ゆうきの話 -22ページ目

ただのたわごと

この文章は、ただのたわごとです。

直感で「読みたい」と感じた人以外は、読まないほうが良いかも知れません。

一期一会です。

もし、これを読むのであれば、あなたと私は何らかのご縁があるのでしょう。

このまま読まれないのでしたら・・・、まあ、それも人生です。

また別の記事でおあいしましょう。


では、書き始めます。



実は、自分だけが正常な可能性もある。

私は私がおかしいと感じているが、それが間違いで、私以外の全ての人間がおかしいと言う可能性もある。

もちろんこの考え方自体がおかしいと言う事は承知している。

でも、可能性としては、無い事は無い。

でも、地球上の自分以外の全ての人間がゾンビになってしまえば、自分は異常である。

たしか、そんな映画があった。

いま、「2001年宇宙の旅」を見ている。

私はこの映画が好きだ。

人類は何処から来て、何処へ行くのか、それは誰にも分からない。

私はこれからどうなるのか、そんな事、分かるはずも無い。

私はジョブズの言葉が好きだ。

彼の人格や、その他の偉業については全然知らない。

でも、言葉は好きだ。

「点と点がつながる事を信じろ」

点とはつまり「好き」だ。

好きと好きが繋がる事を信じる、これは難しいようだが、よく考えると、繋がる事は必然かもしれないと気がつく。

全ての好きは、自分自身が中心にある。

全ての人の全ての好きではない、自分自身の自分だけの好きだ。

それは一つの心に繋がっている、一つの愛に繋がっている。

これらがいずれ、互いに結びつかない理由は何処も無い。

すでに自分とは繋がっているのだから。

あとは、全てが互いに結びつくのを、ただ見守っていれば良い。

自然と好き同士は繋がる。

これは宇宙の法則であり、愛の法則だ。これはこの前のブログでも書いたとおりである。

だから、好きを追求すれば、自然と周りが大好きで満ち溢れる事になる。

それらはいずれ繋がって一つになって、新たな宇宙を創りだす。

たぶん、この宇宙もそうやって、何者かの大好きが沢山集まって出来たに違いない。

だから宇宙は愛で出来ていて、人間の心には愛があって、そして互いに惹かれあうのだ。

まあ、たまには私みたいに誰からも惹かれない人間なんて言うのもいるけどね。

まあ、私は例外だ。

とにかく、好きを見つけて、好きを集めて、好きを生きれば、大好きな世界が、目の前にある事に、ある日気が付く。

あなたの宇宙は、あなたの大好きで一杯だ。

これをしあわせと言わずして、何をしあわせと言うのだろうか。

そしてこれは、ほとんど必然だ、大好きを諦めない限り。

大好きを諦めないためにも、「自分の直感・心を信じる」事が大切だ。

直感とは137億年間の宇宙の結論である。

その理由は問うだけ無意味だ。

高々数十年ぽっちしか生きていない人間たちの浅知恵を吹き込まれてあれこれ悩むよりも、宇宙が137億年掛けて導き出した結論である「直感」を信じたほうがよっぽど良い。

でも、直感が一見外れた様に見える時、ちっぽけな人間は鬼の首を取ったかのようにあれこれ言い出す。

しかし、そんな雑音に耳を傾ける必要は無い。

だって、結論なんて、全く出ていないのだから。

まだ、無限に続く宇宙の物語の途中に過ぎないのだから。

直感が外れたように見えても、それは次の物語の布石であり、そんな事まで予測してあれこれ言える人間なんていやしない。

だから、直感が外れたと感じても、一切気にしないことだ、ただひたすらに、自分の直感・自分の心を信じていれば良い。

どちらにしろ、いずれ全ての人間は星屑になる。

夜空に輝く星の仲間入りするまでの、ほんの短い時間だけ、やりたい事をやりなさいと、宇宙が与えてくれた人生だ。

やりたい事をやらなくて、一体何をすると言うのか。

星を見たら、明日の自分だと思おう。

事実、そうなのだから。

そうそう、ギャンブルはもったいないよ。

直感はそんなくだらない事に使うには勿体無すぎる。

もっと、愛する事に使うべきだ。

もっと、大好きに使うべきだ。

それに、宇宙は大好き以外のハッピーエンドは用意していないと思うよ。

だから、直感は大好きに使って欲しい。



お、モノリス発見だ。


そういうば、モノリスは「2010年」では木星を・・・おっとネタバレはいかんな。

見たことが無い人はぜひ「2010年」を御覧あれ。

個人的には、2001年を見てからのほうが良いと思うけど。

しかし、ハルの次がサルとは・・・何だか面白い。

映画は面白い。

アベンジャーズは評判も良いので是非見てみたいし、プロメテウスも見てみたい。

こちらの評判は微妙だけど。

まあ、エイリアン好きは、見て損は無いらしいので。


