ドラクエ
今日も日課のしょこたんブログを読む。
ドラクエ10をやっているようだ。
ドラクエと言えば、ファミコン版の1からやっているが、1・2・3のロト三部作はやはり良い。
2をプレイした時の、あの世界が突然広大になる感覚が、未だに忘れられない。
5はSFC初と言う事もあり、一つ進化した次元の違う感動を感じたものだ。
ドラクエについて書き出したら、このブログがドラクエブログになるほど書けるが、まあ、ボチボチ書いていこう。
初めてゲームで徹夜をしたのが、ドラクエ2だ。
ファミコン版はパスワード式で、データの保存が面倒なので、一日中ぶっ続けでゲームをし続けていた。
そして、そのまま学校へ行き、帰ってくると、見事にACアダプターが抜けていて、呆然とした事も1度や2度では無い。
こまめに復活の呪文を取ればよかったのだが、あれはあれで、書き間違えと言う問題がある。
書き取る時に何度も確かめたのに、それでも間違える事がしょっちゅうあった。
一時は「正しく入力しても受け付けない呪文があるのではない」と言う噂があったほどだ。
実際の所は分からないが。
ドラクエは6まではクリアした。
7はまだクリアしていない。
8はPS2がぶっ壊れてしまい、それ以来、出来ないでいる。
いつかPS3を買って、それでやろうと思っているが、ドラクエ8はPS3で出来るのだろうか。
9はDSを持っていないのでやっていない。
ゲーム機を持って移動するようなシチュエーションが無かったので、買う事が無かった。
でも、3DSは欲しい。
携帯ゲーム機は、主な移動手段が自転車の人間にとっては、やるタイミングが掴みにくい。
まあ、電車もよく使うので、電車内でやると言う手もある。
ただ、乗り物の中でゲームをやりすぎると気持ち悪くなる。
私は、新幹線や観光バスの匂いが苦手で、嗅ぐだけで吐き気がする。
我慢するのでなかなか吐かないが、観光バスの後部座席は・・・無理だ。
だから、バスはいつも先頭部分に乗る。
先頭部分ならば、多少は気持ち悪さも軽減される。
子供の頃よりは大分マシになったが、バスで遠足に行くと、1週間くらい吐き気などの違和感が続く事になる。
窓を開けて風を取り込めは大分マシになるが。
と言うわけで、ゲームはしたいが、あまり乗り物の中でやるのは危険だ。
でも、風通しの良い車ならば問題ないので、その様な車での移動時には、やはりやりたい。
思い出したが、以前、叔父の家に居候していた時は、いつも車の助手席に乗って買い物などに行っていた。
そして、叔父が買い物をしている最中、私は1人で車の助手席でゲームボーイカラーを延々とやっていた。
ゲームボーイギャラリーとか、ウィザードリィをやり続けていた記憶がある。
一文無しだったので、新しいゲームもなかなか買えず、同じゲームばかりやっていた記憶がある。
貧乏に対する忍耐力は人一倍強いつもりだが、でも、ゲームくらい好きに買いたい、今日この頃。
ええと、ドラクエの話だったな。
ゲームボーイカラー版のドラクエも持っていた。
あの音楽が私は好きで、寝る時に聞きながらよく寝たものだ。
イヤホンで聞くもよし、スピーカーを耳に近づけて聞くと、イヤホンとは違った感覚が味わえて、あの音も私は好きだ。
ドラクエは、音楽がやはり良い。
当時は知らなかったが、すぎやまこういちの作曲だと知って、やっぱり凄い人が作曲する音楽は、理屈抜きで子供にも伝わるんだなぁ、と関心したものである。
本物は、理屈抜きで、子供の心にもちゃんと伝わる。
その証人が私だ。
ドラクエの話は、到底書ききれるものではない。
事ある毎に、書いていこう。
そしてFFとかもね。
その内、このブログがゲームブログになっているかもしれないな。
さっき、しょこたんがギャオで生放送をしていた。
内容は、主にCDの宣伝と言った所だった。
その番組の中で、ジュエルキャタピラーが出て来た。
あれって、イラガの幼虫に似ている。
むかし、柿の木下に自転車を止めていて、ハンドルの裏にイラガの幼虫が付いているのに気が付かずに思いっきり握って飛び上がった事がある。
電気虫とか呼ばれているように、まさに電流が走るような痛みだった。
このジュエルキャタピラーには、毒などは無いのだろうか。
それにしても、綺麗な虫である。
私は虫が好きだ。
近所の図書館に、虫の標本が展示してあって、そこに世界の虫が飾られていて、とても欲しかった記憶がある。
あと、図書館では昆虫図鑑などを盛んに読み漁っていた。
あれ、これこの前書いたような気もするぞ、まあ、いいか。
今回のギャオの生配信はワタナベエンターテインメントがメインになっての配信だった。
しょこたんもここに所属している。
私は、ハナ肇とクレージーキャッツ、が好きだ。
クレージーキャッツが渡辺プロダクション所属なのは有名な話だ。
どうやら私は、これくらいの時代の音楽などが好きなようだ。
ただし、年齢的には、私の両親ですらまだ50代なので、当然私は世代ではない。
でも、何故か惹かれるものがある。
あの歌、あの歌詞が、何だか好きだ。
今、クレージーキャッツに匹敵するバンドはあるだろうか。
まあ、2度とあんなバンドは現れないとは思う。
でも、音楽ならば永遠に残り、いつでも聞くことが出来る。幸せな時代だ。
ドラクエ10か・・・、やりたいなぁ。
でも、オンラインなんだよなぁ。
ソロプレイが出来るならやりたいな。
でも、大抵の場合、ソロだと難易度が上がったりするからなぁ、どうなんだろう。
マルチプレイがやりたく無いので、オンラインゲームは基本的にやってこなかったが、ドラクエは、やはりやるしかあるまい。
近いうちに、やってみよう。
ドラクエ10をやっているようだ。
ドラクエと言えば、ファミコン版の1からやっているが、1・2・3のロト三部作はやはり良い。
2をプレイした時の、あの世界が突然広大になる感覚が、未だに忘れられない。
5はSFC初と言う事もあり、一つ進化した次元の違う感動を感じたものだ。
ドラクエについて書き出したら、このブログがドラクエブログになるほど書けるが、まあ、ボチボチ書いていこう。
初めてゲームで徹夜をしたのが、ドラクエ2だ。
ファミコン版はパスワード式で、データの保存が面倒なので、一日中ぶっ続けでゲームをし続けていた。
そして、そのまま学校へ行き、帰ってくると、見事にACアダプターが抜けていて、呆然とした事も1度や2度では無い。
こまめに復活の呪文を取ればよかったのだが、あれはあれで、書き間違えと言う問題がある。
書き取る時に何度も確かめたのに、それでも間違える事がしょっちゅうあった。
一時は「正しく入力しても受け付けない呪文があるのではない」と言う噂があったほどだ。
実際の所は分からないが。
ドラクエは6まではクリアした。
7はまだクリアしていない。
8はPS2がぶっ壊れてしまい、それ以来、出来ないでいる。
いつかPS3を買って、それでやろうと思っているが、ドラクエ8はPS3で出来るのだろうか。
9はDSを持っていないのでやっていない。
ゲーム機を持って移動するようなシチュエーションが無かったので、買う事が無かった。
でも、3DSは欲しい。
携帯ゲーム機は、主な移動手段が自転車の人間にとっては、やるタイミングが掴みにくい。
まあ、電車もよく使うので、電車内でやると言う手もある。
ただ、乗り物の中でゲームをやりすぎると気持ち悪くなる。
私は、新幹線や観光バスの匂いが苦手で、嗅ぐだけで吐き気がする。
我慢するのでなかなか吐かないが、観光バスの後部座席は・・・無理だ。
だから、バスはいつも先頭部分に乗る。
先頭部分ならば、多少は気持ち悪さも軽減される。
子供の頃よりは大分マシになったが、バスで遠足に行くと、1週間くらい吐き気などの違和感が続く事になる。
窓を開けて風を取り込めは大分マシになるが。
と言うわけで、ゲームはしたいが、あまり乗り物の中でやるのは危険だ。
でも、風通しの良い車ならば問題ないので、その様な車での移動時には、やはりやりたい。
思い出したが、以前、叔父の家に居候していた時は、いつも車の助手席に乗って買い物などに行っていた。
そして、叔父が買い物をしている最中、私は1人で車の助手席でゲームボーイカラーを延々とやっていた。
ゲームボーイギャラリーとか、ウィザードリィをやり続けていた記憶がある。
一文無しだったので、新しいゲームもなかなか買えず、同じゲームばかりやっていた記憶がある。
貧乏に対する忍耐力は人一倍強いつもりだが、でも、ゲームくらい好きに買いたい、今日この頃。
ええと、ドラクエの話だったな。
ゲームボーイカラー版のドラクエも持っていた。
あの音楽が私は好きで、寝る時に聞きながらよく寝たものだ。
イヤホンで聞くもよし、スピーカーを耳に近づけて聞くと、イヤホンとは違った感覚が味わえて、あの音も私は好きだ。
ドラクエは、音楽がやはり良い。
当時は知らなかったが、すぎやまこういちの作曲だと知って、やっぱり凄い人が作曲する音楽は、理屈抜きで子供にも伝わるんだなぁ、と関心したものである。
本物は、理屈抜きで、子供の心にもちゃんと伝わる。
その証人が私だ。
ドラクエの話は、到底書ききれるものではない。
事ある毎に、書いていこう。
そしてFFとかもね。
その内、このブログがゲームブログになっているかもしれないな。
さっき、しょこたんがギャオで生放送をしていた。
内容は、主にCDの宣伝と言った所だった。
その番組の中で、ジュエルキャタピラーが出て来た。
あれって、イラガの幼虫に似ている。
むかし、柿の木下に自転車を止めていて、ハンドルの裏にイラガの幼虫が付いているのに気が付かずに思いっきり握って飛び上がった事がある。
電気虫とか呼ばれているように、まさに電流が走るような痛みだった。
