今回の台風は 結構 ひどい雨と風 だったらしく

うちの バナナは 壊滅。

ゆうても バナナは 木ではなくて 大きな草ですから。

ま このくらいで よかったよ。

フクギの木は 凛々しく 立ってます。

 

娘とだんなさんとが 雨風が止んだ時に うちの様子を見来てくれてたり

いろいろと 気づかってもらってて

ありがたや。

うちの右隣のおうちは 屋根瓦が 吹き飛んでたらしく

うちの左隣の畑は ハウスが くちゃくちゃになっていたらい。

 

農家さんの マンゴーハウス 大丈夫かな。

 

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娘たちのおうちも 庭木が 枝を 散らかしてるだけで

大きな被害は 今のところ なかったようです。

今週末に また 台風戻ってくるみたいだし ちょっと まだ心配。

今帰仁帰ったら 大掃除だね。

 

時々 停電も あったようで でも すぐに 復旧したようです。

南部のほうは 被害が 大きかったのかも。

 

おととい 彦根のスーパーで 沖縄マンゴーが売られているのを見つけました。

今帰仁の かねひでで 売られてるのと 大きさも値段も ほぼ一緒だったけど

ちょっと 元気がなかった。

 

それに 精肉屋さんで ちゅらぶたも 売られてて おー びっくり。

こちらは かねひでの 2倍の値段でした。

といっても ほかの 豚肉と 同じくらいですが。

 

沖縄では ちゅらぶたは 安くておいしいから 

上等のロースの薄切りが うちの お気に入り。

上等でも そんなに 高くはない。

内地の半額だよ。

沖縄で 沖縄の豚さん お得なメニューです。

 

久しぶりに とくさん が やってきました。

教えてほしいことがあるといいます。

 

で 広島にいる 息子さんのところに行くのに

息子さんが飛行機をとってくれたらしく

ラインを見ながら これで どうやって 飛行機に乗るのか 大丈夫なのか

ということで

見せてもらったら 予約番号も とくさんたちの 名前もあるし

これを このまま ANAのカウンターで見せれば 大丈夫だよと

話しました。

でも 前日に 息子さんが 多分チェックインもしてくれて 

搭乗券も送ってくれるんじゃないかな。

 

広島空港から 電車に乗るのも 不安らしい。

確かに 若いときは ちょっとした冒険も わくわくして

楽しむことができたもんですが この年になると

慣れないことするのは 不安だよね と 

とくさんの気持ちに 納得しておりました。

 

40代から 50代くらいまでは 

自分の中の 経験と可能性のバランスが

一番良かったような気がする。

 

飛行機といえば 

マイヨラインが 会いに来るといってたけど

どうなるのかな と 思い出した。

 

マイヨラインは 中学校時代からの ペンフレンドです。

もう 50年近い昔のことで 郵政省が 日本郵便友の会 とかで

ペンパルの 紹介をしてくれてました。

24歳の時 私は マイヨラインに会いに行きました。

飛行機は アラスカ経由で ヨーロッパへ 飛んでいた頃です。

 

ちなみに 私は ベルリンの壁ができた年に生まれて

ベルリンの壁が なくなった年に 母になりました。

ま それが どうってことはないけど。

 

私より 2歳年下の マイヨラインは その時

専門学校みたいな 学校に通っていて

私を 学校に連れて行ってやるからと

自転車の後ろに乗せてくれて 

一緒に 授業を受けさせてくれました。

先生に紹介してくれて マイヨラインと 一緒に椅子に座って

何の勉強してるんだか 訳もわからず 楽しかったです。

 

マイヨラインには 双子の姉妹の カロリンがいて

一卵性で 全く そっくりだけど

性格は 全然違う。

カロリンのアパートで 日本の料理を作ってくれというから

だし巻き卵を作ったら

マイヨラインは 卵は 食べないという。

卵を食べるのが 残酷に思えるらしい。

だし巻き卵を見て 首を 横に振ってるマイヨラインのとなりで

カロリンは へー卵巻きおいしそー みたいなうれしそうな顔してた。

やっちまったな と 思ったけど

カロリンと二人で だし巻き卵 食べました。

 

そのあと マイヨラインのアパートで

日本そばと 炊き込みご飯を作ったら 結構な量を食べて

日本食って お腹がいっぱいになる と 喜んでた。

そら そば食って 飯食って しかも わたしの倍くらい

そりゃ 腹 満腹になるよ。

とっても かわいい マイヨラインでした。

 

