ゆうきの話 -23ページ目

寝子寝子しょこたん



ゆうきの話


8月の怒涛のスケジュールにHPをギリギリまで減らしたしょこたんに、寝子たちがパワーを与えている、の図。


しょこたん、本当にご苦労様です。

そんな労をねぎらう気持ちで描きました。


というわけで、昨日から今日にかけて、3時間の睡眠をはさんでずっとこれを描き続けていたので、ブログ更新も出来なかった。

初めは、2・3名にご登場願うつもりだったが、どうせならと、全員にしょこたんを癒してもらう事にした。

1名につき1.5時間はかかるので、寝子だけでも15時間は掛かった計算なる。

「時間が無ければ睡眠時間を削ればいいじゃないの法則」のもと、何とか1日で完成させる事ができた。

ちなみに、左下の黒猫から時計回り順に、ルナ・マミタス・ミルクバン・股朗・ぽこωにゃん・ちび太・ねぎ・らいティンω・つくし・ショコラ、である。

実物を見た事はもちろん無く、資料もそれほど無かったので、大体の雰囲気がわかる程度のモノとご理解いただきたい。

何となくホラーっぽい感じにもなっているが、まあ、夏だしそれもありかな。

顔を寝顔にしたバージョンを描くかもしれない。


ちなみにこれも、ニコニコ静画と私のwebサイトに800*800の絵が置いてあるので、もしよろしければ御覧下さい。

絵に喜びを

絵を描きたい。

でも、喜びを絵から溢れさせるのが難しい。

描きたいモノは沢山あるけど、それが果たして、見る人に喜びを与えるか、その点で今、固まっている。

例えば、私はしょこたんが大好きなので、その絵ばかり描く。

しかし、それは見ている人にとっては、どうなのだろうか。

直接感想などを聞いた事は一度も無いので、正確な事は分からないが、少なくとも「素晴らしい」と絶賛する人間は居そうにも無い。

そう考えると、私の喜び、しょこたんを描く喜びは、それを見る人には、残念ながら伝わっていないようだ。

喜びを与えられない絵を描くよりも、与えられる絵を描くほうが良い。

だから今、固まっている。

喜びを伝える、これは極めて難しい。


共感され、喜ばれる、そんな絵を描きたい。

でも、それ以前に、自分自身が描きたいと思うものでなくてはならない。

そこが難しい。

どんな絵を描くべきか。考えよう。


まずは現状認識からだ。

私のサイトの「2012年8月の絵」のコーナーへのアクセスは、今日現在で合計2アクセスだ。

これが客観的事実としての現状である。

8月の絵のコーナーには、このブログに張ってあるすべての絵の800*800バージョンが貼り付けてある。

そこへのアクセスが2と言う事は、その程度の存在だと言う事を示している。

ここから、何とかして、共感を得られるモノを生み出してゆかなくてはならない。

検索で来る人が大多数なので、それを考慮した絵を描けば良いのか。

でも、正直言って、今流行の絵は描けない。

単純な模写ならば可能だが、喜びを伝える事にはならない。

もちろん、私がその絵が大好きで、喜び、楽しみながら描けば、それが模写であろうとも、見る人に喜びは伝わる。

しかし、アクセス目当ての適当な模写では、描くほうも楽しく無いし、見ているほうも喜びを感じられないはずだ。

ここ最近で、私が良いなと思ったのは、「ゆっくり」だ。

詳しくは検索してもらえば分かると思うが、一言で言えば、丸っこい生首だ。

私はあの丸っこいキャラが好きだ。

あれならば、描いても楽しい。

でも、あれは数年前に流行ったキャラクターだし、描くといっても既に完成された存在で、工夫の余地は少ない。

でも、ゆっくりは今後描くに値するキャラクターの一つだ。

寝子、ねこ、猫、ねこを書くのも好きだ。

猫はこれまでも色々と描いているので、これからも色々と描き続ける。

しょこたんも描いていてとても楽しい。だからこれからも描き続ける。

問題は、描いて楽しい、が、見て楽しい、に繋がるかどうかだ。


今描くべき絵は・・・

流行の絵、描きたい絵

の2つが考えられる。

そして、この2つは今の所、繋がらない。


ここまで来ても、未だに、固まったままだ。


考えてみれば、子供の頃は、少なくとも数人は私の描くモノを見てくれる人がいた気がする。