このジュエルキャタピラーには、毒などは無いのだろうか。
それにしても、綺麗な虫である。
私は虫が好きだ。
近所の図書館に、虫の標本が展示してあって、そこに世界の虫が飾られていて、とても欲しかった記憶がある。
あと、図書館では昆虫図鑑などを盛んに読み漁っていた。
あれ、これこの前書いたような気もするぞ、まあ、いいか。
今回のギャオの生配信はワタナベエンターテインメントがメインになっての配信だった。
しょこたんもここに所属している。
私は、ハナ肇とクレージーキャッツ、が好きだ。
クレージーキャッツが渡辺プロダクション所属なのは有名な話だ。
どうやら私は、これくらいの時代の音楽などが好きなようだ。
ただし、年齢的には、私の両親ですらまだ50代なので、当然私は世代ではない。
でも、何故か惹かれるものがある。
あの歌、あの歌詞が、何だか好きだ。
今、クレージーキャッツに匹敵するバンドはあるだろうか。
まあ、2度とあんなバンドは現れないとは思う。
でも、音楽ならば永遠に残り、いつでも聞くことが出来る。幸せな時代だ。
ドラクエ10か・・・、やりたいなぁ。
でも、オンラインなんだよなぁ。
ソロプレイが出来るならやりたいな。
でも、大抵の場合、ソロだと難易度が上がったりするからなぁ、どうなんだろう。
マルチプレイがやりたく無いので、オンラインゲームは基本的にやってこなかったが、ドラクエは、やはりやるしかあるまい。
近いうちに、やってみよう。
雑記を書こう
今日の夕飯
カップヤキソバ、菓子パン
美味しんぼはかなり読み込んだ。
ミスター味っ子とか、オーマイコンブも読んだ。
色々な料理が出て来るが、なかなか食べられない。
考えてみれば、あの料理の数々は、一般人が食べるのはなかなか大変な物が多い。
特に美味しんぼに出て来る食べ物は、大金持ちでも無い限り、簡単に食べられる物ではない。
あんな食べ物を毎日食べられる日本人が、一体どれくらいいるものだろうか。
でも、食材のクオリティにさえ拘らなければ、ある程度の再現は出来る。
例えば、卵の黄身の味噌漬け、これならば、品質にさえ拘らなければ、1個数十円で出来る。
コメを一粒ずつより分けて、割れたり白くなったりしていないものだけを除けば、漫画の中では美味しいご飯が炊けるはずだ。
実際には炊き方も問題なので、漫画の中ほどは上手く行かないかもしれないが。
そう考えると、極端に神経質にならなければ、そこそこ美味しんぼ食生活も可能かもしれない。
今度やってみよう。「擬似美味しんぼ」
その前に、売り払ってしまった本を買い戻さねば。
私は何の為に書き続けて来たのか
私は何の為に今まで書き続けて来たのか。
いや、このブログの事だけじゃない。
あの落書き、あの手紙、webサイトにこのブログ。
誰かに書くつもりでいても、実際には自分自身に向けて書いているのかもしれない。
このブログは、1日数人の方に御覧頂いている。
しかし、何故御覧頂いたのかが分からないので、結局、一方通行だ。
となると、自分が書きたい事を、好きに書くしかなくなる。
そんな状態が、恐らく四半世紀は続いているはずだ。
考えてみれば、子供の落書きは、それを描く事そのものが最大の目的だ。
子供には、それ以外の目的は全く無い。
子供のように書き続けた結果、このようなブログが出現するに至った。
言い方は大げさだが、単純に、子供の落書きの延長線上だといって良い。
でも、大抵の大人は、落書きをしたがらない。
自由に書きたがらない。
書く事そのものを目的にしたがらない。
その裏に何か、利益や目的を求めてしまう。
子供のように、ただ書きたいと言う理由だけで書く人が、あまりいない事は確かだ。
大人は時間が無いと言うが、睡眠時間を30分削れば、ブログの1つくらい簡単に書ける。
内容は、落書きでいい。
書きたいことを書くだけでいい。
まあ、私も、年単位で何も書く気が起きなくなる事もあるが、そんな時は、大抵ゲームをやっている。
そして、ゲームがひと段落すると、また文章が描きたくなる。
多分、文章は、ゲームでは得られない何かを得る事が出来るに違いない。
私は以前は友人に手紙を山のように書いた。
しかし、返事が来る事は無かったし、それでも一向に構わなかった。
そして今、ブログを書いているが、特に何か反応があるわけでも無い、でも、それは手紙の結果と変っていない。
昔から、自分の想いを勝手に書いて勝手に送って、それで完結する事に特に不満も無かった。
ブログやwebサイトは、私にとって最適のツールだ。
私のブログにコメント欄を付けていないのは、そのコメントにどう反応すれば良いのかが、わからないからだ。
けなされるのはもちろん嫌だが、褒められるのもあまり好きではない。
褒められると、つい裏をかんぐってしまう。
「この人が私を褒める裏には、何か別の目的があるのではないか」とつい思ってしまう。
「こんな物を褒める必要無いのに・・・」とも思ってしまう。
だから、私は人に褒められるのが好きではない。
かと言って、けなされるのが好きなわけでもない。
・・・・面倒な性格だな。まあ、仕方が無い、これが自分なのだから。
だから、ブログのコメントに何を書かれても、結局どう読んで良いのかがわからずに、放置してしまう。
だから、コメント欄を取り付けない事にしている。
もし、私に何かメッセージのある場合は、ツイッターか、メッセージでお知らせ下さい。
・・・・あれ、今、自分のメッセージを試しにクリックしてみたら、送れない設定になっていた。
でも、設定する場所が見当たらないな・・・・。
あま、いいか。
カップヤキソバ、菓子パン
美味しんぼはかなり読み込んだ。
ミスター味っ子とか、オーマイコンブも読んだ。
色々な料理が出て来るが、なかなか食べられない。
考えてみれば、あの料理の数々は、一般人が食べるのはなかなか大変な物が多い。
特に美味しんぼに出て来る食べ物は、大金持ちでも無い限り、簡単に食べられる物ではない。
あんな食べ物を毎日食べられる日本人が、一体どれくらいいるものだろうか。
でも、食材のクオリティにさえ拘らなければ、ある程度の再現は出来る。
例えば、卵の黄身の味噌漬け、これならば、品質にさえ拘らなければ、1個数十円で出来る。
コメを一粒ずつより分けて、割れたり白くなったりしていないものだけを除けば、漫画の中では美味しいご飯が炊けるはずだ。
実際には炊き方も問題なので、漫画の中ほどは上手く行かないかもしれないが。
そう考えると、極端に神経質にならなければ、そこそこ美味しんぼ食生活も可能かもしれない。
今度やってみよう。「擬似美味しんぼ」
その前に、売り払ってしまった本を買い戻さねば。
私は何の為に書き続けて来たのか
私は何の為に今まで書き続けて来たのか。
いや、このブログの事だけじゃない。
あの落書き、あの手紙、webサイトにこのブログ。
誰かに書くつもりでいても、実際には自分自身に向けて書いているのかもしれない。
このブログは、1日数人の方に御覧頂いている。
しかし、何故御覧頂いたのかが分からないので、結局、一方通行だ。
となると、自分が書きたい事を、好きに書くしかなくなる。
そんな状態が、恐らく四半世紀は続いているはずだ。
考えてみれば、子供の落書きは、それを描く事そのものが最大の目的だ。
子供には、それ以外の目的は全く無い。
子供のように書き続けた結果、このようなブログが出現するに至った。
言い方は大げさだが、単純に、子供の落書きの延長線上だといって良い。
でも、大抵の大人は、落書きをしたがらない。
自由に書きたがらない。
書く事そのものを目的にしたがらない。
その裏に何か、利益や目的を求めてしまう。
子供のように、ただ書きたいと言う理由だけで書く人が、あまりいない事は確かだ。
大人は時間が無いと言うが、睡眠時間を30分削れば、ブログの1つくらい簡単に書ける。
内容は、落書きでいい。
書きたいことを書くだけでいい。
まあ、私も、年単位で何も書く気が起きなくなる事もあるが、そんな時は、大抵ゲームをやっている。
そして、ゲームがひと段落すると、また文章が描きたくなる。
多分、文章は、ゲームでは得られない何かを得る事が出来るに違いない。
私は以前は友人に手紙を山のように書いた。
しかし、返事が来る事は無かったし、それでも一向に構わなかった。
そして今、ブログを書いているが、特に何か反応があるわけでも無い、でも、それは手紙の結果と変っていない。
昔から、自分の想いを勝手に書いて勝手に送って、それで完結する事に特に不満も無かった。
ブログやwebサイトは、私にとって最適のツールだ。
私のブログにコメント欄を付けていないのは、そのコメントにどう反応すれば良いのかが、わからないからだ。
けなされるのはもちろん嫌だが、褒められるのもあまり好きではない。
褒められると、つい裏をかんぐってしまう。
「この人が私を褒める裏には、何か別の目的があるのではないか」とつい思ってしまう。
「こんな物を褒める必要無いのに・・・」とも思ってしまう。
だから、私は人に褒められるのが好きではない。
かと言って、けなされるのが好きなわけでもない。
・・・・面倒な性格だな。まあ、仕方が無い、これが自分なのだから。
だから、ブログのコメントに何を書かれても、結局どう読んで良いのかがわからずに、放置してしまう。
だから、コメント欄を取り付けない事にしている。
もし、私に何かメッセージのある場合は、ツイッターか、メッセージでお知らせ下さい。
・・・・あれ、今、自分のメッセージを試しにクリックしてみたら、送れない設定になっていた。
でも、設定する場所が見当たらないな・・・・。
あま、いいか。
雑記なのだ
今日の夕飯
カップヤキソバと菓子パン。
これって、書く必要があるのか?