映画の話はまた今度。


考えてみると、好きってなんだろうって話になる。

理屈を超えた感覚の世界、好きなモノの持つ魔法の力。

何で何かを好きになるのか。

きっと、それが足りないからだ。

自分に足りない物を持ってる、だから心のデコボコにぴったりとくっついて大好きになるんだ。

好きは自分の心の形。

心がデコボコなほどに世界が好きになっていく。

きっと、完璧な人間は、何も好きにならないんだろうね。

なるほど、だから世界はこんなに綺麗なんだ。

好きなもので溢れているんだ。

私の心がちっちゃくて、でこぼこしている心だから。

例えば、私はしょこたんが大好きだ。

これは私の心に無いものをしょこたんが沢山持っているからなんだ。

それが私の心にぴったりとはまり込むから好きなんだ。

それが好きって事だから、大好きって事だから。

こうして心のでこぼこを、好きな心で埋めてって、そうして心が強くなる。

大好きが、強い心をくれるんだ。

だから、強くなりたければ、大好きにならなくちゃいけないんだ。

大好きを見つけなくちゃならないんだ。

それを見つけることが出来たら、沢山集めることが出来たら、どんな困難だってへっちゃらだ。

宇宙は愛で出来ている。

大好きで心を一杯にして、宇宙で心を満たせれば、そんな心に敵は無い。

生きたければ好きになれ、大好きで、世界を満たせ。


まあ、あれだ、発作ってヤツだ、気にしないで欲しい。

でも、何となく分かってくれる人もいるとは思うから、そんな人がいたら、きっと私と気が合うかもね。


まあいい、気にせず今日も公開しよう。

公開せずに後悔するより、公開してから後悔したい。

嫌いじゃない、そういう感じ。


私は何を書いたのだろうか

何故書いたのだろうか

それはたぶん

あなたの心の中に答えはある


・・・・あなたはたぶん、何処にもいない。

私の心の妄想だ。

でもいい、それでも良いんだ。


ありがとう、私の心の妄想に表れてくれて、本当に本当にありがとう。

例え妄想でも、私の心は満たされる。


ん、眠いな、寝よう。


大好きなものありがとう。

あなたのおかげで強くなれます。

しょこたんありがとう。

あなたのピカピカ輝く心は、私のデコボコな心にぴったりです。

あなたの存在に心から感謝します。



睡眠はあらゆる問題を解決する唯一の方法です

おやすみなさい、良い夢を。

人生は難しい

今日も日課のしょこたんブログを読む。

今後に付いての打ち合わせをしたそうだ。


・・・・


確かに人生は難しい。

私なんて今だに難しすぎて訳が分からない。

たぶん一生、訳が分からないまま過ぎていくことだろう。

でもそれでいいんだと思う、根拠なんて無いけど。


そして、何かを続けるのも難しい。

でも、私は四半世紀以上、ただの一度も絵を褒められた事も無く、誰の注目も浴びず、一切欲しがられもせず、それでも絵を描き続けてきている。

文章にしたっておんなじだ。

このブログ、はっきり言って誰も見ちゃいない。

それでも続けている。

それは何故か、描きたいからだ、書きたいという衝動、それ以外の理由は何も無い。

そして、続けるにはただ一つ、続けたい気持ちを最優先にする、これしかない。

もちろん、その結果、他の多くのものを失う事だってあるかもしれない。

でも、そういうものだ、何かが欲しければ、何かを諦めなくてはならない。

あれもこれもなんて無理だ。

まあ、全部欲しいけどね。

でも、つづけるには、それと心中する覚悟でいかなくてはならない。

その覚悟さえあれば、何だって続けられる。

野垂れ死にするかも知れないけれど。

まあ、それも人生、一度っきりの人生だ、いいじゃないか、やりたい事が出来るなら。


まあ、このブログをしょこたんが見ているとは思えないけど、書くことで、この想いは伝わると信じている。

だからこうやって書いていられる。

こうでも言わなきゃ、こんなもの、単なる気の狂った頭のおかしな人間の戯言に過ぎなくなっちゃうからね。


しょこたん、強くなれ、その為の力なら、私の力でよければ全部あげるから。

人間、未来の事なんてこれっぽっちもわかりはしない。

だから、自分を信じて、ただひたすらに歩いていくしかない。

自分を信じる一番の方法は、自分を忘れる事だ。

自分なんて忘れて、限界なんて忘れて、未来の事なんか忘れて、ただひたすらに好きに向き合う。

好きの心を信じて、好きに向かって突き進め!!


まあ、無難で平凡な人生が良いのなら、無理する事は無いけどね。


ただ、私のオススメ人生コースは「好きに向かって突き進め!!」だ。

突き進め、突き抜けろ、小ざかしい現実なんて蹴散らしてやれ!!


