僧医として生きる

何の雑誌か忘れたが、対本氏のインタビュー記事が掲載されていて、私は目を奪われた。

対本氏の問題意識の高さ、そして実際、宗教家として管長・師家という高い地位にありながら、

その地位を投げ打って医学部に入り医療の道をも本格的に究めようとする姿勢に感銘を受けた。

対本氏は何故彼の言うところの僧医を目指そうとしたのか?

どうしてもそれが知りたいと思い、雑誌に紹介されていた本書を手に取ったのである。

読んで分かったのだが、本書は第二段であり、

私が一番知りたかったことは前作「禅僧が医師をめざす理由」に詳しいらしい。

そのため内容的には少し物足りなく感じた。

だが、もちろん本書にも気になる箇所はいくつかあり、

特に若い禅僧への講演の内容を収録した部分が素晴らしい内容であった。

これを読んでますます「禅僧が医師をめざす理由」を読みたくなった。


古人の教えを探求することはもちろん大切なことですし、必要なことでもありましょうが、

私たちはあくまでも現代に特有な(いま・ここ)という環境に生きているわけですから、

宗門人として経典祖録をベースにしつつも、やはり自分の目で見、耳で聞き、自分の頭で考えて、

自分の力で行動しなければなりません。



説くことはいくらでも説けますし、いかようにでも説けます。

書くことだっていかようにでも書ける。

しかし現実を変える力というものは、むろん説くことにも書くことにも役割はありますが、

やはり自ら現場に立ち、相手に交わって行動することから生まれます。

クライマーズ・ハイ


1985年、群馬県御巣鷹山で起きた日航機墜落事故をめぐって翻弄される

地元の新聞記者たちの姿を描く社会派ドラマ。

原作は読んだことはないのだが、本作を見ていて最も印象に残ったのは、

事故原因に関するスクープを掴みながら、最終的に記事にしなかった部分だ。

結局、そのスクープはその後、別の全国紙が記事にしてしまう。

悠木(堤真一)は何故記事にすることを土壇場でためらったのか、

多くの視聴者が疑問に思うに違いない。

彼が臆病だったからなのだろうか?そうではないはずだ。

決断の瞬間、彼の脳裏には多くの遺族の顔が浮かんでいたのではないだろうか。

どんな小さな情報でもと、それこそ祈るような気持ちで待っている読者に対して、

不誠実な仕事ができないという思いが、記事にすることを思いとどまらせたのではないか。

どんな時も、熱狂や独りよがりの高揚感に支配されてはならないということを、

自分たちが為すことのその先にあるものに思いを馳せるということを、

この物語は教えてくれる。



副題-初心者からプロまで役立つノンフィクション入門-の通り、

ノンフィクションとは何かについて、佐野氏が自身の仕事を振り返りながら

解説するという内容の本である。

私は、ノンフィクションというジャンルが好きでこれまで何冊も読んできたが、

実際、本書にもあるとおりノンフィクションなんてやっても全くお金にならないだろう。

しかし、いいノンフィクション作品は時間をかけて作られたものだけだ。

先日の現代 休刊などノンフィクションには逆風が吹いている。

しかし、携わる人たちには刹那的な興味本位のスキャンダルではなく、

きちんとした取材に裏づけられた良質な作品を生み出して欲しいと思う。


どんな小さな違和感を感じたときでも、それに異議申し立てをする柔軟な精神を持ち続けることである。 

第8回大佛次郎論壇賞が湯浅誠氏の「反貧困-『すべり台社会』からの脱出」 に決まった。

それを受けて昨日(17日)の新聞に湯浅氏が「大佛次郎論壇賞を受賞して

―政治の監視、市民の責任」という文章を寄せている。

非常にいい文章でぜひ一人でも多くの人に読んで欲しいと思う。

朝日新聞のサイト上でも読めるのだろうか?私は見つけることができなかった。

全文を引用することはできないが、最後の「主権は民にある」の部分を引用しておきたい。


結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う。

自らの責任を棚上げしたところでの自己責任論や、

情報公開なき財政危機論で黙らせられる、と見くびられてきた。

私たちに責任があるとしたら、そこにこそ責任がある。

私たちは、どんな悪政にも黙って付き従う羊の群れではない、と示さなければならない。

政権を担う人たちには、私たちを恐れてもらわなければならない。

そのとき初めて社会は健全となり、悪化し続けてきた世の中に、

折り返し点がもたらされるだろう。主権は民に在る。

私たちはもう一度、その原点を思い起こすべきだ。


月刊 現代 2009年 01月号 [雑誌]


