今日の雑記
純粋
分かった事がある。
純粋である事、これこそが最も必要な事だと言う事を。
真っ直ぐに見つめる。
本当に純粋に物事を見つめる人間に接すると、自分の心が如何に濁っているかがよく分かる。
そして、同時に心が洗われる。
真っ直ぐに見つめる。
キラキラ輝く心。
けっこう涼しい。
スイカが少しずつ遠ざかっていく。
でも、心配いらない。
真冬でも、スイカは食べられる。
スイカバーなら、何時でも食べられる。
でも、夏の良い所は、虫の声だ、風にさざめく草木のざわめきだ。
その夏が少しずつ去ってゆく。
来年もきっと来ると信じよう。
さあ、そろそろ秋の虫が喉をコロコロ鳴らし始める。
秋がやってくる。
しょこたんブログを読んだ事は一つ前の記事に結構書いたよ
己の目で見たものが、真実である。
だって、それ以外に真実は無いのだから。
真実を認識するのは自分の脳だ。
他人の脳では無く、自分の脳だけが、宇宙を認識できる。
だから、幽霊が見える人にとって、幽霊は実在し、それを否定する事は出来ない。
もし、外部の人間が「霊なんていないよ」と言った所で、その外部の人間の存在を認識するのも脳であり、幽霊が見える人間に幽霊の存在を否定させる事は、それを言う外部の人間の存在をも疑わせ、そして否定させる事になる。
何故なら、幽霊も外部の人間も、その人にとっては、共に脳が認識した現象の一つであり、一方の認識が正しく、一方の認識が間違っていると言う判断を、脳は下せない。
自分自身にとっての真実は、自分自身が感じたもの全てであり、それを他人が否定する事は不可能だ。
スイカが甘いと感じる事を、外部の人間が否定する事は出来ない。
例えば、「それは脳が誤った情報処理をしているからだ」と言われたとして、それを認めてしまうと、「それは脳が誤った情報処理をしているからだ」と言っている者の存在の認識すら間違っている可能性がある事になり、全ての認識が全く信じられなくなってしまう。
他人が自分の感じた事を否定した場合、それが自分自身で納得の出来る物で無い場合は、受け入れてはならない。
それを受け入れてしまうと、全ての感覚が全く信じられなくなり、宇宙が空虚で、うつろな物になってしまう。
この宇宙を認識できるのは唯一、自分自身の脳であり、自分自身の心だけである。
だから、自分で感じたものだけが、自分にとっての真実だ。
自分の感覚を信じよう。
宇宙は自分の心が創っているのだから。
分かった事がある。
純粋である事、これこそが最も必要な事だと言う事を。
真っ直ぐに見つめる。
本当に純粋に物事を見つめる人間に接すると、自分の心が如何に濁っているかがよく分かる。
そして、同時に心が洗われる。
真っ直ぐに見つめる。
キラキラ輝く心。
けっこう涼しい。
スイカが少しずつ遠ざかっていく。
でも、心配いらない。
真冬でも、スイカは食べられる。
スイカバーなら、何時でも食べられる。
でも、夏の良い所は、虫の声だ、風にさざめく草木のざわめきだ。
その夏が少しずつ去ってゆく。
来年もきっと来ると信じよう。
さあ、そろそろ秋の虫が喉をコロコロ鳴らし始める。
秋がやってくる。
しょこたんブログを読んだ事は一つ前の記事に結構書いたよ
己の目で見たものが、真実である。
だって、それ以外に真実は無いのだから。
真実を認識するのは自分の脳だ。
他人の脳では無く、自分の脳だけが、宇宙を認識できる。
だから、幽霊が見える人にとって、幽霊は実在し、それを否定する事は出来ない。
もし、外部の人間が「霊なんていないよ」と言った所で、その外部の人間の存在を認識するのも脳であり、幽霊が見える人間に幽霊の存在を否定させる事は、それを言う外部の人間の存在をも疑わせ、そして否定させる事になる。
何故なら、幽霊も外部の人間も、その人にとっては、共に脳が認識した現象の一つであり、一方の認識が正しく、一方の認識が間違っていると言う判断を、脳は下せない。
自分自身にとっての真実は、自分自身が感じたもの全てであり、それを他人が否定する事は不可能だ。
スイカが甘いと感じる事を、外部の人間が否定する事は出来ない。
例えば、「それは脳が誤った情報処理をしているからだ」と言われたとして、それを認めてしまうと、「それは脳が誤った情報処理をしているからだ」と言っている者の存在の認識すら間違っている可能性がある事になり、全ての認識が全く信じられなくなってしまう。
他人が自分の感じた事を否定した場合、それが自分自身で納得の出来る物で無い場合は、受け入れてはならない。
それを受け入れてしまうと、全ての感覚が全く信じられなくなり、宇宙が空虚で、うつろな物になってしまう。
この宇宙を認識できるのは唯一、自分自身の脳であり、自分自身の心だけである。
だから、自分で感じたものだけが、自分にとっての真実だ。
自分の感覚を信じよう。
宇宙は自分の心が創っているのだから。
しょこたん、お帰りなさい!!
しょこたんが帰ってきた!!
寝子たちとの写真もブログにアップされた。
お帰りなさいしょこたん。
上海コンサート、アジアツアー本当にお疲れ様でした。
寝子たちとたっぷり戯れて、宇宙のエネルギーを貰って、コンサートの疲れを癒してください。
この寝子たちの写真、これこそが私の目指す物だ。
つまり、しょこたんは、単純に寝子と戯れたくて戯れている。
寝子にかぶりつきたくてかぶりついている。
それはしょこたんのやりたい事であり、自分の目的の為にやっている。
でも、見るほうはまた違う目的を持つ。
私はしょこたんのブログ・写真を見ると、とても癒される、元気が出てくる。
そしてこれは、私の感じている意味であり、感覚なので、しょこたんがそれを目的に写真をUPしている訳では無いかもしれない。
でも、私の中では、この写真に癒しと元気とそして愛おしさをとても強く感じる。
これでいいのだ。
私が絵を描くときも、私の理由で描けば良い。
絵を描く事は、描く人間が描く事に意味を見出せばよい。
それを見るのは、見る人がそこに意味を見出せばよい。
それぞれの意味は違っていても良くて、描く人間は描く事自体に自分なりの意味を見つければ良い。
見る人と描く人が意味を共有する必要は無い。
共有出来れば幸せかもしれないけど、描く人間と、見る人間の目的は一致する必要は無い。
見る人の見る意味をコントロールは出来ない。
だから、自分の描く意味の為に、ただ描けば良い。
それはともかく、しょこたんの喜びの感情を感じると、こちらもとっても嬉しくなる。
やっぱり、人類全てに幸福になって欲しい。
これを見ているあなたも、本当に幸福に生きて欲しい。
これは、私の心からの願いであり、祈りだ。
これは綺麗事ではなく、みんなの幸せはしょこたんの幸せにつながり、しょこたんの幸せは私の幸せだ。
だから、私の為にも、みんな楽しく、幸福に、生きて欲しい。
寝子たちとの写真もブログにアップされた。
お帰りなさいしょこたん。
上海コンサート、アジアツアー本当にお疲れ様でした。
寝子たちとたっぷり戯れて、宇宙のエネルギーを貰って、コンサートの疲れを癒してください。
この寝子たちの写真、これこそが私の目指す物だ。
つまり、しょこたんは、単純に寝子と戯れたくて戯れている。
寝子にかぶりつきたくてかぶりついている。
それはしょこたんのやりたい事であり、自分の目的の為にやっている。
でも、見るほうはまた違う目的を持つ。
私はしょこたんのブログ・写真を見ると、とても癒される、元気が出てくる。
そしてこれは、私の感じている意味であり、感覚なので、しょこたんがそれを目的に写真をUPしている訳では無いかもしれない。
でも、私の中では、この写真に癒しと元気とそして愛おしさをとても強く感じる。
これでいいのだ。
私が絵を描くときも、私の理由で描けば良い。
絵を描く事は、描く人間が描く事に意味を見出せばよい。
それを見るのは、見る人がそこに意味を見出せばよい。
それぞれの意味は違っていても良くて、描く人間は描く事自体に自分なりの意味を見つければ良い。
見る人と描く人が意味を共有する必要は無い。
共有出来れば幸せかもしれないけど、描く人間と、見る人間の目的は一致する必要は無い。