そんなしょこたんを、いつまでも応援しています。いつまでも、どこまでも。


それにしても、まぁ、難しいよね。

でも、だいじょうぶ。

だって、私みたいな頭のおかしなやつだって、こうしてピンピンしているぞ、どうだ、恐れ入ったか。


とにかく、しょこたんの幸福を、いつもお祈りしています。


落ち込んだり悩んだりしたら、私のブログでも見るといいよ。

本物のヤバイ人が見れるから。

「私、まだ大丈夫だわ」って、きっと思えるから。


しょこたんの幸せと、そして上海公演の成功を心よりお祈りしております。


大好きなしょこたんへ愛を込めて

雑記という名の何か

今日の夕飯

カップヤキソバ

そらまめ



気が付いたので、書くことにする

ひとつ、気が付いたことがある、それは、ほんの小さな宇宙の秘密。

その秘密とは、発見の秘密。

発見されると、粒子は固定化され、自由を失う。

その代わりに、実体を得る事は出来るけど。

だから、見つからない事は、自由になれるって事なんだ。

自由でいたければ見つかるな、見つかったら不自由になってしまう。

その羽で空を飛びまわりたかったら、誰にも見つからないように、飛びまわれ。



絵を描きたいと言う気持ちがゼロだ


急に、頭が空っぽになった。

こんな時は、文章を書いたりしていればいい。

大抵、数秒から数年で元に戻るから。


BGM : QUEEN - BOHEMIAN RHAPSODY


年単位で何も描く気が無くなる時がある。

外部にモチベーションが一切無い状態なので、こう言う時は、ただ待つしかない。

私の描いたしょこたんの絵も、結局誰にも見られること無く、サーバの奥にうずもれてゆく。

サイトにある何枚もの絵も、結局、私以外が目にする事は無く、サーバの電源を落とせば、ネット上から永遠に消え去る。


BGM : Elena Filipova, Carlo Colombara, Etc.; Pier Giorgio Morandi: Hungarian State Opera Orchestra & Chorus - Verdi: Requiem Mass - 1 Requiem & Kyrie


今はただ、描きたいと言う気持ちだけで描いているので、それが無くなれば、描く理由は無くなる。

今はただ、待つしかない。

絵を描かなければ、瞑想以外にする事が無くなる。


いや、本当は描きたいモノはある。

でも、何かが止めている。

何かは分からないが。


でも、大体わかってはいる。

数字のばかやろーのせいだ。


数字のばかやろー

数字のばかやろー

数字のばかやろー


今日はこれくらいで勘弁してやろう。



炭化ホウ素が欲しい

私は鉱物が好きだ。

鉱物図鑑は、図書館で読む本の定番だ。

鉱物では無いかもしれないが、ダイヤの次に硬い炭化ホウ素が欲しい。

高いので買えないが、可能ならば、それでアクセサリーとかを作ってみたい。

たぶん硬すぎて加工出来ないけど。

そういう特殊能力を持った物質に非常に惹かれる。

炭化ホウ素ははっきり言って日常生活では何の利用価値も無い。

だけど欲しい。

そういう無駄な物質とかに囲まれたい。

鉱物標本とか、化石とか、そういうものにうずもれたい。

水晶の柱を見ているだけでテンションが1200%アップする。

鉱物・化石ハンターになって世界中を飛び回るのも悪くないな。


百日紅と雲とソラマメと

百日紅(サルスベリ)の花

ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話
ゆうきの話 ゆうきの話




ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話


冷凍のそらまめ


ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話


雑記だったりする

勘違い

読者になる、と言う機能は、相手に通知せずに読者になれると言う事に、今気が付いた。

そりゃそうだよね。

その機能が無くちゃ、面倒でしょうがない。

まあ、相手に分かって欲しい場合もあるから、使い分けられるって、いいよね。

わしって、おっちょこちょいだな。

気をつけよう。



そらまめ

私はソラマメが好きだ。

この中には死者の魂が入っているから、食べてはならない、と言う人もいるらしいが、もちろん私は気にしない。

守護霊を食べるのが影亡者なら、魂を食べるのが私と言うわけか、まあ、美味しいからいいや。

そういうば、「神の左手悪魔の右手」は、妹が持っていたのを読んだが、そのあまりのおどろおどろしさに、「読んだら呪われるのではないか」と心配して読むのを止めてしまったほどだ。

