「質か量か」
小泉改革が始まった頃からか、大企業も霞ヶ関も「質より量」
という姿勢が一層顕著になってきた。
その原因は世界の経済、政治の潮流にある。
たとえば、欧米の企業は合併して生き残りを画策し、
欧州の国々は通貨統合することで相乗効果を狙った。
一方、ここで立ち止まって考えてみると、世界のマーケットで
評価される日本製品はその高品質が原因だし、海外から
増加している観光客は日本のユニークな文化に魅かれて
来日している。
また、日本国内に目を転じると、日本の消費者は世界でも
まれに見る商品に「質を重視する」消費者といえよう。
卑近な例でいうと、スーパーマーケットの食品コーナーで、
できるだけ製造年月日が近い、フレッシュな商品を購入する
ことに執心するのは世界でも日本だけだと、関係者から
先日伺った。
商品群の奥や下方にわざわざ手を伸ばして、その商品を
カゴに入れることは日本では日常だ。
日本車は海外でよく売れているが、今はすべての国において、
同クラスで最低価格の自動車は他国製の自動車だ。
海外でよく売れている日本車の大半は高級仕様だからではなく、
高品質な実質を理由に売れている。
日本人は、古来、生産者も消費者も製品の質を重視する
性質がある。
「質より量」は確かに世界の潮流かも知れないが、
日本人は、本来得意な「量より質」の姿勢に立ち戻った方が
その特性を活かすことができ、国内、世界の消費者にも一層
支持されていくと思う。
『政治は経済に影響する』
今月は学校向け教材販売会社を
仕事柄、訪問している。
3月28日(金)の訪問先で、気になることを伺った。
「国会議員のおかげで、たいへんだ。
来年度の国家予算が確定していないため、
自治体の教育予算ですら、未だにはっきりさせていない。
小学校ごとの教材の購買額ですら未定の状況だ。
とにかく、困っている」
一事が万事で、
この影響が全国の隅々まで及んでいることは
想像に難くない。来年度の日本のGNPを押し下げることに
つながる。
そして、給与総額の減少にもつながっていってしまうと、
国民生活にまさにマイナスの影響を与える。
確かに、衆参の与党が異なっていることに
原因はあろう。加えて、2大政党の両党首が
そう長く続投しない前提で、
国政を進めていることにも混乱の一因があると思う。
私見では、
大政党の党首はせめて4年のスパンで
国政に当たるべきで、
世界の先進大国で短期間で代わっているのは
日本とイタリアだけで、両国とも比較的不景気だ。
次期衆議院選挙の前後に政界再編を望む。
再編後は、2大政党はそれぞれの党首を
4年以上国政に邁進できる人物を選ぶことを望む。
次期党首には
1)健康状態が良いこと、
2)年齢的には40代か50代、
3)就任後10年間は、職責に人生のすべてを捧げる
意欲と体力に自信があること
を、ぼくは望む。
この国がこのまま世界を漂流することは
避けなければならない。
『起業家精神』
今回で100回目のDIARYになった。
第一回は、04年09月に
「失敗を大いに歓迎する」というテーマで配信し、
4年半かかって、100回目に達した。
自分が中学生のとき(1983年)に、
ノーベル賞候補に上がったこともある
哲人との一対一の議論に恵まれた。
曰く、
「今、この国には真のエリートが生まれない。
これからも生まれないかもしれない。
なぜかわかりますか」から話が始まり、
話は計5時間に及んだ。
「その原因は子ども時代からの入学試験にある。
最高学府の入学試験ですら、時間内に、易しい問題から順に
解いていって、8割正解して合格することが合格のテクニック
であると聞く。
この方式を続けていくと、真のエリートは出てこない。」
「なぜならば、彼らは易しい問題から順に解いていく
習慣がついてしまい、残り2割に向かうことは能率的ではない