見る人の見る意味をコントロールは出来ない。
だから、自分の描く意味の為に、ただ描けば良い。
それはともかく、しょこたんの喜びの感情を感じると、こちらもとっても嬉しくなる。
やっぱり、人類全てに幸福になって欲しい。
これを見ているあなたも、本当に幸福に生きて欲しい。
これは、私の心からの願いであり、祈りだ。
これは綺麗事ではなく、みんなの幸せはしょこたんの幸せにつながり、しょこたんの幸せは私の幸せだ。
だから、私の為にも、みんな楽しく、幸福に、生きて欲しい。
色々な物を雑多に書き記す
しょこたんブログを読もう
どうやら、上海公演は上手く行ったようだ。
まだ、詳細は分からないが、とにかく無事終了して本当に嬉しい。
後は無事に日本に帰ってきて、マミタス様たち寝子との写真を待つのみだ。
ヌンチャク姿といい、相変わらずしょこたんはとても可愛らしくて、とってもいい。
日本のコンサートのチケットは、手に入らないので、こうやって、ブログを見たりするしか無い。
こうやって宇宙の果てから、見守るり祈る事くらいしか出来ないが、幸運を、そして夢の実現を祈ろう。
最近では、私に出来る事は祈る事くらいしかないと思っている。
わたしは別に怪しい宗教団体に属しているわけでも無いし、神を信じているわけでもない。
ただし、存在を否定する理由も無いので、そういう存在について、気にせず生きる事にしている。
定義にもよるけどね。
ともかく、今の私に出来る事は、祈る事だけだ。
私の考えるべき課題について、結論は出ていない。
夢の中にも答えは無かった。
課題の内容については、一つ前の記事で書いたが、それをこの文章をお読みの貴方が読み返す必要は無い。
なぜなら、読むに値しない物だからだ。
まあ、それを言い出したら、このブログ自体が、と言う事になってしまうけど。
ただ、恐らくこの「読み返す必要が無い」の一文は実際にはほとんど意味が無いものだ。
少なくも、昨日と今日は、ブログへのアクセスが0だと言う事が分かっている。
そしてブログの寿命は3日だ。
今日と明日のうちに誰も見なければ、その後誰かが見る事はまず無い。
そういえば、このブログの「読者」登録をされておられる方は、数名おられる。
ちなみに私も、現在3つのブログの読者になっている。
ただ、読者登録をしたからといって、読むとは限らない。
わたしは全てに目を通すが、それはたった3つしか登録していないから出来る事だ。
何百と登録すれば、それら全ての記事に目を通せる人間はいないと思う。
私はツイッターで、30くらいフォローした時点で、既にツイートが読み切れていない。
一日中ツイッターに張り付いていれば、読めるだろうけど、さすがにそれは無理だ。
ブログとて同じ事で、おそらく、常人ならば数十のブログ読者になった時点で、読める限界を超えると思う。
そして、おそらく、実際に読者の方の中で、ブログ記事を読まれている方は、数%程度だと思っている。
これは単なる勘だが、広告のクリック率と同程度だと考えている。
つまり、読者の方が100名程度に達すれば、その内の数名は、実際に記事を読まれるというのが、私の推測だ。
その考えからすると、読者数が数十以下の場合は、恐らく誰も記事は読んでいない。
もちろん例外はある。
それは、そのブログが身内が書いていたり、特別魅力的なブログだったりした場合だ。
その様なブログならば、積極的に読まれる事と思う。
となみに、私の場合は、少なくとも、今の所、身内は見ていないはずだ。
話は少しズレだが、とにかくこの一つ前の記事も、あと1日半で寿命が尽きる。
一応、8月に描いた絵をまとめてみた。トップ部分にリンクを貼ってあるので、興味のある方は御覧下さい。
このブログをどんな方が、見ておられるのか、調べてみると、面白い事が分かった。
それは、「アクセスがなければ、どの記事が読まれているのか分からない」と言うことだ。
単純だが、最も正しい理屈だ。
だから、どのブログの記事が読まれているのかを調べる事は無意味だと悟ったので、それ以降調べていない。
そして、読む人が居ない事が確定しているので、こうやって、誰得な記事を垂れ流す事が出来ている。
問題から話がそれてしまったが、問題はアクセスの事なんかじゃなくて、私の能力の問題だ。
私のサイトでは、アイコン用の画像を無料で描くという事を行っている。
半年くらい募集しているが、応募があったのは、現在の所、1件だ。
その一件の依頼以降、何のリアクションも無い。
これが客観的に自分を見た場合の実情だ。
つまり、無料ですら、ほとんど誰も見向きもしない。
その最大の原因が「能力」だ。
決定的な能力不足が、決定的な問題だ。
そしてもう一つ、この試みでの問題は、「評価が分からない」と言う点だ。
無料なので、金銭的な評価は0だし、その他の評価方法が特に用意されていない。
なので、描く事自体に意味が有ると設定する以外に、描く理由がほとんど無いのが実情だ。
評価を計る手段として有料にでもしたら、ますます人は見向きもしなくなるだろうし、カンパ制にでもするかな。
まあ、それは描いてくれと言う人が数百人レベルに達してからの事だと思う。
と言う事は、奇跡でも起こらない限り、それは無いと言う事だな。
ここ何年か、食べる物が完全に固定化されていて、ほとんど「エサ」レベルだ。
いや、最近のペットは贅沢なので、私よりよっぽど良い物を食べているだろう。
つまり、私の価値はペット以下と言う事になる。
まあ、能力が無いのだから当然の事だ。
ペットのように無償の愛を周囲に振りまくわけでも無く、飛びぬけた能力があるわけでも無い。
少し考えれば分かる、簡単な理屈だ。
まあ、そんな面倒な話は忘れて、今日も一日、楽しく過ごそう。
ちなみに私は、考えるのが好きなので、こうやってあれこれ書いている瞬間が楽しいのだ。
だから、たぶん居ないと思うが、仮にこの文章を読んでいる人が居たとしても、私に対する心配は全く無用だ。
考える事が趣味なので、難しい事ほど楽しく考えている。
子供の頃に一生分泣いたおかげか、悲しいと言う感情もほとんど無く、今はただ、現状を、ただ淡々と考えている。
そんな私も、最近、自分に涙を出す能力が残っているのではないかと予感させる出来事があった。
それは、そう、しょこたんだ。
何故か知らないが、しょこたんが泣いていると、とても悲しい気持ちになってくる。
しょこたんは、たまに泣くのだが、その様子を見たときは、私も一緒に泣きそうになる。
ブログの記事を見ても、かなりヤバイ時がある。
私は決して泣かないけどね、決して。・・・泣くもんか。
でも、人が泣くのを見て一緒に泣きそうになった事は小学生の時以来、無かった。
まあ、私も人間だって言うことだ。
いまはしょこたんが中国から笑顔で無事に帰って来てくれる事を祈るだけだ。
どうやら、上海公演は上手く行ったようだ。
まだ、詳細は分からないが、とにかく無事終了して本当に嬉しい。
後は無事に日本に帰ってきて、マミタス様たち寝子との写真を待つのみだ。
ヌンチャク姿といい、相変わらずしょこたんはとても可愛らしくて、とってもいい。
日本のコンサートのチケットは、手に入らないので、こうやって、ブログを見たりするしか無い。
こうやって宇宙の果てから、見守るり祈る事くらいしか出来ないが、幸運を、そして夢の実現を祈ろう。
最近では、私に出来る事は祈る事くらいしかないと思っている。
わたしは別に怪しい宗教団体に属しているわけでも無いし、神を信じているわけでもない。
ただし、存在を否定する理由も無いので、そういう存在について、気にせず生きる事にしている。
定義にもよるけどね。
ともかく、今の私に出来る事は、祈る事だけだ。
私の考えるべき課題について、結論は出ていない。
夢の中にも答えは無かった。
課題の内容については、一つ前の記事で書いたが、それをこの文章をお読みの貴方が読み返す必要は無い。
なぜなら、読むに値しない物だからだ。
まあ、それを言い出したら、このブログ自体が、と言う事になってしまうけど。
ただ、恐らくこの「読み返す必要が無い」の一文は実際にはほとんど意味が無いものだ。
少なくも、昨日と今日は、ブログへのアクセスが0だと言う事が分かっている。