記録と言う意味では、意味があると言う事にして、とりあえず書いて置こう。
このブログは私のライフログであり、色々なデータを羅列、保管する事が最大の目的。
日焼けをした。
BGM : Cyndi Lauper - Girls Just Want To Have Fun
やはり、80年代の音楽を聞く割合が多い。
BGM : Louis Armstrong - Mame
これは、もっと古いか。
BGM : Louis Armstrong - When The Saints Go Marching In
私の時はこれがいいかな。
絵を描こう。
今日は、どんな絵を描こうか。
一つはもう決めている。
そしてもうひとつ、別な物も描こう。
幾つかのブログを見ても、絵を描いて貼り付けている人は、それほどいない。
おそらく、絵を描くと言う行為は、意外と珍しいのかもしれない。
それと同時に、絵を描く人は固まっている気もする。
アメブロでは、恐らく、一般的な平均値程度に描く人が分布しているような気がする。
ピクシブ等のイラスト系のsnsならば、みんなが描いているが、アメブロで絵を日常的に描いている人はあまり見かけない。
みんな、描いたら面白いのになぁ。
たまにある事
たまにある。書きたいけれど、どう書いて良いのかわからない事が。
まだ、頭の中で言語化されていない、モヤモヤとした気分が、何となく頭の中に留まっている。
少しずつ、端っこの方から言葉のカケラを取り出して、それを固めていって、何とか文章にまとめようと試みる。
やる気が無くては出来ない事、無くても出来る事
物事には2種類があって、やる気が無くては出来ない事と、やる気が無くても出来る事の2種類がある。
主に、誰かから望まれる事、頼まれる事など、動機が外部的な要因の場合は、やる気は必要無い。
その場合は、求められている物を分析し、必要な条件を割り出して、期日以内に達成できるように計画し、実行すれば良い。
問題は、やる気が無くては出来ないモノの方だ。
これは主に、動機が自分自身の内部にあって、求められるモノ、必要条件や期日など、全て自分で決める事が出来てしまう。
そして、それらを決めるのが「やる気」以外に何も無い。
内部から出て来る、出所の分からない不思議な力「やる気」。
これが何処から、何故出てくるのか、私にはよく分からない。
だから、絵を描く気が全く起きない時は困る。
私の絵は、完全に自分自身の内部からの要請のみで描いている。
だから、その要請が無い時は、何も描くものがなくなる。
今日描くものは決まっているが、それを描く動機は完全に内部からのものだけであり、そして、今は、その内部からの声が小さい。
理由は分かっている、眠いからだ。
眠気はやる気を吸い取る。
夢の世界の住人は、やる気を食べて生きている。
そういえば、夢についての話を書こう。
夢について
ここで言う夢は、眠るときに見る夢だ。
私はよく夢を見る。
信じてもらわなくても構わないが、巨大地震が起きる前は、必ず2日連続で地震の夢を見る。
あと、9.11の何日か前に、巨大なビルが崩壊する夢を見たりもした。
いや、信じなくてもいい、ただの夢なのだから。
私の夢の世界は、恐ろしく平凡だが、しかし、たまに非常にグロテスクな場面にも出くわす。
ただ、私はそのような物に耐性があるらしく、夢の中で見ても、特に驚く事は無い。
肉屋に血だらけでしゃべる人間の生首が売っていたりすることもある。
でも、其の時は、「珍しい物が売っているな」位の感覚しか感じない。
夢の中で恐ろしい体験をする事も、無い事は無いが、それが夢だと知ってしまうので、怖さも消え失せる。
夢の中で感情が高まると、それが夢である事に気が付く。
気がついてしまえば、あとは眼を覚ますなり、結末を変えるなりすれば良い。
悪夢に悩まされている人は、それが夢である事に気が付くように努力すれば良い。
一般的には「夢日記」を付けろと言われる。
夢を文章として記述し続ける事で、次第に夢の特徴を覚え、そして気が付く事が出来るようになる。
そうすれば夢の世界は怖いものではなくなる。
ただ、私はそれが夢だと気がついても、ある程度は流れに身を任せる。
その方が、予想外の展開が期待できるからだ。
しょこたんは、よく殺される夢を見るらしい。
私が夢の世界に入って行って助けてあげたいが、今まで、他人の夢に入ろうと試みて成功した事は一度も無い。
今の所、他人の夢の世界へアクセスする方法は見つかっていない。
いずれ、その方法を発見したら、黒猫にでも化けて、しょこたんを魔の手から守ろうと思う。
私は、夢の中で殺された事はほとんど無いが、核戦争が起きたり、宇宙人が攻めてきたりして、人類が滅亡するという夢は見る。
ある意味個人の死よりも恐ろしい事かもしれない。
でも、実は宇宙人の夢は、それがどんなに恐ろしくても、やはり見たいのだ。
だって、現実世界でUFOとか宇宙人を見たことなど無いのだから。
実は、一つだけ本当の悪夢がある。
それは、「夢よりつまらない現実」と言う悪夢だ。
これだけは何とか回避したい。
夢の世界も、決してそれほど楽しい事ばかりでも無いから、そんな夢に、現実が負けてはならない。
夢に勝つ現実の構築、それを目指して今日も起きよう。
カップヤキソバと菓子パン。
これって、書く必要があるのか?
