雑記だったりする | ゆうきの話

雑記だったりする

勘違い

読者になる、と言う機能は、相手に通知せずに読者になれると言う事に、今気が付いた。

そりゃそうだよね。

その機能が無くちゃ、面倒でしょうがない。

まあ、相手に分かって欲しい場合もあるから、使い分けられるって、いいよね。

わしって、おっちょこちょいだな。

気をつけよう。



そらまめ

私はソラマメが好きだ。

この中には死者の魂が入っているから、食べてはならない、と言う人もいるらしいが、もちろん私は気にしない。

守護霊を食べるのが影亡者なら、魂を食べるのが私と言うわけか、まあ、美味しいからいいや。

そういうば、「神の左手悪魔の右手」は、妹が持っていたのを読んだが、そのあまりのおどろおどろしさに、「読んだら呪われるのではないか」と心配して読むのを止めてしまったほどだ。

今なら読んでも大丈夫だと思うので、今度読んでみよう。

今では、数々の心霊番組やホラー映画を見たおかげで、ホラー耐性が5000くらい付いているので、大抵のホラーは大丈夫だ。

もちろん、びっくりはするけど。

恐怖と驚愕は違うと、つのだじろうが言っていた。

驚愕とはつまりびっくりする事、突然出てきた化け物に、反射的に体が反応する事、これが驚愕で、恐怖とは全く違う。

楳図かずおは、まさに恐怖の漫画を描く。

怖すぎてまだ全部は読んでいないが、乗り越えなくてはならない壁だろう。

ホラー耐性もだいぶ付いた筈なので、そろそろ全作品制覇してみようかな。

ソラマメでも食べながら。


グーグル解析はモバイルからのアクセスを調べられない。

だから、モバイルからのアクセスは、もしかしたら結構あるかもしれない。


モバイルの皆さんこんにちはこんばんは。

私がゆうきです。

本名です。

昔からみんなにゆうきゆうき言われていたので、今でもそう名乗っています。

学校の先生から近所の年下の友達まで、みんなゆうきゆうき言います。

ゆうきは頭がおかしな子ですが、決して悪いやつじゃないと思います、今後ともよろしくお願いいたします。



人見知り

私は自分が人見知りだと知っている。

そして、人見知りには2種類ある。

一つは、人に会うと何をしてよいのか分からなくなり、緊張してしまって上手く接することが出来ないタイプ。

もう一つは、誰にあっても全く緊張せず、そして、相手に特に興味も沸かないので、接する必要性を感じないタイプ。

私は明らかに後者だ。

だから、初対面の人が話しかけてきても、10年来の友人と同じテンションで話せる。

そして、こちらから何か話しかけたりしたいと言う欲求は、その時の気分によって決まるので、初対面だからと言う理由だけで話したり、又は無視したりする事も無い。

話したければ話すし、話す事が無ければ話さない。

だから、表面的には、緊張して話せない人見知りと同じように見えるはずだ。

だって、初対面の人に、何を話せば良いかなんて、エスパーでも無い限り、分かりはしないのだから。

だから、基本的に大人しくなるのは仕方が無い。

本当はもう少し積極的に話しかけて、とにかく相手の情報を引き出す必要がある。

そうすれば、それをきっかけに話も弾むと言うものだ。

そうすれば、友人と言うものができる可能性は無くは無い。

第九が歌えるようになる。


初対面で緊張しないのは実はあまり良い事ではない。

緊張によって血流量が増えると、その結果、頭にたくさんの血が巡り、頭の回転が速くなって色々と話したりすることが出来るそうだ。

つまり、緊張しないと言う事は、頭の回転が速くならない、と言う事を意味している。

だから、多少の緊張はした方が、本当は良いのだ。

私のように、初対面だからといってそれだけでは緊張しない人間は、もっと緊張するように何とかするべきだ、出来るかどうかは別にして。

たぶん、もう少し自分をよく見せようとした方が良い。

