今日の雑記 | ゆうきの話

今日の雑記

純粋

分かった事がある。

純粋である事、これこそが最も必要な事だと言う事を。

真っ直ぐに見つめる。


本当に純粋に物事を見つめる人間に接すると、自分の心が如何に濁っているかがよく分かる。

そして、同時に心が洗われる。

真っ直ぐに見つめる。

キラキラ輝く心。



けっこう涼しい。

スイカが少しずつ遠ざかっていく。

でも、心配いらない。

真冬でも、スイカは食べられる。

スイカバーなら、何時でも食べられる。

でも、夏の良い所は、虫の声だ、風にさざめく草木のざわめきだ。

その夏が少しずつ去ってゆく。

来年もきっと来ると信じよう。

さあ、そろそろ秋の虫が喉をコロコロ鳴らし始める。

秋がやってくる。



しょこたんブログを読んだ事は一つ前の記事に結構書いたよ


己の目で見たものが、真実である。

だって、それ以外に真実は無いのだから。

真実を認識するのは自分の脳だ。

他人の脳では無く、自分の脳だけが、宇宙を認識できる。

だから、幽霊が見える人にとって、幽霊は実在し、それを否定する事は出来ない。

もし、外部の人間が「霊なんていないよ」と言った所で、その外部の人間の存在を認識するのも脳であり、幽霊が見える人間に幽霊の存在を否定させる事は、それを言う外部の人間の存在をも疑わせ、そして否定させる事になる。

何故なら、幽霊も外部の人間も、その人にとっては、共に脳が認識した現象の一つであり、一方の認識が正しく、一方の認識が間違っていると言う判断を、脳は下せない。

自分自身にとっての真実は、自分自身が感じたもの全てであり、それを他人が否定する事は不可能だ。

スイカが甘いと感じる事を、外部の人間が否定する事は出来ない。

例えば、「それは脳が誤った情報処理をしているからだ」と言われたとして、それを認めてしまうと、「それは脳が誤った情報処理をしているからだ」と言っている者の存在の認識すら間違っている可能性がある事になり、全ての認識が全く信じられなくなってしまう。

他人が自分の感じた事を否定した場合、それが自分自身で納得の出来る物で無い場合は、受け入れてはならない。

それを受け入れてしまうと、全ての感覚が全く信じられなくなり、宇宙が空虚で、うつろな物になってしまう。

この宇宙を認識できるのは唯一、自分自身の脳であり、自分自身の心だけである。

だから、自分で感じたものだけが、自分にとっての真実だ。


自分の感覚を信じよう。

宇宙は自分の心が創っているのだから。