続・宇宙の法則 VOL4   心とエゴ | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



私は以前にも増してTVアレルギーが激しくなっています。


最近のマスコミは私達の脳機能低下や私達の愚民化、


さらには誤った価値観の増幅に資していることを
以前にも増して激しく感じるからです。


殺人事件と縁の切れない二時間ドラマは
私達に死への恐怖心と殺人への慣れを齎しています。


医学番組は私達に死や老化の恐怖と
”一度きりの人生”への執着を誘導していますし


同時にいつ誰がどんな死に方をしても
それは不思議ではないと言う先入観を齎せています。


政治経済は限定的な情報を与えることで、
一般市民に印象付けたい上辺の国家関係や
みせかけの政治家の姿を流し続けては私達を騙し続けていますし、


お笑いばかりの娯楽番組は
私達を楽観的に誘導すると共に
低俗な意識へと誘導していると思います。


病気をテーマの番組や
死をテーマにしたドラマは私達に
一度きりの人生を私達に強く意識付けていますし


死による他人との別離を永遠の別れであり
悲しいことだと誘導してもいます。


・一度きりの人生


・死を恐れる意識(不安や恐怖の植え付け)


・楽観思考への誘導


・政治や経済の裏の仕組みを見せずに
上辺で私達を騙す。


・殺人を当たり前に起こることと誘導しつつ
一方では誰がいつ死んでもおかしくないと言う先入観を定着させている。


・そして脳低下誘導


これらは全て地球の法則の思う壺であり
私達を正しい生き方から遠ざける原因となることばかりです。


さらにクイズ番組の多くは左脳特化社会の
促進でもありそうです。


おまけにマイクロ波放送では電波送信に限らず、
仕掛け次第では室内の個人情報を盗むことも可能ですし


マイクロ波に乗せる電磁波の周波数によっては、
私達の感情や意識にさまざまな影響をも及ぼすことが可能です。


幸せの箱(TV)は私達にとって
見せ掛けの平和を齎す麻薬のようなもので


その実態は悪魔の箱だという事を今再認識しているところです。


ニュースを見ては文句ばかりつけているのが、今の私の姿です。

(歌番組には反応してしまうのですが(苦笑)
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おこがましいとは思いながらも


アダムスキーやイエスキリスト
そしてブラザーズのマスターといった
私達が尊敬してやまない存在たちの引用無しに、
(コメント程度は別として)