大抵は友人だったが、少なくとも数人程度は、私の描くモノを確実に見てくれている人がいた。

だが、今では、そのような人は、残念ながら何処にもいない。

いくら理屈で考えても、感情については、捉えきれるものではない。

たぶん、だから今固まっている。

参照すべき情報が、自分自身の中にしかない。

だから、しょこたんの絵が、誰か1人にでも楽しみ・喜びを与えているのか、全く分からない。

私の描く猫が、誰かに喜んでもらっているのか、不明としか言えない。

この問題を解消するには、外部からの情報が不可欠だ。

外部からの情報を得るにはどうしたら良いのか。

こうやってブログを公開しているし、サイトも作ってツイッターもやっている。

つまり、窓口は十分なはずだ。

あとは、この窓を覗き込んでくれる人を、どうやって見つけるかだ。


まあ、それが一番難しかったりするのだけど・・・。


怪しいツールに頼ったり、検索エンジンを半ば騙す形で無理やり無価値なサイトへアクセスをさせると言う手段に、私は興味が無い。

そうでは無い、地道だか着実に、覗き込んでくれる人を増やすことを考えよう。


・・・リア充最強説・・・・だな。


身近な所で、妹たちにこのブログのアドレスでも教えるかな。

妹たちは既に家を出ているので、連絡先も分からないけど。

今度どこかで会ったら、名刺でも渡しておこう。

あ、名刺か、名刺を作ろう。

あ、でも、こんなブログ、妹に教えたら、二度と会えないな、こっぱずかしすぎて・・・。

まあ、私の辞書に羞恥心と言う文字は無いけどね。昔から。

でも、向こうの家族に伝わったら、「お前の兄は頭がおかしいな」なんて言われて、妹が困りはしないだろうか。

それだけが心配だ。

見せちゃヤバイ、と感じたら、必死になって隠すだろうから、そこらへんは妹たちに任せても良いとは思うけど。

もっとも、私のおかしさは、とうの昔に家族親戚周辺には伝わっているだろうから、そこまで気にする事も無いかもしれない。

そういう所から、徐々に広めていこう。



妹たちへ

やあやあ妹たちよ、ゆうきだよ。(ちなみにこれは本名なので妹たちも普段からこう呼んでいる)

調子はどうだい、こっちはいつも通り、マイペースだよ。

そっちはどうだい、子供たちは元気かい、そっちの家族とは上手くやっているかい。

まあ、そんな事、私に心配された所で、「お兄ちゃんの方がよっぽど心配だよ!!」とか突っ込みを入れられそうだけどね。

まあ、こちらは大丈夫、こういうヤツは案外長生きするもんだよ。

このブログの事だけど、なんと言うか、まあ・・・・適当に読み流しておくれ。

色々頭のおかしなことが書かれているけど、全部私の心の中から出てきた言葉だし、頭のおかしさは百も承知だと思うんで、今さら驚きはしないと思うしね。

このブログ、別に他の人に隠す必要も無いし、兄が書いているといって友達とかに教えても、こちらは全く構わないよ、教えるかどうかの判断は任せるけどね。

でも、お母さんには、できれば内緒にして欲しい。

じゃあ、どこかで会ったら、30秒くらい、立ち話をしよう。



よし、妹たちがこれを読んだ時の為の文章を書いたぞ。

まあ、いつ読む事になるかは分からないし、そもそも、連絡手段が無いけどね。

このブログの存在を教える日がいつになるのか、全く不明だけどね。

まあ、母親は毎週のように会っているらしいので、聞けばすぐに分かるけど、まあ、あれだ、あれ。


旧友に久々に手紙でも書いて見るか。

でも、住所が変ってしまったのも居るし、今突然手紙を書くと言うのは・・・・

残暑見舞い、そうだね、残暑見舞いを送ろう。

そういえば、残暑見舞いって、いつごろまでに出すものなんだろう、調べてみよう。

・・・・

なるほど、一般的には、立秋から処暑までの間位らしい。

まさに今だな。

久しぶりに、はがきでも書くか。


喜びを与えられる絵を描くには、まず、私の絵がどの程度の喜びを与えているのかを知る必要がある。

それを知るには、まず誰かに見てもらわなくてはならない。

その為に、このブログの存在を周囲に知らしめなくてはならない。

と言う訳で、妹たちに知らせたり、残暑見舞いを描いたりしよう、という結論に至った訳だ。

ここから先は、その後の話なので、今はただ、描くだけだ。


・・・なにを?