そしてブログの寿命は3日だ。
今日と明日のうちに誰も見なければ、その後誰かが見る事はまず無い。
そういえば、このブログの「読者」登録をされておられる方は、数名おられる。
ちなみに私も、現在3つのブログの読者になっている。
ただ、読者登録をしたからといって、読むとは限らない。
わたしは全てに目を通すが、それはたった3つしか登録していないから出来る事だ。
何百と登録すれば、それら全ての記事に目を通せる人間はいないと思う。
私はツイッターで、30くらいフォローした時点で、既にツイートが読み切れていない。
一日中ツイッターに張り付いていれば、読めるだろうけど、さすがにそれは無理だ。
ブログとて同じ事で、おそらく、常人ならば数十のブログ読者になった時点で、読める限界を超えると思う。
そして、おそらく、実際に読者の方の中で、ブログ記事を読まれている方は、数%程度だと思っている。
これは単なる勘だが、広告のクリック率と同程度だと考えている。
つまり、読者の方が100名程度に達すれば、その内の数名は、実際に記事を読まれるというのが、私の推測だ。
その考えからすると、読者数が数十以下の場合は、恐らく誰も記事は読んでいない。
もちろん例外はある。
それは、そのブログが身内が書いていたり、特別魅力的なブログだったりした場合だ。
その様なブログならば、積極的に読まれる事と思う。
となみに、私の場合は、少なくとも、今の所、身内は見ていないはずだ。
話は少しズレだが、とにかくこの一つ前の記事も、あと1日半で寿命が尽きる。
一応、8月に描いた絵をまとめてみた。トップ部分にリンクを貼ってあるので、興味のある方は御覧下さい。
このブログをどんな方が、見ておられるのか、調べてみると、面白い事が分かった。
それは、「アクセスがなければ、どの記事が読まれているのか分からない」と言うことだ。
単純だが、最も正しい理屈だ。
だから、どのブログの記事が読まれているのかを調べる事は無意味だと悟ったので、それ以降調べていない。
そして、読む人が居ない事が確定しているので、こうやって、誰得な記事を垂れ流す事が出来ている。
問題から話がそれてしまったが、問題はアクセスの事なんかじゃなくて、私の能力の問題だ。
私のサイトでは、アイコン用の画像を無料で描くという事を行っている。
半年くらい募集しているが、応募があったのは、現在の所、1件だ。
その一件の依頼以降、何のリアクションも無い。
これが客観的に自分を見た場合の実情だ。
つまり、無料ですら、ほとんど誰も見向きもしない。
その最大の原因が「能力」だ。
決定的な能力不足が、決定的な問題だ。
そしてもう一つ、この試みでの問題は、「評価が分からない」と言う点だ。
無料なので、金銭的な評価は0だし、その他の評価方法が特に用意されていない。
なので、描く事自体に意味が有ると設定する以外に、描く理由がほとんど無いのが実情だ。
評価を計る手段として有料にでもしたら、ますます人は見向きもしなくなるだろうし、カンパ制にでもするかな。
まあ、それは描いてくれと言う人が数百人レベルに達してからの事だと思う。
と言う事は、奇跡でも起こらない限り、それは無いと言う事だな。
ここ何年か、食べる物が完全に固定化されていて、ほとんど「エサ」レベルだ。
いや、最近のペットは贅沢なので、私よりよっぽど良い物を食べているだろう。
つまり、私の価値はペット以下と言う事になる。
まあ、能力が無いのだから当然の事だ。
ペットのように無償の愛を周囲に振りまくわけでも無く、飛びぬけた能力があるわけでも無い。
少し考えれば分かる、簡単な理屈だ。
まあ、そんな面倒な話は忘れて、今日も一日、楽しく過ごそう。
ちなみに私は、考えるのが好きなので、こうやってあれこれ書いている瞬間が楽しいのだ。
だから、たぶん居ないと思うが、仮にこの文章を読んでいる人が居たとしても、私に対する心配は全く無用だ。
考える事が趣味なので、難しい事ほど楽しく考えている。
子供の頃に一生分泣いたおかげか、悲しいと言う感情もほとんど無く、今はただ、現状を、ただ淡々と考えている。
そんな私も、最近、自分に涙を出す能力が残っているのではないかと予感させる出来事があった。
それは、そう、しょこたんだ。
何故か知らないが、しょこたんが泣いていると、とても悲しい気持ちになってくる。
しょこたんは、たまに泣くのだが、その様子を見たときは、私も一緒に泣きそうになる。
ブログの記事を見ても、かなりヤバイ時がある。
私は決して泣かないけどね、決して。・・・泣くもんか。
でも、人が泣くのを見て一緒に泣きそうになった事は小学生の時以来、無かった。
まあ、私も人間だって言うことだ。
いまはしょこたんが中国から笑顔で無事に帰って来てくれる事を祈るだけだ。
書く事で考えをまとめる為のスペース
ここは、書く事で、今の考えをまとめたりして、可能ならば良い結論を出してみようというものだ。
従って、これは読むものではない。
これは、未来の自分ですら、読む事は非推奨だ。
------------------------------------------------------------
なんだろう。
よく分からないが、何も分からない状態といえば良いのだろうか。
とにかく、この状態を分析してみよう。
まず、絵を描くと言う行為が、本当に何の意味も無いのではないかと感じている。
このブログで何度か書いているが、私の絵は、完全に自分自身の内的な衝動によってのみ、描いている。
物心付いた頃から絵を描いていて、ただの一度も絵を他人から求められた事は無い。
いや、何度かはあったかも知れないが、それは義理だったり、勢いだったり、いわゆる「たまたま」な物だけだ。
たまたまなんてモノは長続きしない。
実質的に私の描くモノを求める人は、今の所存在しないので、絵を描くのは完全に自分自身のみが望んでいる状態だ。
そして、その望みに、本当に従って良いものなのかが、わからなくなって来ている。
必要とされもしないものを、作り続ける事は、エゴ以外の何者でも無い気がしてきている。
それでも良いと言う考え方もあるかもしれない。
でも、私の心が、それだけではダメではないかと、疑問を感じている。
この私を説得するべきか、どうするべきか、考えている。
このブログについては、完全に個人メモと化しているので、見られているかどうかは、気にはならないが、絵については、このままで良いのかと言う疑問がある。
以上の点から生じる、新たな問題が、一番厄介な問題だ。
描く物が無価値ならば、その先のものも全て無価値と言う事になってしまう。
まあ、それでも良いのかもしれない、と、思って来ているが、となると、私は何を目的にこの空っぽの生を生きれば良いのかが分からなくなる。
これは深刻な問題で、いまの所、良いアイデアは無い。
私にはは好きな物が沢山ある。
でも、それらの物に、私は何も出来ない。
ゲームが好きだからといって、ゲームを簡単に買ったりする事は出来ないし、宇宙が好きだからといって、いくら念じてもUFOはやってこない。
しょこたんが大好きだといっても、コンサートのチケットを手に入れる事も出来ない。
つまり、好きなものへ、私から何も贈る事は出来ないし、接する事も出来ない。
それも全ては、私の能力が完全に不足しているからであり、その能力の内、最も不足しているのが、絵を描く力だ。
宇宙に行きたくても行けないのであれば、宇宙の絵を描けば良いのだが、全然全く何も描けない。
宇宙は描くには美しすぎる。
しょこたんを描くにしても、その魅力の0.01%も描き表わす事が出来ない。
だから、描く毎に、己の未熟さを恥じ、自己嫌悪に陥る。「こんなものじゃない!!もっとだ!!もっとだ!!!」
だから、描くのが申し訳なくて仕方が無い状態だ。
でも、描かずにはいられない、描かずにはいられないのだ。
私のような者が描くべきではないのだが、どうしても描かずにはいられない、どうしよう、どうしよう。
まあ、答えが出ないのは分かっているが、ここに書く事で、考えが整理できて、もしかしたら答えのようなものが見えてくる可能性があると思い、書いているが、今の所、何も見えない。