あの頃 マイヨラインは 都市計画みたいな宿題をやってたかな。

未来の 都市公園の設計をしてたのを 覚えています。

 

で ちょうど うちの父が そろそろ という時

10月に 日本に行くからとメールが来て

今 うちの親 危ないから と 返事したのに

葬式の最中にも ブビー ブビー て メールが来る。

うちの近くで 泊まるところないかとか

琵琶湖でワイルドな遊びがしたいとか

忙しい事情が わかると思ってしばらく ほっといた。

で 落ち着いてから 

一体 どのくらい日本に滞在するのか

ワイルドな自然がいいなら 琵琶湖よりは 沖縄がおすすめ

て 返事書いたけど それからまた 何の便りもなし。

 

マイヨラインと出会って 彼女は あれから ベジタリアンというかビーガンていうか

いろいろ やってたようですが

20年位前から ヨガをやりだし 今 ヨガ教室をやってます。

で 最近は また 都市設計の仕事も やりだしたわ。

 

カロリンは あの頃 ロッテルダムの美術の学校に通っていて

今は リサイクルアーティスト として 仕事になってるみたい。

洗剤のボトルやらの プラスチックの廃材で アートを作ったり

子ども相手に ペットボトルのロケット教室やったり

時々テレビ出たり 雑誌に載ったりしてるらしいが

あちらで テレビとか雑誌とかが どの程度のものなのか ようわからんですが。

 

そのあと 何回か ヨーロッパには旅行に行ったけど

マイヨラインには 会ってない。

多分 私とマイヨラインは お互い 気の合うタイプではないような気がするのだが

なんで お互い 続いてるんかね。

共通点は 珍しいもの好き かもしれないけど。

でかいオランダ人と ちびな日本人

いくつになっても お互い 珍しい。

 

マイヨライン 10月なんて あっという間に来てしまうのにね。

さて どうするんだか。

マイヨラインには 初めてのアジアだと思う。

あまり 年行き過ぎないうちに とか思うのは やっぱり 日本人だからかな。

 

コロナも落ち着いたし

また 旅行に行こうかな とも 思うのだけど

飛行機で 8時間も 9時間も は ちょっと もう しんどいなあ。

ビジネスクラスがあるさ と思うけど

仮に 二人で ビジネスクラスで ヨーロッパ行くとなると

欲しーなー と 思ってた 軽トラのダンプが 新車 で買えるわけで

どーしようかなー 

どちらかといえば ダンプかも。

いや それなら どうせ 行くなら

1ヶ月くらい スイス あたりで 宿 借りて ゆっくりしたいなあ。

フランスとかイタリアとか 行きたいなあ。

 

で 結局 ピカチュージェットで

今帰仁と彦根を 行ったり来たり してるんだな。

 

そう 今回は 夏休み中で 大好きな ピカチュージェットも

かなりの値段だったので

ANAの マイルを使わせてもらって 父の四十九日に戻ってきました。

ANAだと やっぱり 気分が違う。

が しかし 自分たちには ピカチュージェットが お似合いと おもいました。

はい おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父に

良いお葬式をしてあげられたな    と

思うのだけれど。

 

きれいな顔にしてもらって

ピカピカの白い着物を着せてもらって

丁寧に ひつぎに収めてもらったのに

なのに たったの1時間半で 骨になって出てきたときは 衝撃だったな。

 

60になって 90の親のお葬式は 結構きついな と 感じる。

 

大工小屋の掃除をしてたら 墨壷が出てきた。

自分が もう少し若ければ 

大事にとっておこうと 間違いなく思ったんだけど

自分も そろそろ 先が見えてきてる訳で

さてさて どうしたもんだか。

 

行年 92歳。

尋常高等小学校を出て

大工の丁稚奉公に。

 

営業・打合せ・見積・設計・施工

全部自分でやって

100軒近くの

公民館や 家や 小屋やら の 木造建築を 建ててきました。 

親方の下にいたころは 昭和の天皇陛下のうんこ箱も

作ったことがあるらしい。

昔は 出かけられるときは 必ず検便してたらしいが

ほんとかね。

 

父が 残していってくれた 90年の 物語。

教訓が満載の 喜劇の傑作。 

 

