北インド☆ゆるヨガライフ -28ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

思ってたのと違った時、

「期待が外れる」時っていうのがある。

 

期待(心配)が外れて良かった~!ってことも、

こんなハズじゃなかった↓って、落ちる時も。

 

幻想と現実の区別がつけられてないから。

 

もっと冷静に客観的になって

第2第3、第4位のプランを立てて、

即効ポジティブに行動に移せれば、なんて

 

悟りを開いたババじゃないから無理()

 

人間だ、人間なんだ、いくら年を重ねても。

 

期待をしてしまう、ついつい、夢を見てしまう。

 

運命をやすやすと他者や外界に明け渡してしまう。

 

 

この時期YouTubeで日本の番組でも見ようものなら、

華やかなクリスマスや紅白の話題にお正月のCM

楽し気で、賑やかで、キラキラしててもうヤバい、

年末インドの「何もなさ」とのギャップが!

 

あるんだけどねー、サンタとかツリーとか。

でも気もそぞろって言うか本格感がうすい。。

数少ない教会では本格的なミサはあるけれど。

 

会員制のゴルフクラブのパーティーとか、

パンジャブ州の農業富豪が行くのか?という

格差を感じるイベントはそれなりなんだけど。

酒税やサービス税が割りに合わない気がして、

庶民はパブで乾杯するのも気が引けてしまうし。

 

宗教が何だろうが関係なく盛り上がってるのは、

やっぱインドでは10月のディワリくらいか。

 

日本にいたら、インドじゃなければ、

ぶつぶつぶつ。。。つ。。

 

っていうのはもう、

ぜーーーんぶ、幻想!!って

そろそろ認めなくてはならないのにー。

 

日曜は遅めの出勤で良い彼にも、

何か優しくできない自分に気が付いた()

 

「メリークリスマス!」ってニコニコの彼に、

(ん?何が。。。?)って思ってる自分がいる!

 

彼のせいじゃないよ、誰のせいでもない。

 

期待や夢は抱いていないと何も変わらないけど、

現実を受け入れる度量がないと、また然りで。

 

悲しくなるから言わなかっただけで、

本当はプレゼントとかパーティーとか

したかったんだね、私。ウソつきめ。

 

したかったらすればいいのに。ご自分で!()

 

心配事がハズれた時は神さまに感謝するのに、

期待が外れたら世の中を呪いそうになるのが

アホだなー、まだまだ過ぎる。

こんなんじゃインドで生きて行けない。

 

昨日の停電と断水でお洗濯も終わってない。

掃除もお風呂もまだ、というクリスマスイブ。

 

自分が大切にしてきた思いがあるなら、

何処にいて、何がなくても、不便でも、

ささやかでも形にすればいいだけなんだよね。

 

インドがー、お給料がーってうだうだ言う前に

さっさと気付いて自分でやれる事、

全部してみたらどぉよ??って頭の後ろから

何か、一喝が聞こえてくるわ()、ようやく。

 

さぁー、やるか大掃除&お祝いっ。

頑張った一年にふさわしい締めにしよう。

 

外れた期待よりも、応えた期待を増やして行こう。(泣)

 

少しは気分を盛り上げたくて作った折り紙リース。

皆さまもどうぞ最良のクリスマスを!クリスマスツリーキラキラドキドキ

 

みなさまナマステー!お久しぶり?です。

 

「自分軸の再構築」という心理ワークを進めて来て、ここ1週間ほど越えられない壁に突き当たってました。と言うのも自分や外界に対する認知の変化の後、「感情の大きな揺れが来る」ことへの備えが不十分で、ガチで波に揉まれていたんだと思います(笑)。そんな反省があり、自分の実践の場合ではどんな補足や改善点があるかを今回、見てみます。

 

これまでのワークはこちら↓

「自分軸」の再構築 ① - 怖れ=願望 を知る

「自分軸」の再構築 ② - 素直になる

「自分軸」の再構築 ③ - 感情の錬金術

蘇える「原体験」について

「自分軸の再構築」④ - 自動思考と古い信念

「自分軸の再構築」⑤ - 現在の視点で振り返る

現実世界が入替わる - ワーク振り返り3

 

あくまでも自身の実践の記録です。本来はお見せするものではないのかもしれません。心理療法士でもないですし、ワークの手法も自己流で自分のために行っていて、書き方も自問自答です。まだまだ自分の中の変化も明確ではありません。どころか、色々とこんがらかって前のブログは書きかけでアップするしかなかった位です。よろしければお読みください(笑)

 

↓私の中でNo.1「懺悔」シーンと言えば映画「マスク・オブ・ゾロ」か「デスペラード」。セクスぃー(笑)

「唯一の罪っていうのは、ハートで本当に感じるものを否定することさ」。。。by アントニオ。

 

「自分軸の再構築」⑥ -「懺悔」のプロセス 

 

 

正しい「懺悔」のプロセスが必要。

 

過去の出来事や現実について、さまざまな角度から見ることができるのは、視野や選択肢が増えて、今後のためには良かったと思う。

 

でもその後、「今なら、あんな失敗しないのに」「選択肢がなくて道を間違えた」「何て馬鹿だったんだろう」っていう感情の揉み返しが来ることに、備えが甘かったと思う。

 