と言う事で、今の段階では、何の答えも出ないが、とりあえず、今日をどうするか位は決めておいても良さそうだ。
一応、「2012年9月の絵」のページは作成済みだ。
後はそこに絵を飾るだけだが、上記の理由によって、昨日は何も描いていない。
もうしばらく何も描かずにいるか、それとも、たとえ不完全であろうとも、描く資格が無いくらいに下手糞であろうとも、描いてしまうべきなのか。
私の直感は、描くべきだと訴えているが、理性がそれを押し留める。
理性が無駄だと言うのにはちゃんとした根拠があり、これを覆すのは大変だ。
BGM : Bach: Toccata & Fugue In D Minor, BWV 565
BGM : Stanislav Bunin - Bach: Jesu, Joy Of Man's Desiring
やっぱりバッハは心が穏やかになる。
ブーニンが全曲をピアノ演奏したCD集、いつ頃出るのかなぁ、まあ、数十年後だろうけど。
こう言う時は、音楽だけが、私の心に寄り添ってくれる。
音楽を聞きながら、じっくり答えを探してみよう。
この夜は長いのだから。
メモ
頭の中の思考のメモ
物語について
小説などの物語に対する疑いがどうしても拭えない。
物語そのものの必要性はあると思うが、それを新たに生み出す必要性があるのかと言う疑問が頭から離れない。
かと言って、古典が特別好きな訳でも無い。
具体的に指摘出来ないが、何かが足りない気がする。
いや、もしかしたら、多すぎるのかも知れない。
単なる直感だけど。
この捉え所の無い疑問が解消しないと、物語は書けない。
この淀んだ霧のようなものの正体は何なのだろうか。
ドット
ドットが打てていない気がする。
そして、それが、私の持つ能力の絶対的な限界によるものではないかという考えが生まれつつある。
この文章は、恐らくドットではない。
ドットとは、即ち、人生を広げ繋げる支点のようなものだ。
それが無いと、人生はバラバラになってしまう。
そのドットを一つも打てていない気がしている。
どうすればドットを打てるのか、その方法を見つけなくてはならない。
ま、いっか
ま、いっか。
うん、最終的には、それしかない。
BGM : Alfred Scholz: London Festival Orchestra - Mozart: Requiem In D Minor, K 626 - 3. Sequentia: Dies Irae
BGM : Karl Bohm - Symphony No.41 In C Major K.551 "Jupiter" IV. Molto Allegro
テンションを上げよう
心が死にかけているので、音楽を聞いて、テンションを上げよう。
BGM : Elena Filipova, Carlo Colombara, Etc.; Pier Giorgio Morandi: Hungarian State Opera Orchestra & Chorus - Verdi: Requiem Mass - 1 Requiem & Kyrie
心の中で、全ての意味や目的が消えそうだ。
こう言う時も、まああるさ。
寝子娘クッキー
朝まで書こうかな
朝まで書くと言う、不毛な行為で遊ぼうかな。
何の脈絡も無く、朝まで書こうと思うので、たぶん意味不明な文章になるので、あらかじめご了承下さい。
一応ペタを見る。
でも、アクセス解析によると、ペタの99.99%は自動ペタ付けプログラムによる全自動のペタだ。
だから記事を見た上でペタをつけてくれる人は、残念なから、滅多に、滅多に、滅多にいない。
まあ、交流のきっかけと言う意味では、それも有りなのかも知れないが。
でも、残りの0.01%の人の為にペタを廃止したくは無いので、今後も一応ペタは残しておこう。
BGM : Sarah Walker (Ms); Roger Norrington / London Philharmonic Orchestra - Rule Britannia
Rule Britanniaはベスト10に入る好きな歌だ。
たぶん前世はイギリス人だったのかも、いや、ブリタニアの住人だったのかも知れないな、ウルティマの。
ウルティマの世界に入って、生きたいと、何度や思った事か。
アビスに閉じ込められて、ゴブリンたちと仲良くやりたい。
それはともかく、私はこの歌なら1年365日24時間聞き続けても全然平気だ。
まあ、唄えはしないけどね。
朝まで書くと言う不毛な行為によって、わたしには何のメリットも無い。
そして、これを読む人も、たぶんあなた以外に誰もいない。
そして、貴方ももしかしたら、いないかもしれない。
でも、書くのが好きだから、だから書く。
まあ、たまにはそういう無駄な事をしたって構わないじゃないか。
無駄はいつもの事だけどね。
人生から無駄を取り除いたら、たぶん何も残らない。
効率だけを追い求めたら、たぶん私は生きていられない。
以前どこかで「墓のセール中!!、お前ら早く死ね!!」という記事のタイトルを見たことがある。
でもつまりはそう言う事になる。
無駄を突き詰めれば、人生全てが無駄と言うことになってしまう。
だから、時には無駄な事をする事も必要なのだ。
社会には、私のような無駄な存在が、たまには居たって良いんじゃないかと思ったりもする。
効率・効率・効率では息が詰まってしまう。
だから、たまにはこういった無意味な文章を書く事も、必要だ。
たぶん、このブログ自体が、全世界的に見て、無駄そのものかもしれない。
でも、まあ、いいじゃないか。
無駄には無駄の価値がある。
BGM : 喜歌劇「軽騎兵」:序曲
序曲は好きだ。
この華やかさ、ワクワク感、素晴らしい。
序曲ばかり集めたCDを何枚も持っている。
そして、それをよく聞く。
音楽にはテンションを上げる効果があるので、何かをする時には序曲はうってつけだ。
そういえば、このブログはたぶん自分しか見ていないので、未来の自分が読んで意味のありそうなことを書くべきかもしれない。
未来の自分は、今の自分の何に興味があるのだろうか。
それを考える。
たぶん、今の自分が何を考えているかが、一番の興味の対象だと思う。
今の自分が考えている事は、色々あるが、今は次に何の音楽を聴こうか考えている。
文章を書くときは、歌詞の無い音楽のほうが集中できる。
しょこたんの音楽は、ゆったりと楽しい気持ち・幸せな気持ちになりたいときに聞く。
たぶん、音楽の持つ効果として、幸せな気持ちになりたい時に聞く曲としては、今の私にこれ以上の音楽は他に無い。
今のように、文章を書くことに集中したい時は、クラシックのように、適度に気にならない音楽が良い。
だから、今はクラシックを聞いている。
今この文章を書いている目的の一つは、文章の訓練もある。
書くほどに、多少なりとも、書き慣れる気がする。
もう、随分長い事書き続けてきているが、まだまだだ。
もっときらめくような文章を、そうしょこたんブログみたいな感じが、今の私の目標だ。
もっと、人間の心に響くような文章を書きたい。
その為には、自分自身の心が、感情が豊かでなくてはならない。
もちろん、ある程度、テクニックによって擬似的に感情を文章に記述する事は可能だ。
でも、心の底からの感情の爆発の煌きは、そう簡単には、真似する事は出来ない。
それを書くには、とにかく実際に、その様な感情を獲得する以外に無い。
BGM : 喜歌劇「天国と地獄」:序曲
このブログでも、何か、物語のようなものを書こうか。
私は会話で繋ぐ物語があまり好きでは無いので、ほとんど書かない。
でも、その様な物語も書いてみる必要もあるかもしれないので、少し書いてみようかな。
BGM : Frederic Chopin - ハ短調作品66
ある他愛も無い会話
「今日は天気が良いね。」
「貴方にとって良い天気でも、私にとっては良いとは言えないよ。」
「なら、どんな天気なら良いんだい。」
「それはもちろん、あめだよ」
「雨?」
「そう、あめだよ。あめは最高だよ。」