そうだ、固まっているんだった、忘れていた。

まあ、とりあえず、100%自分が描きたいだけのモノを描こう。

周囲に喜びを与える絵は・・・・今はまだ描く時では無い。

そもそもそんなもの描けるのかも分からないからね。


しょこたん描こっと

共感

共感が鍵だ。

伝えるには、共感される事が必要だ。

共感とは「他者と喜怒哀楽の感情を共有すること」とある。

読んで楽しいものを書くには、この共感の力によって、喜・楽を伝える事が必要だ。

つまり、前提として、自分自身の心の中に、喜びや楽しみの感情が無くてはならない、と言う事になる。

楽しい文章を書きけたければ、まず、自分自身が楽しまなければならない。

そして、自分自身が共感されるほどに楽しい人間でなくてはならない。


難しい問題だ。


今日は、今現在、このブログへのアクセスは0だ。

これは、共感を得ていない事の証明の一つと言える。

共感を得るには、自分の感情を書く以外に無く、それだと、今のこのブログのような感じになる。

もしかしたら、私の書くものに共感を感じる人もいるかもしれない。

でも、私にはそれは分からない。

少なくとも、そのような人の存在を認識した事は無い。

可能性として最も高いのが、共感する人がいない、と言うものだ。

これは、単に数値データによるものだけでは無く、私の書くものに対する過去十数年の、周囲の反応を見た結論でもある。

一番希望的な結論としては、単純に、このブログの存在が知らしめられておらず、ただ単純に、人が見ていないだけ、という考え方も、出来ない事は無い。

ただし、その場合だと、対処できる事は限られる。

名刺でも作って、出会う人全てに配って廻れば、少しは宣伝効果があるかもしれない。

今手元にある印刷した名刺は、このブログのURLは入っていない。

だから、このブログのURLを知らせたい場合、名刺は手描きだ。

名刺を新しくしよう。

こうやって「名刺」って書くと、そのワードに反応した自動ペタソフトによるペタが増殖する事請け合いだ。

これは、アルゴリズム的共感なのかも知れないな。

あ、検索だ。

そう、検索の結果でもある。

検索的な共感を得るワードを文章内にちりばめて・・・・って、これでは単なる「なんとかアップ」と言うヤツではないか。

まあ、必要ではあるかもしれないけれど。


知らしめる手段は別の機会に考えるとして、今は共感だ。


共感と言えるかどうかわからないけど、「酒でも飲ませてずっと語らせてみたい」などと言われる事はある。

私は酒を飲めないので、ジュースでも飲みながら、ということにはなると思うが。

それが共感なのかどうかはわからない。

でも、私の話のどこかに聞きたいと思わせるものがカケラ程度でもある可能性はある。


これを御覧のあなたはどうでしょうか。


まあ、それを一部やっているのが、このブログなのだけど。


ひとつ、思いついたことがある。

それは、話し言葉で書いてみる、と言うものだ。

普段もちろんこんな話方はしていない。


まあ、口語と文語と言う言葉がある時点で、それらが使い分けれられるべきものであり、使い分けられてきた事は確かだが、それにしても、少し硬い気はする。

実際の私は、年下の人にも「ゆうき」と呼ばれるくらいの感じで、けっしてお堅い人間ではない。

と言うか、かなりやわらかい部類に入る気がする。


と言う訳で、少しだけ、口語による、文章を書いてみよう。


・・・・

って言っても、いきなり何も無い所から何かを書けって言うのは難しいよ。

やっぱり、何かを書くにはその元みたいなものがあって、それから話を膨らましていくモノだからね。

まあ、こんな事言ったって、どうせ誰も見ちゃいないんだよ、いいけどさ。

今聞いているのは

BGM : Beethoven: Symphony #3 In E Flat, Op. 55, "Eroica" - 2. Marcia Funebre Adagio Assai

これは、わしが中学生くらいの時にはじめて聞いたやつかな。

ちなみに、一人称は「わし」だよ。

「わたし」って言っていたんだけど、それが縮まって「わし」になったって言うのが、自分の中での仮説だよ。

それはともかく、音楽は何でも聞くけど、歌詞のある歌は、そっちばっかり気になって、こうやって何かをしている時には邪魔になる事もあるから、クラシックを聞くことが多いよ。うん。