という観念が同時についてしまうからだ。」
「真のエリートは、問題の8割は努力、トレーニング次第で
解ける世界なので、残り2割の難問を解くことに集中することに
意義を見出す。
今の日本からは戦前にはいた国際的エリートは出ないだろう。」
「この国が難問に直面したとき、その習慣がついた人たちには、
ただ躊躇し、適切に対応できない結果に終わる。」
彼の真剣な訴えから25年が経った。
そして今、この国は難問ではあるが、解く必要がある切実な
問題に囲まれている。
勇気を持って問題に直面し、
解いていくことに尽力する人材は
「難しい問題から解いていく」人材なのだと思う。
そうなれば、この国は再生などではなく新生し、
陽転すると思う。
まさに、「起業家精神」が今求められている。
『子ども向け食育と経済教育 』
食育基本法(2005年7月施行)や「食育推進基本計画」
(2006年3月決定)により、国、地方公共団体や教育関係者が
子ども向け食育を重視し、さまざまな取り組みを行っている。
自身が力点を置いてきた「子ども向け経済教育」と同様に、
「子ども向け食育」も誰にとっても生涯役に立つ学習分野なので、
賛意を示したい。
法制化後、子ども向け経済教育と食育の両方とも、
企業のCSR(社会的責任)活動としても流行し始めたので、
これも喜んでいる。
しかし、この流行に対して、企業の食育活動に教育的観点から反発するコメントを最近散見するようになった。
企業が食育をテーマに教育現場に入ってくることに対して、
一部の教育者や一部の親が抵抗感を示している。
その抵抗感の根源は
「食育といえども企業が教育現場に来るべきではない」
という考え方が潜んでいると思われる。
また、企業の子ども向け食育CSR活動を批判している
農業団体関係者も散見されるが、
これらには組織の存在意義を温存したい意向が感じられる。
日本は、民主主義、自由主義や資本主義を標榜している。
食育の分野にもそれらの主義が入り込んでくることは避けられない。
もしどうしても避けたいのであれば、食育CSR活動を批判するより、
公的活動への一層の税金投入か、もう一歩踏み込んだ
法制化のための運動に力を入れることが一義的だと考える。
個人が自律した判断をする社会を目指して、
公的活動補完する企業の子ども向け食育CSR活動を、
ぼくは歓迎する。
【日本の教育システムについて】
『何のために学ぶのか』
「唯一解を見出す情報処理能力」の
価値は著しく低下しているのが先進諸国の現実になっている。
その現実にしたがって、OECDの学習到達度を測るための
試験内容が激変したことが主因で、日本のランキングは
低下していることを申し上げたかった。
では、どう解決したらよいか?
欧米には必死で勉強しないと卒業できない大学が多い。
同年代の現地の卒業生10名にもヒアリングしてみた。
「大学時代は40年の人生で最も睡眠時間が少なかった時期だった。
落第する学生はたいへん多い。そのため、円滑に転学、学部変更、退学、ができるシステムが充実している」と、異口同音に言った。
このシステムを日本に取り入れたらどうか。
奇しくも、日本の社会人の転職市場の流動性あるシステムに
そっくりでもある。
では、卒業の栄誉を獲得するためにはどんな能力が必要
だったのか。
順位をつけてもらった。
「体力」、「あきらめない根性・熱意」、「構想力」「創造力」が
上位で、「知識量」は最下位だった。
奇しくも、日本の今の雇用市場が人材に求める能力に似ている。
「日本の大学卒業を、ものすごく厳しくする」
ことに、課題解決の活路があるのではないか。
「いい学校」に入るためにだけ勉強を
子どもたちにさせるのはもうおわり。
将来、「いい仕事」ができるために卒業を難しくしよう!
