『なんのために、コミュニケーションは必要なのか』
<原理的に考えてみる>
時代は3万年前、脳が発達して生き残った、
2種類の人類、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が存在した。
その後、ホモ・サピエンスは生き残り、ネアンデルタール人は絶滅した。
ホモ・サピエンスは、人類史上始めて「言葉」を獲得した、
その「言葉」を通してコミュニケーションができたため、
生き残った。一方、ネアンデルタール人は獲得でき
なかったために絶滅した、とされている。
このホモ・サピエンスの3万年後の子孫が我々。
食料確保のための経験知を次世代に伝えることが、
コミュニケーション手段の獲得によって、
能率的、効率的にできるようになったため、3万年間も絶滅せずに
生き残っている。
ここで、想像をめぐらせてほしい。
我々がコミュニケーションの手段としての
言葉、(絵)文字、手話などを、突然失ったら、どうなるか?
いずれは食糧獲得、その保存や分配に困難を来たして、
大多数の人類が死滅してしまうと想像される。
コミュニケーションは人類のサバイバルのために不可欠なのだ。
現代に置き換えても、食糧(収入)確保のために
最も必要な能力は、変わらず、「コミュニケーション能力」
に他ならない。
●次回配信は11月9日(金)です。
ご期待ください。
パフォーマンスが発露される要因とは何か?
先週、急成長している
マネジメント コンサルティング ファームの
コーディアル社(本社:スウェーデン)の社長の
プレゼンテーションを目の当たりにする機会を得た。
最も印象的だったプレゼンテーションは、
「個人(組織)のパフォーマンスが発露される
ファクターとは何か」であった。
1)情熱 120%
2)創造性 100%
3)率先性 80%
4)知性 60%
5)勤勉さ 40%
6)従順さ 20%
その答えは上記だった。
個人(組織)が「情熱」に基づいて仕事に向かうと、
期待を超越した120%の能力が発露され、
個人(組織)が指示・命令への従順さに基づいて
仕事に相対すると、期待の20%しか結果が出ない
というふうに、私は理解した。
もちろん、
このことは社長、マネージャーを含む
あらゆる社員に当てはまるし、
その他の組織、チームにも
当てはまる法則だと思う。
肝に銘じて行きたい。
《教育とはなにか》
最近、さまざまな方々と
お会いしての話題が「教育問題」になることが
多くなっている。
話題になる「教育」とは、
1)家庭教育
2)学校教育(幼稚園、保育園~大学院)
3)民間教育(塾など)
4)企業内教育
のどれかだ。
それぞれに教育する側、される側
がある。
一番問題を抱えていないのは、
民間教育(塾など)で教育される立場の方だ。
不満があれば、講師や塾自体を変えれば
よいという、選択肢があるからだ。
しかし、その他の「教育」は
教育する側、される側とも、
そう簡単には変更できないので、
問題がより深刻に捉えられている。
話を進めて行って、
教育に問題を抱えている場合は、
「根本的な原因は何なんだろうね?」
と必ずなる。
企業人は、
大学教育が良くないから、
大学関係者は
高校教育が良くないから
となり.......ドンドンさかのぼって.....
