色々な物を雑多に書き記す
しょこたんブログを読もう
どうやら、上海公演は上手く行ったようだ。
まだ、詳細は分からないが、とにかく無事終了して本当に嬉しい。
後は無事に日本に帰ってきて、マミタス様たち寝子との写真を待つのみだ。
ヌンチャク姿といい、相変わらずしょこたんはとても可愛らしくて、とってもいい。
日本のコンサートのチケットは、手に入らないので、こうやって、ブログを見たりするしか無い。
こうやって宇宙の果てから、見守るり祈る事くらいしか出来ないが、幸運を、そして夢の実現を祈ろう。
最近では、私に出来る事は祈る事くらいしかないと思っている。
わたしは別に怪しい宗教団体に属しているわけでも無いし、神を信じているわけでもない。
ただし、存在を否定する理由も無いので、そういう存在について、気にせず生きる事にしている。
定義にもよるけどね。
ともかく、今の私に出来る事は、祈る事だけだ。
私の考えるべき課題について、結論は出ていない。
夢の中にも答えは無かった。
課題の内容については、一つ前の記事で書いたが、それをこの文章をお読みの貴方が読み返す必要は無い。
なぜなら、読むに値しない物だからだ。
まあ、それを言い出したら、このブログ自体が、と言う事になってしまうけど。
ただ、恐らくこの「読み返す必要が無い」の一文は実際にはほとんど意味が無いものだ。
少なくも、昨日と今日は、ブログへのアクセスが0だと言う事が分かっている。
そしてブログの寿命は3日だ。
今日と明日のうちに誰も見なければ、その後誰かが見る事はまず無い。
そういえば、このブログの「読者」登録をされておられる方は、数名おられる。
ちなみに私も、現在3つのブログの読者になっている。
ただ、読者登録をしたからといって、読むとは限らない。
わたしは全てに目を通すが、それはたった3つしか登録していないから出来る事だ。
何百と登録すれば、それら全ての記事に目を通せる人間はいないと思う。
私はツイッターで、30くらいフォローした時点で、既にツイートが読み切れていない。
一日中ツイッターに張り付いていれば、読めるだろうけど、さすがにそれは無理だ。
ブログとて同じ事で、おそらく、常人ならば数十のブログ読者になった時点で、読める限界を超えると思う。
そして、おそらく、実際に読者の方の中で、ブログ記事を読まれている方は、数%程度だと思っている。
これは単なる勘だが、広告のクリック率と同程度だと考えている。
つまり、読者の方が100名程度に達すれば、その内の数名は、実際に記事を読まれるというのが、私の推測だ。
その考えからすると、読者数が数十以下の場合は、恐らく誰も記事は読んでいない。
もちろん例外はある。
それは、そのブログが身内が書いていたり、特別魅力的なブログだったりした場合だ。
その様なブログならば、積極的に読まれる事と思う。
となみに、私の場合は、少なくとも、今の所、身内は見ていないはずだ。
話は少しズレだが、とにかくこの一つ前の記事も、あと1日半で寿命が尽きる。
一応、8月に描いた絵をまとめてみた。トップ部分にリンクを貼ってあるので、興味のある方は御覧下さい。
このブログをどんな方が、見ておられるのか、調べてみると、面白い事が分かった。
それは、「アクセスがなければ、どの記事が読まれているのか分からない」と言うことだ。
単純だが、最も正しい理屈だ。
だから、どのブログの記事が読まれているのかを調べる事は無意味だと悟ったので、それ以降調べていない。
そして、読む人が居ない事が確定しているので、こうやって、誰得な記事を垂れ流す事が出来ている。
問題から話がそれてしまったが、問題はアクセスの事なんかじゃなくて、私の能力の問題だ。
私のサイトでは、アイコン用の画像を無料で描くという事を行っている。
半年くらい募集しているが、応募があったのは、現在の所、1件だ。
その一件の依頼以降、何のリアクションも無い。
これが客観的に自分を見た場合の実情だ。
つまり、無料ですら、ほとんど誰も見向きもしない。
その最大の原因が「能力」だ。
決定的な能力不足が、決定的な問題だ。
