書く事で考えをまとめる為のスペース
ここは、書く事で、今の考えをまとめたりして、可能ならば良い結論を出してみようというものだ。
従って、これは読むものではない。
これは、未来の自分ですら、読む事は非推奨だ。
------------------------------------------------------------
なんだろう。
よく分からないが、何も分からない状態といえば良いのだろうか。
とにかく、この状態を分析してみよう。
まず、絵を描くと言う行為が、本当に何の意味も無いのではないかと感じている。
このブログで何度か書いているが、私の絵は、完全に自分自身の内的な衝動によってのみ、描いている。
物心付いた頃から絵を描いていて、ただの一度も絵を他人から求められた事は無い。
いや、何度かはあったかも知れないが、それは義理だったり、勢いだったり、いわゆる「たまたま」な物だけだ。
たまたまなんてモノは長続きしない。
実質的に私の描くモノを求める人は、今の所存在しないので、絵を描くのは完全に自分自身のみが望んでいる状態だ。
そして、その望みに、本当に従って良いものなのかが、わからなくなって来ている。
必要とされもしないものを、作り続ける事は、エゴ以外の何者でも無い気がしてきている。
それでも良いと言う考え方もあるかもしれない。
でも、私の心が、それだけではダメではないかと、疑問を感じている。
この私を説得するべきか、どうするべきか、考えている。
このブログについては、完全に個人メモと化しているので、見られているかどうかは、気にはならないが、絵については、このままで良いのかと言う疑問がある。
以上の点から生じる、新たな問題が、一番厄介な問題だ。
描く物が無価値ならば、その先のものも全て無価値と言う事になってしまう。
まあ、それでも良いのかもしれない、と、思って来ているが、となると、私は何を目的にこの空っぽの生を生きれば良いのかが分からなくなる。
これは深刻な問題で、いまの所、良いアイデアは無い。
私にはは好きな物が沢山ある。
でも、それらの物に、私は何も出来ない。
ゲームが好きだからといって、ゲームを簡単に買ったりする事は出来ないし、宇宙が好きだからといって、いくら念じてもUFOはやってこない。
しょこたんが大好きだといっても、コンサートのチケットを手に入れる事も出来ない。
つまり、好きなものへ、私から何も贈る事は出来ないし、接する事も出来ない。
それも全ては、私の能力が完全に不足しているからであり、その能力の内、最も不足しているのが、絵を描く力だ。
宇宙に行きたくても行けないのであれば、宇宙の絵を描けば良いのだが、全然全く何も描けない。
宇宙は描くには美しすぎる。
しょこたんを描くにしても、その魅力の0.01%も描き表わす事が出来ない。
だから、描く毎に、己の未熟さを恥じ、自己嫌悪に陥る。「こんなものじゃない!!もっとだ!!もっとだ!!!」
だから、描くのが申し訳なくて仕方が無い状態だ。
でも、描かずにはいられない、描かずにはいられないのだ。
私のような者が描くべきではないのだが、どうしても描かずにはいられない、どうしよう、どうしよう。
まあ、答えが出ないのは分かっているが、ここに書く事で、考えが整理できて、もしかしたら答えのようなものが見えてくる可能性があると思い、書いているが、今の所、何も見えない。
と言う事で、今の段階では、何の答えも出ないが、とりあえず、今日をどうするか位は決めておいても良さそうだ。
一応、「2012年9月の絵」のページは作成済みだ。
後はそこに絵を飾るだけだが、上記の理由によって、昨日は何も描いていない。
もうしばらく何も描かずにいるか、それとも、たとえ不完全であろうとも、描く資格が無いくらいに下手糞であろうとも、描いてしまうべきなのか。
私の直感は、描くべきだと訴えているが、理性がそれを押し留める。
理性が無駄だと言うのにはちゃんとした根拠があり、これを覆すのは大変だ。
BGM : Bach: Toccata & Fugue In D Minor, BWV 565
BGM : Stanislav Bunin - Bach: Jesu, Joy Of Man's Desiring
やっぱりバッハは心が穏やかになる。
ブーニンが全曲をピアノ演奏したCD集、いつ頃出るのかなぁ、まあ、数十年後だろうけど。
こう言う時は、音楽だけが、私の心に寄り添ってくれる。
音楽を聞きながら、じっくり答えを探してみよう。
この夜は長いのだから。