「自分を責めない」といくら誓って臨んでも、そんな簡単なメカニズムじゃなかった。責める責めないの問題なんかじゃない。「どれだけ懺悔できるか」が勝負と言ってもいいくらいで、この「後悔」と「懺悔」の中にこそ真実が見えてくる。

 

「後悔しないように」とは言われるけど、よく見ると意味不明なコトバ。後悔しないように、何も失敗しないように生きればいいの?失敗した時は?「後悔しないように」できなかったことを「後悔」しないのか・・・?()

 

「自分を許す」というのもポジティブ・スピの本とかで見るけど、何もしないで許せる社会構造で生きていないので、ハードルが高い。子供にも悪いコトしたらちゃんと謝ってけじめを付けるよう教えるのに。自分に対しても、その非をを認めて改めるって訓練がいる。

 

「非を認める」のは「はいはい、わかりましたよ」って口だけでもいけなくて()、逆に「どうせ私なんて」って開き直っても進歩がない。他の誰でもなく、「自分」とする約束。ごまかしもウソも、いずれ清算する時が来る。素直に非を認めるしかないけれど、この行程がどうしてそんなに辛いのだろう?

 

究極には「自分を信じてない」からだと思う。最初から信じられたら人類の苦しみなんてない。信じてもいない自分に、できるかどうかも分からない約束をし続ける。もがいてももがいても私はそんな半生しか送れなかった、でも責めるのとは別の方法を探している。

 

「懺悔」という方法があると思う。私の中でもカトリックのイメージが強すぎて結びつかなかったけど。悔い改めることなんだけど、自我というより、神さまに対して行うもの。宗教の壁を取っ払えば、「自分の中の神性」に対して行うものとも言える。

 

神さまに謝ったら何でも許されるの?と思っていた。そんな無責任?な。でもね、神道でも御神体が鏡であるように、神さまってそのままの自分を映し出す鏡だと思っていい。罪悪感も後悔も、期待も祈りも、感謝も苛立ちもすべて、ただ反射して映してくれるだけ。

 

お賽銭やお布施をいくら渡しても、その結果は自分で背負うしかない。だって神さま、そこにいるわけじゃないもんね。人間じゃないから。鏡だから。つまりは自分自身でしかないから。ここでの分かれ目は、自分の中に神のカケラが宿っていると、信じられるか、信じられないか。そんなもの見えない時は、ただ神さまを信じてお任せする時。

 

「自分軸」のワークに、懺悔のプロセスを加えなくちゃと思うのは、正直ワークの後に私の頭と心の大・大・大混乱が起きているから()相手の気持ちが分かってきたり、自分の非が見えてきたり、選択肢が見えてきたり、するべきこと、するべきでないことが見えてくると、もうこの後の人生で頼れるのは自分だけ。言い訳や甘えが利かなくなるので、めっちゃ怖いのだ、まじブルってます()

 

ちゃっちゃと非を認めて、さっさと、淡々と自分の道を進む人になるって、簡単なようでトラウマ経験者には天変地異に近い。着々と、世界がひっくり返る日が迫ってくる感じ。それだけ今までゾンビでいた。生きたい、生きたいって、言ってるだけの死体。この際、蘇りの儀式でもするか?って()

 

 

ここから先に進むためには、信じるっていう灯を心に燈さなくては何も見えない。人を信じるっていう意味じゃなく、自分を信じるっていうこと。それが信じられなければ、神さまを信じること。一体何のために生まれて、何のために死んで行くのか。それを問い続けて疑い続ける時代は終わったっていうこと。それよりも大切なことがある。生きてやってみないと分からないことがある。自分にしかできないことが、きっとある。

 

だから謙虚でいなくてはならない。感情や理論に身体を乗っ取られてる場合じゃない。やれる事は何でも惜しまずやらなくてはならない。40も過ぎるとこの身体が永遠じゃないことが良く分かってくる。悔いを残して、それでも役割を託して逝く人たちも知る。この命は自分のためだけに与えられたものじゃない。でもそれを体現できるのはこの身体しかない。だから自分の軸を強く持たなくてはならない。

 

ヨガに取り組む人は、日常でも高い理想と現実の統合をはかりたいと精進する人が多いのではないかと思う。どんな使命においても、軸の強さ・柔やかさ・揺ぎなさがいると思う。私も自分軸ワークで、古い自分の概念を一回壊してリノベーションするなんてこと、少しでもヨガを知らなかったら潰れてると思う。人間というものの中に少しでも「神性」が見えなかったら、私もとっくに諦めてまた精神科に行ったかも。

 

 

過去のトラウマ、修羅場、暴力、悲しみ、別離、後悔、罪悪感、被害、加害、された、られたの、幻想の霧の中でうずくまる時、私たちは自分を知る・人を知る・愛を知る・光を知るという一種の機会を与えられるのだと思う。

 

そこで諦めてもいいのか、諦めなくても良い道があるのか。それを示せるのは、その道を歩き続けて行く人だけ。次々と課題が与えられて、新しい壁が現れる度に、怖れるのではなく淡々と、答えを求めて歩みを進めて行く。それが見えただけでも、生きていて意味があったと思う。この先も精進あるのみ。

 

↓先日のふたご座のスーパームーン。金色に明るく輝いてた。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」 (新共同訳「マルコ」1:15)

 

 

またブログが書けて良かった。この混乱を抜けて行きたい。

 

次にこのシリーズが書けるのはいつのことやら?