完
日本の教育システムについて】
NHKの「クローズアップ現代」、ヨーロッパからの“新しい風”
「教育で国の未来を切り開け」を観た。
欧州各国はグローバル競争社会で通用する人材をどう育てるかという
課題に「教育」という戦略で立ち向かってきた。
「2010年までにEUを世界で最もダイナミックで競争力のある
"知識基盤経済"にする」というビジョンの元、欧州各国は
独自の教育改革を競ってきた。
その成果もあって、欧州各国は一足早く安定成長時代に突入
している。
中でもフィンランドは、新しい産業を担う人材を育成するため
「考える力」を重視する教育を実践して、OECDのPISA
(学習到達度調査)で"学力世界一"を続けている。
「唯一解を見出す情報処理能力」を学力の重要な指標に
していてはもう古いのだ。
OECDの教育局指標分析課長へのインタビューは
たいへん印象的だった。
以下に紹介したい。
現在、教育システムが機能している国の共通点は、
1)生徒にどのような能力を身につけさせたらよいのか、
ビジョンや目標が明確に定まっている。
そして、教師はどんな知識を教えるのかではなく
子どもたちの人生をどう導くのかを大切にしている。
さらに、教師だけに任せるのではなく、
行政が支援していく体制ができている。
2)教育の権限と責任が学校現場に移されていること。
学校現場はさまざまな教育の責務を担っていて、
その結果を引き受ける。
行政の介入は、学校現場で何か大きな問題が起こった
ときのみでよい。
行政は、学校の自主性を尊重し、支援していくスタンスが大切。
3)子どもたちが進みたい将来に対して、門戸が開かれていること。
個々に合わせた支援体制が整っていること。
コラボレーションとイノベーションがEUの教育改革のキーワードだ。
PISAの学力調査で好成績を収めた国はいずれも上記の
条件を満たしているのが特徴だ。
引き続き、日本の課題とその解決策を考えて行きたい。
『何のために学ぶのか』
【日本の教育システムについて】
英国では小学校1年生(5歳)から起業・経営教育プログラムが
実施されているという情報を得て、ぼくが渡英したのは、
約10年前になる。
見学したモデル校で最も衝撃を受けたのは、最高学年の
6年生が学校運営業務の多くを、「実際に」任せられていた
ことだった。
近年、経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)
で世界一位の成績を続けているフィンランドは
日本を含めた世界の関係者の視察ラッシュを受けている。
視察した日本の関係者は異口同音に、
「フィンランドは日本の価値観からすると教育熱心な国ではない」
という。
フィンランドには、日本にあるような塾や予備校はない。
高校進学は中学卒業時の成績で決まり、卒業時の成績が不十分
自分が判断すれば、もう一年間に中学へ通うことも可能だと聞いた。
そう選択しても、「落ちこぼれ」と言われるどころか、
むしろ「長い期間、勉強することを選択した」と肯定的に捉えられる
という。
日本の受験競争とは無縁の学習環境がある。
昔、日本や韓国が高得点をあげていた従来のPISAは詰め込まれた知識量を計測するものだったが、世界の時流の変化にしたがって
見直されて、生涯学習していく能力を身につけているかどうかを
測る指標としての新生PISAが始まっている。
引き続き、
日本の課題とその解決策を考えて行きたい。
『世界最高の親日国』
前号では、日本が歴史上、最も影響を受けてきた
「外国」は中国。将来、そう回帰していく時代が
到来するかもしれないと記した。
ところで今、来る台湾の総統選挙(3月22日投票)
の結果がアジア地域では、たいへん注目されている
(日本国内における報道は少ないが)。
台湾独立派・親日派の民進党・謝長廷氏と
親中国の国民党・馬英九氏の一騎打ちだ。
直近の総選挙で国民党が大勝したので、
馬英九氏が勝利して総統に就任するという
予想が大半となっている。
一方で、下記の現地における日本語ブームに注目したい。
【台湾で空前の日本語ブーム=高校学習者は2万人突破】
《時事通信1月4日付記事より引用》