今なら読んでも大丈夫だと思うので、今度読んでみよう。

今では、数々の心霊番組やホラー映画を見たおかげで、ホラー耐性が5000くらい付いているので、大抵のホラーは大丈夫だ。

もちろん、びっくりはするけど。

恐怖と驚愕は違うと、つのだじろうが言っていた。

驚愕とはつまりびっくりする事、突然出てきた化け物に、反射的に体が反応する事、これが驚愕で、恐怖とは全く違う。

楳図かずおは、まさに恐怖の漫画を描く。

怖すぎてまだ全部は読んでいないが、乗り越えなくてはならない壁だろう。

ホラー耐性もだいぶ付いた筈なので、そろそろ全作品制覇してみようかな。

ソラマメでも食べながら。


グーグル解析はモバイルからのアクセスを調べられない。

だから、モバイルからのアクセスは、もしかしたら結構あるかもしれない。


モバイルの皆さんこんにちはこんばんは。

私がゆうきです。

本名です。

昔からみんなにゆうきゆうき言われていたので、今でもそう名乗っています。

学校の先生から近所の年下の友達まで、みんなゆうきゆうき言います。

ゆうきは頭がおかしな子ですが、決して悪いやつじゃないと思います、今後ともよろしくお願いいたします。



人見知り

私は自分が人見知りだと知っている。

そして、人見知りには2種類ある。

一つは、人に会うと何をしてよいのか分からなくなり、緊張してしまって上手く接することが出来ないタイプ。

もう一つは、誰にあっても全く緊張せず、そして、相手に特に興味も沸かないので、接する必要性を感じないタイプ。

私は明らかに後者だ。

だから、初対面の人が話しかけてきても、10年来の友人と同じテンションで話せる。

そして、こちらから何か話しかけたりしたいと言う欲求は、その時の気分によって決まるので、初対面だからと言う理由だけで話したり、又は無視したりする事も無い。

話したければ話すし、話す事が無ければ話さない。

だから、表面的には、緊張して話せない人見知りと同じように見えるはずだ。

だって、初対面の人に、何を話せば良いかなんて、エスパーでも無い限り、分かりはしないのだから。

だから、基本的に大人しくなるのは仕方が無い。

本当はもう少し積極的に話しかけて、とにかく相手の情報を引き出す必要がある。

そうすれば、それをきっかけに話も弾むと言うものだ。

そうすれば、友人と言うものができる可能性は無くは無い。

第九が歌えるようになる。


初対面で緊張しないのは実はあまり良い事ではない。

緊張によって血流量が増えると、その結果、頭にたくさんの血が巡り、頭の回転が速くなって色々と話したりすることが出来るそうだ。

つまり、緊張しないと言う事は、頭の回転が速くならない、と言う事を意味している。

だから、多少の緊張はした方が、本当は良いのだ。

私のように、初対面だからといってそれだけでは緊張しない人間は、もっと緊張するように何とかするべきだ、出来るかどうかは別にして。

たぶん、もう少し自分をよく見せようとした方が良い。

私は、自己評価が低めなので、もともと周囲の人からもろくな評価を受けていないと自覚しており、そして初対面の人間によく思われたいと言う願望もあまり無い。

だから、もう少し、自己肯定感を増せば、きっと緊張できる人間になれるかもしれない。

多少の緊張感は、人間関係のスパイスだ。多すぎても困るが、全く無いのは味気ない。


先日行ったしょこたんの握手会、全く緊張はしなかった。

普段からテレビやブログやCDやら映像で日常的に見聞きしているので、そのせいで、私の中ではすっかり「知った顔」になっている。

だから、普段は会えない親類に会ったような気分だった。

もちろん、しょこたんは大好きだし、もし、本当の親類になれれば飛び上がって喜ぶだろうけど、だからこそ、緊張感は無かった。

身近過ぎると緊張は無くなる。

たぶん、しょこたんが私に緊張しなくなる日は来ないけど、それでいいんだ。いいんだ。

程よい緊張感を得られるように、努力しよう。努力して出来る気もしないけど。




人生とは何かを諦め続ける事なのかもしれない

そして、最後に生きる事を諦めて終わる




googleのアクセス解析の結果、このブログは誰も見ていないことが判明しているので、好きな事を書こう。



雲が好きだ。

入道雲は特に好きだ。

あの雲の中で住みたい。

綿菓子みたいな雲を食べてみたい。

ここで、「あれは氷や水滴の集まりだから、ただの水と変らないよ」と思ったら負けだ。

現実に負けてはならない。

現実は夢だ。

雲が綿菓子だと思う人間にとって、雲は綿菓子なのだ。

現実に負けた人間にとっては、あれはただの水の固まりに過ぎない。