自分の理解と言葉でこの記事を綴って見ました。


覚醒者には復習と何かの閃きのきっかけに

理解者には覚醒へと進むための知識として
頂ければ嬉しいです。



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前回の記事では私達の意識の経路は二つあり、

私達はその両方を同時に感じるように勤め


心の価値観を精神=魂の価値観へと置き換えていくことで
精神の進化を進めることが出来ると言う話に触れました。


しかし言葉で説明するほど、このことは容易ではありません。


いうまでもなく私達の通常の意識の経路が
心に偏っているからですし
私達は通常魂を経路として認識する事も出来ないからでした。


では魂の経路を強く意識するにはどうすれば良いのでしょうか。


以前にも繰り返し触れていたように
まずは一番効果的な事は心の暴走を抑えることで、
意識を心ばかりに囚われないようにすることが大切です。


私達が心に強く囚われているのはどんな時なのか。。


一つには私が脳への操作を受けて一番苦労させられている
感情を強く感じている時です。


心の価値観に囚われている時に、それに対しての反応が感情ですから


これを強く認識している時、
とりわけ負の感情に囚われている時に
私達は心を強く意識することになります。


それは怒りの感情であったり、悲しみの感情であったり
恐れや恐怖の感情であったりします。


他人に対しての憎しみや妬み、
更には闘争心や嫌悪の感情もすべては
心に強く囚われていることの表れです。


その事を理解し抑制することが、
私達の心への執着を抑え
魂を意識させる行為に有効でした。


その意味では、私達が魂を一番感じやすいのは
心の意識が殆ど動いていないとき。


つまりは眠っている時と言うことになります。


心が殆ど機能を止めていても
私達の精神=魂はその動きを止めることはありません。


多くの自称霊能力者が霊界や
神の領域を見たと言っているのも、


その多くが心の意識を失った状態であることも
決して偶然ではないと思います。


彼らは心では認識できない何かを見てきた、
もしくは感じていたのだと想像できます。


しかしながら残念な事に、
私達凡人は魂の意識を必ずしも正しく認識し
それを表現できるわけではないのです。


それは霊能者と言われる人間ももちろん同様です。


魂の意識を受け止めている時に、
少しでも心が動き、独自の価値観を働かせることになれば
その受け止める印象は捻じ曲げられることにもなります。


その結果せっかくの魂の感じた印象が
部分的にゆがめられることになります。


私は以前、死後の世界を体験した人間の話を取り上げました。


それは必ずしも普遍的真理とは
言えないものであるという趣旨でです。


私達の心は独自の価値観を持っていて、
時には魂が受け止めた印象を
独断と偏見により変貌してしまうことがあるからです。


アダムスキーが印象に疑問を持つなと言っていたのは
そのことに根ざしていると思います。


疑惑を持つと言うことは、
その時に感じた印象をそのまま受け止めるのではなくて

そこに心の動きが加わることになるからです。


結果、魂の印象は捻じ曲げられることになる。


真理に尾ひれがつくのは
そんな私達の心の動きに拠るのです。


時にはその心の先入観は
夢や啓示にまで影響を与えることになります。


霊界を見たと言う人間の主張が
欧米と日本では異なるのも
それは心の価値観や先入観に根ざすものだと思います。


天使や創造主を信じる欧米のキリスト教社会と、
三途の川やお釈迦様を信じる日本の仏教社会では


心の持っている価値観も異なりますし、
その事が、同じ天国のイメージであってもそれを
それぞれの先入観や価値観によって歪めて表現する事になります。


そして本当は臨死体験をした人間の多くは、
天国を見たみたのではなくて
何か美しいものを見たと共通して主張していたはずです。


彼らの見たのは創造主の意識の中の美しいイメージ、
創造主の想念の中には醜いものは存在しておらず

そこから感じる意識は美しく暖かいものだからだと思います。


そして彼らは現に死んではいないのです。


彼らが体験したのは、夢よりも更に心が抑えられた状態での
精神=魂の意識だと思います。(四次元の意識)


彼らはそれを死後の世界だと勘違いしたのです。
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いくら魂を強く意識する機会が睡眠時であるといっても、
寝ている時に限定していたのでは私達の魂の進化はありません。


