【番外編】羽生くんに救われたお話〜私を守れるのは私だけ/ウルフィダンス | 羽生結弦さんの見つめる先を見ていたい

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羽生結弦選手を敬愛しています。羽生さんを応援する素敵ブログ様方を日々の心の糧にしている、ソチ落ち主婦のブログです。(横浜在住)

羽生くんとウルフィがダンス❣️音譜

名古屋のメ〜テレさんからの粋な番宣です。


 

音譜羽生くんはいつでも全力投球❣️爆笑ラブラブ音譜




​友人からのFaOI愛知のお土産

ウルフィちゃん達、凄く可愛い

Mさん、改めてありがとうドキドキ





さて、私事ですが、
家族(夫&長女)に「出て行く!」と啖呵を切りまして、
ただ今、横浜元町のホステルにチェックイン中です。


6/17(月)夜9時。眼下の眺め↓





ここは横浜元町メインストリートに面したホステル内。ビル上階です。


個人スペースは、二段ベットの一段分。広くはないけれど、清潔で安心できる場所。

コンセントはあるし、無料Wi-Fiもある、近くに大型スーパーもあり、食事や駐輪場には困らない。

共同だけど、シャワーも洗面室もトイレも談話室もある。フリードリンクに共同冷蔵庫。鍵のかかるロッカーetc.

観光地のど真ん中で、利用客の大半が欧米からの若者達、または出張費を節約するビジネスマン達。

このところ、

散々身内に心を傷つけられてきた私には、むしろ、他人の中の方が落ち着ける。



私が重度のうつ病の治療中であることは、先月、「羽生くんに救われたお話①〜⑦」でお話した通り。
【⑦羽生くんに救われたお話・最終話】


4月以降、順調に回復していると思ったのも束の間、

人生にはどんな落とし穴があるのか分からないもの…

一人ぼっちで、我が家から歩いて15分程のホステルに避難することになろうとは、夢にも思わなかった。汗


6月に入ってから、次々と私を襲った出来事はまさにジェットコースターのごとく…。゚(゚´ω`゚)゚。

2024年6月5日、
私は泣く泣く荷物を自転車に積んで、"放浪"を繰り返し、この2週間で5回も寝場所を替えることを余儀なくされました汗汗🚲汗汗

でも、6/22(土)になれば。"私のお城"単身者用アパートに入居することが叶います。↓




今のホステル住まいはそれまでの"繋ぎ"に過ぎないので、ご安心下さい。
今の根無し草生活も、あと5泊すれば終わるのです。

話せば長いことながら、

夫と長女は、私がうつ病であると分かっていてもなお、家事全般&家業の宝くじ販売業をこなしていく事を、私に期待し続けてきました。

同時に、軽度の認知症患者である義母と、その介護者である義妹達と友好な関係を保つ事を課してきました。

そして、それらに何らかの齟齬が生じるたびに「許せない!」とばかりに、(義母を除く)夫と妹達2人、3人で代わる代わる私を責め苛むのです。


さすがに具合が悪い時は「大丈夫?」と労わってくれるけれど、結局はそれも口だけ…やや回復し、私が笑顔で活動を始めると「調子に乗るな」と心に冷や水を浴びせてくる…汗




2024年5月29日に家族LINEに↑の写真(inグッチ銀座ギャラリー)をあげた時、

「自慢⁈浮かれすぎでしょ!」

「介護しないくせに何?遊び回ってるの⁈」

と義妹達に反発される始末…私はただ、こんなに元気を取り戻し活動できるようになった自分を、心配してくれている(はずの)家族に画像で報告しただけだったのですけれどね😢


長男である夫にとって、義妹達は義母の介護の"頼みの綱"…だから私を決して庇ってはくれない。それどころか、一緒になってここぞと責めてくる。私の長女は「我、関せず」😨


この現状では、60kg→45kgとなった体重を戻す事は叶わない。私のうつ病の完治は遠のくばかり。

😰


私は心身ともに疲れ果て、😱

耐えかねて息子にSOSを発し、(6/5)