月刊現代が休刊するということで、毎月読んでいるわけではなかったが、最終号を購入してみた。

分厚かったのでまだ半分くらししか読んでないが、読みごたえのある記事が多くて、

休刊は非常に残念だと思う。

田原総一朗氏も寄稿していて、この人のことはあまり好きではないのだが、

右系雑誌と比べて、『月刊現代』『論座』のほうが、明らかに少数派になっていると指摘しており、

なるほどなあと感心した。

毎度毎度、お前は辺見庸ばかりだと言われそうだが、

彼の連載「潜思録」から次の一文を引用しておきたい。


 いまは権力の弾圧などいささかもないのに、

伝統ある各雑誌がただに売れないからといって版元みずからあっさり休刊、廃刊をきめる。

とくだんの”たたかい”も苦悩もなさそうである。

 さばれ、売れればそれでよいのか。

いうもおろか、読者諸氏の眼をゆめあなどってはいけない。

いったい、なんのかんばせあっての出版か。

なんの面目ありてか読者にまみえん。



辺見氏はいつも厳しい。彼の言葉は権力者だけに向けられたものではない。

彼は我々全てに問いかける。彼の言葉は我々に単なる傍観者であることを許さない。

私たち一人一人が当事者として引きずり出されるのである。

しかし、だからこそ彼の言葉は我々の心に突き刺さるのかもしれない。

辺見氏は本書の中で何度も「スパルタクスはどいつだ?」という問いを発する。

無知な私にはその意味が分からない。

その意味は最後に明かされる。その部分を引用したいと思う。



「スパルタクスはどいつだ?」と問われたとき、剣闘士・奴隷たちはどうこたえたか。

スパルタクスの伝説は一九六〇年にカーク・ダグラス主演、

スタンリー・キューブリック監督で映画化されています。

私は若い頃に見て心を動かされました。

いま見ると非常に単純だと思われるかもしれません。

でも、その単純な映画がハリウッドでは長い間お蔵に入っていた。

なぜなら「アカがつくった」と危険視されていたからです。

私は今でもそのシーンを鮮明に憶えています。

「スパルタクスはどいつだ?」と問われたとき、剣闘士・奴隷たちはこうこたえました。

「私がスパルタクスです」

黙秘するのではなく、また、問われる前に注進にいくのとはまったく異なる精神がここにある。

個を発現していく。個を突出させていく。個が名乗りをあげる。そのありようを私はかたりたい。

長い時間、二千年以上の歴史の彼方にこのような個の芽生えがあったのです。

それを誇りにしてきたものと、誇りにしてこなかったもの。

私たちは個をできるだけすり減らして生き、沈黙することがせいぜいの良心だったのです。



沈黙しているだけでは声の大きな者にはかなわない。

沈黙の先へと一歩を踏み出せるか?辺見氏の問いかけは深く重い。

殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」 / 藤井誠二/著

藤井氏はまえがきにおいて、長きにわたりマスコミでは加害者の代弁者は多くいたが、

被害者の声を伝えることは敬遠されてきたと述べている。

だから自分は被害者の側に寄り添うんだということだろうと思うが、

ジャーナリストとしてはずるい仕事の仕方だと思う。

被害者の声で心を動かされない人はいない。

そういう意味で被害者の声を集めるのは非常に楽な仕事だと思う。

しかし、必要な仕事であることは間違いない。だからこそ、私も本書を手に取った。

本書を読んで率直に思ったのは、

あとほんの少し一人ひとりの人間が人として当たり前の優しさを持ち合わせていたならば、

こんなにも悲しい悲惨な事件は起こらなかったのではないかということだ。

第7章で犯罪被害者に必要な支援について触れているが、

ここで触れられているような支援がさらに拡充していくことが重要だと思う。

最後に、本書もそうだし、最近のマスコミ報道においても顕著だが、

近年、加害者側弁護士への敵意が世の中に溢れている。

しかし、私はそれは違うと思う。

確かに、本書にもあるとおり、本村氏の側に立てば安田弁護士ら被告側弁護人のしていることは、

極悪非道な非人間的な行為だろうし、死刑廃止という活動のために事件を歪めていると映る。

しかし、それは一方的な見方だ。だから複数の視点が必要なのだ。

私が藤井氏に全面的には賛同できないのは、被害者の視点の重要性を訴える彼の主張が、

どちらの側に立つべきかという単純な二者択一の思考に収斂してしまっているからだ。

彼のしていることは逆の立場とはいえ彼が嫌う「マスコミの思考停止」と同じになってはいないだろうか?


25日に辺見庸さんの講演を聴きに行ってきた。

内容についてはこちら を参照して頂きたいのだが、

講演で触れられた書物について紹介しておきたい。


カフカ 「審判」 得体の知れない不安。ヨーゼフKは秋葉原事件のKにも重なる。

レジスドブレのメディア論 メディア功罪とくに罪について明確に言い当てている。

マルクス 「経済学・哲学草稿」 こんな一節があるそうな「労働者は商品を作れば作るほど、

                            それだけますます彼は安価な商品となる」

       「資本論」 資本は労働力の寿命を問題にしない。

ジョーゼフ・ヘラー「キャッチ22」 不条理。やろうとしていることがやりたいことの妨げになる。

小林多喜二「蟹工船」 現代の蟹工船ブーム→そこに思想はない。売れるからセールをする

ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」 日本人の自画像。


他にも詩や発言の引用がいくつかあったが、とりあえず。

私は、手始めに「敗北を抱きしめて」を読んでみようと思う。

ブクログ というサービスを利用して本棚 を作成しました。

私がお勧めする五つ☆の作品を紹介していきたいと思います。

交響曲第一番 / 佐村河内守/著


本書の編集者は佐村河内氏に「あなたには、音楽以外にも伝えるべきものがある」と言ったという。

本書を読んでその言葉に納得した。読んでいて何度も目頭が熱くなった。

佐村河内氏の半生を言葉にするとしたら、壮絶という一言に尽きる。

彼は被爆二世として生まれ、高校時代からすさまじい偏頭痛に襲われ、

20代で聴覚異常を発症し、35歳のときに一切の聴覚を失い全聾になり、

現在も頭鳴症や耳鳴り神経症に苦しんでいる。

それでも彼が生き続けていられるのは、音楽だけは決して手放さなかったからだろう。

「人は闇に堕ちて初めて、小さな光に気づく」という彼の言葉は、

その表現自体は使い古されたものではあっても、

彼から発せられることにより、新たな命を吹き込まれたような気がする。