 

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急用で 彦根に戻ってきました。

 

沖縄に比べると

空気の キメが粗い とでもいうのか

やっぱり 肌も 目も 乾燥します。

目薬さすと 鼻炎を起こす。

で 鼻うがいして 鼻にスプレーする。 

手足に クリーム塗る。 忙しい。

空気が 肌に なじみにくとでもいう感じがしてます。

 

沖縄で 土木の仕事をしている方たちも

日焼けはされてるんだけど 肌つやが 良いのですよね。

 

 

昔のこと でも やっぱり 将来のこと 考えながら

自分たちの 彦根の家 また 実家を 

あっちこっち 行き来しながら また 相変わらず お片付け。

不必要になってしまったものが 年々 増えていくね。

 

と そこへ 自転車に乗った みっちー が通りかかった。

 

おー 帰ってるんかい

 

と 自転車を降りて 立ち話。

今年 90歳 になられますが お元気です。

久しぶりに ちょっと しゃべってみようかと

椅子を出して 二人して腰かけて 世間話。

 

みっちーは 30数年前の 元ソウリの いとこ。

両親が 早くに 亡くなられて 弟と 二人

元ソウリの家で 元ソウリと共に育ったそうです。

 

最初は わが県から ソウリだいじんが出たことに

みんな 誇らしく思ったものでしたが

お母さん指と お兄さん指と お姉さん指を立ててみたんだが

桁ひとつ 間違ってた とかで

ほんの 3ヶ月くらいで 終わっちゃって

所詮は  わが1県民 そんなもんなんかい 

と 結局 恥ずかしく思ったものでした。

 

でも みっちーは そんなことより お山の頂点に立った時の話を

いつも 楽しそうにしてくださる。

 

で やっぱり その わずか 3か月の間に

公邸には 親戚一同で 遊びに行ったそうです。

スマホ どころか 携帯電話も 普通に 持ってなかった時代ですけど。

なんとか事件の 弾のあとも 見てきたよと おっしゃってた。

 

某国から いろいろ書類が来て

それをもとにできた書類に 大臣が 署名と花押を書く部屋 というのがあるそうで。

花押 かおう と読むそうですが はんこではなくて 自分の印を 筆で書くそうです。

戦国時代あたりの 古い文書にかかれてるあれですかね。

部屋には 立派な 硯と筆とが おいてるそうです。

今日も ひとつ 知らなかったことを 教えていただきました。

自分の 花押を 作っておくと良いよ と 言われたので 作ってみようかな。

 

建設会社で 電気を担当していたみっちーは

コンピュータが 一般に普及しだしたころ コンピュータを 自分で組み立てたらしい。

今も 私らよりは はるかに賢い 90歳 であります。

もしかして プログラミングとか できるんかね。

 

ついでに LGBT についての感想を聞いてみたら

 

人間 どっちでも 何でもよいですよ。

ただ 社会に 何か貢献できること のほうが大事 と 言われた。

 

60 過ぎると 頭や心の 中身の格差 というか

も 広がってきて また その差が わかりやすくなっていくなあ 

と 思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
ちょっと近くに 

広くて 一応 住める家付き 畑もある

便利な地域に近くて 自然に囲まれた 静かな場所
があるらしい。
へ~~~ 
で 探検に。
 
大体の場所はわかるのだが たどり着く道がわかりづらい。
菊畑を どんどん進んでいくと
いきなり
左右に高さ10mくらいの 大きな岸壁と岸壁。
そこに 鍾乳洞のアーチがかかっているという風景にぶつかりました。
アーチの向こうは 陽が差していて その下は山からの美しい水が川になって流れ着いていて
小さな池のようになってた。
で 右側の岸壁に 窓のような穴がいっぱい。
一目で お墓だとわかりました。
グスク時代のものなのか もっと古い原始時代?
 