私は、自己評価が低めなので、もともと周囲の人からもろくな評価を受けていないと自覚しており、そして初対面の人間によく思われたいと言う願望もあまり無い。

だから、もう少し、自己肯定感を増せば、きっと緊張できる人間になれるかもしれない。

多少の緊張感は、人間関係のスパイスだ。多すぎても困るが、全く無いのは味気ない。


先日行ったしょこたんの握手会、全く緊張はしなかった。

普段からテレビやブログやCDやら映像で日常的に見聞きしているので、そのせいで、私の中ではすっかり「知った顔」になっている。

だから、普段は会えない親類に会ったような気分だった。

もちろん、しょこたんは大好きだし、もし、本当の親類になれれば飛び上がって喜ぶだろうけど、だからこそ、緊張感は無かった。

身近過ぎると緊張は無くなる。

たぶん、しょこたんが私に緊張しなくなる日は来ないけど、それでいいんだ。いいんだ。

程よい緊張感を得られるように、努力しよう。努力して出来る気もしないけど。




人生とは何かを諦め続ける事なのかもしれない

そして、最後に生きる事を諦めて終わる




googleのアクセス解析の結果、このブログは誰も見ていないことが判明しているので、好きな事を書こう。



雲が好きだ。

入道雲は特に好きだ。

あの雲の中で住みたい。

綿菓子みたいな雲を食べてみたい。

ここで、「あれは氷や水滴の集まりだから、ただの水と変らないよ」と思ったら負けだ。

現実に負けてはならない。

現実は夢だ。

雲が綿菓子だと思う人間にとって、雲は綿菓子なのだ。

現実に負けた人間にとっては、あれはただの水の固まりに過ぎない。

雲を綿菓子にするほどの一途さを持ってすれば、変えられない現実などありはしない。

この世界は、愛の見ている夢なのだから。



道端に生えている草や木、なんであんなに輝いて見えるんだろうか。

誰かに求められているわけでも無いのに、ただひたすらに光り輝いている。

それはきっと、太陽があるからだ。

太陽に向かって精一杯、風に揺られて身体を振っている。

たぶん、太陽は気付きもしない、そんなちっぽけな草木なんかに。

でも、草や木はそんな事お構い無しに輝いている。

道端の草木のように生きられたら、どんなにか、素晴らしいだろうに。



人が死んでも、悲しいとは感じない。

生きる事と死ぬ事は必ず対になっていて、生きる事は、死ぬ事ではじめて意味を持ち、完成する。

だから、人が死んでも悲しくは無い。

ただ、少し、寂しい

お願いだから生きてくれ、これ以上寂しい思いをさせないでくれ、頼む、本当に頼むよ、お願いだから。



ドラゴンボールが7つあったら、私より先に死ぬ事を禁止してもらおうっと



え、しょこたんの事は書かないのかって。

書きますとも、でもね、少し考えたんだ。

もし、万が一、何かの間違いで、このブログをしょこたんが見てしまったらどう思うかなって。

きっと、「きもい、怖い、やばい」と思うに違いないなって。

だから、あんまり書き過ぎない事にしているんだ。

ただでさえ繊細なしょこたんの心に、こんなゴミブログで更に負担をかけてしまうなんて、申し訳ないからね。

でも、まあ、本当は、見ていない事は知っているんだ。

だって天下のgoogle様がそう言っているんだもの。

だから、もっと一杯書いてもいいんだよね。

ただし、これを見ているあなた、あなたが、ほかで言いふらさなければの話だけどね。

まあ、本当は貴方なんて居ないことも分かっているんだ、google様(ry

そう、だから本当はもっと書いてもいいんだよね、本当はね。

でも、大好きがいっぱいすぎて、こんなちっぽけなブログ、すぐに埋まってしまうよ。

だから、ほどほどに、ほどほどに、書いていこうと思っているんだ。

それでいいよね、何処にもいない貴方、そしてしょこたん。



雑記は生きている限り、終わる事は無い・・・