そしてもう一つ、この試みでの問題は、「評価が分からない」と言う点だ。
無料なので、金銭的な評価は0だし、その他の評価方法が特に用意されていない。
なので、描く事自体に意味が有ると設定する以外に、描く理由がほとんど無いのが実情だ。
評価を計る手段として有料にでもしたら、ますます人は見向きもしなくなるだろうし、カンパ制にでもするかな。
まあ、それは描いてくれと言う人が数百人レベルに達してからの事だと思う。
と言う事は、奇跡でも起こらない限り、それは無いと言う事だな。
ここ何年か、食べる物が完全に固定化されていて、ほとんど「エサ」レベルだ。
いや、最近のペットは贅沢なので、私よりよっぽど良い物を食べているだろう。
つまり、私の価値はペット以下と言う事になる。
まあ、能力が無いのだから当然の事だ。
ペットのように無償の愛を周囲に振りまくわけでも無く、飛びぬけた能力があるわけでも無い。
少し考えれば分かる、簡単な理屈だ。
まあ、そんな面倒な話は忘れて、今日も一日、楽しく過ごそう。
ちなみに私は、考えるのが好きなので、こうやってあれこれ書いている瞬間が楽しいのだ。
だから、たぶん居ないと思うが、仮にこの文章を読んでいる人が居たとしても、私に対する心配は全く無用だ。
考える事が趣味なので、難しい事ほど楽しく考えている。
子供の頃に一生分泣いたおかげか、悲しいと言う感情もほとんど無く、今はただ、現状を、ただ淡々と考えている。
そんな私も、最近、自分に涙を出す能力が残っているのではないかと予感させる出来事があった。
それは、そう、しょこたんだ。
何故か知らないが、しょこたんが泣いていると、とても悲しい気持ちになってくる。
しょこたんは、たまに泣くのだが、その様子を見たときは、私も一緒に泣きそうになる。
ブログの記事を見ても、かなりヤバイ時がある。
私は決して泣かないけどね、決して。・・・泣くもんか。
でも、人が泣くのを見て一緒に泣きそうになった事は小学生の時以来、無かった。
まあ、私も人間だって言うことだ。
いまはしょこたんが中国から笑顔で無事に帰って来てくれる事を祈るだけだ。
どうやら、上海公演は上手く行ったようだ。
まだ、詳細は分からないが、とにかく無事終了して本当に嬉しい。
後は無事に日本に帰ってきて、マミタス様たち寝子との写真を待つのみだ。
ヌンチャク姿といい、相変わらずしょこたんはとても可愛らしくて、とってもいい。
日本のコンサートのチケットは、手に入らないので、こうやって、ブログを見たりするしか無い。
こうやって宇宙の果てから、見守るり祈る事くらいしか出来ないが、幸運を、そして夢の実現を祈ろう。
最近では、私に出来る事は祈る事くらいしかないと思っている。
わたしは別に怪しい宗教団体に属しているわけでも無いし、神を信じているわけでもない。
ただし、存在を否定する理由も無いので、そういう存在について、気にせず生きる事にしている。
定義にもよるけどね。
ともかく、今の私に出来る事は、祈る事だけだ。
私の考えるべき課題について、結論は出ていない。
夢の中にも答えは無かった。
課題の内容については、一つ前の記事で書いたが、それをこの文章をお読みの貴方が読み返す必要は無い。
なぜなら、読むに値しない物だからだ。
まあ、それを言い出したら、このブログ自体が、と言う事になってしまうけど。
ただ、恐らくこの「読み返す必要が無い」の一文は実際にはほとんど意味が無いものだ。
少なくも、昨日と今日は、ブログへのアクセスが0だと言う事が分かっている。
そしてブログの寿命は3日だ。
今日と明日のうちに誰も見なければ、その後誰かが見る事はまず無い。
そういえば、このブログの「読者」登録をされておられる方は、数名おられる。
ちなみに私も、現在3つのブログの読者になっている。
ただ、読者登録をしたからといって、読むとは限らない。
わたしは全てに目を通すが、それはたった3つしか登録していないから出来る事だ。
何百と登録すれば、それら全ての記事に目を通せる人間はいないと思う。
私はツイッターで、30くらいフォローした時点で、既にツイートが読み切れていない。