記録と言う意味では、意味があると言う事にして、とりあえず書いて置こう。
このブログは私のライフログであり、色々なデータを羅列、保管する事が最大の目的。
日焼けをした。
BGM : Cyndi Lauper - Girls Just Want To Have Fun
やはり、80年代の音楽を聞く割合が多い。
BGM : Louis Armstrong - Mame
これは、もっと古いか。
BGM : Louis Armstrong - When The Saints Go Marching In
私の時はこれがいいかな。
絵を描こう。
今日は、どんな絵を描こうか。
一つはもう決めている。
そしてもうひとつ、別な物も描こう。
幾つかのブログを見ても、絵を描いて貼り付けている人は、それほどいない。
おそらく、絵を描くと言う行為は、意外と珍しいのかもしれない。
それと同時に、絵を描く人は固まっている気もする。
アメブロでは、恐らく、一般的な平均値程度に描く人が分布しているような気がする。
ピクシブ等のイラスト系のsnsならば、みんなが描いているが、アメブロで絵を日常的に描いている人はあまり見かけない。
みんな、描いたら面白いのになぁ。
たまにある事
たまにある。書きたいけれど、どう書いて良いのかわからない事が。
まだ、頭の中で言語化されていない、モヤモヤとした気分が、何となく頭の中に留まっている。
少しずつ、端っこの方から言葉のカケラを取り出して、それを固めていって、何とか文章にまとめようと試みる。
やる気が無くては出来ない事、無くても出来る事
物事には2種類があって、やる気が無くては出来ない事と、やる気が無くても出来る事の2種類がある。
主に、誰かから望まれる事、頼まれる事など、動機が外部的な要因の場合は、やる気は必要無い。
その場合は、求められている物を分析し、必要な条件を割り出して、期日以内に達成できるように計画し、実行すれば良い。
問題は、やる気が無くては出来ないモノの方だ。
これは主に、動機が自分自身の内部にあって、求められるモノ、必要条件や期日など、全て自分で決める事が出来てしまう。
そして、それらを決めるのが「やる気」以外に何も無い。
内部から出て来る、出所の分からない不思議な力「やる気」。
これが何処から、何故出てくるのか、私にはよく分からない。
だから、絵を描く気が全く起きない時は困る。
私の絵は、完全に自分自身の内部からの要請のみで描いている。
だから、その要請が無い時は、何も描くものがなくなる。
今日描くものは決まっているが、それを描く動機は完全に内部からのものだけであり、そして、今は、その内部からの声が小さい。
理由は分かっている、眠いからだ。
眠気はやる気を吸い取る。
夢の世界の住人は、やる気を食べて生きている。
そういえば、夢についての話を書こう。
夢について
ここで言う夢は、眠るときに見る夢だ。
私はよく夢を見る。
信じてもらわなくても構わないが、巨大地震が起きる前は、必ず2日連続で地震の夢を見る。
あと、9.11の何日か前に、巨大なビルが崩壊する夢を見たりもした。
いや、信じなくてもいい、ただの夢なのだから。
私の夢の世界は、恐ろしく平凡だが、しかし、たまに非常にグロテスクな場面にも出くわす。
ただ、私はそのような物に耐性があるらしく、夢の中で見ても、特に驚く事は無い。
肉屋に血だらけでしゃべる人間の生首が売っていたりすることもある。
でも、其の時は、「珍しい物が売っているな」位の感覚しか感じない。
夢の中で恐ろしい体験をする事も、無い事は無いが、それが夢だと知ってしまうので、怖さも消え失せる。
夢の中で感情が高まると、それが夢である事に気が付く。
気がついてしまえば、あとは眼を覚ますなり、結末を変えるなりすれば良い。
悪夢に悩まされている人は、それが夢である事に気が付くように努力すれば良い。
一般的には「夢日記」を付けろと言われる。
夢を文章として記述し続ける事で、次第に夢の特徴を覚え、そして気が付く事が出来るようになる。
そうすれば夢の世界は怖いものではなくなる。
ただ、私はそれが夢だと気がついても、ある程度は流れに身を任せる。
その方が、予想外の展開が期待できるからだ。
しょこたんは、よく殺される夢を見るらしい。
私が夢の世界に入って行って助けてあげたいが、今まで、他人の夢に入ろうと試みて成功した事は一度も無い。
今の所、他人の夢の世界へアクセスする方法は見つかっていない。
いずれ、その方法を発見したら、黒猫にでも化けて、しょこたんを魔の手から守ろうと思う。
私は、夢の中で殺された事はほとんど無いが、核戦争が起きたり、宇宙人が攻めてきたりして、人類が滅亡するという夢は見る。
ある意味個人の死よりも恐ろしい事かもしれない。
でも、実は宇宙人の夢は、それがどんなに恐ろしくても、やはり見たいのだ。
だって、現実世界でUFOとか宇宙人を見たことなど無いのだから。
実は、一つだけ本当の悪夢がある。
それは、「夢よりつまらない現実」と言う悪夢だ。
これだけは何とか回避したい。
夢の世界も、決してそれほど楽しい事ばかりでも無いから、そんな夢に、現実が負けてはならない。
夢に勝つ現実の構築、それを目指して今日も起きよう。
しょこたんの握手会に行って来た!!
しょこたんの握手会&ミニライブに行って来た。
握手会の途中は撮影禁止だったので、会が始まる30分前に、会場を取り囲む通路の上の方から、少し撮って見た。
まだ、開始まで30分以上ある時点で、かなりの人が待機していた。
最前列には、数時間前から席を確保している熱いファンたちがギッシリといて、とても待ち遠しそうにしていた。
そして、思い思いの衣装を身にまとい、イベントそのものを楽しむと言う雰囲気が感じられた。
イベントは、受身の姿勢で、ただ楽しませてもらうと言うよりも、自分から進んで楽しんだ方がよっぽど面白い。
コスプレをしたり、ものすごい勢いで踊ったり、皆それぞれこの場を楽しんでいる。
それが見れただけでも、握手会に来た甲斐があったと言うものだ。
ちなみに今日の握手会、昼の部は晴天だった。
私が雨は降らさないと前のブログで書いたが、良かった、書いた通りになって。おじいちゃんありがとう。
開始までは延々とPVが流れたり、スタッフの男性が、家庭内の愚痴を披露したりして、その時を待った。
そしていよいよしょこたん登場!!
真っ白のワンピースに大きな白のリボン。
夏らしくてとっても可愛らしい衣装だ。
空色デイズから始まり、数曲を熱唱。
この炎天下の中、本当にありがとう。
そして、熱いファンたちも、中にはほとんどしょこたんを見ることも無く、ただひたすらに踊りまくっている人もいたりと、とても楽しいミニライブだった。
そして、改めて気が付いた事だが、やはりしょこたんファンは女性の比率が他の女性アイドル・女性歌手よりも多い気がする。
もちろんメインは男性だが、カップル・夫婦など結構目に付いた。
単純に若い子がよければAKBやモモクロがいる。
彼女らも素晴らしいと思うが、しょこたんには別の魅力がある。
若いからとか可愛いからとか、そういうものだけではないものを、しょこたんは確かに持っている、そうライブを見て感じた。
何曲か歌を唄い、トークをした後に、握手会が始まった。
握手会は、CDの中に入っている握手会参加券1枚毎に1回握手が出来る。
中には何度も握手をする人も居た。
そして、雨天中止になった名古屋を代表して大量に握手券をもって参上したお姉さんに、会場から拍手喝采が上がったりした。
また、ニコ生の24時間握手会で見かけた顔も結構いた。
色々なコスプレ。
黄色いバンのような車のキグルミを頭に載せている人、飛び出せ科学くんに出てきた筋肉標本みたいな人。そしてもちろん、しょこたんに扮装している人。
あと、アニメのキャラクターになりきっている人たちも大勢いた。
あと、無人くんの宇宙人。(正式名称不明)
そして、皆しょこたんカラーのピンクの何かを身に着けている。
ちなみに私はピンクと白のボーダーの扇子を持っていって、暑いので必死になって仰いでいた。
会場に行った人で、これを見てくださっている方がおられたら、ピンと来るかもしれない。
そうです、あれが私です、今後ともよろしくお願いいたします。
そして、握手会が続く事約1時間、感覚的には500人くらいは握手をしたのではないだろうか。
いよいよ列も少なくなってきたので、私も握手をしてもらう事にした。
そして、お土産の蝉の抜け殻は、スタッフの人に渡しておいた。
これで当分蝉には困らないはずだ。
ちなみに、時間の都合上か、蝉の殻の配布は無かった。
私の近所には掃いて捨てるほどあるので、まあ、殻そのものは別にいらなかったが。
でも、しょこたんから手渡しで貰ったら、家宝にしていただろうけどね。
そんな訳で、私も握手券をスタッフの人に渡し、ステージの上に上がった。
感覚的には、1人3秒程度だろうか。
握手会とは文字通り握手をする会なので、それ以外はすることも無い。
交流会などを開けば話したりする事もあるだろうが、握手会は基本握手だけだ。
だから、私もさっと済ませる事にした。
血を吐きながら・・・
しゃべる時間は無い、プレゼントも蝉の抜け殻しかない、そうなったら、後はしょこたんに喜んでもらい、テンションを上げてもらうしかない。
そこで私が考えのが「吐血」だ。
だから、思いっきり血を口からたらして見せた。
「血が出てますけど、大丈夫ですか?」
しょこたんにそう聞かれ、私は、うんとうなずくと、そのままステージを降りた。
もし、少しでもしょこたんが楽しんでくれたのなら、それ以上言う言葉は無い。
やった甲斐があったと言うものだ。
行った甲斐があると言うものだ。
生きて来た甲斐があると言うものだ。
そして、握手会の昼の部は無事終了。
最後にしょこたんが皆に向かって感謝の言葉を述べて、握手会はお開きとなった。
そして、午後5時からの握手会に参加すべく、既に場所をとっている人も何人もいた。
その情熱、ただただ頭が下がる思いである。
私の大好きなしょこたんを、今後とも、貪欲に応援していってくだされると、私も何だかとっても嬉しい。
諸事情により、握手券は1枚しか手に入れられなかったので、午後5時からの握手会は、こうやって記事でも書きながら、熱いファの皆様にお任せしようと思う。
まあ、ライブだけなら、チケットが無くても問題ないのだけど。
とにかく、早く家に帰って、忘れないうちにこうやって文章として残しておこうと思い、名残惜しい気持ちを押し留めて、帰路に着いた訳である。
実物のしょこたんの感想
写真や動画よりずっと小さく感じた。
あと、手が華奢で、小さく、細く感じた。
そして、身体も手も、少し、痩せていると感じた。
ここの所のハードスケジュールで、肉体的な負担が半端では無かったせいかもしれない。
そしてもちろん、可愛かった!!
ただ、私は、しょこたんがスカシカシパン見たくなっても、おばあちゃんになっても、一向に構わないと、以前のブログ書いたとおりだ。
もちろん、今の可愛さをキープしてくれれば、言うこと無いけどね。
やっぱり、行ってよかった。本当に良かった。
ファンの皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました、とても楽しかったです。
そしてなにより、しょこたん、本当にありがとう!!!!