まあ、絵を描くときは、歌詞入りでも全然問題ないけどね。

今、気が付いたけど、口語って、相手が居ないと恐ろしく書きづらいよね。

それに何だか気恥ずかしい。

いかんいかん、今はバカに徹して口語で書き切らないとね。

しっかし暑いなあ。

夏っぽくていいんだけど、自転車で外を走り回るとボーっとしてくるからね、もっと身体を鍛えないとダメだね。

誰か1人に話しかけるように書いてみようかな。

しょこたん?、うん、しょこたんに話しかけるように書いちゃうと、正直言ってかなり痛い子になっちゃうから、どうしようかなぁ。

と言うか、既に痛い子レベルで言えば、わしは80レベルくらいはある気がするから、いまさら気にする事も無いか。

まあ、とりあえずは、・・・・あなたに話しかけます。聞いてやってください。

そうそう、タメグチで書くけど、怒らないでね。そういうもんだと思ってもらって。


どう、調子は?

金の相談以外なら何でも聞くよ。

答えられるかどうかはわからないけどね。

でも、話すだけでも、大分楽になることって、色々あると思うよ。

まあ、わしは人生相談マンじゃないからあんまりこみ入った事を聞かれても、どうしようもないけどね。

そっちは、今暑い?寒い?

まあ、この言葉は時間を越えてあなたに届いているからね、そっちの事はよく分からないんだ。

そういえば、わしのことばって「でも」「まあ」「そういえば」とか、こう言うのをなんて言うんだったっけなぁ、まあ、こう言うやつが一杯付くよね。

書いて始めてわかる事実だね。

何か聞いてくれれば、答えられるけど、やっぱりブログだとそれは出来ないから、難しいなぁ。

とりあえず、貴方個人への語りかけはこれくらいにしておこうかな。

少し空しくなってきちゃっからさ。


まあ、口語だからって、必ずしも、誰かに話しかけなくちゃいけないって訳じゃないと思うんだ。

自分の思った事ととかを、ただ静かに話しているって言う感じで、書けばそれで良いと思うんだ。

そうだよね。


それじゃあ、ちょっとここで、お得意のしょこたんネタでも書こうかな。

さっきしょこたんブログを見たら、つくしの写真が一杯アップされていたよ。

やっぱり可愛いね、つくし。

あの頭の模様、しょこたんは剣って言っていたけど、まさにそうだよね、剣だよね。

猫の身体にもいろんな模様があって、ハートのマークだったり、猫の肉球の模様だったり、そんなのは見たことがあるよ。

いいよね、猫って。

あの見た目ももちろん良いし、何と言っても、あの性格と言うか、態度と言うか、風格と言うか、そんな所がとってもいいよ。

犬みたいに絶対服従じゃないし、たいして芸も出来ないけれど、あの、自由な感じ、いいよね、やっぱり猫になりたいな。

もはや、好き嫌いと言うよりも、猫になりたいくらいだよね。猫化だよ、猫男だね。

ゲゲゲの鬼太郎はわしの好きな漫画ベスト3に入るけど、けっこう猫の話って出てくるんだよね。

猫が村をのっとる話とか、歌が上手い「寝子」という女の子の話とか。

・・・まさかしょこたんって寝子ちゃんなのかなぁ、・・・・まさかね。



と言う訳で、口語による文章を少し書いてみた。

うん、まあ、気が向いたらまた書いてみよう。


共感、喜び。


難しすぎて、理解不能だ。

まあ、それを書けば良いのかな。

うん、そうだな。



余談だけど、いま、はじめてポニョをみた。

いい話だ。もっと早く見ればよかったな。

今年の夏は、何もなかった。

何も考えなかったし、何一つ、事を成さなかった。

まあ、生まれてこの方、何一つ考えていないし、何一つ出来やしなかった。

だから、今年の夏も、それが続いただけだ。

こう言う時は、バッハでも聞いて落ち着こう。


考えてみれば、今まで、なに一つ、事を成した事が無いな。

大きな事じゃなくていい、小さな事でもいい、何か成すべきだった。

振り返ると、どんなに小さな事であろうとも、一切、何一つ成した事が無い。

例えば、私が描いている絵が、何かを成したのかといえば、答えはNOだ。

もちろん、将来どうなるかはわからないし、良い方向に向かうと信じてはいる。

でも、現状では、私のあらゆる行為は、一切何も生んでいないし、何一つ成していない。

まあ、それでも餓死しないのだから、この寛容な世界に感謝しなくてはなるまい。


私のような人間を生かしてくれて、本当にありがとう。


