身分関係なく挨拶を受ける信長 ~天下の名物お買い上げ~ | ★織田信長の夢★ 鳴かぬなら 鳴ける世つくろう ほととぎす

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□■身分関係なく挨拶を受ける信長 ~天下の名物お買い上げ~■□


1569年(永禄12年)4月             信長 36歳


昨日の記事「二条城の建築現場監督・信長」で紹介した、義昭のための御所が二条に完成した後、信長は京都の寺や町人から天下の名物茶器を召し上げた。

「召し上げた」と言うと、信長が勝手に分捕って行ったという良くないイメージがあるが、そうではない。
信長は、名物に相応した金銀や米を出してきちんと買い上げている。


この時、買い取った名物は、

大文字屋宗観所持の茶入  「初花(はつはな)」
→天下三肩衝
現在、徳川記念財団に所蔵されている。

 
「初花」  (ブログ「ゆこもりな日々」様より)

祐乗坊所持の茶入  「富士茄子(ふじなす)」
  →天下三茄子の一つ。
現在、前田育徳会所蔵。

 
「富士茄子」   (『歴史群像シリーズ 【戦国】セレクション 激震 織田信長』より)
 
法王寺所蔵の竹茶杓
 →朱徳作の竹茶杓
現在不明。

池上如慶所持の茶入   「蕪(かぶら)なし」
 →現在不明。
蕪のような膨らみのない形状なので、「蕪なし」という。

 
※形のイメージとして載せてみた

佐野家所蔵の絵 「平沙落雁図」
→中国の禅僧画家・牧谿作の水墨画
東京の出光美術館所蔵

「平沙落雁図」  (「中国絵画史ノート」様HPより)
 
茶人の江村栄紀所蔵の桃底の花入
→現在不明。
花入の下部が桃のような形のもの。

 
※形のイメージとして載せてみた。

以上の六点である。

またこの時、信長は妙覚寺に滞在しており、連日都の有力者たちが信長に挨拶しに妙覚寺へ押しかけ、門前市のような賑わいだったという。

信長は、それらの人々と貴賤を問わず、一人一人と対面して、それぞれに応対していた。
民と気さくに触れ合う信長の性質は、誠に魅力的に思う。

この一節が記されている『織田軍記 巻第八』と、名物のリストが記されている『信長公記 巻二』を紹介する。


■織田軍記 巻第八■

①現代語訳

(前略)
(二条城の)御普請中、信長公は一条の妙覚寺に御寄宿されており、その間、色々なことがあった。
中でも天下の名物奇物を悉く探し出し、召し上げることになった。
松井友閑、丹羽五郎左衛門(丹羽長秀)に仰せ付けて、過分の代金を金銀にて渡して、買い求められた。

まず、上京の大文字屋が所持している初花という茶壺、祐乗坊の富士茄子という茶入、法王寺の竹茶杓、池上如慶の蕪なし、佐野の絵、江村の桃底である。
これらをはじめ、その数は際限ないほどであった。

また、洛中の諸名人、庄屋、年寄(町の長)、福者(裕福な人)の類いが様々な捧げ物をして、日々妙覚寺へ御礼に訪れていた。
(信長は)それらの人々を)貴賤に関係なく一人一人と対面し、それぞれに応対した。
各々は、かたじけない仕合わせだと思いつつ、帰っていたので、本当に(妙覚寺の周辺は)門前市のようになっていた。
(後略)


②書き下し文

御普請中信長公は、一条妙覚寺に御寄宿ましまし、其内色々の事どもあり、中にも天下の名物奇物悉く尋ね出し、召し上げらるべき由、松井友閑齋、丹羽五郎左衛門に仰せ付けられ、過分の代物金銀を遣し買い求められける程に、先づ上京に初花と云ふ茶壺は、大文字屋所持しけるを売上げ奉る。

ふじなすびと云ふ茶入、祐常坊茶杓、法王寺かぶらなし、池上如慶雁の絵、佐野桃そこ江村、此等を始めて其数際限あるべからず、扨(さて)又洛中の諸名人、庄官、年寄、福者の類、様々の捧物して、日々妙覚寺へ御礼に罷り出づるを、貴賤によらず一々に御対面あつて、それぞれに御会釈あり。

各忝き仕合に存じ、罷り帰りける程に、誠に門前市をなしけり。


■『信長公記 巻二』■

①現代語訳

さて、信長は金銀、米や銭に不足することはなかったので、この上は唐物の天下の名物を召し上げようとの仰せがあった。

まず、上京の大文字屋所持の初花、祐乗坊のふじなすび、法王寺の竹ひしゃく、池上如慶のかぶらなし、佐野の雁の絵、江村のももそこ、以上(の品)を、友閑、丹羽五郎左衛門を使者にして、(持ち主に)金銀や米を渡して、召し上げた。

天下の法令を定めて、五月十一日に美濃の岐阜に帰城した。


②書き下し文

然而(しかして)、信長、金銀米銭御不足無之(これなく)間、此上者(この上は)唐物天下之名物可被召置(召し置かれるべき)之由御諚候て、先、

上京大文字屋所持之 一初花、祐乗坊の 一ふじなすび、法王寺の 一竹ひしゃく、池上如慶が 一かぶらなし、佐野 一雁の絵、江村 一ももそこ 〆

友閑、丹羽五郎左衛門、御使申(申し)、金銀、ハ木遣(遣わし)、被召置(召し置かれ)天下定目被仰付(仰せ付けられ)、五月十一日濃州岐阜に至て御帰城也。

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参考文献

・『史籍集覧 19』 近藤瓶城 編、近藤出版部、1902-1926年
 ※この中に収録されている『信長公記 巻十三』より
・『現代語訳 信長公記』 太田牛一 著、中川太古 訳、中経出版、2013年
・『通俗日本全史 第七巻』 早稲田大学編輯部 編、早稲田大学出版部、1912~1913年
※この中に収録されている『織田軍記』より
・『歴史群像シリーズ 【戦国】セレクション 激震 織田信長』 学習研究社、2001年

 

 

 

 

 

 

 


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