握手会の途中は撮影禁止だったので、会が始まる30分前に、会場を取り囲む通路の上の方から、少し撮って見た。
まだ、開始まで30分以上ある時点で、かなりの人が待機していた。
最前列には、数時間前から席を確保している熱いファンたちがギッシリといて、とても待ち遠しそうにしていた。
そして、思い思いの衣装を身にまとい、イベントそのものを楽しむと言う雰囲気が感じられた。
イベントは、受身の姿勢で、ただ楽しませてもらうと言うよりも、自分から進んで楽しんだ方がよっぽど面白い。
コスプレをしたり、ものすごい勢いで踊ったり、皆それぞれこの場を楽しんでいる。
それが見れただけでも、握手会に来た甲斐があったと言うものだ。
ちなみに今日の握手会、昼の部は晴天だった。
私が雨は降らさないと前のブログで書いたが、良かった、書いた通りになって。おじいちゃんありがとう。
開始までは延々とPVが流れたり、スタッフの男性が、家庭内の愚痴を披露したりして、その時を待った。
そしていよいよしょこたん登場!!
真っ白のワンピースに大きな白のリボン。
夏らしくてとっても可愛らしい衣装だ。
空色デイズから始まり、数曲を熱唱。
この炎天下の中、本当にありがとう。
そして、熱いファンたちも、中にはほとんどしょこたんを見ることも無く、ただひたすらに踊りまくっている人もいたりと、とても楽しいミニライブだった。
そして、改めて気が付いた事だが、やはりしょこたんファンは女性の比率が他の女性アイドル・女性歌手よりも多い気がする。
もちろんメインは男性だが、カップル・夫婦など結構目に付いた。
単純に若い子がよければAKBやモモクロがいる。
彼女らも素晴らしいと思うが、しょこたんには別の魅力がある。
若いからとか可愛いからとか、そういうものだけではないものを、しょこたんは確かに持っている、そうライブを見て感じた。
何曲か歌を唄い、トークをした後に、握手会が始まった。
握手会は、CDの中に入っている握手会参加券1枚毎に1回握手が出来る。
中には何度も握手をする人も居た。
そして、雨天中止になった名古屋を代表して大量に握手券をもって参上したお姉さんに、会場から拍手喝采が上がったりした。
また、ニコ生の24時間握手会で見かけた顔も結構いた。
色々なコスプレ。
黄色いバンのような車のキグルミを頭に載せている人、飛び出せ科学くんに出てきた筋肉標本みたいな人。そしてもちろん、しょこたんに扮装している人。
あと、アニメのキャラクターになりきっている人たちも大勢いた。
あと、無人くんの宇宙人。(正式名称不明)
そして、皆しょこたんカラーのピンクの何かを身に着けている。
ちなみに私はピンクと白のボーダーの扇子を持っていって、暑いので必死になって仰いでいた。
会場に行った人で、これを見てくださっている方がおられたら、ピンと来るかもしれない。
そうです、あれが私です、今後ともよろしくお願いいたします。
そして、握手会が続く事約1時間、感覚的には500人くらいは握手をしたのではないだろうか。
いよいよ列も少なくなってきたので、私も握手をしてもらう事にした。
そして、お土産の蝉の抜け殻は、スタッフの人に渡しておいた。
これで当分蝉には困らないはずだ。
ちなみに、時間の都合上か、蝉の殻の配布は無かった。
私の近所には掃いて捨てるほどあるので、まあ、殻そのものは別にいらなかったが。
でも、しょこたんから手渡しで貰ったら、家宝にしていただろうけどね。
そんな訳で、私も握手券をスタッフの人に渡し、ステージの上に上がった。
感覚的には、1人3秒程度だろうか。
握手会とは文字通り握手をする会なので、それ以外はすることも無い。
交流会などを開けば話したりする事もあるだろうが、握手会は基本握手だけだ。
だから、私もさっと済ませる事にした。
血を吐きながら・・・
しゃべる時間は無い、プレゼントも蝉の抜け殻しかない、そうなったら、後はしょこたんに喜んでもらい、テンションを上げてもらうしかない。
そこで私が考えのが「吐血」だ。
だから、思いっきり血を口からたらして見せた。
「血が出てますけど、大丈夫ですか?」
しょこたんにそう聞かれ、私は、うんとうなずくと、そのままステージを降りた。
もし、少しでもしょこたんが楽しんでくれたのなら、それ以上言う言葉は無い。
やった甲斐があったと言うものだ。
行った甲斐があると言うものだ。
生きて来た甲斐があると言うものだ。
そして、握手会の昼の部は無事終了。
最後にしょこたんが皆に向かって感謝の言葉を述べて、握手会はお開きとなった。
そして、午後5時からの握手会に参加すべく、既に場所をとっている人も何人もいた。
その情熱、ただただ頭が下がる思いである。
私の大好きなしょこたんを、今後とも、貪欲に応援していってくだされると、私も何だかとっても嬉しい。
諸事情により、握手券は1枚しか手に入れられなかったので、午後5時からの握手会は、こうやって記事でも書きながら、熱いファの皆様にお任せしようと思う。
まあ、ライブだけなら、チケットが無くても問題ないのだけど。
とにかく、早く家に帰って、忘れないうちにこうやって文章として残しておこうと思い、名残惜しい気持ちを押し留めて、帰路に着いた訳である。
実物のしょこたんの感想
写真や動画よりずっと小さく感じた。
あと、手が華奢で、小さく、細く感じた。
そして、身体も手も、少し、痩せていると感じた。
ここの所のハードスケジュールで、肉体的な負担が半端では無かったせいかもしれない。
そしてもちろん、可愛かった!!
ただ、私は、しょこたんがスカシカシパン見たくなっても、おばあちゃんになっても、一向に構わないと、以前のブログ書いたとおりだ。
もちろん、今の可愛さをキープしてくれれば、言うこと無いけどね。
やっぱり、行ってよかった。本当に良かった。
ファンの皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました、とても楽しかったです。
そしてなにより、しょこたん、本当にありがとう!!!!
手
私は手が好きだ。
手の形、指、血管、筋、毛、手首、シワ、つめ。
そして手のひらに刻まれた溝の数々。
これはいわゆる手相と言うやつだ。
どんな根拠があって、手相の正しさを主張しているのかは、私は知らない。
推測するに、おそらく手相とは「それを信じる」事によって、その正しさが強化されてきた物だと思う。
いわゆる偽薬効果というやつで、偽物の薬でも、本物だと思い込んで飲むと、効果が表れてしまうと言うあれだ。
多分手相もそんな所だと思う。
だから、本気で信じる人にとっては、手相も実際に当るはずだし、信じない人にとっては、本当にただの溝でしか無い。
自分の手相を見てみても、私にはよく分からない。
ちょっと調べてみると・・・
やはり訳がわからない。
でも、何だか良さそうな線も有るにはあった。
例えば、仏眼相と言うやつが、両手の親指の第一関節にある。
左手のそれには黒目と呼ばれる物もある。
あと、両手に神秘十字と呼ばれる、てのひらの中央付近に十字がある。
それらがあると、霊感が強いらしい。
ちなみに私は、霊には「出てこないでくれ」と言っているので、多分一生目にする事は無い。
そもそも霊感なんて無い気がするが。
ただ、運は良いと思う。
宝くじとかが当った事は無いが、死にそうになっても生き延びた、なんて事はある。
あと、直感線なんてやつもあって、小指の付け根から生命線の所くらいまである。
これは勘が鋭いそうだ。
薬指の付け根に太陽環なんてのもある。ご利益はよくわからないが・・・。
あと、金星帯というやつがあって、これは、モテル線らしい。
・・・・
みなさん、手相が完全にデタラメだと言う事が証明された瞬間です!!!
あとは、よく分からなかった。
まあ、金を払ってまで見てもらうようなものか、疑問だが、良い事だけなら聞いても損は無いかもしれない。
占いは、つまりカウンセリングだから。
手相はともかく、私は手が好きだ。
握手、してぇーなぁー
手の形、指、血管、筋、毛、手首、シワ、つめ。
そして手のひらに刻まれた溝の数々。
これはいわゆる手相と言うやつだ。
どんな根拠があって、手相の正しさを主張しているのかは、私は知らない。
推測するに、おそらく手相とは「それを信じる」事によって、その正しさが強化されてきた物だと思う。
いわゆる偽薬効果というやつで、偽物の薬でも、本物だと思い込んで飲むと、効果が表れてしまうと言うあれだ。
多分手相もそんな所だと思う。
だから、本気で信じる人にとっては、手相も実際に当るはずだし、信じない人にとっては、本当にただの溝でしか無い。
自分の手相を見てみても、私にはよく分からない。
ちょっと調べてみると・・・
やはり訳がわからない。
でも、何だか良さそうな線も有るにはあった。
例えば、仏眼相と言うやつが、両手の親指の第一関節にある。
左手のそれには黒目と呼ばれる物もある。
あと、両手に神秘十字と呼ばれる、てのひらの中央付近に十字がある。
それらがあると、霊感が強いらしい。
ちなみに私は、霊には「出てこないでくれ」と言っているので、多分一生目にする事は無い。
そもそも霊感なんて無い気がするが。
ただ、運は良いと思う。
宝くじとかが当った事は無いが、死にそうになっても生き延びた、なんて事はある。
あと、直感線なんてやつもあって、小指の付け根から生命線の所くらいまである。
これは勘が鋭いそうだ。
薬指の付け根に太陽環なんてのもある。ご利益はよくわからないが・・・。
あと、金星帯というやつがあって、これは、モテル線らしい。
・・・・
みなさん、手相が完全にデタラメだと言う事が証明された瞬間です!!!