神々しいというのか 恐々しいとでもいうか
自分的には 世紀の大発見気分。
ちょっと怖くて 写真を撮っておこうとは 思えなかった。
 
結局 目的地にはたどり着けず
公民館の 区長さんのところに行く。
そこで 大発見の話を 聞いてもらう。
 
あのお墓は 戦前戦後くらいまで 使われてたらしく
そんなに古くないらしい。
でも 場所が不便なので 使われなくなって
みんな 中は 別の場所に建てたお墓に移されてるらしいです。
びっくりしてる私の話を 
おもしろそうに聞いてくださる 区長さんと書記さん。
公民館には 区長さんと 事務仕事をされる 書記さん がおられます。
 
でも 穴掘っただけでなくて 
どこかの国のように
形も色も とりどりに装飾されてたりしたら
きれいで 全く違う雰囲気だっただろうな。
あんな 高いところに どうやって穴掘ったんですか て 聞いたけど
区長さんも わからないよ でした。
 
目的地は あの 鍾乳洞のアーチの その向こうらしく
接道がないらしい。
沖縄県には 結構多いですが
隣の土地を 通らせてもらって たどり着くらしいです。
 
うちからも 直線で2.3キロくらいだけど 
ぐるりと回り道で 車で 10分はかかる。
でも 便利な地域に近いところ は 間違いではない。
 
裏庭の フクギの木が 花をいっぱい咲かせて
花が ポチポチ 落ちてきてます。
白梅のような 小さなかわいらしい花です。
ふと 桜の季節の 
ピンク色に敷き詰められたアスファルトの道路を思い出す。
 
台風が通り過ぎてから 庭掃除かな。
 

 

村にある材木屋さん

建築資材のほかに 農業用の資材もあります。

刈った草を集める てみ を買いに。

隣町のホームセンターに行けば 簡単に買えるんだけど

ゆんたく をするために この店に行く。

 

今 店にはないけど 取り寄せで 午後には持ってきてくれるらしい。

うちの 田舎では みい と言って 昔は竹で編んでたやつだけど

沖縄のはるんちゅは 何と呼ぶか とか お店でゆんたく。

 

やんばるんちゅの 皆さんは 一見 不愛想な方が多いけど

顔と名前を覚えてもらえると 

久しぶりですね と 愛想よく 迎えてくれる。

問屋さんに てみ の種類を問い合わせてくれて ラインで商品の

写真をやり取りされてる。 

意外と 迷ってしまうくらいたくさんの種類があった。

ホームセンターにあるのは 2種類だけだったんだけどね。

その写真を見せてもらいながら 注文。

今日も 良い時間を 過ごしてます。

 

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少し前に ユーチューブで ローマのコンクリートの話を聞いてました。

千年たっても 壊れないんだね。

専門家の話を ものすごく わかりやすく おもしろく話をしてもらえるのは

学びやすく 楽しい。

 

ちなみに 沖縄の 鉄筋コンクリートRC造は

戦後 海岸の砂を運んできて 造った建物が多いらしい。 

無料で運び放題だったらしいから 安くでおうちが 建てられたんだろな。

今も残ってるものは たいがい 中の鉄筋がさびさびになって 

膨張して コンクリートを中から ぶち壊してます。

そりゃ 錆びるよな。

それでも ボロボロのまま 適当にペンキ塗って

まだ 残ってる建物が たくさんあるので

結果 何となく きたない建物の集まりに なっちゃってる。

家でも 車でも ガムテープで補修しているのをよく見るのも おもしろい。

 

もしも 沖縄で 大きな地震が起こったら

えらいことに なりそうです。

が 本島の地盤は 不思議にものすごく硬い らしいです。

が 何が起こるかは わからないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やんばるから 彦根の田舎に 戻ってきた。

日本の田舎を行き来してます。

やんばるは夏日で 暑かったけど

彦根は まだまだ 寒いです。

足元から 冷えあがってくるよ。

 

久しぶりに スーパーへ買い物に。

かねひでに比べれば 野菜・果物の品数が豊富で安いが

調味料の品ぞろえは かねひで さんえー には かなり劣る。

また うちから 遠く 車で20分。

夜も8時には しまってしまう。

コンビニも 車で5分。

やんばるだと 二人で1台の車が必要ですが

ここだと 一人に1台の車が必要で

そのうち1台は 雪道走れる四駆のジムニー。

 

住みやすくて 仕事もしやすいとなると

はて どこに 住むのがいいのかね。

便利すぎる都会には住めないし

このあたりの駅近マンションとかどうなんだろね。

とりあえずは 持ち物を シンプルにしようとお片付け。

うちの人は 役所への図面・計算書づくりに大忙し。

 