また新しい気付きがあれば面白いのですが、その前に進歩がないとね。

 

ワークを実践している間に、なぜか私の大好きな宇宙・地球・神さま・占星術に関することの情報量が増えて、夢中になって調べているので、次はそんな話題でも。ちなみにさそり座のアセンダントの方、この時期さそり座入りした惑星たちにかなり揺さぶられてませんか?さそり座と言えばオカルトが得意分野(笑)

 

最近やけに書き始めたブログですが

「自分軸」を見直して、設定し直すという

心理的な作業を中心に実践しています。

 

そのやり方も自分の知識・経験値のまま、

やりたい方法・習った方法を採用していくだけ。

 

以前習った認知行動療法と、

心療内科での経験や心理学の書籍からの知識、

アダルトチルドレンや機能不全家庭の概念、

 

うつ、パニック障害、DV、共依存などの過去から

少しでも良くなるためにやってきた様々な方法で、

今も実践している事を書いています。

 

過去の傷を癒すための具体的な方法を探る中、

きっとその頃はまだ無意識だったけれど、

インドにヨガをしに来たいと思い、

来てみて1年ちょっとが過ぎました。

 

言葉にはならなくても感じてきたこと、

インドで暮らすことで影響を受けてきた

ヨガや占星学などに基づく世界の見方が

少しずつ形になり

言葉にできるようになってきました。

 

 

今日は続きのワークでもあるのですが、

自分の中の否定感情と向きあった後で

「改めて自分の来た道を振りかえる」、

 

という作業をしています。

 

ただ回想するのでも良いですが、

今後の自分のために

書いて残しておくと面白いと思います。

 

トラウマとして残っていたような、

自分の中の否定感情を

「しっかりと」見ることで、

自分の「本当に生きたい道」が

見えはじめたら、

 

もう過去も現在も未来も、

否定的に見ることが

「回り道」に思えてくるかもしれません。

 

そんな事を願いながら

ちょっと振り替えってみています。

 

何が自分にとって大切で、

何が自分にとってキツイことで

何を見て現在の自分でいるのか。

 

自分のここまでの物語の序章を

今の目線で書いてみます。

 

その物語が何かまだ新鮮で

今と繋がってワクワクできていたら

過去の悲しい物語が

新しい意味を持って書き換わってきていて

 

トラウマのためのワークは完了して

次は未来を創る段階に入れるのだと

希望を持ちたいものです。

 

人生を始めたいなぁという

欲でしょうか、何でしょうか。

 

 

「ワーク⑤現在の視点での振り返り」

 

 

命というのは、

人間と神さまの共同作業。

 

最近はそんな風に思えてきた。

インドに来て結婚したり流産したり

ヨガやインドの慣習に触れたりする中で

 

個人という私の小っぽけさや

同じ教えを何世代も何十億人も

受け継いできたインドの大きさを感じる。

 

できれば私も変わりたいと思った。

 

 

人は自分の力で変わることができる。

命がある限り、どんな苦境に立たされても

人は自分の道を選択する力を

神仏から与えられている。

 

 

仏教や他の宗教の教えに触れる時

私の心に響くのはそんなメッセージ。

 

同時にとても怖いことでもある。

間違えて使ってはいけない力を

人間は持ち合わせている

ということ。

 

 

現代は仏さまたちが

何を本当に言っていたのか、

よく分からなくなってる時代。

 

 

日本は、

人間の都合に合わせる技術で、

自然の都合に合わせる知恵を

 

忘れかけて走っていって

ひとり相撲の駆けっこに夢中。

 

 

楽しいよ、楽しいんだけど

 

絆の形ってものが

変わりすぎちゃって

 

絆が目に見えなくなってった。

 

 

仕事をするのも愛

お金を使うのも愛

家にいなくても愛せる

そばにいなくても

 

時間も余裕もなくても

ちゃんと愛せるのか?

純粋に疑問なのだけど。

 

私たちは

生きるべき時代を生きていて

この時代にしかるべき葛藤があり

前の前のもっと前の時代のカルマも

浄化しようと思えば

できる時代になったので、

 

 

いわゆる「引き寄せ」とかがあって、

単純解釈し過ぎかもだけど、

意思の力だけで

何もしなくても

状況が変わるって言うのが

危ない使われ方をしてる気がする。

 

 

人間も自然も「陰」と「陽」を持つ。

心の作用も同じこと。

光もあるけど、影も必ずあって

 

見えない、見たくない、って

やればやる程

そういう結果になって行く。

 

ヨガでも呼吸や筋肉で

バランスを取ってポーズに行き着くし、

ずっとイケイケでやっている西洋の

エクササイズ的なヨガも

基本から言うとヨガじゃない

って

 

でもヨガが世界に広まったのは

そういう側面が受け入れられたから

でもあり、

議論の尽きない所でしょうが。

 

 

ヨガは「統合」を意味して

ハタは「陰陽」を意味していて

 