雲を綿菓子にするほどの一途さを持ってすれば、変えられない現実などありはしない。

この世界は、愛の見ている夢なのだから。



道端に生えている草や木、なんであんなに輝いて見えるんだろうか。

誰かに求められているわけでも無いのに、ただひたすらに光り輝いている。

それはきっと、太陽があるからだ。

太陽に向かって精一杯、風に揺られて身体を振っている。

たぶん、太陽は気付きもしない、そんなちっぽけな草木なんかに。

でも、草や木はそんな事お構い無しに輝いている。

道端の草木のように生きられたら、どんなにか、素晴らしいだろうに。



人が死んでも、悲しいとは感じない。

生きる事と死ぬ事は必ず対になっていて、生きる事は、死ぬ事ではじめて意味を持ち、完成する。

だから、人が死んでも悲しくは無い。

ただ、少し、寂しい

お願いだから生きてくれ、これ以上寂しい思いをさせないでくれ、頼む、本当に頼むよ、お願いだから。



ドラゴンボールが7つあったら、私より先に死ぬ事を禁止してもらおうっと



え、しょこたんの事は書かないのかって。

書きますとも、でもね、少し考えたんだ。

もし、万が一、何かの間違いで、このブログをしょこたんが見てしまったらどう思うかなって。

きっと、「きもい、怖い、やばい」と思うに違いないなって。

だから、あんまり書き過ぎない事にしているんだ。

ただでさえ繊細なしょこたんの心に、こんなゴミブログで更に負担をかけてしまうなんて、申し訳ないからね。

でも、まあ、本当は、見ていない事は知っているんだ。

だって天下のgoogle様がそう言っているんだもの。

だから、もっと一杯書いてもいいんだよね。

ただし、これを見ているあなた、あなたが、ほかで言いふらさなければの話だけどね。

まあ、本当は貴方なんて居ないことも分かっているんだ、google様(ry

そう、だから本当はもっと書いてもいいんだよね、本当はね。

でも、大好きがいっぱいすぎて、こんなちっぽけなブログ、すぐに埋まってしまうよ。

だから、ほどほどに、ほどほどに、書いていこうと思っているんだ。

それでいいよね、何処にもいない貴方、そしてしょこたん。



雑記は生きている限り、終わる事は無い・・・


文章は続くよどこまでも

この文章は、ただの記録だ、そうなんだ。



交響曲第8番

ベートーベンの交響曲は9番まであるけど、個人的には8番が何だかパッとしない。

こんなの必要無いんじゃないかって思う。

でも、それは全くの間違いだ。

なぜなら、8番があったからこそ、9番があるのだから。

8番は9番への道筋であって、決して不要なわけじゃない。

一見必要無いものも、実は重要な物へと繋がっていると言う事は、よくあることだ。



カップヤキソバのフヤカシ汁

カップヤキソバをふやかした時の水分は、何かに使えないか。

スープが付いていて、それを作る為に使うようになっているやつもある。

北海道で有名なヤキソバがそうだったと記憶している。

つまり、このフヤカシ汁にスープのもとを入れれば、どんな種類のカップヤキソバでも、スープ化出来る事になる。

でも、ヤキソバにスープと言う習慣が、残念ながら無い。

ヤキソバには、冷たい物が合う。

冷たいスープならば良いけど、フヤカシ汁は、熱い。

フヤカシ汁急速冷却装置が必要だ。

早くしないと、ヤキソバが伸びてしまう。



趣味

最近テレビ番組を見る気がしない。

しょこたんの出る番組はみるけど、それ以外で見たいと感じる番組が無くなってしまった。

そして同時に、過去に録画した番組も、見たいという気が無くなりつつある。

自分なりに分析してみると、恐らくはこうだ。

私は、テレビに空しさを感じるようになってしまったのだ。

これは何故だろうか。

ただし、全く面白くないわけではない。

先日見たBBC制作のシャーロックホームズの現代版は面白かった。

私はシャーロックホームズが好きだ。

現代版ではないほうのホームズももちろん好きだ。

たぶん、私はテレビを見すぎたんだと思う。

しばらく放っておけば、また見たくなる時も来るかもしれない。

テレビを見たくなくなる理由がもう一つある。

それが、「比較」だ。

私には悪い癖がある。

それは他人と自分を比較してしまう悪い癖だ。

わたしは「自分は何故ビルゲイツのような金持ちになれないのだろう」と本気で悩んだ事がある。

どうすればそれが可能なのだろうか、それが出来ない自分には何の価値も無いのではないか、と、本気で悩む。

今ではさすがにビルゲイツと自分を比較する事は無いが、それでも、ついつい、他人と自分を比較してしまう。