しかし、一つ心配なのが、この幸運がいつまで続くか、と言う点だ。

今は完全にただの幸運によって生かされているが、如何に運が良いといえども、それが一生続くとは限らない。

確かに私は幸運だ。

客観的に見て、こんな人間がよくもまあ、生きていられると、不思議に思えてならない。

やっぱり私は幸運だ。

まあ、なるようになるとは思うので、このまま、己を信じて進むしかない。

幸運が無くなったら、まあ、野垂れ死にだな。

でも、その前に、何か一つでも、事を成せるようにしよう。


今年の夏も、相変わらず、何もしない夏だった。

幾つかの場所には行った。

しょこたんとの握手会で握手をして貰ったりもした。

しかしそれは、しょこたんから私が一方的に喜びを貰ってしまっただけで、私が何か成したわけでも無いし、私が何かを行った訳でもない。

生まれて初めて渋谷に行ったり、握手会に行ったり、色々な体験はした。

でも、それは世界が、しょこたんが素晴らしい事を成してくれたおかげであり、私自身は交通費と人生の時間をちょっとだけ使ったに過ぎない。

そんなもの、世界やしょこたんが私に与えてくれたものに比べたら、本当に微々たる物に過ぎない。

本当に感謝しかない、それと同時に、本当に何も出来ない、何も与えられない私が情けなくてならない。

ありがとう世界、ありがとうしょこたん。


さて、私が出来る事を考えよう。

まだ夏が終わったわけではない、今から何かを始めても遅くは無い。

・・・・

考えてみると、私はあらゆる存在から、一方的に受け取る事しか出来ない人間だ。

スイカが食べたい、線香花火がしたい。

でも、それらは、私が受け取りたいだけだ。

私が何かをしている訳では無く、スイカや花火がする事を、私が受け取っているに過ぎない。

やはり私が何かを与えることなど出来やしない。

どうすれば良いのだろうか。


いま、ブログを見たら、しょこたんブログが更新していた。

アメブロは、そのブログの読者になると、ブログが更新するたびに、その情報がメニュー画面に表示される。


ブログ内容は、先日のピカチューライブの様子が、非常に熱い想いと共に綴られていた。


やばいな、本当にやばい、何だろう、この感覚、この輝きは!!


この輝き、喜びと興奮に満ちた、光り輝き、きらめく文章は!!


どうすれば書けるのか!!


今の私が成すべきは、しょこたんブログのこのほとばしる喜び・感情を、自分の書く文章で実現して、読む人に、喜びを振りまく事だ。

しかし、残念だ。

私は感情が死んでしまっているようなので、あまり喜怒哀楽が無い。

あんなに情熱的な文章を書く事など、どうすれば良いのか、見当も付かない。

私の感情は何処へいってしまったのだろうか。

もっと喜びたい、そして、世界を抱きしめたい。

素晴らしい世界を文字にして、人間の魂に刻み込みたい、この瞬間を永遠にするために!!

そして、ああ、しょこたん、まさしく宇宙の奇跡、いや、宇宙の存在理由!!!

この奇跡を、そのカケラでも言葉に込めて、人々の心に、宇宙の歴史に刻み込みたい。

私に出来る事は、それくらいしか無いから。

この、無能で哀れで愚かな私をどうか、許して欲しい。

好きでいる事を、許して欲しい、ただただ許しを請うほかに、何も出来はしない。


それにしても、困ったものだ。

こんなにも、一方的に貰ってばかりで良いのだろうか。

この文章を読んでくださっているあなたからも、私は貰う事しか出来ない。

私のこのような頭のおかしい文章を、その人生の貴重な時間を費やして御覧頂いている。

もはや訳がわからない。

宇宙は、何故私にこんなにも沢山のものを与え続けてくれるのだろうか。

なんの価値も無く、存在させ続ける意味が無いとしか思えないようなこの私に、なぜか世界は与え続ける。

何故だろう。

単なる幸運か、それとも何か意味があるのか。

これが運命と言うやつなのかも知れない。

もしそうだとしたら、私は、世界から無条件で与えられ続ける存在として、生かされ、存在しなくてはならない者だと思おう。

そして、自分が受け続けているものを、喜びに代えて、すこしでも周りに振り撒けるようになろう。


それ以外に、成すべき事は、何も無い



今日も一つ、しょこたんに勉強させてもらってしまったな。


(ドサクサに紛れて一言!)

