久しぶりに書いてみます。
バンコちゃんは、4歳3か月になりました。保育園入園のころ(1歳)は、周囲に月齢の高い子が多く、2月生まれのバンコちゃんは頭ひとつ小さい印象でしたが、ずいぶん差もなくなり、大きくなったなあ、と思います。保育園のクラスは一学年一クラス。バンコのクラスは18人中、女子4人、というところへ、赤ちゃんのころからのお友達が新しく途中入園され、少ないながらも女子5人に。ウキウキのバンコちゃん。だんだん女子ばかりで固まって遊ぶことも多くなりました。
しかし、母は若干気をもむこともまた多くなり。たとえば、先日、お迎えにおひる12時に行った時の出来事(いつもは、4時半か、5時半にお迎え)。
先生「バンコちゃん、おかあさんお迎えきたよ!」
バンコ「えーなんか早い1!もっと遊びたいのに」と、女子たちのおままごと現場に戻る。
どうやら、そこで黒い石を何かに見立てて(宝石とか)遊んでいたよう。
急にバンコ感情が高ぶり、泣きながら「みんなこれ(宝石)バンコがかえっても、使わんといてや!!これバンコが見つけたんやから!」「みんな自分で探してきてよ!!自分でー!!」
当然、そこにいた女子4人「えーずっる!」「ずっる」「ねーねーバンコちゃんのおかあさん、バンコちゃんが意地悪しはる」「バンコちゃん、そんなんあかんやん」と口ぐちに文句を言います。
それを言われて、バンコ、ますます意固地になり、使おうとする子にかみつかんばかりの勢い(そういえば、昔はほんとに噛んでたね・・)。本当は、「自分もこの宝石でずっと遊んでたかった」という気持ちが、「宝石、あたしのしらんとこでみんな使わんといて!!」に転じちゃったんだと思うのです。
そしてなんか、これってよくバンコにありがちな光景なのです。それまですっごく楽しそうに遊んでたのに、何かがあって、急に感情が高ぶり、なんだか本当の自分の意思とは違うような感じで意固地になったあげく、その意固地さでみんなから「だめやん」とだめだしされ、余計意固地になっておお泣き・・・というパターン。そして、そのあとバンコがどうかといえば、なんと怒ってたことも瞬間的にすぐに忘れてしまうようでけろっとまたみんなと楽しく遊んだりしてます。この日も、帰り道の車の中ですでに、「~ちゃんと~して遊びたいなー」と話したり。ここのあたりが、母にはちょっと理解しにくいのですが、こんなにきれいさっぱり忘れるのか?4歳児ってこんなもの?それとも、バンコの性格??
なんかいっつも同じ光景の繰り返しのように思え、しかも最後はみんなになんとなくだめだしされて終わるのもなんだかかわいそうで、ついつい間に入ったりしてたことも以前はありました。でも、やはり子どもどうしのことは、子どもどうしで解決していろいろ学んでいってるのを邪魔しちゃいけないな、と思うようになりました。
このうらやましいほど、何かを体験しても後くされなく、きれいさっぱり忘れてゆくこの時期(バンコだけではないと思うのです)。いっぱいいろんなことをみんなの中で体験して、自分で学びとっていける時期。それを大人が横からやいやいいって自分たちで学べなかったらとてももったいない。そう思うようになりました。
そして、女の子どうしでわやわや言ってるのをそばで聞いてしまうと、自分がその場にいる子(特にわが子)の気持ちになって、感情移入してるなーって気付きました。自分が同性だからでしょうか。そして感情移入しちゃうと、お恥ずかしながらわが子に「ずっるー」という子に対して「ずっるってなによーそんな言い方しなくてもいいやん!」とひそかにぷんぷん怒ってしまう部分も。ところが、どう考えても4歳の女の子たちの関係に、そこに「38歳のおばちゃん@4歳のわが子に感情移入中」が入るのは全然質が違うんですよね。当たり前だけれど。38歳のおばちゃんがもつ女性同士の関係と、全然精神構造が4歳の子たちは違うんだ、ということに気づいたのはほんと最近です。4歳ともなると、いっちょまえの口をきくようになるから、なんか誤解してしまうんですよね・・。
女どうしのやりとり、っていうのは、いくつのときも面白い。そこにとっても興味があるので、そういう小説や、映画はついつい大好き。ちょっと話がそれますが、角田光代さんの「対岸の彼女」は、思春期の一時のせつないほどの親密さと、そのことがいつの時代もどこかで自分の支えとなっているようなありように、なんだか涙してしまう小説です。これから、バンコが思春期に入ったら体験するであろうそういう世界を、全部知ることは決してできなくても、そして知っちゃったらいけないんだろうけど、ちらっと横にいてその気配を伺いしれたら幸せだなーと思う最近の母でした。
1歳4カ月になった、ボンくんの大暴れっぷりは、またいずれ・・。