「陰」と「陽」のバランスを取って

生きるのがヨガの道ということになる。

 

人間にとって

最も効率的な生き方というような

理知的な捕らえ方をするグルも

最近は世界からの信頼も得てきている。

でも「引き寄せ」と違うのは

神の教えがはっきりしてること。

 

インドの人たちもやっぱり

ヒンドゥーの神々の物語が、

「本当は何を意味していたのか」

よく分からなくなってると思う。

 

言葉ももうサンスクリットじゃないし。

それでもまだ日本と比べると

教えを守って生活する人が大多数。

 

その行為の意味は知らなくても、

祭事を行う毎に伝わって行く。

歌に神の人間への祈りが

込められている。

 

だから、分かっている人も多いし

そうでない人も増えていて

それはグローバル経済の波に

飲みこまれかけてるから。

 

それはそれで素晴らしいんだけど

何か日本とは違った道を見たいと言うか、

インドの良さを

これからももっと見てみたい。

 

 

インドは貧しい的なイメージを

私も普通に?持っていたのだけど、

 

人を表面ではかっているのは

ただの小っぽけな自分の物差しで、

 

ニュースにはならない個人レベルでは

その懐の深さに気付かされるような

日常の人々の生活があるって

たまに少しだけ垣間見ることもある。

 

経済大国とは対照的な部分が、

インドの良さとして目に映るだけ、

それだけかもしれない。

 

もしかしたら単に、

インド人の彼に惚れたから、って

それだけだったとしても

それはそれでいいや(笑)

 

 

自分のエゴと言うか

あれがしたい、これが欲しいっていう

進化する力は素晴らしいんだけど

 

人間は神さまの創造物っていう前提が

 

インドでは当たり前のことでも

先進国では当たり前じゃない。

バリだってタイだって

アジアの大部分が知っているのに。

 

日本でも当たり前だったことを

もう一度とり戻すというのは

そんなに悪いことでもない

と思えてきてしまう。

 

 

戦争や商売の口実に日本は

神さまの力を使い始めてしまって

むごい侵略をしてしまったし

戦争の歴史上かつて他のどの国もないのに

日本に原爆が落ちました。

 

落とした方はどんな感じ?とも思うけど。

どういう感覚のアンバランスの結果、

そこまでの力で脅せるのか。

 

アメリカの地に数年住んだ時は

犠牲にしてきた人たちの

叫びが聞こえるような気がした。

ネイティブアメリカンの人たちは

北西海岸の大自然のもっと奥の

居住区と呼ばれる僻地に暮らしてた。

 

行く途中、ある地点からはラジオも入らない。

灯りもない。

真っ暗な中で大型の鹿エルクや

オオカミのような遠吠えを聞いた。

 

日の入り後の入り江で

小さなカヌーの漁の灯りだけが

 

あの灯はランプだったのか

松明だったのかは見えなかったけど

 

紺色に赤みの差した夕やけの水面に

闇とともに青白い灯が浮かんだ。

 

人口の灯りなどない世界だけど

人の暮らしが美しく息づいてた。

 

 

白人の築いた都市では

光の部分も沢山あるんだろうけど

闇もいっぱいあった。

そういうのを横から見ていると

これは違うなー

日本人ならこうはしないだろうって

お節介なこと思ったり。

 

でも、日本もちょっと似てきたよね。

 

自分たちの良さを忘れてるか、

勘違いしてるように思ったり。

 

勇ましく刀を振り回すサムライもいいけど、

この248年ほど戦国時代みたいだったけど

占星学でも、冥王星が水瓶座に入る

価値観の変革の時代がやって来るので

 

心のこと、

闇の部分、

「陰」の部分の

持つ力に目覚めて行くと言うか

 

心の犠牲を強いられることのない

そういう流れに乗ってほしい。

 

もう歴史的に悪者になりたくないわ。

ただでさえ侵略戦争で悪名高いのに。

 

 

もし自分の意思で人生が創造できる

のだとしたら

 

少なくとも

そういう日本はヤだなって思う。

 

東北で大地震が起きた2011年から

本当に日本は大丈夫なのかな?って

思うことがいっぱいあって

 

日本っていう国に今は

そんなにいたくないかもって感じた。

故郷も家族も大好きだけど。

日本を捨てるってことは不可能だけど

もっと離れてみないと

まだ私には見えないとも思った。

 

 

インドもね、ヤなこといっぱいですが、

嫌なことの質が違うような。。

今のところ私は

虫とかホコリとか物がすぐ壊れるとか

そういうシンプルな問題しかなくて。

 

むだにややこしく考える性格が

カラカラと静かに壊れてって

常に内心、戸惑ってる感じ。

 

やるべきことをやれば

無駄はないという

 

一見貧しいだけに見える人たちも

人としての幸せを感じていて

うらやましいような、

でもそう思うことはいけなくて、

ない物ねだりだっていう感覚が

残っていた時期もあったけど

 

夫を見ていると、

あぁ、この人がしていることは

私にもできるかもしれないんだー

って

彼の良さは色々あるけれど

人に対する寛容さと言うのかは、

インド人が日本人を越えてる部分?と

個人的にはいつも彼には

自分を反省させられます()

 

お互いの良さが出せればいいので、

私も結構変わらなくちゃって

試行錯誤してばかりいる。

 

それでも楽しいと思える。

新しい価値観が持てて良かった。

退屈しなくて済むから。

 

もう、鬱やトラウマの無気力や

麻痺に近いブルーな感覚は

乗り越えられたかな?