あとは、よく分からなかった。
まあ、金を払ってまで見てもらうようなものか、疑問だが、良い事だけなら聞いても損は無いかもしれない。
占いは、つまりカウンセリングだから。
手相はともかく、私は手が好きだ。
握手、してぇーなぁー
考え事
色々と考える事はある。
そして、それらに論理的な結論がでない場合、結局は、直感を信じる以外に無くなる。
直感は信じるに値する物もあるが、信じるべきでは無い直感もあると直感している。
そして、そのどちらとも言えない直感もある。
どちらでも無い直感の場合、それが本当に直感そのものなのか、何かが直感と言う感覚を借りただけのものなのか、それを見極める必要がある。
大抵の直感は、信じても良いと、特に私の場合はそう思う。
でも、中には、非常に判断の付かない直感があり、これをどうするかが問題だ。
それを解決するには、更に思考を深めるか、又は、直感を研ぎ澄ますほかに無い。
ただ、一つ言えるのは、後から見てみると、大抵の場合、初めの直感が正しい事が多い。
その後に、アレコレ理屈をつけて考えて、そして出た結論は、間違えであるケースが多い。
しかし、残念な事に、初めの直感は忘れてしまう事もたまにある。
そして、後からの考えの方が、より魅力的に見える事も多い。
「それはこうの方が良いのではないか。」初めの直感を完全に否定する形で、一見良さそうなアイディアが浮かんだりする。
しかし、それに乗ってしまうと、失敗する事が多い。
直感よりも良い案が浮かんだ時は、両者が上手く行った時に得られるモノを並べて見て、より、魅力的な何かを得られそうなものを選択するほうが良い。
失敗した時のリスクは、実はほとんど分からない。
金銭的な損害ならば、ある程度客観的に比較出来ると考えがちだが、実は違う。
世界は全て繋がっているので、ここで何かすれば、それは絶対に他の物に作用を及ぼす。
その作用が、その後どの様な形で世界に広まるかなどと言う予測は誰にも出来ない。
だから、単純に金銭の損害が、人生の損害であるとは言い切れない。
と言っても、わざと損しろとまでは言わない。
でも、その損が、人生に直接響かない程度のものならば、全く気にする事は無い。
どちらがより良い人生に繋がる可能性が高いかで判断すべきだ。
だって、明日まで生きている保証なんて何処にも無いのだから。
ただし、ギャンブルを勘でやってはならない。
何故ならあれは、非常に数学的、理論的に厳密にプレーヤーが損するように作られているからだ。
あの施設の維持費は、従業員の給料は、税金は・・・少し考えれば簡単だ。
だから、直感を働かすのは、理屈では説明の出来ない事を中心にすべきで、何でもかんでも直感に頼るのも良くない。
計算可能なものごときに、直感を使うなど無意味だし勿体無い。
宇宙はもっと、複雑で深遠なテーマを無限に提供してくれている。
そちらにもっと直感を集中させるべきだ。
今考えているのが、まさに宇宙の本質、その核となるもの、即ち愛についてだ。
愛が宇宙そのものであると言う事は、この前のブログで書いたが、それが私に解析不能な難問を突きつけてくる。
このブログで、出て来ない日は無いと言ってもいい、しょこたんだが、明日握手会をやる予定だ。
私は既に券は持っているし、電車1本、30分程度で、会場の後楽園までいける。
先日、夏の思い出にと集めた蝉でも手土産に、会いに行ってこようかと、日が沈むまでは考えていた。
しかし、今になって、行かない方が良いような気がして来てしまったのだ。
もちろん、握手そのものはとてもしたいし、蝉も持っていってあげたい。
でも、その行為は、単なるエゴ、我がままでしかないのではないか。
私が行く事により、しょこたんには、より多くの負担が掛かる事は確かだ。
もちろん全てのファンが負担だと言っているのではない、私如きが負担をかけると言うことが、気に掛かって仕方が無いのだ。
私は、その様な負担を強いるほどにまで、彼女の人生に貢献して来ただろうか。
確かにテレビ番組は見るし、CDも買う。
でも、それは何百万人も行っている事であり、私はその中の一人に過ぎない。
ここは大人しく、今まで通りに、テレビを見て音楽を聴いて、こうやってブログに書き散らしている方が、彼女への負担も少ないのではないか。
しかし、ここで思いつくのが、「負担」と「喜び」のバランスだ。
もし仮に、私が与えてしまう「負担」よりもしょこたんが感じる「喜び」の方が大きければ、私にも行くだけの資格がある。
つまり、問題は、私と言う人間が、どれだけの喜びを与えられる存在か、と言う点にかかってくる。
では、私にはどの様な魅力があり、喜びを与えられるか。
それを考えると、正直何も浮かばない。
決してイケメンでは無いし、ブルースリーにも木星にも似ていない。
握手は基本的に会話などは出来ないので、言葉による貢献も出来ない。
外見がダメ、言葉も不可能、では後は・・・プレゼントくらいか。
でも、誠に遺憾ながら、今の私にはしょこたんが喜びそうな物を買うことの出来る財力は無い。
蝉の抜け殻は山ほどあるが、これは、きっと既に全国から山のように送られてきていて、その上、当日会場でも、うんざりするほど手に入るはずだ。
そう考えると、私が行く事によるしょこたんのメリットはほぼ皆無と言える。
その上に、余計な負担だけを与え、そして私だけが喜びを一方的に得る形になる。
これは不公平だ。
「握手券の入ったCDを買ったのだから握手する権利はある」と言う理屈は分かる。
でも、CDの代金は、あくまで「音楽」に対して支払ったものであり、握手会に対してではない。
もし、CDの料金に握手会の代金が含まれているのならば、それが入っていないCDは値下げすべきだし、券はあるのに握手会にいけなかった人には、幾らか返金するべき、と言う事になってしまう。
つまり、握手会は、完全なるボランティアであり、そこから利益は得られるべきではない。
すこし、難しく考えすぎかもしれない。
でも、理屈で考えるとそうなる。
理屈は魅力的だ。
何と言っても分かりやすい。
ついつい理屈の魅力に惹かれてしまうが、必ずしも、それが幸せに繋がるとは限らない。
初めの直感は、「行け」、だったが、時間と共に、「行くな」に変りつつある。
しかし、今後しばらく握手会はしないと言っているし、行っても、「私は」損はしない。
しかし、肉体接触を図りたいと言う己の欲望のためだけに、私は行動すべきなのだろうか。
これは、単にしょこたんに対する負担と言う問題を通り越して、もはや倫理観の問題だ。
己の欲望を満たすために、相手を犠牲にする事が、果たして愛と呼べるのか。
だからこそ、せめてもの償いに、しょこたんも何らかのメリットを得るべきだと考えたわけだが、残念ながら私にはそれを与えられるほどの力は無い。
一瞬、手紙でも書こうかと思ったが、はっきり言って、手紙はヤバイ。
このブログで書いたかどうか忘れたが、私が書く手紙は、恐らく読む人にとっては、決して望まれるような物では無かったはずだ。
過去、友人らに、山ほど手紙を描いて送ったが、それらが会話の中に出てくることなどは一度も無かった。
つまり、完全に黙殺されるべき存在でしかなかったのだ。
と言っても、その友人らと仲が悪くなるわけでも無かったし、普通に楽しく遊んでいたが。
でも、手紙については誰も何も言わなかった。
つまりは、私の書く手紙はヤバイのだ。
もちろん、その時の友人に対する物ほどの手紙は書くつもりは無い。
でも、そんな物を書いたからといて、それが握手と引き換えられる程のメリットだとは思えない。
もし「蝉の抜け殻がどうしても欲しくて、誰も持って来ていない」と言うシチュエーションにでもなれば、私が行く事にも少しは意味がありそうだが、それは完全な賭けだ。
でも、この賭けは、いわば完全なランダムであり、その結果を誰も操る事は出来ない。
そういう賭けは、嫌いではない。
そういう賭けこそ、直感を信じるべき賭けだ。
そして、今の私の答えは「確実に蝉の殻が不足する」と言うものだ。
私の第一直感は蝉の殻が足りなくなる事を訴えている。
ちなみに、蝉の抜け殻が足りなくなるのは、握手してくれた人に配るからだ。
いつのまにやら、そう言う事になったもので、もちろんそういうルールと言うわけではない。
今手元に、見た感じだと、500匹分くらいの蝉の抜け殻がある。
数えたわけではないが。
握手会に来る人数は不明だが、握手会が1時間だとすれば、1人3秒で1200人と握手できる計算になる。
全員が蝉を欲しがる事は無いので、その半分、600人が蝉を欲しがったとすれば、600個の蝉が必要と言う計算になる。