しょこたんギザかわゆすっ!!


そしてありがとう

日課

今日も日課のしょこたんブログを読む。

しょこたんは相当過密スケジュールの旅をしているらしい。


「有限な時間をいかにたのしむか、人生をたのしむか」


まったくその通りだ。

しょこたんブログの言葉は、いちいち私の胸に響く。

しょこたんが旅を満喫しているのは、とても嬉しい。

本当に楽しんで欲しい、これだけが今の私の願いだ。


でも、ここで自分の事を考えてしまうと、己のダメさ加減に、気持ちが沈まざるを得ない。

私は、人生を無駄に過ごしていないか、人生を楽しんでいるか。

現状では、首を横に振らざるを得ない。

そして、この状況を自分の能力では、簡単には変えられない事に、何とも言えない気持ちになる。


私は基本的に、どこかへ行く事は好きだ。

長旅は、1年ほど茨城へ行ったのが最後だ。

あの時は、毎日のように、色々な所へ行っていた。

残念ながら、その時はデジカメを持っていなかったので、写真は一枚も残っていないが。

しかし、ここ最近、必要最小限の場所移動しかしていない。

今年の夏は、公園での蝉の殻取りとニコニコ本社とラクーアのしょこたん握手会くらいしか行っていない。

本当はもっと色々な所へ行きたいが、能力の不足により、それも叶わない状況だ。

人生は有限だ。

明日死んでしまうかもしれない。

だから、今日を楽しまなくては、生きている甲斐が無い。

しかし、明日死ぬかもしれないからといって、投げやりになってはならない。

今日を全力で生きなくてはならない。

私は今日を無駄に過ごしていないか、そう問い続けよう。



しょこたんが写真で、何か緑色の液体を飲んでいる。

メロンソーダのようなものだろうか。

わたしは、メロンソーダのあのうそ臭い味が好きだ。

いかにも人工的な味、そして色。

今度どこかで飲み物を頼む事があったら、メロンソーダでも頼んでみるかな。



ジョブズは「点と点が繋がる事を信じて生きろ」と言っている。

果たして私はどんな点を打って来ているのだろうか。

繋がるかどうかはわからないが、とにかく、点を打たなくては繋がるはずが無い。

私の打ってきた点とは何か。

それは私にはよく分からない。

今の所、どの点も何にも繋がっていないと考えざるを得ない。

例えばこのブログ、確かに点かもしれない、でも、この点が何かにつながる事などあるのだろうか。

絵を描いたり、サイトを作ったりしているのも、いわば点だ。

それらの点は、果たして何かに繋がるのだろうか。

一応私にも計画があって、いくつかの点は、1000年後くらいに漫画と言う形を作り出す事になっている。

でも、本当にそれだけなのだろうか。

私の打っている点は、漫画と言う形になるのか、それとも、別の何かになるのか。

それとも何にもならないのか。

私には分からない。


こうなったら、もはや何の根拠も無く、ただ信じる以外に無い。

何とかなる、何とかなる。



なんでだろう。

しょこたんが楽しそうだと、こっちまで楽しい気分になってくる。

しょこたんが泣いていると、こっちまで悲しい気分になってくる。

なんでだろう。

雑記だぞ

ねむみ

ねむみは突然やってくる。

座って動画を見ていると、いつの間にかに目を閉じて、見ている動画の音だけで、頭の中に映像が再生される。

そして首がガクンとなって気が付く。

今の映像は頭の中の映像だったんだと。

ねむみは不意にやってくる。

絵を描いていても、気が付くと目を閉じてガクンとなる。

寝りながら書ければいいのに。



あめんばー

そういえば、アメンバーというシステムがあるけれど、何に使うんだろう。

わたしは使う事はなさそうな機能だ。



ふと思いついたこと

いま、ふと、思いついてしまったが、どこかで「ブログをやっていたら見せて」と言われたら、このブログを見せれば良いのだろうか。

例えば、たまたま出会った人に自己紹介と同時にメールアドレスとかwebサイトを教えると、たぶんこのブログも知らせる事になる。