 

もし、また次に何かが起こった時、

正しい選択ができる人になりたい。

 

その前に、起こらなくてもいいわ、もう(笑)

 
どくしゃになってね!

英語で、Disillusionmentという言葉があるのですが、

 

マインドコントロールや心理的なトラウマなどで、偽の現実を現実と思い込んでしまっている場合に、その幻から抜け出して再び真の現実を得る、その手法や過程のことです。

 

自分の中で「古い世界感と新しい世界観の反転」のような流れや、「否定から肯定への反転」、「悲観から楽観」、「意識と無意識の反転」、「事実と潜在意識の反転」のように、さまざまな反転が起きていると感じます。

 

そこで今日は、今までのワークを行うことで私に訪れた脱幻想の変化をいくつか振り返ります。

↓これまでのワークと振り返りはこちら。

「自分軸」の再構築 ① - 怖れ=願望 を知る

「自分軸」の再構築 ② - 素直になる

「自分軸」の再構築 ③ - 感情の錬金術

蘇える「原体験」について

「自分軸の再構築」④ - 自動思考と古い信念

 

 

また、前回のワーク④で自動思考というものを扱いました。(参照:「自分軸の再構築」④ - 自動思考と古い信念)この自動思考を意識しはじめたことで、

【自動思考→古い信念→過去と記憶今の現実世界→未来予想図】 の反転

のような効果が現れているのではないかと考えています。

 

 

【自分を移す鏡の反転】

 

前回のワークで自動思考に着目し、普段思わず/何気なく頭に浮かぶことを言葉に表していきました。これを続けることで「意識的」「無意識的」な部分での変化があらわれると思います。この自動思考のワーク(前回④参照)のやり方に、少し補足する意味も込めて書いてみます。

 

過去の強い心理的・身体的な否定的体験によって、ネガティブ思考が自動的な習慣になっている人には特に、ワークから強い影響や抵抗も感じるかもしれません。自分が「ついうっかり何気なく日頃思っていること」の根の深さがどんどん見えてくるからです。

 

でも、その連想されて行く頭の中だけに執着せずに、目に見えるもの、小さいもの、自分で変えられるものから変えて行けば良いということを忘れずに、冷静を保つことです。トラウマを扱う時に大切な鍵となるのは、それが今現実に起きていることなのか、「幻想」かを見分けることです。

 

まず見えてくると思われるのが、やはり被害者意識です。相手や周りの物事のせいにして自分の言動の責任を取れていないという情けなさ。これに少しでも気がつけたら、自分を責める前に、気がつけたことを喜ぶべきです。それくらい大きな飛躍となります。

 

そしてこれからは、普段から何を考えるにも【私は】という主語を一旦心の中で付け足して思考すると良いかもしれません。

 

口語としての日本語では、必ずしも付けなくても話が通じていた「主語」ですが、集団主義の農耕民族だった頃からは時代も変わり、一人ひとりが人生の主導権を握っていくような多様性と共生の時代が来ています。自分を軸にしなければ変化と多様性の波にさ迷ってしまう、そんな流れを感じて自分を見つめ続けることが必要、そう思っています。

 

何気なく「ため息」をついたり、する人は「舌打ち」をしたり、インドの商人は「諸手を上げ」たり(笑)、そんな仕草にも注目すると面白いです。決して自分の仕草を抑制すると言う意味ではなく、ただ一旦そのまま受け入れ、これは何の意味だろう?と見つめてみます。

 

先ほど「根の深さが見えてくる」と書きましたが、トラウマで苦しむ人は小さな仕草や癖にも、過去の絶望的な出来事で身に染みてしまった「自分へのあきらめ」や「他人への断罪」や悲しみの中に埋もれた「責任放棄」などの、人生に対する姿勢が見え隠れしてきます。

 

小さなことから気がついて行けば、小さなことから修正して行けると信じて、自動思考や仕草のメッセージに耳を澄ませ、一歩一歩改善できることだけ、改善して行けば良いということです。

 

そうすることで、自分の姿が他人目線 → 自分目線に変わって行くと思います。自分のお気に入りの鏡が、新しいものに生まれ変わる第一歩です。

 

 

【新しい夢をみる】

 

私の最近の経験談なのですが、最近楽しい夢が見られるようになってきました。と言うか、悪夢も追体験の夢も今までの様に見ていると思うのですが、朝目覚めた時、覚えている夢は良い夢ばかりになってきました。

 

どんどん未来の自分の姿だったり、こんな風に暮らしてみたいというような風景だったり、起きた時、とても楽しく充実した感覚をフワリと残しているような夢だったり。そんな夢ばかりが記憶に残るようになってきました。

 

行ったことはないけれど懐かしい気持ちになるロケーションだったり。そこで今までやった事はないけれど、ひそかに憧れてきたような生活をしていたり。

 

