なぜ大人は喜怒哀楽を表に出さなくなるのか
《こどもの目線から考える》
今回はこのテーマで記してみます。
今日は(この原稿を書いている時点)週末で、父親のぼくにとっては、
日課ならぬ週課の、4歳の息子との「野球」をやってきました。
ぼくは現在36歳で、世の中の同年代の父親にとってはよくある週課かもしれません。
彼は、いつもの阪神タイガースの応援用バットをバットとして構え、ぼくは軟式野球を模した
中身が空気になっている黄色い柔らかいボールを投球しました。もう一年以上一緒に練習しているので、彼はかなりのバッターに成長してきました。
しかし、今日はその約60分の間に、彼が繰り返し見せた「喜・怒・哀・楽」の姿に
はっとさせられたのです。
喜ぶとき;自分の打球が飛んだとき=ぼくが必死でボールを追いかけたとき
怒るとき;自分の打球が飛ばないとき。投球ボールがストライクでないとき←打ちにくいから
哀しむとき;自分の打球が飛ばないとき。とくに自分が空振りしたとき。
楽しむとき;自分の打球が飛んだとき=ぼくが必死でボールを追いかけたとき
もう一つ。彼が約60分の間に「スランプ」に陥ったときがありました。ぼくは、一案を講じました。
数倍の速度の投球に変えました。当然彼はかすりもしません。
しかし、10球目くらいになって、ファウルチップは打てるようになってきました。その直後に、元の遅いボールに変えたところ、彼はスランプを脱して、ヒットを飛ばすように急変しました。
この60分で気付いたことは、私たち社会人は日常生活でこどもが通常見せるような「喜・怒・哀・楽」を表情に出さないことが多くなっています。「仕事だから」、「大人だから」が理由の大半ですが、その反動としていわゆるストレスが蓄積されて、余計疲れるのではないか、と息子と野球をやっていて考えさせられました。
もう一つの「スランプからの脱出」についてですが、最近の社会人はスランプに陥ると、まず何らかの「癒し」を求めて、その後にスランプからの回復を期待するような傾向があるように感じています。
しかし実は、今よりもっと厳しい仕事、課題を自分に課して、一定期間取り組んでみる。
その後、仕事や課題の質と量を以前のレベルに戻すと、難なくクリアーできて、スランプだったことすら忘れてしまう、という計画の方が実現性があると思いますので、どうぞお試しください。
「喜・怒・哀・楽」を表に出さない大人が増えていると言います。
しかし、そのような人たちが支持したり、尊敬したりている有名人の多くは
「喜・怒・哀・楽」を表に出す人たちになってきています。
もう昔の日本とは違うのです。うれしいときに笑い!、頭にきたときに怒り!、哀しいときに涙を流し!、楽しいときに飛び上がって喜ぶ!、そういうに大人がさまざまな仕事場、コミュニティで支持されてきています。さまざまな場で、瞬間、瞬間の「喜・怒・哀・楽」を表に出すようにしていきましょう。
そうしたら、必ず自身のストレスは軽減されていきますし、周囲の人々もプラスに理解してくれることの方が多いのです。大半の子どもは「喜・怒・哀・楽」をそのまま表に出します。「喜・怒・哀・楽」を
表に出せない子どもが最近は多くなってきたようです。
子どもも大人も「喜・怒・哀・楽」をそのまま表に出すことで、各々が自己を解放できるような環境を設定できれば、日本はもっと、もっと元気で、幸せな人が多い国に間違いなくなります。