台湾で日本語学習が空前のブームとなっている。
昨年12月2日に実施された2007年日本語能力試験の
受験者数は過去最高を更新。
高校の第2外国語で日本語を学ぶ生徒は2万人を超えた。
もともと親日的な土壌がある上、アニメやTVドラマなど日本発の
ポップカルチャーの流行がブームを後押ししている。
日本語能力試験を実施する日本交流協会台北事務所によると、
台湾の07年の受験者数は過去最高だった06年を約6000人
上回る5万5776人。受験者数はこの10年で約4.7倍に伸び、
人口比では数年前から世界トップの座を維持している。
高校で第2外国語として日本語を選ぶ生徒も急増。
07年は前年比18%増の2万4233人に達し、
2番人気のフランス語3675人を大きく引き離した。
世界における日本の影響力急落の中、
最高の親日国台湾の存在が、率直にうれしい。
台湾の総統選挙の結果が気になる。
『最も近い「外国」とは.....』
中国から輸入された冷凍ギョーザによる
中毒問題が今トップニュースになっている。
中国が日本人にとって、「遠い国」になって
しまいそうな勢いだ。
さて、今回は、TVの歴史番組のプロデューサーと
先週議論になった、日本にとって最も近い「外国」とは、
というテーマで記してみる。
日本は極東の島国である。
北側には寒冷地、東側と南側は果てしない海なので、
外国といえば、聖徳太子のころ以来一千年以上、
西側にある中国であった。
日本がこれまで最も影響を受けてきた「外国」は
中国であるといえる。
江戸末期に欧米から来た外国人を「唐人」(中国人の意味)と
呼んだことからもわかる。
日本は62年前に連合国に敗戦した。
その時から、日本にとっての「外国」は、
遥かかなたの米国に変わった。
米国が単独で日本を占領下においた。
その後、サンフランシスコ会議で、日本は沖縄を除いて、
米国の占領からは解かれたものの、
現在も米国の軍事施設(135施設)が日本に駐留している。
この事実が日本にとっての「戦後」が終わっていないことを
最も示していると、ぼくは思う。
第二次大戦の敵同士だったドイツとロシアなどは、
すでに戦略的対話を完結させ、「戦後」を事実上終結させた。
日本にとって本当の意味で「戦後」が終わるときは、
自国内に外国の軍事基地が存在しない普通の国に
なったときだと思う。
その時、
日本にとっての「外国」は中国に回帰している可能性が高い。
『日本の国際社会への対応は15年遅れるのか』
「日本には改革が必要だ」と毎日メディアで報道されている。
その他の先進国と比較して改革のスピードが遅れているために、
日本国民にとっての不利益が多々現出している。
1989年に冷戦が終結した。
冷戦とは、第2次世界大戦直後から続いた
米国とソ連の一触即発の対立・緊張関係のことを指し、
ベルリンの壁崩壊に象徴される東ヨーロッパ諸国の社会主義政権崩壊が起こった。
ここで、1991年に出されたキッシンジャー
(元米国国務長官)の印象的なコメントを思い出した。
「日本という国は、何をするにもすぐには決められず、時間が15年はかかる。
だから、もう15年経たないと冷戦後の世界に対応できない。」
「江戸末期に黒船来航し、新時代の到来が自明なのに、
日本人は勤皇だ倒幕だと明治維新までに15年もかかった。
1945年に米国との戦争に負けて、米国の同盟国になることが自明なのに1960年安保成立まで結局15年かかった。
だから、日本が冷戦の現実を受け入れて対応できるようになるのは
15年後の2006年頃になる。」 というコメントだ。
今は2008年だが、日本は依然として「冷戦後」に対応できてないのではないか。
この国の政治は、冷戦後の国際社会に対応するための
路線転換に関しての議論を真剣にしてこなかった。
その議論がないままに、国内政治に汲々として時間が過ぎてしまった。
日本とその他の先進国との決定的な違いは、
思い出してみると、冷戦後に対応できたか否かだと今痛感する。
明治維新の立役者のように、「日本人離れした」議論と
行動が今必要だ。
その後に、「日本の良さ」を国際社会で復活させるためにも。