第140回直木賞受賞作。
信長から秀吉へと引き継がれながら武力での全国統一が成し遂げられた時代に、
美意識のみで秀吉らに対峙した類まれな茶人である利休の物語はどれも面白い。
そして、そんな利休の美意識の根底に何があるのかを明らかにしようとする試みには大変魅力がある。
ただ、その美意識の根底にあるものに説得力を持たせるためには、
時系列を逆にする必要があったことは理解できるが、
そのために各章の物語が切断され若干ばらばらになってしまっているのは残念な気がした。
第140回直木賞受賞作。
信長から秀吉へと引き継がれながら武力での全国統一が成し遂げられた時代に、
美意識のみで秀吉らに対峙した類まれな茶人である利休の物語はどれも面白い。
そして、そんな利休の美意識の根底に何があるのかを明らかにしようとする試みには大変魅力がある。
ただ、その美意識の根底にあるものに説得力を持たせるためには、
時系列を逆にする必要があったことは理解できるが、
そのために各章の物語が切断され若干ばらばらになってしまっているのは残念な気がした。
ある月刊誌に掲載されたノンフィクション作家足立氏と8名の角界の”悪党”との対談の書籍化。
8名の人選(保阪正康、内田樹、佐藤優、森達也、島田裕巳、田中森一、溝口敦、重松清)を見てみると、
一匹狼というか群れることを嫌い、自らの信じる道を突き進んでいる人物が多い。
足立氏本人の言葉を借りるなら「みんな一人ずつ孤独である、けれども踏みとどまってやっているという共通項」
ということになるのだろう。
何か特定のことへのインタビューではないので、自然と質問はその人の人となり、
家族であったり、親のことへも及んでいる。
保阪氏が天皇は必ず先帝を否定すると述べているのだが、
それぞれのインタビューを読んでいても父親との関係というものは興味深い。
だいたい父親との関係は反発か、従属のどちらかに大別されるのではないかと思う。
従属の方は程度の差があり、一律に扱うのに若干の抵抗もあるが、
男子にとって幼少期から青年期の父親との距離感というものが、
その後の人生に大きな影響を与えるのは間違いないと思う。
今後8人の著作に触れる際に、そういえばこんな感じの人だったなと、
思い出すのにはいい本だったのではないかと思う。
第140回直木賞受賞作。
坂築静人は新聞、雑誌などで報道された全国の死者を訪ね歩き、
彼の言うところの<悼む>という行為を続けている。
雑誌記者や、殺人を犯した女性など様々な人が彼の奇妙な行動に引き寄せられていく。
そして、いつしか彼は人々から<悼む人>と呼ばれるようになる。
悼むとは何なのか?何故彼は悼むという行為を続けているのか?
物語は多くの人を巻き込みながら核心へと近づいていく。
直木賞の選者の多くは、小説の役割の一つ娯楽という面では、
この作品をあまり評価していない。
しかし、それでもこの作品を選んだのは、テーマであったり、作者の姿勢など、
作品の力が選ばざる得ない状況を作りだしたからであろう。
かなり長い作品だが、私も最後までほとんど休みなく読みきった。
メッセージ性の高い作品であり、作者の願いが強く伝わってきた。
<悼む人>は自分の行動を言葉で説明できる人間だ。
読者も共感するかは別にして彼の行動を理解できる。
<悼む人>は神でもなければ、聖者でもない。
天童氏は<悼む人>を我々と同じ普通の人間として描いている。
<悼む人>を無垢な人として描かなかったところに作者の願いがあるのではないか。
たぶん無垢な人として描いたほうが作品としては面白かったに違いない。
しかし、そうしなかったのは天童氏が現代にまだ希望を持っていることの表明のような気がする。
シングルマザーのアンジーはセクハラに抗議し会社をクビになり、
友人と一緒に自ら外国人向けの人材派遣会社を経営しようと決意する。
事業は順調に拡大していくのだか、それにともない賃金未払いなどのトラブルも続発することになる。
そして、ついには…・・・・・
この映画に本当の悪人は出てこない。
搾取する側と収奪される側は紙一重だ。
貧しい者、弱い者が、さらに貧しく弱い者を犠牲にして生き残る。
仕事を続けるため不法滞在の外国人を無理やり追い出し、
そのことで友人にも愛想をつかされ、
そうまでして金を手に入れても彼女が幸せになったという描写は物語のどこにも出てきはしない。
行き過ぎた自由主義経済の末路がそこにある。
何のため、誰のための自由な世界なのか?