「私は雨はあまり好きでは無いな、まあ、たまには良いけどね。」
「そうかなぁ、私は毎日でも良いけれど」
「でも、毎日だったらじめじめしてそこらじゅうカビだらけになっちゃうよ」
「いや、案外カビは生えないと思うよ、熱で溶けはするだろうけど」
「溶ける?、雨は元から溶けてるよ」
「まあ、そういうあめもあるけどね、でも、溶けていないヤツの方が良いな」
「つまりは雪って事かい?」
「そういうやつは聞いた事が無いけど、まあ、あるのかもしれないね」
「雪を知らないのかい?」
「ああ、見た事無いよ。今度ぜひ見せてくれよ」
「いいとも、まあ、今は夏だから、冬まで待っておくれ。」
「冬季限定のやつなんだね。」
「まあ、そういう言い方も出来るけど。」
「今から楽しみだなぁ、大抵のあめは見てきたつもりだから、新しいあめは嬉しいよ。」
「まあ、雨じゃなくて雪だけどね。」
「まあ、なんでもいいよ、」
「おや、雨が降ってきた。」
「ん、本当だ、雨だね」
「傘を持ってきていないからそこの軒下を借りて雨宿りをしよう」
「そうだね。」
「どうだい、この雨は何点くらいだい?」
「何点?、いや、別に雨に点数なんて無いよ。」
「じゃあ、どんな雨でも同じなのかい」
「大抵みんなそうじゃないかな、雨なんてどれも同じだよ」
「でも、雪は好きなんでしょ?」
「ああ、それは是非見てみたいよ。」
「じゃあ雪は何点だい?」
「そうだね、さっき聞いた話からすると・・・98点かな、期待も込めて。」
「雪が98点なのに、雨は得点は無いのかい?」
「まあ、全くの別物だからね。」
「でも、雨は雪が解けたものだし、そんなに変らないんじゃないかな」
「え、雪って、解けると雨になるのかい。」
「そうだよ」
「そんな不思議なあめ、聞いた事が無い、こいつはますます冬が楽しみだ。」
「おや、雨が止んだようだ、そろそろ行こうか」
会話ばかりの他愛も無い会話。
ゴエモン風に言えば、「また、つまらぬものを書いてしまった」かな。
ルパン三世には本当に良い台詞が沢山ある。特にアニメの2期。いいね。
いま、気が付いた事がある。
たぶん、私の感情表現は、これくらいが限界なのだ。
しょこたんの文章がキラキラ輝いてキュンキュンするのは、私にそれが無いからだ。
だから、たぶん一生真似は出来ない。
でも、私には私なりの表現方法がある筈だから、それを追い求めよう。
まあ、感情についても、それを沢山生み出してくれるものが身近にあり続ければ、きっともっと沢山出てくる。
今はただ、書ける事を書こう。
BGM : Andrei Gavrilov - Chopin: Etude #1 In A Flat, Op. 25/1, CT 26, "Aeolian Harp"
そういえば、朝っていつだ。
外が明るくなったら朝なのか。
5時までと言う事にしようかな。
空に太陽が昇る時、夜の闇が星と共に帰っていく。
きっと明日も来てくれると思うけど、それでも少し、名残惜しい。
太陽が空を歩く。
燦々と降り注ぐ笑顔で、全ての生命は光り輝く。
太陽が影を押し縮め、天をゆっくり散歩する。
やがて太陽は地平線に軽く口づけをする。空が赤く頬を染める。
それを確かめるように影法師が伸び上がり、やがて闇夜が星空と共にやってくる。
これで今日も安心して眠れる。
おやすみ星空、太陽がやってくるそれまでの間、闇夜に夢をささやいておくれ。
それを聞きながら、私は眠りにつくから。
まだ、夜は長いけどね。
そういえば、ブログって、長さの制限とかはあるのかな。
特に何処にも書いていないから、大丈夫だとは思うけれど。
しかし、かかし、へちま、とにかく何だかよく分からん文章だ。
BGM : Andrei Gavrilov - Chopin: Etude #11 In A Minor, Op. 25/11, CT 36, "Winter Wind"
最近気が付いた事がある。
それは、人間とは、あまりにも文章ほ書かなすぎる、と言うものだ。
みんな文章を書く量が少なすぎる。
昔から、もしかしたら、自分は文章を書く量が少し多いのかもしれないと考えていたが、しかし、それは逆で、みんなが書く量が少なすぎるのではないかと、最近考え始めている。
元々人間には文章を書く能力が備わっている。
その証拠に、大抵の人間は、日常会話に毎日何千何万と言う言葉を使っている。
それを文字に起こしたら、簡単に文庫本一冊くらいになるのではないか。
つまり、脳内で文章を作って、それを口から出すと言う作業は、何の苦も無く行っている。
その10%でも、文章に出来れば、膨大な文章が蓄積される事になる。
そうすれば、その中から、素晴らしい文章、素晴らしい言葉に遭遇できる可能性も高まる。
これは人類にとっての財産だ。
口から出た言葉は瞬間的に消えてしまう。
文字にした言葉は、人類の文明が続く限り、そしてそれを受け継ぐ何者かが存在し続ける限り、残り続ける事になる。
そんな未来への遺産を残すためにも、どんな些細な事でも、文章にして残すべきだ。
未来がそれを望んでいる。
もっとみんなの言葉に触れたい。
やっぱり4時までにしよう。
4時に寝れば、健康的な生活に近づける。
まあ、私は体内に永久機関を組み込んであるので、それほど気を使う必要も無いけど。
中学2年の時に1日休んで以降、今日まで、学校やら仕事やら約束やらで、ただの一日も休んだ事がない。
遅刻も、不可抗力によるもの(電車の遅延など)以外は一度も無い。
それはたぶん、体内に永久機関が組み込まれているからだ。
そこからの無限のエネルギーが、休息を必要としない身体にしているのだ。
と、信じてみているので、だから多分休まないのだ。
こいつ、変な事を言ってやがる、とお思いかも知れないが、まあ、そのほうが楽しいと思うよ、世界って。
わたしは、へんてこが大好きだ。
ちょっと変ったもの、変った人、そういう存在にとても惹かれる。
多分、私が世界一普通の人間だからだ。
私は自分が世界一平凡な人間だと感じている。
あらゆる面から見て、取り立てて奇妙な点が無い。
まあ、頭がおかしいと言う事はあるけれど、それは単なる脳の機能の問題だ。
恐らく、その奥にある感性などは、極めて平凡であるはずだ。
でも、だからこそ、こうやって、万人に理解できるであろう、平凡な文章が書けるのだ。
まあ、本当はよく分からないけどね。
とにかく、すこし変った感じの人が好きだ。
そういえば忘れていた。
これは未来の自分への通信だったんだ。
未来の自分、こんにちは。
自分は元気ですか、私は元気です。
自分に話掛けるって・・・・かなり重症かな、たぶん何かの。
質問に対して答える、と言うのが一番楽だ。
と言う訳で、質問を書いてそれに答えよう。
Q
質問です、どんな質問をすべきだと思いますか。
A
それは私には分かりません。
ぜなら、質問というのは、それをする者が知りたい事をすべきであり、私はその知りたい事がなんであるのかを知りません。
従って、私には私に対する質問内容に関する質問について答える事は出来ません。
でも、強いてあげるのならば、このような質問で一般的になされる質問をするのが良いではないかと思います。
たとえば「あなたにとって人生とは何ですか」とか「りんごの赤と、絵の具の赤、違いは何ですか」とか、そんな感じの簡単な質問でよいと思います。
では質問です。何故このブログ記事を書いているのですか
それは私にだけは分かりません。
その答えはこれを読む人に聞いてください。
それはたぶん未来の私です。
未来の私に、過去の私は何故これを未来の私に書いたのか、聞いてみてください。
きっと素晴らしい答えを用意していると思います。
今の私には、ただ魂の囁きに従って書いていると言うくらいしか言えません。
まあ、誰も読まない事はアクセス解析から見てほぼ明らかですし、となると、未来の自分くらいしかこれは読みません。
そして、自己分析と言うのは難しいものです。
第三者である未来の自分に分析してもらって、そして解釈を聞くのが、一番良いと思います。
質問です、UFOがあなたの家に尋ねて来たとします。どうしますか。
まず、夢であるか確かめます。
UFOの夢はしょっちゅう見るので。