そんな夢を見て、毎朝ワクワクして目が覚めます。(直後に現実の作業が思いやられて若干がっかりもしますが..)でもまだ、ワクワク感が消えることはないです。

 

夢も希望もそれほどない、ほどほどでいいの私は、と今まで思っていました。でも本当のところはどうなのでしょうか?人間は環境や条件付けにしばられた中で、謙虚につつましく生きるだけで良いのでしょうか?私はそれが知りたいと思うようになりました。

 

 

【ちょっと楽観的になる】

 

また、良い夢のバイブレーションを感じることでさらに、「これは私にだけ起きていることでなければいいなぁ」と思うようになりました。たくさんの人が毎日、自分にしか叶えられない、自分にとって最高の夢を見て、自然とワクワクした意欲的な気分で1日を始めているんだとしたら、そう想像するだけで私の中の喜びもいっそう大きくなるように感じるのです。

 

あえてネガティブにフォーカスするという地獄のワークに取り組んできた私が、こんなポジティブでさわやかな心境になるのはいつにないことです。現実の課題は確かに何も変わらないかもしれません。でも見方が変わってくるのだと思います。ポジティブに「変えよう」としても変わらなかったものが、連鎖的に変化しています。

 

そして夢ってすごいなぁ、潜在意識のパワーって絶大だなぁと、まだまだ仕組みを十分に説明できないながら、改めて確信しています。

 

 

【自分の時間が増える】

 

これも自分の1例からお話しします。自分の心身の回復のために心理療法やヒーリングに真剣に向き合うと再び決意したのが2年ほど前です。それから私の生活や環境がどんどん変わり始めました。

 

フルタイムの役職を退いて短時間勤務になり、その後はインドに来ることを決めて退職し、インドではパートナーと出会い結婚し、そして今、自分の時間を半日は確保でき、その中で自由な時間の使い方ができます。

 

「自分を大切にする」という言葉はよく聞きますね。私はいつも、具体的にどうやるの?やり方は人それぞれだし、本当は誰も教えることはできない?という疑問がありました。自分にとって最善の道は、自分の五感とインスピレーションを使って探すしかないのだろうと、何となく思ったのです。

 

何か決断する場面、行動する別れ道で「自分を大切にする道」をいつも基準に置いて行動し始めたのが、この2年前だったと思います。それまでは十数年来のヒーリング・ジプシーのようだったのが、自分の基準を見つけることで、ようやく夢や計画を行動に移せる力が養われ始めた気がしています。

 

パートナーを得るというのも、私の強力な味方が現れたように感じています。あくまでも自分を大切にしながら、そして犠牲を払わないと決めることで、トラウマがあっても場合によっては円滑なパートナーシップは可能なのではないかと思います。よく心理学の本で共依存の事例ばかり目にしていたのですが、現実はもっと新鮮で可能性に溢れています。

 

 

【好きなことが追求できる】

 

知識や経験が蓄積されて行くことによって、個人の持つ世界観は変わります。経験も知識もない状態では暗闇の現実を恐る恐る進むようなもので、学ぶこと、興味を追求することで新しい道が開けてくると言えると思います。

 

人生をより充実させるための「自分の時間」を得ることで、好きなこと、興味のある活動にエネルギーを注ぐことができ、より自分の命の「方向性」が明確になり、より安定したものに成長させることもできます。

 

現代社会では他人や社会の要求に常に応えなくてはならず、自分の「好きなこと」は犠牲になりがちです。-と、思われています。しかし何を優先するか、しないかを決めているのは自分自身でしかない。意識的に決定している人も、無意識で流されて不満を貯めてしまっている人も。

 

どの様に生きるかは、本当にそのまま一人一人の手中にあります。誰の言うことを聞くのか、何に影響を受けるのかも、自分が主体的に選んだものであれば後悔もなく、また自分を失って他人に侮られるという経験もなくなるかもしれない。

 

どの場所に行くにしても、一歩一歩、そして小さくてもはじめの一歩を踏み出すことです。

 

 

【占星学 - 時代の流れが見えはじめる】

 

私は占星学を学んでいるので、自分の感じている変化が偶然のタイミングでもないし、地球規模で受けているエネルギーだということが分かるようになりました。人によって感じ方・受け取り方は違いますが、単なる変化というよりももっと大きな、価値観の反転のような作用を受ける時期に突入しつつある星星の位置が、個人レベルでの意識の変化にも影響しています。

 

世界的に近年「エイジ・オブ・アクエリアス」(水瓶座の時代)や「アセンション」と言われてきた時代へのカウントダウンに入っています。土星や冥王星などの大きなエネルギーシフトに伴い占星学者の多くが来年からの古い権威の崩壊や意識の反転を予測しています。

 

「夢」というのは通常、潜在意識の領域です。意識と潜在意識というように対照的だった2つ人間の意識は、今までは1つは自覚できるもの、もう1つは自覚が難しいものとされてきました。

 

それがこの変化の時期には、人間が潜在意識へのアクセスがより容易にできるようになり、潜在意識の持つ力を使うことができるようになるという見解があり、この流れは私の中でも少しずつ現実になってきていると感じています。

 

 

【意識の力で具現化する】

 