記憶の整理や心の動きが夢で反映されるように
寝ているときに私たちが感じているものは
必ずしも精神=魂だけではありませんし、


夢はコントロールできませんし
その記憶もあいまいです。


そこで私達はまずは通常の生活の中でこそ、
意識の経路として魂を感じるために
心の暴走を抑える事に勤めねばなりません。


そのためには先述の喜怒哀楽を抑えることを
強く意識することになります。


今まで短絡的に反応していたその喜怒哀楽を、
ワンクッションあけて客観的にながめるような
そんな意識を持つ練習をするのです。


私は今でこそ怒りを頻繁に誘導されたり
喜怒哀楽の感情に敏感にさせられることもありますが


自分なりの努力としては強い感情を
起こさないように勤めています。


それは全ての感情に関してです。


創造主の意識から湧き上がってくる感情や、
喜びのような感情は正の想念だと思いますが


その喜びや笑いの感情含めて
私は一旦は無表情に近い状態になることを
目標として暮らしていました。


人間らしくない意識の様にも感じられますがそうではなくて、
喜怒哀楽を引き起こす要因の多くには、


エゴに根ざした価値観が
その前提にあることにも気がついているからです。


それに私の場合は加害者達が怒りを誘導し、
喜びを嫌うようなので
それをも意識する羽目にもなっていました。


私達が気がつくべきなのは
その喜怒哀楽の感情の大元にある私達の
個人的な価値観が心の価値観に根ざしていると言うことです。。


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私達は無自覚のうちに多くの欲求を感じて暮らしています。


それは前回触れた”本能”や自らの作り上げた価値観などが
複雑に絡み合い、作り上げているものだと思います。


そしてその中心にある意識は”自分の心が心地良いこと”です。


例えば私達は自分が褒められる事や高く評価されること、
美化される事に心地よさを感じています。


しかし一方では貶されたり批判されたり、低く評価されたり、
叱られる事に対しては不快感を感じることになります。


これは何よりも自分が可愛いと言う意識を
私達が持ち続けている証拠でもあります。


宇宙の法則の元では他人を正しく理解し
自分をも正しく理解してもらう事こそが
求められるべきなのでしょうが


私達は誰もが自分の事を美化しようとしている
自分の事を特別であるかのように思いたいのです。


自分を着飾ることで、
立派にそして美しくさらには偉大であるように
見せようと意識も持っています。


そして実はそんな意識は、
そのまま、私達が魂に囚われていることの証拠でもあるのです。


私は頻繁に”魂の濁り”と言う言葉を使用しますが、
正しくは濁るのは”心”(脳機能)の方で


それは、本来持つべきではない誤った価値観や意識を身にまとい
心に囚われるようになってしまう事。


そして負の想念を身にしみこませてしまうことで
ますますエゴに囚われてしまうことに由来しています。


自分を大きく見せたい、過大評価する、
自分を特別なものと思い込む、


そんな意識含めてこの社会の誤った価値観が
私達の心に染み付くことで


私達は本来持たなくてよい感情や意識を
芽生えさせてしまうことに繋がっているのです。。


それらの価値観は魂が作り上げたものではありませんし
創造主の意識には存在していないものです。


本来私達が持つべきではない意識を私達が持つようになることで
私達の心への執着は大きくなり


同時に本来そんな意識を持たない魂の意識を
遠ざけることにも繋がっているのです。


スペースブラザーズは、
本来私達はそのままで良いのだと触れていました。


元々が魂が創造主の分身として存在しているわけですし、
その創造主は少なくとも創造主の創造した世界では
完全なのですから、


分身である私達は其れを潜在的な資質として有することになります。


もちろん其れは私たちは魂の進化により
限りなく完全に近づくと言う意味であり、


今現在の私達が完全であると言う意味ではありません。


しかし物理的に着飾っても、見栄を張っても
それは本来の私達の姿ではありませんし、


其れはこの一時、地球社会で生きている時には通用しても、
そうでない社会では通用しない意識ですし、

一旦死んでしまえばそんな心に従った魅力は消えてなくなります。


社会的権威も名誉も、そして着飾る衣類も
頭でっかちの理論も、
すべては次の生には何の役にも立ちません。


魂の進化に資してはくれないのです。


それどころかそんな誤った価値概念に囚われそれに身をまとい
その中で心の価値観を満たして自己満足することは
魂と心の間の距離を広げるだけだと思います。


地球社会の中でその地位を偉いと褒め称えられても


他人に対して命令するような立場についていても


外見を着飾り、見栄えを良くして人からの印象を高めても


自分を大きく見せようと見栄や虚栄心に囚われても


すべては私達の心への執着を強めるばかりで
魂の進化には悪影響ですらあります。


イエスキリストは
他人の前で意図的に善行を行うことを良くないと言っていました。


それは他人から褒め称えられることで
その善行に対する報いをこの世で受ける事になるからだと
いう説明でしたが


とどのつまりは他人の褒め称えられることが
時には自分の心の自尊心を増徴させる危険性を知っていたから、


もしくはそんな行為が偽善に発展していく可能性をも
気がついていたからだと思います。


この社会の中にはありとあらゆる誘惑があると思います。


自らの自尊心を増幅させたり
おごり高ぶるようになるのもそんな誘惑がきっかけになると思います。


多くの人間に持て囃されるような立場になったことで
自分自身のプライドが増徴される。。。


其れまでは謙虚な姿勢で生きていたために
持っていた才能が、


世間に褒め称えられるようになり自尊心を増徴した結果失ってしまうような
そんな話を聞くことも少なくないと思います。


私達は心の持ち方一つで
魂という意識の経路から遠ざかったり
近づいたりする存在なのではないでしょうか。