昼の明るいうちにと お庭掃除してたら 前の家の まさと が 遊びに来た。

まさと も 20数年前に この団地にログハウス建てて

中古のシトロエンを売ってたりしてたけど

今は別の場所で 車屋をやってます。

 

まだ 30代だったあの頃なあ。

まさとから買った 超ポンコツのシトロエン。

洗車機 掛けたら バックミラーが 外れた。

雨が降ったら ワイパー壊れた。

高速走ったら スピードメーター壊れた。

普通に走ってた時に ブレーキ効かなくなって

エンジンブレーキで 車止めて まさとに連絡。

あの頃 携帯電話って 普通にみんな 持ってなかったよな。

シトロエンAX は そのまま まさとの ガレージへ。

もう うちには 戻ってこなかったね。

 

まさとが 引っ越した後 わだっち が そこを借りてたな。

今 ひこねしちよう やってます。

名は ひろゆき ええ名前やな。

あの頃は フェラーリ乗って ジッポの ビンテージもんのライターとか売ってたな。

映画好きの わだっちは アメリカから仕入れた

トップガンでマーヴェリックが着てたのと同じ つなぎの 服に

ワッペン いっぱいつけたの なんかも売ってて それを 買って

それ着て うちの 外回りの工事をやったりしてた。

 

今は 立派に市長を務めて ひこね とう とか立ち上げたらしい。

賢くて やんちゃ やったけど 結局のところ

やっぱり やんちゃで賢い。

 

いまは 忙しくて だれも せんきょのあと わだっちに あってないらしいが

いつか 今の仕事にも飽きて 時間できたときに また

フラリと やってくるかもしれんけど

その時に うちらは どこに いるんだか。

また 出会えれば いいけどね。

 

昔を思いながら とりあえず お片付け お片付け。

 

 

 

 

 

 

 

 

排水工事 やっと 終わったよ。

で 最近 左腕の痛みがひどくて

内科 整形外科で 診てもらって

結果 病気もなさそう。

 

この4か月は おもしろくも 楽しくもあったけど

ストレスも大きかったようで

少ない筋肉が 硬くなってしまってしまっていたらしい。

 

整体で ほぐしてもらいながら

回復させながら 出張の準備してます。

 

やんばるとはいえ いまのところお医者さんも 充実してるし

出張整体もいくつかあって 便利。

特に 娘夫婦と同年代くらいの 自分で仕事をしている方たちが頼りになる。

これは ありがたいです。

 

肩甲骨はがし とか やってもらいながら

老後は 年金生活より 納税できる個人事業者であり続けることが目標だなあ。

と 思う。

とはいえ 若い方々の 邪魔にならないように ではありますけど。

これが大事。

 

子どもが 親よりも 大切にできる

相手なり 物事・仕事なり に出会って 

生活していることって

これ以上の親孝行はないと 思う。

これも大事。

 

さてさて 我々も これからのこと考えながら 

結局 今現在の 好きなこと 大切なことって 仕事なんだなあ と

笑ってしまう。

 

庭に埋めておいたアボカドの種。

芽を出して 苗木になって 木になろうとしてます。

島のパワーを感じ取ってます。

育てたものが 自分よりも大きく成長してくれたら

ほっと安心して 離れたところから見守りながら

自然に枯れて なくなっていく。

これが一番大事。

 

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排水工事が終わったら 一度 彦根事務所の仕事を片付けに戻ろうと思うのだが

いつまでたっても終わらない。

 

まさひろ社長は 他の現場で 

夜明けとともに ユンボを ガチャンコ ガチャンコ やりだして

警察に止められたり

地面掘ってて 配管 ぶっ壊したり

重量オーバーの でかい石をすくい上げて 

ユンボ壊して 落とした石で ダンプまで壊したり。

 

留守にしちゃうと その間に 

うちでも やらかしちゃう可能性もありで

あたたかい やんばるで 工事監督して すごしております。

やんばる古民家 より まさひろ劇場になってきたよ。

でも 現場が 予想以上に 良くなってきてる ので

やっぱり文句が言えない。

仕事 見てると ユンボ使いも上手だし 

仕事をこなす量も多いが 失敗も多い。

そして 懲りない。 

結構 無茶苦茶なところも 悪気がないので 憎めない。

見てると おもしろい。

だからよー。

 