そして、その時どうしても「何故自分はああなれないのか」と思い悩んでしまう。

そういう時の結論は大抵「能力不足」に落ち着く。

もちろん運も大きいだろうが、一番かけているのが能力だと考える。

でも、最近は少しだけ分かりつつある、「天賦の才」が必要だと言う事を。

私は歌は歌わないが、歌手になるには、単純にリズム感が良いとか声が綺麗とか、そういう風に単純に説明出来ない「天賦の才」が必要な気がする。

生まれ持った才能に、その後の努力と運とが重なり合って、ようやく歌手になれる。

そのどれか一つがかけていても、歌手には到底なれないだろう。

そして、私には、天賦の才と言うやつが、今の所見つからない。

どこかに隠れているのか、最初っからそんなものが無いのかは分からない。

でも、何も無ければ何も成せない。

だから探し続ける必要がある。

テレビを見ると、いわゆる天才たちが寄り集まっている。

才能の塊だ。

最近は、それを見るのが良くないのではないかと思いつつある。精神的に。

見ると比較してしまう、そして、その差が到底埋められない物だと知ると、空しさをおぼえる。

これは多分、心に良くない。

だから、本能的に、今はテレビを見てはならないと、心が私にテレビを見る事を止めているのだ。

テレビを心から楽しめる日は来るのだろうか。


いまではしょこたん動画再生装置とかしているからね。


ちなみに、しょこたんの出るテレビを見ても、他の番組ほどには空しさをおぼえない。

確かに、私とは別の世界に生きていると感じる、今の私にとっては、完全に別世界の人だ。

たぶん、一生接点を持つ事も無いだろう。

この勘は外れてくれると嬉しいのだけど。

でも、別世界の人間だと分かっていても、到底かなわない人だと分かっていても、そんな事、気にはならない。

そんな理屈は丸めてゴミ箱にでも捨ててしまえばいい、だって、しょこたんはしょこたんだもの。

ライバルに戦いを挑む者は多いが、宇宙に、世界に戦いを挑むモノはいないだろう。

だから、私にとってしょこたんはライバルでは無い。

愛は宇宙の根源だ。

だから、私はただ受け入れる事にしている。

それ以外に無い。




手持ちのカード


手持ちのカードを確認してみる。

・・・・ほとんど他人のカードだ。私のカードでは無い。

カードとは比喩で、つまりは、私の周りには何があるか、と言うことだ。

PCがある。これは私のカードだ。

あとは・・・・ほとんど全て、他人のカードだ。私のカードでは無い。

つまりほとんどのカードは持っていても、使う事は出来ない。

これらの手持ちのカードで、どう勝負するか。



遠景

遠景が好きだ。

広大な景色が好きだ。

ビルの上に行くと、時間の許す限り、景色を見続ける。

東京タワーの特別展望台に半日居たことがある。

昼から夕方、そして夜にかけての移り変わりが、それは素晴らしいものだった。

写真も撮ったが、タワーは風で揺れるので、手ぶれ防止機能の付いていないカメラだと、特に夜景はほとんど撮れない。

地面に置いてシャッターを切っても、タワー自体が風に揺れるので、結局良い写真は撮れなかった。

今度は手ぶれ防止機能の付いたカメラを持っていって、朝から晩まで景色を眺めていたい。

それくらい私は遠景が好きだが、それと同時に、接写写真が好きだ。

よく見ると、その中には広大な世界が広がっている。

凹凸の一つ一つが、まるで巨大な山脈に見えてくる。

東京は狭苦しい。

こんな東京も嫌いでは無いが、広大な風景を見たい時は、高い所に上るか、東京湾辺りにでも行くか、又は、何かを接写すれば良い。



しょこたんブログが更新されている。


おいおい、しょこたん可愛すぎるだろ!!!!


こりゃあ、当分、死ねないな。

昼食

インスタントラーメン


ゆうきの話 ゆうきの話


コーヒーサンドモカ



ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話 ゆうきの話




文章のターン


今日は、文章のターンにしよう。

昨日は絵のターンだったから。


歓喜の歌

歓喜の歌

これは、ベートーベンの交響曲第9番4楽章だ。

私はこの音楽が好きで、時には、1日中リピートして聞き続けることもある。

しかし、正直言って歌詞の意味はあまり知らなかった。

そして今回、その歌詞の意味をwikipediaで調べてみた。

その結果、私は、驚くべき事実を発見した。

この歌の輪に加わる条件として、「友、又は妻、又は心を分かち合う魂があると言える者」とあるのだ!!!

私が長年聞き付けてきた歌だが、その歌の輪に加わる資格が、私には無かったのだ!!