そして、夢で無い事が確認できたら、とりあえず中から誰かが出てくるのを待ちます。
写真も撮りますが、きっとカメラが壊れてしまって撮れないか、または、後で撮った写真を持っていかれてしまうと思います。
その前にネットに上げてしまうって言うのも手ですけど。
その後、何とかコンタクトをとろうと試みます。
友好的だと良いのですが、もし、私を人体実験目的で誘拐しようとしたとしても、たぶん、そのまま従うと思います。
実際は、その場面になってみないと分からないとは思います。
最終的には、直感に頼る事になります。
その宇宙人は人体実験をした後にきちんと帰してくれるのか、それはたぶん、その時の雰囲気で判断します。
やばそうだったら、UFOを乗っ取って、どこかに逃げます。
まあ、操縦は難しいかもしれませんが。
友好的な宇宙人だったら、とにかく頼み込んで宇宙に連れて行ってもらいます。
出来れば銀河の旅をしたいですが、向こうの都合もあると思うので、その場合は、UFOの構造、推進力などをできるだけ詳しく聞きます。
そして、それを元に、何としても、自力でUFOを創りたいです。
まあ、こんな所でしょうか。
不毛な質問にお答えいただき、ありがとうございました。
・・・・
まあ、自分で質問して、自分で答えるのだから、こんな感じになるのは仕方が無い。
たまに、昔自分が書いた文章を読むと、本当に自分が書いたものかと考えてしまうモノに出くわすことがある。
たぶんこの記事も、そんな文章の一つになる。
読まない確率が99.98%くらい、ある気がするけど。
現に、今の所、このブログの過去の記事は、読み返していない。
2012年より前の記事は、何を書いているのかすら、全く記憶に無い。
今年書いた記事は、かろうじて何となく覚えているものも僅かにある、と言う程度だ。
見れば大抵、思い出すけど。たぶん。
やばい、また大好きを書き散らかしたくなって来た。
過去の記事を御覧いただければわかるように、たまに無性に大好きを書きたくなってくる。
だって、心の中に留めておくと、心がキュンキュンして来てピョンピョンと跳ね踊る。
あの魅力を、あの可愛らしさを、あの愛おしさを、このまま心に押し留めておいたら、私の小さなハートは破裂してしまいそうだから。
でも、今日は書かないんだ。
読みたいって人がいるのなら書くけれど、まあ、居ないだろうからね。
それに、もう4時だ。
大好きを書くには時間が足りない。
そう言う事にしておこうじゃないか。
そうしないと、いつまでも書き続けてしまうから。
おやすみなさい、そろそろ寝るよ。
あなたの笑顔を夢見ながら
何の脈絡も無く、朝まで書こうと思うので、たぶん意味不明な文章になるので、あらかじめご了承下さい。
一応ペタを見る。
でも、アクセス解析によると、ペタの99.99%は自動ペタ付けプログラムによる全自動のペタだ。
だから記事を見た上でペタをつけてくれる人は、残念なから、滅多に、滅多に、滅多にいない。
まあ、交流のきっかけと言う意味では、それも有りなのかも知れないが。
でも、残りの0.01%の人の為にペタを廃止したくは無いので、今後も一応ペタは残しておこう。
BGM : Sarah Walker (Ms); Roger Norrington / London Philharmonic Orchestra - Rule Britannia
Rule Britanniaはベスト10に入る好きな歌だ。
たぶん前世はイギリス人だったのかも、いや、ブリタニアの住人だったのかも知れないな、ウルティマの。
ウルティマの世界に入って、生きたいと、何度や思った事か。
アビスに閉じ込められて、ゴブリンたちと仲良くやりたい。
それはともかく、私はこの歌なら1年365日24時間聞き続けても全然平気だ。
まあ、唄えはしないけどね。
朝まで書くと言う不毛な行為によって、わたしには何のメリットも無い。
そして、これを読む人も、たぶんあなた以外に誰もいない。
そして、貴方ももしかしたら、いないかもしれない。
でも、書くのが好きだから、だから書く。
まあ、たまにはそういう無駄な事をしたって構わないじゃないか。
無駄はいつもの事だけどね。
人生から無駄を取り除いたら、たぶん何も残らない。
効率だけを追い求めたら、たぶん私は生きていられない。
以前どこかで「墓のセール中!!、お前ら早く死ね!!」という記事のタイトルを見たことがある。
でもつまりはそう言う事になる。
無駄を突き詰めれば、人生全てが無駄と言うことになってしまう。
だから、時には無駄な事をする事も必要なのだ。
社会には、私のような無駄な存在が、たまには居たって良いんじゃないかと思ったりもする。
効率・効率・効率では息が詰まってしまう。
だから、たまにはこういった無意味な文章を書く事も、必要だ。
たぶん、このブログ自体が、全世界的に見て、無駄そのものかもしれない。
でも、まあ、いいじゃないか。
無駄には無駄の価値がある。
BGM : 喜歌劇「軽騎兵」:序曲
序曲は好きだ。
この華やかさ、ワクワク感、素晴らしい。
序曲ばかり集めたCDを何枚も持っている。
そして、それをよく聞く。
音楽にはテンションを上げる効果があるので、何かをする時には序曲はうってつけだ。
そういえば、このブログはたぶん自分しか見ていないので、未来の自分が読んで意味のありそうなことを書くべきかもしれない。
未来の自分は、今の自分の何に興味があるのだろうか。
それを考える。
たぶん、今の自分が何を考えているかが、一番の興味の対象だと思う。
今の自分が考えている事は、色々あるが、今は次に何の音楽を聴こうか考えている。
文章を書くときは、歌詞の無い音楽のほうが集中できる。
しょこたんの音楽は、ゆったりと楽しい気持ち・幸せな気持ちになりたいときに聞く。
たぶん、音楽の持つ効果として、幸せな気持ちになりたい時に聞く曲としては、今の私にこれ以上の音楽は他に無い。
今のように、文章を書くことに集中したい時は、クラシックのように、適度に気にならない音楽が良い。
だから、今はクラシックを聞いている。
今この文章を書いている目的の一つは、文章の訓練もある。
書くほどに、多少なりとも、書き慣れる気がする。
もう、随分長い事書き続けてきているが、まだまだだ。
もっときらめくような文章を、そうしょこたんブログみたいな感じが、今の私の目標だ。
もっと、人間の心に響くような文章を書きたい。
その為には、自分自身の心が、感情が豊かでなくてはならない。
もちろん、ある程度、テクニックによって擬似的に感情を文章に記述する事は可能だ。
でも、心の底からの感情の爆発の煌きは、そう簡単には、真似する事は出来ない。
それを書くには、とにかく実際に、その様な感情を獲得する以外に無い。
BGM : 喜歌劇「天国と地獄」:序曲
このブログでも、何か、物語のようなものを書こうか。
私は会話で繋ぐ物語があまり好きでは無いので、ほとんど書かない。
でも、その様な物語も書いてみる必要もあるかもしれないので、少し書いてみようかな。
BGM : Frederic Chopin - ハ短調作品66
ある他愛も無い会話
「今日は天気が良いね。」
「貴方にとって良い天気でも、私にとっては良いとは言えないよ。」
「なら、どんな天気なら良いんだい。」
「それはもちろん、あめだよ」
「雨?」
「そう、あめだよ。あめは最高だよ。」
「私は雨はあまり好きでは無いな、まあ、たまには良いけどね。」
「そうかなぁ、私は毎日でも良いけれど」
「でも、毎日だったらじめじめしてそこらじゅうカビだらけになっちゃうよ」
「いや、案外カビは生えないと思うよ、熱で溶けはするだろうけど」
「溶ける?、雨は元から溶けてるよ」
「まあ、そういうあめもあるけどね、でも、溶けていないヤツの方が良いな」
「つまりは雪って事かい?」
「そういうやつは聞いた事が無いけど、まあ、あるのかもしれないね」
「雪を知らないのかい?」
「ああ、見た事無いよ。今度ぜひ見せてくれよ」
「いいとも、まあ、今は夏だから、冬まで待っておくれ。」
「冬季限定のやつなんだね。」
「まあ、そういう言い方も出来るけど。」