私は全然かまわないが、見てしまった方はどう思うか・・・・

まあ、そんな事気にする事も無いな。


このブログでは、色々な事を書いているが、どれ一つとして嘘は書いていないし、恥ずかしいような事も書いていない。

でも、人の心を覗いてしまう事は、時には気まずい事にもなる気もする。

その時の為に、一言書いておこう。



これを御覧の、私と面識のある貴方へ


こんにちは、私です。

このブログは、私の心の中身です。

偽らざる私その物です。

でも、安心してください、これを見られても、私は何の問題もありません。

ですから、次に私に会う時も、普段と変らぬ態度で接していただければ幸いです。

色々書いていますが、まあ、人間の心が覗ける能力を身に付けたとでも思って、にやにやと御覧下さい。

それでは



せんべい

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チーズバーガー

雑記

今日も日課のしょこたんブログを読む。

今日は猫の「つくし」がしょこたんの家にやってきた。

これで10匹目、いいね。

うちも昔は、野良猫やら地域猫やらが山ほど通って来ていたので、その頃が懐かしい。

猫飼いたい猫飼いたい猫飼いたい。


猫の毛を表現するのは難しい。

あのもふもふした感じを描くのは困難だ。

今日は、つくしがやって来た記念として、つくしとマミタス様の2匹描いたので、時間がかかった。




不死鳥

たまに、心が死ぬ事がある

そんな時はただ、時を待つ

心は不死鳥だ

その灰の中から必ず蘇る



メモリ

今日は絵をちょっとした弾みで、3600*3600のサイズで描いた。(いつもは3200*3200)

その為、メモリの使用量がぎりぎりになってしまい、gimpが不安定になって、かなり落ちた。

1分に1回はセーブする癖が付いているので、大した被害は無いが、たまに、セーブ中に落ちる。

其の時は、セーブした画像データも壊れてしまう。

だから、gimpを使う時は、セーブデータを自動でバックアップするようにしておかないと、数時間分の労力が泡と消える事がある。

ちなみに、gimpは2.8.0が最新だが、私は2.7.4を使っている。

理由は、範囲選択の破線が2.8.0だと何故か消えてしまうからだ。

だから、2.8.1が来るまでは、2.7.4を使うつもりだ。

gimpはwindowsやlinuxやmac OSで使えるオープンソースのフリーソフトで、癖はあるが、慣れればどうと言う事は無い。

機能的には、フォトショップほどとまでは言えないが、これ以上に高性能のフリーのペイントソフトは見たことが無い。

それにフォトショップのプラグインも使うことが出来る。(全部ではないと思うけど)


どんなソフトで描こうとも、メモリを食う事は確かだ。メモリ増設しよう。



BGM : グリーンスリーヴス


私はこの音楽が好きだ。

懐かしい。

妙に懐かしい音楽と言うものが、いくつかある。

恐らく、子供の時に聞いたのだろう。

子供の頃に聴いた音楽は、その後、一生心の中に残り続ける。


つくし


ゆうきの話


しょこたんの家に、つくしがやって来た!!、と言う訳で、早速つくしを描いてみる事にした。

今日はこれを描くのに時間を取られて、ブログを書く時間が無かったが、貴方以外、誰も見ていないだろうから、まあ、いいか。

ちなみに、左の子猫がつくしで右の猫がマミタス様。

今後の成長が楽しみだ。


余談だが、しょこたんがつくしを抱っこして顔に寄せている写真が、とてつもなく、いいっ!!

心の奥から湧き出てくる喜びがこちらにも伝わってきて、この写真を見ていると、胸の奥がキュンとなる。

つくし、元気に育つんだぞ!!

そして、キュンをありがとう、しょこたん!!


どわすれ

今、自分の体は昔、どんな色や模様をしていたのか、ジュエルキャタピラーを思い浮かべながら、思い出そうとしていた。


・・・・わし、人間だった。忘れてた。


たまにある、自分が人間だと忘れる事が。あるある。誰にでもある。