かりに、しょこたんの手元に一個も無かったと仮定した場合、そして、50人に一人が50個の蝉の抜け殻を持ってきたとした場合、ちょうど1200個のの蝉の抜け殻が集まる計算になる。
これだと、私がもって行くまでも無い。
でも、50人に1人が50個、という数値と、握手する人数次第では、この結果はいくらでも変る。
50人に1人が50個と言う数値は、先日ニコ生でやっていた握手会を見た私の印象から出した当てずっぽうのデータなので、信憑性は無い。
・・・結局、データが無いので、勘に頼るしかないわけか・・・。
「蝉の殻は不足する」これが私の直感だ。
あ、今思い出したが、ニコ生の握手会では、常に蝉の殻不足を訴えていたな。
つまり、50人に1人が50個、というデータは明らかに間違っていると言う事になる。
でも、あの放送を見て、みんながやる気を出せば、あっという間に、山盛りの蝉の殻が集まる気もする。
私の近所にはたまたま大きな公園がある。光が丘公園は都内でも4番目くらいに大きな公園だ。
その公園で、数時間蝉の殻を取り続けたが、私のように殻を熱心に集めている人は1人もいなかった。
そして、殻は山のようにあった。
つまりこの点から推測できる事は、光が丘付近のしょこたんファンは、蝉の殻を持って行くと言う事に私ほどには熱心では無かった、と考えられる。
恐らく、私の近所では、私より蝉の抜け殻を多く持つ人はいない。
これは有利な判断材料だ。
まあ、このまま手元に数百個の抜け殻を眠らせておくのも勿体無いし、持っていっても、その行為自体は何の問題も無いはずだ。
問題なのは、それがしょこたんの益にならないと言う点だけで。
だめだ、ややこしくなってきた。
やっぱり第一直感を信じよう。
拝啓、しょこたん様。
蝉を持って行くので、もし必要ならばお納め下さい。
いつもこちらばかり喜びを得てしまってすみません。
いずれ必ず、このご恩をお返しいたしたいと思います、もうしばらくお持ち下さい。
敬具
そして、それらに論理的な結論がでない場合、結局は、直感を信じる以外に無くなる。
直感は信じるに値する物もあるが、信じるべきでは無い直感もあると直感している。
そして、そのどちらとも言えない直感もある。
どちらでも無い直感の場合、それが本当に直感そのものなのか、何かが直感と言う感覚を借りただけのものなのか、それを見極める必要がある。
大抵の直感は、信じても良いと、特に私の場合はそう思う。
でも、中には、非常に判断の付かない直感があり、これをどうするかが問題だ。
それを解決するには、更に思考を深めるか、又は、直感を研ぎ澄ますほかに無い。
ただ、一つ言えるのは、後から見てみると、大抵の場合、初めの直感が正しい事が多い。
その後に、アレコレ理屈をつけて考えて、そして出た結論は、間違えであるケースが多い。
しかし、残念な事に、初めの直感は忘れてしまう事もたまにある。
そして、後からの考えの方が、より魅力的に見える事も多い。
「それはこうの方が良いのではないか。」初めの直感を完全に否定する形で、一見良さそうなアイディアが浮かんだりする。
しかし、それに乗ってしまうと、失敗する事が多い。
直感よりも良い案が浮かんだ時は、両者が上手く行った時に得られるモノを並べて見て、より、魅力的な何かを得られそうなものを選択するほうが良い。
失敗した時のリスクは、実はほとんど分からない。
金銭的な損害ならば、ある程度客観的に比較出来ると考えがちだが、実は違う。
世界は全て繋がっているので、ここで何かすれば、それは絶対に他の物に作用を及ぼす。
その作用が、その後どの様な形で世界に広まるかなどと言う予測は誰にも出来ない。
だから、単純に金銭の損害が、人生の損害であるとは言い切れない。
と言っても、わざと損しろとまでは言わない。
でも、その損が、人生に直接響かない程度のものならば、全く気にする事は無い。
どちらがより良い人生に繋がる可能性が高いかで判断すべきだ。
だって、明日まで生きている保証なんて何処にも無いのだから。
ただし、ギャンブルを勘でやってはならない。
何故ならあれは、非常に数学的、理論的に厳密にプレーヤーが損するように作られているからだ。
あの施設の維持費は、従業員の給料は、税金は・・・少し考えれば簡単だ。
だから、直感を働かすのは、理屈では説明の出来ない事を中心にすべきで、何でもかんでも直感に頼るのも良くない。
計算可能なものごときに、直感を使うなど無意味だし勿体無い。
宇宙はもっと、複雑で深遠なテーマを無限に提供してくれている。
そちらにもっと直感を集中させるべきだ。
今考えているのが、まさに宇宙の本質、その核となるもの、即ち愛についてだ。
愛が宇宙そのものであると言う事は、この前のブログで書いたが、それが私に解析不能な難問を突きつけてくる。
このブログで、出て来ない日は無いと言ってもいい、しょこたんだが、明日握手会をやる予定だ。
私は既に券は持っているし、電車1本、30分程度で、会場の後楽園までいける。
先日、夏の思い出にと集めた蝉でも手土産に、会いに行ってこようかと、日が沈むまでは考えていた。
しかし、今になって、行かない方が良いような気がして来てしまったのだ。
もちろん、握手そのものはとてもしたいし、蝉も持っていってあげたい。
でも、その行為は、単なるエゴ、我がままでしかないのではないか。
私が行く事により、しょこたんには、より多くの負担が掛かる事は確かだ。
もちろん全てのファンが負担だと言っているのではない、私如きが負担をかけると言うことが、気に掛かって仕方が無いのだ。
私は、その様な負担を強いるほどにまで、彼女の人生に貢献して来ただろうか。
確かにテレビ番組は見るし、CDも買う。
でも、それは何百万人も行っている事であり、私はその中の一人に過ぎない。
ここは大人しく、今まで通りに、テレビを見て音楽を聴いて、こうやってブログに書き散らしている方が、彼女への負担も少ないのではないか。
しかし、ここで思いつくのが、「負担」と「喜び」のバランスだ。
もし仮に、私が与えてしまう「負担」よりもしょこたんが感じる「喜び」の方が大きければ、私にも行くだけの資格がある。
つまり、問題は、私と言う人間が、どれだけの喜びを与えられる存在か、と言う点にかかってくる。
では、私にはどの様な魅力があり、喜びを与えられるか。
それを考えると、正直何も浮かばない。
決してイケメンでは無いし、ブルースリーにも木星にも似ていない。
握手は基本的に会話などは出来ないので、言葉による貢献も出来ない。
外見がダメ、言葉も不可能、では後は・・・プレゼントくらいか。
でも、誠に遺憾ながら、今の私にはしょこたんが喜びそうな物を買うことの出来る財力は無い。
蝉の抜け殻は山ほどあるが、これは、きっと既に全国から山のように送られてきていて、その上、当日会場でも、うんざりするほど手に入るはずだ。
そう考えると、私が行く事によるしょこたんのメリットはほぼ皆無と言える。
その上に、余計な負担だけを与え、そして私だけが喜びを一方的に得る形になる。
これは不公平だ。
「握手券の入ったCDを買ったのだから握手する権利はある」と言う理屈は分かる。
でも、CDの代金は、あくまで「音楽」に対して支払ったものであり、握手会に対してではない。
もし、CDの料金に握手会の代金が含まれているのならば、それが入っていないCDは値下げすべきだし、券はあるのに握手会にいけなかった人には、幾らか返金するべき、と言う事になってしまう。
つまり、握手会は、完全なるボランティアであり、そこから利益は得られるべきではない。
すこし、難しく考えすぎかもしれない。
でも、理屈で考えるとそうなる。
理屈は魅力的だ。
何と言っても分かりやすい。
ついつい理屈の魅力に惹かれてしまうが、必ずしも、それが幸せに繋がるとは限らない。
初めの直感は、「行け」、だったが、時間と共に、「行くな」に変りつつある。
しかし、今後しばらく握手会はしないと言っているし、行っても、「私は」損はしない。
しかし、肉体接触を図りたいと言う己の欲望のためだけに、私は行動すべきなのだろうか。
これは、単にしょこたんに対する負担と言う問題を通り越して、もはや倫理観の問題だ。
己の欲望を満たすために、相手を犠牲にする事が、果たして愛と呼べるのか。
だからこそ、せめてもの償いに、しょこたんも何らかのメリットを得るべきだと考えたわけだが、残念ながら私にはそれを与えられるほどの力は無い。
一瞬、手紙でも書こうかと思ったが、はっきり言って、手紙はヤバイ。
