日は3年前に逝った父の誕生日だったことこともあり、
感極まって記してしまいました。
ぼくの父のぼくに対する愛情表現は、世間的には、「異常な形態」だったと述懐しています。
しかし、一心同体の愛情を施してくれたことは事実で、ぼくも4歳になった自分の子
どもにもそのような「異常な形態」の愛情を注ぐことに結局帰してしまうことでしょう。
そして、ぼくの子どもはぼくがそうだったように、親との関係性に自分の
存在感を感じる時期はもう1~2年で終了して、それ以降はファミリー以外の人間関
係に没入することでしょう。
それでよいのです。