これを驚きと言わずして、何と言おう。

もちろん、だからといって聞くのを止める事は無い。

車が運転できないからといって、カーレースの映像を見てはいけない訳ではない。

だから、見聞きする資格はある筈だ。

ただ、周囲から覗き見るだけで、その仲間に加わる事が出来ないだけだ。

歓喜の歌にも拒絶されると言うのは一つの運命かも知れないな、ベートーベンだけに。ベートーベンだけに。

まあ、昔は唄えたのかな。ドイツ語は分からないけど。


BGM : ベートーベン - エリーゼのために


「エリーゼのために」はよく聞く曲の一つだ。

この曲は、ベートーベンが貴族の娘に恋をして、その娘のために書いた曲といわれている。

そして、一言で言えば、悲しい曲である。

貴族の娘と平民のベートーベンとの関係が認められるはずも無く、結局、残ったのは、この曲だけだった。

現代では、貴族こそ居ないものの、似た様なシチュエーションは存在する。

だから私はこの曲が好きなのかも知れない。


BGM : ベートーベン - 交響曲-第5番-運命


私が好きな曲ベスト10に入る曲だ。

冒頭の「ダダダダーン」は、「運命が扉を叩く音」といわれるが、正直な所よく分からないらしい。

ただ、こう言うモノは、聞く人間が各々考えればよいので、私は扉を叩く音でいいと思う。

運命は突然扉を叩く。

何かが動き出す。

そんな予感を感じる音楽だ。

耳を澄ませば、その音が必ず聞こえてくるはずだ。

後は一気に扉を開ければ良い。

私の運命の扉を叩くのは一体誰だろうか。



セルフムチウチ

いま、危うく首がもげる所だった。

気が付いたら音楽を聞きながら目を閉じていて、其の時にガクンとなって鞭打ちになりそうだった。



ちなみにアクセス数は6

昨日のこのブログの総アクセス数は6だった。

これは、私のwebサイトよりはかなり少ない。

そしてもちろん、昨日書いたブログ記事へのアクセスは無かった。

ブログは3日で死ぬ。

だから、3日たった記事は、しかばねも同然だ。

それに見る価値はあまり無い。

また悪い癖が出てしまった。

そんな物を調べてはいけないのだ。

数値データは心を曇らせる。

この曇りを吹き払い、力を取り戻すには、子供にでもなるかな。


子供になって書くよ


そんな事わかっている!!だから分からないんだよ!!


そんな事はわかっているんだ。

こんな文章、誰も読むヤツなんかいないって事は、始めっからわかっているんだ。

私の描く絵が、何の価値も無いなんて事、言われなくてもわかっている。

だから少し黙っていてくれ。

お願いだから、少しだけ黙って様子を見ててくれ。

そう攻めたてないでくれ、数字は読めるよ、知っているから、理解しているから。

分かっているから、ほんの少しだけ、黙っていてくれ、数字の話はよそうじゃないか。

だってそうだろ、周りを見てごんよ、どれ一つとして数字でなんて動いちゃいないだろ。

コンピュータだって、電子の粒の波が動かしているよ。

いや、今は理屈は良いんだ、子供に理屈を言ったって聞きやしないぞ。

みんな数字数字と言うけれど、それじゃあ、聞きたい。

世界は数字なのか、あのきらめく星空も、空を流れる雲も、雨粒のひとしずくも、みんな数字なのか。

ならばその数字を教えて欲しい、あの美しい数字を、愛おしい数字を、光り輝く数字を!!

できっこないだろ、そんな事、だったら少し黙っていてくれ。

数字なんか、この素晴らしい世界をこれっぽっちも現せやしないんだよ。

大好きなあの子の愛おしさを数字で表せれば、どんなに簡単な事か。

もちろんそんな事は出来っこないさ、なんたって数字で表せるモノは数えられる物だけだからね。

永遠を、無限を、数字で表すことなんてできっこない。

無限を現す8を横にしたようなやつは、ただの記号だ、数字じゃない。

それくらい誰でも知っている。

いや、そんな事はどうでもいいんだよ、数字なんてどうでもいいんだよ。

私は分からない、どうして数字で全てがわかると言い切れるのか。

だったら、大好きの数字はいくつだ、美しいの数字はいくつだ、あの子の数字はいくつだ!!

一個でも答えられるか。

ほら、むりでしょ?

だから、数字の事は今は忘れて、ただただ、心のままに書き続ければ良いんだよ。

べつに数字を責めているんじゃない、数字に罪は無い、罪があるとすれば、数字に囚われる弱い自分の心だ。

無限を無限個並べたって足りやしない大好きを描いているのに、たった1や2の数字を気にするなんて、本当に滑稽だ。

書くもの全てが、大好きの無限に満ちている、数値なんて無意味だ。

そんな文章を書けば、数字なんて勝手にこぼれ出てくるよ、それこそ無限にね。

大好きを絵に描き続ければ、その大好きが絵から溢れて、その心にきっと届くよ。

だからいまは、数字の事は分からないふりでもして、好きを描けばいいんだよ。

あー分からないぞ、数字なんて分からないぞ。

よしこれでいい、さあて、何をかこうかな。



こうして、たまには子供に戻って、書きたい事を書こう。

みんなもやったらいいよ。


ねむみが来た。

寝よう。

しょこたんの事を考えると、眠れなくなりそうだから、しょこたん賛歌を書き出す前に、ここら辺で止めておこう。


おやすみなさい世界、そしてしょこたん!!

今日も一日ありがとう!!

明日も笑顔に出会えますように

雑記は2度書く

賢い方法


最近、ツイッターに「フォローしました。よろしければフォローしてください」というメッセージが届いた。

ここ一月ほど、ツイッターは、単なる宣伝ツイートなどを垂れ流しにしているだけで、事実上休止状態だ。

そんなアカウントをフォローするというのは、よっぽど変わり者なのだろうと、試しにフォロー返ししてみた。

すると、今日「色々あってツイッターを止める事にしましたが、よろしければこちらのメールアドレスで連絡を取り合って・・・・」などと言うメッセージと共に、そのツイッターアカウントが閉じられていた。

これって、毎日山のように届く「連絡待っています」系のスパムメールそのものだ。

つまり、単純にランダムにスパムメールを送るよりも、いちどツイッターで姿?を見せて、それに反応した人に、今回のような方法でメールアドレスを教えれば、かなりの確率でメールによる返事がもらえると言う寸法だろう。

賢い方法だ。



バッハ聞きまくり!!