このブログで書いたかどうか忘れたが、私が書く手紙は、恐らく読む人にとっては、決して望まれるような物では無かったはずだ。
過去、友人らに、山ほど手紙を描いて送ったが、それらが会話の中に出てくることなどは一度も無かった。
つまり、完全に黙殺されるべき存在でしかなかったのだ。
と言っても、その友人らと仲が悪くなるわけでも無かったし、普通に楽しく遊んでいたが。
でも、手紙については誰も何も言わなかった。
つまりは、私の書く手紙はヤバイのだ。
もちろん、その時の友人に対する物ほどの手紙は書くつもりは無い。
でも、そんな物を書いたからといて、それが握手と引き換えられる程のメリットだとは思えない。
もし「蝉の抜け殻がどうしても欲しくて、誰も持って来ていない」と言うシチュエーションにでもなれば、私が行く事にも少しは意味がありそうだが、それは完全な賭けだ。
でも、この賭けは、いわば完全なランダムであり、その結果を誰も操る事は出来ない。
そういう賭けは、嫌いではない。
そういう賭けこそ、直感を信じるべき賭けだ。
そして、今の私の答えは「確実に蝉の殻が不足する」と言うものだ。
私の第一直感は蝉の殻が足りなくなる事を訴えている。
ちなみに、蝉の抜け殻が足りなくなるのは、握手してくれた人に配るからだ。
いつのまにやら、そう言う事になったもので、もちろんそういうルールと言うわけではない。
今手元に、見た感じだと、500匹分くらいの蝉の抜け殻がある。
数えたわけではないが。
握手会に来る人数は不明だが、握手会が1時間だとすれば、1人3秒で1200人と握手できる計算になる。
全員が蝉を欲しがる事は無いので、その半分、600人が蝉を欲しがったとすれば、600個の蝉が必要と言う計算になる。
かりに、しょこたんの手元に一個も無かったと仮定した場合、そして、50人に一人が50個の蝉の抜け殻を持ってきたとした場合、ちょうど1200個のの蝉の抜け殻が集まる計算になる。
これだと、私がもって行くまでも無い。
でも、50人に1人が50個、という数値と、握手する人数次第では、この結果はいくらでも変る。
50人に1人が50個と言う数値は、先日ニコ生でやっていた握手会を見た私の印象から出した当てずっぽうのデータなので、信憑性は無い。
・・・結局、データが無いので、勘に頼るしかないわけか・・・。
「蝉の殻は不足する」これが私の直感だ。
あ、今思い出したが、ニコ生の握手会では、常に蝉の殻不足を訴えていたな。
つまり、50人に1人が50個、というデータは明らかに間違っていると言う事になる。
でも、あの放送を見て、みんながやる気を出せば、あっという間に、山盛りの蝉の殻が集まる気もする。
私の近所にはたまたま大きな公園がある。光が丘公園は都内でも4番目くらいに大きな公園だ。
その公園で、数時間蝉の殻を取り続けたが、私のように殻を熱心に集めている人は1人もいなかった。
そして、殻は山のようにあった。
つまりこの点から推測できる事は、光が丘付近のしょこたんファンは、蝉の殻を持って行くと言う事に私ほどには熱心では無かった、と考えられる。
恐らく、私の近所では、私より蝉の抜け殻を多く持つ人はいない。
これは有利な判断材料だ。
まあ、このまま手元に数百個の抜け殻を眠らせておくのも勿体無いし、持っていっても、その行為自体は何の問題も無いはずだ。
問題なのは、それがしょこたんの益にならないと言う点だけで。
だめだ、ややこしくなってきた。
やっぱり第一直感を信じよう。
拝啓、しょこたん様。
蝉を持って行くので、もし必要ならばお納め下さい。
いつもこちらばかり喜びを得てしまってすみません。
いずれ必ず、このご恩をお返しいたしたいと思います、もうしばらくお持ち下さい。
敬具
雑記だよ
ドクターペッパー
私は、ドクターペッパーが好きだ。
日本では未発売の、「ダイエット・ドクターペッパー」を飲むのが夢だ。
ドクターペッパーは、非常に個性的な味なので、好き嫌いが激しい。
そして、一部のマニア以外は大抵あまり好きではないようだ。
ドクターペッパーに似た物として、チェリーコークと言うものがある。
昔は飲んだが、今では全く見かけなくなってしまった。
多分まだどこか探せばあるだろうが、相当マイナーである事は確かだ。
あと、ジャズイン。
これは、紅茶に炭酸を入れた飲み物で、黒猫?がトレードマークだった。
私はこれが好きで、毎日のように飲んでいたが、いつのまにやら販売が終わってしまった。
いずれ、炭酸を注入できる装置を使って、自前で作って飲みたいと考えている。
私は少し変った感じの食べ物、飲み物が好きなようだ。
最近は、「サルミアッキ」という、世界一まずいキャンディーに興味がある。
食べた事は無いが、塩辛くて、臭いらしい。
今度、上野辺りの輸入菓子屋で探してみよう。
以前、妹がタイのお土産として、ドリアンのソフトキャディーを山ほど買ってきたことがあった。
他の家族は一粒でギブアップしたが、私一人で残り全部を食べてしまった事がある。
やはり、癖のあるものは、まさに癖になる。
肉は、普通のロースなどでは無く、内臓系が好きだ。
牛やブタや鳥の腸や肺や肝臓を色々買ってきて、一人でぐつぐつと煮込んで食べたりする。
わたしは、内臓の味と同時に、あの食感が好きだ。
あのぐにゃぐゃした感じ、歯ごたえのある、噛み切れない感じがいい。
豚足とか豚耳とかも好きだ。
ちなみに今、塩茹でした鳥の肝臓と心臓のセットが、2kgほど冷凍庫にあって、いつでも食べられるようになっている。
グミや餅、チーズも好きだ。
みんな、ぐにゃぐにゃしていると言うか、弾力があって、もちもちしていて、そういう食感が私は好きだ。
あと、湿気ったスナック菓子も好きだ。
あれもぐにゃぐにゃ感が増して美味しくなる。
ああ、こんな事を書いていたら、お腹が空いて来た。
自分の舌でも甘噛みして我慢しよう。
今日の夕飯
今日は、カップヤキソバと、菓子パンと、そして茹でたソラマメ。
絵
さて、今日は何の絵を描こうか。
そういえば、さっき描いた絵をまだUPしてないな。
その内アップしよう。
最近はしょこたんの絵をよく描く。
私は基本的に好きな絵しか描かない。
だから仕方が無い。
私は、ドクターペッパーが好きだ。
日本では未発売の、「ダイエット・ドクターペッパー」を飲むのが夢だ。
ドクターペッパーは、非常に個性的な味なので、好き嫌いが激しい。
そして、一部のマニア以外は大抵あまり好きではないようだ。
ドクターペッパーに似た物として、チェリーコークと言うものがある。
昔は飲んだが、今では全く見かけなくなってしまった。
多分まだどこか探せばあるだろうが、相当マイナーである事は確かだ。
あと、ジャズイン。
これは、紅茶に炭酸を入れた飲み物で、黒猫?がトレードマークだった。
私はこれが好きで、毎日のように飲んでいたが、いつのまにやら販売が終わってしまった。
いずれ、炭酸を注入できる装置を使って、自前で作って飲みたいと考えている。
私は少し変った感じの食べ物、飲み物が好きなようだ。
最近は、「サルミアッキ」という、世界一まずいキャンディーに興味がある。
食べた事は無いが、塩辛くて、臭いらしい。
今度、上野辺りの輸入菓子屋で探してみよう。
以前、妹がタイのお土産として、ドリアンのソフトキャディーを山ほど買ってきたことがあった。
他の家族は一粒でギブアップしたが、私一人で残り全部を食べてしまった事がある。
やはり、癖のあるものは、まさに癖になる。
肉は、普通のロースなどでは無く、内臓系が好きだ。
牛やブタや鳥の腸や肺や肝臓を色々買ってきて、一人でぐつぐつと煮込んで食べたりする。
わたしは、内臓の味と同時に、あの食感が好きだ。
あのぐにゃぐゃした感じ、歯ごたえのある、噛み切れない感じがいい。
豚足とか豚耳とかも好きだ。
ちなみに今、塩茹でした鳥の肝臓と心臓のセットが、2kgほど冷凍庫にあって、いつでも食べられるようになっている。
グミや餅、チーズも好きだ。
みんな、ぐにゃぐにゃしていると言うか、弾力があって、もちもちしていて、そういう食感が私は好きだ。
あと、湿気ったスナック菓子も好きだ。
あれもぐにゃぐにゃ感が増して美味しくなる。
ああ、こんな事を書いていたら、お腹が空いて来た。
自分の舌でも甘噛みして我慢しよう。
今日の夕飯
今日は、カップヤキソバと、菓子パンと、そして茹でたソラマメ。
絵
さて、今日は何の絵を描こうか。
そういえば、さっき描いた絵をまだUPしてないな。
その内アップしよう。
最近はしょこたんの絵をよく描く。
私は基本的に好きな絵しか描かない。
だから仕方が無い。




