夫と娘&息子との「家族会議」の果てに、

夜逃げの如く、タクシー🚕で、近くに住む息子宅に身を寄せるも、やがて彼に「嫁さんが不安定になっている」と済まなげに伝えられば、そのまま居続けるわけにもいかず、その告白の翌朝、大荷物を抱えて息子宅を出ました。🚲

避難してちょうど1週間後の早朝でした。(6/12)


途方にくれて義実家に荷物を置かせて欲しいと頼むと、義母は私を抱きしめ、「いつまでもここに居て良いのよ」と優しく言ってくれる。でもたった1泊で、義妹に「夫婦げんかに母を巻き込まないで!」「出ていって」と詰められ(6/13)↓


(↑義妹達は、私を「⚪︎⚪︎ちゃん」と呼び、決して「お義姉さん」とは呼びません)

そして、

半ば逃げるように田舎の実家に帰省すること3日間。途中で心配して後から追いかけてくれた末娘と合流。

でも、仕事が待っている彼女を長く休ませるわけにもいかず、週末のうちに横浜に戻り、市内の末娘宅に1泊し(6/16)

本日(6/17)とうとう自宅近所のホステルに長逗留のチェックインをせざるを得なくなったわけです。


その間、自分でも驚くほど沢山の仕事をこなしてきました。


① ドリームジャンボの最終日6/6(金)の販売を一人で担当し、

② 週末2日間(6/7〜8)は末娘の引越しを手伝い、

③ 週2日の宝くじの販売シフトをこなし、

④ ほぼ毎晩のように本家に計算業務に通い

⑤ 昼間は仕事に使う新札の両替に銀行を回り、

⑥ 更に、自分の引越し先を探して不動産屋回り⇨単身者用アパートの契約&入金&各種手続きetc.を済ませる


半ば、ヤケクソ状態で、

本当に本当に目まぐるしく、辛い日々を"相棒"である🚲とともに、何とか気力で乗り切ってきました。


詳細については、あらためて機会を捉えて綴りたいと思いますが、


今はもう、「一人で暮らしたい」と熱望するのみです。🙏(何と35年ぶり!)


40年前のこと、当時、私は渋谷の國學院大史学科学生で、通学を考えて、最初は世田谷区東松原(井の頭線)、そして渋谷区代々木上原(小田急線)、

やがては通勤の為に、吉祥寺市(井の頭線&JR)へと転々と住まいを替えて行ったものです…あぁ懐かしい。


ミセスの歌詩にある「私を愛せるのは私だけ♪」そのフレーズが、しみじみ感じられる今日この頃の私です。😢↓

人生は「塞翁が馬」

私は生き抜いて、30年後、絶対に、羽生くんのラストアイスショーを観る‼️

私は最後には笑って終える人生を獲得するために、一人暮らしを決意した次第です。

うつ病治療を続けつつ、

更には、義実家の近くに住み続けることで、認知症の義母を見守りつつ、家業の宝くじ販売を継続していく覚悟です。


ブログはそんな私を鼓舞してくれる大切な場所です。

読みに来てくださる皆様方は宝です🙏


今、改めて私は、

(その突出した才能ゆえに)ISUや日本スケ連に疎んじられながら、それでも我が道を貫き通し、「羽生結弦」として、アーティストとして華を咲かせ続けている彼に限りない尊敬と愛情を感じています。 


羽生くんは、私の「道しるべ」のような方です。🙏

 

 

【羽生くんに救われたお話①〜⑦】





ちなみに、

グッチ銀座ギャラリー3回目6/20には、このホステルから出立します。今度は大親友を誘いましたから、二人で思う存分銀ブラ&「羽生語り」をして盛り上がる予定です。


今夜の横浜は雨…私の涙雨?


ホステルは外国からの旅行客だらけ。

国際色豊かで楽しいです。時差があるからか夜中の1時でもまだ皆、パソコンを扱っている。


GOOD NIGHT❗️



今日も羽生くんを全力応援!(ò_óˇ)


羽生くんが痛みなく滑れていますように!

羽生くんが笑ってくださっていますように!

羽生くんの幸せを心から願い、祈ります🙏

 

画像や記事や動画は感謝してお借りしました。

 

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