もともと アメリカで暮らす よしおちゃんと かよちゃんに

沖縄生活を 伝えていこうと 始めたブログなんだけど

このところ 写真撮るよりも 楽しい毎日が続くもんだから

すっかり 色気のない記事になっちゃってます。

少数読者の 身内ブログですけど。

 

工事が終わって 落ち着いたら

沖縄の 何かまた 新しいこと 見つけたり発見したりするからね。

とはいえ 毎日 新しい発見だな。

スタッフさん曰く うちなんちゅの中でも まさひろ社長のタイプは希少だそうです。

内地には 割と よく見かける 

典型的な 土建屋タイプなんだが。

出会えて ラッキー と しておこう。

 

昼間は メールや電話の対応しながら 

まさひろ社長 手伝ったりしながら 仕事してますが

夜は 落ち着いて 図面書いたり計算したりで

大体 夜中の2時3時まで 1日中 ゆっくり仕事。

パソコンの モニター 二人で 5台あるので 

夜は you tube が見放題。

おもしろい動画は よしおちゃんとかよちゃんと身内に 教える。

朝は 8時か9時まで ゆっくり寝てるのだが

たまに まさひろ社長が 早くに 起こしに来ます。

それにも 慣れてきたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさひろさんには 3人のスタッフがいて 一応 小さな有限会社の社長でもある。

ここひと月以上の間 スタッフさんだけで仕事されてることも多く、

スタッフさんとも お互い気心が知れてきました。

たまに 一緒に仕事してるしな。

 

排水工事も 排水管をいれれば ほぼ完成なんだが

その排水管を まさひろ社長が いつまでたっても 持ってこない。

1週間も待ってるのにねえ。

 

ただ 今回の工事は うちは 仕事の依頼主ではなく 工事費用の負担もなく

でも うちの思い通りにしてもらえるというありがたい工事なので

わたしも まさひろ社長には 文句言えないんだよね。

 

でも いつもこうらしい。

段取りが悪いなあ とか

そのくせ スタッフには 結構厳しいこと言うんだなあ とか

缶コーヒー差し入れして いつもの雑談。

ケラケラ 楽しく 社長批判。

酒飲んだ時に 社長に 段取り悪い話したら 3倍になって返ってきたとさ。

今度 給料いくらくらい貰ってるのか 聞いてみよう。

 

そんな3時   おとなりさん その2  登場。

ここ 何してるんですか と 聞かれる。

排水工事ですよ と答えました。

 

おとなりさん その2 は うちのとなりのとなりのとなり くらいに

畑があるんだが そこで 隣が入れた産廃が 自分の畑に落ちてきて

畑ができなくなってるらしいです。

だから この辺りで 重機やダンプが動き出すと いろいろ 心配になるらしい。

 

おうちも 割と近くだったらしいので

仕事が終わってから 近江米をもって 遅れましてのご挨拶に行きました。

そこで 最近 周りの風景が 変わってきている話を聞く。

 

辺野古に運ばれる 山から削った土砂は 一度 川で洗って きれいにされるらしい。

その時に出る汚泥が ダンプに何台も運ばれてきて 不法に投棄されて

今帰仁の土地が汚されていく と 嘆いておられた。

 

役場を定年で退職されたばかりらしい。

昔の風景を取り戻したいのだと おっしゃられた。

確かに 自分も 昔の風景を期待して 今帰仁に来てみたのだが

ちょっと 住みやすい場所は 確かに どんどん 変わっていくねえ

昔の風景 できるなら 私も 見てみたいですよ

 

と 言って しまったら

おとなりさん その2 は せつなそーな表情で 私の顔を見て

内地から 神様が 来てくれたんですかね と

おっしゃった。

 

いきなり持ち上げられて

自分でも 自分の口に感心しながら

ほほー ひょっとしたら このまま 

ここで 教祖になれるかもしれん とか 考えてしまいました。

 

でも

昔の風景を取り戻すことは ほぼ 無理だろうな。

残酷だけど。

時の流れとともに 物事も流れていくけど

物事の流れは いろいろあるから どの流れに乗るかを

自分で 見極めていくことくらいしか できないのかもしれないね。

 

個人的には 

沖縄県の建設業界に ますます 興味がわいてきた。

もうひとつ 個人的には

うちなんちゅの皆さんは

口のうまいお調子者のナイチャーには 気を付けたほうが良いと

思いました。