「今から楽しみだなぁ、大抵のあめは見てきたつもりだから、新しいあめは嬉しいよ。」
「まあ、雨じゃなくて雪だけどね。」
「まあ、なんでもいいよ、」
「おや、雨が降ってきた。」
「ん、本当だ、雨だね」
「傘を持ってきていないからそこの軒下を借りて雨宿りをしよう」
「そうだね。」
「どうだい、この雨は何点くらいだい?」
「何点?、いや、別に雨に点数なんて無いよ。」
「じゃあ、どんな雨でも同じなのかい」
「大抵みんなそうじゃないかな、雨なんてどれも同じだよ」
「でも、雪は好きなんでしょ?」
「ああ、それは是非見てみたいよ。」
「じゃあ雪は何点だい?」
「そうだね、さっき聞いた話からすると・・・98点かな、期待も込めて。」
「雪が98点なのに、雨は得点は無いのかい?」
「まあ、全くの別物だからね。」
「でも、雨は雪が解けたものだし、そんなに変らないんじゃないかな」
「え、雪って、解けると雨になるのかい。」
「そうだよ」
「そんな不思議なあめ、聞いた事が無い、こいつはますます冬が楽しみだ。」
「おや、雨が止んだようだ、そろそろ行こうか」
会話ばかりの他愛も無い会話。
ゴエモン風に言えば、「また、つまらぬものを書いてしまった」かな。
ルパン三世には本当に良い台詞が沢山ある。特にアニメの2期。いいね。
いま、気が付いた事がある。
たぶん、私の感情表現は、これくらいが限界なのだ。
しょこたんの文章がキラキラ輝いてキュンキュンするのは、私にそれが無いからだ。
だから、たぶん一生真似は出来ない。
でも、私には私なりの表現方法がある筈だから、それを追い求めよう。
まあ、感情についても、それを沢山生み出してくれるものが身近にあり続ければ、きっともっと沢山出てくる。
今はただ、書ける事を書こう。
BGM : Andrei Gavrilov - Chopin: Etude #1 In A Flat, Op. 25/1, CT 26, "Aeolian Harp"
そういえば、朝っていつだ。
外が明るくなったら朝なのか。
5時までと言う事にしようかな。
空に太陽が昇る時、夜の闇が星と共に帰っていく。
きっと明日も来てくれると思うけど、それでも少し、名残惜しい。
太陽が空を歩く。
燦々と降り注ぐ笑顔で、全ての生命は光り輝く。
太陽が影を押し縮め、天をゆっくり散歩する。
やがて太陽は地平線に軽く口づけをする。空が赤く頬を染める。
それを確かめるように影法師が伸び上がり、やがて闇夜が星空と共にやってくる。
これで今日も安心して眠れる。
おやすみ星空、太陽がやってくるそれまでの間、闇夜に夢をささやいておくれ。
それを聞きながら、私は眠りにつくから。
まだ、夜は長いけどね。
そういえば、ブログって、長さの制限とかはあるのかな。
特に何処にも書いていないから、大丈夫だとは思うけれど。
しかし、かかし、へちま、とにかく何だかよく分からん文章だ。
BGM : Andrei Gavrilov - Chopin: Etude #11 In A Minor, Op. 25/11, CT 36, "Winter Wind"
最近気が付いた事がある。
それは、人間とは、あまりにも文章ほ書かなすぎる、と言うものだ。
みんな文章を書く量が少なすぎる。
昔から、もしかしたら、自分は文章を書く量が少し多いのかもしれないと考えていたが、しかし、それは逆で、みんなが書く量が少なすぎるのではないかと、最近考え始めている。
元々人間には文章を書く能力が備わっている。
その証拠に、大抵の人間は、日常会話に毎日何千何万と言う言葉を使っている。
それを文字に起こしたら、簡単に文庫本一冊くらいになるのではないか。
つまり、脳内で文章を作って、それを口から出すと言う作業は、何の苦も無く行っている。
その10%でも、文章に出来れば、膨大な文章が蓄積される事になる。
そうすれば、その中から、素晴らしい文章、素晴らしい言葉に遭遇できる可能性も高まる。
これは人類にとっての財産だ。
口から出た言葉は瞬間的に消えてしまう。
文字にした言葉は、人類の文明が続く限り、そしてそれを受け継ぐ何者かが存在し続ける限り、残り続ける事になる。
そんな未来への遺産を残すためにも、どんな些細な事でも、文章にして残すべきだ。
未来がそれを望んでいる。
もっとみんなの言葉に触れたい。
やっぱり4時までにしよう。
4時に寝れば、健康的な生活に近づける。
まあ、私は体内に永久機関を組み込んであるので、それほど気を使う必要も無いけど。
中学2年の時に1日休んで以降、今日まで、学校やら仕事やら約束やらで、ただの一日も休んだ事がない。
遅刻も、不可抗力によるもの(電車の遅延など)以外は一度も無い。
それはたぶん、体内に永久機関が組み込まれているからだ。
そこからの無限のエネルギーが、休息を必要としない身体にしているのだ。
と、信じてみているので、だから多分休まないのだ。
こいつ、変な事を言ってやがる、とお思いかも知れないが、まあ、そのほうが楽しいと思うよ、世界って。
わたしは、へんてこが大好きだ。
ちょっと変ったもの、変った人、そういう存在にとても惹かれる。
多分、私が世界一普通の人間だからだ。
私は自分が世界一平凡な人間だと感じている。
あらゆる面から見て、取り立てて奇妙な点が無い。
まあ、頭がおかしいと言う事はあるけれど、それは単なる脳の機能の問題だ。
恐らく、その奥にある感性などは、極めて平凡であるはずだ。
でも、だからこそ、こうやって、万人に理解できるであろう、平凡な文章が書けるのだ。
まあ、本当はよく分からないけどね。
とにかく、すこし変った感じの人が好きだ。
そういえば忘れていた。
これは未来の自分への通信だったんだ。
未来の自分、こんにちは。
自分は元気ですか、私は元気です。
自分に話掛けるって・・・・かなり重症かな、たぶん何かの。
質問に対して答える、と言うのが一番楽だ。
と言う訳で、質問を書いてそれに答えよう。
Q
質問です、どんな質問をすべきだと思いますか。
A
それは私には分かりません。
ぜなら、質問というのは、それをする者が知りたい事をすべきであり、私はその知りたい事がなんであるのかを知りません。
従って、私には私に対する質問内容に関する質問について答える事は出来ません。
でも、強いてあげるのならば、このような質問で一般的になされる質問をするのが良いではないかと思います。
たとえば「あなたにとって人生とは何ですか」とか「りんごの赤と、絵の具の赤、違いは何ですか」とか、そんな感じの簡単な質問でよいと思います。
では質問です。何故このブログ記事を書いているのですか
それは私にだけは分かりません。
その答えはこれを読む人に聞いてください。
それはたぶん未来の私です。
未来の私に、過去の私は何故これを未来の私に書いたのか、聞いてみてください。
きっと素晴らしい答えを用意していると思います。
今の私には、ただ魂の囁きに従って書いていると言うくらいしか言えません。
まあ、誰も読まない事はアクセス解析から見てほぼ明らかですし、となると、未来の自分くらいしかこれは読みません。
そして、自己分析と言うのは難しいものです。
第三者である未来の自分に分析してもらって、そして解釈を聞くのが、一番良いと思います。
質問です、UFOがあなたの家に尋ねて来たとします。どうしますか。
まず、夢であるか確かめます。
UFOの夢はしょっちゅう見るので。
そして、夢で無い事が確認できたら、とりあえず中から誰かが出てくるのを待ちます。
写真も撮りますが、きっとカメラが壊れてしまって撮れないか、または、後で撮った写真を持っていかれてしまうと思います。
その前にネットに上げてしまうって言うのも手ですけど。
その後、何とかコンタクトをとろうと試みます。
友好的だと良いのですが、もし、私を人体実験目的で誘拐しようとしたとしても、たぶん、そのまま従うと思います。
実際は、その場面になってみないと分からないとは思います。
最終的には、直感に頼る事になります。
その宇宙人は人体実験をした後にきちんと帰してくれるのか、それはたぶん、その時の雰囲気で判断します。