幼稚園、保育園は母親が良くないから
となり、
母親に聞いてみると、
父親が悪いからという・笑
父親に聞いてみると学校や社会に原因があるという。
一体誰の責任やねん???となってしまう。
ここで、「三つ子の魂百まで」のことわざが浮かんだが、
それでも結局、
子どもが生誕してから3歳まで「責任を持って」
教育する人がいないといけない。
存外に長くなってきたので、続きは次回のDIARYで。
「社会起業家」とは
《この国の新しいかたちのために》
最近は日本にも社会起業家を志す人々が増えてきた。
私自身、社会起業家活動を本業として歩み始めている人たち
(とくに20代、30代)と出会う機会が増えてきた。
社会起業家の人たちにお会いしての
感想としては、
1)起業家精神が旺盛で、
仕事についての目的意識がはっきりしている
2)(大手)企業が新規参入に二の足を踏む、
行政が緊縮財政等のために提供しずらくなっている
商品・サービスを提供している。
3)たとえユーザーが少数に見えても、
ユーザーが助かる、求めている、
かゆいところに手が届く商品・サービス
を提供している。
が、挙げられる。
「社会起業家」は
欧米の先進国においては社会にとって欠かすことのできない
存在感をすでに示している。
「社会起業家」の増加は、
今後この国のかたちを変えていく可能性を
持っているといえよう。
追伸:
7月6日付けの日経夕刊の5P
に、「イノベーションby社会起業家」
という記事が掲載されています。
以前、取材を受けた私どもの幼児教室についても
言及されています。
もしよろしければ、ご覧になってください。
「憲法改正について」(Ⅱ)
<高校1年生のときのエピソード>
「日本国憲法は平和主義だ。
その第9条で戦争を放棄し、戦力はもたないとしている」
と、小学校6年の担任は言っていた。
その4年後の高校一年生のとき(1984年)、
ぼくは留学先のスリランカで
他の先進諸国からの集まってきた高校生留学生と
「自国に誇りをもてること」を発表しあっていた。
その際に、
ぼくは「日本国憲法の平和主義」を、
「誇り」というよりも、日本の大きな「特徴」
かと思って発表してみた。
そうすると、大半が失笑した。
「それは、日本の誇りとは言えないのではないか」と。
いわく、
日本が第二次世界大戦に敗戦したために
戦勝国によって新憲法で強調されたのが平和主義だ。
これは日本の誇りとは言えず、むしろ反対ではないか。
平和主義は、あくまでも「主義」(建前)なので、
他の先進国も謳っていることだ。
その後、欧州の留学生が、
近代欧州の戦争の史実について
滔々と話をしてくれた。
最後にリーダー格の英国人留学生が、
「憲法を日本の誇りだと発表するためには、
現在の憲法を日本の自主憲法に変える必要がある。
欧州の戦争の歴史から、そう思う。
その際には、日本は第二次大戦に惨敗はしたが、
ようやく自主憲法を制定するに至ったとして、
誇っても良いのではないか。」
ぼくは、納得し、肯くしかなかった。
「憲法改正について」
<小学校6年生のときのエピソード>
5月3日で
日本国憲法は施行から60年を迎えた。
憲法改正の議論が盛んになってきている。
さて、今からさかのぼること
27年前、ぼくは小6で社会科の授業を受けていた。
担任の教師が
「日本国憲法は平和主義だ。
その第9条で戦争を放棄し、戦力はもたないとしている。
すばらしい憲法だ。」
と言った。
ぼくが挙手して質問した。
「しかし、国を守るための武力をもった自衛隊がある。
これは憲法違反ではないか。」
すると、担任の顔は上気して、
「君は日本が戦争しても良いというのか。
太平洋戦争がどれだけ過酷な戦争だったか
体験していないから、そんなことが平気で言える」
と、返してきた。
社会科の授業は紛糾して終わった。
その次の社会科の授業も「憲法9条」について、
教師とぼくとのやり取り一色に染まって、
終わった。
その数日後、ぼくがある校則違反をした。
担任に別室に連れて行かれて、
思い切り殴られて、身体が本当に吹っ飛んだ。
いわゆる「別件逮捕」されたわけだが、
今では、昔は「ユニークな教師」
がいたことを懐かしく思う。
この経験から学んだことは、
「大人は平和主義者であっても暴力に訴える」
ことだ。この担任のような「国家」が世界には
数多く存在(潜在)し続けているので、
国家の防衛力は絶対に必要だという確信を持った。
<「若者はなぜ3年で辞めるのか」を読んで>
読後の感想はうれしい半分、悲しい半分だ。
うれしかったのは、33歳の若い著者(城繁幸さん)が、
このようなすばらしい内容を記したことだ。
この著者に触れて、「将来の日本に希望が持てるかもなあ」
と感じた読者は少なくないはずだ。
一方、悲しかったのは、年功序列の神話が崩れた後も、
中高年者が既存の年功序列組織を維持するために、