そしてそこからも創造主が予定していない意識を
私達が持つことは、


魂の進化の妨害になると言う事が
想像できるかと思います。


私達は世俗的な価値観や
この社会での人為的な価値観に縛り付けられて
魂を濁してはいけないと言うことです。

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次に大切なことは私達の”想い”です。


私達の肉体を作り上げるのは私達の魂でしたが、
それは四次元的エネルギーの想念が
三次元社会で具現化されると言うことで説明できました。


つまり私達の肉体は魂という私達の本体としての想念体の
具現化されたものだという事でした。


そしてその肉体は今度は物質社会の中で
更なる想念の影響を受け続ける存在でもあります。


それは他人の発した想念かも知れませんし、
自分が思考した時に全身から発せられた想念が
肉体に染み付いて影響を及ぼしている物かもしれません。


いずれにしても私達の肉体は
エネルギー思考体としての想念の影響を
強く受けることになりますし


その影響は肉体を通じて私達の脳の思考
つまりは心にまで影響を及ぼすことになります。


そこで問題なのはその想念の種類や波動と言われるものです。


創造主の意識には負の想念と言われるものは存在していません。


と言うことは、負の想念を多く抱えていると
私達はその周波数が創造主からかけ離れることにもなります。


結果、意識の魂への経路を感じ難くもなると想像出来ます。


そして負の想念を大量に帯びた状態では
私達の独自の波動と言われる物も
おそらくは悪い意味で変化があるのだと思います。


私達自身が低い周波数に囚われることになるからです。


そして地球の法則も語っている
波動の法則、引き寄せの法則が、そこに輪を掛けることになります。


同様の周波数を持っている人間同士は引き合う。。。

想念は同様の想念を引き寄せる。。。


これは宇宙の法則と言うよりはその現象面に過ぎませんが、
その結果、想念が私達に与える影響はさらに強いものとなります。


そして似たような想念や周波数の人間同士が引き寄せられれば
そこでは更なる想念の増幅も進むことになるはずです。


結果、人間の意識はそれぞれの帯びている周波数や
想念の種類がそのまま極端な状態として
表現されるようにもなると思います。


私達が元々が悪しき想念に帯びていれば
その結果私達は限りなく”悪魔”と呼ばれる存在に
近づくことになるはずです。


悪魔は想念の作り上げたイメージであり
聖書に出てくる堕天使の象徴ですが
それは人間の想いであり、人間自身だと思います。


そして現実問題、私達はこの社会の中で
多くの負の想念を吐き出しながら生きています。


それは、敵意や嫌悪や
妬み、嫉み、やっかみ、侮蔑、のような悪意に限らず
時には不安や恐怖のような意識含めてです。


そんな負の想念で帯びているような状況で
私達が魂の経路を感じることができるのかと言うことです。


つまり私達は身にまとってしまっている
この負の想念を取り払う、
そんな意識が必要となるのだと思います。


このことは、もしかしたら負の想念で下げられた私達の波動が、
それと同じ周波数に保たれた、肉体機能である脳にばかり囚われて


其れよりは波動が高く保たれているであろう魂を
感じにくくなっていると言う事なのかもしれません。


私達はここではその想いを大切にすることで
心の改善を図ることが求められるのだと思います。


良き思いが負の想念を私達から遠ざけるのです。

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そしてもう一つ、私達の最大の弱点である
見えるものしか認識できないと言うその意識を、
如何に変えていくか
と言うことが大切になります。


私達が精神=魂を感じやすくなるのは
脳がバランス良く機能していることがその大前提だと思います。


右脳に偏っていたり、左脳に偏っていては
それぞれ大きな欠陥を持つことになります。


右脳に特化している方は想像力や創造力はあっても
論理的に物事を考えることを苦手とします。


その結果オカルトといわれるような、
一見目に見えないことを信じること理解することができる反面、
容易に他人に騙されると言うことにも繋がっていきます。


逆に左脳に特化している人間は
とても論理的で物事を秩序立てて捉えることができます。


しかしその反面、目に見えることや実証性に拘り


さらには権威思考が強いために
閃きやオカルトとされてしまっている物事を
理解することを苦手とします。
(その全てを理解する必要はありませんが)


しかし本来、私達は物事を正しく認識するためには
この両方の機能を必要とするのです。


大体が私達は三次元と四次元を同時に生きている存在です。


肉体は三次元的存在で精神=魂は四次元的存在でした。


そして心の機関である四つの機関が三次元的器官で
魂は四次元的な器官でした。


しかし四次元は私達は通常認識することは出来ませんし
左脳に偏った思考は三次元社会に特化され
その見えないものを認識することは出来ないのです。


その時左右のバランスが良く脳機能が働いていると
私達は秩序立てて論理的に物事を志向できる上に
見えないものをイメージする事を含めて、


実証性ばかりに拘ることなく
たとえば仮説や法則を前提に物事を認識することも
可能になるはずです。


左脳に固まった思考をしている人間が
よく、アインシュタインや相対性理論、不確定性原理などを持ち出して
其れが現実的であると触れますが


元々其れを主張した人間達は、
数式や仮説で見えない法則を仮定に掲げていると言う事実を
彼らはどう認識しているのでしょうね。


私達はその両者を同時に意識して、
思考を張り巡らせることを求められていると言う事です。


私達は論理的で秩序的であることを求められ
同時に創造力や想像力を要求されることになります。


そんな私達ですが、今の時代の中では
右脳を弱体化させながら生きています。


(若しくは左脳や右脳に特化して生きています。)


