雑記を書こう | ゆうきの話

雑記を書こう

今日の夕飯

カップヤキソバ、菓子パン


美味しんぼはかなり読み込んだ。

ミスター味っ子とか、オーマイコンブも読んだ。

色々な料理が出て来るが、なかなか食べられない。

考えてみれば、あの料理の数々は、一般人が食べるのはなかなか大変な物が多い。

特に美味しんぼに出て来る食べ物は、大金持ちでも無い限り、簡単に食べられる物ではない。

あんな食べ物を毎日食べられる日本人が、一体どれくらいいるものだろうか。

でも、食材のクオリティにさえ拘らなければ、ある程度の再現は出来る。

例えば、卵の黄身の味噌漬け、これならば、品質にさえ拘らなければ、1個数十円で出来る。

コメを一粒ずつより分けて、割れたり白くなったりしていないものだけを除けば、漫画の中では美味しいご飯が炊けるはずだ。

実際には炊き方も問題なので、漫画の中ほどは上手く行かないかもしれないが。

そう考えると、極端に神経質にならなければ、そこそこ美味しんぼ食生活も可能かもしれない。

今度やってみよう。「擬似美味しんぼ」

その前に、売り払ってしまった本を買い戻さねば。



私は何の為に書き続けて来たのか


私は何の為に今まで書き続けて来たのか。

いや、このブログの事だけじゃない。

あの落書き、あの手紙、webサイトにこのブログ。

誰かに書くつもりでいても、実際には自分自身に向けて書いているのかもしれない。

このブログは、1日数人の方に御覧頂いている。

しかし、何故御覧頂いたのかが分からないので、結局、一方通行だ。

となると、自分が書きたい事を、好きに書くしかなくなる。

そんな状態が、恐らく四半世紀は続いているはずだ。

考えてみれば、子供の落書きは、それを描く事そのものが最大の目的だ。

子供には、それ以外の目的は全く無い。

子供のように書き続けた結果、このようなブログが出現するに至った。

言い方は大げさだが、単純に、子供の落書きの延長線上だといって良い。

でも、大抵の大人は、落書きをしたがらない。

自由に書きたがらない。

書く事そのものを目的にしたがらない。

その裏に何か、利益や目的を求めてしまう。

子供のように、ただ書きたいと言う理由だけで書く人が、あまりいない事は確かだ。

大人は時間が無いと言うが、睡眠時間を30分削れば、ブログの1つくらい簡単に書ける。

内容は、落書きでいい。

書きたいことを書くだけでいい。

まあ、私も、年単位で何も書く気が起きなくなる事もあるが、そんな時は、大抵ゲームをやっている。

そして、ゲームがひと段落すると、また文章が描きたくなる。

多分、文章は、ゲームでは得られない何かを得る事が出来るに違いない。

私は以前は友人に手紙を山のように書いた。

しかし、返事が来る事は無かったし、それでも一向に構わなかった。

そして今、ブログを書いているが、特に何か反応があるわけでも無い、でも、それは手紙の結果と変っていない。

昔から、自分の想いを勝手に書いて勝手に送って、それで完結する事に特に不満も無かった。

ブログやwebサイトは、私にとって最適のツールだ。

私のブログにコメント欄を付けていないのは、そのコメントにどう反応すれば良いのかが、わからないからだ。

けなされるのはもちろん嫌だが、褒められるのもあまり好きではない。

褒められると、つい裏をかんぐってしまう。

「この人が私を褒める裏には、何か別の目的があるのではないか」とつい思ってしまう。

「こんな物を褒める必要無いのに・・・」とも思ってしまう。

だから、私は人に褒められるのが好きではない。

かと言って、けなされるのが好きなわけでもない。

・・・・面倒な性格だな。まあ、仕方が無い、これが自分なのだから。

だから、ブログのコメントに何を書かれても、結局どう読んで良いのかがわからずに、放置してしまう。

だから、コメント欄を取り付けない事にしている。


もし、私に何かメッセージのある場合は、ツイッターか、メッセージでお知らせ下さい。


・・・・あれ、今、自分のメッセージを試しにクリックしてみたら、送れない設定になっていた。


でも、設定する場所が見当たらないな・・・・。

あま、いいか。