一日中ツイッターに張り付いていれば、読めるだろうけど、さすがにそれは無理だ。
ブログとて同じ事で、おそらく、常人ならば数十のブログ読者になった時点で、読める限界を超えると思う。
そして、おそらく、実際に読者の方の中で、ブログ記事を読まれている方は、数%程度だと思っている。
これは単なる勘だが、広告のクリック率と同程度だと考えている。
つまり、読者の方が100名程度に達すれば、その内の数名は、実際に記事を読まれるというのが、私の推測だ。
その考えからすると、読者数が数十以下の場合は、恐らく誰も記事は読んでいない。
もちろん例外はある。
それは、そのブログが身内が書いていたり、特別魅力的なブログだったりした場合だ。
その様なブログならば、積極的に読まれる事と思う。
となみに、私の場合は、少なくとも、今の所、身内は見ていないはずだ。
話は少しズレだが、とにかくこの一つ前の記事も、あと1日半で寿命が尽きる。
一応、8月に描いた絵をまとめてみた。トップ部分にリンクを貼ってあるので、興味のある方は御覧下さい。
このブログをどんな方が、見ておられるのか、調べてみると、面白い事が分かった。
それは、「アクセスがなければ、どの記事が読まれているのか分からない」と言うことだ。
単純だが、最も正しい理屈だ。
だから、どのブログの記事が読まれているのかを調べる事は無意味だと悟ったので、それ以降調べていない。
そして、読む人が居ない事が確定しているので、こうやって、誰得な記事を垂れ流す事が出来ている。
問題から話がそれてしまったが、問題はアクセスの事なんかじゃなくて、私の能力の問題だ。
私のサイトでは、アイコン用の画像を無料で描くという事を行っている。
半年くらい募集しているが、応募があったのは、現在の所、1件だ。
その一件の依頼以降、何のリアクションも無い。
これが客観的に自分を見た場合の実情だ。
つまり、無料ですら、ほとんど誰も見向きもしない。
その最大の原因が「能力」だ。
決定的な能力不足が、決定的な問題だ。
そしてもう一つ、この試みでの問題は、「評価が分からない」と言う点だ。
無料なので、金銭的な評価は0だし、その他の評価方法が特に用意されていない。
なので、描く事自体に意味が有ると設定する以外に、描く理由がほとんど無いのが実情だ。
評価を計る手段として有料にでもしたら、ますます人は見向きもしなくなるだろうし、カンパ制にでもするかな。
まあ、それは描いてくれと言う人が数百人レベルに達してからの事だと思う。
と言う事は、奇跡でも起こらない限り、それは無いと言う事だな。
ここ何年か、食べる物が完全に固定化されていて、ほとんど「エサ」レベルだ。
いや、最近のペットは贅沢なので、私よりよっぽど良い物を食べているだろう。
つまり、私の価値はペット以下と言う事になる。
まあ、能力が無いのだから当然の事だ。
ペットのように無償の愛を周囲に振りまくわけでも無く、飛びぬけた能力があるわけでも無い。
少し考えれば分かる、簡単な理屈だ。
まあ、そんな面倒な話は忘れて、今日も一日、楽しく過ごそう。
ちなみに私は、考えるのが好きなので、こうやってあれこれ書いている瞬間が楽しいのだ。
だから、たぶん居ないと思うが、仮にこの文章を読んでいる人が居たとしても、私に対する心配は全く無用だ。
考える事が趣味なので、難しい事ほど楽しく考えている。
子供の頃に一生分泣いたおかげか、悲しいと言う感情もほとんど無く、今はただ、現状を、ただ淡々と考えている。
そんな私も、最近、自分に涙を出す能力が残っているのではないかと予感させる出来事があった。
それは、そう、しょこたんだ。
何故か知らないが、しょこたんが泣いていると、とても悲しい気持ちになってくる。
しょこたんは、たまに泣くのだが、その様子を見たときは、私も一緒に泣きそうになる。
ブログの記事を見ても、かなりヤバイ時がある。
私は決して泣かないけどね、決して。・・・泣くもんか。
でも、人が泣くのを見て一緒に泣きそうになった事は小学生の時以来、無かった。
まあ、私も人間だって言うことだ。
いまはしょこたんが中国から笑顔で無事に帰って来てくれる事を祈るだけだ。