潜在意識とともに私は「意識的」な部分の持つパワーや、三次元世界で起きている事実の力を、石橋を叩いて検証しながら、結果を信じるタイプです。乙女座の現実主義が自分の生き方のようです。でもスピリチュアルな星座でもあるので、神秘的なもの、神の世界、科学では解明されていない不思議な事象ほど、三次元的に理解して明らかにしたくなる。

 

心理セラピーというのも、心の持つ力を使って障壁をとり外し、生きる意味と方向性を取り戻す作業だと思っているので、私もこの心の時代の流れに従って自然と今回トラウマ・ワークを書いて行こうと強い気持ちが働いたのだと思います。

 

過去に囚われて生きる人の多かった時代から、未来を豊かに夢見ることができて、今までよりも容易に実現できてしまう時代になるということを、私は自分のワークに向き合うことで体現したいと思っています。

 

「夢は叶えるもの」そんな何かのキャッチフレーズ?を見る度に、「。。。なるほど。。。?」と頭で分かったような、分かっていないような感じでした。本気でやってみたことがなかったから。成功体験がとぼしかったからかもしれません。挫折の否定的な体験にとらわれ過ぎていたこともあります。

 

でもようやく、夢に向かって前進したいと、感じています。小さな子のように、新鮮で曇りのない目で世界を見て歩んで行きたいとも思います。そして、そんな風に感じている人たちが増えてくるだろうと信じています。トラウマを経験した人にとっても、希望の持てる世界になって行くーそう信じていたいし、そういう世界を少しずつでも自分の周りに作ってみたい。そんな心境の変化が次々と訪れています。

 

 

。。。②へつづく。。。かも(笑)

 

長い文章におつきあいいただき、いつもありがとうございます!

 

どくしゃになってね…

 
 

 
みなさまナマステ~。
さてちょっと時間が空いてしまいましたが、
 
今日は「自分軸の再構築ワーク」第④回目です。
 
前回までのワーク&振り返りはこちら↓
 
前回までのワークで開封された様々な記憶と
肯定・否定の両方の感情の扉が開いた今、
 
それらをどう処理するかが大事な鍵となります。
 
前のブログ「蘇える「原体験」について」でも書いたように
記憶のよみがえり、感情のフラッシュバックが起こる中、
後悔や懺悔や反省などの「否定感情」が
再び強く作用し自我を苦しめる時期があると思います。
 
この期間はゆっくりと時間をかけ、
これらの感情を丁寧に扱っていくようにします。
 
気分的にはとても辛い時期です。
しかし、ここでこれらの否定感情に浸り過ぎたり、
逆に焦ってポジティブ思考に走ったりしても、
両方、逃げ道になってしまう場合もあります。
 
そこで着目したいのが、
これまでの自分が持ちつづけてきた
「自動思考」と「古い信念」です。
 
これらは過去の人生の中で大きな失敗や挫折、
傷ついたことで培われてきた「心の癖」とも言えます。
それらを、できる限りで良いので探して行きます。
 
ワーク①~③までをすでに行っていて、
 
①日常生活でのストレス=願望に気付き、
②ネガティブ感情を抱いたままの自分を認め、
③自分を客観的に見る視点を得る。
 
の、プロセスを経ればよりやりやすいと思います。
 
 
1.「自動思考」に気がつく
 
今日のワークの1つ目です。
自動思考」というのは、特に認知行動療法では
「何かストレスを受けた時に浮かぶ不快な感情、
ぱっと浮かぶ考えやイメージのこと」とされます。
 
人によって同じ出来事に対してどう感じるか、
「認知の歪み」や癖が浮き彫りになる部分です。
タイトルにした2つの中でも、より抽象的でつかみどころのない
「モヤモヤ」「イラっ」「どんより」というような感覚ですが、
この自動思考を意識に上げて行こうと思います。
 
ワークとしての作業方法としては、
日常のストレスや出来事に触発されて出てくる
この否定的なイライラ、モヤモヤ、ドンヨリの感情に
まずは気がつくことです。
 
毎回練習していくうちに判別できる様になるので、
あえてメモ等に残す必要はありません。
 
私がよく感じるのは、
 
「また遅くなっちゃった」 (焦り、ピリピリ)
「また失敗しちゃった」 (落胆、ドンヨリ)
「この程度しかできない」 (失望、ガッカリ)
「いつも思い通りに行かない」 (イラっ)
 
という感じでしょうか。
 
長年トラウマという心の傷を抱える人は、
この様なネガティブな自動思考にはまり、
過大にフォーカスしてしまう傾向があります。
 
逆に言うなら、「うまく行っていること」よりも
「うまく行っていない」側面ばかりに流され
 
「やっぱり全てがダメ」だと
早急に結論づける傾向が非常に強いのです。
 
結論をつける、白黒つけることをせず
まずは「しばし脇に置いておく」ことにして
それを見て「気がつくこと」です。
 
感情に良い・悪いのジャッジをしているのは
「事実を歪める癖」を持つ自我です。
 
ですから、ジャッジメントしようとせず
不快な感情が沸いてくる時には
そのメッセージを聞き取り、迎え入れ、
それに執着せずにそれが去るに任せます。
 
このような感情の扱い方は
マインドフルネス瞑想」の1つの手法でもあります。
 
ここでのポイントは、勝手に出てきてしまう自動思考の
「否定的な評価」への偏りが見えてくるかどうかです。
 
続けて行くと、自分がどれだけ偏っていて
「肯定的な評価」を先延ばしに(無視)しているか
が見えるようになります。
 
このパターンにある程度確証が持てると、
「アファメーション」や「感謝の日記」等の
肯定的な習慣の練習を始められる様になります。
 
潜在意識下の自動思考が
一体何を日々自分に言い聞かせているのか?
それを言葉に(意識)できないうちは、
「自己肯定」のワークに進むことに
まだ抵抗や障壁を感じてしまうのです。
 