つまり限られた自分たちの人件費を維持するために、
「若者向けの総人件費の削減」を一貫して行ってきた
いう事実だ。
ちなみに、国連加盟国212カ国の中で、日本のように
年功序列組織を維持している国がどれだけあるだろうか。
そんな国は、思い当たらないが、あるとしても、
わずかなはずだ。
(ちなみに、自分が留学したスリランカの公務員は
年功序列とは無縁だった)
「実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな」
ということわざを大半の中高年は聞いたことがあるはずだ。
若者に操作主義で臨んではいけない。
このことわざを実行することこそが将来の日本の
ためになる。今がその時だ。
日本の将来を創る若者をこれ以上犠牲にしてはならない。
以上
職業人生の目的とは何か
前回は過去最多の50件のご感想などの
メールをいただきまして、大いに勇気付けられました。
ありがとうございました。
先々週から、何人かの旧友と「職業人生の目的とは何か」
について語る機会を得ました。
下記のことばが話題に上りました。
●「人生の幸福とは心が平静なことである。
他人から同感してもらえることは心の平静につながる」
(道徳感情論/アダム・スミス 談)
●「生活費と充実感を保証する仕事を持ち、且つ、信頼できる
小さな共同体を持っている状態」が、
今の日本の職業人の幸せの定義である(村上 龍 談)
●仕事に練達すると、損得、善悪の判断能力は上昇するが、
「好きか嫌いか」という感情表現の能力は反比例して低下する
(ある上場企業20代社長 談)
●業績の急上昇と反比例して、自分の幸せ感は急降下している
(ある上場企業30代社長の談)
●経営とは、「心」だ。
(企業を上場させた40代の方 談)
など、
さまざまな話をしましたが、
「職業人生の目的とは何か」
は、結局はっきりせずに、悶々としていました。
その後、久しぶりに内村鑑三氏の
著作を自宅で手に取り、読みました。
おかげで、職業人生の目的が氷解しました。
その著作には、
個々の「勇ましい高尚なる生涯」は、
「後世への最大の遺物」である、とあります。
個々の「勇ましい高尚なる職業人生」
は、「後世への最大の遺物になる」と、
言い換えました。
つまり、職業人生の目的は、
後世への最大の遺物を遺すこと。
そのためには、「勇ましい高尚なる職業人生」
を送ることなのだと、氷解したのです。
追伸:
「職業人生」について平等なのは時間です。
働き続ける期間が30年間とすると、
そのうち10年間(少なくとも)という厖大な時間を
仕事だけのために我々は費やします。
(残りの20年間という時間は、睡眠、食事、入浴、
通勤、趣味、その他で、いやおうなく費やされます)
以上
自分のことを自分で決めること
1984年、高校1年生のときに海外留学した。
そのとき、最もショッキングなことの一つだったことは
「世界中の高校留学生の中で日本人が
最も幼稚だった」ことだった。
「あなたは将来どういう職業に就きたいか、どういう人物になりたいか
について話してください」、
「あなたの家族、学校、国家の誇れる点について話してください」
などの質問をされると、まず他の日本人の顔を見て、にやにやと笑う。
その後、「分からない」、「考えたことがない」
などと、あいまいに済ませたのは日本人だけだった。
日本人以外のすべての留学生は、
荒削りながらも、自分の考え真摯に述べた。
この敗北に近い経験が今でも残っている。
1987年に大学に入学した。なぜ日本人だけまともに
答えることができなかったのかが、常に気がかりだった。
他国と比較して、少なくとも日本の教育(環境)に
その主因があることだけは分かっていた。
その後、20年が経った。
最近、大学生の高校留学経験者に出会った。
「最近の日本人留学生はどうか」と聞いてみた。
大同小異らしい。
「将来なりたい職業はとくにない」と答えた
「大学生」の留学生もいたらしい。
また最近、戦前の旧制高校に通っていた
人物にも面会した。
戦前の17歳はどのようでしたかと質問した。
旧制高校では、
「自分の人生において何をなすか。
そのために、何を得意分野として将来の職業とするか」
を全生徒が真剣に思索し、一定の結論を出した、
とおっしゃる。また、旧制高校で志した職業に
実際に就いた同級生が多かったという。
また、彼は付け加えた。
「当時と戦後との違いは、自国の外交、防衛、金融などの
重要事項を、戦前は自国主導で決めたが、戦後は
他国主導で決まることにある。
この依存状態が続く限り、自国の学生は
戦前のような自立心は持てないかもしれない」
説得力があった。
しかし、もしそうであっても、次世代を担う子どもたちへの教育は
自国主導でしっかりと立て直すことが、
今の大人の責務だと強く思った。