そう問いかけられているような気がした。
” 「派遣世代」の新しい文学誕生” というフレーズを新聞広告で見た。
確かに契約社員を主人公にした話なのだが、
何とも表層的な打ち出し方のような気もする。
本作は、ナガセという派遣社員とその周辺の人々の日常を切り取り、
そこにある現在というものを浮かび上がらせている。
働くことがイコール生き延びることになってしまう派遣・契約という生き方の中で、
例えば刺青を彫ることであったり、世界一周クルーズの費用を貯めるためといった風な、
意識をある種の現実からの逃避へと向けていくのは必然ともいえる。
一方、家庭内の夫との不和などより切実な問題を抱える者にはその余裕もない。
そんな救いのあまりない物語を、暗くならず、明るいと言い切ってしまうのは憚られるが、
絶望せずに読ませるのは本作に力があることの証明なのかもしれない。
しかし、残念ながらつまらないのである。しかし、それは作者の責任というよりも、
本作の登場人物のような人間を大量に生み出している社会の責任かもしれない。
広島ファンにとって前田とは特別な存在であり、誇りだと思う。
だから、前田の本が出たことは嬉しいが、
内容は本人への独自のインタビューさえなく、
球場にも行っているだろうが、テレビ観戦をもとに書いたようなものであり、
前田選手に迫ったノンフィクションとはとても言えない。
単なるファンの感想文になってしまっている。
あげくに尺が足りなかったのか、カープの他の選手の話ならまだしも、
甲子園の話題まで盛り込んでいるところに素材の少なさが現れている。
広島の街でありそうでなかったもの。
それは、前田智徳のCM出演、バラエティ番組への出演。
そして、なさそうであったもの。
それは、彼の少年野球の指導、ファンサービスのサイン会。
大都会パリに住む幾人かの男と女の現在をきりとった作品。
そこには近代化と伝統の間で揺れるパリの今があり、ありふれた男女の日々の営みがある。
作中で表現されるのは都市に住む者たちの孤独である。
かつてダンサーをしていた主人公は心臓病で余命宣告を受け死の恐怖と孤独と闘っている。
しかし孤独は一見満ち足りていそうな人々をも襲う。
子供がいる人も、立派な職業についてる人もこの街に住むものは皆、孤独の陰に怯えている。
そしてこの映画ではもっぱら男女の性的交わりだけがそれを一時的に癒やす方法なのである。
これはパリ特有の現象なのか?
そうば言えばニューヨークには「SEX AND THE CITY」 という映画があったっけ。
では東京はどうなんだろうか?
都市には生活の実感がない。
だからそこに住む人々は逆にまるで獣のようにお互いの肉体を求め合うのかもしれない。
まるでそこにしか自らの存在を証明するすべがないかのように。
臨済宗14派の一つ佛通寺派の管長まで務めた、
対本氏が結果的にその職を辞すことになっても、
医学部受験をし、医師を目指した理由を綴っている。
そこには、生老病死の専門家である僧侶が病に苦しみ、
死を恐れる人々の本当の意味での救いになりえていないことへの苦悩から、
医師の道を志たことがよく分かる。
そしてそこには若き日の父親の死が少なからず影響を与えていることが分かる。
思うことも大事だが、そこまでの人はたくさんいるだろう。
実際、今日の宗教のあり方に疑問を持っている僧侶の方も多いだろう。
しかし、実際にそれを実行に移す人がどれだけいるだろうか?
そこに対本氏の凄みがある。
いまどき下手な葬儀なら葬祭業者だって坊さんの代わりまでやってのける時代である。
僧侶の本来の役割はあくまでも生老病死の現場にこそあるはずなのだ。
ただし死とはいっても亡骸相手ではない。
死というプロセスの上で苦しんでいる生きた人に対して、どう安心を与えてゆくかがつとめであろう。
だから僧侶も、もっとさまざまな現場に出て現実に直面し、
人々とともに大いに苦悩しなければならない。
苦悩のないところにはいかなる光明も生まれないはずだから。
遠くまで声を届かせるためには、できるだけ高所に立って叫ばねばならない。
あるいは強いて声を上げなくとも、峠の灯火ならば多くの人の目に至り、
人々はその光を目指して暗夜の山徑を登ってくる。
若輩ながら仏縁あって就いたポストである。
せっかくの立場を生かすべきことを考えれば、
両道を掛けていると受け取られようが批判は甘受しよう。
こういう信念のもとに私は敢えて二股を掛ける道を選んだ。
赤塚不二夫と7人の天才たちとの対談集。
タモリ、柳美里、立川談志、北野武、ダニエル・カール、荒木経惟、松本人志、赤塚版「7人の侍」。
この対談集を読むと、赤塚さんが誰もやっていない面白いことをするために、
人生の全てをかけて挑んでいるのがよく分かる。とても真似できそうにない。
彼のような人こそを天才と呼ぶのだろうと思う。
対談中にたびたび出てくる話で感心したのが、手塚治虫氏から教えられたというエピソードだ。
赤塚 でね、藤子不二雄のFなんだけどね。彼なんか映画は沢山観てるし、
すごいインテリだったんだよ。
だから俺なんか『トキワ荘』で教えられることいっぱいあったしね。
そういう連中が新しい漫画をドンドン、ドンドン作ってきた時代だったんだよ。
(中略)
それで今の若い人たちが送ってくるストーリー漫画とかギャグ漫画を見ると、
みんな似てるのね、絵が。
これはね、漫画から漫画を勉強しているからそうなるんですよ。
それと同じで、テレビ観たってね、お笑い連中なんてみんな似たり寄ったりでしょ、
あれってのはお笑いからお笑いを学んでいるからそうなるんですよ。
僕らは手塚治虫に「いいか、漫画から漫画勉強しちゃいけないよ」って。
そして「一流の映画を観ろ、一流の音楽を聴け、一流の本を読め、
それで自分の世界を作っていけ、そうして描け」って言われたね。
だから個性があるんですよ、みんなそれぞれに、あの頃の漫画家は。
「漫画から漫画を勉強する」だからこそ、最近の作品は漫画に限らず、
テレビにしろ映画にしろどこかで観たようなつまらないものが多いのだろう。