焦らず、気付くことを習慣にして行きましょう。
 
 
 
2.「古い信念」を検証する。
 
2つ目は今までの行動基準になってきた
「古い信念」がどの様なものなのか
 
A.「リストにする」という作業と、
  ↓
B.「検証する」という作業です。
 
例えば前のブログで私が書いたような
「子供の頃の辛い出来事」が
思い出されてくるのに伴って、
その時形成された考え方が見えてきます。
 
私の場合は、
 
「両親が私の話を聞いてくれなかった」
という出来事の後、
 
「親には本心は言ってはいけない」
「兄弟にも心は許せない」
私は誰にも理解されない
 
というように、頑固な「信念」にまで
成長・定着してしまった考え方を明らかにします。
 
リストを作る際には
出来事」と「否定的な信念」を1セットにすると
より検証しやすくなると思います。
また、その出来事をより詳しく思い出すにつれて
ことの次第や内容につっこみ(検証)を
入れやすくなります。
 
 
A.【古い信念リストを作る】
 
出来事(1)
・そういえば昔、恋人に振られる時に、「君は僕のことなんてどうでもいいんだろう」と言われた。
(過去の事実)
どうでもいいなんて思ってるつもりはなかったのに。
(意に反していたということで、執着している)
彼の方こそ「私のことなんかどうでもよくって、いつも1人で遊びに出かけてしまった」
(相手への責任転嫁)
だからお互いさまで未練はないけど、いまだにまだモヤモヤすることがある。
(現在の自動思考)
親しい人から優先されないと、嫉妬したり落ち込んだりする。
(今の癖)
いつものことだから仕方がない。
(あきらめ)
信念(1)
だって私は誰からも理解されない人だから。
 
 
私の様に複数の過去の出来事が
似通った/同じ否定的信念に裏づけされてた、
ということも多くありえると思います。
 
トラウマが年月とともに連鎖して
また1つ新たなトラウマを産み出してしまう
仕組みの1つだと考えられます。
 
リストは上の例の様に連想方式でもいいし、
図や表にしても良いです。
 
認知行動療法では確立された表もあります。
1つの出来事/信念のセットだけでなく
複数書き足して行くうちに
類似点・問題点に気がつくようになります。
 
 
B.【古い信念を検証する】
 
上のリストで出てきた、
こだわりの強い否定的信念について
「認知の歪み」を見つけて行きます。
すると、もっと広い角度や観点から
「事実」を認識できるようになると思います。
 
ここでは、
自分で「質問」し自分で「回答」する
という手法を使って行きます。
質問はほぼ1つだけ。

それは事実ですか?」、です。

 
 
検証 - 「私は誰にも理解されない」(例)
 
質問: それは事実ですか?
回答: 事実です。

だって今まで誰も理解してくれなかった。

     ↓
質問: それは事実ですか?
回答: 事実です。
両親や姉妹や親しい人は大抵
私を理解できずに離れて行きました。
     ↓
 
質問: それは事実ですか?
回答: 事実ではありません。
少ないけれど長年の親友がいます。
私を受け入れてくれた夫がいます。
     ↓
質問: それは事実ですか?
回答: 事実です。
私を理解して仕事を任せてくれる
会社にもいくつも恵まれました。
 
 
検証は以上です。
これを思いつく限り、時間の許す限り
丁寧に検証して行くと良いでしょう。
 
のところで、「事実です」が、
「事実ではありません」、に反転しましたね。
 
事実ではないのです。
今はもう、事実ではなくなった。
 
もう役目を終えた「古い信念」を
アップグレードする時が来ています。
 
 
本日のワークはここまで♪
 
今回までのワークでは否定的な
感情・記憶・自動思考・古い信念について
新たな視点を持つ練習をしてきました。
 
次回のワーク⑤~でも
否定を肯定していきながら(笑)、
自己肯定のワークに進みます。
 
具体的にどの様な手法があるのか、
私が行って効果のあった方法を
ガチンコな実践経過を交えながら(汗)
説明して行きたいと思います。
 
 
ブログを読んでいただいている皆さまに
心から、感謝の気持ちをお伝えしたいです。
 
心の闇と向き合うことは、チャレンジです。
自分を大切にする、相手を大切にする。
その思いだけでクタクタになりながら
意地だけでやって来れた私です。
 
誰もが本当は1人きりじゃないんだ。
 
ブログは私に気付かせてくれました。
 
いつもいつも私に
前を向く力を
ありがとうございます。
どくしゃになってね!