何だか今は、バッハを聞きまくっている。

多分、精神がそれを欲しているのだろう。

ただ、私の葬式には、聖者の行進がいいかな。



ジーザスクライストスーパースター

私はキリスト教徒では無い。(どの宗教にも属していない)

でも、この音楽は好きだ。

ビデオとサントラCDを持っている。

ちなみにこのサントラCDは購入直後に1度(恐らく)盗まれて買い直している。

盗んだ人間は、さぞや驚いた事だろう。

私がこの音楽を聞く時は、何か考え事をしている時だ。

しかも、理屈では解決できない、考えるだけ無駄な事が多い。



宇宙の果てからこんにちは

こうやってブログ書いたりしていると、ふと思う。

「ここが宇宙の果てだとしても、大差ないな」と。

もしかしたら、本当にそうなのかも知れないが、それは秘密と言う事にしておこう。

数百億光年の時空を越えて届く情報の波。

それを捉えて、こちらからも、こうやって信号を返す。

その信号は時間と空間を飛び越え、瞬時にそちらに届く。

しかし、決して互いに直接行き来する事は出来ない。

そして今日も、情報のゴミが地球のサーバに蓄積される。

それをただ、眺める以外に術は無い。


BGM : Jesus Christ Superstar - Hosanna


良い音楽だ。

音楽は情報だから、瞬時に時空を超えて大脳に響く。

だからいい。



今日も日課のしょこたんブログをよむ


おお!!、しょこたんブログでねぎとショコラが格闘しとるぞ!!

絵を描いたおかげで、今では全員の識別が可能だ。

識別できると、愛着が一層増す。

自分が一緒に生活していなくても、成長が楽しみになってくる。

やっぱり、猫は良いなぁ、そして、しょこたんもいいなぁ。

単なる偶然だけど、私が寝子を沢山描いたら、ブログにも沢山の寝子が出てきてくれた。

でも、偶然を喜ぶって、大切だよね。

ありがとう、偶然。

そして、ねぎの背中の模様が見られたのは収穫だ。

次にねぎを描く時には参考にさせてもらおう。

しょこたんブログを見ると、何だか心が晴れやかになる、幸せな気持ちになる。

何でだろう。


ありがとう寝子たち、ありがとうしょこたん。

雑記かもよ





何か書こうとしたが、忘れた。

そういう事ってよくある。

そして、そんな時「忘れるくらいの事だから、大した事じゃなかったんだ」と思う事もよくある。

でもそれって「すっぱい葡萄」の話に似ている。

本当に、忘れてしまった話が、どうでも良い事だったのか、考えてみる必要がある。

重要ならば忘れない、と言うのであれば、受験は全員100点のはずだ。

忘れてしまったものの中に、重要なものが含まれている事は常にある。

まあ、そう言う時は、再発見をすれば良いだけだ。

出来ないかもしれないけれど。

お気に入りのサイトやブログのURLを忘れる事がよくある。

と言うよりも、いちいちURLのアルファベットを覚える事は稀で、大体ブックマークに登録する。

そして、ブックマークしてしまうと、他のサイトのブックマークの山の中に紛れてしまって、結局「あのサイトは何処だっけ」と言う事になる。

私のデスクトップには、そんなサイトへのインターネット・ショートカットが2000くらい詰まったフォルダがある。

時間順に並べれば、大抵問題なくお気に入りのサイトを発見できるが、中にはいくら探しても見つからないものもある。

記憶かファイルのどちらかが消えているはずだが、結局はgoogleで探した方が早い事が多い。

このブログにも、「読者になる」と言う機能はあるが、あれは仰々しいと言うか、大げさな気がする。

それに、わざわざ相手に通知されるのが申し訳ないような面倒なような、そんな訳で滅多に読者機能は使わない。

単純にブックマークをつける機能をアメブロ独自に付けたら良いのに、といつも思う。



世界が遠く離れていくような感覚

またに、自分を中心に世界が遠くはなれていく感覚に襲われることがある。

あらゆるものから取り残される感覚、これは一体なんだろうか。

実際に取り残されているとも言えるから、それほど間違った感覚では無いのかもしれない。

万物が自分とは一切無関係に動いていく。

そんな、傍観するしかない感覚。



次は何を描くか

次は何を描くかな。

描く物が見つからないのではなく、無数にある描きたいものから、どれを描くかを決めるのが大変だ。