やばそうだったら、UFOを乗っ取って、どこかに逃げます。
まあ、操縦は難しいかもしれませんが。
友好的な宇宙人だったら、とにかく頼み込んで宇宙に連れて行ってもらいます。
出来れば銀河の旅をしたいですが、向こうの都合もあると思うので、その場合は、UFOの構造、推進力などをできるだけ詳しく聞きます。
そして、それを元に、何としても、自力でUFOを創りたいです。
まあ、こんな所でしょうか。
不毛な質問にお答えいただき、ありがとうございました。
・・・・
まあ、自分で質問して、自分で答えるのだから、こんな感じになるのは仕方が無い。
たまに、昔自分が書いた文章を読むと、本当に自分が書いたものかと考えてしまうモノに出くわすことがある。
たぶんこの記事も、そんな文章の一つになる。
読まない確率が99.98%くらい、ある気がするけど。
現に、今の所、このブログの過去の記事は、読み返していない。
2012年より前の記事は、何を書いているのかすら、全く記憶に無い。
今年書いた記事は、かろうじて何となく覚えているものも僅かにある、と言う程度だ。
見れば大抵、思い出すけど。たぶん。
やばい、また大好きを書き散らかしたくなって来た。
過去の記事を御覧いただければわかるように、たまに無性に大好きを書きたくなってくる。
だって、心の中に留めておくと、心がキュンキュンして来てピョンピョンと跳ね踊る。
あの魅力を、あの可愛らしさを、あの愛おしさを、このまま心に押し留めておいたら、私の小さなハートは破裂してしまいそうだから。
でも、今日は書かないんだ。
読みたいって人がいるのなら書くけれど、まあ、居ないだろうからね。
それに、もう4時だ。
大好きを書くには時間が足りない。
そう言う事にしておこうじゃないか。
そうしないと、いつまでも書き続けてしまうから。
おやすみなさい、そろそろ寝るよ。
あなたの笑顔を夢見ながら
日課
しょこたんブログを読もう
きょうもしょこたんブログを読む。
上海コンサートの為に中国へ。
色々な取材などを受け、後は本番のコンサート。
コンサートが歓声と笑顔に包まれますように、心から祈ろう。
チケットがあれば行くんだけどなぁ。あ、あとパスポートもか。
私は国外に出た事が無いので、パスポートを持っていない。
いずれ外国には行きたいので、パスポートは、手に入れねばなるまい。
宇宙に出るときには、パスポートは必要なのだろうか。
宇宙はどこの国でも無いから、パスポートは必要無いかもしれないけど。
ただ、宇宙船は基本的に、その船が属する国の領域と言う事になるだろうから、宇宙船や宇宙ステーションに入るなら、必要になるかもしれない。
まあ、その頃までには確実に用意しておくけどね。
それはともかく、とにかく無事にコンサートが終わる事、これが何よりの願いだ。
エヴァとコラボの服。
模様と耳(正確には耳では無いのかもしれないけど)が、とっても良い。
そして、やっぱりしょこたんは可愛いっっ!!
私が女性なら、迷わず買うのだけど、今の所女装癖も無いし、プレゼントする相手もいない。
まあ、写真を愛でて楽しむとしよう。
そうそう、8/31はブルームーンと言う月に2度満月がある月の満月の日と言う珍しい日だった。
・・・ややこしい言い回しだな。
写真はこの一つ前の記事に載せているので、興味のある方は御覧あれ。
そういえば、満月の日は地震が起きると言う話は有名だが、やはり、単なる迷信とも言い切れ無い気がする。
日課といえば、絵を描くのもほぼ日課だ。
しょこたんの絵を描くことが多い。
そして、相変わらず誰からの注目も集める事は無い。
でも、いずれ誰かに見られる日が来る可能性はあるので、しっかりと展示はしておこう。
自分のサイトとこのブログとそしてニコニコ静画と言う場所に飾っている。
私の調べた所によると、それら全てのサイトでの1枚の絵の合計閲覧者数は数回だ。
0では無い事は確かなので、まあ、誰かが見てくれている事はほぼ間違えない。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
まあ、このブログも1日のアクセス数は一桁なので、その中で絵を見てもらえていると言う事は、ある意味凄い事なのかも知れない。
世界中に1人でも、喜んでくれる人がいるならば、それを続ける価値はある。
子供の頃から、描いた漫画や絵は、数名の同級生・友人に見せているだけだった。
まあ、その頃から変っていない感じだ。
今ではそれが全世界に広がったと言うだけで。
世界にいる数名の閲覧者の為に、今日も新しい絵を描こう。
それに、もしかしたらしょこたんだって見ているかもしれないからね。
可能性がゼロだと言う事は出来ないのだから。
あらゆる可能性を排除せず、己の魂のささやきに正直にいこう。
しょこたんの満面の笑顔での上海コンサート報告のブログ記事が、とっても、とっても、読みたいな。
そうなるように、私の全ての力を贈ろう。
どうか、しょこたんの最高の笑顔が見られますように。心よりお願いいたします。
きょうもしょこたんブログを読む。
上海コンサートの為に中国へ。
色々な取材などを受け、後は本番のコンサート。
コンサートが歓声と笑顔に包まれますように、心から祈ろう。
チケットがあれば行くんだけどなぁ。あ、あとパスポートもか。
私は国外に出た事が無いので、パスポートを持っていない。
いずれ外国には行きたいので、パスポートは、手に入れねばなるまい。
宇宙に出るときには、パスポートは必要なのだろうか。
宇宙はどこの国でも無いから、パスポートは必要無いかもしれないけど。
ただ、宇宙船は基本的に、その船が属する国の領域と言う事になるだろうから、宇宙船や宇宙ステーションに入るなら、必要になるかもしれない。
まあ、その頃までには確実に用意しておくけどね。
それはともかく、とにかく無事にコンサートが終わる事、これが何よりの願いだ。
エヴァとコラボの服。
模様と耳(正確には耳では無いのかもしれないけど)が、とっても良い。
そして、やっぱりしょこたんは可愛いっっ!!
私が女性なら、迷わず買うのだけど、今の所女装癖も無いし、プレゼントする相手もいない。
まあ、写真を愛でて楽しむとしよう。
そうそう、8/31はブルームーンと言う月に2度満月がある月の満月の日と言う珍しい日だった。
・・・ややこしい言い回しだな。
写真はこの一つ前の記事に載せているので、興味のある方は御覧あれ。
そういえば、満月の日は地震が起きると言う話は有名だが、やはり、単なる迷信とも言い切れ無い気がする。
日課といえば、絵を描くのもほぼ日課だ。
しょこたんの絵を描くことが多い。
そして、相変わらず誰からの注目も集める事は無い。
でも、いずれ誰かに見られる日が来る可能性はあるので、しっかりと展示はしておこう。
自分のサイトとこのブログとそしてニコニコ静画と言う場所に飾っている。
私の調べた所によると、それら全てのサイトでの1枚の絵の合計閲覧者数は数回だ。
0では無い事は確かなので、まあ、誰かが見てくれている事はほぼ間違えない。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
まあ、このブログも1日のアクセス数は一桁なので、その中で絵を見てもらえていると言う事は、ある意味凄い事なのかも知れない。
世界中に1人でも、喜んでくれる人がいるならば、それを続ける価値はある。
子供の頃から、描いた漫画や絵は、数名の同級生・友人に見せているだけだった。
まあ、その頃から変っていない感じだ。
今ではそれが全世界に広がったと言うだけで。
世界にいる数名の閲覧者の為に、今日も新しい絵を描こう。
それに、もしかしたらしょこたんだって見ているかもしれないからね。
可能性がゼロだと言う事は出来ないのだから。
あらゆる可能性を排除せず、己の魂のささやきに正直にいこう。
しょこたんの満面の笑顔での上海コンサート報告のブログ記事が、とっても、とっても、読みたいな。
そうなるように、私の全ての力を贈ろう。
どうか、しょこたんの最高の笑顔が見られますように。心よりお願いいたします。



