其れは闇政府の策略の一面でもありますし


機械ばかりに頼り自ら創意工夫をしなくなったこと。


メディア含めて目に直接訴えることばかりに
意識が向けられていること。


学校教育含めこの社会の仕組み自体が
左脳ばかりに頼るような実態となっている事が
左脳偏重社会を作り上げることに資しています。


その中で右脳を回復させるためにも
私達は目に見えるものと同時に、
目に見えないものを見るようにならなければいけないわけです。


イエスキリストは
「目に見えないものを信じることの出来るものは幸いです。」

と触れていました。


それは直接認識できないことを”盲信”する人間が
幸いだと触れていたのではなくて


”目に見えない事でも、其れを直感的に正しいと感じて
其れを真実と認めることの出来る資質を持った人間は幸いである”
と言うことだと思います。


もちろんイエスの教えを通じて、
創造主への信仰へと繋げていくためには


私達は時には盲信するぐらいの神への信頼が必要であると
アダムスキーも言っていました。


しかしそれは物事を鵜呑みにするという意味ではなく、
魂の閃きや印象を感じて其れを創造主の意志だと感じたら
それを心底信じることが大切だと言う意味だと思います。


私達がここで必要となってくるのは、そのイエスの触れていた
”見えないものを信じることが出来るようになる資質”ですし


もっと言えば三次元で物理的に認識できなくても、
イメージとして脳裏に浮かべたり


その表面上は見えないことを認識する努力を
続けることでもありました。


そしてそのために”生命の科学”で
その事の基礎として学んだのが”原因と結果の法則”でした。


真の原因と結果の法則は、
地球の法則で取り上げているような

現象としての一面を説明する法則ではなくて


この宇宙空間の中に存在し、創造主の法の適用範囲である限り
万物が適用されることになる普遍的真理の一環でした。


”因”なるものがあるからこそ”現象”なるものが生じる。


”原因”なるものがあるからこそ”結果”なるものは存在する。


そしてその”原因と結果の法則”を


”原因”は四次元的思考の世界で生じるとして捉え、
”結果”や”現象”は三次元で生じると認識することで


私達は見えるものと同時に
見えないものをも同時に理解することになります。


そんな意識を持つことが、
私達に創造主の意識を感じさせる結果に繋がりますし


私達は自然や他人や自分の中に創造主の姿を見ることになるのです。。


【地球人の神は遠い場所にいるのではなく、
近くの万象の中に、自分自身の内部にいる】


それを認識して生きることで、創造主の法則は私達の社会を、
創造主の予定通りの社会へと変えていってくれるはずです。


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P.S.


悪魔と言えばとても邪悪な存在を想像しますが、
それも私達の昔からの言い伝えの作り上げたイメージであり


本来の悪魔は”堕天使”に象徴される
”創造主の意志にそって生きることを止めた人間”だといえます。


私達は誰もが悪魔の資質を持っているのです。


悪魔崇拝とか悪魔教の存在のために
悪魔は残酷で醜くて狡猾で
常に悪いことをしている存在と言うイメージがありますが


元々はそうではなくて
悪魔は私達のエゴの象徴であり、
若しくは創造主の存在を知りながらその法則に生きることを背いた
存在だと捉えれば良いと思います。


恐ろしいイメージの悪魔は、
私達がイメージと言う想念を持って作り上げた存在であり


そんな想念が世界中に存在している限り
悪魔は存在しているともいえます。


そして悪魔はいつも悪いことをしている恐ろしい存在ではなくて
自分のエゴに従って好き勝手生きている存在だといえます。


良いと言われることをする事もあれば
良くないとされることをする事もあるわけです。


つまりは悪魔とは私達の姿そのものなのです。


心という意識はエゴや欲に縛り付けられることもありますが
一方では理性でそれを振り払うことも出来ます。


心がエゴや欲に囚われてしかもそれを増幅する可能性がある一方
精神=魂は創造主の意識そのものなので
それを強く感じることもできるのですから、


私達は自分の中に私達が善と悪と呼んでいるもの
さらには神と悪魔と呼んでいるものを同時に持っていることになります。


そのどちらの意識を優先して生きるかと言うことが
私達に問われているのであり、


私達覚醒者と理解者は創造主の意識を選択した。


そういう事になりますが、

創造主の意識と信じながら実は悪魔の意識に囚われている、
そんな人間が大勢存在しているのが
この社会の実態なのだと思います。


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続・宇宙の法則
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続・宇宙の法則 VOL2 輪廻と転生の法則
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続・宇宙の法則 VOL3 意識の経路 
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