本名は岡倉覚三(かくぞう)
幼名は岡倉角蔵といいます
横浜の横浜開港記念館付近に生まれ
地元福井県の福井藩出身の武家で
1871年に家族で東京に移転されました
東京美術学校
(現・東京藝術大学前身の一つ)の
設立に大きく貢献し
後に日本美術院を創設しました
近代日本における美術史学研究の開拓者で、
英文による著作での美術史家
美術評論家としての活動、
美術家の養成、
ボストン美術館中国・日本美術部長といった
多岐に亘る啓蒙活動を行い、
明治以降における
日本美術院概念の成立に寄与しました
「天心」は岡倉が詩作などの際に
用いた号であるが
生前には「岡倉天心」と
呼ばれることはほとんどなく
本人はアメリカでも
本名の岡倉覚三 (Okakura Kakuzo) で
通していたそうです
ある時
岡倉天心に
ある人がこう尋ねた
「 なんのために 書道をするのですか? 」
岡倉天心の答えは
こうだった
人間修養をするためです
要するに
良い人間になるために
書道をするというのです
私も師匠から
書道だけでなく
人間修養
精神修養
を学んだと強く感じています
中国の書法という 言葉には
書の法則を学ぶ 技術面が強調されて
いる気がします
我々がいう書法は
筆使いや形のとり方といった
書の技術的法則の意味ですから
日本の書道に対応する
中国の書法より意味が狭いのは
当然です
話が混乱しますが
書法という名が
書はまず書法を
身につけるべき
だという中国人の考え方を示し
書道という名が
技よりも
精神
人間性の表出を
重視する
日本人の考え方を示していると考えます
しかし 中国でも
法から出て自己を打ち出すことを
最終の目標とし
日本でも精神にすぐれた
技が伴うことを理念としています
どちらから入るにしても
両方が必要なのです
私は中国の書法では
王羲之書法を一番長く
勉強して参りました
こちらが王羲之を代表する古典
蘭亭序の一文です
この古典を
何度も何度も真似て書くことを
臨書(りんしょ)と言います
私は臨書を作品創作の前に
いつも続けています
他にも
多くの書聖が残した古典が
数多くあります
そこから書法を学ぶのです
そうすることで
書の創作の幅が広がります
私は 人間修養
精神修養の途中で
まだまだこれからです
いつか岡倉天心が言ったように
なんのために書道をするのか?
と問われた時
自信を持って
言える日がくるといいなと想っています
それまで日々 精進です
今日は先日記事にも綴りました
名刺のお名前(sign)の
創作をしていました
思いのほか
ご依頼を頂いて
人様のお名前を
あーだ、こーだ考えながら
バランスを見て
筆を持っています
基本的に毎日自炊で
今日は晩御飯に 具沢山の 豚汁を
作りました
お味噌汁は
飲む美容液といわれるくらい
身体に良いんですよ
実家で ほぼ毎日お味噌汁を食べていたので
大阪に来て もう10年
これだけは続けています
今からまた 筆を持って
お腹が鳴ったら
食べようと思います^^
皆さん 今日も一日お疲れ様でした